2009年06月30日

ふたつの青春(西田耕三と白石良夫)

今の60代の人達は政治の季節に学生時代を送っている(僕らもその残滓の時代に学生時代を過ごしたが、それは最初の1、2年だった)。現在研究者として重鎮である彼らは、どういう青春を送っていたのか。話を聞くことはあっても、なかなかそれを書きとどめたものは読めない。ちなみに研究者には、文学青年・演劇青年が少なくない。小説家をめざしていたN先生が、中央公論新人賞に応募したが、深沢七郎『楢山節考』とぶつかり挫折を味わった(『本道楽』)のは有名な話だし、和歌研究者のW氏は、野田秀樹とともに演劇をやっていたというし、いろいろ枚挙に暇はないのだが、そのあたりの思い出話を書いたものというのは、なかなか読む機会がない。

 西田耕三「記憶の中の戯曲研究会」(『述』3号、2009年6月)は、西田ファンにはこたえられない一文である。東大の演劇集団のひとつ戯曲研究会に関わったころを回顧した文章だ。議論と暴力の時代を活写している。美術史家の小林忠氏も出てくる。63年に『マクベス』の舞台監督をしたことが書かれている。砂防ホールで昼夜2回、そこで「戯研がめざしていた精一杯の舞台の格調は達成された」という。東大にはいくつかの演劇集団があった。西田氏は、そこに自由があるように感じて演劇を選び、マクベスを終えて、哲学にそれを感じ始めた。小林忠さんの六方談義を面白く聞いたことを末尾に添えてはいるが、横浜市役所勤務をへて、本格的に日本文学に転じるドラマは、また別の機会をまたねばならない。

 白石良夫「文芸部部室と無邪気な夢」。糸島に移転した九州大学六本松キャンパス惜別文集『さよなら六本松』に載せた一文に大幅加筆して成った文部省退官記念の私的配り物。しかし素晴らしい装丁に仕上げている。六本松には私も2年半いたので(普通は1年半です)なつかしい。しかし白石さんが入学したのは1968年。まさしく政治の季節だった。この年、九大キャンパスに建設中の大型電算機センターに米軍基地のジェット機が墜落する。文芸部の活動ももちろん政治的色彩を帯びる。大江健三郎にイカレていた白石良夫さんがここにはいる。過激派が教養部本館を占拠し、機動隊が導入される事件のあわただしさの中で、ドサクサにまぎれて定員オーバーしているはずの国文科にもぐりこんで進学していた。白石さんは太宰治賞に応募した。わずかの差で次点とか佳作だったというのが僕らの間で定着した神話だったが、実際はちがっていたようだ。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月29日

過目抄2

荒木浩さんの「『源氏物語』宇治八の宮再読」(「国語国文」2009年3月)。副題に「敦実親王准拠説とその意義」とあって、そのとおりの内容だが、説得力があるように思う。従来の準拠説では実際の「八の宮」ではないが、敦実親王は「八の宮」。なおかつ、音楽に優れている人であること、宇治にもゆかりのかることなど。関連論考に「詞林」45号の「世を倦じ山と人はいふ」。

入口敦志さんの「唐冠人物の来歴」(「日本文学研究ジャーナル」3、2009年3月)。有名な豊臣秀吉の肖像画は唐冠をかぶっているが、秀吉以前には神・異国人しかその例がない。では秀吉肖像画はなぜ唐冠をかぶっているのか?という謎を提示。その謎解きが『帝鑑図説』論につながるワクワク感いっぱいの論文。その『帝鑑図説』受容についての概説は、「『帝鑑図説』受容概観―絵空事が現実に―」(『東アジア海域交流史 現地調査研究〜地域・環境・心性〜』、2009年1月)これら一連の論考は早く本にしてください!。

田村隆さん「硯瓶の水」(『語文研究』107、2009年6月)谷崎源氏の新訳で消えた場面、それはなぜか。これまた推理小説的な叙法。器用な筆さばきなり。田舎源氏も出てくる。

しばらく前に読んだものが多いのですが、書きそびれていました。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月28日

お経様

さる先生から、いい本だから紹介してくだされば幸いと言われた出版物です。

神田秀雄・浅野美和子『如来教・一尊教団関係史料集成』全四巻(清文堂出版)が完結したということ。

私自身知らなかったのですが、いわゆる新興宗教のはしりとされる如来教の関係史料。教祖喜之の言葉が、厖大な「お経様」としてのこされていて、それが集成された貴重な史料集ということです。

http://seibundo-pb.co.jp/sinkan.html#0675


posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月26日

純心はわが母校?

秋成200年記事、その4。

自分のことで恐縮ですが、「没後200年、上田秋成の文学」と題する講演を長崎で行います。以下HPより転載。

長崎純心女子大学国語科教育研修会
開催日時: 7月4日(土)   14:00〜16:00

会 場: 長崎市男女共同参画推進センター アマランス
〒850−0874 長崎市魚の町5番1号(長崎市民会館1階)
受講料: 無 料 (申込み不要。直接会場へお越し下さい。)
講座の内容: 「没後200年 上田秋成の文学」
講師 / 飯倉 洋一 (大阪大学教授)
主 催: 本学比較文化学科
お問い合せ: 長崎純心大学 生涯学習センター
TEL:095-846-0102

情報はこちらに出ているが、そこの講師プロフィールに普通ではありえない一行がある。

純心女子短大附属純心幼稚園卒。

もちろんこれは、主催者の純心大学(の前身である純心女子短大の付属幼稚園)が私の母校幼稚園だということを特記したものである。さよう、私めは、「じゅんしんよーちえんのおかーさま、サンタマリア、サンタマリア、ちいさなわたくしたちを、おまもりくだーさい」と、よく歌っていたものなのである。といってクリスチャンではない。長崎には、ほとんどキリスト教系の幼稚園しかなかったのだ(と記憶する、事実はどうかしらん、純心幼稚園は自宅のすぐ近くの幼稚園だった)。しかし、この幼稚園時代に、私は「天使さまがいつも見ているからわるいことはしてはいけない」と自分にいいきかせていたのだから、教育というのはすごい。

その母校(?)から、呼んでいただいたのだから(呼ぶ方はそんなことは知らなかった)、一応プロフィールに書いて、おそるおそる「載せるかどうかはお任せします」といったら、「それは是非」ということで載せてくださったのである。

そういうわけて、わけのわからないことを書きましたが、長崎の方で、その日はちょうど暇で暇でしょうがなかったという方がおられたら…いないでしょうねえ(^^ゞ、どうぞ、ということで宣伝しておきます。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 私の仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月25日

源氏千年紀、秋成二百年祭

上田秋成は、1809年の6月27日に没した。もちろん旧暦と新暦の違いはあるのだが、いよいよ200年が迫ってきている。たまたまこの日は、堂島の近くと、京都とに行く用事がある。私の中で、200年前を想起してみたい。

上田秋成200年祭関連記事の3。

高田衛氏が、6月24日付朝日新聞夕刊文化欄に、「上田秋成没後200年に寄せて」という文章を寄稿されている。50年前の没後150年祭の時に、佐藤春夫・石川淳・青野季吉らの秋成好きの作家と、重友毅・丸山季夫・森山重雄らの研究者に加えて、まだ20代の高田氏も講演したという思い出から記事が始まる。

その間50年、ずっと秋成研究の第一線に居続けた。『上田秋成年譜考説』は30代なかばの著作だが、45年にわたって、秋成伝記研究の基礎的文献としてあり続けている。もちろん、やはり30代で出した『上田秋成研究序説』における「読み」もその後の研究史に大きな影響を与えた。

しかし高田氏はそのことには触れず、長島弘明さんの秋成実母発見(このインパクトは当時の新聞をかなり賑わせたほどでよく覚えている)と、故中村幸彦氏の秋成研究への寄与の大きさを挙げている。

まことにしかり。今年3月、「忍頂寺文庫・小野文庫の研究」の実地調査で淡路島へ出かけた。折角の機会だからと、メンバーみんなで、中村先生のお墓参りをした。その時私は、今年は秋成200年祭であり、来年は秋成展が開催されるということを御報告した。

中村氏と高田氏の学問は対照的であった。しかし、お二人のご研究に導かれて、ここ50年の豊かな秋成研究と魅力的な秋成像が生まれた。その高田氏のご発案で、秋成展も実施されることになる。

高田氏がいうように去年の源氏1000年にくらべて、今年の秋成200年は、「ひっそり」と迎えられている(源氏と雨月というのが、この文章のひとつの核になっている)。また150年の時の華やかさはない。しかし、来年の秋成展では50年前には出されたかったものが、かなり出展される見込みである。それが50年にわたる秋成研究成果のひとつのあらわれなのである。高田氏の春雨物語論も今年上梓されると伺う。泉下の秋成も、気になり始めたのではないかと思う。

posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月21日

藤岡作太郎の秋成研究

秋成没後200年に関わる記事、第2。

『日本古書通信』2009年6月号に、木越治さんが「秋成逍遥1」を載せている。副題は「秋成200年祭あれこれ」。藤岡作太郎の秋成研究について述べたものだが、作太郎の遺した日記(これは木越さんが別途翻刻)から、彼が京都の富岡謙三(鉄斎息)のところで、春雨物語の翻刻・校訂作業をするところを引用している。藤井乙男も協力。わずか4日で作業終了。私もかつて、ここを読んで驚いた次第。
この連載、これからどう展開するのか楽しみである。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

本朝桜陰比事

清文堂の「西鶴を楽しむ」シリーズ最新刊は杉本好伸さんの『日本推理小説の源流 本朝桜陰比事』上・下(2009年6月)である。

なるほど、推理小説の源流か。とても読みやすくて、スリリングな本である。杉本さんは一般読者の視線がわかっておられる。読みやすいための工夫が随所になされている。まだ途中までしか読んでないので、詳しい紹介はできないが、西鶴を楽しむには、たしかにお勧めの本である。

ここで勢いに乗って、是非作品を文庫本で出してほしい。だって一般の読者が『本朝桜陰比事』を原文で読むって大変ですよね(おうふう?これも専門家・大学テキスト向けですね)。K文庫あたりで出してくれないでしょうか?あるいはその方向で話が進んでいるのかな。勝手なことを言ってすみません。

なおこの「西鶴を楽しむ」シリーズはこれまで、好色一代女、日本永代蔵、万の文反古、世間胸算用を出している。いずれも読みやすく、面白い。シリーズが続くと、非常にすばらしい叢書になるだろう。応援したいものである。公立図書館・大学図書館にもいれましょう。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月19日

上田秋成と村上春樹

読売新聞の本日(6月19日)付朝刊(文化欄)に、上田秋成没後200年に関わる記事が載っている。

散人も記者に取材を受けた。その折に、「村上春樹も『雨月物語』を読んでますよ、『海辺のカフカ』に出てきます」という話をしたら、ずいぶん興味を示していた。はたして、見出しに大きく「「雨月物語」と春樹文学共振」と来た。長島弘明さんのコメントを活かして、『1Q84』を執着と分身の物語ととらえ、雨月と共振するというのである。『海辺のカフカ』には「菊花の約」のあらすじが紹介されるということは記事に出てくるが、実はもうひとつ、後半、奇妙な登場人物(?)のカーネルサンダースの口から、「貧福論」の一節が出てくるのだ(第30章)。このことも話したのだが記事にはない。これは散人的には重要だと思うのだが。

 いずれにせよ、秋成没後200年が記事になり、全国版の朝刊に載るというのは、秋成展実行委員会事務局としては、いとすばらしき事である。ちなみに岩波の「文学」1・2月号の秋成特集、井上泰至さんの『雨月物語の世界』、そして来年の秋成展(正式には「特集陳列」なのだが記事で「特別展」としてある。もちろん「特別」な展示であることは確かであるが、特別展覧会と呼ばれる全館を使う規模の大きいものではない。それでも本館の半分を使う)が情報として載せられている。

 細かいところはともかく、記者のMさんの文章はとてもいい。白眉は秋成肖像とともに、未紹介の某氏蔵「木村蒹葭堂画秋成賛」の画像がカラーで載っていることだ。お手元に新聞のある方は是非ご覧ください。

なお24日の朝日新聞文化欄には高田衛さんの文章が載るらしい。
posted by 忘却散人 | Comment(2) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月17日

上方文藝研究 第6号

『上方文藝研究』第6号(2009年6月)の印刷が終わった。購読の方には週末か来週明けにはお届けできる予定である。住所が変わった方は急いでお知らせください。前号の巻末に書いているアドレスに。今号は94頁。初のカラー口絵である。

川端咲子「忍頂寺文庫蔵〔逸題加賀掾段物集〕について―段物集研究の試みとして―」
神明あさ子「『御伽厚化粧』と『世説故事苑』」
山崎淳「地蔵寺蔵『観音新験録』—翻刻と解題」
廣川知花・鳴海邦匡「名所「待兼山」の成立―和歌と伝承の近世的受容をめぐって」
神作研一「石塚寂翁の家集について」
浅田徹「難蔵山集 翻刻と解題」
連載 上方文藝研究の現在(6) 京都近世小説研究会(廣瀬千紗子)         

カラー口絵になったのは、地図を載せるため。地理・歴史的研究者である廣川・鳴海稿の「待兼山」考は、阪大から出る雑誌に載せるのにふさわしい(阪大文学研究科の住所は待兼山町です)。もちろん地図も日本文学研究者ではまず目に触れないもの。近世中期の待兼山を描いたもの。お二人の他、山崎淳・神作研一という新入会員が力作を寄せられた。忍頂寺文庫の共同研究とおおいに関わるのが川端咲子稿、近世中期の読物と類書の関係に光を宛てる神明あさ子稿、そしていまや『上文(かみぶん)』の顔となった浅田徹稿と、本数は少な目だが、バラエティに富む。そして特別に廣瀬千紗子さんにお願いした研究会紹介では、その前身西鶴輪講会のことも興味深く語られる。

興味のある方は、iikura(あっとまーく)let.osaka-u.ac.jpまでどうぞ。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月15日

キャンベルさんと和本リテラシー

ロバート・キャンベルさん出演の「スタジオパークこんにちは」をビデオで見た。

キッチンのシンクで入浴していた幼少時代、バックダンサーとしてプロ並みの活動をしていた高校時代の話も面白かったが、やはり特筆すべきは江戸文学の魅力を語り、師中野三敏先生の説く「和本リテラシー」の啓蒙を実践していたところだろう。かなり意図的と見た。

スタジオに持ち込んだ和本は、すべて、活字では読めない、しかし江戸時代の魅力が満載の、変体仮名で書かれた本であった。中野先生が『和本の海へ』や、日本近世文学会での閉会前の挨拶で力説されていた、今こそ和本リテラシーの復活をという主張に呼応するキャンベルさんならではの啓蒙実践である。何百万人の人が、このテレビをみたはずで、その効果は相当なものだろう(と思いたい…)。

江戸時代の本の99パーセントは、まだ活字化されていない。そこには面白い本や思想が眠っている。それを発掘し、読むためには、変体仮名が読めなければならない。1パーセントの本でわかったようなことを言ってもいいのだろうか。つまり日本文化や日本思想を論じるためには、和本リテラシーはは無視できない。戦前まではあたりまえに知識人ならそれが出来ていた。しかし、今は変体仮名で和本を読める人は日本に数千人しかいないのではないか。これは日本文化論、日本思想論の危機である。

和本リテラシー復権の主張は簡単にいうとそういうことである。学会でも取り組むべき課題であるが、まずはキャンベルさんが先陣を切ったわけである。
posted by 忘却散人 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ロバキャン、スタパ出演

本日のNHKの「スタジオパークこんにちは」に、ロバート・キャンベルさんが、ゲストで出演するという情報がいま、もたらされた。ビデオを撮るように段取りをしなければ・・・。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月14日

中公新書の森

『中公新書の森』が面白い。2000冊を記念して出した冊子である。アンケートで著名人に、中公新書の3冊を挙げてくださいというのがある。応じた方々が挙げてるのを見て、「あー、なるほど」と思いつつ、それらの中でという限定で、私にもインパクトのあった5点をあげれば、『アーロン収容所』『時間と自己』『儒教とは何か』『荘子』『八犬伝の世界』あたりか。いずれも定番ですな。しかし、この冊子を見て、未読だが読んでみたいなと思った本が多数ありました。
posted by 忘却散人 | Comment(2) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月12日

ミミズ氏の教訓

忘却散人、さるところにて、体長30センチばかりのミミズ氏と遭遇せり。小さき蛇かとおもふほどなり。散人かくも長きミミズ氏を見るは初めてにして、眼を丸くす。ミミズ氏いづこにか急ぎけるさまにて、一心に前進す。その進みやうは、いとおそけれど着実なり。いつしか、数メートル進む。まことにたゆまずに進むことの尊きこと、これに知らる。
posted by 忘却散人 | Comment(2) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月09日

先入観は学問の母?

日曜日はものすごく久しぶりにQ大学会へ行く。入口敦志さんが、「吹き出しの夢」について博捜した資料に基づいて図像学的な興味深い発表をする。「お大の夢、家光の夢」という題の発表は、去年のハーバード大での荒木浩さんの同じ主題に関わる発表に触発された由。そういえば去年、このお二人が夢の吹き出しについて情報交換されている現場に立ち会ったことがある。活字化が楽しみでござる。

今年九大を転出しK文研の館長になった今西祐一郎先生が、伊勢物語後人注記をどう読むかという講演をされる。源氏物語がなぜ源氏と藤壺の密通を(皇統に関わる重大な問題を孕むことになるのに)描き得たのか、という疑問を、伊勢の後人注記と結びつけた、大胆にして驚愕の仮説。パワーポイントを駆使しながら、「先入観は学問の母でありまして…」と(わざと)危険な香りのする言説を述べていた。この先生にはこの手の名言が多い。

あとで中野三敏先生が「あれは中古だから言えることだよな」と、機嫌よく笑っておられた。もっとも井上敏幸先生は、「あれは、正しい。あれは、正しい」と得意の反復用法で深くうなずいておられた。反復といえば、京都から母校に帰った青木博史さんも、反復表現の話を発表していた。

ちなみに久しぶりだったので、懇親会で「スピーチをしろ」とT山倫明氏がいうので、退任を祝うスピーチでは学問の話をせよという、某先生の言葉を思い出し、まあ転任だけど、初期今西源氏論について一席。内容はここでは書かないが、『源氏物語覚書』未収の3論文について、ちと思い出とともにしゃべらせてもらった。司会のK島さんが「今西先生、ご反論はありませんか」とふったが、「いやいや」と大人の対応をされ、「追悼のごあいさつ、ありがとうございます」と一礼されました。

ところで、佐賀大学に移った白石良夫さんから聞いた話では、4月刊行の同氏訳注の講談社学術文庫の『うひ山ぶみ』が早くも増刷したそうだ。こういう希望のニュースもあるわけだからガンバロー。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月05日

過目抄

 今日は必要があって論文を7本ほど読んだ。6月に出る予定の『上方文藝研究』の編集部チェックと、12月にあるところに出るはずの某先生のご論文。そして研究室新着雑誌や送っていただいた抜刷など。

 12月に出る予定の某先生のご論文については、久し振りに読む快楽を味わっって、爽快。いろいろ議論されている超有名作者の作品についての一種の仮説なのだが、じつにスッキリした。言うのは出るまでがまんがまん。

 近衛典子さんの「雪岡覚え書き―『筆のさが』周辺―」(駒澤国文 46号)。上田秋成の周辺にいる歌友の一人で、「筆のさが」論争に関係する重要人物。田中康二さんも『鈴屋学会報』で扱っていたので、急に光があたった感じがする。『六帖詠草』(蘆庵文庫本、これは刊本にくらべて数倍の情報量がある、自筆本系の写本)春11に載る記事を引く。

 妙法院宮(光格天皇の兄)が南禅寺真乗院の雪岡のところにいて、蘆庵を召すので、行ってみたら東東洋(画師)が、その場で絵を描く席画をやっていた。騎乗の人をかいていたら、筆を落としたが、それを蝶々にしたという、なんとも好もしい話である。妙法院宮、相変わらずやってくれるな。

 と、話がそれているようだが、とにかくこのころの京都文壇というのは、このエピソードに象徴されるように大胆な人的交流がある。その中から江戸に行く人が出てくれば、流れはさらに大きくなるというもので、そこを巧くとらえているのである。村田春海と上田秋成を繋ぐとか。

 一戸渉さんの「『土佐日記解』成立考―宇万伎・秋成の土佐日記注釈―」(『国語国文』2009年5月)は、2007年に大阪大学で開催した「秋成 テクストの生成と変容」のシンポジウムで発表していただいた内容の論文化だが、博捜と詳細な考証に感心したが、シンポジウムでも話題になっていた、秋成が何度も補訂することにこだわる意味や、土佐日記注釈史での位置など、展開すべき大きな問題を含有しているとはいえ、とりあえずは閉じたな、という印象があった。まあ掲載誌のカラーもあるし、わかるのだが…。

 有働裕さんの「「仁政」に対峙する西鶴―『本朝二十不孝』と『懐硯』の「諸国」」(国語国文学報 67、2009年3月)。これには言いたいことがいろいろあるのだが、西鶴にあるという「透徹した作家意識」とは具体的にはどんなのだろう。ここがよくわからないので、もう少し考えてみてから。

 『文献探究』47号(九州大学、2009年3月)も来た。会員なので2冊送ってくる。奥付が3月というのは、きょうびちょっと遅れすぎ。タイムラグは1か月以内が限度だと思う。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月03日

役に立ってる?

最近このブログが近世文学研究の役に立っているという自画自賛ばなし。

その1 このブログを見て『雅俗研究叢書』を雅俗の会に注文された方(近世文学会の人ではない人)がいたみたいです。さきほど雅俗の会から御礼のメールが来ました。

その2 一般の方から『忍頂寺文庫・小野文庫の研究』を読みたいというメールをいただき、早速差し上げました。こういうのは嬉しいですね。

その3 ある方から、文献目録に載せたいので、このブログで紹介した本を貸してくださいとお願いされて、喜んでお送りしました。

その4 あるシンポジウムを紹介したところ、このブログで知ってそちらへ行き、面白かったと言っていただきました。

まあブログですからそれくらいのことはありましょうが。

たまたま、私が知り得た情報を、有用だと思ったら(もちろん気が向いたらという限定付きで)、メモ風に書き付けているだけなのですが、このブログで知ったという方がいますと、「よかった」と思うわけであります。今日は授業を3コマやってちょっとほっとしながらこれを書いています。ゆるんだ感じ出てますね。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月02日

伊丹椿園の詫び証文

大学から車で15分の柿衞文庫。閲覧の用事もあり、展示も見ていなかったので、ちょっと出かけた。「酒都伊丹につどう」と題した特別展。多彩で内容が濃い。その中で1点だけ触れておく。

初期読本作者の伊丹椿園に関する資料。銘酒剣菱の醸造元津国屋勘三郎の娘と結婚し養子となった男だが、放蕩と文学に耽って実家に追い返された。そのときの詫び証文が展示されていた。伊丹市立博物館所蔵。

余談だが、その伊丹椿園について、愛媛大学の福田安典さんが、5月16日(土)午後、伊丹で講演をしたらしい。福田さんは5月15日(金)の夜、東京にいたのが確認されている。そして5月16日(土)の夜には東京での学会の懇親会にいた。そして5月17日(日)には別ネタで学会発表をしていた。売れっ子アイドル並み、もしくは時刻表ミステリーの登場人物並みである。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月01日

柳川の文事

『柳川文化資料集成』第五集、『柳川の漢詩文集』(柳川市、平成21年3月)が刊行されている。奥付とのタイムラグがあるが、最近出た模様だ。

 柳川市は古文書館を持ち、そこには市内の旧家から次々と史料が持ち込まれてきた(こうした状況は古文書館の努力のたまものなのである)。これらを研究する支援態勢も整っていて、稀に見る郷土史料研究環境が整っている。私も九州に住んでいたころ、幾度となく通い、目録作成のための調査カードを取ったり、柳川藩の国学者西原晁樹のことなどを調べたりしたこともある(『山口国文』という雑誌にのせた)が、それも10数年前の話。その後、市史編纂に関わる人々によって、着々と研究成果が発表され続けているのは慶賀の至りである。

 この『柳川の漢詩文集』はA3約600ページの大冊で、自治体の出版物でなければ出版不可能な企画である。高橋昌彦氏の編集。安藤トウ(人偏+同)庵・仕学斎・間庵、立花玉蘭・牧園茅山・立花鑑寿(藩主)・蘭斎・中野南強らの漢詩文集を集めている。月報には中野三敏先生が寄稿。李卓吾『蔵書』を絶賛した仕学斎の詩を紹介している。
 
 ところで8代藩主立花鑑寿には『陽徳院様御詠歌 拾四冊』という詠草類があり、そのうち八冊に御杖の添削・評語があるのだが(柳川古文書館蔵は転写本)、五段階評価で歌を採点、かなり厳しいのが興味深い。五段階評価の採点って、他にあるのだろうか。これについては『新柳川明証図会』(2002年9月)で少しだけ触れたことがあるが、内容については未紹介だと思う。ぜひ誰か九州の若い方が紹介していただきたい。

 ちなみに倉員正江さんが最近柳川藩を攻めている。こちらの仕事にも注目しているところである。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする