2010年03月31日

『本朝孝子伝』本文集成

 明星大学の勝又基氏が、大学の特別研究費を受け、『『本朝孝子伝』本文集成』を作成刊行した。

 『本朝孝子伝』『仮名本朝孝子伝』『本朝二十四孝』の善本を選定して、影印と翻刻をしたものである。

 これは西鶴研究者、仮名草子研究者にとって至便。市販しても売れそうな成果報告書である。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月30日

西鶴研究会・補遺

西鶴研究会のHPに研究会の模様が写真で紹介されています。

http://members.at.infoseek.co.jp/ihasai/

こちらの「けんきゅうかい」にアップされています。

なお、染谷さんに教えていただいたのですが、参加者はちょうど50名だったそうです。研究会の掲示板によると、西田先生が2次会、3次会まで活躍していたということでした。

なお、会場では、『西鶴と浮世草子研究』3号の別冊(佐伯孝弘さんが代表者の科研報告書)が配布された。3号自体はまだ刊行されていない。

笠間書院さん、いくらなんでもそろそろでは? よろしく。

posted by 忘却散人 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月29日

西鶴研究会

西鶴研究会(於誓願寺)に参加する。一応パネリストの一人ということで。30人くらいだろうと思っていたら、大盛会。北は北海道から南は九州まで、50人を越える参加者がいたのではないか。関西以外の方々が半数はいたような。

西鶴墓前で法要のあと、西田耕三氏が「西鶴の魅力」について講演。
『好色一代男』の著名な章段「女はおもはくの外」「後は様つけて呼ぶ」と『本朝二十不孝』の「娘盛の散桜」について、独自の読みを提示した。

「女はおもはくの外」は世之介が人妻に恋慕し、口説く。人妻は受け入れる素振りをするが、忍び入った世之介の眉間を薪で討つ。これは袈裟御前説話の世俗化だという。

「後には様つけて呼」は、鍛冶屋に帯を解いて情けを見せた遊女吉野が、世之介に身請けされ、世之介の親類たちを感心させる話。『岩屋の草子』を挙げ、室町物語に見られる嫁争いなどがモチーフとなり、それを俗化したものとする。司会の広嶋進さんがこれは典拠論ではなく類話論だと解説した。なるほど典拠がそれだと確定される必要はなく、(西鶴からみて)雅のテキストを対置させたときに、西鶴の俗化の発想が見えるという論だろう。だが、これらは西田氏ならずとも発想する「ありがちな論」かもなと思った。

「娘盛の散桜」。五人の娘のうち四人が次々と懐妊死する。五人目は出家を拒否して山賊の妻となり親の家に押し入り強盗、だが、眼前に恥をさらす結果になる。この突然の結末について、本来因果話である、因の部分が欠如した話として読むと面白いと西田氏はいう。河合真澄氏が、突然なのか?本来親に先立つことこそが不孝なのだから、四人の娘の死もすでに不孝話とコメントする。私はこの論が西田氏の真骨頂だと感じた。それは西田氏の読む西鶴であり、西田氏が捕まえられる西鶴の魅力なのである。他の人にはこの発想はできない。広嶋さんが言うように、近世学会で発表したら、スルーされるだろう。

 いったい西鶴の魅力をどこに求めたらいいのか。私があえて発言を求め、テキストには書いていない社会批判・政道批判を西鶴の真意として読み取る論調が最近目立つ(とは私の主観だが)のだが、それはどうなのかと、いつものように批判的なコメントをすると、篠原進さん、有働裕さん、杉本好伸さんらが挑発に乗ってくれた。私は最近の水谷隆之さんの論文のように、俳諧をきちんと読んだ上で浮世草子を考えていく論を期待していると言ったが、中嶋隆さんはそれをかなりもうやっているようであった(知らなくてスミマセン)。研究史的文脈でいえば、谷脇西鶴のあとをどうするかという問題である。完全外野として、勝手なことばかり申し上げてスミマセン。

しかし、近年参加したシンポジウムの中では、一番リラックスしてしゃべれました。二次会も大人数で楽しかった。私の前に座った矢野公和さんと「中島みゆき」「谷川俊太郎」「小椋佳」などの話題で盛り上がる。本シンポジウムのためにご尽力された方々へ深謝申し上げる。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月25日

懐徳堂研究センター

大阪大学文学研究科に、懐徳堂研究センターがある(もと懐徳堂センターと称していたが、2009年5月に改組)。
 このセンターが、初年度活動成果として、以下を出版した。

『懐徳堂研究』創刊号
『懐徳堂研究センターニューズレター』第1号
『懐徳堂を知るための本』


『懐徳堂研究』はA5判、178頁の堂々たる研究誌。センターの研究活動の根幹を担う雑誌になるだろう。

『懐徳堂を知るための本』は、湯浅邦弘氏の授業「漢籍資料学演習」の受講生が、懐徳堂関係の書物を持ちより、それを紹介するという読書会を行い、その成果として刊行された。受講生の目線からみる懐徳堂という、画期的な本であり、これは入門書として親しみやすく、なかなかいい本である。

 懐徳堂研究センターはHPもあるので、一度御覧になってください。

ところで、同センター長の湯浅邦弘氏の旺盛な執筆活動については、このブログでも紹介してきたところだが、2月に『菜根譚』(中公新書)、『孫子の兵法入門』(角川選書)と、一般向けの本を2冊出されている。
posted by 忘却散人 | Comment(2) | TrackBack(1) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月24日

いってらっしゃい

卒業式のあとで、恒例の惜別会。

「謝恩会」ではなくて「惜別会」というのが、いいと、ある先生がおっしゃった。その通りだと思う。

大学院を去る教え子たちが、メッセージを添えた小さな色紙をくれた。そこに、大きく「いってきます」と書いてあった。それが新鮮で、すごくいいと思った。

これからの長い人生をどこでどう生きていくのか、わからないけれど、彼らが、今日を区切りにして旅立つという認識で書いてくれたことばに対して、私が言えることばは、やはり「いってらっしゃい」だと思う。






posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月22日

そう、定年。安寧て、嘘。

タイトルは、昨日行われた蜂矢真郷先生のご退休をお祝いする会で、蜂矢先生自らが披歴された回文である。

蜂矢先生とは散人が9年前に赴任して以来大変お世話になっているが、散人とは全く逆に、緻密で記憶力、整理力が抜群で阪大でも「生き字引」と呼ばれて存在感があった。

フォークソングと漫画と回文を愛されるという一面もあり、回文病は同僚の間に伝染している。散人また本ブログで拙劣な回文を呟いて某先生の顰蹙を買ったが、これもその派生現象である。

「派生」といえば、『国語派生語の語構成論的研究』(2010年3月、塙書房)を出された。また会場では『古代語の謎を解く』(阪大リーブル、2010年3月)と自ら編まれた『雑語雑文』という小冊子を参加者に賜った。

本ブログも読んでいただいており、書き込みこそされないものの、「情報」を提供していただいたことも、2、3度ある。

新しい職場でも、いろいろとお忙しいことになるようで、標記の回文になったようである。もっとも、先生には珍しく、もともとこの日のために用意していた回文を忘れてこられ、行きの電車の中で作られたという。相変わらずの名人芸といえる。

まことに、長い間、ご尽力ありがとうございました。
posted by 忘却散人 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月21日

矢野公和氏の雨月物語再説

「浮浪子(のらもの)から剪枝畸人へ―『雨月物語』再説―」(「東京女子大学日本文学」2010年3月)を読む。

 「親愛なる者へ」「私の声が聞えますか」「恨み・ます」―かつて、中島みゆきソングを論文タイトルとして、次々に雨月物語論を書いた矢野公和氏。『雨月物語私論』として一書にまとめられている。あくまでも、評論の文体で貫く雨月物語論であったが、論題を中島みゆきで表すところに、その研究スタイルは象徴的である。中島みゆきと雨月を結びつけるなんてまことに非凡であり、またなんとなくぴったりはまるところがすごい。このタイトルを考えた時点で、矢野氏の雨月論は出来上がったといってもよいだろう。森山重雄・高田衛といった人達の影響が大きいと思われる。

 そういうスタイルをとった矢野氏が、秋成の浮世草子と雨月物語が根本的に相貌を異にしているととらえ、その要因を秋成の人間(関係)観の変化に求めようとするのは必然ともいえる。矢野氏は、その変化の原因を罹災に求める。

 罹災によって秋成の生活は一変し、人間観に大きな変化があったというのだが、そこは証拠があるわけではない。だが矢野氏にはそれが見えるのであろう。こういう論じ方には大いに違和感を感じるところだが、これが矢野氏の文体なのである。

 だが、ひとつだけ共感できるのは、矢野氏が明和八年罹災説を疑っていることである。すでに高田衛氏が『上田秋成年譜考説』で述べていることでもあるが、堂島火災は明和五年の方が大火であって、明和八年の火事は類焼するような火事ではないのである。これは私も少し調べたことがある。だが、大阪の災害のことというのは「大阪災害年表」を著した同僚の専門家にうかがっても、なかなかわからないようなのである。加藤宇万伎との出会いについて、現在では明和八年説が有力になっているが、このこととも関わってくる。先に出した『文反古』注釈稿でもそのことについて若干ふれてみたが、このころの秋成の動向は確かに重要なのである。
 
 ちなみに、雨月物語は、序文に明和五年、刊記に安永五年と記され、その間に八年の空白がある。どの時点で現在の形に成立したかという様々な議論がある。矢野氏は、明和五年の序は堂島大火を銘記したものではなかったかと推測するが、もちろんそれは推測にとどまるものである。

 近年、秋成の浮世草子と雨月物語は案外近いのだという逆の見解も出ている。むしろそれが最近の潮流かもしれない。どちらかといえば、近世に即した見方に立つ立場からの見解であろう。それらの見解について矢野氏は全く言及されない。矢野氏にとってはノイズだったのかもしれない。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月20日

秋成新資料

上田秋成詠・池永秦良録の『聴雪編』(東丸神社蔵)が、一戸渉氏によって紹介されている。『国学院雑誌』110-12(2009年12月)。秋成の門人といっていい池永秦良が筆録した秋成の和歌である。以下氏の論文より引用。

 本書の内容と深く関わるのが、『麻知文』仲の「秋翁雑集」に次の詞書に続いて記されている和歌三十六首である。

  池永はたらか、雪の降夜、哥よめといふに、筆とらせて、
  ともし火かかせそむるより、夜中にいたりてやむ。それ
  か中なる

ある雪の夜、秦良に乞われて詠んだものの内から抄記したというそれら三十六首は、随所に異同は存するものの、『聴雪篇』所収の秋成歌全八十七首中に全て見出すことができ、従って本書はこの日秦良によって書留められた秋成歌の全体像を伝えるものということになる。本書における新出の秋成歌は論者が確認し得た限り四十六首に上る。

 この秋成歌、夕刻から午後11時ごろまでに87首詠んでいることになるらしいが、驚くばかりとしかいいようがないだろう。新出46首というのは大変な数字である。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月19日

国会図書館若手連続インタビュー

》岡本真さんの「アカデミック・リソース・ガイド」に、私の教え子の小篠景子さんが登場していることを、同僚のくうざん先生に教わった。
http://archive.mag2.com/0000005669/index.html

国会図書館の若手連続インタビューの6回目。教え子登場ということで、ここに紹介したのだが、国会図書館の「いま」が垣間見える面白いインタビュー記事である。なかなか臨場感があるが、ヤフーメッセンジャーを使ったということ。WEBチャットみたいなもの?私は使ったことがない。

この中で、小篠さんが修論のことについて触れているが、これがまさしくこのところのエントリーでさかんに私が言及している忍頂寺文庫の資料を使ったものなのだ。なかなかの力作だったなと懐かしい。

修論の一部は、大阪の演劇研究会会報31号に掲載されている。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月18日

続HP更新情報

飯倉洋一ホームページのトップページから、大阪大学附属図書館蔵和古書目録第一稿にリンクをはりました。第二稿の方を先にあげていましたが、第二稿の巻末には、第一稿と合わせた索引がありますので、ご活用ください。

また忍頂寺文庫・小野文庫の研究のトップページには、『忍頂寺文庫・小野文庫の研究3』(2009年3月)のPDFファイルを公開しました。

posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月16日

洒落本データベース更新

飯倉洋一ホームページの中に、忍頂寺文庫・小野文庫の研究のページがあり、その中に、同文庫所蔵の洒落本のテキストデータベース化を展開している
「忍頂寺文庫洒落本データベース」というサイトがあります。そこにこのデータベース化事業の、2009年度の成果を新たに公開しました。金水敏先生監修、依田恵美さん統括。

12作品の翻刻・解釈データ掲載。画像ともリンクしています。

なお忍頂寺文庫所蔵の洒落本についてはすべての画像が公開されています。大阪大学学術総合博物館のデータベースです。


posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月15日

忍頂寺文庫・小野文庫の研究4

『忍頂寺文庫・小野文庫の研究4』(「忍頂寺文庫・小野文庫の研究」共同研究グループ・国文学研究資料館編、2009年3月)が刊行された。
B5判74頁。目次は以下の通り。各方面への送付は今月末になる。

半水唄本表紙一覧(カラー口絵)
忍頂寺文庫・小野文庫の研究―二〇〇九年度―  飯倉洋一
忍頂寺文庫蔵一荷堂半水唄本資料紹介 浜田泰彦編
『梅のたもと』翻刻 浜田泰彦
忍頂寺務による「よしこの節」考証紹介 浜田泰彦
よしこの節 忍頂寺静村
忍頂寺文庫蔵『開帳おどけ 仮手本忠臣蔵』本文と注釈(一)  川端咲子・正木ゆみ
鳶魚と務 ―「西鶴織留輪講」をめぐる問題系―  青田寿美

1〜2号は「忍頂寺文庫・小野文庫の研究」のホームページ(リンクを張っています)にPDF公開。3号もまもなくPDF公開される。
忍頂寺文庫・小野文庫は、近世風俗文化研究者忍頂寺務の旧蔵書である。
本研究について、詳細は上記ホームページへ。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 私の仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月12日

「近世風俗文化学の形成」研究会

国文学研究資料館公募研究「近世風俗文化学の形成―忍頂寺務草稿および旧蔵書とその周辺」研究会というのを、大阪大学で行います。

日時 2010年3月13日(土) 13:30〜14:50

場所 大阪大学豊中キャンパス 文法経棟1F 文12教室

研究発表 13:30〜14:50
浜田泰彦「西鶴輪講における忍頂寺務―『懐硯』輪講を中心に―」
福田安典「忍頂寺型風俗文化学形成過程モデルの提唱」

この研究は、音曲をはじめとする近世風俗文化研究に多大な業績を残した故忍頂寺務の研究を再確認・再評価し、とくに近世風俗文化研究のあらたな展開のための基礎的研究を行うことを目的としています。

告知が直前になってしまいましたが、研究発表は非公開ではありませんので、ご興味のある方はいらっしゃってください。

場所がわかりにくいという方は、文学部玄関の守衛室でお尋ねになってください。



posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月09日

曲亭馬琴の世界

こんなに華やかなカバーの馬琴の本は見たことがない。板坂則子氏の『曲亭馬琴の世界―戯作とその周縁』(笠間書院、2010年2月)。700頁を超える大著である。本にしていただいてよかった。「板坂則子の世界」というべき馬琴学のひとつのかたちが、本になって初めて我々(つまり馬琴専門ではないという意味)の前に姿をあらわしたという観がある。

 まず、第1章は馬琴の合巻を扱う。役者似顔絵の趣向を徹底解明。稿本が公になっているものは、それをとことん調査。そして馬琴合卷における使用役者一覧という68作品のデータ。とにかく労を惜しまない。

 第2章の『占夢南柯後記』の稿本を使った成立論。全体の稿本が残っている唯一の作品を微細にわたり調査して、馬琴の読本創作の秘密に迫る。そして一転して華麗な八犬伝の構想論を展開し、結びは「馬琴の闇は限りなく重い」。そして大量の馬琴書簡を資料に八犬伝の執筆過程を読み解く。と自在に方法論を展開する。

 戯作の読者と読書と題された第4章、「浮世絵における女性読者像の変遷」も圧巻。こちらは256もの読書する女性を描いた浮世絵を通史的に概観。巻末には「曲亭馬琴著作年表」を付す。

 全頁を「めくり終えて」の感想は、重みのある、信頼できそうな研究だなということ。

 著者の序文を読んで、おおっと思わせられた。

『夢想兵衛』を例にとるならば、物語の中で溢れんばかりに出典を付けて説かれる知識が、夢想兵衞という主人公の深い知性を示すものとはならず、「生ものしり」としての側面を出すに過ぎないという、馬琴読本の構造の不思議さに打たれたのである。

 つまり、「談義本の系統をひく夢想兵衛の饒舌よりも」、「奇妙な馬琴の発想」にこそ、「この物語の魅力」があるというのである。なるほどなあと、感心してしまった次第なのである。

 
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月06日

『文反古』注釈稿

このたび、私の科研研究課題「上田秋成の和文作品本文の生成と変容についての研究」の成果報告書として、秋成の『文反古』注釈稿を刊行しました(2010年3月、A4判、122頁)

『文反古』は秋成75歳の文化5年に刊行された、和文消息(つまり擬古文的な手紙)集です。模範文例集のようでもあり、手紙のかたちを借りた私小説のようでもあり、友人たちの追善文集のようでもあります。非常に興味深い内容に満ちていますし、刊本とは別に草稿本や、関係の深い文集の存在もわかっており、それこそ秋成文学の「生成と変容」がたどれる貴重な材料だと考えています。

『文反古』は大学院の演習で読んでいたもので、学生の担当資料を元に、注釈作成チームが粗稿を作成していました。今回の科研での成果も織り込んで訂正を重ねてきたので、このさい報告書としての刊行も許されるかと思いまして、このような形でご教示を仰ぐことに。

とはいえ、間違いだらけ、不備だらけの内容だと思います。近い将来書籍のかたちで刊行したいと思っており、その中間報告として、ご批正を仰ぐのが目的です。

予算の関係で少部数。科研も使い切ってしまいました。広く配布することはできませんが、もし興味のある方がいらっしゃれば、ご連絡ください。
報告書表紙.pdf
posted by 忘却散人 | Comment(4) | TrackBack(0) | 私の仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月05日

天野文雄先生最終講義を聴く

今年度限りで大阪大学を退休される天野文雄先生の最終講義が3月4日、図書館ホールで行われた。「禅竹序説」と題し、禅竹の四つの作品「雨月」「小塩」「楊貴妃」「千手」をそれぞれ、「趣向」「背景」「主題」「情調」という切り口で読み解くもの。能の作品論はこんなに面白いのかと感銘をうけつつ堪能した。従来の禅竹の作品は難解・曖昧とされてきた。これを上記の切り口で分析することで明解に読みとこうとしたものである。

「雨月」。雨を楽しむか、月を楽しむかで老夫婦が軒を葺きわずらっている。雨音(聴覚的風情)は能における歌を寓意し、月影(視覚的風情)は舞を寓意する。どちらかといえば禅竹は歌を重視したという。世阿弥は舞。

「小塩」。伊勢物語を典拠とした作品。この作品を背景から読む。当時の将軍義政は和歌を好み、22番目の勅撰集撰進を指示していた。時を同じくして将軍は奈良に行き、禅竹の能を見る。ところでこの作品には引き歌が25と、異常に多い。これは禅竹が勅撰集撰進をことほぐ意図に関わるという。

「楊貴妃」。その主題は現世への強烈な執着。ふつう能では否定されるが禅竹はこれを肯定しているのが面白い。「定家」や「野宮」もこれと同じだという。

「千手」。一曲の主題を支える情緒。それは明快に説明しがたい。しかし、「千手」は典拠『平家物語』では1箇所しかない、降雨の場面を、陰に陽に、いくども散りばめている。雨中を強調することで情調を作っていると。

私の理解が行き届いていないことを怖れるが、上記のような目のさめるような分析を4つも行う贅沢な講義。能にとどまらず、古典を読み解く方法を示唆された感のある、まことに素晴らしい最終講義でした。
posted by 忘却散人 | Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月04日

西鶴研究会in大阪

東京を拠点にし、年2回行われている西鶴研究会が第30回を記念して西鶴の生地大阪で大会を開く。ここでも紹介しておきます。

第30回西鶴研究会大阪大会
日程:3月28日(日)13:00より16:30まで
場所:大阪誓願寺(西鶴の菩提寺)広間
誓願寺−大阪市中央区上本町西4-1-21(地下鉄谷町九丁目駅から徒歩5分)

御供養(13:00〜)

記念講演 「西鶴の魅力について」(13:45〜)
講師 西田耕三 近畿大学教授

シンポジウム「「西鶴の魅力について」を享けて」(15:00〜)
広嶋進 神奈川大学教授(座長)
西田耕三 近畿大学教授
中嶋隆 早稲田大学教授
河合眞澄 大阪府立大学教授
飯倉洋一 大阪大学教授

なぜここに、散人が?。私にもよくわからないが、西鶴研究者以外で外側からどのように西鶴研究が見えているかをしゃべりなさいということらしい。それならばわりと気楽だから引き受けてしまった。

それにしても講演の西田先生が何をしゃべるのかがわからないところがスリリングである。西田先生には西鶴の論文がたくさんあるが、横断的にいくつもの作品を扱うスタイルが多い。「西鶴と透視」とか、「西鶴と人形」とか。もっとも「おさんのベッド・トリック」というような論文もありましたな。

会場の誓願寺は、懐徳堂学主の中井竹山・履軒ら、中井家の墓所でもあり、毎年「懐徳忌」が4月初めに行われる。こちらもいずれご案内したい。
世話人 篠原進氏・有働裕氏・染谷智幸氏

西鶴研究会のサイトはこちら
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月03日

近世文学における写本

中野三敏先生の「和本教室」(『図書』2010年3月号)が第22回を数えて、「写本」をテーマにしている。板本の時代と言われている江戸時代、点数でいえば、写本が7割を超えるのではないか、という。そのおおまかな区別として、1名家自筆、2未刊随筆(雑記)等、3 記録・日記・紀行 4 出版物の稿本 5 実録 6板本の写しと分ける。純粋な史料を除いての話。

その中で今回は1について述べられる。天皇家や貴紳、高位の武家らの名家自筆が、鳥の子の列帖綴や巻子本に仕立てられた書物、これが雅俗のパラダイムでいけば、雅の中の雅となる。それは刊本より価値が高い。かなり前に、岩波書店の『文学』で、松野陽一・中野三敏・上野洋三の三先生の座談会があって、そのことは言われていた。

 いわゆる嵯峨本も、そういう写本の「複製」という意識で作られている。雅文学に限っては、写本から刊本へという流れだけで捉えてはならないのである。その伝統が息づく京都で晩年を過ごした秋成の『藤簍冊子』や『春雨物語』についても言及がある。秋成の自筆清書本を珍重する享受者の存在、京都という土地柄による自筆本尊重の雰囲気を考える必要があるということである。まことに心強いご発言である。

 そのあたりが私なりに確信されたときに、「『春雨物語』論の前提」(国語と国文学 2008年5月)という拙稿を書いた。中野先生のいわれる観点は重要で、春雨物語のみならず、秋成晩年の雅文藝は、書かれた料紙の紙質や、運筆、字配りなど、写本で書かれたことを重視して考えねばならず、活字化すると、味わうべきかなりの部分が抜け落ちてしまうのである。『藤簍冊子』や『文反古』の刊本も、自筆版下ではないが、写本の雰囲気を「複製」していると考える方が納得がいくのである。

 このような捉え方は近年かなり浸透してきているとは思う。だが文学史などにはまだまだ反映されていない。これからの近世文学史では、これまでさほど問題にされてこなかった、この名家自筆写本の扱いが重要になってくるはずである。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月01日

岩波文庫『胆大小心録』復刊

岩波文庫で秋成の『胆大小心録』(重友毅校訂)が復刊されていた。

数日前、大学生協で確認、持っていたかもしれないけれど喜んで購入。

わが大学の生協に平積みしていたのだが、驚いたことに、他のリクエスト復刊本が、まだ数冊積み上がっているというのに、『胆大小心録』はなんと、最後の1冊。何冊かはここで売れているのである。

今年は私が秋成の晩年のことを講義でしゃべったからかな?、いやいやそんなことはあるまいな、やはり200年の影響で、秋成人気が高まっているのかな、といろいろ想像したが、よくわからない。

大体、この本が復刊されるというのが、意外なんだが…。古典大系に入っている『藤簍冊子』も文庫化していただけるとありがたいです。

なお、本文は秋成全集所載の自筆本とは違う底本である。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする