2010年09月30日

風流 江戸の蕎麦

鈴木健一さんの『風流 江戸の蕎麦』(中公新書 2010年9月)は、江戸時代に蕎麦がどのように食べられていたか、とくに江戸っ子にどんなに愛されていたかを、漢詩、俳諧、落語、戯作、歌舞伎などを通して解き明かしてゆくもので、わかりやすく、楽しい江戸文化論になっている。

わりとよく知られた話柄から、なるほどと教えれられる用例まで、巧みに取り交ぜて、飽きないように読者を導き、一気に読ませる。『伊勢物語の江戸』などの手法と似ているのだが、文章が洗練されてきた感じがある。細かいところに、一般読者向けの配慮がなされているし、一種の江戸文学入門にもなっている。

こういう本を近世文学者はどんどん書いていかねばならないだろうが、結構みなさん禁欲的で、歴史の研究者に書かれてしまう傾向がある。ただ文学作品を題材にすることで、史料ではわからない江戸人の感性が伝えられる。あまり禁欲的にならずに、書きましょう、みなさん。
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2010年09月27日

故事成語の誕生と変容

湯浅邦弘さんが、『故事成語の誕生と変容』(角川選書、2010年9月)という本を出された。「杞憂」や「出藍」など、広く知られた故事が、実は現在、原典とは異なる意味で用いられたり、原典から大きく変容していることを指摘して、読書を驚かせる。

だが、それだけではない。本書は、中国類書論でもあり、むしろそちらの方が眼目だろう。類書(世界の事物を分類し用例を付した百科全書)は、大変便利なものである。あるテーマ、たとえば扇のことを調べようと思ったら、『古事類苑』(日本で作られた最大規模の類書)という類書を引けば、ぞろぞろと用例が出てくる。それを使えば、簡単な「扇」の概説、「扇」の歴史が書けてしまうのである。そのお手本は中国の類書だろう。

我々のような近世文学研究をするものは、この類書に大変お世話になるのであるが、今回の湯浅さんの本は、中国の類書のことをわかりやすく説いていて、ためになる。ありがたい本なのである。

それに本書の最後の章は、2008年3月に私が共同研究プロジェクトの報告書として刊行した『テクストの生成と変容』に湯浅さんが寄稿して下さったものを元にしているのである。また、うれしからずや。

類書論というのが、本来だろうけれど、故事成語の変容の謎解きにもなっていて、読み物としても秀逸である。しかしもともと論文を元にしているだけに、内容が重厚である。
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2010年09月26日

またキタ。英語の授業。

3年に1回まわってくる、英語の授業(留学生向け。母国語が英語の学生だけではない)
1コマだけやればいいのだが、これがなかなか、英語音痴には大変なのである。
今回で4回目。

最初の年は、日本語でしゃべり、特に依頼したアメリカの大学の大学院生に通訳してもらった。
なにせ、通訳が、私の何倍も長くしゃべり、しかも、冗談を言っているらしく、受けている。
その冗談がこちらはわからない…。ききーっ。

この大学院生は非常に優秀な学生で、近世の出版のことを研究していた。話の内容も本と出版のことだったので、お手のものだったのだ。

というわけで、2回目はその学生に全面的に授業をしてもらう(←安易すぎ)。教室全体が湧きかえるほど受けていた!

だが、そういうことがいつまでも続けられるわけがない…。ということで、3年前は、同時期にちょうど学会発表をしたのだが、その準備を上回る時間をかけて、みずから英文の読み原稿を作成(もちろんTAがチェックするのですが)したのである。ああ、翻訳ソフトがこんなにアホとは思わなかった。

だが、あれだけの時間をかけてやったのだが、しゃべってみたら45分で終了。あれ?

その後、ジャパニーズイングリッシュこそが国際英語というありがたいご講演をきいたこともあり、懲りずにまたみずから英文で読み原稿を作ろうと考えたが、はっと気づくとあと3週間ちょっとである。うわあ、これは時期が悪い。新学期が始まり、いつもより講義が1コマ多い上に、ちょうどヤマ場にかかるお仕事ちゃんが目白押しのタイミングです。

はたして散人はちゃんと授業ができるのであろうか。続報を待たれよ(誰も待ってない?)。
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2010年09月25日

断捨離

ほう、片づけ、整理の極意か。
どれどれ。

…本屋で立ち読み。買ったら「断」じゃないものね。

「断」入ってくる、いらない物を断つ。
「捨」ガラクタを捨てる。
「離」物への執着心から離れる。

「今」、「自分が」必要としている物以外は捨てるそうです。

「断」送ってくる古書目録、図書目録を断つ→断てないです。
「捨」雑本を捨てる→雑本も同じジャンルを100冊集めれば学問になるって教えられた。
「離」古い本や雑誌に執着する→執着が薄いと言われるんですが。

と、ちょっと反抗してみたが、実は、断捨離しないとヤバイ。ごーっと。
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2010年09月23日

えいやっと

秋成は若い頃には俗文学、中年で国学を熱心にやり、晩年は和歌和文など雅文学で名声を得る。というのが、秋成文学のおおまかな展開なのだが、それにしては最晩年の『春雨物語』や『胆大小心録』には、演劇的な描写、あるいは演劇ネタが散見する。これをどう考えたらいいのだろう。

私には手に負えない問題だと、考えないことにしていたのだが、演劇関係の某研究所の役員を引き受けてしまった結果、演劇に関わる論文を書かなければならない羽目になり、そういわれても、ほかに何も書けるわけもないので、考えないことにしていた問題を無理やり考えることにした。

この役員は、ずっと断わり続けていたのだが、あまりに繰り返し熱心に(?)、頼まれるのでつい引き受けてしまったのだ(ああ、情に流されるのはもうやめよう!っていつも思うのだが)。「専門以外の人がいた方がいい」という理由なのだが。この理由で頼まれたことって、他にもあったなあ。

で、話題を戻すと、その晩年の秋成と演劇の関係である。もちろん簡単に書けるはずもない。これほど引き受けたのは失敗だったと思った依頼はございません。だが、〈上の方〉から直々お電話がありましたゆえ、火事場の××力と申しますか、えいやっと書いてしまったのでございます。ただ、提出したらこれはヒドイと判定され、陽の目を見ないかもしれません。その時は、また考えます。

だけど、無知な領域で無理やり論文を書こうとしますと、勉強になります。その点は感謝します……。
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2010年09月22日

秋成研究会発足!

東京で秋成研究会が発足した。

木越さんが東京に移って、若い研究者とともに勉強しようとはじめられるもの。
かつての秋成研究会から数十年ぶりの復活である。
しかも、いきなり『春雨物語』「血からびら」とはしびれますな。
これはもう、東京近辺の、秋成研究を志している人は、絶対参加でしょう。
というわけで、ご案内をいただいたので、お許しを得て転載いたします。

日時 平成22年10月12日(火)午後6時〜
場所 上智大学文学部木越研究室
(7号館8階、JR四谷駅からすぐにみえる、
「上智大学」と書いてある建物です。
 北門からすぐです)
テキスト 『春雨物語』「血かたびら」 
 中央公論社版全集第8巻を用意してきてください。
担当 木越 治
(全集で約2頁半ほど、「……直きをつとめん」までくらいを予定しています)
以後の開催予定と担当者は

11月9日(火)  高松亮太(立教大・院)
12月14日(火) 井上泰至(防衛大)
1月11日(火) 近衞典子(駒澤大)

うーむ、関西からだと参加は、なかなか厳しいけれど
この研究会、メルマガ発信や、ウェブサイトの運営も考えられ
ているらしいです。

木越さん主催だけに、これは現実味があります。

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2010年09月20日

詩歌と絵入出板物

国際浮世絵学会の研究会のかたちで「詩歌と絵入出板物」
という催しが開催される。

日時が迫ってはいるが、ここでアナウンスしておく。
前に国文研で歌仙絵の展示をしていたことを思い出す。
あれはなかなか面白かった。

俳諧や狂歌は絵本をよく見るが、漢詩や和歌は絵本って
あんまりないと思うのだが、そのあたりのことが
議論されるのだろうか?

■日時  2010年9月26日(日曜日)
     13時30分〜17時30分 (受付13時〜)

■場所  法政大学市ヶ谷キャンパス田町校舎
(JR市ヶ谷駅徒歩10分、メトロ市ヶ谷駅5出口徒歩3分)
メインの富士見校舎ではありませんのでご注意ください!とのこと。

■プログラム
13:30 世話人あいさつ  河野実

13:40 菱川派における歌仙絵制作について
    阿美古理恵(国際浮世絵学会事務局)

14:10 歌書の刊・印・修―『百人一首像讃抄』の場合―
   神作研一(金城学院大学)

       休憩

14:50 画譜の中の漢詩―『建氏画苑』を中心に―
      池澤一郎(早稲田大学)

15:20 詩歌見立ての幕末期一枚絵シリーズについて
    岩田秀行(跡見女子大学)

16:00 《特別講演》上方の摺物と江戸の摺物
    中野三敏

残念ながら私は行く余裕がないのだが…。
ききたいものばかりだ。
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薄い!

最近送ってきた某学会誌。彙報欄など全部あわせて30頁。論文掲載頁は16頁。
うーん。
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2010年09月18日

ブログの引用

 学術誌に掲載された書評に、ブログでの書評が引用されていたのを見て、「えっ」と思った(あ、これは私のブログから引用されたということではない)。読み流しただけなので、出典をどう書いていたか忘れたのだが、「○○氏のブログに」という書き方だったように思う。まあ「書評」をテーマにして、引用も想定しているような本格的なブログなのでしたら、いいんでしょうが。それにこの場合はもしかしたらご本人に許可を得て引用されているのかもしれない。だからあくまで一般論としてこれを書いているということでよろしく。

 署名されたブログ記事には公的な意味が伴ってくる。しかし、ブログはあとで書きかえることも可能であるし、また消滅することもありうる。だから気楽に書ける。その反面、追試が保証されていない。

 エッセイや一般誌でブログ書評を引用するのは、まあ構わないかなと思うが、学術誌に堂々と引用するのはどうなんだろう。

 私なども、あとで気づいて記事を書きなおしたり、削除することがあるので、そういうのだが、一方で、実名でそれを書いているのは、誰かのブログなんかで引用されても、書いた以上は責任はもちますという覚悟がもちろん一応あってのことである。

 でも、学術誌に引用されるとしたら、困惑する。抗議まではしませんが、困惑はします。
 紙媒体では書くまでに時間のかかる内容の書評を、たとえば読んだその日にアップできるのがネットの強み。公的な意味では、そこにしか意味はなかろう。あとは私的な雑文にすぎない。だから20年前の本の書評で、速報性ゼロのものでも逆に私的な雑文だから載せていい。だから気楽にかける。

 ブログ記事を取り上げて新聞記事にしたりとかするのも、ちょっと首をかしげるのだが(というのも速報性ではすでにそのブログに負けているわけで、記者のプライドを疑う)、ニュースソースがそれしかない?海外じゃあるまいし、それだったら、もうブログに負けているのだから、記事書かなくてもいいんじゃないかしら。

 とにかく、学術誌の論文やら書評で、ブログを引用するのは違和感を感じる。といいたい。

 
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2010年09月16日

江戸時代三都出版法大概

岡山大学文学部研究叢書29として出版された『江戸時代三都出版法大概―文学史・出版史のために―』(2010)は、山本秀樹氏の書き下ろしである。

「三都」となっているのがポイントである。従来の文学研究においては、江戸の町触れのみを根拠として「幕府」の出版法を理解して来たが、京には京の、大坂には大坂の町触れがあり、出版を例にとっても、それらはむろん共通のところもあるが、それぞれ個別に独自な部分が大きく、ひとくくりにはできないという。

 さらに、その町触れの背後に、立案者個人の倫理観や嗜好を読みとっていくという点が、ユニークである。
 そのような観点とも関わるが、本書は、出版法の研究書としては、異例に書き手の思い入れが濃い文体である。それが非常に面白い。

 残念であるのは、これが「非売品」であることだ。このユニークな研究書が一般書に衣替えして出版されることを切望する。
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2010年09月11日

オフコース

今日の朝日新聞の別刷に「女をふる男」の歌としてオフコースの「秋の気配」の歌の分析があった。
掛詞で「飽きの気配」。
なるほどきれいなメロディなのにひどい(?)男の話である。
「僕があなたから離れてゆく…」

オフコース(小田和正)の歌詞って奇妙なところが確かにあって、そういえば学生のころ、「さよなら」の歌詞について議論したことがあった。

それも男が女をふる話ですね。
「愛は哀しいね。僕の代わりに君が今日は誰かの胸に眠るかもしれない」。
この2番の歌いだしが議論になったのである。
まさか、僕と君と誰かの三角関係じゃないでしょうから、「僕ではない誰かの胸に、今日は君が眠るかもね」って言っているのだろうと普通は思いますが、いくらなんでもふっておいて、その言い方はないでしょう?

しかも「もうすぐ外は白い冬」とか「外は今日も雨、やがて雪になって僕らの心の中にふりつもるだろう」というからには、彼らは今室内に一緒にいるようなのである(ちがうかもしれませんよ)。

まあ一応私なりに解釈はあるのだが…。ここでは言わないことにしておこう。
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2010年09月10日

ずーっと続く

この3日ほどは、毎年恒例(9年目)のT文庫調査。調査といっても勤務校所蔵なのだが。いよいよ来年で終結の見通しである。K文庫のように冊数は多くないし、N文庫のように華やかでもないが、連歌に関しては非常に貴重な資料である。しかし9年もやっている割には不勉強なので、相変わらず「よくわからない」と呟きながらカードをとっている。今年は「三物(みつもの)」にブツカッタ。百韻を十回やる「十百韻(とっぴゃくいん)」つまり千句の興行。これを何十年にもわたってやっているのを、百韻のうちの最初の三句だけ記録しているものがあった。元禄から安永まで、ずーっと続く。代替わりをしているのもあるだろうと思いつつ、この営為が単なる文学好きの遊びではすまされないことを実感した。全部で9冊、何百丁にも及ぶ。
で、調査のあとの楽しい飲み会なんだけど、これも絶えることなく、ずーっと続く。場所をいろいろ変えているのだが、今年はとりわけ好評であった。その店とは。ふふふ。
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2010年09月05日

あいうえお論語

ちょっと前、岡山方面研修旅行。

吉備津神社の鳴釜神事体験が今年こそ、それも自分の誕生日に出来る。
その千載一遇のチャンスを、(私だけ)事情で逃してしまった。
なんだか、意外な音がしたそうで。

吉備津神社には、これまで2回行ったことがあるのだが、いずれも時間の関係で、鳴釜神事を体験することも、観ることもできなかった。今回こそと思っていたのだが、どうも私はこの釜には縁がなさそうである。

しかし閑谷学校には行くことが出来た。
ここで『あいうえお論語』(200円)を買う。

あ 過ちて改めざる、是を過ちと謂う。
い 古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす。
 (古の学者は自分を磨くために、今の学者は人に評価されたいために学問をやっているの意です)
ここで、目がとまる。
 
  己の為にすることが、なかなかむずかしい。それが今の××でございます。孔子様。
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