2022年12月03日

追悼楊暁捷先生

 1冊の本が送られてきた。『戯れる江戸の文字絵』(マール社、2022年11月)。十返舎一九の『文字の知画(ちえ)』という滑稽本を紹介・解説した本である。著者は楊暁捷(ヤン ショウジェ)さん。監修は板坂則子さん(専修大学名誉教授)。楊さんは、カナダのカルガリー大学で、長い間、日本文学を教えてこられた方で、とくに絵巻・絵本の研究にすぐれ、それをデジタル活用することに熱心に取り組んでこられた。この本は、絵の中に文字を隠して忍ばせる文字絵の面白さを、懇切丁寧に解説し、くずし字学習の教材ともなるすばらしい本である。板坂さんと何度もメールを交わして作ったという。
 楊さんは、2022年10月13日にこの世を去られた。本書を完成させた直後だったという。楊さんの最後の著作となったのである。日本と日本文学を愛した、この稀有の研究者の著書を、多くの方が手にとってくださればと思う。
 ここで、私の楊さんへの思いを述べることをお許しいただきたい。楊さんは私より少し年下の方であったが、WEB上で「絵巻三昧」と題するブログを開き、非常に意欲的に発信をされておられたので、お名前はよく知っていた。ほぼ同世代で、くずし字学習にも熱心に取り組んでおられたので、一度お話しをしたいと思っていた。たまたま日文研の荒木浩先生のプロジェクトでご一緒することになり、ある日の研究会の懇親会で、じっくりお話しも出来て、意気投合するところがあった。私がオーガナイザーの一人である来年2月の国際シンポジウム「古典の再生」で、古典のイメージとパフォーマンスによる再生をテーマとするセッションを企画したが、そのセッションの発表者の一人として、楊さんに絵巻のことでお話しいただきたいとお願いをした。すばらしいテーマだとおっしゃってくださり、ご快諾を得た。(シンポジウムにつきては、ひとつ前の投稿をごらんください)
しかし、9月はじめごろ、思わぬことに、治癒の見通しの厳しい病気となったこと、発表は辞退せざるを得ないと思うということ、一方でこんな構想で準備を進めているので録画を作成することはできるのだがあまり好ましくないだろうということが書かれたメールをいただいた。ご病状が不幸にして回復しない場合は、録画を流し、無理のない範囲で質疑応答のみオンラインで行うという提案をすると、前向きに考えていただき、10月までには録画を作成できるというご返事をいただいた。そして約束通り、10月9日に発表動画をいただいた。なくなる4日前のことだった。その後訃報を知り、ショックを受けた。動画をいただいたあとに、メールが途切れていたので気になっていたが、まさかと。そして苦しい中で、約束を果たされた責任感の強さと研究への熱意に打たれた。その上に、著書まで完成されていたとは!
 2月のシンポジウムでは、楊さんからいただいたプレゼンセーション動画を流す。そして、感謝とともに追悼の意を表したいと思う。
 それにしても、本当に惜しい方を亡くしてしまった。『戯れる江戸の文字絵』やプレゼンテーション動画など、楊さんが残してくれた素晴らしい業績で、偲ぶしかないのである。
 
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国際シンポジウム「古典の再生」を開催します。

来年2月、国際シンポジウム「古典の再生」を京都で開催します。
そのご案内です。

古典はいかに再生されてきたか、古典をいかに再生すべきか。
その歴史を振り返り、未来に向けて、私たちがなすべきことを考えます。
海外の日本古典文学研究者も多く参加します。

日時 2023年2月11日(土)・12日(日)
会場 京都産業大学むすびわざ館(京都市下京区) オンライン併用 

プログラム
2023年2月11日(土)〈1日目〉 13:30-17:40

【パネルディスカッション 再生する古典】 司会 飯倉洋一(大阪大学)
〈基調講演〉「古典×再生=テクスト遺産 過去文化の復興における文学の役割」 
エドアルド・ジェルリーニ(ヴェネツィア・カフォスカリ大学)
〈発表〉
「18-19世紀における王朝文学空間の再興」  盛田 帝子(京都産業大学)
「琉球における日本古典文化の受容」       ロバート・ヒューイ(ハワイ大学)
「古典の再生−古事記・日本書紀・風土記の翻訳と海外における受容」 アンダソヴァ・マラル(早稲田大学)

〈討論〉エドアルド・ジェルリーニ+盛田 帝子+ロバート・ヒューイ+アンダソヴァ・マラル
ディスカサント 荒木 浩(国際日本文化研究センター)

〈特別プレゼン〉  司会 加藤弓枝(名古屋市立大学)
「古典本文をWEBに載せる−TEIガイドラインに準拠したテキストデータ構築」 
永崎研宣(人文情報学研究所)+幾浦裕之(国文研)+藤原静香(京都産業大学非常勤研究員)

2023年2月12日(日)〈2日目〉 10:00-17:15
【セッション1 イメージとパフォーマンス】司会 盛田帝子(京都産業大学)
「絵巻と『徒然草』絵注釈の間―デジタルアプローチの試みをかねて」 故 楊暁捷(カルガリー大学)(動画)
「人麿画像の讃の歌」佐々木 孝浩(慶応義塾大学)
「霊媒〈メディウム〉としての古典:初期テレビと1956年の幽霊」 ジョナサン・ズイッカー(カリフォルニア大学バークレー校)
「女房装束の変遷―平安期女房装束の復元を通じて―」 佐藤 悟(実践女子大学)
ディスカサント 山田 和人(同志社大学)

【セッション2 源氏物語再生史】 司会  加藤 弓枝(名古屋市立大学)
「女房たちの源氏物語―『阿仏の文』を視座に」 田渕 句美子(早稲田大学)
「『源氏物語』享受史における詞の表象」 松本 大(関西大学)
「樋口一葉における和歌と源氏物語」 兵藤 裕己(学習院大学)
ディスカサント 中嶋 隆(早稲田大学)
  
【セッション3 江戸文学のなかの古典】 司会 有澤 知世(神戸大学)
「江戸幕府の儒臣と朝廷の文物 ― 柴野栗山の事例を中心に」 山本 嘉孝(国文学研究資料館)
「紀行文の中の古典」 ユディット・アロカイ(ハイデルベルク大学)
「上田秋成における〈古典〉語り」 飯倉 洋一(大阪大学)
ディスカサント 合山 林太郎(慶応義塾大学)

参加登録方法は追ってお知らせいたします。対面・オンライン併用です。
ご興味のある方は、ご予定ください。


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2022年11月29日

絵入本ワークショップ13をオンライン開催。

絵入本ワークショップXVがオンラインで開催されます。今回も公開で行います。
発表は10本+講演。土曜日は、平安女房装束復元の小特集です。
開催校は大阪大学(実行委員長門脇むつみ先生)、形態は完全オンラインです。
ぜひご参加ください。

参加登録フォーラム、若干不完全ですが、
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScsg-0D1kllAZM1nwefRneAJ0a7oBkYIYqdN4wcFqXCCVFMjQ/viewform?usp=sf_link
メールアドレス(必須)
氏名(必須)
所属(任意)
で入力してください。12月6日が登録締切です。

参加登録者者にはZoomのURLが送られます。

以下プログラムです。

12月10日(土)
14;00
開会

小特集趣旨説明 佐藤悟
1 井孝 絵巻による平安期女房装束復元の試み
2 倉永佳 『源氏物語絵巻』 宿木二の女房装束の描写
3 佐藤悟・永井とも子 『源氏物語絵巻』に見る裳の形状

休憩

18:00
zoom懇親会

12月11日(日)
9:30
4 樋口純子 平安朝物語の絵入版本の挿絵について
5 波瀬山祥子 近世上方狂歌壇における肖像画制作の背景 ―鯛屋貞柳像と栗柯亭木端像について―
6 李俊甫 山東京伝の『水滸伝』絵本―『梁山一歩談』『天剛垂楊柳』について
7 北川 博子 北斎の「詩哥写真鏡 在原業平」を読み解く

12:20
総会 議長選出・新会長選出・新事務局長選出・実行委員追加 昼食休憩

13:30
8 伊藤美幸 明治期における切附本の認識とその位置づけをめぐって
9 日並彩乃 吉田初三郎『嚴嶋新案内』における厳島図の影響について
10 江南和幸 17世紀〜19世紀の江戸時代の絵入り刊本と浮世絵に用いられた用紙の科学分析休憩

15:30
特別講演会 芳澤勝弘 画賛について――絵と文字のコラボレーション
新会長挨拶
閉会
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2022年11月28日

日本近世中期上方学芸史研究

 稲田篤信さんの最新の研究論文集『日本近世中期上方学芸史研究 漢籍の読書』(勉誠出版、2022年11月)が刊行された。
 稲田さんは私より9歳年上で、学会では頼り甲斐のある先輩である。大学院生のころ、学会の懇親会ではじめて言葉を交わした時に、秋成よりも、「金砂」とか「をだえごと」という国学的著作が面白いとおっしゃっていて、私も同じ気持ちだったので、嬉しかったという記憶がある。もう40年以上も前の話か。その後、ご著書の書評をさせていただいたり、シンポジウムにお招きしたり、座談会でご一緒したのは、やはり秋成の縁だった。
 しかし、当初から稲田さんは、秋成個人というよりも、時代思潮に関心があり、雨月物語を論じても、閉じられた作品として論じることはなく、時代思潮と関わらせて論じられていた。若い頃の私はそこにあまり気づいていなかった。「近世中期上方学芸史」の構想はかなりはやくからあったのであろう。
 都立大学では、高田衛先生の跡を継ぐポストにいらっしゃったので、外から見ても、秋成研究者としての稲田さんという印象があったのではないか。高田先生との雨月物語注釈の共著もある。しかし、実は学芸に関心のあった稲田さんは、都立大から二松学舎大学に移られて、「近世漢学」の研究者として活発に研究を展開される。本書もその初出は多く二松学舎でのお仕事だといえる。
 、とはいえ、秋成に言及する3本の論文は気になる。とくに第9章「上田秋成の『論語』観」は、『経典余師』を補助線に使うという、従来の秋成研究では見られない方法である。鈴木俊幸さんの研究を踏まえているようだ。それだけでなく、つねに最近の研究をしっかり踏まえる論述は、研究者としての誠実さを窺わせるものである。
 本書は重厚で、実を言えば、これからじっくり拝読するという段階である。
 おそらくは、副題にあるように、都賀庭鐘の『過目抄』や奥田拙古の読書録など、近世上方文人の読書録が稲田さんのこの研究の基盤にあるのだろう。近世中期の上方文化を、漢籍の読書という人々の営為から浮き彫りにしようという本書は、地道な文献研究に根差しながらも、さまざまな示唆に富む発言が散りばめられた魅力的な研究書であろう。取り急ぎ、刊行を祝う気持ちを表してみた次第である。
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2022年11月26日

古典文学研究は社会とどうつながるのか

いいお天気の土曜日。本当に久しぶりに西に向かう新幹線に乗った。
岡山の就実大学で講演をするためである。
研究の社会発信について、話をしてほしいというご注文だったので、「古典文学研究は社会とどうつながるのか」などという大上段に構えたタイトルで、90分弱話させていただいた。
古典文学研究は、その時代の社会と古典をつなぐ役割を果たすのだという、いつもの私の持説を話したあと、自分自身の社会連携・社会発信の経験に即して、具体的事例を話した。特にくずし字アプリ開発の話とデジタル文学地図の話を中心に。
質問を受けるため、5分ほど時間を残して終わった。司会の瓦井さんが、「質問はありませんか」というと、さっと手があがった。「古典文学研究は役に立つというお話でしたが、いままでに先生の経験した具体的例はどういうことですか」という、いきなりグサリと刺さる質問が・・・。驚いたのは、それから次から次へと質問が続き、15分くらいのやりとりがあった。すべて学生の自主的な質問である。こういう経験はあまりない。しかも、なぜか質疑応答が終わるたびに拍手が起こるという。
教員になる予定だという学生さんからの真摯な質問もあり、聴講してくれた学生さんたちが、「自分の事」としてこの話をきいてくれたのが何よりも嬉しかった。なにか私自身が希望を感じた講演会だった。
阪大OBである川崎さん、瓦井さん、そして岩田さん、近世文学研究仲間の竹内さんら、知っている方がたくさんいらっしゃったので、非常にリラックスして講演ができた。岩田さんの夫で私のゼミ生だった岡田さんにも会えてたいへん嬉しかった。就実大学のスタッフの皆さん、ありがとうございました。
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2022年11月23日

雅俗悼辞(中野三敏先生追悼文集)

 中野三敏先生を偲ぶ会編『雅俗悼辞』が先生の命日の日付で刊行された。
 九大の川平さんが編集実務をされ、美しく瀟洒な本に仕上がっていた。昨日朝届き、仕事の行き帰りの電車と、ちょっと顰蹙だが歩きながら全部読んだ。やめられなくなってしまったのだ。
 コロナで一度延期になった「偲ぶ会」が、一周忌の際に福岡で行われることになったのだが、そのころ第三波がはじまったころで、予定の方が多く参加を見合わせた。しかし、あらかじめ振り込んだ参加費はお返ししなくてよいという方がたくさんいて、結果、余剰金がかなり出ることになった。そこで追悼文集を出すことになったという。
 先生の傘寿を記念して「雅俗小径』という記念文集を、やはり川平さんを中心に作っていたが、追悼文集はまた違う。先生をうしなった人たちの悲しみと先生への感謝とがぐっと迫ってくる。40人以上の方(ほとんどの方を存じ上げているが)が、思い出とともに、それぞれの心の中の中野先生を描いている。そして、ご長男の学而さんが、最後を締めているが、その文章がこの上なく美しく胸を打つ。
 そのひとつひとつに、コメントしたい衝動にかられる。とりわけ、同世代とそれに近い世代の文章は、忘れていたことを思い出させるとともに、彼らの中野先生への想いが分かりすぎで分かりすぎで。
 いまさらながら、わたしたちは幸せだったなあと振り返ることしきりであった。そんなに先生としょっちゅう話を交わしていたわけではないけれど、あのころの院生たちは、国生雅子さん(近代文学、福岡大学名誉教授)がいうように、中野先生を中心に居こごちのいい雰囲気の中で過ごしていたのである。
 本書は、偲ぶ会の参加者(参加費を払った方をふくむ)と、「雅俗」同人に配布されたはずである。
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2022年11月21日

久保木秀夫さんのレクチャーを聴く

 非常勤の出講日の今日、たまたまではあるが、久保木秀夫さんが、その大学に講演に招かれていた。院生たちが呼びたい研究者を呼ぶイベントらしい。私の授業に出席している学生さんが、「先生もいらっしゃいますか?」とかねてから誘ってくれていたので、「(ラッキー!)もちろん」と、楽しみにしていた。 折りしも、今日は名物クリスマスツリーのイルミネーションの準備も完璧のようである。授業が終わって、さっそく講演会場に移動。控室に久保木さんはいなくて、すでに書画カメラのところで、数十の古典籍を積んで、準備をされていた。
 「これ、全部持って来られたのですか?」「ええ、あの海外旅行用のキャリーバッグに」「(ひょえかー!)全部、ご自分のですよね?」「ええ」。
 講演は「古い書物の面白さー國文学研究と書誌学ー」と題して、久保木さん自身の研究経験(学生時代・国文研時代、鶴見時代)をほぼ時系列に辿って、現在の集書に至るまでの、気づきや、集書テーマの形成をお話しいただいたあと、具体的にどのように古典籍を扱っていくか、興味深い具体例をいくつも示された。小学生向け和本レクチャーでは、小学生が有名古典の原本よりも、明治ごろの雑本に興味津々だったという経験を話された。たしかに、明治の和本にはモノとしての面白さが満載だ。和漢洋が融合した試み、英語教科書の和本や、新約聖書の和本などの実物を紹介された。左綴じの和本や、鳥羽絵の絵本とその板木のなど。小学生ならずとも面白い。
 しかし、やはり真骨頂は古写本・古筆切の話だ。若い頃から、のコツコツと集めた古筆切の写真は何万点。その知見があってはじめて、とてつもない原物を入手するチャンスをものにできるという話の実例をいくつか。入手方法もさることながら、わずか一葉の紙と記載内容から、これだけの情報が引き出されるという超スリリングな展開。むかし、中野三敏先生から伺った、「本の方からしかるべき人のところにやってくる」の話を思い出した。
 超レア本を含む、古典籍を、全て学生に開放、学生さんは、大喜びで、本を触っていた。
 とても、いいレクチャーを受けた。教室に出ると、とっぷりと暮れていて、クリスマスツリーのイルミネーションが無数の光を放っていた。
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2022年11月18日

蝶夢全集続

田中道雄・田坂英俊・玉城司・中森康之・伊藤善隆編『蝶夢全集続』が届いた。正編から九年、待望の900頁超。書簡編が圧巻である。そして、田中先生の「列島にくまなく蕉風俳諧を」と題した解説。要熟読。しかし、今はこの本を手にした昂揚感を記すにとどめたい。書簡編を摘読すると、文芸への熱い思いが伝わってくる。これが田中先生の熱い文学観と重なって見えるのは私だけだろうか。帯にも記された、光格天皇が新しい御所の壁に掛けた座右の銘のことを記す書簡。蝶夢は、情報の切り取り方も一流だ。この書簡編は、安永から寛政にかけての上方文壇を研究するものには必読であろう。
そして、蝶夢の文芸への確かな信頼を説く田中先生の解説には、時々目が釘付けになるような記述がある。
蝶夢が、火災にあった知人に「風雅(文学)は、かかる時の役に立申候ものにて候」と書き送ったことをとりあげて、「蝶夢の〈文芸は人を苦しみから救う力を持つ」との認識は、甚だ深く、また新しく、近代的とさえ言えよう」と。
本書については、あらためて書きたい。まずは、ご上梓への祝意を表したく、かくのごとく候。
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2022年11月13日

賀茂社家古典籍セミナー参加記

 11月12日(土)は、国文研共同研究が主催する「第1回賀茂社家古典籍セミナー」に参加した。京都である。まもなく告知する2月の国際シンポジウム(私も運営に関わっている)の会場で行われるので下見の意味もある。会場となる箱は立派なもので、安心した。アクセスと周囲の様子も検証したが、周囲に飲食店があまりないようである。もすこし調査を続けよう。
 セミナーは3本立てで、宇野日出生さんの基調講演「上賀茂神社と社家のふしぎ」、小林一彦さん(共同研究代表)の「鴨長明『方丈記』の性格」、家人である盛田帝子の「賀茂季鷹と王朝文化復興」である。いろいろ学びがあった。
 ここでは小林さんのご講演について。方丈記の流布本系の本文の性格を考えるという問題意識だが、実に興味深いのは、本文の性格を考える際に、後代、それも江戸時代の天明飢饉・沖縄戦・阪神大震災での証言などの画像資料や証言資料を使うという斬新な方法である。まさにデータサイエンスのモデルとなる発表である。方丈記の本文には、圧死で目玉が飛び出すとか、災害で亡くなった母親の乳を子供が求めているという記述が出てくるのだが、その記述は長明が現場で見たものなのかどうなのか。災害や戦争では、多くの「死体」が現場に残される。それがどのような有様であったか、江戸時代の飢饉の記録、沖縄戦の記憶を描いた映像、阪神大震災後の被災者の証言が、驚くほど方丈記で描かれたそれと一致することを示した。これにより、長明が、現場に出向き、死体のありさまを正確に描写し、それを伝えようとしたこと、つまり長明のルポルタージュの精神が浮き彫りにされた。こういう方法で古典本文を読むことができるのかという驚きとともに、「古典に学ぶ」ことができるという実例を示されたご講演であった。
 会場には国文研館長の渡部泰明さんもいらしており、久しぶりに、しばしお話することができた。「鎌倉殿の13人」の和歌考証がどのようになされているかなどの秘話を聞けたのはラッキー。
 個人的にお世話になっている賀茂季鷹のご子孫にあたる現山本家ご当主もはるばる香川からお見えで、ご挨拶ができた。ご本人は英文学の先生だが、古典籍の継承には非常にご理解がある。会場では展示コーナーがあり、京都産業大学所蔵の競馬(くらべうま)関係資料が展示されていた。立派なものだった。
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2022年11月12日

多田南嶺と八文字屋

堅牢で100年は持ちそうな汲古書院の『八文字屋本全集』の完結から20年以上経つ。学界への貢献は計り知れない。だが、全集完結以来、「八文字屋」を冠した研究書は、寡聞にして知らない。このたび、本家の汲古書院から、ついにそれが刊行された。神谷勝広さんの『多田南嶺と八文字屋』(2022年10月)である。南嶺は、八文字屋の重要な「代作者」で、南嶺研究なしに、八文字屋研究はない。ちなみに南嶺についても、古相正美さん以来の研究書ということになるのではないか?
本書はまず南嶺・八文字屋本研究史を振り返る。これは非常に有益。今後の浮世草子研究には必読になる。そして第一章が「多田南嶺」。まずは伝記的に押さえられるところを、実証的にひとつひとつ潰していくというやり方。生年、俳諧、淡々との関係、八文字屋との関わり、尾張時代、師系、と白話小説への意識。問題点・疑問点をまず明示し、資料を提示してそれを解きほぐす姿勢は一貫している。無駄のない、そっけないとさえ思える文章は禁欲的である。南嶺浮世草子の検討でも、モデル論に力点を置く。
後半第二章は八文字屋。まずその経営、その基幹出版物である役者評判記、劇書、絵本、挿絵の様式、挿絵典拠論と続く。
そして結章が、書名と同じく「多田南嶺と八文字屋」。全体のまとめにあたる。
南嶺のことにしろ、八文字屋にしろ、なにか調べたいと思ったら、まずこの本に就くということになる。
本書には、これからの課題も散りばめられている。長谷川強先生の、浮世草子研究への思いは、確実に受け継がれ、次世代へのバトンも準備されているのである。
 本書の奥付にも明記されているように、神谷さんは2020年に同志社大学を退職された。在職中もその仕事の速さには瞠目していたが、退職後はいっそう専心されているようである。2021年12月には『近世文芸とその周縁ー江戸編ー』(若草書房)を上梓、1年もたたずに本書、さらに、「近世文芸とその周縁」の上方編も準備されているという。どれだけのペースで研究書を今後出されていくのだろうか。
 また全集が整備された作者・本屋の研究ということについても考えさせられる。八文字屋全集よりもずっと早く完結した洒落本大成を使い倒した洒落本の研究書はまだ出ていない。WEB化で、全集のあり方も今後は変わってくる。いま刊行中の全集についても研究が続々出ることで、完結へむけての機運が高まることを期待したい。
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2022年11月07日

学会記(同志社大学)

2019年秋以来となる対面(オンライン併用)での日本近世文学会が同志社大学で、11月5日、6日の両日開催された。
私も対面参加したが、参加した方が予想の2倍くらいいて驚き、とても嬉しかった。
申し込みが160名、実際に足を運んだ方も130名いたという。オンライン申し込みが120名。
今回、参加費を徴収したにもかかわらず、オンラインを含め280名が申し込み、対面参加がオンライン参加を上回ったのである。
いかに、学会員が対面の学会開催を待ち望んでいたかがわかる。
懇親会は、懇談会と名称を変え、アルコールはなし。それでも100名が参加し、いつもと変わらず楽しそうな歓談の輪がいくつも見られた。
私も多くの人を話しが出来、旧交を温めることができて幸せだった。対面だからこそ痛感するみなさんの研究への熱意、対面だからこそ得られる貴重な情報、対面だからこそ痛感する自分の怠惰・無知。そしてがんばらないとな、と言い聞かせるのは、院生時代と少しも変わらない(←成長がない!笑)

初日のシンポジウムは、演劇を起点とする越境・交流というテーマで、5人のパネリスト、2人のディスカッサントが登壇。
それぞれの研究を通して、越境・交流の事例報告をおこなった。「越境」「交流」という言葉が多義的なため、全体としては拡散的な議論になったが、そこがむしろ面白かったとも言える。個別の発表には学ぶところが非常にたくさんあったし、久しぶりの対面議論ならではの「空気」(としかいいようのない雰囲気)を実感できた。そして、乱反射する議論を見事に捌いた日置貴之さんの手腕、すばらしい。

日曜日の発表7本は、新人・中堅・ベテランとバランスのよい布陣で、質疑応答の時間をしっかりとっていたため、それぞれの発表の意図や意味が、議論をきいてより深く理解できた。この質疑応答にも、対面のよさが表れていたと思う。同時期に開催のタイミングとなった源氏物語展示もよかった。すぐ近くの冷泉家が秋の特別展観で開いていたので、そちらに出かけた人もいたようだ。

それにしても、今回、ハイブリッドという困難な開催方法に途中で変更されたにもかかわらず、短期間で準備された開催校同志社大学の山田さん、大山さん、事務局の池澤さん、日置さんをはじめ、大会実行組織のみなさん、同志社大学の学生さんに、心から感謝したい。

学会終了後は、かねて予定されていた昨年12月に行われた雅俗シンポジウムの打ち上げを京都らしい某所で。めちゃくちゃ楽しかったです。
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2022年11月03日

教養としての日本古典文学史

村尾誠一氏『教養としての日本古典文学史』(笠間書院、2022年11月)。
村尾氏は東京外国語大学で長い間教鞭をとられていて、留学生と日本人学生の合同授業の経験を元に、この本が書かれたという。
そのようなわけで、教科書的な性格が強いとはいえ、ひとりで古典文学史を書くというのは、大変なことである。
しかし、文学史というのは、理想としては一人で書くべきである。それを実践しているのは、並大抵のことではない。
特徴としては、世紀別編成になっていること。岩波講座日本文学史と同じ方法である。これも国際的な教科書ということを意識されているからだろう。
不思議な縁で、本書を手にする事ができたことに感謝している。
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2022年10月31日

百人一首の現在

 『百人一首の現在』(青簡舎、2022年10月)を、執筆者複数の方の連名でご恵投いただいた。本ブログでも既報した通り、近年、田渕句美子氏の立論により、『百人一首』は藤原定家の撰ではない、ことが確実になりつつあり、それを踏まえて、『百人一首』と『百人秀歌』と、その両者の関係、撰者、本文、伝本、注釈、研究史を見直し、新たな展開へと導こうする重厚な一冊が本書である。中川博夫・田渕句美子・渡邉裕美子三氏の編。執筆者は編者の他に久保田淳・小川剛生・田口暢之・久保木秀夫・木村孝太・川上一・加藤弓枝・吉海直人・渡辺泰明・山本皓葵・平藤幸・齋藤瑠花・小林賢太(敬称略)。
 田渕氏「『百人秀歌』とは何か」は、既発表の二論文(前論文)に続いて、『明月記』の文暦二年五月二十七日の記事が「百人秀歌」の成立を述べる記事であることを改めて指摘、この記事を「百人一首」のことだとする樋口芳麻呂氏の推測(「百人秀歌」から短期間のうちに歌の出し入れをした結果が「百人一首」であるという説)を「アクロバティックな仮定が先行しており、残念ながら殆どあり得ないであろう」と断じる。田渕氏は「明月記」にみる定家の冷静な状況把握や『新勅撰集』の詞書の分析などから、定家は慎重に物事を進めたとする(樋口説のような感情的とも思われる性急なふるまいはしないということだろう)。田渕氏の前論文は「百人秀歌」は献呈する相手宇都宮蓮生に着目し、献呈相手を意識して編纂されたゆえに、後鳥羽院・順徳院の歌が載せられないのは当然だとした。今回は「百人秀歌」の諸問題についてご自身の見解を述べながら、他の秀歌撰においても献呈先・目的を配慮して選んでいることを確認している。
 本書の執筆者はほとんどこの田渕説を認めているようである。樋口説を蒸し返すのではなく、新たな論拠による有力な反論があれば一層この百人一首成立論は盛り上がるだろうが、いったんこの説が定説として落ち着きそうな状況のようである。知らんけど。
 これまで『百人一首』と『百人秀歌』の撰者についてどういう研究がなされてきたかを知るには、田口暢之氏「『百人一首』と『百人秀歌』の研究史」がある。前近代の説の紹介、論拠となってきた資料の整理、主要な説の要約と親切な記述。伝本と本文については久保木秀夫氏「『百人一首』『百人秀歌』の伝本と本文」が、「『(百人)一首』については」伝本・本文研究が「実はほとんど為されてこなかった」という衝撃的?な冒頭部からはじまり、「通行の本文」と言われるものが何を以て「通行」とするのかもわからないという状況を明らかにし、版本や小倉色紙にも言及する。これからどう調査すべきかを示す「『百人一首』要調査伝本一覧抄」は、格好の指標であり、伝本研究の出発地である。
 とても全部の論考に触れられないし、コメントする能力もないが、私の守備範囲の立場から言うと、やはり加藤弓枝「絵入百人一首の出版ー女子用往来物を中心に」は逸することができない。先行研究をしっかり踏まえていただいていることを含め、版本絵入百人一首について何か調べる必要があれば、まずはこの論文に帰ればよいという安心の場所ができた。書籍目録では「歌書」扱いの絵入百人一首というのも重要な指摘。私も調査に参加したホノルル美術館レインコレクションには、すごい数の絵入百人一首があって、調査を指揮した中野三敏先生が、それだけで一つの分類を作ったくらいである。本の外見から言えば、これらはまあ紛れもなく女子用往来だろうと思われる。江戸時代の女子に最も読まれたテキストは『百人一首』に違いない。加藤氏が提言するように、江戸時代の女子の学びを明らかにするには、まずは合本型を含めて、この女子用往来としての百人一首の全貌を押さえなければならないだろう。
 巻末中川博夫氏の「『百人秀歌』を読む」は圧巻。単なる注釈ではなく、定家の選歌の背景を丁寧に説明している点が秀抜である。数ある『百人一首』注釈と、一線を画す注釈、つまり選者定家を前面に押し出した注釈と言えるのだろう。
 ちなみに「百人一首の現在」ではなく「百人一首研究の現在」ではないのか?という声があるかもしれないが、いえいえ、漫画や国語教科書にもちゃんと触れていて、百人一首研究をふくむ百人一首の現在、なのである。
 まったくのど素人が、えらそうに評してしまいました。ごめんなさい。
 
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2022年10月14日

京都国立博物館「茶の湯」展

 京都国立博物館で開催されている「京に生きる文化 茶の湯」展。まあまあじっくりみてきました。「茶の湯」ー私にはちょっと遠い世界ではありますが、江戸時代の文学・文化を研究するものには、スルーできない文化です。この展示は、茶碗など茶に関わる陶器・磁器、茶掛けになる書画、茶事が描かれている絵巻が、テーマに即して自由なセンスで展示されている。非常にいい展示でした。
 国宝の曜変天目は23日までの展示。人が少なくてじっくり拝見できた。古い茶器の味わい、輝きを実感できる展示ではあった。また、茶器の素晴らしさもさることながら、片隅に描かれた茶事を見過ごすことなく展示された絵巻や屏風の数々、これはよかった。意表をつかれた感じ。茶の歴史と美術史と文化史の融合みたいな。それにしても国宝・重文だらけの見応え十分の展示、さりげなく言経卿記の自筆本。自分的にはおお〜っと。そして、今なら全然混んでいません。お勧めです。そして今回の目玉のひとつは、多分待庵の復元でしょうか。ビデオ展示でもこれやってました。復元にあたって非常に細かく配慮されていました。お金もかかっているぽい。意外にもこの復元茶室も人だかりはなし。もうひとつ秀吉の黄金茶室は1994年に復元されたものらしいですが、これはどこかで、多分山口県立美術館で見たことがありました。
 そして、私的には光格天皇下賜の「旅用茶道具」一式ですかねえ。尼寺の宝鏡寺に下賜されたもの。光格天皇の皇女が門跡として入っているのでその時のものかもということです。

 
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2022年10月11日

古今和歌集

備忘録。こんな感想文を晒すのも恥ずかしくないほど馬齢を重ねております。角川文庫で『古今和歌集』通読。いま週3回ほどお仕事があるので、電車に乗ることが多くなった。そこでお供に古典中の古典である『古今和歌集』を持ち歩いていた。少し必要もあって。で、思うところあって巻7から読み始め、巻20まで読んで巻頭に戻り、巻1から6の四季の和歌を読んだ。以下はほんとうに一読者の感想。学術的な根拠はまったくない。
季節の歌が読みやすい。すっと情景も心情もはいってくる。しかし巻7以降は結構技巧的で、考えながら読まねばならない歌がしばしば。それにしても恋の5巻というのは多い。春夏秋冬で6巻なので、ほぼそれに匹敵するわけだ。上田秋成が倫理的観点から「多すぎる」と非難したが、私も正直いささか食傷気味。いや恋の只中にある人だったら、共感の連続なのかも。そして、そこが『古今和歌集』なのだろうな。しかし、なぜ食傷気味かというと、恋するつらさみたいなものを理屈(むずかしい比喩)で歌ったのが多いからかな。夏の素材というかコンテンツはほぼホトトギスだけ。秋はバラエティに富むけれど、松虫はあっても鈴虫の歌はなかったような。きりぎりすはあるんだけど。これは個人的に重要なこと。全体に古今集は、そもそも題号がそうなのだが、時間の流れを感じさせる。あるいは、昔をしのぶとか。その一方で、旅情のようなものが少ない。あくまで個人の感想です。
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