2026年02月26日

中嶋隆『小説史の十七世紀論』

 中嶋隆さんの『小説史の十七世紀論』(ひつじ書房、2025年11月)。いただいて大分たってしまったが、数少ない「文学史」へのチャレンジ本として、私にとっては昨年度の一、二を争う重要本であり、必ず書きますと中嶋さんにもお約束していたのだが、こんなに延びてしまって申し訳ない次第である。
序章の初出は読んでいるし、感想をブログにも書いているが、単行本の序章として、あらためて読み直して、様々な刺激を受けた。
 「文学史」に関心があっても、実際に書くというのは大変である。複数で書いた「〇〇文学史」は、実は「文学史」ではないと思う。岩波講座の「日本文学史」はひとつの指標となっているだろうし、ある程度編者の「文学史観」が出ているとはいえ、中嶋さんのいう「文学史」とは違う。「文学史」は「個性」的でなければならないし、それは、従来にない史観を打ち出すということである。私はこれに共感する。私自身が構想した(だけにすぎないが)「仮名読物史」というのも一応そのつもりなので、共感するのである。「文学史」は「通史」である必要はない。史観に基づく叙述をしたものであれば「文学史」であろう。
中嶋さんは、「発展的文学史観に替わるパラダイムは何か、を追究する」のが目的であるという。
「出版メディアの成立した近世を「近代初期」と位置づけ、最終的には近代初期(近世)文学の様式が、天皇制がパラダイムとなった「近代中期(明治三十年代〜大正)に、ヨーロッパ文学の影響を受けつつ再生・展開される過程でいかに変調したのか、そういう視座から文学史を書きたい」という。
文学史を「個性」的にするためには、「作品を成立させた諸要因を多元化し、複数の通時軸から作品を位置づける必要がある。通時軸の多様な設定が、文学史の「個性」となる」。そして「通時軸をめぐる対話・論争によって、「今」が反映された文学史パラダイムが形成される。そうして初めて文学史の「個性」が、「今」という時代性に昇華するのだ」と。
 そこから、ひとつの事例として中野三敏先生の「西鶴戯作者説」の批判を行う。中嶋さんは次のように言う。「西鶴戯作者説」を唱えるなら「中野氏自身の通時軸を明示すべきだ」ったが、当初それは示されていなかった。ただ「西鶴戯作者説再考」(2014年)では、「現実の全肯定」「表現第一主義」「教訓と滑稽を第一義」という三点の通時軸が示され、それは評価できるが、この三点は作品解釈を通じた「読み方」であり通時軸としては妥当性を欠くという。「戯作」全般のなかに西鶴は位置づけられるからだというのであれば、文学史の問題としてそう主張し、論を展開すべきであると。
 ここで私見を入れるなら、中野先生は「そう主張」していたのではないか?たしかに中嶋さんのいうような「文学は文化構造を反映する」という考えはあまりなかったと思うが、通時軸(評価軸というべきか)としては雅俗のバランスの推移があり、それを「ひとこぶラクダ」の比喩で説いていた。中期がもっともバランスがよい時期であると。江戸時代を人の生涯に見立て、江戸中期を壮年期とした。その見方は江戸時代で完結しているため、「中世から」と「近代へ」という観点がないとは言えよう。それは「文学史」とは言えない、という批判はよくわかるが、中嶋さん同様「発展的文学史観」へのアンチテーゼであることは確かであり、このような言い方をすれば中野先生から叱られるだろうが「反=文学史」という「文学史」なのではないか?それは、明らかに個性的である。
中嶋さんは、中野批判が、小説史の座標軸を示そうという本稿執筆の動機となったと述べるが、中嶋文学史は、中野反=文学史に対して、もう一度文学史を建てる(反=反=文学史)ということであり、全体的にみると、それらは弁証法的に推移しているのである。
  閑話休題。中嶋さんは、座標軸を考察する視座として「メディア」「文化構造」を挙げる。そして座標軸(表現様式に関わる)は「現実再現」である。「文化構造」は、「経済的、社会的構造が文化に反映するという立場にたつ」ので、歴史社会学的方法に近そうだが、唯物史観を通時軸には設定しないと強調している。とはいえ、では「文化構造」って何?と問うと、それ自体の定義が明確ではないように思う。では自明の概念なのか?私は「文化構造」は自明の概念とは言えないのではないかと思うが。
 もっとも、中嶋隆さんの主張、すなわち「中世の文化構造は、メディアによって再編されて新たな文化構造となった」というのは理解できるし、その新たな文化構造は、近代の文化構造の先駆け、つまり近代初期といえるという論理もわかる。近代的といえる「均質化された知の共有」は、版本文化抜きにはない。パロディ文化もその文化構造の再編で説明できる。〈「俳諧的」の小説〉という奇矯な表現も、また同様である。
そして「現実再現」とは、リアリズムではない。そこにはリプレゼンテーションとルビが打たれている。「現実再現」は、現実の模倣ではなく表現の模倣として展開した、そこに近代初期の日本文学の大きな特徴がある。卓抜で個性的な文学史観である。そして、このあたり、金水敏氏の「役割語」の考えとリンクしそうで面白い、と勝手に思う。
思いがけず、長文になってしまった。その割にはかなり文章が乱れているが、書評ではなく、一読者の感想としてお許しいただきたい。おこがましいが、拙著『仮名読物史の十八世紀』と書名が近いので、ちょっと喜んでいたのだが、中嶋さんのスケールはとてつもなくでかいし、考察は広く、深い。逆に書名が似ているのが恥ずかしくなってしまう。しかし、あの中嶋さんの目配り(俳諧・演劇・絵画・和歌・・・)は必然なのだった。「小説史」と名乗っているけれども、いわば「表現史」である。それができるのがまたすごい。考えてみたら、俳句も実作されるし、小説も書かれるのは、この「個性」的な文学史観と無関係ではなさそうである。あらためて敬服の意を強くしたのである。
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2026年02月15日

能楽フォーラム「歌枕から能を読む」

私たちデジタル文学地図開発チームは、能楽学会関西例会との共催で、下記のフォーラムを実施します。
参加は無料、事前申し込み不要です。2月17日(火)、大阪大学箕面キャンパスで。

■第37回 能楽フォーラム■
歌枕から能を読む
~日本のデジタル文学地図の活用と能楽研究~

能には、歌枕や地名が多数読み込まれています。本フォーラムでは、能の舞台となり、あるいは詞章に読み込まれた地名に注目し、その文学的・文化的意味を再考するツールとして「日本のデジタル文学地図」を紹介します。日本文学において長い伝統を持つ歌枕・名所は、ジャンルの境を越えて空間的な秩序を形成し、関連文献を呼び起こしながら、古来のテクストやイメージを連想させてきました。「日本のデジタル文学地図」は、歌枕・名所を地図上に表示し、その背景にある歴史的、文化的、ポエティックな意味を提供するサイトです。この地図を用いて能を再考する試みを示し、伝統芸能とデジタル人文学の架け橋として、また、地域文化の再発見や教育・観光への応用の可能性を探ります。

16:00~16:05 開会の挨拶
16:05~16:35 基調講演「メディアを越境する歌枕」
ユディット・アロカイ氏(ハイデルベルグ大学教授)
*日本語による講演。ドイツよりオンライン中継

16:35~17:05 基調報告「日本のデジタル文学地図の構想・使い方」
飯倉 洋一氏(大阪大学名誉教授)

17:15~17:35 研究報告1「能の歌枕に関する試論」
中尾 薫氏(大阪大学教授)

17:35~17:55 研究報告2「地名「生田」から読む能楽―日本のデジタル文学地図を利用した横断的読解例―」
朝原 広基氏(大阪大学大学院博士後期課程)

18:05~18:35 全体討議&質疑応答

日時: 令和8年2月17日(火) 16時00分~18時30分(開場15時30分)
会場: 大阪大学 箕面キャンパス 外国語学部 628・629 講義室
〒562-8678 大阪府箕面市船場東3丁目5-10
(北大阪急行線「箕面船場阪大前」駅下車 徒歩約 3 分)
参加費:無料 事前の申込み不要。どなたでもご参加いただけます。
問合せ先 (Mail): nohgaku@shobix.co.jp
主催:能楽学会、科研基盤研究(B)「デジタル文学地図の構築と日本古典文学研究第37回能楽フォーラムチラシ.pdf
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2026年01月11日

岡島昭浩さんの個人的言語意識史についての講演

2026年最初の更新。本年もよろしくお願いします。
昨日、1月10日は、大阪大学国語国文学会が豊中キャンパスで行われた。4歳歳下の大学の後輩であり、2022年からは大阪大学での同僚となった岡島昭浩さんの、退休記念講演があった(最終講義は別に行われる→こちら)。 
言語意識史がテーマだったが、内容は個人つまり岡島さん本人の言語意識史ということで、いわば、その前史をふくめての研究人生史のお話であり、あわせて30年ほど、「同じ釜のめしを食った」私としては、最高に面白かった。いろいろなことが思い出された。本ブログでは7回登場している。参考資料として、公にされているエクセル仕様の「履歴」も参照しつつである。
九州大学時代、私が助手のころは、岡島さんも毎日研究室に来ており、夕方6時前になると、一緒に農学部生協に食事に行った(文系食堂は昼しかやってなく、一番近いのが農学部食堂だったので)。たぶん100回以上じゃないかしら?大抵二人だったと思う。研究室にワープロを導入した時には、二人でカホ無線に行き、ブラザーのワープロ購入を決めた。やがて私のあとの助手となり、そのあと、京都府立短期大学に就職、それから福井大学に移られた。その間私は山口大学におり、九大学会の時に合うくらいだったか。
2001年に私が大阪大学に奉職したその年、山下久夫さんのお誘いがあって北陸古典研究会に参加した。前泊したのだが、ふと思いついて急に岡島さんに会うこととなった。電話すると(当時は急な連絡といえば電話以外なかった)幸い在宅されていて、福井市内をいろいろ案内してくれた。まさか次の年に大阪大学に着任されるとは夢にも思っていなかったが・・・。
しかし、大阪大学というのは、非常に忙しくて、考えてみると二人だけで食事とかはしたことがない。大体ハイキングや教室の飲み会や夏の研究室旅行でご一緒するのみだ。最初の比は後藤昭雄先生もいらして、ハイキングの時に、九大出身3人組でお弁当を食べていたりすると、近代文学の出原先生から、「また九大で固まって(笑)」などと揶揄されたこともあった。その時の1回だけだったと思うのだが(笑)。横道にそれるが、阪大文学部では一時「九大の会」というのがあって、数年ほど九大ゆかりの先生方であつまって会食するということもあった。
 岡島さんが赴任されたすぐあとに、蜂矢先生から「岡島さんを自宅に招くのであなたも一緒に来て下さい」というお誘いがあって、二人で伺ったことがある。また横道にそれるが、きのうの懇親会で蜂矢先生のスピーチで「岡島先生といえば飯倉先生と・・」と言われた時に、あーそのことだなと思ったら、カラオケで二人であみんの「待つわ」をハモったことだったので、それを思い出して吃驚した。3回くらい惜別会のあとのカラオケで披露したことがある。あと、近代文学の長野秀樹さん(九大OB)が大阪に来た時に、3人で食事した。それくらいかなあ。
 阪大では、研究室活動のほか、懐徳堂記念会の仕事で少しご一緒した。平雅行先生が転出されたあとに、当時の研究科長の和田章男先生が岡島さんを指名されて。それでよかったのが、まだ大阪美術倶楽部で大阪古典会か開かれていた時だったが、懐徳堂関係の書籍数十点がまとめて出品されていた。たまたま岡島さんがその時に来ていたので、一緒に購入を仮決めし、あとで会議に諮って記念会が購入することになった。非常に珍しいものも含まれていて、あれはいい仕事だった。
 今回の岡島さんの講演から、実は大きなヒントをいただいた。多分、6月ごろにそれが何だったかがわかると思います。とまれ、岡島さん、お疲れ様。研究人生はまだまだ続く、というか、まあ折り返し地点ですね。おたがい頑張りましょう。

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2025年12月19日

菱岡訳『椿説弓張月』の完結を祝す

菱岡憲司訳『椿説弓張月』がこの12月で5冊完結。すばらしいスピードである。最初の配本の時にもブログに書いたが、完結を祝ってまた書きます。
菱岡さんが、「毎月とどく古典文学全集」に憧れたという話を書いているが、まさに、この5冊本は、10月だったかお休みがあったが、8月に2冊配本があったので、ほぼほぼ毎月配本の感覚だった。そして毎回の解説も手を変え、品を変えで楽しみであった。まさに毎月届く古典文学だった。
最終巻の解説は、いつもより長く、菱岡さんの『椿説弓張月』論になっている。その中で、「譲りあう物語」という見立てが秀逸である。この物語の最後に、仁徳天皇兄弟の王位譲り合いを踏まえた、為朝・舜天丸の譲り合いの場面があるが、そこに馬琴は、政治の理想を見ており、それは保元物語のアンチテーゼだというのである。
 あとは悪人→善人となる演劇的趣向としての「もどり」の考察。これもしかりと思う。若い頃、学会でも発表されていたと記憶するが、『弓張月』を戯曲化した三島由起夫も言及していたのですね。このあたり面白く拝読。
菱岡さんの現代語訳と、現代語訳にもかかわらず原本の様式を可能な限り継承した造本は、実に見事であった。現代語訳の苦労ばなしとして、七五調の訳出について述べておられるが、さもありなん。しかし、これはかなりいい線を行っていたと思う。
それにしても、かつて古典文学大系で読んだ弓張月、筋を結構忘れていて、手に汗を握って読書を本当に楽しめた。極上のエンタテイメントでした。
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日本古書通信が終刊

 昭和9年に創刊された『日本古書通信』が、通巻1157号をもって、今月号で終刊した。わたしは、かつてこの雑誌をたぶん十数年にわたって購読していたが、書架のスペース問題で、購入を中止し、本好きな教え子にバックナンバーを譲ったことがある。それにも関わらず、一度だけ寄稿を依頼されたことがあり、恐縮しつつ書かせていただいた。かつての古書通信は、その後半に古書店の目録がずらりと掲載され、そこで見出して注文した本も少なくない。いまやネットオークションの時代となり、このスタイルは時代に合わなくなってしまったことが大きいだろう。それでも、読書家の雑誌として熱烈な支持者が少なくなかったに違いない。
 この雑誌に、3年間、終刊まで連載を続けた高木浩明さんのご好意で、ふたたび「古通」を毎月拝読できるようになったのは、この上なくありがたいことだった。高木さんの連載「古活字探偵事件帖」は、楽しく古活字研究の最前線を知ることの出来るすばらしいエッセイであった。単行本化が予定されているという。
 最終号も、各連載はいつものように淡々と、とはいえ「古通」への感謝がにじみ出る文章を綴っている。高木さんの「活字の流用と共用の問題を考える」は、古活字版の本質的な問題を改めて提示している。ここに引用されている鈴木広光さんの研究。鈴木さんのことは、このブログでは書いたことがないけれども、九州大学時代から少し知っていて、奈良女子大学勤務時代には、私自身が奈良女に非常勤でお世話になっていたこと、そしてもうひとつ野暮な公務で2年間ご一緒したことで、かなり親しくなっていった。奈良女の近くの蕎麦屋で昼間っから酒を飲み交わして盛り上がったこともある。鈴木さんは国語学者だが、出版史研究にも重要な業績を上げている。高木さんが引いている「嵯峨本『伊勢物語』の活字と組版」は、奈良女子大学で日本近世文学会が行われた折に、トップバッターで発表したもので、学会員に衝撃を与えた内容だった。それが活字の流用の問題。これは『日本語活字印刷史』に収められているようなので、ご興味の向きは是非お読み下さい。また高木さんが引用している森上修さんと鈴木さんとで共同研究されていたと思うが、近畿大学図書館に勤務しておられた森上さんには、一度近大のほこる貴重書室を案内していただいたことがある。近畿大にも非常勤に行っていたのである。小秋元さんとは荒木先生の研究会で名刺交換したような記憶が・・・。このように少しだけど縁のある方ばかりの名前が最終回に出てきて、なんだか嬉しかった。
 そして、この『古通』の編集に長く携わった樽見さんは、新しい個人雑誌を刊行されるらしいことを仄聞している。
 『日本古書通信』、長い間、ありがとうございました。
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2025年12月18日

和歌が生まれるとき

大山和哉さんの『和歌が生まれるときー近世歌人の方法』(勉誠社、2025年10月)。索引いれて約500頁の堂々たる論文集である。タイトルがなかなか洒落ている。どういうことなのだろうか。
 対象は「17世紀に活動した歌人と、その和歌表現」。ならば、「十七世紀」とか近世前期とか、タイトルに出てきそうだが、それがない。なぜなのだろうか?
 歌人は「天皇・公家・武将・国学者」であり、「和歌の多様なあり方を浮かび上がらせることを企図した」という。著者の志はとてつもなく大きい。「本書の目的は、人間と和歌、人間と文芸との間に発する霹靂と把捉し、人間と文学とがいかなる関係を結んできたか/結びうるかを記述することである」と。
 「おもしろくない」と言われがちの近世和歌が、大量に創られている。このことを考えると「人はなぜ和歌を詠むのか」という問いを立てずにはいられないと著者はいう。「複数の歌人を通して見出される人と和歌との連関のありようについて、その普遍的性質を明らかにする」のが目的らしい。それで、「和歌が生まれるとき」であり、書名にあえて時代を明示していないのだろう。
 たしかに、様々な歌人のさまざまな和歌への取り組みを、多面的に考察し、このとてつもない問いの回答を模索した論文集であるようだ。こうした苦闘の試みを読ませていただくと、あらためて、「(人間にとって)(日本人にとって)(江戸人にとって)和歌とはなにか」という問いに回帰させられる。
 大きな問題意識を抱えた論文集は、読者にも大きな問いをもたらすらしい。
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2025年12月15日

第1回蘆庵文庫セミナー

国文学研究資料館共同研究「京都女子大学蘆庵文庫の研究」(代表者:大谷俊太)が今年度からはじまっている。
蘆庵文庫とは、近世中期の歌人小沢蘆庵が、門人である新日吉社(現在は新日吉神宮)神官で非蔵人の藤島宗順(むねのぶ)のところに持ち込んだ典籍を中心として、社家新日吉神宮の蔵書と宗順をはじめとする歴代宮司の蔵書とが混成されて成立したとされる典籍・文書の資料群である。ながらく新日吉神宮で管理されてきたが、近年京都女子大学に入った。
その蔵書から、蘆庵の蔵書、地下和歌、非蔵人の実態、さらには妙法院宮文化圏の一端など、さまざまなことが見えてくる。蘆庵文庫の研究は、近世中期京都の文化・社会研究に大いに資するものとなるはずである。
その成果は、社会に還元しなければならないので、公開セミナーや展示を行う。
昨日は、そのはじめての成果発表(社会還元)、「第1回蘆庵文庫セミナー」が、京都女子大学で行われた。百人定員だったが70パーセントは埋まっていたのではないだろうか。盛況といえる参集状況だった。研究者の方それも遠方からわざわざ足を運んだ方も少なからずで、本共同研究が注目されているようで、ありがたかった。
講演が3本、1本めが加藤弓枝さんの「小沢蘆庵の人となり−−書簡資料にみる「例の癇癪」」。蘆庵の人となりは、当代の様々な人々の随筆に記されている。いわば外から見た蘆庵(イメージ)をまず挙げ、ついで、蘆庵自身の書簡を紹介して蘆庵自身の内声から、蘆庵のひととなりを引き出そうというものである。非常に繊細だが、まじめで、融通がきかず、失礼な門人に対して癇癪をおこし、時には破門にいたる。しかしそうしておきながら、くよくよと気を遣うという、今でも「いるいる」という人物像が見事に浮かび上がってくる。ここからは私の感想だが、似たような性格なのが上田秋成。今回は秋成の蘆庵観はあえて挙げられなかったが、秋成の知友のひとりで、秋成を最も理解してくれた人物だろうと思う。秋成と蘆庵の交流については拙著『上田秋成―絆としての文芸』(大阪大学出版会、2012)で触れています。ご参照を。
2本めは山本和明さんの「天明大火と蘆庵」。蘆庵は天明八年の大火に遭遇した。その時に、蘆庵はその蔵書をどうやって守ろうとしたのか、が今回の蘆庵文庫研究にとって大きなポイントになる。山本さんは阪神大震災を経験しており、その経験と重ねて、蘆庵の罹災とその後の行動について語るところがあり、「経験した者でないとわからない」視点からの言及もあり、説得力に富んだ講演となった。内裏焼亡を詠んだという「けさ見ればやけ野の原となりにけりこゝやきのふの玉しきの庭」の和歌は、今の我々が鑑賞しても胸に迫る。山本さんは伴蒿蹊や上田秋成の文章、そして蘆庵門人の藤島宗順の日記や、記録を駆使して天明大火をめぐる人々の反応を紹介した。そして最後に、火災以後、蘆庵の蔵書がどのように移動したかを、宗順日記ほかの資料を用いて追究した。そこでは蘆庵研究の先学、蘆庵門人中野熊充の御子孫でもある中野稽雪氏の研究が大いに活用された。
3本めは私。「妙法院宮真仁法親王文化圏のなかの蘆庵」と題しての講演。妙法院宮は円山応挙・小澤蘆庵・皆川淇園をはじめとする当代きっての地下の芸文家を寵遇し、近世中期雅文壇の中心にいた人物であることは、これまでもいろんな機会にお話してきたが、今回は、宮の文化圏で蘆庵がどのような位置にあり、どのような役割を果たしていたかという点に焦点を絞って構成した。蘆庵の自筆家集には180回以上妙法院宮が登場するくらい、二人は身分と年齢差を超えて昵懇だった。宮の文化圏に関しては、私たちの科研で作成したデータベースを使いつつ、わかりやすく可視化しようとしたが、これはまだまだだった。AIに作ってもらうといいのかもしれない。
質疑応答は、加藤さんに集中していた。いずれも研究者からのもの。

さて、セミナーでも紹介があったが、来年4月、和歌文学会関西例会に合わせて、蘆庵没後225年記念展示「こころをことばにー和歌の達人小沢蘆庵とその時代」が行われる。これは単なる善本の展覧ではない。昭和25年に新日吉神宮で行われた没後150年記念の蘆庵文庫遺墨展を「再現する」という、代表者大谷俊太さんのこだわりで、場所も同じ新日吉神宮、展示品も可能なかりぎ、75年前と同じものを出品するのである。展示はわずか3日のみ。
4月17日(金)〜19日(日) 10:00〜16:00 新日吉神宮 社務所
4月18日(土)は和歌文学会関西例会
4月19日(日)は第2回蘆庵文庫セミナー。登壇は大谷俊太・大山和哉・久保田啓一の3氏。
皆様、来年のスケジュール帳にしっかり書いておいて下さ〜い。
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2025年11月20日

電車読書で『百年の孤独』

 電車読書で『百年の孤独』を読了した。文庫本が出て半年ぐらいで購入(12刷)し、すぐ読み始めたが、100数頁で挫折していた。それで9ヶ月くらい放置していた。ところが最近ふとしたことで、また読み始めたら、読み始めと違って、めっちゃ波長が合い始め、面白くなってどんどん進み、ついに読了。なかなかの満足感である。研究とかは読んでいないし、全くの趣味なので、いいかげんな感想に終始します。
 まず、その筆力が圧巻でした。この物語自体、虚実ないまぜのメチャクチャな展開で、筋を紹介することはやめときます(紹介する能力もない)が、部分的にはすごく粘着質でリアルな文章が出てきます。ありえないことなのにリアルです。そして、登場人物の会話で筋が運ばれるということがほぼなく、そういうのはわずかで、なにか巨大な力が、物語全体を押し出していくような、圧倒的な量感があります。どんどん話が展開する。前触れもなく人が死ぬ。その展開の速さにもかかわらず、ひとつの人物の行為を徹底的に全面的にしつこく描く。そのバランスが違和感ないところ、すごい。訳者の才能もあるかなあ。
 安部公房や大江健三郎が影響を受けたというけれど、そういえば、安部公房の超現実主義的な小説を思い出すような文章である。
 登場人物たちは、簡単に言うと異常な人物だらけですが、それでもリアルで、少し想像力を働かせると、映画化・ドラマ化もできるだろうなと。事実、ドラマ化されているらしい。見たいとは思わないが。
 ある一家の百年の物語(あるいは歴史)である。なにが孤独なのか? それを言うのは簡単なような難しいような。まあ、最後は一人だからっていうのがわかりやすいけど。同じ名前が繰り返し名付けられる家系なので、読むときにこんがらがるが、それも途中までで、ある程度進むと、感覚的に理解できてきた。全体として、いったいこの家は建築学的にどういう構造になっているのか?ってのがさっぱりわからないのだが、それでも構わない。金策や食糧調達がめちゃくちゃ大変そうなのに、なんとかなっているとか、そのメチャクチャさ加減が、魔術のように絡み合って、唯一無二の世界をつくっている。〈魔術的リアリズム〉と言われているらしいが、それ!言い得て妙ですな。
 個人的には、最初から登場して、長い間この家を実質支配してきた、ウルスラ・イグアランが好きだ。150歳くらいまで生きるんだが。
 まあ、読んでいない人には何を言っているかわからないだろうけど、読んだ人からも「ちょっとなにいっているかわかんない」と言われかねない感想でした、我ながら。書いておきたかったのです。
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2025年11月04日

敍説。花田俊典の研究と方法

SNSに書いたこととほぼ同じ内容です。
九州を中心とする近代文学研究者たちの研究同人誌『敍説』。20年前、50代で早逝した九州大学教授の花田俊典さんが創刊したものである。今号はW−3ということだが、さて通巻何号になるのか?40年くらいは続いているはずだ。畏友長野秀樹さん(近代文学専攻)が送ってくれた。福岡の地理に詳しい人ならわかるだろうけど、院生時代、私と長野さんは和白のとある下宿に二人で住んでいて(大きな家の2階に4部屋あって、2部屋ずつ借りていた。キッチンとトイレは二人でシェア、お風呂は1階の大家さんのを使わせてもらっていた。二部屋使えたが破格に安かった)、花田さんは福岡女子大に勤めておられたころ、車で津屋崎の自宅から通勤。女子大からの帰宅途中に、よく我々の下宿に寄ってくださっていた。学部4年くらいから院生時代まで、花田さんの影響を強く受けた。近世文学のことは師に学んだが、古本屋のこと、雑誌作りのこと、その他人生のさまざまなことを花田さんから学び、文字通り兄のように慕っていた。私が山口に赴任してからは、それほど話す機会はなくなったが、私は近代文学の院生と親しかったので、消息は聞こえてきていた。そのうち山口大学の同僚となった石川巧さん(近代文学)も花田さんに可愛がられるようになり、とうとう九大に赴任したくらいである(その後、出身大の立教へ)。石川さんが花田さんの雑誌へのこだわりについて論じていたのは興味深かった。しかし、花田さんは、信じられないことに、まだ50代の若さで亡くなった。
福岡大学で行われた、「花田俊典の研究と方法」のシンポジウムの文字起こしは、だから非常に興味深く読んで、いろいろな感想が湧いてきだ。阪大の斎藤理生さんも花田さんの太宰治の見方について、正面から質問をしている。きっと花田さんが生きていたら、喜んだであろう質問だし、議論になっただろうなと思ったり。そして、最後のあたりに、長野さんが「中野(三敏)先生の一番の弟子は、実は花田さんではなかったかと中古文学の今西祐一郎先生がおっしゃっていたように思います」と発言しているが、これはある意味、その通りで、とくに「研究は自分の買った本だけでやる」というポリシーが共通していると思う。中野先生は和本の蔵書だけで四万冊(洋装本を入れればもちろん軽く六万を超えたか)、花田さんは五万冊ほどだったらしい。中野先生は自分から科研に申請することもなかったように思う。多分花田さんも自分の研究に関して科研を申請したことはなかったのではないか(間違っていたらすみません)。徹底的に細部にこだわりつつ、大きな構想をお持ちであったところも。
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2025年10月27日

学会記(龍谷大学)

0月25日・26日は龍谷大学で日本近世文学会が行われた。
今回は、11人の研究発表。久しぶりに10人越えに加えて勧化本シンポジウムとあって、満腹感。
かくいう私も18年ぶりに研究発表した。4回目である。
初日の25日は6本の発表。質疑応答も活発であった。思うに質疑応答は以前5分で、消化不良の感が否めなかったが、10分にすることによって3、4人の方が質問に立つケースが多くなり(5分だと遠慮してしまうが、10分ならそれがあまりなくなるだろう)、発表者にとっても非常に勉強になるようになったと思う。印象に残ったのは、西村天囚の書いた戯作についてのイ・デンさんの発表。質問もいろんな立場から出ていて、「近代文学」っぽくないこの作品の由来について、様々考えられる面白い報告だった。そのあとの発表者の山本さんが、壇上から「飯倉さんはなぜ質問しなかったのだろう?」と言われたので驚いたが・・・。私が思い浮かべたのは馬琴の『質屋庫』の先蹤ともいうべき、質物が自分を質入れした主人の身の上話を次々に語るという話を含んでいる『当世不問語』である。もっとも天囚が読んだ可能性は低く、系譜的な位置づけにすぎないので、質問にはいたらなかった。西村天囚は、最近懐徳堂研究会が、種子島に調査に行き新資料を調査しているということもあるので、非常に私にとっても興味深い発表だった。イ・デンさんとは懇親会で十分話せた。彼女はコロンビア大学の院生(現在は早稲田の池澤さんの元で勉強中)なので、9月にコロンビア大学にお邪魔したばかりの私としてはその点でもお話が出来てよかった。私の教え子である仲さんは『懐硯』の「竹の子殺人事件」を扱ったが、仲さんらしいきめ細かい調査に基づくものであった。仲さんには、これまでの蓄積に一区切りをつけて、さらにひとつ上のステージに進んでほしい。
ベテランの田中則雄さん、山本秀樹さんの発表は流石というべき内容。田中さんの緻密な分析は以前京都近世小説研究会で伺ったものであり、そのとき非常に感心したものだが、今回は大高洋司さんとの質疑応答もあり、聞き応えがあった。読本の本質的議論が発展することを願わずにいられない。山本秀樹さんは近年、史料を詳細に分析する研究が多く、その粘り強さには驚かされる。
 同日の懇親会では、近世文学会の懇親会ではめずらしく、時間がかなり経っても「料理がたくさん残っている」というくらい、大量に用意されていて、みんなが「安心して」ゆっくりと食事できた。途中で廣瀬千紗子さんが挨拶をされ、初日の発表の講評を非常に丁寧にされていたのは異例なことだったが、あとでうかがうと、「挨拶は講評でもいいので」と言われたらしく、それは「講評をしてください」と同義に近いのでそうなったようであった。初日発表者には何よりのプレセントだっただろう。
 2日めのトップバッターの中山さんは、九大の後輩だが、しっかりと、堅実に発表と質疑応答をこなしていて感心した。その指導教員である、川平さんは漢文随筆の面白さを事例報告、これも安定の堅実さであった。
 午後イチの私の発表は、メトロポリタン美術館所蔵の合作富士山図という、妙法院宮真仁法親王および円山応挙・呉春画、六如・伴蒿蹊・上田秋成・小沢蘆庵・本居宣長ら15人が着賛した素晴らしい一軸についてである。ちなみに異例なことに、司会者が私の近況紹介のようなことを話しはじめたので、「はずかしいからやめて〜」と心の中で叫んでいたのだが、どうも和歌文学会ではこのような司会の仕方をするらしいと他の方からうかがって、そうなのかと思ったが、とまれ、恥ずかしかった。さて、この作品にご縁をいただいたのは本当に幸運であった(そのご縁を作って下さった皆様に感謝したい)。そして発表は、要旨を一部修正するわ、発表資料提出後の調査でわかったことを付け加えるわで、未完成感が濃く、かつ、間違いが多い、突っ込みどころ満載の発表であった・・・。にも関わらず、受け入れてくださった学会の寛容さに感謝したい。質問は4人からいただいた。就中長島弘明さんは、前日の懇親会で私に教えて下さった本資料の由来をフロアに共有してくださってありがたかった。また発表後は、和歌の読み、漢詩の読み、適切な読み下し、落款の読み、画賛についてのご意見などなど、非常に多くの人からご教示をいただいたし、感想(おおむね面白かったと言ってもらえた。もちろん素材がいいからであるが)もたくさんいただいた。学会発表をして本当によかったと思った。
 トリの永井先生の発表は、膨大な資料を駆使して、我々の知らない世界を教えて下さるもので、感銘を受けた。
 シンポジウムは、近世学会としては珍しく、勧化本という一つのジャンルに特化した議論となった。勧化本研究の進化、その最前線、そして他ジャンルとの関係など、私のように「奇談」を研究しているものにとっては、非常に参考になる話が多かった。
今回の大会運営に尽力された、開催校龍谷大学とりわけ、個人的なことで大変お世話になった和田さん、寺田さん、岩間さんをはじめとするスタッフの皆様、そして学会事務局の皆様に心より深謝申し上げます。
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2025年10月15日

国語と国文学11月号ー風土ー

 もう巷ではお歳暮とか年賀状とかおせちとかの案内が。『国語と国文学』も11月号である。授業後、非常勤先の図書館で読む。特集「風土」。なんとも古めかしいことばが逆に新鮮かも。古代文学から近代文学、そして国語学まで、11本の論文。歌枕マッピングウェブサイトを運営するプロジェクト「デジタル文学地図」に関わる者としては、見逃せないいくつかの論文があった。
 また「歌枕」をタイトルに謳うものも複数あって。なかでも、真島望さんの「歌枕から名所へー高野幽山編『和歌名所追考』をめぐってー」は勉強になった。文学に現れる歌枕・名所のおおまかな流れとして、「イメージから実見へ」、「和歌と関わらない名所の登場」、「名所の増加と多様化」などが漠然と浮かぶのであるが、本論文は、近世前期に編纂された高野幽山編『和歌名所追考』を用いて、和歌・などころ(証歌の集積あり)から名所(証歌の集積なし)へという見通しを示している。
 証歌のある「歌枕」を大幅に増やした『歌枕名寄』に対して、証歌のない『和歌名所追考』という点が私としてはポイントである。先行文献は俳諧研究者の側からいくつかある。幽山は、三千風と同様に、全国を行脚・踏破した人物。二十数年かけての名所探訪の成果として表したのが『誹枕』と『和歌名所追加考』だった。『和歌名所追考』は165巻28冊(欠冊あり)という大部なものである。ただ版本をふくめ、諸本についての言及があまりないので(先行研究にはあるのだろうが)、この本そのものについては、ちょっとわかりにくい部分もある。
 西鶴の『一目玉鉾』との関わり、あたらに加わった名所として古戦場など実見に基づくものがあり奥の細道に先行する名所観であることなど、重要な指摘があり、近世地誌に通じるところがあることを述べる。歌書の体裁を持ちながら近世地誌的であるところである。
 なお、上杉和央氏が『摂陽郡談』をもちいて抽出した名所観として、「歌名所」と「俗名所(過去)」と「俗名所(現在)」という分類意識を見出していることに言及されているが、これも大変興味深いものである。
 ちなみに同号には、加藤弓枝さんの「頼春水・小沢蘆庵書簡にみる近世中期上方歌壇の風土」という論考もあるが、こちらは蘆庵文庫研究会仲間の論文なので、いうまでもなく必読。最後らあたりに出てくる大坂と京都の風土の違い、大事よね。蘆庵もある意味大坂人なので。これを私も大坂から京都に移った秋成に感じて「浪花人秋成」という論考を書いたのであった。
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2025年09月30日

儒医の文芸

 福田安典さんの『儒医の文芸』(汲古書院、2025年9月)が刊行された。
「儒医の文芸」とは、福田安典さん独自の研究分野であり、他の追随を許さない独擅場であり、かつ彼のライフワークであると言ってよいだろう。
 従来の近世文学史では、儒学まではなんとか見なければならないと思われてきた。しかし、医学や本草学は・・・見ないふりをされてきたと言ってもよいだろう。それを長年、見なければならないと主張し、実際に見てきて、論文をコツコツと積み上げ、一書になしたのが本書である。
 私の研究に近いところでは、上田秋成も本居宣長も「儒医」ではないが、「医者」である。そして医学と文学は、理系と文系だからかけ離れているという現在の感覚は、江戸時代では通用しない。福田さん自身が、『「医学」書のなかの「文学」』(笠間書院)で説いたことである。
 今回の本は、儒医である香川修庵と都賀庭鐘を柱に据えているが、その前に「儒医」とはなにか、「儒医」の前に「医陰」(陰陽道との関わり)があり、「医陰」から「儒医」への流れを明らかにする。近世文学史を相対化する「儒医」の文芸史である。
 秋成と宣長の国学論争も、医学論争の影響があるという。私は40年くらいも前に秋成の宣長批判書である『安々言』を読んでいたが、中村幸彦先生が指摘するように、秋成筆の神宮文庫本の見返し付箋に、香川修庵と戸田旭山の『薬選』論争のことが書かれているのだが、なぜここに修庵が出てくるのかピンと来ていなかった。福田さんの『儒医の文芸』には、そのことが丁寧に分析されている。修庵→庭鐘→秋成の系譜は、「儒医の文芸」の視点がないと見出せない。
 都賀庭鐘も、福田さん独自の「儒医の文芸」の視点から解析され、独自像を提示していると言える。
 もとより私の感想は、本書のごく一部しかすくい取っていない。本書には本格的な書評が必要であろう。福田さんの前著は医譚賞という医学史研究の賞を受けたが、新たな「文学史研究」としての評価が求められるのである。G1qg8TybgAAplU9.jpeg
 

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2025年09月06日

トラウツ・コレクション

 Harald Meyer, Reinhard Zöllner編『トラウツ・コレクション』(2019)のご紹介をさせていただきます。
 先日、ドイツのボン大学日本学科の図書館に所蔵されている、トラウツ・コレクションの和本を見る機会を得ました。教授のマイヤー先生と、司書のランパルトさんの大変なご厚意で、充実した時間を過ごすことが出来ました。フリードリヒ・マックス・トラウツ(1877-1952)は、日本ではそれほど知られていない人かも知れませんが、彼の日本研究と、彼の残したコレクションは大変価値のあるものです。今回、私もそのことを初めて知りました。和本だけではなく、明治初期の日本・韓国・中国を知る写真や絵葉書など、すばらしいアーカイブとなっています。2019年にボン大学博物館で開かれた「トラウツ・コレクションー日本研究者フリードリヒ・M・トラウツが遺した視覚資料ー』の図録+論考にあたるのがこの本です。マイヤー先生にいただきました。
詳細な目次などは、こちらをご参照下さい。
 いくつか紹介されているコレクションの一部の画像は、きわめて興味深いものばかりですが、とりわけ20世紀初期の写真の数々、そして、1936年、トラウツが日独友好記念に沖縄の小学生から受け取った葉書は、とくに印象的です。これらのコレクションは、未亡人のヒルダ婦人のご尽力によって整理され、大部分がボン大学日本学科へと寄贈されました。
 それぞれの論考には日本語訳も付されているので、苦労なく読むことができるのですが、大変読み応えのあるものばかりです。シーボルトの『日本』の出版にも尽力したトラウツのことは、もっと知られてよいでしょう。

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2025年08月24日

藤原定家と式子内親王

 拙著を批評していただきながら、いただいたご本の感想を、このブログではまだ書いてなかったですね。天野聡一『藤原定家と式子内親王:恋物語の生成と展開』(新典社、2025年5月)。授業から生まれたという、恋物語の生成と展開の諸論である。初出をみると、2019年から2024年にかけて、立て続けに執筆された13本の論考に、書き下ろし3編を加えたものだ。2021年ころだろうか、続々とこのシリーズを発表するのを見て、「おやあ、これは新書にでもするのかな?」と思ったが、ご本人も当初はそういうスタイルを考えていたようだ。しかし、結局は新典社の研究叢書の1冊となった。
 本書では、まず第一章で「史実の二人」をとりあげる。伝承と物語の生成を叙述する前の手続きとして当然であろう。とはいえ、専門と時代の違う超有名歌人の事実関係を論じるのは、そう簡単ではなかったはずだ。この部分はしかし、一書にまとめるにはどうしても必要な手続き。書き下ろしである。分厚い研究史に臆することなく立ち向かい、まとめ上げている。
 二人の恋物語が生成したきっかけは、式子の詠んだ恋歌「生きてよも明日まで人もつらからじこの夕暮れを訪はば訪へかし」であるという。おそらくは題詠だが、実に切迫感のある歌である。背景に式子の恋があると人々が想像してもおかしくはない。それが「身分違いの禁じられた恋」であれば、劇的である。
 そこで本書には、謡曲「定家」にはじまる、数々の、定家と式子内親王の恋物語の演劇が紹介され、考察の対象となる。近世文学研究者である天野氏が、中世文学研究者が手を付けなかった、浄瑠璃・歌舞伎における定家・式子を取り上げることで、本書は類を見ない研究書となった。それにしても、中世文学・和歌文学・説話文学という論客ひしめく分野を横断し、近世演劇というマニアだらけの恐ろしい領域に踏み込むのに躊躇しない勇気には、感銘を受ける。そしてわずか四、五年で、ここまで多産する筆力。そこは、やはり神戸大学出身ならではか。
 一連の研究の最初の論考と思われる第八章「振られる定家」。最初にいきなり「その顔で?」の小見出しが来てるのがいい。別人の話が、定家と式子の話に置き換えられて、尾ひれがついて展開する経緯が丁寧に説明される。尾ひれの部分、これは確かに「近世文学」である。恋があったかどうか、それを追うのも面白いが、どんどん話が拡がり、時に笑話となり、時にファンタジーになるところこそ、面白い。
 「身分違いの禁じられた恋」の幻想、実在した有名な男女、ぎりぎりの気持ちを見事に歌いあげた名歌の組み合わせが、これだけの物語群を生成したのは、もしかすると希有な光景かもしれないが、そこに着眼しえたのは、流石である。あとがきに、天野さんがキャンパスでテイカカズラを見つけたということが、本書誕生の一契機であったと書かれていて、それはもはや「物語」でしょう!と突っ込みたくなった。しかし、研究というのは、そういうところがあるものなのだ。荒木浩さんのいう「研究はシンクロニシティ」である。
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天野聡一さんによる拙著『仮名読物史の十八世紀』書評

 拙著『仮名読物史の十八世紀』(ぺりかん社、2024年11月)についての書評を、天野聡一氏が書いて下さった。『日本文学』2025年8月号。2ページだが、単なる紹介にとどまらず、問題点や課題を的確に指摘したもので、著者にとっては大変ありがたい書評である。この場を借りて感謝申し上げる。
 私がとくに、嬉しく思ったのは、次のくだりである。

  飯倉氏の狙いは、十八世紀に起こった諸ジャンルの変容、混淆、生成といった大きな文化史的展開を、個別の作者・作品や特定のジャンルを越え、可能な限り広い視座のもとで実相的に捉え直そうというところにあろう。このあたりの問題意識は、アプローチこそ異なるものの、氏と同年生まれで出版・流通研究の第一人者である鈴木俊幸氏と重なる。

 敬愛する畏友である鈴木さんと「問題意識が重なる」との見立ては想像もしていなかったが、率直に嬉しい。
 また、私の「奇談」について、@現在通用の珍しい話という意味での「奇談」A書籍目録上の「奇談」B仮想的領域として再定義された「奇談」の三つを区別して読者は読み進めなければならない、という。私自身が整理すべきことを、鮮やかに整理してくださった上に、Bの奇談を「いくつもの流れを引き込んで湿地や湖を形成し、やがてそこから新しい溢れ出させる「窪地」の如くである」と見立ててくださった。あー、これ拙著にそのまま使えばよかったという見事な喩えであり、やや複雑で抽象的な拙著の「奇談」概念をを深く理解してくださっている証しでもある。

 ただ、拙著を読み込むだけではなく、貴重な指摘もある。『怪談とのゐ袋』論に関わって、新美哲彦氏の秀吉と源氏物語についての論文があることの指摘(初出時には出ていないとはいえ見逃していた)、『新斎夜語』の作者三橋成烈は江戸冷泉派歌人の武士、ならば江戸冷泉派の言説の中に彼の〈学説寓言〉を置いてみるべきではないかという提案(具体的に石野広道を挙げている)、第四部に関わって「十八世紀半ば以降の朝廷による知の管理の弛緩」はないか、それに関わる参考文献のご教示まで、短い紙幅にありがたい情報が詰め込まれている。

 他の方からも拙著へのさまざまなご教示、ご感想を個人的に手紙やメールで賜っているが、天野氏の批評は独自であり、氏が堂上歌壇を含む和学と和文小説を往還する仕事をされているからこそであろう。本当にありがたい書評であった。
 
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