2025年03月09日

読本・西鶴・仁斎

 3月8日は京都近世小説研究会に対面参加。今回は、田中則雄さんと、大谷雅夫さんの豪華二本立て発表ということで、対面だけで20人、オンラインを入れると40人ちかくが参加したようである。
 期待に違わず面白かった。発表内容はいずれ活字化されると思うので、ここであまりに具体的に言及するのは控えるが、なぜ面白かったかを述べておきたい。もとより、私の個人的備忘を、公開するという意味合いである。
 田中則雄さんの「読本『玉掻頭』に関する諸問題」は、あまり知られていない文化九年(1812)の読本を分析したものだが、例によって、複雑な構造を持ちながら、破綻なく作られている読本のひとつを事例に、「読本」というジャンルへの根本的考察がなされたものである。タイトルは地味なのだが、大きな構想があったのだ。発表後の感想戦の一部を紹介するのがわかりやすいだろう。記憶によるから、完全復元ではない。イメージと考えてください。
 Hさん「いやあ、読本研究者ってほんとすごいな。あの複雑なストーリーをよく咀嚼してなあ」
 田中さん「読本作者って、どうやって作ってるんですかね。どんなマイナー作者でも、複雑な構成を破綻無く収束させるんですよ」
 散人「なんか、職人的なスキルがあるんかね。今日の話だと、複数のユニットの高度な連携みたいな」
 田中さん「同じ話が歌舞伎になると、高度な連携がなくなる」
 Hさん「歌舞伎やったら台帳読んでもおもろないけど、舞台でみたら面白いというのがあって」
 散人「パフォーマンスがあることで、面白くなるんですね」
 田中さん「実録はまた、「筋を通す」ことが大事だから、また違う」
 散人「合巻は絵が主体やから、絵を見て理解する・・・。同じ話でも、そもそも受容のあり方が違うんやね」
 こんな具合で、同じ話柄のジャンル別の違いというのは、単にテクストレベルの比較だけでは済まされないということが実感できた。
もっとも、田中さんの今回の発表は、「読本とは何か」に関わるデカい構想があった。それは、「読本とは何か」についての有力なある見解に対する異論でもあるようにおもったが、それは奥ゆかしくも言表しなかった。これも懇親会で追究してみたのだが、それに対する答えは・・・・。
 そして大谷雅夫さんの発表は、「西鶴と仁斎」。ちかく某学会(日本文学関係ではない)でパネリストとして発表されるネタを、「専門の方の意見をききたいので」ということで、発表された。西鶴の作品のどこがすごいかっていうのは、いろいろな視点があると思うが、大谷さんが指摘するのは、ちょっとしたことで、おもわぬ心移りをして、置き引きしたり、色恋に墜ちるような人心のならいを、実に巧みに描いているということ。それは団水や其磧が同じような場面を描いているところと比較すると明らかになる。それと仁斎の当時としてはユニークな言説を比較してみたところ・・・・。
 なるほど、「世の人心」とはそういうことか、と改めてそれを引き抜いてくる眼力に感服したのだが、ポイントはそれが現代人にもある普遍的なものだということで、そういうところを核として話をつくることは、当時としてたしかにかなり凄いことである。一方、仁斎の言説は、確かに西鶴文芸のあたかも解説をしているように読めるから不思議である。
 より詳細に紹介したいところだが、これくらいにしておく。ただ、仁斎の言説が、熊沢蕃山・荻生徂徠・ョ山陽にまで流れ込んでいることも示され、学派を超えた「思想史」の構想として、文学をもとりこんだ見取り図を想定したくなるような発表だった。
 「仁斎」を起点とする思想史の可能性。それが大谷さんの次の著作の構想なのだろう、それを期待したい。


 
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2025年02月28日

古筆見の仕事

 勉誠社の『書物学』は創刊されて10年以上、このほど26号を刊行した(2025年2月)。文学研究は、本文(絵)だけではなく、本をモノとして対象化し研究することが重要であることは、21世紀になってから、おおむね常識となった。とはいえ、「書誌学」「書物学」という授業が、大学のいわゆる国文科(日本文学科)で、どこにでも開設されているという状況にはまだまだなっていないと思う。いわんや中学・高校においてをや。一方で、日本近世文学会が行っている「くずし字出前授業」では、実際の和本を見せながら講義することが多いが、生徒はかなりそれに食いついてくるようだ。『源氏物語』研究においても、書誌学的観点から提言を行ってきた佐々木孝浩さんの「大島本」論が、大島本の従来の評価を大きく揺るがしている。
 その佐々木さんが中心となって企画編集した本号は、徹底的に古筆鑑定にこだわった特集である。
 上田秋成にも、古筆鑑定にまつわる話が『胆大小心録』などにあり、江戸時代の人々の古筆への関心が並々ならぬことの一例となっているが、今回は、江戸時代の話が多く(その割に近世文学研究者の執筆がなかったのは、やはり近世文学研究が版本中心で、古筆を材料にすることがあまりないからか)、非常に興味深く読ませていただいている。
 とくに佐々木さんの「文化としての古筆鑑定」という考え方に納得させられた。たとえ、それが真筆ではなくとも、「伝〇〇」とされていることは、鑑定者が江戸時代の人であれば、江戸時代における鑑定に何からの価値があるということにほかならず、それを示すことは真贋を明らかにすることとはまた別の意義があるというのだ。また、伝承筆者を基準にすることで、古筆切の研究(分類や識別)の大きな助けになるという。また古筆見の立場からすれば、彼らは「わからない」とは言えず、ともあれ誰かの筆跡に比定しなければならない。つまり、噓をつく宿命を担わされている。とはいえ、まったくの出鱈目で古筆家が何百年も続くわけがないので、そのように鑑定されたことには何らかの意味がある。それを考えるのが、古筆鑑定研究の大きな意義なのである。
 慶應義塾大学に寄贈された「古筆本家関係資料」の調査研究を元に、古筆見の活動と鑑定書についての検討の必要性を痛感されて、本書の企画が成ったという。
 佐々木さんの論考は、その趣旨に基づき、西鶴の浮世草子作品に出てくる「古筆」を検討し、この時代の古筆文化を鮮やかに浮き彫りにした。これは、文学作品研究の立場からはなかなか発想できないことだが、たしかに『好色一代男』の主人公世之介が、古筆切を材料にした紙羽織を着ていること、長崎丸山の遊女が、定家真筆の、世に知られていない古筆切六枚を張り込んだ屏風を持っていたことなど、この時代の文化を考えるのに貴重な描写である。
 また中村健太郎氏の諸稿はじつに貴重である。そのタイトルを挙げていけば明らかだろう。「古筆家歴代について」「古筆鑑定書の形式と種類」「古筆鑑定文書の「琴山」印について」「古筆本家歴代および極印一覧」。圧巻である。「琴山」印は、私などでもよく見るものだが、それが五種類もあるとは。
 ともあれ、古筆切に関わる研究をやっている人は必携である。

2025年02月26日

本の江戸文化講義


 『本の江戸文化講義ー蔦屋重三郎と本屋の時代』(角川書店、2025年1月)は、大河ドラマ「べらぼう」の考証を担当している鈴木俊幸さんの「近世文学」という授業を書籍化したものである。コロナ禍の時期に、オンデマンドで配信した講義原稿を基にしたもの。原稿は文字テキストだが、文章は講義調としているため、実際の講義の文字起こしのようで臨場感があるのが不思議である。鈴木さんが、ちょっと斜に構えた口ぶりで大勢の学生を前に楽しそうに授業している絵が浮かんでしまうのである。
 「近世文学」という授業は、「文学史」いや「文芸史」として構想されているが、 ここには、『奥の細道』も『雨月物語』も出てこない。そもそも、著名作家の著名作品をつないだものは「文学史」でもなんでもないと鈴木さんは説く。
 本というモノを手に取り、その流通を明らかにすることで、江戸の文化にせまる。取り上げられる本もこれまで取り上げられることもなかった、ありふれた本であり、その本を扱う本屋や、読者も、これまで誰も光を当てなかった人である。そのような視点で、「諸問題」的な論じ方ではなく、「史」として構成し、しかも学生にも面白く、分かりやすく叙述していくのはまさに名人芸である(ちなみに、本の中での自著紹介の際に、「名論文」とか「傑作」とか「名著」とか言ってたりするのだが、その通りなので突っ込みようがない)。
 鈴木さんは長いこと自身の科研費で『書籍文化史』という研究誌を出しておられたが、この授業は、江戸時代のイメージを一新させる「書籍文化史」だと言えるだろう。 
 鈴木さんの近世観は、第一章に示されている。私の見るところ、鈴木さんの文学史の捉え方は中野三敏先生の考え方とかなり近い。これは、鈴木さんが中野先生に影響されたということもあるだろうが、江戸時代の本をたくさんみることを基盤にして、文学史を見ていくと自ずからそうなるのだ、とも考えられる。活字化された本文ではなく、本というモノをたくさん扱って、江戸時代の文化を実感すること、それなくして江戸時代文芸史は語れないことを、改めて確信させる。
本書が他の追随を許さないのは、第四章以降である(ちなみに第四章は蔦屋重三郎が主役)。長年の調査研究で、鈴木さんが気づき、考えたことを起点に、鈴木さんにしか書けない具体例を紹介しながら、各章が構築されている。いわゆる名も無い普通に人々の「文学」的営為を掘り起こし、鮮やかに蘇らせる。これまで、鈴木さんのいくつかの本で読んできた内容が、「史」として繋げられていく。その中には、「日本史の常識」をくつがえすような見解が少なくない。たとえば、「出版統制」は守られていないからこそ何度も御触れが出るのだとか、「寛政異学の禁」については幕臣が試験をうけるための基準を示したものだとか、実際はこのようなものだという説明は説得力がある。
本書の中には、本文をあげて、じっくり注釈的鑑賞的に説明するもの見られる。『好色一代男』の冒頭部であったり、洒落本『傾城買四十八手』「しっぽりとした手」であったり。これらの作品は、私も授業でやったことがあり、大体同じことを言っていたので安心した。もっとも『好色一代男』とその追随作の好色本については、「文学」史上ではなく、出版史上の意義をもっと考えるべきことが主張され、「本替」という独特な商慣習により、好色本が本屋に利をもたらしたことが、丁寧に説明されるあたりは、なるほどとうなずくばかりである。
もちろん、この本が「近世文学史」(ちなみに鈴木さんは「文学」という言葉を使わない。どちらかといえば「文芸」だというのも、中野先生と同じ)の標準になるかといわれれば、それは違うだろう。あくまでこれは鈴木文学(芸)史であり、唯一無二のものである。この本を教科書にして授業を組み立てるのは、鈴木さんなみの知識のある方でなければ、相当な勇気が必要になるだろう。
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2025年02月16日

歌川国芳展

大阪中之島美術館で2月24日(月・休)まで開かれている歌川国芳展。かなり大規模な展示で、前後期合わせて400点以上がリストに掲載されている。図録も非常に充実している。解説は一流の執筆陣の分担執筆である。
さて、今回、私にとって最大の収穫は「古猫妙術説」という戯画である。
佚斎樗山の初作の寓言短編集『田舎荘子』、その中でも特に著名な「猫の妙術」という話が典拠である。
私が最近出した『仮名読物史の十八世紀』の第一部第一章が樗山の作品を扱っている。『田舎荘子』は浮世草子に代わる画期的な江戸産の仮名読物であり、戯作であった。中でも「猫の妙術」はなかなか痛快かつ含蓄のある話である。勝軒という剣術師の家にすばしこい鼠がいて、なかなか捕まえられない。鼠を取るのが得意な猫たちが集められ、次々に鼠を捕ろうとするのだがことごとく失敗。最後に、どんよりした老猫が出てきて、見事(ほとんどなにもしないで)鼠を仕留めてしまう。この老猫の妙術に感心した他の猫たちが拝聴するという話で、剣術の奥義の寓話となっている。この話だけ『田舎荘子』から抜き出した写本が流通していたようで、わかりやすい剣術書として読まれていたようである。夏目漱石もこの本を読んでいたことは、漱石文庫に蔵められているので確実である。『吾輩は猫である』に何かヒントを与えたという可能性もある(重松泰雄)。それをモチーフにした絵を国芳が描いていたとは!
この老猫、別に大きいとは書いていないのだが、国芳は大きく描いていて、なにやら秘伝書らしきものを持っているのは、視覚的にわかりやすい。この1点のためだけに図録を買う価値があった。図録は個々の作品解説だけだが、それが非常に充実しているのが素晴らしい。
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2025年01月31日

六如の和歌題漢詩

近世文学会の学会誌『近世文藝』121号(2025年1月)に、王自強さんの「六如の和歌題漢詩について」が掲載されていて、近世上方文壇の人的交流を研究テーマのひとつとしている私としては、非常に勉強になった。私は特に妙法院宮真仁法親王の文芸交流に興味を持っているが、真仁が力を入れていたもののひとつが詩歌会(漢詩と和歌と同じ場で詠む会)で、六如はその常連の一人であった。王さんは、中世からの「和歌題漢詩」の流れという縦軸と、妙法院宮サロンとその兄公延入道親王の詩歌会という横軸(場)の両方から、六如の和歌題詩の定位を試みるスケールの大きな論を展開した。和歌題漢詩という視座と、公延詩歌会という場については、とても勉強させていただき感謝である。王さんの考察は作品の内容にも及び、『頓阿句題百首』の影響を立証した。同時期の歌人もまた頓阿の句題を利用しているし、18世紀には頓阿の家集『草庵集』の注釈書も出ているので、和歌と漢詩の交渉という点でも注目される。そしてこれは、江戸の詩人菊池五山にも及んでいくという。六如は個人的に今注目している詩人なので、私にとっては実にありがたい、タイミングのよい論文であった。
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「儒教のかたち こころの鑑」展

 少し前のことで、現在は既に終わっている展示なのだが、サントリー美術館で行われていた「儒教のかたち こころの鑑 日本美術に見る儒教」を観ました。仏教美術の展示は本当に多いが、儒教をテーマにしたものは珍しい。しかし、私の研究分野(近世文学)は、儒教抜きでは語れない。この展示の企画は素晴らしいものだ。
 聖人と儒教の教えを可視化する絵。儒教は何よりまず為政者のための教えであったことを実感する。孔子をはじめとする聖人像。そして賢聖障子。孔子を祭る釈奠図。為政者が何を為すべきかを教える帝鑑図説。儒教の徳目「孝」を体現した人々を描く「二十四孝図」。儒教を学んだ禅僧たちの足跡。湯島聖堂。そして聖人たちの見立て絵まで。
 別のコンセプトの展示でもみかけるものがあったが、「儒教」というテーマのもとに集められたこれらの美術品は、まさに「儒教のかたち」を表し、これらの美術品が「こころの鑑」となっていたことを十二分に示していた。図録もたいへんよい出来。
 
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2025年01月27日

芭蕉風と芭蕉流

昨日ポストした近世随筆研究会の刺激が効を奏して、書き淀んでいた原稿が一気に進み、完成してしまいました。めでたし。この原稿、やや長めの書評なのですが、なにせ完全な専門外(いや、広い意味では専門内だが不得意なジャンル。論じる資格も本来ないような)の研究書。その関係の先行文献をきちんと読んでいる、そのジャンルの専門家がやるべき仕事だと思うのだが、私に依頼してきたってことは、その専門ではない立場から書いてくれということだよねーと勝手に解釈していたのだが、それでもやはり遅々として筆が進んでいないところに、きのうの中森爆弾。そうやん、専門家ぶって書かなくてもいいんや、とリラックス。その途端楽しく書けました。終わって送信した。書評としてはどうなのかわかりませんが、もともと人選が「不適切にもほどがある」のだから、仕方ないでしょう。
と、関係ない話をしましたが、流れからいくと、ここはもうくだんの中森康之さんが金子はなさんと編んだ『門人から見た芭蕉』(和泉書院、2024年8月刊)を取り上げないといけないでしょう。いやはや長いこせと気になりつつもこちらに挙げていませんでしたな。
門人から見た芭蕉ってなかなか面白いですね。
序論で中森さんが提起するのは「芭蕉風」と「芭蕉流」。芭蕉と其角って全然俳風違いますよね。許六は疑問に思ったんだって。でも芭蕉に言わせれば、「俺の俳風は閑寂を好んで細い、其角の俳風は伊達を好んで細い」。自己の根源的欲求(好んで)が表出したのが「風」である。しかし、繊細に感じ認識するところ(「ほそし」)は共通している。それが「流」である。「風」は違っていい、「流」こそが芭蕉門が共有する感覚であると。それが「芭蕉流」と呼ぶべきものである。実に納得。私の師、中野三敏とその門人たちで考えてみても。仮に「門人からみた中野三敏」ってテーマで、板坂耀子・白石良夫・園田豊・ロバート=キャンベル・宮崎修多・久保田啓一・高橋昌彦・入口敦志・川平敏文・勝又基・盛田帝子・・・まだまだおりますがごめん割愛。まったくの第三者が、それぞれの門人の中野先生との関わりを書いたらって想像すると楽しいですね。みんな「学風」は違うけど、どこか「中野流」であるところが共通しているって話である。
 きのうの研究会で中森さんは、研究を外に開くべきだということを言っていた。それにはこうしたいという強い志が必要であると。では、中森さんにおける俳諧研究の志ってなに?中森さんは「はじめに」でこう言っている。「私は、古典文学研究の大きな役割の一つは「共有」の感度を育むことであると思う」。こんなことをこれまで言った人いるのか?いや、現代が分断の時代だからこそ、中森さんも言うのだろう。古典文学研究は、これまで比較して違うところを問うことが多かった。連歌と俳諧はどこが違うかとかね。幸いこれも昨日の中森さんの話で出ていたこと。形式は同じ。俳諧も連歌の一種だし、と。
 中森さんは言う。「見方を変えよう!」と。違いを見つけようとせずに、共有点を見つけようと。この本のコンセプトはここに集約される。
 それを踏まえて各論は書かれる。悪いけど、各論を論じていたら、本格書評になっちゃうので、自由なブログとしては、金子はなさんの「あとがき」を借用しよう。多様性に富む芭蕉の門人達。しかし彼らには共有している芭蕉観があった・それが「理想の俳諧を徹底的に探究し、変革・深化させ続ける人間」というものであり、彼らの共有する思いは「何としてもこの師を理解し、ついて行きたいという切実な感情」だったと。
 各論は、どれを読んでも、門人の芭蕉へのそれぞれの思いが、それぞれの研究者の見方で論じられている。芭蕉はどう共有されたか、という新しい問題意識を「共有」して。この共同研究の形もまた新しく、そしてゆかしい。いろいろ考えさせられる一書である。

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2025年01月26日

随筆とは何か

小林ふみ子さんの論文を読んだタイミングがちょうど今日の研究会の直前だった。
今日の研究会とは、前のポストの最後のあたりにちょっと書いた川平敏文氏の科研が主催する「近世随筆研究会」。対面は国文研で行われたが、オンラインも併用。私はオンラインで参加した。会場には20名くらいの人がいるということだったが、錚々たるメンバーが集まっていた。
一人40分の発表で、質疑応答の時間もたっぷりととっていた。13時30分から18時まで。
最初は古畑侑亮さんの「抜書される近世随筆 ―江戸周辺地域の在村医の事例から―」で、ノートやメモの類いの資料から当代人の情報収集のあり方に迫ろうとする研究の事例報告というべきもの。在村医がどういう随筆を抜書しているのか、興味深いレポートである。
2番目は青山英正さんの「城戸千楯『紙魚室雑記』について――鐸舎(ぬてのや)と以文会」と題する発表。こちらは上方が舞台だが、以文会という「随筆を持ち寄る」勉強会?の実態を深掘りしたもの。学問の大衆化、拡散化のモデルとしての以文会。
3番目は理論家中森康之さんの、ずばり「随筆とは何か」。まずは研究会主催者の川平さんに軽くジャブを放つ。以下は勝手に脚色しているけど大体内容は押さえているつもり。
「近世随筆なんて面白いところに目をつけたのに、何のためにこの研究会やってるの?真面目すぎない?安定の川平なんか見たくない、悩んで悶絶しているニュー川平がみたいんだよ!ってメールしたら、じゃあてめえやってみろよ!ってことだったのでやる羽目になりました」
いずれ活字にするだろうから、あんまり詳しくここで披露するのはやめるけど、めっちゃ面白かった。ひとつのキーワードは「レイヤー」だな。じしんの専門である俳諧を例に、「考え方」革命を提唱。質疑も沸騰した。中森さんは、随筆研究を、いまやる意義があるだろう!学界の外にアピールする意味あるだろう?だからやるんでしょう?それ何よ?僕はこう考えてるけどね。ということを話したわけだ。その態度というか姿勢には共感しかない。
 とはいえ、少し違和感もあったからオンラインで感想を述べましたけどね。
 学界では数少ない戦っている人。今回も期待を裏切らないプレゼン。刺激を受けました。ありがとうございます。

 私は、近世随筆が、いわゆるエッセイとは違うということを、中村幸彦先生から教わった。中村先生の書いたものではなく、直接口頭で。大学院生のころ、たまたま学会からの帰りだったか、電車で中村先生のお隣に座ることになって、なぜか近世随筆の話をされていた。だから、近世随筆の話になると、その時の中村先生のお顔を思い出すのである。



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2025年01月25日

近世随筆における考証の意義

2025年の初ポストです。今年もよろしくお願いします。
いくつも紹介したい研究書が溜まっておりますが、少しずつペースを挙げて参りたいと思います。

 さて今日は、読んだばかりの論文の紹介。最近はあまり論文紹介はしてませんでしたが、大変勉強になったので、メモを残す意味で。
 小林ふみ子さんの「近世随筆における考証の意義ー大田南畝から考える「考証随筆」」(『國語と國文学』、2025年2月号)。
 まだ1月ですが、2月号はもう出ているのですね。学術雑誌は、奥付より遅れて出ることも多いのですが、さすがは学界をリードする雑誌です。

 この論文では、まず「考証随筆」というテクニカルタームについての問題を指摘する。「考証随筆」は「第一義的に戯作者の著述を指すものと解されてきた」感があるが、古くは和田萬吉、近くは白石良夫・日野龍夫・山本嘉孝らが、文体の和漢を問わず文献を論拠として実証的態度で書かれた随筆という認識で用いられているのである(ちなみに、私も後者の意味で理解していた)。
 ではなぜ戯作者の著述に限定する理解が生じたかというと、その源は中山久四郎の「考証学概説」(1939)にあり、さらには中山の引く大田錦城の「梧窓漫筆
拾遺」に、清朝考証学が戯作者らの考証好きに影響を与えたする見解が示されていたからだと。中山説はその後の研究に大きな影響を与えたが、実は清朝考証学以前から和学の世界で考証があり、それが流れ込んでいるのであり、「清朝考証学→戯作者の考証随筆」は正しいとは言えないと。
 小林さんの専門である大田南畝の考証随筆に注目すると、南畝は先人の考証に目配りをしているが、とくに南畝以前の幕臣達の考証を参照していることがわかる。小林論文ではとくに南畝がその名を書き留めた幕臣大久保忠寄に焦点を当てる。忠寄の考証は京伝にも影響を与えているという。
 ここからは、私の感想であるが、こうした考証は、たしかに戯作者たちの楽しみとなっていて、彼らは随筆のみならず、読本などの読物の中にもそれを持ち込んでいる。いわゆる「小説」の中に取り込むにしては大真面目で、よい意味では読み応えがあり、悪い意味では蘊蓄に走りすぎるのだが、江戸人にとっては、物語の筋と同様、あるいはもしかするとそれ以上に、面白い部分だったのではないかと思う。私の用語で「学説寓言」という、作者の考えを寓意する知的な読み物は、18世紀に「奇談」という仮名読物の領域で盛んになっていた。秋成なども「物語」の中に考証随筆を織り込むが、その結果、物語の体を崩しても構わない。というよりも、学説を語ることもまた物語なのだった。
 そのようなことを考えている私のアンテナに、小林さんの問題意識はびびびっと来たのであった。
 なお、考証随筆は先行の同様な随筆を承継するとともに、人的交流を通して横にも拡がっているだろうし、考証をみんなで楽しむ一種の「共同研究」的な在り方もあるだろう。明日国文学研究資料館で行われる川平敏文氏の随筆をめぐる研究会も、ちょっとオンラインで覗いてみたいものである。
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2024年12月18日

伊勢松阪の知の系譜

 柏木隆雄先生の『本居宣長・本居春庭・小津久足・小津安二郎 伊勢松阪の知の系譜』(和泉書院、2024年11月)が刊行された。
伊勢松阪出身の柏木先生が、夕刊三重新聞に毎週土曜日に連載していた、伊勢松阪「小津党」の本居宣長・本居春庭・小津久足・小津安二郎の四人について、独自の視点から、その知の在り方と、繋がりを、高度なレベルで、しかしとても読みやすく描ききった快作である。先生はバルザックなどを専門とするフランス文学者でありながら、日本文学にも通暁しておられるため、これまでも日本文学についての論文や著作を数多く発表されている。しかし、本作の中心は江戸時代後半の国学者評伝であり、膨大な資料を読み込むのに相当な時間を要したに違いないと思われる。それにも関わらず、専門家も気づかない指摘や分析をさりげなく織り交ぜながら、「知の系譜」と称するに相応しい展開を見せたのは、流石である。小津安二郎まで繋げて、このような系譜として描くのはなかなかの難業であるが、その松阪の知の系譜に連なるといっても過言ではない柏木先生の対象愛がそれを可能にしたのだろう。
とはいえ、この長い連載を始めるきっかけは、我が同窓の後輩である菱岡憲司さんの小津久足研究というから、嬉しいではないか。菱岡さんは『大才子小津久足』でサントリー学芸賞を受賞した俊英であり、以前より柏木先生の著書に注目して、片端から読んでいたようなので、まことに知の系譜のさらなる展開と見立ててもそれほど外れてはいまい。
 さて、本書である。本居宣長から始めると、どうしてもその後が小さく見えるのが普通だろう。しかし、柏木先生は宣長の学問の方法をズバリと指摘したあと、彼の紀行文『菅笠日記』に多くを費やし、そしてそれでさらっと宣長の項を終わる。『菅笠日記』の分析は、膨大な紀行文を残した久足に繋ぐ伏線でもあるが、『菅笠日記』の面白さを書くことで宣長像が鮮やかに見えてくるのは、柏木先生の巧みな文章のなすところだが、柏木先生自身が宣長の紀行文に深く感じ入っているからだろう。また旅をどう記述するかという視点で、知の系譜を見ていくと、非常にくきやかに時代が、文化観が、古典観が浮かび上がってくるからだろう。それにしても、時折、私的回想を挟みつつ、また読書観を披瀝するのも、読者が「待ってました!」と言いたくなる、素敵な寄り道と言えるのだ。たとえば全集主義や『奥の細道』の意義など、傾聴に値する。
 国文学や国語学を志す者が足立巻一の『やちまた』を読めば、必ずや感動する。私も感動した一人である。それほど『やちまた』は宣長の子春庭を感動的に語る。春庭の伝記と、著者らしき青年が春庭の事蹟を研究する重ねの構造が、その感激をより強める。もちろん柏木先生にも『やちまた』への強いリスペクトがある。したがって、春庭への眼差しも自然に優しいように思う。春庭の項目には、彼が眼病を治療しようと、当時の名医谷川氏を訪ねるくだりがあり、それがうまくいかなかったことをわがごとのように嘆く柏木先生の春庭への愛情が映し出される。私も、谷川氏は秋成の失明を恢復させた眼科医であることを知っており、谷川家の御子孫の家に十年以上通っていたので、引きつけられた。
 その春庭の門人となり、春庭をサポートしていたのが小津久足である。菱岡氏の翻刻した資料を隅から隅まで読み尽くし、菱岡氏とはまた違った久足像を提起したのは非常に面白い。ひとつは、久足の恋の題詠に、父の後妻へのほのかな思いを読み取るという大胆な仮説。題詠とはそもそも仮構であり、演技であるので、そう見せかけておいて、実は真の想いを込めるという読みは、一瞬受け入れがたいのだが、しかし100パーセントないとはいえない、何かが残る。もしかすると光源氏の藤壺への想いと重なるからであろうか。もうひとつ特徴的なのは、馬琴の殿村篠斎宛書簡などを読み込んで、屈折した馬琴の思いを推理していくスリリングな叙述である。久足への「大才子」とは何か。ここらが最重要ポイントになる。そして、あくまで私の印象だが、馬琴に柏木先生を、久足に菱岡さんを比定して、ついニヤッとしてしまうのだが、これはお二人と付き合いのある数少ない読者である私だから感じることなのだろう。
 小津安二郎の各映画への批評は案外に厳しいものが少なくないが、そこには細部を見逃さない柏木先生の映画論があり、小津の描く風景が、宣長や久足の紀行文と重なることも、系譜として浮かび上がってくる指摘となる。
 本書については、既に菱岡さんの熱いレビューもある。合わせて読んで下さい
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2024年12月06日

蔦屋重三郎

 来年の大河ドラマ、「べらぼう」の主人公、蔦屋重三郎に関心が集まっている。本屋にいくと、あまたの蔦屋重三郎本が所狭しと並んでいる。しかし、その中で、最も信頼できるのが、鈴木俊幸さんの本である。ここ何十年間、ずっとずっと、まぎれもない蔦屋重三郎研究の第一人者であり続けた。そして、「べらぼう」でも当然ながら考証に深く関わっている。講演依頼もひっきりなしのようで、今猛烈に忙しいようである。
鈴木さんは私と同世代。互いに院生のころに学会で知り合った。すでにこのころから詳細な蔦屋重三郎の出版書目年表を作成しておられた。その後は信州をとくに攻め、書籍流通史を中心に、膨大な業績を上げ、2冊の書籍研究文献目録は、近世近代の研究者にとって必携のツールとなった。私の敬愛する研究者のおひとりである。一度懐徳堂の春秋講座で『御存知商売物』のレクチャーをしていただいたこともある。
 蔦屋に関する決定的な研究書は『蔦屋重三郎』(若草書房)であるが、それをやや改編したのが『新版 蔦屋重三郎』(平凡社ライブラリー)、そして「べらぼう」に合わせるタイミングで新たに蔦重像を書き下ろしたのが、『蔦屋重三郎』(平凡社新書、2024年10月)。ビジュアルに見せるのが、監修をつとめられた『別冊太陽 蔦屋重三郎』(平凡社、2024年11月)である。
 鈴木さんの中でも、蔦屋像は微妙に変化しているだろうし、時代との関わりという点での知見も深められたに違いない。本だけでなく、肉声でそこのところを聴けたらどんなによいだろう。と思っていたところ、同志社女子大学で、鈴木さんの話がきけるというので、昨日の夕方、喜び勇んで出かけた。表彰文化学部連続公開講座「蔦屋重三郎とは何者ぞ」である。独特の話術で笑いをとりながら、蔦重の本質をきちんと資料に基づいて、淡々とお話になる。資料はフルバージョンで用意されているものの、いつも途中で時間切れになるそうで、今回も新吉原時代で残念ながらタイムアップ。
 しかし、本で読んで理解しているはずのことも、鈴木さんの肉声で聞くと、入り方が違う。蔦重のことを語るのに最適の声なんじゃないかと思う。あらためて蔦重の商才のすごさを確認できたのだが、同時に広告メディアとして、吉原散見や、遊女画像集をはじめとするさまざまな新趣向の本を出して行くのに、吉原の人々が入銀というやりかたでサポートしている実態と、そのサポートをとりつける蔦屋の人間通の一面が、手にとるように理解できた。吉原が蔦重を育てたという側面の重要性を認識できた。
 打ち上げにも参加させていただき、美味い和食と美味い酒を交わしながらの歓談はこの上ない愉しい時間であった。
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2024年11月25日

戦乱で躍動する日本中世の古典学

2024年7月に文学通信から刊行された前田雅之『戦乱で躍動する日本中世の古典学』。すでに刊行から4ヶ月経とうとしているが、本書に言及せずして、今年を終えることはできない。とはいえ900頁を超える大著である。向き合い方によっては年を越してしまう。よってここでは、そのほんの一滴を掌に載せて、しばし観察してみたい。
プロローグで、いきなり「文学と戦争の親和性」が提起される。たしか前田さんは軍事史をもうひとつの専門とする方であり、「文学とは平和への祈り」という甘いテーゼを容認するはずはない。私は、かつて(院生時代)中上健次が平和のまっただ中で「文学(者)は戦争を欲している」という見出しの文芸時評を書き、それを相部屋の近代文学専攻のN君が見て興奮していたことを思い出した。
一方で、著者のいう「古典公共圏」のベースに置かれる、古今、伊勢。源氏、朗詠集の四大古典には、戦乱のかけらも見られない。そこは、どのように考えればいいのか。本書を読むに当たって、いやおうなく読者は問題意識を植え付けられるのである。
第一部「和歌の世界」の序論には、すでにその見通しが述べられている。「戦乱・政治変革と古典・和歌の相互補完的循環構造」の論から引用する。

 「文事」「文学」の外部に属する政治変革(政争)・戦乱といった例外=非常事態が、現状に対する激越な危機意識や喪われた過去を求める始原回帰意識、もしくは、それらかれ連想的に想起される秩序恢復願望などを惹起・勃興させることになるだろうと。その時、その具体的かつ有効な道具や手段、否、そうした意識を叶え、具現化する装置として、古典・和歌が用いられるのではないか。そうして和歌・古典活動が活発となり、それら自身が種々の変容を伴いつつ改良・革新しながらこれまで以上の広範な階層にまで流布拡大していく。こうした一連の展開を見て、政治変革・戦乱は、古典・和歌にとって、あたかもイノベーションと同等の役割を果たしたと考えてみたいのである。

 応仁の乱と宗祇ら連歌師や三條西実隆そして武将らの古典への熱意、南北朝から室町にかけての不安定な政情の中で着々と企てられる勅撰和歌集などの例をあげ、各論でそれを精緻に検証してゆく。

第二部「古典学の世界」では、従来の国文学の方法では析出できない、古典と呼ばれる書物とはなんだったのか、それらはどういうものだったのか、どうしてこれらの書物がよく読まれ、かくも保存されたのか、という、いわば書物学を取り込んだ古典学を展開する。筆者の持論の「古典公共圏」をきわめて体系的に論じている。総論と各論を効果的に交え、巨大な「古典学」学が姿を現す。

 古典(学)不要論の現代を見すえつつ、なぜ古典学が必要なのか、この論文の集成が一つの挑戦的な回答を具現化しているのである。以上、とりあえずの感想である。
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2024年11月17日

学会記(佛教大学)

恒例の学会記。2024年秋季大会は、観光シーズンまっただ中の京都、佛教大学での開催。ホテルを取るのが大変だったようだ。取れても洛中ではないビジネスホテルで2万円ちかくとか、奈良にやっと取れたとか。
佛教大学のキャンパスは大変立派で、清潔で、快適な空間であった。
土曜日は、研究発表4本、その中で道外役嵐音吉に関する発表があり、この役者は戯作評判記で作者の力量を役者に喩える描写で、「もたれ気のない」のが嵐音吉みたいと評されていたので、興味を持って聴いた。ついつい質問してしまったが、拙著を読んで下さっていたので、既に承知していたようであった。
日曜日は、午前中に国文研の大型プロジェクトの「データ駆動」に関わるシンポジウム。我々は「データ駆動」=「データ活用」と思ってしまうのだが、実はそうではないようである。我々がやりたいことを実現するためにデータを活用するのは「要求駆動」だという。そういえば、3月の人文学情報研究所主催のシンポジウムで、海外のデータ駆動研究の第一人者の話を聞いたことを思い出したので、フロアからのコメントを求められた時に、ちょっと発言をしてしまった。今回のシンポジウムでは、「データ駆動」というのが何なのか、ということをまず問わねばならないことが明らかになったということだろうか。
午後ラストの大谷俊太さんの発表は、江戸中期の名もない歌人のとんでもない歌集の紹介。超有名な古歌を「直し」て、初学者の参考にするという、異色の歌集である。まさに近世中期の「畸人」の一人と言ってよいだろう。
浜田泰彦氏をはじめとする佛教大学スタッフ、実行組織のみなさん、事務局のみなさん、登壇者のみなさん、お疲れ様、ありがとうございました。
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2024年11月10日

大和文華館の呉春展

数日前、大和文華館で行われている呉春展を観に行った。ここ数年、諸処で呉春の展示を見たが、この展示が、呉春の全体像を映し出すという意味では、もっとも見応えのあるものだった。
呉春は、秋成との交友もあり、ふたりによる画賛も少なくない。そして妙法院宮真仁法親王の厚い信頼を得て、同所に頻繁に出入りし、即興画を描くこともよくある。なんといっても、真仁法親王の肖像を描いている。この肖像画も今回展示されていた。随分前に行われた京博での「妙法院と三十三間堂」以来、お目にかかった。秋成と真仁法親王を研究対象としている私としては、小澤蘆庵と並ぶ重要人物である。
呉春は妙法院の推挙によって宮廷絵師ともなった。同時代には間違いなく高い人気を誇ったが、図録解説にもあるように、師である蕪村、そして呉春のすこし前に京都で圧倒的な存在感を示した円山応挙の陰に隠れて、あまり大々的に取り上げられることがない。しかし、今回は、量的にはそれほどでもないが、その渇を癒やすに十分な充実ぶりであった。
呉春は洒脱で、人づきあいが巧く、とんがった性格ではないように思う。それが、とんがった人に好かれた理由ではないかと思う。呉春の絵を見ていると、なにか安心する。品のよさと、バランスのよさ、落ち着きといったものを感じさせる。
 蕪村には絵だけでなく俳諧も学んでいて、文学的だと思わせる絵もある。TPOを弁えた、融通無碍な画風は、個性的とはいえないが、人的交流を大切にする江戸時代には重宝がられたと思う。謡好きや食通ぶりを示す資料も展示されていて、呉春の人柄を感じさせる、私にとっては非常にありがたい展示だった。
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2024年11月05日

日本人にとって教養とはなにか

 ブログを再開して1ヶ月ちょっと。さぼっている間に、本ブログで紹介したいと思っていた本がたまっていたが、順不同で紹介していきたい。タイムラグがかなりある本もありますが、お許しを。
 まず、鈴木健一さんの『日本人にとって教養とはなにか 〈和〉〈漢〉〈洋〉の文化史』(勉誠社、2024年10月)。
〈教養〉にずっとこだわりつづけた、鈴木さんならではの一書で、これまでの研究の蓄積を感じさせる好著である。序章に書かれているように、私達の子供のころ、百科事典ブームというのが確かにあった。我が家にはなかったが、友達の家に置いていることが多かった。世界文学全集みたいなのもブームだった。あのころはまだ教養の時代であった。平成のはじめごろから、大学から教養部が次々になくなってしまった。
 本書は、日本における「教養」もしくは「教養書」の歴史を平易に説いたものである。江戸時代に頁を多く割かれていること、和漢のみならず〈洋〉を重視して、和漢と並行する教養基盤と見立てている点に特徴がある。〈洋〉を〈和〉〈漢〉と同等に扱うのは、古典研究者の著書にはあまり見られない。しかし、いうまでもなく、今日の我々の教養は、和漢洋に基づいており、とくに〈洋〉は欠かせないものである。今日への繋がりを考えれば、〈洋〉は無視できないのは当然なのだ。
 本書は教養(書)の歴史を平易に説きつつも、この本を読むことで、教養が身につくという仕組みになっているように思う。時代時代における教養とは南アのか、教養がどういう本によって普及浸透していくのかを読み進めていくうちに、和漢洋の基礎的な教養も身についていくのである。教養について、ずっと考えてこられた鈴木健一さんだから書ける本と言えるだろう。〈和〉〈漢〉〈洋〉の展開の見取り図も説得力あるものである。以上、散漫な感想である。
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