2010年02月28日

台湾大学の貴重書

以前紹介したことがあったが、『国立台湾大学図書館典蔵日本善本解題図録』(国立台湾大学図書館、2009年12月、実際の表記は旧漢字)を関係者のご好意により少し前に拝受した。

在外日本古典籍の調査をずっと続けている九州大学の松原孝俊教授のプロジェクト(通称松原調査団)で、2000年度に中野三敏先生を中心に着手された日本古典籍悉皆調査(調査人員のべ58名、滞在日数270日)によって2万冊が調査されたという。

その中から、中野先生が一人で選んだ貴重書118点が図録化されたものである。高温多湿ゆえの虫食いで、貴重書指定を断念したものもあるらしいが、ここに載っているものだけでも、すごい。ただし、ここは私の関心に偏るものから挙げる。

『日本書紀』は相当古い写本があるほか版本も貴重書所載だけで4種。このなかに加藤宇万伎が宝暦10年に校合、秋成が安永4年に契沖本に行った校合の書き入れをした旨の奥のある整版本がある。

仮名草子は『伊曾保物語』(古活字版)、『うきくも物語』(他に国会本しか知られないが、題簽完備はこの本のみ)、横山重氏旧蔵の『周防内侍』、伝本稀少の寛永版11行本の『醒睡笑』。

西鶴本は、『好色一代男』『近代艶隠者』『新可笑記』『世間胸算用』『一目玉鉾』『日本永代蔵』『西鶴織留』『武道伝来記』(初版)『本朝桜陰比事』『西鶴俗つれづれ』と豊富にそろっている。

八文字屋本、その他の浮世草子から特に注目すべきものをあげると、「異例の4冊本」という中嶋又兵衛板『百性盛衰記』、題簽完備の『風流七小町』、『浮世草子年表』に記載のない『楠一生記』、他に伝本の報告のない『浮世町人形気』など。

亀井森氏によって三冊の活字本となった『絡石の落葉』(台湾大学図書館刊)は紀州和歌山藩士長沢伴雄の歌文集だが、その蔵書長沢伴雄文庫は485点ある。『蘆庵集』20冊は新日吉神社蘆庵文庫調査チームの一員としては気になる存在だ。

きりがないので、この辺で終わるが、ともかく充実している。どうしても見たいと思うものもある。そのうちなんとかしよう。

解題執筆者。入口敦志、漢那敬子、亀井森、花田富二夫、藤島綾、宮崎修多、和田恭幸の各氏。主編松原孝俊氏。監修中野先生。

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2010年02月27日

あふげば尊し

水鳥荘先生より、拙ブログのあるエントリーのコメント欄に書き込んだけれどもうまくいかなかったというお知らせがあった。お許しを得て、ここに掲げさせていただく。なおオリジナルの文章の前半は載せていません。

ちょっと「仰げば尊し」歌詞を確かめに、今出ている岩波の新日本古典文学大系の明治編、「教科書 啓蒙文集」を読んでいてあっと驚いたので以下に記します。例の「あふげば尊し」の注です。「教えの庭にも」を単に学校のこと、はまぁ良いとしても(孔子の息子鯉の故事、庭訓のことを言わねばならないでしょう)、しかし何よりも「いまこそわかれめ」を「別離の時、進路の分かれ目」とわざわざ注していることです。これは係り結びで、いまこそ別れよう、という決別の言葉と注しなければ、現代の馬鹿高校生が注を書いたかと怪しまれます。また「身を立て名をあげ」を「立身出世すること」と注があり、驚きました。これも「孝経」の詞句からで、決して今でいう立身出世でないことは古典をやれば誰でもわかることで、加地伸行先生なら、おおたわけ!と叱るところです。他の箇所の注はまだ見ていませんが、こんなナウい、現代風の注が皆ついているのではないでしょうか。六日の菖蒲的な記事で申し訳ありませんが。

注釈というのは怖ろしい。いくら勇ましい論をたてても、注釈が出来ていなければ、「なんだ、こんなもんか」と見あらわされてしまう。ただ、恥をかかなければ成長しないので、私なども、この年になっても、はずかしい間違いをするリスクは承知で、注釈を公にする。その時に、教えて下さるがまだまだたくさんいらしゃるというのは大変心強いものだ。
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京大坂の文人 続々々

きょうだいざかの文人ではなく、きょう・おおさかの文人である。
続々を紹介したときに、「いっしゅんよみまつがい」をされた某教授がおられたので、あらためて注意喚起!でございます。

管(すが)宗次さんのシリーズ第4弾。幕末から明治にかけてを中心に、上方の文人について、珍しい資料を紹介しながら述べている。

和泉書院の上方文庫36、2009年2月刊。

進藤千尋というのは青蓮院宮坊官。名著『幕末の宮廷』を書いた下橋敬長の国学の師。この人について書かれた「進藤千尋について」が巻頭にあるが、これは、私どもの研究同人誌『上方文藝研究』に掲載されたものである。

全11章から成る。教えられることばかりである。

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2010年02月25日

初期草双紙研究の新段階

毎年年度末の2月・3月は、学術刊行物・学術雑誌・各種研究報告書の刊行ラッシュである。私も、いただいたり、目にしたり、購入したりしているが、一方で、この時期は入試や自分自身のかかわる報告書等で多忙なので、なかなかここで紹介することができない。

『近世中期文化を視野に入れた初期草双紙の総合的研究』(研究代表者 黒石陽子、2010年3月)は、草双紙研究グループ叢の会のメンバーによる共同研究である。単なる翻刻紹介ではなく、「草双紙を読む」ことに力点を置いたもので、言葉と絵の関係の読み取りを分析したという。

叢グループの草双紙研究に果たしてきた役割は非常に大きい。翻刻・紹介の段階から、読みの段階へ入ったのだなと思わせる今回の報告書だが、さらにこれらの研究を総合した、あらたな初期草双紙概論を提示していただきたかった。なかなか個別の論だけ並べられても専門外の者は入りにくいのである。

「近世中期文化を視野に入れた」というのがちょっとわかりづらい。もちろん科研の課題名というのは、そういうものだということは、実はよくわかっているのですが。

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2010年02月20日

読書会のあり方

日本文学協会の近世部会が出している会報『近世部会誌』がこのたび第4号を刊行した(2010年2月)。

ひとり2頁程度の研究報告が9本。高田衛先生が、春雨物語の天津処女について書いている。富岡本という秋成自筆本を影印で読み、その文字づかい・筆致について述べるのだが、特に末尾の一文で「遍昭」の2文字が「やたらに色濃くしっかりとした造字」で書かれていることに注目している。その理由として、空海の法名が「遍昭」であることと関わるのだと言われ、あらたな読みを提示している。

拙論「『春雨物語』論の前提」(『国語と国文学』2008年5月)で、春雨物語を読むときは、活字化されたものを読んでも大事なものが抜け落ちてしまう。秋成の筆の文字づかい、勢い、濃淡などを読むことが不可欠という論を述べたのだが、高田先生もまた、この方向で春雨物語を論じ始めているのは、心強い。しかしさすがに高田先生は、問題意識が大きい。仮説の域を出ないといえばそれまでだが、ロマンの希求者が、文字づかいから出発して立論したものとして私は記憶するだろう。

 ところで、この会報の末尾に載る部会の活動記録を見ていると、この研究会の作品読破ペースはものすごい。

 読書会というと、演習のように注釈的に進めるというイメージが私などはあるのだが、どうも巻の一、二全部を一人が担当して、発表する形式のようなのだ。

 当然、なんらかの問題意識をもたないと、発表はできないだろう。研究会は議論の場となる。ひとつのテキストを共通素材として、読みのセンスを磨き、問題発見能力を養う。そういう会になる。

 そういう読書会というのもちょっとしてみたい気がするが、注釈的方法が骨の隋まで沁みた我らにはなかなか難しい。もちろん、注釈的方法を用いながらも、大きな問題を常に意識するように、読書会では注文しているつもりだが。

 読書会で、2002年4月に読み始めたある初期読本。50回以上、毎回3時間ほどの時間をかけてやっと今日読み終わる。丸8年。これまた牛歩というか、亀のあゆみというか。感慨はある。もちろん反省もある。だからこのあと、何をどのように読んでいくかは、考えなければならないだろう。

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2010年02月17日

「地上の星」が聴こえそうな

江戸時代中期、大坂の町人によって設立された懐徳堂は、江戸時代の終焉とともにその幕を閉じる。しかし、学校再建に熱情を燃やす人々がいた。彼らは幾多の困難と予想外の事態を乗り越え、懐徳堂を再建する。それが重建懐徳堂である。重建懐徳堂の運営母体となったのが懐徳堂記念会。1910年の創設。すなわち今年100周年である。

阪大リーブル懐徳堂シリーズの第3弾、竹田健二『市民大学の誕生―大坂学問所懐徳堂の再興』(大阪大学出版会、2010年2月)は、懐徳堂記念会100周年記念事業出版のひとつ。懐徳堂の先賢たちを顕彰する式典・講演・展覧会を行い、その残余金を基礎として、懐徳堂記念会を発足させ、懐徳堂を再建した人々のドラマがここには描かれる。まさにプロジェクトXのような物語。

 その主役は、『懐徳堂考』の著者で朝日新聞の編集者西村天囚と、懐徳堂の巨人中井竹山・履軒の子孫の中井木兎麻呂。多くの新資料を駆使してはじめて明らかになる懐徳堂再建のドキュメント。現在懐徳堂記念会の仕事に従事しているものとしては、手に汗を握って読んだ。


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2010年02月16日

感謝

 カウンター表示が10万を突破しました。

 このカウンターは必ずしも正確なアクセス数を表わしていません。シーザー・ブログのアクセス解析ではいつも違う数字が出ています。
目安です。

 それでもこれだけの数字を2年足らずで達成したのは、嬉しい誤算で、アクセスしてくださった皆様に深く感謝申し上げます。

 よく「大変でしょう」と言われることがあるのですが、趣味のひとつでして、書きたいときに書きたいことを書いているだけですから、大変なことは全くありません。これからも当面このスタイルで書き続けてまいります。

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2010年02月14日

妙は唯その人に存す

西田耕三『近世の僧と文学』(ぺりかん社、2010年)が刊行された。「妙は唯その人に存す」が副題である。

 妙幢浄慧という人物にスポットライトを当てて、その伝をまず立てる。冒頭から約100頁にわたる。妙幢は地蔵信仰者として従来位置づけられてきた。しかし、「地蔵信仰の前に文辞の世界があり、生涯を通しての詩癖があった」。「文辞の世界の土台の上に仏教があり、思想があった」。妙幢にはまだ伝がない。そういう人物に興味を持ち、まず伝をたてる。思弁的な論文を得意とする西田氏には珍しく、禁欲的に淡々と記す伝記である。初出『江戸時代文学誌』。九州の研究会で中野三敏先生と出会って、その影響を受けたのではないかと私は見る。

材料は『儒釈筆記』72巻29冊(国会本)という厖大な彼の著述である。これまでの西田氏の著述にも時々引かれていたが、本書ではこれが主役となる。その中から、「妙は唯その人に存す」という言葉を拾い出してくる。儒仏において文章論・文芸論がなされるが、文字・文章の得失・尊卑はそれを使う人に存するのだという考え方で、伊藤仁斎などにもみられるという。とはいえ「詩の外に禅なく、禅の外に詩なし」などと主張しているのではない。詩は禅の契機となりうるということなのである。

 たとえば井沢蟠龍に対する批評。俗説を退ける合理的解釈に賛意を示す一方で、俗説を生かすことをしない蟠龍を批判もする。彼には「妙」がない。つまり「妙」とは何かと考えることが、妙幢にとって批評の基準になったというのである。西田氏が妙幢に魅かれた理由が分かるような気がする。

 では「妙」とは何か。妙幢を離れて類似の認識を探る127頁以下の記述に、秋成も出てくる。秋成の作品の「妙」をここから捉える視点を示唆しているが、「具体的に作品論を展開する場ではない」としている。これは惜しい。西田氏の雨月物語論は30年以上も前に伺ったことがあるのだが、なかなか書いてくれないのである。それにしても、三浦梅園・中峰明本らの思想家、『剪燈新話』『好色一代男』、李卓吾、太宰春台、中江藤樹・頼山陽・荻生徂徠などなど、次々に「妙は唯その人に存す」と同じ認識を拾ってくるのは西田氏の真骨頂である。

 今三章構成の第一章に触れたのみであるが、他に個人的には「陰隲について」という本書書き下ろしの論文が非常に有益そうである。ここに出てくる本は私も少しだけ集めかけたことがある。和製善書というか、可能性に満ちた雑書の世界である。

 ところで、「あとがき」で西田氏は、後小路薫氏と堤邦彦氏の名前を先達として挙げている。後小路氏は、勧化物年表作成者として不朽の名を残されたし、堤氏は、文学と唱導との交絡を明らかにしてきた。これに対して西田氏は、仏教者の言説を「文学」として捉えている。これは「妙は唯人に存す」という考え方と無縁ではない。卓越した批評家である西田氏が、批評の原理をこの言葉において書いた本が本書ではないかと、未読の段階ながら想像しておきたい。
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2010年02月12日

回文

国文学研究室に教員個人のトレイがあって、そこで学生に渡す物などを入れておいたりする。そこで思いついた回文。

  わたいトレイに入れといたわ。
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2010年02月06日

交差点としての江戸派

田中康二『江戸派の研究』(汲古書院、2010年2月)。閑山子ブログにて既に紹介がある。江戸派とは、賀茂真淵門の加藤千蔭・村田春海を中心に結ばれた和歌・和学の流派である。

 ところで、春海は上田秋成とほぼ同年代。「とかく学問を私する」と、秋成に言ってきたので、秋成は独学論を展開して反論している(『胆大小心録』)。私は卒業論文でこの問題を取り上げた。処女論文も「秋成の「私」の説について」というものだった(幼稚なものだったので、単行本には載せていない。引いて下さる方は何人かいるのだが、子供のころの写真を見せられているようでちょっと恥ずかしい)。だから春海のことは結構気になる。

 脇道にそれたが、その春海の研究で『村田春海の研究』(汲古書院、2000年)を出版、日本古典文学会賞を受賞したのが田中さんだ。その出版からわずか10年で、その姉妹編となる本書を刊行した。その間、本居宣長に関する論文集(単著)も2冊刊行。ほかにも注釈書や編著があり、2009年度は、4冊を刊行している。その筆力には感服する。

 さて今度の本だが、春海と宣長の対比研究が軸であった前著に対して、江戸派を、古典伝承、人物(書物)交流の結節点ととらえ、それを「交差点」という言葉で表している。時間的には書物伝来、空間的には人物往来の「交差点」に江戸派があったというのである。この見立ては、意図はよくわかるが、言葉としてはどうなのだろう、といったん疑問が生まれた。
 江戸派というのは、人間関係の総体を呼ぶ語であるから、それを「点」といわれるのには、やや抵抗がある。また「交差点」というのは、一方通行ではありえない。時間は一方通行である。古典文学の流れが交差する場所としての「交差点」といわれれば思わずなるほどと言いそうになるけれど、「交差」というのは適切な表現だろうか。

 もっともこんな素朴な問いは百も承知で、田中さんは「交差点」という言葉を使っているのだろう。サロンとかネットワークという言葉(以前、私もこれらの言葉を使って、某氏に批判されたことがある)などよりも、「交差点」という言い方の方が、コンセプトを明確に打ち出せる。

 田中さんは、おそらく一枚の紙に、時間軸と空間軸をとり、その中心に結節点としての江戸派を置くという、図式的把握のイメージを比喩的に「交差点」と述べたのだろうと思う。それだとしても、ちょっと違和感がまだあるのですが…。

 表現・出版・古典受容・人脈と様々にこの「交差点」に入ってくる要素を論じていく。500頁超の大著である。
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2010年02月05日

ツイッター風に

さる店にて物買ふ時、店の若き女の、我を「お父さま、お父さま」と呼べり。我、汝の父にあらずと、心にてつぶやきけれど、おもてには莞爾として「はい」と答ふるも情けなし。
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