2009年04月28日

2009いちょう祭展示会

大阪大学の春の大学祭である、いちょう祭。その一環として資料展示会が行われるが、われわれの研究室では、毎年テーマを変えて忍頂寺文庫・小野文庫(歌謡研究家忍頂寺務のコレクション)の一部を展示している。

ことしのいちょう祭りは5月1日・2日。展示は豊中の図書館本館6Fホールで行われ、解説のパンフレットも無料配布される。展示は10時から16時まで。入場無料。

以下パンフレットから抜粋。

 今回は、特定のテーマに沿って物品や地名を列挙する趣向を採る、「○○つ(づ)くし」という作品名の薄物唄本14点を紹介する。これら「尽くし物」の趣向を採る歌謡は、踊音頭・踊口説の系譜をひく曲に見られ、忍頂寺文庫蔵本でも、大坂の盆踊音頭の系統に属し、享保頃から化政期まで行われた兵庫口説および、京都のそれに属し、天明・寛政期に流行した鉄仙流に集中している。
 また、小野文庫からは務の兵庫口説や踊口説に関する草稿三点を取り上げる。

1〈祇園女御九重錦/三拾三間堂/平太郎縁起〉木尽 半紙本一冊。兵庫口説。
2 竹づくし 半紙本一冊。鉄仙流踊口説。
3 京都名所尽 半紙本一冊。早口うたせ。
4 京名所づくし 半紙本一冊。兵庫口説。
5 はしづくしうたせ 半紙本一冊。早口うたせ。
6 大坂橋づくし 半紙本一冊。兵庫口説。
7 〈小野道風/青柳硯〉むしづくし 半紙本一冊。兵庫口説。
8 〈男立/水づくし〉黒ふね忠右衛門 半紙本一冊。兵庫口説。
9 あたご八けいさが名所づくし 半紙本一冊。鉄仙流踊口説。
10 山鉾づくし 半紙本一冊。鉄仙流踊口説。
11 謡尽おんどう 半紙本一冊。木遣音頭。
12 〈おさん/茂兵衛〉こよみづくし 半紙本一冊。兵庫口説。
13 〈半平衛/おちよ〉あを物つくし 半紙本一冊。兵庫口説。
14 〈むめ川/忠兵衛〉恋の文づくし 半紙本一冊。兵庫口説。
15 『近代歌謡考説草稿』忍頂寺務自筆。
16 はやり音頭兵庫ぶし 忍頂寺務自筆。
17 〔兵庫くどき〕忍頂寺務自筆。
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2009年04月27日

原稿料史年表稿

市古夏生氏が『出版機構の進化と原稿料についての総合的研究』(平成18〜20年度科研報告書、2009年3月)を刊行されている。

 佐藤至子「江戸後期の出版事情」は、総説的なものでありがたい。

 圧巻なのは80数ページにわたる「原稿料史年表稿―17世紀〜20世紀―」。読み始めたらなかなかやめられない年表というのも珍しい。近世の用例の大多数は『馬琴日記』。

 近・現代に入るとぐっと用例が増え、平成12年まで拾っている。平成12年3月18日の日本経済新聞は、日本文芸家協会の会員の大半が原稿料収入年間500万円未満と推定しているらしい。
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2009年04月21日

おうか

大阪大学学術情報庫 OUKA(Osaka University Knowledge Archive) は大阪大学が生産、保有するデジタル情報の統合検索システム「おうか」と呼びます。先に紹介した和古書目録第二稿がここにアップされました(下記アドレス)。第一稿も5月にはアップされるとのことです。この目録は個人の方には、お送りしていませんので、なにとぞ「おうか」をご利用ください。
http://ir.library.osaka-u.ac.jp/metadb/up/LIBBOOK01/OULwakosho2.pdf
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熊本文化研究叢書

熊本の閑山子さんこと川平敏文さんから『肥後の和学者 上妻博之郷土史論集T』(熊本県立大学日本語日本文学研究室編、2009年3月)をいただいた。大学の地方貢献事業として日本語日本文学研究室が出し続けている熊本文化研究叢書の6冊めである。このような良書を出し続けるスタッフの見識と、ご苦労がしのばれる。

この本について、詳細は閑山子さんのブログを参照されたいが、井沢蟠龍・長瀬真幸・帆足長秋ら、熊本ゆかりの「和学者」たちの研究である。熊本県立大学が購入した遺稿目録を付している。熊本はもともと郷土史研究のレベルが高いところで、『肥後先哲偉蹟』などの名著を多く出している。

さて「熊本文化研究叢書」というのは素晴らしい企画で、地方貢献事業がこのような形で結実することは、やはり努力を傾注しなければ出来ないこと。奉職した以上は、そこの所蔵する資料を活かす研究をという志を見たようで、勇気をいただきました。

 それにしてもこの方、冒頭に写真が載っていますが、凛々しい。カッコいいですね。小学校時代に他のクラスだったけど「上妻」君という人がいて、ちょっと一緒に活動していたことがあるのだが、博之先生に似ているような気がする。

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2009年04月19日

このごろ寓目した本など

『文学』3・4月号(岩波書店、2009年3月)は「永井荷風没後五十年」を特集。荷風は私の生まれた時には生存していたんだと思うと不思議な感じがした。中野三敏先生「荷風散人の江戸―雅人の弄ぶ俗」を読む。いわゆる荷風の「戯作者宣言」を再考。荷風を読まねばという気持ちが強まる。

 同号にのる杉田昌彦さんの「宣長における恋」。実生活と文学論、あるいは恋歌の多いことの関係の考察。大変力が入っているが、実生活が文学に関係するはずだ、という論は、そうだろうけど資料不足で少し隔靴掻痒。でも面白かった。秋成が恋の歌が少ない、あるいは恋歌批判をするのを、瑚l尼に男の貞操を貫いたからだという、日野龍夫氏の論を思い出した。これらは一種の伝記研究・人物研究になるのだろうか。

 佐藤至子さんの『山東京伝』(ミルネヴァ書房、2009年4月)。京伝の伝記でまとまったものといえば小池藤五郎・水野稔。しかし、これからは、まず研究史の蓄積の上に立つ本書から入ることになるだろう。

 白石良夫さんの『うひ山ふみ』全注釈が講談社学術文庫に入ったようだ(2009年4月)。現代の注釈書としては異色の、注釈者の思考・意見を全面に出した右文書院版の過激さは文庫化でどうなったのか気になるところ。
 
 
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2009年04月18日

消し忘れ

散人、忘却すること常にて、あへてこのブログに書くほどのこともなし。されどけふの物忘れには我ながら呆れたり。

車にて出かけんとし、リモコンにてドアロックを外さんとせしに音なし。不思議に思ふも、手にて鍵を回し、乗り込みてエンジンをかけしが、反応なし。

ライトの点け放しによる放電なり。「や」と思ひてJAFをよばんとせしに、ケータイなし。ケータイを捜しに家に戻り、自宅電話よりケータイにかけしも音なし。不思議なり(自宅電話からJAFにかけるに思ひ至らぬも間抜けなり)。

「レーセーに、レーセーに」と言ひきかせ、JAFカードを探ししのち、車に置きしカバンの中にケータイのありしを思ひ出せり。

50分のちにJAF来たりて、すぐに処置をはれり。それにしても、ライトの消し忘れを防がんがため警告音の発せられしも聞き落とせしか。散人このごろ、忘れ物ネタなきに、「忘れ物・失せ物」のカテゴリイ廃止せんと思ひし折も折の出来事なり。
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2009年04月17日

篠原進さん

篠原進さんの「「怪を談ずるの」ユートピア」(『青山語文』39号、2009年3月)は、荻坊奥路(其鳳)という、大坂吉文字屋市兵衛から多くの仮名読物を刊行した作者に注目し、そのほとんどの作品を概観するという、篠原さんならではの力作である。

私もこのあたりの読物に関心を持っているのだが、このような丁寧な仕事はなかなかできるものではない。

国会に通っては、1点1点読んでいくのだということをうかがったことがある。そのことは初期読本論を書かれていたころだったと思う。ただ読むのではなく、実に丁寧に読んでいる。一度国会から出てくる篠原さんに会ったことがあるのだが、その時も読んでいたのでしょうね。

 篠原さんといえば、華麗な文体と、現代的な切り口という印象があるが、本当に原典を、ひとつひとつきちんと読まれて立論される方であり、その継続的な原本読みが、後期浮世草子から「奇談」、そして初期読本に至っており、文学史的展望を一気に切り開くのではという予感をさせる。

「浮世草子の黄昏」に現れた亀友・奥路・和訳太郎(秋成)のすべての浮世草子を読破して、末期浮世草子の可能性を探るという最近の仕事は、さまざまな文学史へのアクセス方法を鏤めながら、しかし安易に結論を出すことは避け、ひとつひとつの作品の読みを大事にし、時に、砂の中から金を見い出す。篠原さんは文学史家である以上に、文藝評論家なのである。

 この論考から学ぶことはものすごく多かった。惜しげもなく捲かれる発想のタネ。しかし心からお願いしたいのは、「篠原さん、はやく本にしてください」ということである。ご本人のご計画もあるだろう。しかし、外野は勝手に言う。「浮世草子研究を牽引するおひとりである篠原さんの、それはもはや責務ではないでしょうか」。

 とはいえ、次々と好奇心に任せて対象を開拓する篠原さんにとって、後ろを振り返っているよりも、目の前の宝の山を早く見たいという思いに突き動かされ続けるありようは、むしろ当然なのかもしれない。
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2009年04月16日

ホームページ開設

ホームページを開設しました。とはいえ、「忍頂寺文庫・小野文庫の研究」関係が(リンクも含めて)現在の主な内容です。いたってシンプルなデザインです。必要に応じて業績一覧や研究会関係のコンテンツを増やしていきたいと思います。このブログからもリンクを張っておきます。ホームページの大幅な増補改訂が行われた時は、このブログで告知したいと思います。現在の目玉は金水敏先生監修・依田恵美さん編の「忍頂寺文庫洒落本データベース」です。ぜひご覧ください。
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2009年04月13日

きっと西鶴が好きに

西鶴研究会が『西鶴が語るミステリー』『西鶴が語る江戸のラブストーリー』に続いて『西鶴諸国はなし』(三弥井書店、2009年3月)を刊行している。

『西鶴諸国はなし』はこれまで小学館の古典文学全集や岩波の新日本古典文学大系などに注釈があるほか、おうふうからも教科書が出ているが、今回のテキストは『諸国はなし』単独で、簡単な鑑賞の手引きを西鶴研究会のメンバー総出で分担執筆しており、ハンディで読みやすそうである。先日紹介した『雨月物語』もそうだったが、注が従来のもににくらべて各段に読みやすく、必要なところにはふりがなもきちんと付されている。

実はこれまでの古典文学の注釈書は、注が専門家向けで難しかった。テキストに使用すると、学生は注が読めないことが多い。また注に書いていることに注が要るような難しいことが書いている。たとえば『和漢三才図会』をそのまま引用しているだけというような。もちろん学生の演習発表資料ならそれでもよい。しかし一般の方に読んでもらおうと思うならば、それをさらに噛み砕いて説明しておかねばならない。

 そういう意味で、本書は一般の方に読んでいただくという配慮がかなりうかがえる。西鶴研究会のここ数年の努力の方向がよく表れている本であろう。帯には、「きっと西鶴が好きになりますよ」と書かれている。
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2009年04月12日

金閣寺と人間失格

 少し前に同僚の出原隆俊さんに「「金閣寺」の構成意識」という論文をいただいた。『三島由紀夫研究』7(2009年2月)所収。この中で、『金閣寺』が『人間失格』を意識していることを述べられている。そしていろいろと類似点を挙げるのだが、並べられた類似点を見ても、一見「そうかなあ」と思わないでもない。しかし、『人間失格』と『金閣寺』にはどこかつながるものがあるというのは、よくわかる気がする。

 多分、論者にも、そういう「感じ」が先にあったのではないか。そうすると挙げられた類似点も、三島の無意識層に働きかけてたのかなと思わせる。

 ではなぜ『人間失格』と『金閣寺』が結びつくのか。勝手なことを言えば、『金閣寺』は『人間失格』的な叙述から離れようとして、却ってそれを意識していることを露見させた作品だろうと。つまり三島が、自分の中の否定したい部分、それを人前にさらすように描く太宰に、深い嫌悪感を感じていたことが、屈折した形であらわれたものではないのか。もちろん似ているから嫌悪感を抱くのだ。まあ出原さんがそういう意図で両者を結びつけたのではないのかもしれないが。

 大江健三郎と三島由紀夫の関係にも似ていると私は思う。これは思想的な意味ではなく、文体的なレベルで。

 実は今手元にはないが、中村光夫が『日本の近代小説』(岩波新書)だったかに、太宰―三島―大江の、反転的接続を、書いていたような気がするのだが、(もう30年以上も前にだが)それを読んで、ヤッパリねと思ったという記憶があるのだ。忘却散人ゆえ、記憶違いかもしれない。だとしたらどなたかご存じの方はご指摘ください。
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三日月

新日本古典文学大系明治編『明治名作集』(岩波書店、2009年3月)は、『惨風悲雨世路日記』『三日月』『最暗黒の東京』『滝口入道』を収める。特に前三者はほぼ忘れられた作品である。

『三日月』は侠客小説で、主人公治郎吉が十四歳の時に武士に両手を小柄で打ちつけられながらも堂々と反撃し、その両手の疵の跡から「三日月」と異名を取ることになる印象的な書き出しは、やはりオッと思わせる。作者は村上浪六。

実録研究者高橋圭一さんが脚注を担当。その自在さに感心する。浪六の他の作品を随所に引く(これがまたよく読んでいる)のはもちろんだが、旺文社文庫『半七捕物帳』の解説やら、綱淵謙錠、氏家幹人、笹沢左保の『木枯紋次郎』まで使えるものは何でも使う。高橋さんの読書量の凄さを垣間見させるものである。
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2009年04月10日

國學院大學近世文学会会報

研究同人誌には大いに親しみを持っているので、本ブログでも積極的に紹介していきたいと思っている。

先に紹介した『叢』もそうなのだが、とくにB5判のものにはとりわけ親近感が湧いてしまう。私の同人誌体験の原点である『文献探究』や、いま関わっている『上方文藝研究』がB5だからである。これらの雑誌のよさは、ワープロ時代になっても、どこかに残る手作り感なのである。

今回紹介するのは『国学院大学近世文学会会報』15号(2009年3月)もそういう雑誌のひとつで、やはりB5判なのである。同人誌でないと難しい長編の翻刻や、研究ノート、随筆、それに句会の報告まで載っていて、和気藹藹とした雰囲気が伝わってくる。

私はこの雑誌から何度も有用な情報を得た。購読会費も非常にリーズナブルで助かっている。ただ、少し気になるのは、ここに論考を載せている若い人達が、近世文学会で発表するのをあまり見ることがないような気がするということなのである。もちろん、近世文学会だけが学会ではないから、大した問題ではないのだが、なんとなくうちわ向けでもいいというスタンスが気になる。購読者はどのくらいいるのだろうか。この内容なら、もっと近世文学研究者への発信が必要ではないだろうか。「会報」という名前はもったいない、まあ、そういう感想を持ちました。
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2009年04月08日

松会版書目

柏崎順子編『増補松会版書目』(青裳堂書店、2009年4月)。松会は近世前期の江戸(上方に対する意味です)を代表する書肆。書目は有年記本は年代順配列、無年記本は五十音順。図版も130頁、270点以上を収める。労作。

かつての雲英末雄先生との共編の増補版。図版が大変多くありがたい。去年わが大学にもお見えになったはずである(当方は出張で入れ違いでしたが)。それゆえ大阪大学附属図書館所蔵本も掲載されている(193頁)。
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2009年04月07日

Jブンガク

 ロバート・キャンベルさんは散人が助手時代に来日せし人にてわが親しき友人のひとりなり。来日早々、散人ともにアパート探しをせしことも良き思ひ出なり。数箇所を見しが、結局決めしは西日の強き部屋にて、しかも放生会の時には周囲騒然とするハコザキグウの参道沿ひなり。放生会の期間にはキャンベルさんいつも調査に出かけることとなりにけり。

 いまテレビ番組「スッキリ」、「Qサマ」などにて活躍したるが、このたびNHK教育にて「Jブンガク」なる番組始まりて、その講師として出演せり。井上陽水が娘依布サラサ共演にて、初回「学問のすすめ」、次いで「三四郎」を紹介せり。わづか五分のミニ番組なれど、トーク軽妙にて、つくづくこの人の話術のテレビ向きなるを思ふ。

 日本文学の教養番組(しかも英語番組なり)は少なければ、大いに期待するところなり。特にキャンベルさんの選ぶ「古典」のラインナップはユニークならん、おそらくは近世より明治にかけてのテクスト取り上げること多からんと、今後楽しみなり。

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2009年04月06日

井上泰至『恋愛小説の誕生』

井上泰至『恋愛小説の誕生 ロマンス・消費・いき』(笠間書院、2009年4月)。この本は人情本論である。人情本を読者論・演技論・純愛論など様々な角度から論じている。閑山子さんのブログでも評しているように、旧来の近世文学研究とは異なる手法(心理学・社会学・神話学など)を駆使した意欲的な書である。文学史的には洒落本の男女の役割を反転したのが『春色梅暦』という見方は、初出論文を読んだ時から面白いと感じていたし、女が人情本を読むということが疑似恋愛行為としてあったなど、読者論の視点からの丁寧な分析も首肯すべきところが少なくない。

 たとえば第1章の「「ラブ」と「人情」」は、透谷の恋愛観と人情本の恋愛観を比べて、江戸と近代の恋愛観の違いを析出し、従来の江戸の恋愛物の評価方法を一面的と批判するものである。『好色五人女』巻四のお七と吉三郎との濡れ場の解釈が、近代的純愛観でなされてきたことに対して、笑いと余裕をもって読むべきところだという。広嶋進さんのが、この場面における近代的読み方を周到に批判していた「寺若衆の恋」を思い出した。西洋から移入された「愛」の概念がキリスト教の精神的地盤のない日本において空転化したことを指摘する伊藤整の「近代日本における愛の虚偽」(このタイトルは、わが学生時代の下宿で流行語となったものだ、なつかしい)を援用すれば、たしかに人情本論の恋愛観は理解しやすい。

 とはいえ人情本を現代の我々が読むときにも、恋愛観の相対化を行って読むわけではなく、そこに何らかの同調・共感を得ていることも確かで、それゆえに心理学・社会学の応用が可能になるのだろう。
 つまり本書は、出版・典拠・落語との類比など典型的な近世文学研究の方法を一方では用いつつ、「演技」「語り直し」などの社会学・心理学のキーワードを駆使して、現代的な視点からも人情本に迫っている、複眼的、多角的な人情本論である。しかし、そこに本書の脆弱性も垣間見えないことはない。特に後者の叙述(V・Wなど)は、何か「上から目線」であり、人情本に寄り添っているという温かみが薄れ、筆者との距離を感じてしまう。

 もうひとつ、「恋愛小説の誕生」という書名は、人情本が近代恋愛小説の濫觴であるというイメージを与える。もちろん、四迷や鴎外の読書体験から、彼らの恋愛小説の母体の一部であることは疑えないが、本書の狙いからいうと、この書名にはやや違和感がある。

 それにしても矢継ぎ早に本を出す井上さんの、諸学の咀嚼力・応用力と、生産力には舌を巻く。細かいところに異を唱えたものの、その筆力には敬服せざるをえない。今回の本は、長年にわたる大学での講義が下敷きになっているようであるが(そういう情報は本のどこにも書いていないようですが)、繰り返し語ることによって芸に磨きをかけた講釈・落語だと思えば、この豊饒な内容も納得されるというものである。
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2009年04月05日

五岳鑑賞。蕭白の「狂」

4月4日。懐徳忌で、奥平俊六先生の、懐徳堂ゆかりの絵画についての講演を面白く聴いた後、奥平先生に教えていただき、大阪歴史博物館で行われている福原五岳展を見に行く。先生の解説つきという贅沢な鑑賞である。懐徳堂教授の中井竹山、履軒や混沌社の錚々たるメンバー14名の賛が記された「洞庭湖図屏風」が圧巻。これが博物館に寄贈された記念展である。4月6日(月)まで。
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NHK教育の日曜美術館。リニューアルして姜尚中さんが司会。今日は村上隆さんをゲストに、蕭白の奇想の絵を取り上げていた。VTRでは、蕭白の「狂」の思想がその時代の文化人最先端の思想であり、強い「自意識」に基づくものだということが、ロバート・キャンベルさんや、狩野博幸さんのコメントとともに説明されていた。

 「狂」の時代精神と、その具体的なあらわれである狂者列伝については中野三敏先生の『江戸狂者傳』(中央公論新社、2007)に尽くされているし、キャンベルさんや狩野さんの説明も、それに拠っているだろう。また「自意識」については、中野先生は近年「近世的自意識」という言葉を用いる。自意識という言葉は近代的な概念であるから、「近世的自意識」という言葉は、それ自体矛盾をはらんでいるのだが、「狂」という意識を説明しようとすれば、そのようにしか説明できないのである。

 「狂」の思想は、十八世紀の思想文藝界を席捲したものであり、若冲・秋成・志道軒などはそれを体現しているわけである。キャンベルさんは「自虐的な」といい、狩野さんは「孤独であることを強調しなければならない裏にある不安」というようなことを言っており、それぞれなるほどと思わされる。スタジオの村上隆さんは(芸術論を語るところをはじめてみたが)アーチストとしての立場から、蕭白の意識や技法を説明していたが、非常に論理的に語るのが興味深かった。たとえば、どんなにみずから書きたいものを書こうとしても、近世においては基本的には画題に即して描かなければならない。依頼主の注文は必ずそういうフォーマットで来る。実はその枠組み(近代的にみれば制約)が、「狂」を浮かび上がらせることになる。このような「狂」の思想は、いわゆる近代的自意識と、完全に切断されているわけでもないだろうから、これからもっともっと様々なアプローチで考えられてしかるべきだと思う。
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メール不通のアナウンスをしていましたが復旧しましたので、そのエントリーは削除しました。
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2009年04月03日

立ち読み

引っ越し後、整理を終えて落ち着いた日本文学研究室で、新着雑誌をパラパラ見ていると、結構いろんなものが出ている。その中からいくつか。

■加藤弓枝「「書籍講」の成立とその背景―蘆庵文庫所蔵関連資料の翻刻と解題―」(『金城日本語日本文化』85号、2009年3月)

これは去年の鈴屋学会で発表されたものの資料編。私聴きました。論文編は「鈴屋学会報25 2008年12月。例のプリンセスラインで京都女子大まで乗って、「女坂」を少し下ると、左手に神社がありますが、それが新日吉神宮(今年創祀850年)。蘆庵門人で新日吉社神官の藤島宗順をはじめとする藤島家代々の蔵書が蘆庵文庫です。今年。そこの資料を丹念に調べて研究されたのが、宮司の故藤島益雄さんです。藤島益雄さんの業績を顕彰しつつ、蘆庵文庫の資料目録・解題を作成しようというのが、蘆庵文庫研究会(藤島益雄遺稿刊行会)でして、私も一応そのひとり。加藤さんは蘆庵研究の若手で、この研究会で活躍しているのですが、これは蘆庵文庫に蔵される書籍講関係資料25種の紹介。出てきた時にはみんなで「面白そうな資料ですね」と言い合っていたものです。ようやく陽の目を見ました。

■神谷勝広「浮世草子における『琅邪代酔編』利用」(『同志社国文学』70号、2009年3月)。

タイトル通りなのですが、神谷類書学の展開といったところ。これは京都近世小説研究会で聴きました。

■藤田真一「蕪村初午道の記」(『朱』52号、2009年3月)

『朱』は伏見稲荷が出している雑誌。藤田真一さんは、今年1月の阪大国文学会で講演していただいた蕪村研究者。読み始めると「ん?」と一瞬思います。蕪村の書いた伏見稲荷道の記という体裁を取った創作(?)紀行文。現代文で綴られている。文中の作品は真作。愛弟子几董を道連れに楽しそう。かつて上野洋三氏が、烏丸光栄だったかを主人公にして小説風に綴った論文(?)がありましたが、それを思い出しました。
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野畑さくら通り

うちの近くの散歩コース。桜はこんな感じ。満開まではもう2,3日。

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日曜日には、この通り、花見の人でにぎわうことでしょう。



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2009年04月02日

雨月物語の新しい教科書

稲田篤信さん編著『雨月物語精読』(勉誠出版、2009年4月)が刊行されました。大学の教養教育・専門教育用のテキストですが、多分雨月の注釈を作るのは3回目か4回目の稲田さんですから、注釈にはもちろん新見・最新の成果が取り入れられています。

また難読の字には積極的にふりがなを付し、各編冒頭には、わかりやすい1頁の概説(時代・場所・あらすじ・出典・話題・参考)があります。この中の「話題」が新趣向。たとえば「白峯」であれば、道行文、歌枕、寺社参詣、未来記、問答、位争い、禅譲と放伐など、「白峯」を読む際の切り口・視点というようなものが提供されます。これは教える側へのヒントにもなりそうですが、親切すぎるという意見もありそう。でもこの「話題」を一覧するだけで、私などは刺激をうけて頭が回転しはじめそうな感じがします。

典拠の現代語訳やあらすじを付録に付しているのは、大学で教える際には非常に現実的です。私なども自己流の現代語訳をよく用意していました。さらに読みを深めるための「練習問題」がついています。「菊花の約」は全8問で、「左門にはひとと変わったところがあるか。また左門のその後を想像してみよう」とか、「軽薄の人」と評される人物はいるか。それは誰か、なぜそう考えるか」など。現在の雨月物語研究でもホットな論争になっている部分を学生に問いかけるものであり、これで教室で議論すると私の経験でも多分盛り上がります。

しかし、一方で、この練習問題を見て、教科書採用に踏み切れない人もいるような気がする。ひとつには、この問題設定がしっくりこないという人がいるかもしれない。また問題の設定は学生自身が行うべきもので教師はそのためにヒントを出せばいいのだと思う人もいるかもしれない。「練習問題」については賛否両論ではないでしょうかね。もちろん学生が自習用に使うのであるのなら、いい企画ではないかと思います。

あと勉誠さん、1500円以内に抑えてほしかったです。これでは詳細な評註のちくま学芸文庫とあまり変わらないし、お手頃感ならやっぱり角川文庫に軍配があがりますから。それと表紙・序文の影印と、本文(半丁だけでもいいので)の影印を入れておいてほしかったです。

とはいえ、国文系出版社のテキストとしては、最新にして配慮の行き届いた良書といえるでしょう。秋成200年の年にいい本が出たことを喜びたいと思います。
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2009年04月01日

真島望さんの沾涼研究

成城大学大学院の真島望さんの「近世説話の生成一斑―『諸国里人談』『本朝俗諺志』と地誌―」(『成城国文学』25号、2009年3月)は江戸中期の俳諧師菊岡沾涼の著書を取り上げて、さまざまな指摘を行い、文学史的な問題に及ぶ意欲的な論文。

この論文は私の関心に強く訴える。なぜならここで取り上げられる地誌2著は、書籍目録において「奇談」書に分類されたもの、しかも他の奇談らしい奇談とは少し色合いの異なる地誌的要素の濃いものであり、「奇談」の境域を考える際に大いに参考になるものだからである。書籍目録に載る「奇談」書に注目して、そこから「奇談」の概念を借り、これを文学史的に位置づけることの重要性を私はここ数年唱えてきたのだが、これを認めてくださる方が、その方向で研究を進めてくださるのはまことにありがたい。もちろん長島弘明さんのように、「奇談」云々を文学史的に取り上げることに否定的な方もいる(「文学」2009年1・2月号、、座談会「上田秋成」)。そういう議論になるのは大歓迎であり、私自身もこれらの批判・指摘を受けて模索し続けている。

 私の中では、実体的ジャンルとしての「奇談」を想定するのではなく、仮想的ジャンルとしての「奇談」を想定し、そこに実体として存在する「奇談」書群を充てるという操作が実はなされている。今のところ私の「奇談」観はそのようなところである。
 
さて菊岡沾涼は、私もずっと気になっていた存在である。享保期の江戸の談義本には俳諧師が関わることが多いことは、中野三敏先生『戯作研究』につとに説かれるところである。私も常盤潭北という下野烏山の俳諧師に注目して、その俳諧活動と教化活動の地域が一致していることなどから、そのことを裏付けようとした(「常盤潭北論序説―俳人の庶民教化―」)。潭北の教訓書である『野総茗話』も「奇談」書のひとつであったのだ。佚斎樗山と潭北。ここから私の「奇談」論もはじまっている(長島さんの言われるような、秋成の『諸道聴耳世間猿』からではないのです)。
 
 真島さんの論では、沾涼と潭北の活動地域が重なり、沾涼も同様の活動をしていたのではないかというのであるが、これはさもありなんである。また沾涼著作の再版本に秋里籬島の序文があることなどから、地誌→名所図会の流れを想定したり、地誌から説話生成の流れを検証する中で、その俳諧的活動の関与を指摘するなど、示唆に満ちている。私にとっては非常にありがたい論文であった。

ただ欲を言えば、まんなかあたりで、あまり知られていない自著からの摂り入れについて詳細な検討があり、これは極めて有益な指摘なるのだが、論文構成の上では、ここが少し肥大化していてバランスがあまりよくない。まあ、贅沢な注文ですね。ともあれ、可能性を感じる論考でありました。
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