2021年04月08日

香果遺珍目録

 橋本経亮(つねすけ)と言っても知る人は少ないだろう。信頼性の高い辞典にも「つねあきら」となっていたりで、近世中期の上方文壇に興味のある人でないと、この名前を正確に知らないということになってしまう。しかし、この人物、上田秋成・本居宣長・小澤蘆庵など、当時の錚々たる文人との付き合いが深く、人と人との仲介をよくやっていて、看過できない人物なのである。京都梅宮社の神官であり、宮中の雑務を担当する非蔵人でもある。この「非蔵人」という人たちの中には羽倉信美や藤島宗順など、当時の上方文壇のキーパーソンが多くいて、「非蔵人ネットワーク」を形成していたこと、加藤弓枝さんの研究に詳しい。とくに経亮は、本居宣長を京都の堂上文化圏と繋げる役割も果たしており、きわめて重要である。その経亮の旧蔵書は、京丹後の豪商稲葉家が買い取り、長くそこに保存されていたが、その後、さらに蒐集家の手に転じ、昭和初期に慶応義塾大学に寄贈されたのである。
 稲葉家によって「香果遺珍」と命名されたその資料の全貌が、今回「橋本経亮旧蔵香果遺珍目録」(慶應義塾大学三田メディアセンター、2021年3月)として刊行され、明らかになったことは、私のように秋成周辺の人的交流に興味のある者には、もう非常に嬉しいのである。図書館の刊行物のならいで個人名は出ていないが、慶應大学斯道文庫の一戸渉准教授の労作であることはメディアセンター所長の巻頭言に明記されている。
 これらの資料解題は、誰にでも出来るものではなく、この時期の上方文壇に通じている一戸さんならではの記述があちこちに散見される。秋成・蘆庵についての新たな知見も、見出される。
 いやもう、まだブログに書いていない本を含め、ちょっとこのごろ出る本は、興奮の連続なんですけど。新学期なのでこれはもう嵐のようにとしか喩えられない。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月05日

都合のよい結論を導く魔法のことば

 俳文学会の『連歌俳諧研究』140号(2021年3月)に掲載されている、中森康之さんの「『葛の松原』強行出版説には根拠がない−検証八亀説」が面白い。支考が『葛の松原』で、芭蕉の有名な「古池や」の句を「蕉風開眼の句」と説いたが、実はこれはすごい詩論なんだということを、中森さんが学会で発表され、私がその発表に衝撃を受けたことをかつてこのブログで書いた。しかし、その支考の『葛の松原』を、芭蕉の許可を得ずして強行出版したものだと主張しているのが八亀師勝氏で、その説は影響力を持ってきたらしい。支考は胡散臭い人物で、人間的に問題があるというイメージがあり、その偏見先行で、強行出版説が唱えられていたことを、中森さんは本論文で検証した。非常に説得力のある内容で、『葛の松原』が強行出版されたものだから、書かれていることは信用できないという根拠は崩れ去ったと言える。
 それにしても論文というのはこわい。その結論がそれを読んだ研究者にとって都合がよいものであれば、その論拠のなさを見過してしまう。逆に言えば、論拠がなくても、詭弁的に自分の都合の良い方向に結論を導き、それが他の人の論文の「論拠」として、一人歩きしてしまう。
 論拠がなくても、都合のよい結論に導く魔法のことばは、「〜だとすれば」「この仮説が正しいとすれば」という、さりげなく挿入される仮定法である。これがあれば、何だっていえるぞ。そしてその仮定法がいつのまにか既成事実となっているという叙述法だ。
 しかし、私自身もこの論法を使ったことがあるのだ。使い方としては都合のよい結論に導くためではないつもりだが、褒められた物ではない。自省自省。

 
posted by 忘却散人 | Comment(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月03日

死者との対話

前のエントリーの劉さんの恩師である塩村耕さん。昨年8月に『江戸人の教養』というエッセイ集(新聞連載をまとめたもの)を刊行されたが、それは塩村さんがいわれる人文学の方法「死者との対話」を具現化したものであったことを、その折りに紹介した。劉さんの著書のあとがきには、塩村さんの愛する『徒然草』十三段の一節(「見ぬ世の友」)が引かれる。なるほど、塩村さんの「死者との対話」の典拠はこれか、と今更ながら思い当たったわけである。
 その塩村さんが、今度は、『大田常庵日記』(太平文庫81、2021年)を刊行した。「大田常庵」って誰だろう。ほとんどの人がそう思うだろう。「特筆すべき業績を残した人でもない。さまでの波乱を経験しているわけでもない」(解題)。なぜそういう人の日記を、わざわざ翻刻するのか。幕末〜明治に生きた人だから、日記はそう簡単に読めるものではない。まさしく「和本リテラシー」が必要なのだ。正直、私ならこの翻刻を志すことはないだろう。
 だが、そこが塩村さんなのだ。たった一人でB5判2段組250頁におよぶ未翻刻文書を、おそらく古人を慈しみながら、愉しく翻刻していたに違いない。どこにでもいるような教養人の、ありふれた毎日をしるした日記を読むことによってしか得られない、古人の至福の一時を共有する愉悦がそこにはある。
 この境地に達した塩村さんを私は心から尊敬する。それだからこそ、劉さんをはじめとする素晴らしい教え子を多く育てられたのであろう。数年前、名古屋大院生との研究交流会を定期的にやりたいなーと思いついたことがあったのだが、うまく言い出せなかったな。
 ともあれ、塩村さんの「死者との対話」は達人の域に入った。我々は翻刻を読むことで、それを少しだけは追体験できるだろう(なんといっても日記本体というモノそのものを読むのとでは、その共感度が違う)。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月02日

劉菲菲さんの論文集刊行

 劉菲菲さんの『都賀庭鐘における漢籍受容の研究 初期読本の研究』(和泉書院、2021年3月)が刊行された。都賀庭鐘研究がいま盛んになっている。とくに丸井貴史さんら、若手の活躍が著しい。中でも劉菲菲さんは、庭鐘作品とこれまで指摘のない漢籍の関係を次々に発見し、注目されていた。私も劉さんの論文に多くを学んだ。今回、劉さんが発表されてきた論文を一書にまとめ、上梓されたことに心から祝福の意を表したい。
 中村幸彦氏や徳田武氏らによって、庭鐘作品の典拠はかなり明らかにされてきたが、それでも典拠不明としてそのままになっていたものがあったが、それを劉さんが(可能性をふくめて)新たに指摘したものがいくつもあって、庭鐘を授業で読んできた者にとっては、なかなか衝撃的は発見だったが、それが偶々ではなく、彼女の大変な努力によって成されたであろう事は、本書につけば明らかなのである。
 庭鐘作ではないとされてきた『垣根草』を、もう一度庭鐘作かもしれないと提起した「『垣根草』新論」には、反論もあり、にわかには判断できないが、その詳細な考証によって、議論の俎上に載せたこと自体大きな意味を持っている。
 また、その存在は知っていても、なかなか研究者が正面から扱えなかった庭鐘の読書録である『過目抄』を本格的に検討し、読本創作との関わりを探った第九章は、劉さんの独擅場であろう。
 ともあれ、私も庭鐘を読んできたつもりだったが、完全に脱帽で、本書をリスペクトしてやまない。
 そして、「あとがき」に感動した。和歌山大学教育学部で出会った松村巧先生は、劉さんの資質を見抜き日本文学研究を勧めたというが、この出会いは大きかったのだろうなと思う。そして名古屋大学大学院での指導教授が塩村耕さんだった。「孤独や困難を感じるたびに、塩村先生のよくおっしゃる『徒然草』十三段の「独りともしびのもとにふみをひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる」という一文が私を支えてくれました」という一文には、涙が出そうになったといっても過言ではない。大学院での仲間や、名古屋での研究会も彼女にとって幸せな出会いだったようだ。なにより、彼女のひたむきな姿勢が、周りの応援を引き出したのだろう。
 いま劉さんは、中国の大学で教鞭をとっている。日中の学術交流に是非お力を尽くしていただきたいものである。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

なぜ「くずし字教育」が必要なのか、講演のアーカイブ公開

3月28日に行われた同志社大学古典教材開発研究センター設立記念研究集会「古典教材開発の課題と可能性」における私の基調講演のアーカイブが公開されました。こちらからご覧下さい。「なぜ「くずし字教育」が必要なのか」というタイトルです。とくに後半の内容で、その理由を考えてみました。もとより、未熟な考察ですが、ご批正を賜れば幸いです。
(追記)リンクが不正確でした。おわびいたします。ご指摘を受けて対応しました。ご迷惑をおかけいたしました。
posted by 忘却散人 | Comment(2) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月01日

東アジア・はじめに交流ありき

『東アジア文化講座』という全4巻のシリーズが一挙に刊行された。第1巻は染谷智幸編『はじめに交流ありき 東アジアの文学と異文化交流』(文学通信、2021年3月)である。
 さて「東アジア」。欧米を中心とする日本研究が、「東アジア」の枠組でなされていることを、日本古典文学研究者の多くは認識していないかもしれない。しかしここ数年、海外の研究者と交流をもつことが出来、海外学会で発表もさせていただいた私の貧しい経験によっても、「東アジア」的視点が標準だということは強く実感される。たとえば、日本研究をしている海外の彼らは、英語と日本語はもちろん、中国語と韓国語も流暢に話す人が少なくない。東アジアでワンセットなのである。
 当然のことだが、中古文学とか、近世文学などという「専門」は、日本にしかない、と言ってよい。よほどの論文・著書でないかぎり翻訳は出ないから、海外の人の目に触れることはない(もっとも紀要とかだと日本人研究者の目にもなかなか触れない)。昔はそれでよかった。尊敬する研究者に読んでもらうつもりで論文を書くというのが、我々が教えられた姿勢である。しかし、今の学生にそのように指導してよいかどうかは疑問だ。
 「日本文学研究は世界的にも日本語論文が最もレベルが高く、海外でも優れた日本研究者は当然日本語で論文を書いており、また書くべきだ」と思っている人がいたとしたら、残念ながら、現状はそうではないと言わざるをえない。英語や中国語や韓国語でも優れた日本研究があり、翻訳がなければ我々はそれを知ることができない。しかし、世界の「東アジア」研究者は、英語も中国語も韓国語も日本語も読み書きしながら、日本文学研究を位置づけている。
 とはいえ、長く日本語だけの世界で研究を見てきた日本文学研究者にとって、この現実はあまり見たくない現実である。しかし、時代別・ジャンル別学会がそれぞれの領域で権威化している日本文学研究の世界は、このままでは衰退の一途を辿るばかりである。しかし、私を含め、中国語・韓国語のできない日本文学研究者は、どうすればいいかわからないでいるというのが現状ではないか。いや、そもそも「東アジア」視点の文学研究とはどういうものかがわからない、のではないか?
 そういう時に、本企画は、とりあえずは、日本文学研究者が自身の立ち位置を、東アジアという視座から確認することができるという点で、非常にありがたいものだ。第1巻では小峯和明氏が、「影響」でも「比較」でもなく「共有」という視点を解説している。これはとても腑に落ちる。また、染谷さんの、「文化があってそれから交流」ではなく、「はじめに交流ありき」だというのも流石の発想だと感じ入った。
 こうして並べられた論文を見ていると、なるほど「交流」には、このような問題系が存在するのかと感心する。そして、たとえ日本語でも、東アジア視点の考察は可能だということも見えてくる。
 もっとも、「東アジア」が万能であるわけではない、ということも敢えて付言しておこう。「東アジア文化」というものを相対化する視点もありうるだろう。そういう議論がむしろ大事ではないか。しかし、少なくとも「東アジア」視点という大きな研究潮流があるということだけは認識しておかなければならないだろう。あらためてこのシリーズについてはこのブログで触れることにする。
posted by 忘却散人 | Comment(2) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月28日

古典教材開発の課題と可能性

 本日(3月28日)、同志社大学古典教材開発研究センター設立記念研究集会「古典教材開発の課題と可能性」共催:古典教材の未来を切り拓く!研究会(コテキリの会)で、基調講演をいたしました。「なぜ「くずし字教育」は必要なのか」というタイトルで、主にPCやスマホを用いたくずし字学習の現状や、「くずし字」リテラシーがなぜ必要なのかというお話をいたしました。パネルでは、小中高高専の先生が、実践報告をされました。まず我々大学の教員と、現場の教員が議論を交わして、新しい古典教材を切り拓こうという企画を考えていただいた山田和人さんとスタッフの皆様に感謝します。またオンラインならではですが、海外をはじめとして全国各地から多数の方に参加いただいて、さまざまなご質問・ご意見をいただくことができて、嬉しく思いました。
 私はセンターの一研究員ですが、微力ながら、新しい「古典」(このことばがよくないというご意見も)教材の開発にむけて、なにかできればと心から思いました。参加された方の感想も、あとでお知らせいただけるので、それを拝見して、また改めて感想をのべたいと思います。(3/28)
と、ここまで書いていました。少し書き加えます。古典教材の開発というのは、新たな教材を並べたテキストを作るというイメージですが、ブレイクアウトルームで出たのは、どんな教員でも対応できる教材です。コテキリの会は、「くずし字」や和本を用いた教材を構想しているわけですが、それを扱えるスキルが、どの教員にもあるわけではない。ではどうするか?たとえば慶応大学斯道文庫が取り組んでいる、英語による書誌学講座のような動画教材の開発も考えられますし、場合によってはゲームや、ライトノベルを作ることだってありえるのではないか。
 そして肝要なのは、刀剣クラスタの方々が「くずし字」に興味をもったように、自分自身の興味・周辺・必要性から入っていく通路を作ることでしょう。何のための「くずし字」リテラシーかといえば、それは過去の文化を知ることだけではなく、現在そして未来のためのヒント、必要な知恵を得ることだと思われます。その意義についても、しっかり議論し、説得力ある論理を構築していかなければなりません。以上、私の覚え書きです。(3/31)
posted by 忘却散人 | Comment(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月27日

寛政期の怪談

三宅宏幸「寛政期読本『怪談雨之燈』の研究と翻刻」(『愛知県立大学 説林』69、2021年3月)。
さきほど目を通したばかりなのだが、いろいろと私のアンテナにひっかかる内容なので、メモとして記しておく。
まず、この『怪談雨之燈』という怪談。名前は知られていたが五冊の全貌がわからなかったが、三宅さんは二種所有されているそうである。それ以外で三宅さんが把握しているのは、中野三敏先生旧蔵の雅俗文庫本、ただし巻四のみの零本。
非常に稀少な伝存状況であり、詳細な書誌や翻刻解説はそれだけでも非常に意義がある。
しかも、画工がどうも岡田玉山で確定的であるという。『絵本太閤記』の関係で玉山の画業には注目していたところだったので、この情報がありがたい。
書肆の塩屋権平についても興味深いがあり、さらに巻頭話についての考察も面白く読んだ。「儒者の妖怪退治」(近藤瑞木氏)というテーマに通じるものである。寛政期の読み物は、木越俊介さんも注目していてちょっとしたトレンドになってきた。私も名所図会や絵本太閤記の方向から見ているので、非常に勉強になる。30代〜40代が、学会をリードしていく雰囲気が出てきたようである。大変楽しみなことである。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月18日

江戸漢詩選 上下

揖斐高編訳『江戸漢詩選』(岩波文庫、上下2冊、上は2021年1月、下は2021年3月刊)が完結しました。
ハンディにして、幕初から幕末まで、バランスよく選ばれた江戸漢詩人たちの漢詩アンソロジーの決定版といってよいもの、下巻に解説がついています。
考えてみますと、富士川英郎『江戸後期の詩人たち』、中村真一郎『ョ山陽とその時代』など、江戸漢詩を志す人がその契機とした名著はありますが、江戸を通しての漢詩アンソロジーって、ありそうでなかったですよね(あるかもしれませんが、ハンディである程度のボリュームがあって、きちんとした注釈と訳があるとなるとほぼなかったのでは)。
「バランスよく」と言いましたが、そこは揖斐先生の興味関心の深い詩人や詩には詳細な解説も当然あり、そこが読みどころでもあります。
後光明天皇や日野資愛などの堂上人が入集しているのも面白いです。
巻末の「解説」は、江戸漢詩以前の日本漢詩文概観(ポイントを的確に押さえた記述、とくに「和習」の問題についての解説が勉強になります)と、五期にわけた江戸漢詩史の見取り図、そして江戸漢詩の表現世界を10分類しての整理。このごろ「文学と名所」のプロジェクトをやっていることもあり、D叙景の解説が気になりました。「初めは和歌における歌枕のように、その風景に固有の伝統的で固定化されたイメージを詠む、定型的で観念的な風景詩が主流であったが、やがて個々の詩人の感覚が捕らえた実際の風景(実景・真景)を描写する詩へと変化していった」と。私の感覚でもそういう感じだったので、揖斐先生の分析でもやはりそうなのかと嬉しくなりました。もちろん実景を描写する場合も、伝統的な詩語を用いるというのは当然あるわけですが。先日の「デジタル文学地図」シンポジウムの懇談会での議論を思い出しました。
 この「解説」は、私にとっては、現時点でもっともわかりやすい江戸漢詩解説であり、江戸文学を勉強したい方には、どのジャンルを学ぶかを問わず、「必読文献」として勧めたいものです。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月15日

歴史のなかの地震・噴火

東京大学の史料編纂所と地震研究所がタッグを組んだ「地震火山史料連携研究機構」が、文理融合の歴史災害研究を進めている。東日本大震災の発生から10年の2021年3月11日に、その研究成果を一般向けにまとめた『歴史のなかの地震・噴火 過去がしめす未来』(東京大学出版会)が刊行された。著者は加納靖之・杉森玲子・榎原雅治・佐竹健治の各氏で、東大駒場での学術フロンティア講義「歴史資料と地震・火山噴火」の講義を行っている方々である。
東日本大震災のあとも、熊本・北大阪・北海道をはじめとして、各地で大きな地震が相次いでおり、南海トラフ地震が今後30年間に起きる確率がかなり高いとされていることから、地震への関心はきわめて高まっている。私も2018年に北大阪地震で大きな被害を受けた。
 高校生の時に、私は一時地学部に在籍していたことから、地震に興味を少し持ち「地震列島」なる本を買って読んだことがあった。「プレートのずれ」で巨大地震が発生すること、それが歴史的な年代単位ではあるが周期的に起こることを知った。それから40数年、地震学の進展は著しい・・・に違いないが、どこがどう進展しているかということは実はわかっていなかった。今回、本書で研究の現状を知ることが出来てありがたい。
 さて、地震の科学的データが存在するのは、ここ100年そこそこであり、それ以前のデータはない。しかし、どういう地震が起き、どのくらいの被害が出て、人々がそれにどう対応したかなどの情報は、歴史的文献に記されている。周期的に発生する地震を研究するには、この歴史的文献の解読が必須であり、文理融合がどうしても必要になってくるのである。その文献はテキストデータ化することによって、非常に研究にとって利便性が増す。
 京大の古地震研究会は、ほとんど翻刻のない地震に関わる歴史的文書や記録を解読するために、くずし字解読のスキルを身につけようとして、みんなで研究会を重ねてきた。私はその会に一度呼ばれて、和本の見方について、写本と刊本の性格について、簡略な講義をしたことがあり、それが機縁となって、くずし字学習支援アプリKuLAが生まれた。このことはいろんな場所で書いたりしゃべったりしているのでここでは繰り返さないが、そのメンバーのお一人だった加納靖之さんが東京大学の地震研に移られ、歴史地震研究における「くずし字解読」のウェーブが京大から東大にも及んだように私には見えた。地震に関わる歴史的文献を読むことの大事さを市民に伝えると同時に、その研究に参加してもらうという画期的プロジェクト「みんなで翻刻」もその流れで大きく展開したように見える。
 しかし、歴史地震学では実際にどのように歴史文献を扱うのか?それはあまり知らなかったが、今回の本で大変教えられた。
 10年前の東日本大地震と似た地震ではないかとされる貞観地震。『日本三代実録』に記述があり、状況が似ている。この貞観地震の津波の経験と「君をおきてあだし心をわがもたば末の松山波もこえなむ」(古今集・東歌・陸奥歌)の歌は関係があるだろうという国文学者河野幸夫の説が紹介されている。(私もこの論文を読んだ時にはかなり興奮したのを覚えている。東日本大震災より前に発表された論文である。
 また、南海トラフの巨大地震。繰り返しが知られており、その間隔が小さくなってきており、大きな関心を集めている。宝永地震や安政大地震もそれだ。そして、このあたりは「くずし字解読」の出番となる。科学的データがなくとも、残された数多くの記録を考察してゆけば、当時の地震の規模や被害の状況がかなり再現できる。そしてそれらは防災にも有益な情報をもたらすことがある。科学的データ以上の価値をもつことがあるわけである。本書でも宝永の地震と富士山噴火、そして安政大地震の状況を、多くの史料を用いて分析している。おそらく歴史的文献は現在も解読分析され続けているだろう。南海トラフについての記述は本書でも非常に詳細であり、歴史的なスパンで未来を描くことができる。
 内陸地震や首都圏地震についても、歴史的な考察がなされている。未来のために過去を学ぶ意義が、これほど明確に示されることはなかなかないだろうか、生物の秘密や、宇宙の謎など、時間的スケールの大きな課題については、やはり歴史的文献を読むことが大事になってくるだろう。理系でも長いスパンの研究に、歴史的文献をあつかうことがあるということである。だから子どものころからどこかで「くずし字」に親しんでおくことが(読めなくてもいい)望ましいのではないかしら。
 
posted by 忘却散人 | Comment(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月13日

デジタル文学地図シンポジウム報告

3月12日の午後3時から午後7時30分まで、4時間半にわたって、先に案内した国際シンポジウム「古典のジャンルと名所−デジタル文学地図の活用」がZoomで行われた。参加希望者は100名を超えた。他の研究会や会議と掛け持ちの方も多く、出入りもあったが、最大値77名であった。
2020年度文学研究科国際共同研究力向上推進プログラム「デジタル文学地図の構築と日本文化研究・教育への貢献」主催で、こちらいずれ報告書を作成しなければならないので、そのドラフトがわりにざっと振り返っておきたい。
 まず、鈴木健一さんが「名所絵の型」と題して1時間ほど基調講演。名所絵とは型を持っているということをあざやかに指摘した。出てきた話として印象に残っているのは、@名所の土着性。その土地に立ってみないとわからない個別の風土性のようなもの。A名所認識。土地を認識する時に特徴的な構図や関係する事柄(あるいはキャラクター)を結びつけながら知的にとらえようとする。隅田川と都鳥、八橋と燕子花、五条大橋と義経弁慶。B江戸時代においては文化的要素が並べられる。それをいかに組み合わせるか。徳川の安定的統治、産業・交通の発達、人文知の形成、出版文化の隆盛などから過去の文化的要素が整理統合され大衆に浸透する。C例示として筑波山は蝦蟇・男体山・女体山・平太郎(平将門の遺児)D日本堤からは三囲神社の鳥居の上部だけが見える。E駿河町三井呉服店と江戸城と富士山の三点セットなどなど多くの画像で説得力ある説明をされた。
 次いで中尾薫さんは「謡曲と名所」と題して、まず謡曲と名所の関わりについての先行研究を紹介しつつ、謡曲における名所の重要性を指摘した。謡十徳のなかに「行かずして名所を知る」ことができる。また謡曲史跡保存会がmapを作っていたことを紹介。永崎研宣さんがSNSで「今で言えば聖地巡礼」だと言われた。鈴木健一さんのいう「型」は謡曲研究では「詩的記号」と言われてきたこと、また地名には共示的機能があり、「山場には歌を用いよ」という教えのあること、文飾・趣向のみではなく物語構成の主軸に名所旧跡があることを、「高砂」を例に明らかにされた。「高砂」の破一段の終りは、「それも久しき名所かな。それも久しき名所かな」で結ばれていることは非常に興味深い。能は名所図会的演劇だという見立ては秀逸である。
 山本嘉孝さんは「漢詩と名所」と題して発表。斎藤希史さんの『詩のトポス』を冒頭に紹介、新稲法子さんや高山大毅さんの最近の論文に触れながら、詩の土着化の問題(たとえば瀟湘八景の日本土着化=近江八景など)を取り上げた。そして細合半斎の『日本名勝詩選』という名所詩アンソロジーを紹介。ここに出てくる地名をマッピングしたり、排列の意味を探った。日本の地名をモチーフにした漢詩は、やはり中国に倣うだけではなく、日本の歌枕との関わりが濃い。
 アロカイさんを交えての総合討論では、俳諧での俳枕が謡曲と深い関わりがあること(嶋中道則氏の研究)も紹介された。ともあれ、和歌でつくられた地名イメージが根幹にあることは疑えず、またどのような文学ジャンルにおいても地名の喚起力はすさまじいものがあるという印象を個人的には持った。俳諧や紀行文、また諸国ばなし系散文などのジャンルも検討が必要だろう。
 続いて第2部、デジタル文学地図プログラムの着想と経緯、今後の展望と、実際のサイトの紹介がアロカイさんとシステム担当のボルンさんによって行われ、それに対して、人文情報学の専門家である橋本雄太さんと永崎研宣さんがそれぞれスライドを用いて情報提供とアドバイスを行った。橋本さんは地図地名に関わる様々な既成のデータを紹介しながら、歴史学では計量化が重視されるが、この文学地図ではそれとは違う概念マップ、マインドマップのような方向への展開が期待されると述べ、技術的な提案をいくつかなさった。中でもストーリーテリング機能については、我々の間でも少し考えていたとはいえ、やはり取り込んでみたいと思った。永崎さんもこのようなサイトやデータの維持についての有益な情報を提供、また文学地図についても、鈴木さんの筑波山=蝦蟇の挿絵を早速スライドに取り込んで、「講」との関わりなど歴史的な研究成果のデータを取り込むことなどを提案。また江戸時代では空間的距離よりも時間的な距離感覚が大事ではないかというアドバイスも貴重だと思った。
 懇談会はシンポの延長戦という色合いでより議論が深まったようである。
 ご登壇いただいた方々、参加者のみなさま、スタッフ諸氏に心から深謝申し上げて、とりあえずの報告とする。

 
posted by 忘却散人 | Comment(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月27日

小津桂窓書簡集

菱岡憲司・高倉一紀・浦野綾子編『石水博物館蔵 小津桂窓書簡集』(和泉書院、2021年2月)が刊行された。原簡の画像のDVDの付録も収めている。
この書簡、川喜田遠里と桂窓の、本をめぐるやりとりがほとんどなのだが、近世後期の学芸・読書の空気が実にリアルに伝わってくる書簡群で、無類に面白い。しかし、この伊勢の豪商たちの、実に広範な本への関心、その耽溺ぶりと、冷静な批評眼には驚くしかない。いろいろ付箋をつけていたら、付箋だらけになってしまった。『近世畸人伝』に掲載された人物の書画を集めて九十人っばかりになったけど、アンタも集めてんでしょ?とか、宣長の説はよいけど道はダメねと評したりとか、看過できない記事がたくさん。中でも、桂窓の秋成クラスタぶりは尋常ではない。「をだえごと」とか「江の霞」とか、超マニアック。好きなのね?と、こちらも嬉しくなります。
この書簡集を翻刻して年代順に並べるのは大変なご苦労があったと思われる。解説でそのことに言及されているが。
また、書名に『』を付して下さっているのはありがたい。これは簡単なことではない。なぜこれを書名と認定できたのかしら、と思うものもあるくらいで、よくぞ付してくださいました。これは通読する際にとても助かりました。
さて、小津桂窓こと久足の面白さ、翻刻が整えば整うほど、明らかになってきましたね。久足を視点とした文化論もありでしょう。現代の久足といってもよい菱岡さんに期待するところ大であります。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月24日

国際シンポジウム「古典のジャンルと名所−デジタル文学地図の活用」のご案内 

国際シンポジウムのお知らせです。
2020年度文学研究科国際共同研究力向上推進プログラム「デジタル文学地図の構築と日本文化研究・教育への貢献」主催の国際シンポジウム
「古典のジャンルと名所−デジタル文学地図の活用」を開催いたします。
ご多忙の折とは存じますが、ご関心のある方の、ご参加をお待ちします。
部分的なご参加も歓迎いたします。


日時 3月12日(金)15:00〜19:15
Zoomによるオンライン
第T部 日本古典ジャンルと名所(15:00-17:35)
〇開会挨拶 飯倉洋一(大阪大学)
〇講演 (15:05-16:05)   
名所絵の型
 鈴木健一(学習院大学)
(休憩)
〇研究発表(16:15-17:15)
謡曲と名所 
 中尾薫(大阪大学)        
漢詩と名所
 山本嘉孝(国文学研究資料館)
〇総合討論(17:15-17:35)
 鈴木健一、中尾薫、山本嘉孝、ユーディット・アロカイ 司会 飯倉洋一 
(休憩)
第U部 デジタル文学地図と教育・研究(17:45-19:15)
〇報告(17:45-18:35)
デジタル文学地図について
ユーディット・アロカイ(ハイデルベルク大学)   
レオ・ボルン(ハイデルベルク大学) 
〇コメント(18:35-19:15)
コメンテーター 
永崎研宣(人文情報学研究所)  
橋本雄太(国立歴史民俗博物館)

ご参加は事前登録制です。以下のURLをクリックしてお申し込み下さい。


https://docs.google.com/forms/d/1TS3i_4OXgEdONrMCsnE3MNTEsrVx-Kq2hwwPapLxEKA/edit#responses

登録された方には、開催日が迫ったらZoomのURLをお送りいたします。
発表要旨などの詳細は以下ののフライヤーをご覧下さい。フライヤー掲載のQRコードからも申し込み可能です。
シンポジウム 古典のジャンルと名所−デジタル文学地図の活用{フライヤー)_page-0001.jpgシンポジウム 古典のジャンルと名所−デジタル文学地図の活用{フライヤー)_page-0002.jpg


posted by 忘却散人 | Comment(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月21日

ゆめみのえ−ないじぇる芸術共創

国文学研究資料館が現代芸術家と古典籍を用いて新たな芸術を創出する全く新しい試みはロバート・キャンベルさんの発案ではじまった。そして、その区切りとなる特別展が国文学研究資料館で行われている。ないじぇる芸術共創ラボ特別展「時の束を披く」である。翻訳・演劇・小説・絵画・絵本・インスタレーションと、多様で魅力的なアートが誕生した。詳しくは、
https://www.nijl.ac.jp/pages/nijl/tokinotaba/index.htmlをクリックしていただきたいのだが、私の予想を上回る素敵なものになっているようである。図録もいま予約すれば無料で手に入れることができる。
この事業のために、国文研では「古典インタプリタ」という新しい職業を創った。古典籍と芸術家をつなぐ専門家である。初代インタプリタに有澤知世さんが就任した。学振特別研究員(PD)からの転身。現在は神戸大学と国文研を兼任中。彼女が教え子であることやキャンベルさんとは同じ釜の飯を食ったかつての仲間という関係もあって、この事業には関心をもって見守ってきた。そして私も少しだけ関わり、図録にコラムも書かせていただいた。到着を楽しみにまっているところである。
内覧会の案内もいただいたし、2月には本来は東京で会議があるはずだったが、この緊急事態状況下でオンラインとなり、不要不急の出張も自粛せねばならないという状況の中では、なかなか行けない。4月まで展示はあるらしいのでなんとか時間をみつけて行きたいのだが・・・。
さて、この事業に参加しているクリエーターの一人が絵本作家の山村浩二さんで、国文研准教授の木越俊介さんとのコラボで「ゆめみのえ」という絵本を制作された。鍬形寫ヨの略画的画法で『雨月物語』「夢応の鯉魚」の世界を描いた、ほのぼのとした、しかし深い、「夢」の世界を表現した傑作絵本である。木越さんから、絵本『ゆめみのえ』とともに、山村さんとの対談をおさめた『LOOP』10号(東京藝術大学映像研究科、2020年3月)という、さすが芸大の研究誌というカッコいい雑誌をいただいた。もともと木越さんは間口の広い方で、こういう事業には適役であるが、この対談でも、江戸文学の立場から、さまざまに興味ある発言をしている。「夢」がテーマなので、虚実そして「寓言」について自由に語っているが、私の関心ともリンクするので、非常に刺激を受けた。また山村さんが元々夢に関心があり、さまざまに考究されていたところに、日本古典がもつさまざまな「夢」の話がヒントとなったことがよくわかり、一方で古典研究者である木越さん、そしてそれを読んでいる私も逆に山村さんから大いに学んだ。
共創ラボは、今後もまだ続けるようだ。続けることで、今予想もできない何かが生まれると思う。そういう感触を少なくとも私を持っている。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月20日

明治期戦争劇集成

日置貴之さん編の『明治期戦争劇集成』が刊行されました(2021年2月)。「歌舞伎と戦争に関する総合的研究」という科研若手研究の成果報告書です。A4版376頁。ご本人が装丁されたということですが、市販本にひけをとらない素晴らしい装丁です。おさめるところは、上野戦争とその戦後を描いた黙阿弥作品を原作とする草双紙『明治年間東日記』、日清戦争がらみの『日本大勝利』『会津産明治組重』および川上音二郎一座の『日清戦争』。歌舞伎が速報性をもったメディアであった(今では考えられないが)時代の作品から、当時の演劇ひいては社会のありようが浮かび上がります。WEBサイトでも公開予定とか。この本のこと「速報性」が大事と思いまして、告知しました。というのは、なんと、日置さんのtwtterによると、希望者には送料負担のみで頒布して下さるとの事。ただし早いもの勝ちとのことです。もちろん的確な解説付き。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする