2010年05月30日

17世紀の文学

 『文学』5・6月号は「17世紀の文学」。巻頭座談会は熊倉功夫・市古夏生・廣木一人・鈴木健一(司会)。熊倉氏の寛永論は鮮やか。「綺麗」というキーワードで、新しい表現の時代を捉える。

 廣木氏の、芭蕉を連歌史に位置付けていくという文学史観の提唱。百韻や歌仙をLinked verseと名付け、その末尾に芭蕉を位置づける。芭蕉は俳諧だからといって滑稽に解そうとするには無理がある、それよりも連歌史に位置付けた方がすっきりすると。俳諧研究者との議論が期待される。

 同じ号の川平敏文「和学史上の林羅山―『野槌』論―」は、近世文芸思潮史の捉え方に一石を投じる。羅山における「情」の肯定の言説に注目、いわゆる仁斎の「文学は人情を道ふの説」に先行する言説として評価すべきであるとする。また古今伝授の否定の言説をとりあげ、契沖への道を開いたものとする。
 
 スケールの大きな説であり、文芸思潮史の常識に挑戦しようとする志が伺える。あえて大胆な見取り図を提示したものと受け止める。

 川平氏は、羅山の情の肯定には朱子学的な限界があるにせよ、「中世という国境を超えて踏み出されたこの一歩の意義は、決して過小評価されるべきではない」。仮名草子の好色物の執筆に理論的な裏付けをもたらし、歌や源氏・伊勢の注釈の前提となったのではという(これについては別稿が用意されているらしい)。

 川平氏の論はしかし、見方を変えれば、中世の仏教(現世否定)的世界観から近世の儒教(現世肯定)的世界観という、古典的な図式の枠組みに収まってしまう論だともいえなくもない。

 もっとも川平氏は、『野槌』の中に、その転換のドラマを読みとれるとしているわけであり、それはそれで結構なのであるが、後半の伝授主義の否定・契沖への道、と筆を急がずに、このドラマにみられる葛藤をもう少し丁寧に追うという叙法もあったのではないだろうか。和学史論にいく前に、『野槌』論を粘り強くと。たぶん、それもまた別に論じられることを期待している。

【追記】散人のこの感想に対して、閑山子氏がコメントを寄せてくださり、さらに、氏のブログに補記を書かれているのでご参照ください。
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2010年05月24日

都の錦と神道講釈

山本卓「都の錦と神道講釈」(『西鶴と浮世草子研究』3、2010年5月)。を読む。

同誌創刊号で、同氏所蔵の「内侍所」という資料を元に、都の錦はこの赤穂義士伝を携帯して、全国を舌耕行脚していたという、講釈者都の錦を浮かび上がらせたが、その続考にあたる。

今回の論は、都の錦の著述に神道講釈や神代に関わる表現が頻出することを指摘し、『風流神代記』の背後に都の錦の実際の講釈を想定する。

ここで私が面白いと思うのは、残口や志道軒という、談義本と都の錦の類似性を山本さんが指摘していることだ。中野先生が報告された岩瀬文庫所蔵の志道軒著「ふうりう神代卷」という偽書(実は都の錦の風流神代卷)についても、類似しているからこその偽書だという。

 私の関心からいえば、浮世草子から談義本へという流れにおいて、都の錦は注目すべき存在である。私は寓言という観点から、この流れをつかもうとしたときに、都の錦にひっかかったが(同誌2号「怪異と寓言」)、浮世草子から読本へという時に、講釈という視点は非常に重要であろう。これは今後山本さんの仕事の全貌が明らかになればかなりはっきりしてくると思う。
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2010年05月22日

西鶴と浮世草子研究3の「金銭」

『西鶴と浮世草子研究』3号(笠間書院、2010年5月)がようやく出た。「金銭」が特集である。

まず読者は貨幣博物館へ招待される。あったんですねえ。これは行ってみたい!とおもいますね。

貨幣の専門家と西鶴の研究者2名が鼎談。

そのあとの貨幣博物館訪問記と称した、杉本好伸さんの『西鶴諸国はなし』「大晦日はあはぬ算用」考が面白い。貨幣博物館で実際に貨幣を見ると、小判が重箱の蓋の裏にくっつくのかという疑問が、ますます大きくなったといい、それであれこれと考えをめぐらせた結果、小判は蓋の裏に載せられて台所まで運ばれたのだろうと推理する。

この推理の過程が、なんだかこの話の登場人物が考えているようで、実におかしいのである。狙っているのかどうかわからないが、狙っているとしたら高度な叙法だ。

深読みなんじゃないかなあとは思うのだが、これだけ面白い読みをしてくれるのであれば、深読みでもかまわない。この話は、西鶴の作品の中でも、最も有名なものではないか?教科書にも載っていたりする。この話がまだまだ新しく読めるというのが素晴らしい。そして、貨幣の実物を見て、その考察にいたったというのが、また素晴らしい。

で、杉本さんが追記で引用している島田大助氏の論では、この話が日本神話の天岩戸説話を踏まえているという。これもまた奇想天外で、今回その論文(『日本のことばと文化』所収)を読んでみたのだが、うーん…である。でも意欲的な読みであることは確かだ。

付録のCDは古地図と金銭のデータベース。西鶴と八文字屋から物の値段が出てくる用例を拾ったもの。ものすごい労作であり、一覧しただけでも十分面白い。実際にはデータベースとしてよりも、読んでいろいろ考える方が有用かもしれない。

だけどこれだけさまざまなデータが開示されると、その情報収集と検索力って大事になりますね。だが根本のところは、むしろ発想力かもしれない。

しかし毎号驚くのは、研究文献目録ですよね。ほんとに敬服です。

編集後記によれば、大阪での西鶴研究会で昨今の研究状況について批判した奴がいるらしいが(え、おまえだろうって?あ、そうでした)、西鶴研究者の近年の努力をなんと心得ておるのであろうかの。
 
 批判は役割分担(悪役)ってことで、お許しくださいまし。軟弱。
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2010年05月20日

浄瑠璃本のベストセラー2

実践女子大学でおこなわれた日本近世文学会における、「浄瑠璃本のベストセラー」という発表について、先に感想を述べたところ、半魚さんのコメントを皮切りに、ほかにも反応してくださる方もいて、盛り上がったんですが、この件についての半魚さんが御自分のサイトで考察されています。こちらです。ご参照ください。

半魚さん、ありがとうございました。

【追記】最初のエントリーのところに、発表者がコメントをしてくださっています。
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2010年05月19日

天理ギャラリーの秋成展

学会が終わった翌日、神田の天理ギャラリーへ。天理図書館所蔵品による「秋成展」を観るためである。もちろん天理図書館で見たのと同じ内容なのだが、もう一度見たい。

5月29日に行われる長島さんの講演内容に合わせて、「鶉居帖」が展示されていた。これは天理では展示されていない。また最近とったばかりの秋成の墓の拓本も出展されていた。

それにしても、展示スペースが違うから当然だが、展示の仕方が全然違っているので、別の展示を見ているようでもあった。

Y大学のKさんがたまたま居合わせたので、一緒に見ているうちに、今まで余り気にしていなかったことに気づく。Kさん、ありがとうございます。

天理の展示図録はもともと廉価であるが、バックナンバーがなんと100円になっていたので、いくつか買って帰る。
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2010年05月18日

京伝と馬琴

大高洋司『京伝と馬琴 〈稗史もの〉読本様式の形成』(翰林書房 2010年5月)が刊行された。

非常に感じのいい装幀。水田紀久先生の揮毫になる題字も素晴らしい。

 本書は、江戸時代寛政期後半から文化3・4年頃にかけての時期、〈稗史もの〉読本様式が、その中心作者である山東京伝・曲亭馬琴の試行錯誤を通して、いかに形成されたかを緻密に跡付けている。とくに、〈稗史もの〉読本成立期において京伝と馬琴は競合し、馬琴が勝利したという通説に対して、京伝・馬琴はむしろ「兄弟作者」と呼ぶのがふさわしいという新説を提示し、あわせて〈稗史もの〉読本の長編構成の核として〈読本的枠組〉があることを指摘している。

 すでに読本研究者の間ではおなじみの「読本的枠組」であるが、これは、「人間・動物・モノ・言葉等、様々なかたちで作中に置かれ」「物語の発端近くで存在を提示され、以後それと明示されなくても、場面ごとの展開の背後に強く存在が看取され、結末は例外なく、言葉の謎が解かれるなり怨霊が解脱するなりして、作品世界の中からそれらの存在が消えた時に訪れる」という展開によって領導されているものとされる。

 〈読本的枠組〉から〈稗史もの〉読本をとらえる時、後期読本の濫觴として評価される『忠臣水滸伝』はむしろ〈稗史もの〉読本成立過渡期の作品だとし、従来さほど顧みられているとはいえない『優曇華物語』を高く評価する。馬琴は『月氷奇縁』を執筆する際には、『優曇華物語』を稿本段階で参照していたとする。

 さまざまな問題提起に満ちているので、是非読本研究者の中で、議論を深めてほしいと思う。本格的な書評が期待される。
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2010年05月17日

浄瑠璃本のベストセラー

 日本近世文学会で、浄瑠璃本のベストセラーという発表があった。浄瑠璃本(通し本)つまり、浄瑠璃の一部ではなく全部が書かれた台本を、2万3千点以上調査した発表者が、膨大なデータから作品別に残存点数をランキングして、「浄瑠璃本の文学的特性は、18世紀第三四半期(宝暦明和期)の竹本座の「軍記」「時代物」に典型を認めるべきものとする。

 ちなみに1位が忠臣蔵、2位が手習鑑、3位がひらかな盛衰記である。まあこの3つがベストセラーの上位3位であったとしてもそうだろうなと思う。(もっともこの3つは、いずれも18世紀の第二四半期である。そのことを問題にした質問もあった。)

 まことにその調査への執念は驚嘆敬服に値するのだが、ひとつ疑問もあった。それで、二人ほど質問者が出たあとで、手を挙げたのだが、わが師が質問に立ったので、役者がちがうし、司会者もこれで終わりと言われたので、質問をしないままだった。そこでその質問を書きつけておこう。ご本人に伝わるかどうかわからないが。

 残存状況から受容の有り方、あるいは売上数を予測することが出来るのかということである。現在でも膨大な部数を発売している新聞や週刊誌、漫画などは、100年後どれだけ残っているだろうか。近世でいえば1万部売ったという合卷の田舎源氏の揃いなど、現在あったら稀覯本である。残存しているということは、保存し、子孫に伝えるという価値のあるから残存しているという面が多いと考えるべきではないか。売上点数がそのまま残存点数に反映しているとは限らないのではないか。

 そうすると、発表者の示した残存点数ランキングでは、時代物が世話物を圧倒しているわけであるが、子孫に残すとか、教訓になるとか、教養になるという観点からいえば、そうなるのは当然だろうと思うわけである。実際の売上点数では、世話物がもうすこしは上位に来てもいいのではないか、しかし、それらは子孫に残すようなものではなかったから、残存しなかったということはないのだろうか。

 もちろん読み物としては、近世においては、時代物が世話物に勝るものであったろうことは想像できる。しかし、残存点数から「ベストセラー」を云々するのは、もひとつ手続きが必要ではないのだろうか。まあ、こういうことは、誰でも思う疑問だと思うし、それを考慮もしているんだろうけれど、やはり説明は必要だと思う。

 とこういう質問をしたかったわけである。
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2010年05月14日

神戸と平家

『神戸女子大学古典芸能研究センター紀要』3号は、ドナルド・キーン氏を迎えての講演会「平家の魅力を神戸から」の特集。

巻頭阪口弘之氏の基調報告。日本人は判官贔屓だが、神戸の人は今でも平家に格別の好意を持っているという。なるほど、そうかと目から鱗がおちた。

能楽フォーラムにおける表章氏の「謡本研究の今昔」という講演も掲載されて、たいへん充実した内容である。
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2010年05月13日

秋成95年忌(秋成展関連情報6)

京都新聞連載「畸人秋成の世界」第6回は、上智大学(この4月からご転任)の木越治さんが、秋成の墓所京都西福寺で行われた、秋成没後95年忌について述べている。

近代になっての秋成再発見に大きな意味を持ったこの催しに集まったのは、水落露石、小山源治、加賀豊三郎、鹿田静七、高安月郊、幸田成友、藤岡作太郎らで、各氏収集の秋成資料を持ちよっての展観があったことを紹介している。

この回で、秋成紹介が大体終わり、次回からは各論に入る形である。
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芸能文化史 最終号

『芸能文化史』25号(最終号)が出た。末尾の記録によれば第1号は昭和53年の刊行であるから、30年以上にわたる。例会は203回に及ぶ。散人は人倫訓蒙図彙輪読の報告が載っているあたりから、講読会員になった。同人誌の終刊というのは寂しいですね。いまはお疲れ様と申し上げたい。
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2010年05月11日

秋成連続講演(秋成展関連情報6)

同志社女子大学で行われる、同志社女子大学今出川講座、上田秋成没後200年祭記念連続講演会「いま、京都で秋成を読む。」。本日チラシを手にしました。これはスゴイ企画です。日本近世文学会の共催、京都国立博物館の後援である。
とにかく講演メンバーが豪華でスゴイ。

日 時
【第1回】
6月12日(土) 14:00〜17:00(13:00開場)
【第2回】
6月19日(土) 14:00〜17:00(13:00開場)
会 場 同志社女子大学 今出川キャンパス
純正館地下デントンホール

講 演
6月12日(土)
I.『雨月物語』と『春雨物語』 −秋成作品の読みかた−
  木越 治(上智大学文学部教授)
II.四神相応の地・京都と文学
  天野 太郎(同志社女子大学現代社会学部准教授)
III.秋成とその時代
  中野 三敏(九州大学名誉教授)

6月19日(土)
I.秋成と蕪村・応挙・呉春
  狩野 博幸(同志社大学文化情報学部教授)
II.秋成と歩く京都
  廣瀬 千紗子(同志社女子大学表象文化学部教授)
III.秋成の人間性
  高田 衛(東京都立大学名誉教授)

司会は2回ともワタクシ忘却散人が務めまするう。しかし、よく考えるとこれ、結構司会むずかしいな(ひとりごとです)。


受講料 無料 (予約不要)
お問い合わせは下記の通りです。
同志社女子大学 企画課
時間:9:00〜11:30 / 12:30〜17:00(土日祝日を除く)
TEL:0774-65-8442
E-mail:kikaku-t(アットマーク)dwc.doshisha.ac.jp
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2010年05月09日

日曜日の朝

けふは日曜日なれど、朝5時台に、お仕事関係のご連絡をくださる方のあり。そをまた5時台に返信するも、かなし。さらに数分後、ふたたびその方よりそのかへしあれば、それにまたかへすは、ますますかなし。
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2010年05月07日

秋成展関連情報5

京都新聞連載第5回は、長島弘明さんが秋成の署名、号、落款について書いている。「剪枝」号の珍しい短冊のカラー写真と、伝秋成遺愛落款印の写真が載る。いずれも、京博の秋成展で展示予定のものである。惜しげもなく、いろいろな情報を提供している。

ちなみに日本近世文学会が迫っているが、その時期にあわせて、5月16日からだったか、東京の天理ギャラリーで「秋成展」が開催される。

天理図書館の秋成展が東京で行われるのである。5月29日には長島さんの講演もある。取り急ぎおおまかなことのみ記しました。詳細は天理ギャラリーのHPをご覧ください。
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2010年05月04日

労作実録解題

労作としかいいようのない、『八戸市立図書館所蔵南部家旧蔵本 実録解題』(国文学研究資料館、2010年2月)。

本ブログでもとりあげた、『読本事典』『人情本事典』『〈よみほん〉様式考』を世に出した「近世後期小説の様式的把握のための基礎研究」プロジェクトチームのうち実録班が作成した報告書である。

あつかわれた実録は28種である。中には八戸にしかないものもある。

解題に当たったメンバーは、菊池庸介・勝又基・小二田誠・高橋圭一・藤沢毅・山本卓の6名。

あらすじの説明が中心でこれが非常にありがたい。徹底している。1作品で優に1つの論文になるくらいの長さのものもある。とりまとめ役の菊池さんはじめ、みなさん、本当におつかれさま、ありがとうございます(小生もこのPTの―ほぼ名前だけの―メンバーだったので、ここで感謝の気持ちを表明しておきます)。
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2010年05月01日

5月になりましたです。

4月があっと言う間に終わった。論文・書評・新聞・解説と秋成関係ばかりですが、いろいろと原稿をかきやした。書類もやたらとかきやした。

なんとかこなしてほっと一息。書類もひと段落。次の大きな山は、研究関係ではない某記念誌の原稿である。これはかなりたくさん書かねばならないピー。これに今日からとりかかるピー。

とわけのわからない語尾を使っていますが、こういうのを「キャラ語尾」というらしい。最近送ってきた『文献探究』48号(2010年3月)にキャラ語尾の論文が。SKinnsui石橋博士の提唱した役割語研究が、ずいぶんひろがっているんですね。

川瀬卓氏は、「動詞+です」をキャラ語尾としている。「これから朝ご飯を食べるです」。「昨日は頑張りましたです」。こんな感じですかね?「たべるっす」「がんばったっす」というのはどうなんでしょうか。
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