2018年01月22日

六人注『文選』

『文選』の岩波文庫版が刊行開始された。訳注者は川合康三氏をはじめとする6名。私の研究室のお隣におられる浅見洋二さんもそのお一人である。浅見さんは「勤勉」を自認されているような方だが、隣に住む私はその勤勉さをよく存じ上げている。毎日遅くまで研究室で仕事をしておられる。六人注『文選』と異称されるという岩波文庫版の『文選』注釈に関わっておられることは存じ上げなかった。
第1巻には川合氏による総合的な解説が付されている。『文選』の文庫化は初めてではないかと思うが、我々にとっては大変ありがたい。
解説のごく一部を引用したい。『文選』の収める「文学」の範囲について。
顕著なのは、公的な言語、実用的な文書のたぐいが多いことである。皇帝や皇族が下す命令書、臣下が上呈する意見書などが、それぞれの文体とともに文学作品として収められている。それは中国では実用的な用途をもった文章にも文彩を凝らすものであったからであり、また文学を担う人びとが政治の場でも枢要な地位あったこととも関わる。

さて、解説の最後に書かれているが、この訳注は六人が分担したのではなく、毎月1回集まることを数年重ねて、討議・修正を繰り返して成った訳注なのだという。したがって信頼度は非常に高いと思う。
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2018年01月09日

第4回わかりやすい文楽の入門教室(池田市)

近松研究所の水田かや乃さんからのご案内がありました。
1月27日、池田市の池田市立くれは音楽堂で標記の無料講座が行われます。14:00-15:00.
先着240名。要申し込み。

詳しくはこちら

以下案内から抜き書きします。
◆イベントの冒頭では、文楽を演じる技芸員(太夫(たゆう)・三味線・人形遣い)がわかりやすい解説をしますので、初心者や馴染みの少ない方でも楽しんいただけます。
◆文楽の体験コーナーも実施し、実際に人形をさわり、その重さや質感を体感します。時間に余裕があれば、太夫(たゆう)の語りや三味線の演奏にも挑戦していただき、悠久の時代を流れる浄瑠璃(義太夫節)の力強さと優美さを味わっていただきます。
◆教室の最後には、清姫が川を渡る「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)渡し場の段(わたしばのだん)」の場を上演します。
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2018年01月08日

山本秀樹さんの「菊花の約」古意

毎年、新年に去年1年の業績を送ってくださる山本秀樹さん。そのひとつが「「菊花の約」の古意」(『岡大国文論稿』45号、2017年3月)。見落としていたのでありがたかった。
賀茂真淵の著作のようなタイトルだが、その立ち位置はまさにタイトル通りである。実は私も同じ立ち位置、つまり江戸時代に読まれたであろう読み方の提示なのだが、読みそのものは違う。といって対立しているわけではない。共感するところが多い。
 山本氏はいう。従来の読みとして取り上げるべきなのは木越治氏による、左門=「世間知らずの小児中坊的学者」という読みだが、実はそれは「読み」ではなく、「われわれ現代人はそれを肯定するわけには行かない、われわれはそれに付いていけない、という倫理「批評」だったと言わざるを得ない」と。そこまで私は言わない。浮世草子的な誇張された人物という読み方をされているのだと思う。ある意味、木越さんも「古意」なのだ。ただ、それを読んだ研究者の多くが、山本さんの言われる通りに、左門を批評しはじめたことは確かである。
 さて、その上で、義兄弟となった左門と宗右衛門が再会の日を定める場面を、「今まで一度も(従来の菊花の約論がしてこ)なかった」「テクストの論理に即して解説」してみせる。宗右衛門はなぜ再会を数ヶ月の後に設定しなければならなかったのかという問題は、これまで確かに論点とされてはいなかった。そしてその日をある一日に決めてしまうという要因に、身分差を考えるべきだというのも従来なかった視点である。身分差を超える要因に学問があるというモチーフは、「繋がる文芸」を考えている私としても興味深い。これらの解析は、批評的観点ではなく、「古意」を明らかにすると趣旨に基づいているという点で一貫している。この立ち位置での議論を深めることが、「テクスト理解の成熟」だと私も思う。
 文体は「山本秀樹節」というべきもので、そこはまた楽しめる要素のひとつである。
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2018年01月05日

『国語元年』解説を読む

あけましておめでとうございます。
本年の初更新です。

平成30年1月1日の日付で出た、新潮文庫、井上ひさしの『(新版)国語元年』。
解説を担当したのが、我が同僚でもあり、畏敬する後輩でもある岡島昭浩さん。
ネットの世界では、著作権の切れた書物のPDF画像を公開する「うわづら文庫」を主宰。その元になる青空文庫にも深く関わり、「国語学備忘録」などのWEBサイトなどでも知られる。
この解説を依頼したのが、新潮文庫編集担当のSさんらしいが、素晴らしい人選である。
この本には感想めいた解説ではなく、国語学の知識をきちんと踏まえた解説が絶対に必要だと思うからだが、実際岡島さんの解説は圧巻というべき蘊蓄に満ちていて、しかもこの作品をより深く味わえる情報を多く提供しているのである。
この解説にちょっとした既視感があった。井上ひさし作品のモデルや出典の詮索を楽しそうにしていくスタイル。ヒントはこの解説の終わりの方にある。井上ひさしは中野三敏先生と「国文学」誌でかつて対談をしていることを岡島さんは書いている(私も読んだが、「井上ひさし特集」の号であったその雑誌の対談では、中野先生が喋りまくって井上ひさしがほぼ聴き役という形になってしまった・・・。井上ひさしが希望して指名したということだったが)。中野先生は、井上ひさし『戯作者銘々伝』の文庫本の解説を書いた。原稿用紙30枚分くらいあったようだが、1日で書いたとおっしゃっていた。その解説は、それぞれのモデル・出典を次々に明らかにしていくというスタイルだった。岡島さんが解説を書くときに、この中野先生の解説が脳裏にあったのではないか?
なんていう憶測はともかく、この本は、本編と解説を両方楽しめる贅沢な本なのである。これは確かである。ちなみに岡島さんを起用したSさんも、岡島さんの(つまり私の)後輩に当たるのである。

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2017年12月22日

近世読者とそのゆくえ

鈴木俊幸さんの『近世読者とそのゆくえ』(平凡社 2017年12月)が刊行された。
講義や、講演などでよく出る質問として、「当時の人たちは、◯◯だったのですか」という類がある。
特別の才能を持つ作者たちの作品を連ねた「文学史」では、普通の町人や農民の教養、読書、勉強の仕方なんて、さっぱりわからない。これは、近世に限らないことだろう。
近年、しかし日本史・日本文学では、「読書」という行為に対する関心が高まっている。鈴木さんがその研究の牽引者であることは誰もが認めるだろう。その「よく出る質問」に、具体的事例を以って答えることができるのは、鈴木さんの研究成果を待って初めて可能となったと言えるのではないか。
日本文学の研究とは、まず作品、テクストを読むことであり、その注釈をすることであるというのが、常識的な見解だろう。鈴木さんは、それもきちんとできる方である。しかし、彼の真骨頂は、当時の人が勉強のために当たり前に読んでいた
本を正面から取り上げて分析するところ、あるいは、それをどのように読んでいたかを普通の人の日記から追跡するところである。
 また、そういう読書生活を明らかにするだけではなく、書籍の流通を極めて具体的に明らかにする。そのために使う史料は、思いもよらない、しかし普通のものだ。例えば葉書や営業文書などなど。そういうやり方が面白いということがわかって、初めてそれに追随する研究もたくさん出てきたのである。
 あえて言えば、鈴木さん以前でそういうやり方をしていたのは、浜田啓介先生ぐらいではないか。ともあれ、そのやりかたは徹底している。普通の作詩の勉強本である『詩語砕金』や『幼学詩韻』を1冊や2冊、私なんかも持ってはいるが、諸本をこれだけ徹底的に集めて書誌的に検討するというのは、及びもつかない。
 鈴木さんが明らかにしたのは、江戸後期から明治にかけての、普通の庶民たちの勉強への熱意、そして生業を務めることとのバランスの取り方である。特に後者に目をつけるのは、本当に当時に立脚した視点であり、なおかつ現代的な問題でもある。
 この本はこれまでとは全く違う方法で綴られた思想史であり、生活史であり、近代論でもある。まだ未読の部分もたくさんあるが、取り急ぎの感想を述べた。何せ600ページの大冊。しかし値段はリーズナブルである。またまたありがとうと言わなければならない。
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2017年12月18日

面接授業2017

この週末はH大学面接授業(いわゆるスクーリング)。1日4コマ(各85分)×2日。
申し込みが定員80名オーバーというありがたさ。受講生は10代から80代まで、全世代。
去年は秋成をやった。
今年は受講者が多分一度も読んだことのない、タイトルを聞いたこともないような本ばかりを紹介し、
彼らの人生に何の関わりもない文学史の話をする。

でも江戸時代にはこういう本が読まれていたんですよ、面白がられていたんですよ、なぜでしょうねと問いかける。
受講者が戸惑うような、受講者の期待を裏切るような、「妥協をしない」授業を心がけた。

予想以上の反応で、質問が続出。しかもポイントを突いてくるし、こっちの勘違いまで指摘してくる。
喉が枯れるくらいに、しゃべりまくったが、優しいご婦人たちが、「先生、これ、どうぞ」と飴をくださった。涙。

終わってみると、こちらが元気をもらいました。グッとやる気が。
感謝感謝。
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2017年12月17日

ありがとう『書籍文化史』

これが、ニュースなら、
『書籍文化史』休刊へ。鈴木俊幸氏19年にわたる献身的偉業。
という感じだろうか。21世紀とともに歩んできた、鈴木俊幸さん個人刊行の書籍文化研究誌が、一応終わるようだ。近年では、高木浩明さんの古活字版悉皆調査目録稿の巨弾連載が続いていた。
これも連載の、鈴木さんの書籍研究文献目録は、どんどん目配りが広くなって、こんな雑誌まで!と驚かされることが多かった。奥付は1月1日で、本当に元日に届くこともあったが、この頃は結構早く届く。「正月の草双紙売り」なんていう鈴木さんの論文も思い出されるところで、正月恒例のお年玉と言って良い刊行物だった。
かなり寂しい思いだが、本誌の兄弟とも言える『書物学』もどんどん成長していることだし、一区切りは、いいご判断かもしれない。ただただご学恩に深謝するのみである。
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2017年12月12日

兼好法師

小川剛生さんの『兼好法師 徒然草に記されなかった真実』(中公新書、2017年11月)
この本、中公新書で好調な中世本ベストセラーズの一冊になりそうな勢いで、好調なようである。
現在広く流通している兼好の出自や経歴は兼好没後に吉田兼倶が捏造したものだったという衝撃的な小川説は、すでに少し前から、国文学研究者の間では知られていた。角川文庫の小川さん校訳の『徒然草』で、それは一般の古典愛好家にまで広がったが、今回のこの本で、さらに数万以上の人々に知られることになるだろう。それが10万となり、もっと広がることが望ましい。そして、日本文学研究者・学生そして国語科の教員は、必読の書である。
この小川説については、かつてこのブログで触れたので詳細は繰り返さない。
だが、この本のすごいところは、それだけではない。兼好の正体を明らかにしたのは、小川さんの広大深甚な学問の氷山の一角で、たまたま表に出てきたものに過ぎない。
この本には、驚くべき博学博捜に裏打ちされた知見が、その一行一行に散りばめられているのである。もちろん、私自身が無知なこともあるが、のけぞったり、膝を叩いたり、電車の中で冷静な顔を装って読むのが辛いくらいの衝撃の連続であった。このブログを読むような人は、おそらくこの本も読むような人が多いだろうから、具体的にいちいち記すことはしないが、例えば兼好がみた「内裏」はいわゆる「大内裏」ではなく、洛中の廷臣の邸を借り受けた里内裏であったとか、古典和歌がほとんど題詠であり、本意を重んじ、個人の感動を詠まないのは、前近代は異なる地域階層の人とコミュニケーションを取れなかったことに答えがあるとか、さらりと書かれている。
 うなるポイントは人によって違うような気がする。私などがうなるところは、小川さんにとっては多分当たり前のことだろう。しかし中世文学の専門家でもうなるところはきっと多くあるのではないか。残念ながら、そこのところは門外漢にはわからない。もちろんこの本は一般書であるから、それでいいのだが。
この本は、学問というものが、どれだけ厳密なものかということも教えてくれる。それなのに、わかりやすく、面白い。
この本が売れているとしたら、日本の学問的良心は捨てたものではない。



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2017年12月11日

絵入本ワークショップX参加記

 12月9日・10日、実践女子大学渋谷キャンパスで、絵入本ワークショップXが行われました。私は、2回目の研究会参加、初めての発表。初めての懇親会参加でしたが、ものすごく楽しかったし、有益でした。
 実践女子大の渋谷キャンパスってすごく立派で綺麗ですね。打ち合わせの際に、主催の佐藤悟さんから、大英図書館での海外研修の際に、中谷伸生さん(関西大学)と出会って、毎日のように昼食を一緒して、文学と美術の話をしていたことから始まり、会費ゼロの学会運営を続けて今日に至る歴史を伺い、感銘を受けました。
 私は、秋成の風変わりな画賛をとりあげ(ひとつは履軒との合賛)、それについて美術史の専門家からご意見を賜るという目論見でしたが、その通りに、専門家の皆様のレベルの高い議論を伺うことが出来、発表後も貴重なご指摘を数々いただき、本当に感謝しております。佐藤さんからこの研究会は、学会ではなく、ワークショップであって、発表よりも議論が大事なんだと伺っていたのですが、その通りに「発表よりも議論が面白い」ことになって、その点では大満足。
 私は「イメージ」力がない人間で、絵について論じるということにこれまで臆していたのですが、やはり近世の文芸は、イメージ抜きには語れないですよね。そもそも同時代に即して考えようとすれば、テキストの文字そのものが図像的な意味をすでに持っています。また、作品の中に出てくる様々なモノのイメージをつかめてないと、テキストを読めるはずもないわけですよね。当たり前のことですが、無意識に避けてきたような気がします。このごろ秋成の晩年の文事を考えるには、それ抜きにはあり得ないと、そういう方向で考えはじめたのはやはり没後200年の秋成展がきっかけでした。それでも、実際の画のことになると、苦手意識を免れません。しかし今回のワークショップ発表で、本当にイメージは面白い!と心から実感できたので、自分の中でひとつハードルを超えられたかなと、思いました。まあ意識レベルの問題で、無知には変わりありませんが。
 初日は、佐藤悟さんの画題についての基調報告が、これまでの画題研究の整理をされると同時に展望を示されました。他に高倉永佳さんの高倉流衣紋道の貴重なお話。正田夏子さんの能装束の意匠と画題の話があり、余りにも知らないことばかりでしたので、驚きの連続でした。
 2日めも各発表・質疑が白熱しすぎて、大幅な時間オーバー。最後の中谷先生のご発表の質疑途中で失礼しました。どれもこれも、面白い発表でした。午前中は近代小説と挿絵のお話。お昼を挟んで大津絵の発表が2本。当時の普及の割には研究が進んでいないということですが、第一人者(横谷さん、マルケさん)のお二人の発表が聴けて有り難かったです。圧巻だったのは、江戸の幟のコレクター北村さんの発表。IBMを退かれた後に露天商をしつつ、幟を集めたという異色の経歴。79歳とは思えない溌溂さで、全く私たちの知らない幟の世界のお話を聞かせてくださいました。そして、実物の幟を次々に「展示」していき、会場はどよめき、ついに隣の教室で、臨時展示会が開かれました。このあたり佐藤悟さんの臨機応変な運営には脱帽です。岩切さんの武者絵における画題図像の要素というのは、武者絵の画題に必須のアイテムはこれこれと、具体的な事例を示されて、勉強になりました。紀州徳川家の菓子の意匠の話も珍しく、最後の中谷さんの「蘭亭曲水図」のお話は、数多くの蘭亭曲水図を見てこられた方ならではの、素晴らしい発表でした。2日間とても楽しく、勉強になることばかりでした。佐藤悟さんはじめ、運営に関わった実践女子大の皆様、運営委員の皆様に感謝申し上げます。この学会に参加している人はみんなが楽しそうで、これがとても気持ちよかったです。
 懇親会のことは具体的には書きませんが、これがまた素晴らしい!さて会場は8階でしたが、男子トイレ近くの窓から、東京タワーとスカイツリーが同じに見えることを、山田和人さんから教えてもらい感激。ただ、立つ場所によるのですが、スマホで写真を撮ると、カメラの目が私の視線と微妙にずれていて、スカイツリーが半分しか映っていなかったので、写真を挙げられないのが残念無念。(「さん」づけで失礼ですが、私のブログではそう書くことが多いのです、非礼をお許しください)
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2017年12月04日

絵入本ワークショップX

佐藤悟さんの献身的な運営で、ついに第10回を迎える絵入本ワークショップXが、12月9日と10日に、実践女子大学で開催されます。今回の御題は「画題」。私の発表はご愛敬でお許し願うとして、興味津々たる発表が連なります。
http://kasamashoin.jp/2017/11/201712910804.html

絵入本ワークショップ]
画題 ―描かれたもの―
日時 2017年12月9日(土)・10日(日)
場所 実践女子大学(渋谷キャンパス804教室)

土曜日(14:00〜17:00)
◆開会の辞(14:00〜14:05)   中谷伸生(関西大学教授)
◆コメンテーター 奥平俊六(大阪大学)・司会 韓京子(慶煕大学校)
@14:05〜14:35
物語としての画題・叙景としての画題 ―画題についての基調報告― 佐藤悟(実践女子大学):
A14:35〜15:05
画賛のありかた 飯倉洋一(大阪大学)
質疑応答(15:05〜15:25)
◆休憩(15分)
◆コメンテーター 横井孝(実践女子大学)・司会 松原哲子(実践女子大学・非)
B15:40〜16:10
装束の文様における画題 高倉永佳(衣紋道高倉流)
C16:10〜16:40
能装束の意匠表現と画題 正田夏子(武蔵大学)
質疑応答(16:40〜17:00)
◆懇親会(17:15〜19:30)

日曜日(10:00〜16:50)
◆コメンテーター 栗原敦(実践女子大学名誉教授)・司会 高瓊(北京外国語大学日本学研究センター・院)
D10:00〜10:30
谷崎潤一郎と装幀・挿絵 佐藤淳一(和洋女子大学)
E10:30〜11:00
挿絵の中の故郷―佐藤春夫の新宮― 河野龍也(実践女子大学)
質疑応答(11:00〜11:20)
◆休憩(10分)
◆コメンテーター 中谷伸生(関西大学教授)・司会 神林尚子(鶴見大学)
F11:30〜12:00
大津絵の画題 横谷賢一郎(大津歴史博物館)
G12:00〜12:30
大津絵画題の再考のための新出資料―蔀関月の大津絵模写冊子、村上是信の新大津絵十集を中心に― クリストフ・マルケ(フランス国立極東学院教授)
質疑応答(12:30〜12:50)

◆昼食・総会(60分)
◆コメンテーター 浅野秀綱(大和文華館・あべのハルカス美術館)・司会 金美眞(「韓国外国語大学校・非)
H13:50〜14:20
江戸期の幟旗 北村勝史
I14:20〜14:50
武者絵における画題図像の要素 岩切友里子
質疑応答(14:50〜15:10)

◆休憩(10分)
◆コメンテーター 佐藤悟(実践女子大学)・司会 洪晟準(檀国大学校)
J15:20〜15:55
菓子に用いられる意匠の題材について―紀州徳川家の菓子資料を中心に― 鈴木愛乃(一般社団法人 調布市武者小路実篤記念館)
K15:55〜16:25
「蘭亭曲水図」の画題 中谷伸生(関西大学)
質疑応答(16:25〜16:45)

◆閉会の挨拶(16:45〜16:50)  横井孝(実践女子大学)

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2017年11月29日

リポート笠間 63号

 ここ数年、日本文学研究に関わる議論を引っ張ってきた存在ともいえる『リポート笠間』。その編集者岡田圭介さんによる最後の編集となるのが本号である。私自身も、「近世文学研究のなかの「壁」」、「論争!」という特集号に声をかけていただき、感謝している。日本文学研究者が今考えなければならないテーマを常に掲げ、一般の読者にも支持が広がっていたと思う。笠間書院も、岡田さんも、この蓄積を今後に是非活かしていただきたいと切に願う。
 63号も充実している。「国際化・学際化」が第1特集。
 どの文章も問題提起に満ち、国際化・学際化の現在に真摯に向かい合っている。しかし日本文学全体は、まだまだ内向きで、変化に鈍感で、従来の研究の仕方に疑いをもっていないのではないか。人文学の危機が叫ばれていても、それは外圧的なことで、研究の崇高さは何者にも犯されない。表面的に国際だ、学際だ、社会還元などと言ってるが、言わせておけばいい・・・という信念を持っているのではないか。確かに、優れた研究者の研究は、おのずから学際的であり、社会の方が注目し、世界からお呼びがかかる。そういう人は変わらなくてもいいかもしれない。しかし、人文学自身が、外圧批判と自己弁護に終止していたら極めて危険である。将基面氏の憂慮に強く共感する。この誌面全体を見れば、学際的・国際的に活躍している人は多いが、それを揶揄的に傍観している人にも相変わらずよく出くわすのでね。
 第二特集「古典のひらきかた」では、助動詞擬人化(須永哲矢氏)や、古典スタンプ(森田貴之氏)や、紅旗征戎Tシャツ(石井倫子氏)など、古典を日常に割り込ませ、キャラクター化する試みが紹介される。このあたり、私も似た試みをやることがあるが、学生のセンスにはホント脱帽する。かつての橋本治の「桃尻語訳」の流れというのか。変体仮名のフォントも国際標準コード化した現在、この方向には豊かな沃野が拡がっている。
 しかし、いい方だけを見ているから、頼もしく見えるのだが、一方で、人文学を学んでそれがどれだけ人生に意味をもたらすのかという問いは根強くというか、全く衰えない。価値基準そのものが違うんだと言っても通用するわけがない。相手の論理や価値に即して有効な反論をしないといけないと思うのだが、国際化や学際化やキャラ化がその答えではないだろう。これに十全な反論ができればノーベル賞ものではないかと思うくらいに、それは困難であり、やはり人文学が自身を厳しく自己批判した上でないと、無理ではないのか。既存の人文学の論理で、人文学批判を冷笑するというパターンは、かなり悲しい図であると、私は思うのだが。いろいろ考えさせられる諸論であった。
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2017年11月26日

変体仮名シンポジウム

 ,国立国語研究所、初見参。なんて立派な建物でしょうか!さんさんと光は入るし、4階からは富士山も見えるんだって。近くの共同研究利用機関と比べても・・・(いやいやこれはやめておきましょう)。というわけで、シンポジウム「変体仮名のこれまでとこれから」に参加、くずし字学習支援アプリのことを発表しました。
 午前中は、変体仮名の歴史をめぐる、学術的な発表が3本。つまり「変体仮名のこれまで」。
 午後からは3つセッションがあって、最初は変体仮名の文字コード国際標準化をめぐる3つの発表。平たく言えば、変体仮名を外字ではなくワープロ入力できるようになるまでの物語である。職人的フォント作りの話から、政治的駆け引きにも匹敵する戦略の話まで。今まで全くもって存じ上げなかったが、国語研・IPA・モリサワ(フォントを作った業者)の方々のご努力がKuLAを支えていたのだと、感謝の気持ちがこみ上げました。
 次が変体仮名の学習をテーマとするセッションで、私がKuLA開発の経緯を、橋本雄太さんがKuLAのデモとシステムのことなどを、専修大学の斎藤建哉氏が変体仮名教育の実践の話を行った。とくに斎藤氏の創意あふれる授業方法には蒙を啓かれた。Webでもそれを公開しておられる。
最後のセッションは国文研の字形データセットと凸版印刷のOCR技術、そしてまとめ的な締めがあった。それぞれ聞き応えがあった。
 ちなみに自分の発表は散々だったですが(なにしろ、驚いたのは、私だけハンドアウトがなかったことで。みなさん真面目ね。あと、パワーポイントでハイパーリンク張って説明しようと思ったのだが、発表者ツールモードではうまくいかないのね。折角事前に岡田一祐さん(国文研)にレクチャー受けていたのに馬鹿なことを。時間配分も大失敗だったのよ〜)、まあ終わったからいいとしよう。
しかし、ふと思ったのは、折角これだけデジタルヒューマニティーズが展開しているのに、国文学研究者、学生をふくめ、どれだけフォローできているのだろうかということ。不安になった。これはなんとかしなければと、そっちの方でもいろいろ相談をした次第でありました。
 立川の宿からなんと富士山が見えたが、朝のモノレールからもばっちり拝めた。こんなに大きく見えるのかと改めて認識しました。
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2017年11月20日

学会記(鹿児島大学)

 久しぶりの鹿児島での日本近世文学会。以前の大会の時、山口大学に勤務していた私は、当時の私の愛車レビンで、同じ山口県の大学に勤めていた久保田啓一さん・高橋昌彦さんと鹿児島に向かい、帰りはロバート・キャンベルさんと宮崎修多さんも加え(もしかしたらキャンベルさんは行きも一緒だったかもしれない)、天草に寄って一泊という、楽しい小旅行をともにした思い出がある(ついでに言えば、天草では、スピード違反でつかまってしまった)。
 学会そのものも、故中山右尚先生の仕切る懇親会や二次会が強烈なもので、レジェンドになっている。懇親会の出し物では当時鹿児島大学にいた国語学の江口さん(現在岡山大学)が、ギターかなんかであまり上品とはいえない弾き語りしていた。そのころ、若い発表者がスピーチをする慣習があったのか、高橋明彦さんがたしか発表をして、登壇する際にわざと転けて笑いをとっていたという記憶もある。2次会はあまりに異例すぎてここには書けない。
 それは20数年前の話。今回は大阪から飛行機で。スタッフも当然変わって、丹羽謙治さんが実行委員長、亀井森さんが脇固め、後輩の内山弘さんも懐かしい顔を見せてくれた。
 さて、恒例の学会記。鈴木彰さんの講演を聴けなかったのは残念であったが、8本の発表はいずれも水準以上の粒ぞろい。とりわけ私自身が個人的に感銘を受けた3本について記す。
 閻小妹さん 『忠臣水滸伝』と『忠臣蔵演義』。『忠臣蔵演義』は『仮名手本忠臣蔵』の唐通事(通訳)による白話訳。その表現を京伝が『忠臣水滸伝』を創作するにあたって全面的に利用したということを見事に立証した、文句のつけようのない発表。では京伝はそれをなぜ利用しえたのか?閻さんは、背景に江戸文人の交流圏があるという。おっしゃる通りであろう。しかし、いよいよ明らかになる京伝の丸取り手法。一方で、奇想天外な発想を持つ戯作者でもある。この京伝の戯作者としての本質をどう説明すればよいのか?今後の京伝研究に期待大。そして、白話と近世文学というテーマもどんどん展開していく。
 田中則雄さん 姫路騒動実録の生成と展開。関係文献を博捜した堅固な発表だが、まず従来知られる「姫陽陰語」の、ストーリーとして判然としない部分を指摘し、それが増補によって解消していくありさまをわかりやすく説明された。実録の成長を「問題点への対応」として整理していく手腕が鮮やかである。一方でそれとは違う系統の『忠臣河合実記』を紹介。当時の姫路藩における実説を摂取勘案するという「姫陽陰語」とは違う方法によって出来たものだと解説。非常によくわかった。
 圧巻だったのは尾崎千佳さん。野間光辰先生や島津忠夫先生らが説いてきた、「宗因における連歌から俳諧へ」そして「宗因における出家」についての定説に対して、全く新しいイメージを提起した。大胆にして細心、パースペクティブもあり、読みの深さもあり、鋭さもあり。何よりも、宗因と、その交わる人との関係において、文芸をとらえるという、私としては、おこがましいのを承知でいえば、共感・連帯を強く感じるその視点での展開が、胸躍った。そして、口頭発表ならではの劇的な昂揚が会場を支配した。正味1時間はかかろうという中身の詰まった濃厚を、25分に圧縮して、猛烈な勢いで発表したが、そのためにわかりにくいところ、ついていけないところは全くなかった。そこにいるすべての者が集中する緊迫の時間が流れた。発表終了後に会場全体にどよめきが起こったのも宜なるかなである。このような発表の現場に居られて幸せである。鬼気迫るものがあり、尾崎さんの、学問というより、命をかけた発表で、近世文学会での名発表として歴史に残るだろう。
 その他の発表にも触れたいところだか、取り急いでの報告。
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2017年11月10日

竹田からくりの研究

 山田和人さんの、『竹田からくりの研究』(おうふう、2017年10月)。
 山田さんは、この研究を四半世紀続けておられ、文字通りの第一人者であろう。
このたび、竹田からくりに関わる論文を一書にまとめられたことは、近世演劇研究ひいては近世文化研究にとって、非常に慶賀すべきことだろう。
 山田さんのからくり研究が、学界に広く知られるようになったのは、日本近世文学会での発表ではなかっただろうか。学界HPで確認すると平成六年山形での大会であったようだ。私の記憶なのであてにならないが、動画を使われたと記憶する。だとすれば近世文学会史上初ではなかったか。私には強く記憶に残っている。
 このような体系的・総合的な論集としてまとまられた本を、通覧すると、「からくり」の研究が実に豊かな可能性(広がり)を持っているかを実感させられる。文献・絵画・そしてフィールドと、山田さんは精力的に、五体五感を使い、人と繋がって、研究という営みを超える活躍で、本書を作ったことがうかがえる。資料の少ない、非常に研究しにくい対象だが、これをやりぬいたのは、山田さんの、竹田からくりへの「愛」に他ならないだろう。
 じっくり拝読してから紹介するのが筋だが、現状では、読破するのにかなり時間を要するので、とりあえず、出版を寿ぎ、ここで簡単に紹介させていただいた次第である。
 山田さんのことを書くのは、もしかすると初めてかもしれないが、関西でしばらく学界事務局を引き受けた時に、山田さんから事務局を引き継いだ。事務局をやるように口説いてこられたのも山田さんである。その後、ご協力を惜しまれず、こちらの質問に何でも答えてくださった。とても感謝している。また某評議員会でもご一緒させていただいている。学会の委員会や研究会で同志社大にはお世話によくなっていて、ご縁は浅くない。来年度もちょっと山田さんに頼まれたことがあるし。私が言うのもなんだが、近世文学会の会員のなかでも、飛び抜けてダンディで、しかも明るく、好感度抜群の方で、ご一緒していて、いつも楽しい。研究のさらなる発展をお祈りしたい。
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2017年11月02日

淇園・漱石・至宝

風邪がまだ治っていないが、今日はチャンス(大学祭前日で休講)なので、行くことにした。
まずは、招待券をいただいていた、大和文華館の柳沢淇園展。非常によかった。淇園の画風形成に影響を及ぼしたと思われる画も参考に展示されている。大雅が学んだとされる淇園の書画をこのように多数見るのは初めてだが、書も画も実に巧みでバランスのよいこと。中でも墨竹画の構図の絶妙と、あまりにも趣向を凝らしすぎともいえる書簡の意匠に目を奪われた。とても満足。図録購入してしまう。
さて、ここまで来たら天理へ。というわけで天理図書館までやってきた。アンリ・ファーブル。至宝展は参考館だったのね。でも、こちらではなんと漱石展。これがまた漱石自筆の書画・原稿・書簡がずらりと。いやこれだけ一ぺんに漱石の筆跡がみられるとは。まあ、あちこちで漱石展やってるんでしょうけど、私としてはこんだけ自筆を一挙に見るのは初めてなので。あらためて、漱石はやはり、江戸文人の流れにあるなーという感想。手紙はもう完全に江戸のものと同じで、文書を読み慣れた人でないと読めないでしょうし、漱石山房の用箋に書かれた原稿も、変体仮名の勉強をちょっとしないと多分すらすらは読めないでしょう。それにしても、若い頃、正岡子規の『明治豪傑譚』を送られての感想というか滅多斬りの批評を記した書簡は、六千字超らしいが、圧巻。文学青年漱石が躍動している。迷わず図録。
ついで参考館。1期は逃した至宝展。芭蕉や蕪村はもちろん、やはり奈良絵本がすごいと思う。さすが至宝やなと、繰り返し見つつ、満腹に。図録は・・・・。
え、正倉院展までは無理です。午後からは大学でやることがあったので。
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