2018年09月02日

ミュンヘン探訪

8月29日から9月1日、3泊4日でミュンヘンのバイエルン州立図書館を訪れた。最大の目的は、雲英末雄先生や鈴木淳さんが御覧になった秋成書き入れ古今和歌集を見ること。この書き入れについては、少し皆さんの見解が異なるので、一度見ておきたかったが、今回じっくりと見ることができた。
 さて、ミュンヘンという町だが、実にしっくりくる。ドイツに住む方がこの都市を「大きな田舎」と呼んでいたけれど、言い得て妙だと思う。人々が人なつこくって優しく、けれども上品な印象。場違いながら「雅俗融和」という言葉を思い出させる。なにかゆったりとしていて、落ち着く。
 最初の日は夕方にミュンヘン入りし、午後8時まで開いているノイエ・ピナコテークへ。ドイツの近代画家の名作のほかゴッホの「ひまわり」も。人は少なくて思う存分間近で見られる。写真も自由。
 あとは日中は図書館で閲覧、夕方から美術館や歴史的建造物の見学。アルテ・ピナコテーク。フェルメールの特別展示もあって(一枚だけだが)ラッキー。ちなみに「ノイエ」は新しい、「アルテ」は「古い」の意味。そして市庁舎、レジデンツ(宮殿)の壮麗さに圧倒された。これらはすべて徒歩圏。ミュンヘン駅近くの安いホテルを拠点にすれば、勉強、観光、買い物、食事すべて30分圏内でOK。歌劇場は外から見ただけだが、ここでオペラみたいところですね。
 さて、ミュンヘンといえば、白ソーセージにビールですね。3日間、いろいろな店で堪能。最後の日は市庁舎の地下食堂ラーツケラー。ここのビール、白ソーセージとくにうまかった。ザワークラウトも今まで食べた中で一番美味い。そこに、ビールとワインが戦っている絵が掛けられていて面白いなと思ったが、訊いてみるとドイツとフランスの戦いを寓意しているそうだ。なるほど〜。
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2018年08月16日

大磯義雄文庫目録

大磯義雄氏は俳文学者。愛知教育大学名誉教授。平成27年逝去。その旧蔵書和装本1678点(うち俳書1122点)の目録が、寄贈を受け入れた岡崎市美術館から刊行された。平成26年に寄贈され、今年目録刊行というのは、この手の目録作成に関わったことのある者の経験から言えば、かなり早い。加藤定彦先生をはじめとする俳諧研究者を中心とする精鋭12名の、素晴らしい仕事である。解説は簡要だが、貴重書・稀書については指摘されているし、関連論文を注記するものもある。安永期あたりの俳書が随分多い印象。あとやはり蕪村でしょうか。私の研究対象だった潭北の教訓三部作が揃っているのも嬉しいかな。俳諧研究者は一見の価値あり。とりあえず紹介のみ。
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2018年08月13日

読本研究愛

『読本研究新集』が第10集に到達した。ここまで引っ張ってこられた「読本研究の会」の事務局・編集委員の皆様に心から感謝します。
かつて故横山邦治先生が、読本研究の発展を願って、おそらく相当な私財もつきごんだのではないかと思われるが、苦労の上創刊された『読本研究』という研究誌があった。凝りに凝った装幀で(今回、横山先生の追悼特集で服部仁さんのご提案ということを知ったが)、部数も相当刷っていて、勝手に送りつけてはもし志を同じうする人は、これだけご寄付を、というスタイルではなかったかと思う。会費制ではなかった。だから先生の持ち出しが相当あったはずである。
 この献身的な営みに、当時の若手研究者が応えて、『読本研究』は十輯到達、そこで、「十輯到達を祝う会」なる会が開かれたと記憶する。これを、翰林書房のご厚意で、後進が引き継いだのが『読本研究新集』だったが、版元にあまりに負担が大きく、五集で休刊となった。ところが、読本研究に携わる人たちというのは、本当に献身的な人が多くて、今度は会員制という形で、復刊を果たした。そしてそれが十集に到達。まさに、読本研究史に燦然と刻まれる記念号である。
 その名も『読本の研究』という、まさにこの研究のスタンダードを作った横山先生の大著が後進の道標となったわけだが、読本研究の今日は、この大著だけではなく、横山先生の「読本研究愛」抜きでは語れない。その思いが今回の追悼特集となったわけである。
 私は1度しか投稿しない不熱心なやからで、発言の資格もないが、横山先生が中村先生に事実上師事されていたため、中村門下の九州大学の先生方(この方々は私の大先輩でもあるのだが)と親しく、そのおかげで、貴重な研究上の恩恵を受けたのである。年2回の中村幸彦先生の蔵書整理へもお誘いいただいたり、大連図書館の書庫を拝見できたりと。また私が大阪大学に赴任して最初の留学生の教え子は横山先生のご紹介、つまり大連外国語大学での教え子であった。そのようなご縁にあずかったために、読本研究者のはしくれでさえない私も、おつきあいをさせていただくことができたのは誠に幸運であったといえよう。
 さて、十集では、福田安典さんの『垣根草』諸本考が載る。私が校訂代表の『前期読本怪談集』に採った(書目を決めたのは木越治さんだが)『垣根草』について、劉菲菲さんの作者都賀庭鐘への再疑義をふくめ、問題論文である。このようにして、研究というのは進展するのかという好例でもある。福田さんの中には、上方で素晴らしい読本が書けるのは庭鐘と秋成だけではない、他にもたくさんいるんだという思いがある。おっしゃる通りだと思う。ただ、揚げ足取りになるけれど、「『垣根草』と『英草紙』を見比べると、明らかにその風格が違う」と言われると、やっぱり庭鐘は突出した存在だということを認めることになってしまわないだろうか。
 今回は若手の論文が多くて好ましい。天野聡一氏の和文研究が、いよいよ佳境に入ってきた感がある。そろそろ一書にまとまるのだろうか。九月刊行予定の某研究誌にも、総括的和文論が掲載される予定である。
 さて、読本研究は、さらに新しいステージに入るという。それを担う若手研究者がちゃんと出てくる。彼らの中にもまた「読本研究愛」がある。
 
 


 
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2018年08月12日

『上方文藝研究』15号 合評会

8月も中旬に突入、昨日は帰省ラッシュすごかったようですが、そんな折、豊中キャンパスで昨日(11日)行われたのが、『上方文藝研究』15号の合評会である。
この合評会、いつも真摯に厳しい相互批評が行われ、またしらないことも教えられ、大学院生はもちろんであろうが、私にもとても勉強になる。一応、合評会の模様を私なりに備忘として書き付けておく。東京から5人、山口から1人、岡山から1人と、この日のためにわざわざ遠方からお越し下さった方が多く、猛暑に負けない熱い議論が戦わされた。

まず、深沢眞二・深沢了子両氏の『宗因千句』の夫婦漫才風対談注釈シリーズ、宗因独吟恋俳諧百韻「花で候」巻注釈。これまで別の媒体で発表されてきたものだが、その雑誌が刊行されなくなったということで、上文に投稿が打診された。なにしろ、スタイルがスタイルなだけに、投稿を許可するかどうかが、まず大きな問題である。単に注釈だけであれば、量をかなり圧縮されるし、査読付き学術雑誌を謳う上文が、このようなスタイルのものを載せていいものか。今回投稿数が少なく、原稿が欲しいところにきた申し出だったが、慎重に対応しなければならない。
 とりあえず、今回は投稿を受理し、査読を経て、合評会でもご意見を伺うということで、試みに掲載してみたわけであるが、やはりスタイルの問題について意見もあり、次号以降への投稿については、少し条件を出す可能性もある。
 今回は、宗因の専門家である尾崎千佳さんが参加、おそらく読み上げれば2時間くらいはかかろうかというような膨大なメモをご用意されていたが、そのごく一部、大きな問題のみを指摘するにとどまったが、聞き応えのあるものだった。前書・後書を含めた読み方の問題。三句のわたりについてのとらえ方。特に印象に残ったのは、蕉門の読み方を宗因に適用させて読んでいるのではないかという指摘であった。
 続いて、仲沙織氏の『新可笑記』作品論にも多くの質問・意見があった、とくに西鶴作品論における典拠論の問題(『阿弥陀の胸割』の本文のことなど)は、西鶴作品の「読者」とはどういう存在か、についての応酬は西鶴研究全体の問題である。
 有澤知世氏の京伝合巻論は、京伝合巻に古画が使われる意味についての議論、またここでも京伝合巻の読者の問題、京伝と歌舞伎の関わり、見返しに示された妙見信仰の問題など。
 次いで浅田徹さんの、萩原朗の門人情報を和歌を記した「花がたみ」の紹介。この資料は堂上派地下和歌宗匠というシステム、つまり堂上宗匠と地下宗匠の二重の宗匠というシステムを浮き彫りにするというものである。議論は「二重の師匠」と言うネーミングや、門人の履歴を詳細に書く意味など。
 最後に福田安典氏の紹介したアメリカのタカラヅカ研究。その方法は、漫画を原作とするタカラヅカ歌劇の典拠と典拠ばなれを緻密に解析していくもので、我々の典拠研究に近いことをされていて驚かされる。しかも異文化コミュニケーション研究という領域の研究らしい。アメリカ在住なのに、タカラヅカ歌劇を殆ど見ているというマニアであり、グッズのコレクターでもあるジョエル・ソーンさん。たまげた。
 さて、上方文藝研究も15号まできた。しかし、代表である私の退任も近く、今後どうするかという「終活」問題も課題である。それについても、ご意見を頂戴した。すぐに結論は出るものではないが、うっすらと方向性は見えてきたようだ。

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2018年08月07日

神戸女子大学古典芸能研究センター電子目録

昨日(8月6日)、ゼミ有志5名とともに、神戸女子大学古典芸能研究センターを訪れた。同センターで仕事をされているOG川端咲子さんのお世話による。信多純一先生の志水文庫、伊藤正義文庫など、演劇・芸能関係を中心に、貴重な蔵書を拝見することができた。センターの活動は非常に活発で、毎年、大きなテーマでシンポジウムを行ったり、紀要を出したりしているが、最近「電子文庫」が公開されたことは特筆に値しよう。志水文庫の一部がまだ整備されていないということだが、かなりの部分は検索可能である。この電子目録は、@書誌情報が非常に詳しいこと、Aさまざまな方法で検索が可能。B目録全体の通覧も可能。という形で、非常に利用者サイドに立った工夫がなされていることが特筆に値する。
スタッフのご苦労は察するにあまりある。感謝感謝。
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2018年08月04日

上田秋成と日下滞在

 秋成ゆかりの地、日下を訪ねたことは既報した。旧河澄家で開催されていた上田秋成展を見ることが目的のひとつだったが、その後、旧河澄家学芸員の松澤さんから、『旧河澄家 年報』の既刊号に、秋成のことを調査研究した報告が載っているということで、わざわざ送付していただいた。とりわけ、平成27年度に掲載されている橋本拓也氏の「上田秋成と日下滞在−眼の治療と日下での執筆活動」は17頁におよぶ力作で、研究史もきちんと踏まえ、このテーマについて総合的に報告したもの。だが、おそらくほとんど知られていないのではないか。そう思って、挙げておく。秋成の日下における動向を知りたければ、要一読である。
 
 
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2018年07月26日

中嶋隆さんの「子捨て乳母」

『時代小説 ザ・ベスト2018』(日本文藝家協会編、集英社文庫、2018年6月)の巻頭を飾るのは、中嶋隆さんの「子捨て乳母」である。2016年にも選ばれているから、今や時代小説の旗手の一人といっても過言ではないだろう。解説の縄田氏は「平成の夫婦善哉」と評する。中嶋さんみずからは、「円朝の人情噺「芝浜」のような賢妻とダメ夫の話を書いてみたかった」と。そして、原拠は西鶴『世間胸算用』「小判は寝姿の夢」である。
「上手い!」と唸る。とくに会話が見事。
 このブログを読む人は知っている人が多いだろうが、中嶋さんは西鶴をはじめとする近世文学研究の第一線の研究者。早稲田出身で、現在早稲田大学教授。今は数少ない、実作もやる、やるだけでなく一流の研究者である。10年あまり前に衝撃的な新人賞デビューを果たし、着々と時代小説家としても知られるようになった。
 この小説を読むと、細かい場面が、きちんとした知識・考証に裏付けられているために、非常にリアルである。といって文芸的な香りがあり、通俗に流されていない。ダメ夫と賢妻は上方の演劇にはよくあるコンビで、ひとつの型ともいえる。その型をくずさずに、むしろ徹底させることが、この小説を成功させている。中嶋さんが工夫したストーリーはあえて記さない。賢妻の賢妻たるゆえんは、最後の最後で明らかになる。
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越境的な『雅俗』17号

九州発の近世文学・思想研究誌『雅俗』が17号を刊行した(2018年7月)
単に論考を並べて載せるだけではなく、様々なコーナーを設けて、読みどころ満載である。
「スポットライト」という、まるで文芸誌の注目新人コーナーみたいなネーミングのコーナーには、丸井貴史さんが登場。「吉文字屋浮世草子と白話小説」という論文を寄稿されている。白話小説といえば読本であるが、これまで浮世草子にも白話小説の翻案や影響があることは、時々指摘されてきた。しかし、それはたまたまであり、小説史上の重要な出来事としては位置づけられていなかった。本論は、白話小説と近世文学をテーマに、業績を重ねつつある丸井さんの、大きな問題提起となる一編である。近世中期における白話小説の受容を、読本という枠を外し、考えてみること。常識化した文学史への挑戦であり、コーナーにふさわしい力作である。
 冒頭の深沢眞二さんの「風流のはじめや奥の田植うた」の大胆な解釈、𠮷田宰さんの文理越境視点からの『都老子』論、木場貴俊さんの本草書と怪異という問題提示、そして個人的には園田豊さんの本格的な復活を告げる伊庭可庭論が嬉しい。なにしろ彼とは同期なのだ。大島明秀さんや西田耕三先生の論考もそうだが、今回の論考群は、文学の範囲を大きく広げ、思想史との境界を越えるものが多い。『雅俗』の持ち味になってきそうである。

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2018年07月22日

上方文藝研究15号

『上方文藝研究』15号(上方文藝研究の会、2018年6月)が出ています。
今回は、知る人ぞ知る、深沢眞二・了子(のりこ)ご夫妻の宗因独吟注釈シリーズが登場しました。
今回は「花で候」巻。
これまでの掲載誌が休刊となったらしく、こちらにいただくことになった次第です。40頁超の大作。
この、対談式注釈、時々かなり弾けます。それも夫婦ならではのネタ、というか男女の観点の違いなんかがあって、楽しく読めて為になるのです。
だけど、きちんと学術的。
今回はあんまりはじけてないんですけど、それでも「有村架純」「スチャラカ」「そだねー」などがあります。
「スチャラカ」って何?と言う方は、了子さんと同じく「若い」です。
しかし、いつも思うのですがが、この原稿どうやってつくっているのでしょうか?
本当に対談していて、いったんそれを録音してそれをベースにしてるのか。
それともメール対談みたいなのを繋いでいる?
臨場感があるので、前者のような気もしますが。

ほかに仲沙織さんの『新可笑記』1の4論
有澤知世さんの京伝合巻と古画の論
浅田徹さんの萩原朗「花がたみ」翻刻と考察。いつもながら大きな問題につなげる。堂上派地下のシステムという問題。
上方文藝への招待のコーナーでは、日本女子大留学生のジョエル・ソーンさん(英文)とそれをまとめた福田安典さんの日本語要旨。アメリカのタカラヅカについて。

この研究会では合評会をやります。8月11日。

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2018年07月15日

千石篩と同行二人

 意味不明のタイトルで申し訳ない。
 7月14日、猛暑の京都、花園大学で行われた京都近世小説研究会。
 発表者は、私と井口洋先生。
 私が「『作者評判千石篩』考−仮名読物史のために−」、井口先生が、「室の八嶋の二人ーー奥の細道・点と線」。
 私のは、近世仮名読物における「作者」とは何かということを考えるヒントになるのではと、戯作評判の開山である「作者評判千石篩(せんごくとおし)」で、読者の側からみる「作者」という視点から、ぐるぐる考察したもの。貴重なご助言を受けたので、ありがたかった。どこかでまた論文にします。
 井口先生のも、いずれ論文になるのでネタバレはいかんと思いますので詳しくは書きまへん。「同行曽良」への疑問。本当に同行?そしてアリバイ崩し。なかなか見事な推理。そう、だから点と線。東京駅ホーム4分の空白というあの有名な清張の小説。日本推理小説ベスト10にたぶん入るやつです。とりあえずこのあたりで。
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2018年07月08日

博多演劇史

狩野啓子・岩井眞實編『武田政子の博多演劇史 芝居小屋から』(海鳥社、2018年6月)が上梓された。
帯文をそのまま挙げる。「芝居小屋からみた博多演劇史。3代続いた芝居どこ(芝居小屋)との関わりを通し、明治・大正・昭和の博多の演劇を綴る。芝居小屋の空気、興行の仕方、劇場の変遷、芝居の面白さ……。時代と芝居を切り結ぶ貴重な証言」。
狩野さんは、九州大学の先輩で近代文学専攻。岩井さんは早稲田ご出身で演劇専攻。狩野さんは久留米大学教授。岩井さんは少し前まで福岡女学院で教鞭をとっておられた。狩野さんとは学海日録の編集チームメンバーとしてご一緒し、岩井さんには一方的にいろいろなことをお願いしてきたという関係。本書は、博多の演劇興行に深く関わった祖父と父、そして自身の体験を元に、芝居への愛と、客観的で冷静な分析力を併せ持つ武田政子氏の研究ノートを元に編まれた魅力的な一書である。

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2018年07月02日

秋成ゆかりの地、日下を歩く

 河内の旧河澄家で「上田秋成展」が開催されると伺い、以前からずっと行ってみたかった秋成ゆかりの地を訪ねることにした。たまたま日下におすまいで、生駒山人の研究をしていらっしゃる放送大学の受講生山路孝司さんに、そのことを伝えると、そういうことなら河澄家はじめ、唯心尼の墓・鳴鶴園跡など、秋成ゆかりの地をはじめとして日下を案内してくださるというありがたいお申し出を受けた。
学会後のちょいのみでご一緒だった近衞典子・福田安典ご夫妻も参加してくださることとなった。福田氏は河内のご出身だし、近衞氏は秋成の日下滞在の文事について、精力的に研究をしていらっしゃる。私のところのゼミ学生4名を加え、総勢7名でのご訪問となった。7月の最初の1日、気温はぐんぐんあがって猛暑。河澄家とならんで日下の大きな庄屋であった森家(ここにも秋成はお世話になっている)の森さんご夫妻、日下古文書研究会の浜田昭子さん、長谷川治さんもいらしてくださり、にぎやかな文学散歩となった。
 山路さんが案内用の地図と、詳細な資料をご用意くださった。コースは、日下のヒトモトススキ、太宰治のパンドラの匣の舞台となった健康道場、御所ケ池跡、日下村領主であった曽我丹波守を祀る丹波神社、秋成仮寓の地正法寺跡、秋成の心の友ともいえる唯心尼のお墓、生駒散人をはじめとする森家の墓所、生駒散人書と伝えらえる「常夜燈」の文字が彫り込まれる大きな石灯籠、森屋敷の問跡、鳴鶴園跡を経て、本日のメインである河澄家へ。現在は東大阪市が管理し、河澄家にあった秋成の遺墨などは大阪歴史博物館に寄託されているということである。今回はパネル展示で、学芸員の方に丁寧な説明をいただいた。旧河澄家は実に立派な建物で、枯山水の庭、大きな蔵を有する。
 やはり、実際に現地に来てみて、わかることが多い。秋成がこの地のことを「山霧記」にしるしているが、「山霧」がどんな感じで発生するのかも十分想像できる。またあべのハルカスをはじめ、眼下に見渡す大阪市内の模様は絶景であった。
 日下では、先述の浜田さんを会長とする古文書研究会が16年も続いており、今年5月には会報「くさか史風」が創刊された。「森家庄屋日記」からうかがえる江戸期日下のくらしをはじめ、52頁に、江戸時代の日下の情報が満載である。素晴らしい会報!
 
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2018年06月23日

『文化史のなかの光格天皇』各論文概観

飯倉洋一・盛田帝子編『文化史のなかの光格天皇 朝儀再興を支えた文芸ネットワーク』(勉誠出版、2018年6月)を刊行した。
和歌・漢詩文・思想史・近世文学史など、各分野の専門家に、それぞれの立場、切り口から、光格天皇を中心とする近世天皇文化に迫っていただいたもので、非常に問題提起にとむ論集となったと自負している。全体は3部構成。今回、私なりに、論文の概要をメモしたものを元に、各論文を紹介してみよう。
 まず緒論を藤田覚氏にお願いした。題して「光格天皇をどうとらえるか」。言うまでもなく、藤田氏は光格天皇研究の第一人者。今回は特に文化史的側面に光を当てて書いていただいた。『禁中并公家中諸法度』第一条とその元となった『禁秘抄』を踏まえて天皇の芸能・政務が行われていたことを前提に光格天皇を見る必要があるとし、光格天皇の学問・和歌・音楽・朝廷政務について概要を示した。

第一部は近世歌壇史における天皇そして堂上歌壇を検討した。大谷俊太氏の後水尾院から青山英正氏の孝明天皇まで、近世前期から幕末に至る近世和歌史の中心線が引かれたのではないか。
 大谷俊太氏の「後水尾院と趣向」は、花を愛でるあまり花と雲を見紛うという古今集和歌序以来の詠み方に対して、それをさらに一捻りした和歌の趣向を様々に論じる後水尾院の言説を検討したもので、和歌の趣向を模索しつつ宮廷歌壇をリードしていく後水尾院の歌論の一隅を照らし出した。大谷さんらしい論文である。
海野圭介氏の「霊元院の古今和歌集講釈とその聞書」は、正徳四(一七一四)年における霊元院の武者小路実陰への古今伝授に関わる諸資料を検討し、堂上の学問としての講釈活動が、個人的営みであるとともに、歌壇的な営みでもあったことを示した。海野氏らしい文献実証主義的考察。
久保田啓一氏の「冷泉為村と桜町院」は、後桜町院の死後に冷泉為村によって編まれた『桜町院御集』に付された奥書を、『冷泉家展』図録に一部掲載された自筆本も含めて細かく読み込み、近臣から見る天皇歌壇の実態を浮かび上がらせた。人間関係を描くのが得意の久保田氏手練れの文章。 
青山英正氏の「孝明天皇と古今伝受」は、江戸時代最後の天皇である孝明天皇が、歌道の未熟の自覚のため古今伝受相伝を遠慮しているうちに、伝受が断絶し、遂に途絶える過程をつぶさに追い、当時の政治情勢と宮廷歌壇の状況を織り込みながら、古今伝受がなお思い意味を持っていたことを明らかにした。これまでほとんど和歌史で扱われなかった孝明天皇を、ここまで緻密にしかもドラマチックに描き出した力量はすごい。本論集の目玉と言ってよい。
浅田徹氏の「武者小路実陰家集の二系統について ― 堂上〈内部〉の集と〈外部〉の集」は、堂上歌人の私家集形成には、家の内部資料による編纂と、外部流出資料による編纂の二つのあり方があり、特に後者は堂上歌壇の影響の具体相を知る重要資料だとし、武者小路実陰家集を例に分析する。浅田は地下歌人らの堂上歌壇重視の低下が、一八世紀中頃からの堂上歌人私家集類伝存量の減少に現れていることも指摘している。浅田氏の着眼は相変わらず冴えている。
神作研一氏の「香川黄中の位置」は、二条家流の和歌をよくし、堂上にも出入りした近世中後期の地下歌人香川黄中の歌業を、詳細な年譜作成を通して辿り、とくに堂上歌壇での活動や二条家流の歌学に基づく歌論などを中心に明らかにした。本格的な黄中論の始発といえよう。

第二部は、朝廷をめぐる学問・出版をテーマとした。
加藤弓枝氏の「『二十一代集』の開板― 書肆吉田四郎右衛門による歌書刊行事業の背景」は、院雑色の地下官人吉田四郎右衛門が、正保四(一六四七)年に出版し、後水尾院にも献上された『二十一代集』について、吉田四郎右衛門の家系的・財政的背景を探り、その家系が角倉家周辺にあり、財政的・技術的な面もそこから得た可能性を追求している。吉田四郎衛門の後裔は蘆庵の門人であることもあり、この書肆は加藤さんがずっと追いかけている。
勢田道生氏の「『大日本史』論賛における歴史の展開と天皇」は、安積澹泊の『大日本史』論纂の歴史区分が四期に分かれていることを指摘し、その叙述において天皇がどのように関連づけられているかを明らかにし、とくに武家政権との関わりについて注目している。勢田氏の「歴史叙述」研究の一つの成果として読める。
山本嘉孝氏の「中村蘭林と和歌−学問吟味の提言と平安朝の讃仰」は、近世中期の奥懦者者で室生鳩巣門の朱子学者蘭林が、幕臣の学問吟味をを提案したが、その際平安朝の公家の師弟の教育を参照し、古人の和歌を教戒に活用しながら儒学の地位向上をもくろんだことを明らかにした。儒学・漢詩文と朝廷・公家の関係は今後の課題であろう。
鍛冶宏介氏の「江戸手習所における七夕祭の広がりと書物文化」は、江戸の手習所では七夕の短冊に歌を書いて歌の上達を願うことが七夕祭として行われており、それらの歌が、天皇や公家の和歌アンソロジーの歌を出拠とし、直接的には日用教養書に掲載している和歌が選ばれていたことを明らかにした。歴史研究者の鍛冶氏だが、往来物や節用集を用いてこんな文化研究ができるんだということを次々に発表しておられ、文学研究者の学ぶべき方法論として、彼の研究は見逃せない。
一戸渉氏の「書道大師流と近世朝廷」は、十八世紀末から十九世紀前半ころにかけて、近世朝廷で書道大師流入木道が重用されるようになる契機が、近衛家煕の大師流尊重に見出し、その後岡本保考が妙法院宮真仁法親王に寵用された影響で大いに盛んになり、光格天皇も熱心に学んだことを指摘した。別論、一戸渉 「大師流と入木道書―架蔵岡本保考宛妙法院宮真仁法親王書状小考―」(斯道文庫論集52)の姉妹編。力作。
合山林太郎氏の「梅辻春樵−妙法院宮に仕えた漢詩人」は、日吉社神官をつとめた家の出身である漢詩人梅辻春樵の生涯を追い、妙法院宮での諸活動を通して、近世後期の公家門跡の世界の漢詩文化の詳細の情報を明らかにした。これ、コラムだったっけ。論文でよかったね。

第三部は光格天皇と妙法院宮真仁法親王にスポットを当てる。
編者のひとり盛田帝子の「寛政新造内裏における南殿の桜−光格天皇と皇后欣子内親王」は、天明大火後に新造された内裏が、天徳大火後の村上朝の内裏再建に倣ったもので南殿の桜は復興の象徴であるとし、その桜とともに天皇在位を寿いだ皇后欣子が、宮中歌会で優遇されたことに注目し、その意味を問うたもの。皇后のみならず、この時代になると女性が宮廷歌会に進出してくるという。ちなみにいまの皇室では、美智子妃が図抜けてお上手のようで。
菊池庸介氏の「実録「中山大納言物」の諸特徴−諸本系統・人物造型を中心に」は、光格天皇在位中に、実父閑院宮に太上天皇位を授けるべく幕府と交渉を試みたが実現できなかったいわゆる尊号事件をストーリー化した実録と言われる写本群について、その諸本系統を整理し、人物造型について考察したもの。最初お願いしたときは、「えーっ?」と一瞬言われたという記憶があるが、その後写本をテーマとするシンポジウムでもこのトピックで登壇するなど、今や持ちネタのひとつですね。というかこのごろは歌麿まで持ちネタにしているし。
岸本香織氏の「冷泉家における光格天皇拝領品」は、光格天皇から冷泉家へ下賜された九点について概説し、七点が和歌および和歌に関わる宸翰で、その中でも上皇時代に冷泉為則が拝領したものが六点を占めることを指摘したもの。
拙論「妙法院宮真仁法親王の文芸交流−『妙法院宮日次記』を手がかりに、和歌を中心に」は、『妙法院宮日次記』を主資料として、真仁の宮廷御会への態度、自邸での詩歌会の催しについてのべ、従来小沢蘆庵とされてきた和歌の師について、正式の師は父典仁・兄美仁であったことを指摘した。蘆庵のことは確かにリスペクトしていたが、宮廷歌会に生きる真仁にとって、正式な師はやはり古今伝受を受けた人でなければならない。
鈴木淳氏の「小沢蘆庵と妙法院宮真仁法親王」は、蘆庵の家集『六帖詠草』に見られる真仁の歌三十七首を通じて、蘆庵と真仁の歌を通した交遊を浮かびあがらせたもの。太秦の蘆庵隠居を枉駕した時のこと、蘆庵が遅桜を賜った時のこと、岡崎庵居時の贈答などが取り上げられた。今後は、自筆『六帖詠藻』を通しての文芸交流を見ていく必要があろう。
山本和明氏の「千蔭と妙法院宮」は、真仁が江戸の歌人加藤千蔭について、非常に高く評価し、詠進を乞い、書家としても一目置いていたことを諸資料から明らかにし、堂上人の千蔭評価にも影響を与えていたことを指摘する。千蔭の活躍は、堂上と地下の不動の上下関係を揺さぶるひとつの要素であったわけである。
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2018年06月22日

地震記

6月18日、午前8時前、これから朝食をとろうかという時、突如として、轟音とともに激しい揺れ。「何が起こった?」という感じ。わが家は築50年弱の宿舎の4階。狭いスペースのほとんどの部屋に、併せて17の本棚を立てている。その多くはスチール製である。私の居た場所は奇しくも本棚全体が見渡せる位置。次の瞬間、家人がこちらに向かって走ってくるのと同時に、ほぼ一斉に本棚が倒れてきた。私の後ろではガシャーンという音とともに、食器が散乱したもよう。すぐに逃げる態勢をとったが、揺れはわりと早く収まった。一瞬にして部屋はめちゃくちゃである。こんな感じ。
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しかし、幸いにして、大きな怪我はなし。家人は少しすりむいたが別条なし。しかし心配だったのはPCとそれに突き刺していたUSBメモリ。倒れた本棚と山積した本で、デスクまでたどり着けない。結局、確認したのは翌日。開いたままのノートPCは、ひっくり返って下を向いていたが、USBメモリともども無事だった。また、水道・ガス・電気も確保。ガスは一時自動停止していたが復旧。しかし、流通が危ないのではないかと、いったん外出したらスーパーは軒並み閉店、コンビニは長蛇の列で、水や電池は早くも品不足の様相であった。幸い水だけは自宅にたくさんあったので、あまり心配はなかった。
 ちなみに、固定電話は電源が外れていたが、それを復旧するのに手間がかかり、ご心配をかけた向きもあったようである。申し訳ない次第である。あらためて、無事であったことをご報告する。我々が住んでいるところは、震度5強だったようであるが、記したように、古い鉄筋の宿舎であり、震度6なみに感じたし、被害もそれなみだったかと思う。大学の研究室の方は、数十冊の本が散乱した程度で、「いつもとあまり変わらない」感じだったのだ。
 このところ、片付けに追われているが、なにしろスチールの本棚は、根元が曲がり、使えない物が多い。取り急ぎ散乱のものをまとめて部屋のすみにダンボ-ルとかにいれたり、紐でくくって置いておくという状況。この際処分した書類・プリント・雑誌も多い。必要な本を探す時に大変だとはわかっているが、とりあえずの作業をしないといつまでも片付かないのである。
 阪神大震災を体験した友人が、地震で人生観が変わったと言っていたが、実感する。
 とりあえずは、元気である(本棚倒壊の時のことが、動画のように繰り返しフラッシュバックするが)。どうぞ、ご心配なく。
 そして、私たちよりももっともっと大変な被害を受けた方がたくさんいる。心より、お見舞い申し上げ、一日もはやい回復をお祈り申し上げます。
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2018年06月17日

武家義理物語

三弥井書店の「古典文庫」シリーズで、新しく『武家義理物語』が刊行された。2018年6月。
井上泰至・木越俊介・浜田泰彦の三氏の編。
企画は井上さん。西鶴研究会などを舞台とする『武家義理物語』論争が動機でしょう。
西鶴は軍書を読んでいたのか、どうなのか?
ところでなぜ、木越俊介氏と浜田泰彦氏なのか?
2012年10月号の『日本文学』。福田安典氏が仕掛けた特集「領域の横断と展開」で、木越俊介氏は「西鶴に束になってかかるには」を発表。
そこで話題になった、西鶴研究のキーワードは「カムフラージュ」と「ぬけ」である。
これが、社会批判・権力批判の主題を読もうとする西鶴研究の主流(と、傍からは見えていた)が使う言葉であった。
木越氏の論は、そのような流れに対して、別の方法を模索するものに見えた。篠原進氏がネット上で反論。
一方、軍書研究の立場から、井上氏は『武家義理物語』の読みを一新するような論を発表。これまた西鶴研究の主流からすれば異色の論であった。
2013年9月、木越氏と浜田氏、南陽子氏、廣瀬千紗子氏を発表者として、「西鶴をどう読むか」というワークショップを京都近世小説研究会が開催。ものすごい関心を集めて、60名もの参加者が集結。会場は熱気に溢れたが、その時に浜田氏が取り上げたのが、『武家義理物語』「死なば同じ波枕とや」。この話に、若殿への批判の眼差しはありやなきや。
浜田啓介先生の「講評」と称するご発表はのちに「外濠を埋めてかかれ」の論文となった。
そして、あらためて2015年12月に京都の研究会で西鶴特集が行われた。井上泰至氏と木越治氏をお招きして。井上氏が取り上げたのは『武家義理物語』。
このように、京都での研究会が弾みになった出版企画であったと思う。私も京都の研究会の企画に関わったので、この出版は感慨深いものがある。内容には触れず、思い出ばなしばかりで申し訳ないが、これが私の正直な今の感想である。





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