2011年01月27日

知られざる潭北

 『立教大学日本文学』105号(2010年12月)に、加藤定彦氏が「潭北編『年のみどり』(新出)の解題と翻刻―享保前期野総地方の雑俳―」を発表された。

 潭北というのは、関東一円を遊歴した庶民教導家にして俳人。著名な本に日本思想大系にも収められた『民家分量記』がある。かつてその教導の地域と俳人としての活動の地域が重なっていることに注目して論文を書いたことがある(「常盤潭北論序説」『江戸時代文学誌』8号、1991年)。俳諧関係では私の唯一の論文であり、潭北の出身地の烏山(栃木県)まで2回行き、その生涯を調べて同論文の中に年譜稿を書いた。それで『俳文学大辞典』の潭北関係の項目4項目を書かせていただくことにもなった。文学関係では潭北の論文はほとんどなかったし、その後も加藤氏による『俳諧料理奉行』(雲英末雄先生が所蔵されていた)の紹介があったくらいで、潭北の論文は見かけなかった。

 今回の加藤氏の論文は、その名のみ知られて原本不明であった『年のみどり』の紹介である。享保六年に催された前句付・笠付句合から勝句を収めたもので、これまで潭北が雑俳に関わった事例がなかっただけに、ちょっと驚いた。「教化活動をする一方で前句付流行の趨勢に押されて判者も務めたというのが実情だったのであろう」。潭北の知られざる一面である(もっとも潭北自体が知られざる人なのだが)。そういうわけなので、単に新出というだけではなく、かなり大きな意味をもつ資料紹介である。

 ちなみに、先引の『俳諧料理奉行』を私は雲英先生に見せていただいたことがある。その時は早稲田の図書館に閲覧の用事があり、それが終わって先生の研究室に行ったのだが、約束の時間に先生はなんと建物の入り口まで迎えに来てくださっていたのである。研究室は和本の山で、最近『日本歳時記』を集めているのだというお話をされていたのを覚えている。のちに『日本歳時記』の諸本について書かれることになる。なにか一人の文学者を調べていくと、必ず思い出になるような人との出会い、本との出会いがあるものなのである。とはいえ、私は伝記研究っぽいことはあまりやらないのだが。やりたいという気持ちは実はある。
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2011年01月25日

くうざん先生『近世的表現』を推す

くうざんこと岡島昭浩さんが、『日本語学』2011年1月号の「私が勧めるこの一冊」に中村幸彦先生の『近世的表現』を取り上げている(『中村幸彦著述集』第2巻、中央公論社)。若い国語学研究者の方、とりわけ国語史をやっている人には、もう是非是非岡島さんの文章を読んでほしいのである。そして『近世的表現』を絶対に読んでほしいの!

学会発表とか院生発表会とかで、江戸時代の日本語の資料として、『浮世風呂』とか洒落本とか歌舞伎台帳とか浄瑠璃とか咄本よく使っているのを見たり聞いたりするけれども、「ちょっと待って!」といつも言いたくなる(このごろはあまり言わないけど)。近世文学は引用が多かったり、格好つけてたり、韻律に合わせたり、擬古文だったり、俗語の資料と思われているジャンルでもいろいろあるのである。索引やデータベースがあるからという理由で、文脈を無視して用例を引くのはやめて!って言いたくなるの!

そのあたりのところをわかっていただくのに一番いいのが、この『近世的表現』なのである。岡島さんは、奇を衒って国語学の雑誌に近世文学研究の名著を取り上げたわけではないんですって!

この『近世的表現』だけでも、講談社学術文庫とか筑摩学芸文庫とか岩波現代文庫とか、もちろん中公文庫でもいいんで、文庫本にしていただけないだろうか。

 もちろん私たち文学研究の側も、えらそうに言っているだけじゃなくって、平凡社が2007年に文庫本にしてくれた『日本語の歴史5』「近代語の流れ」を読まなきゃいけませんね。この文庫本の解説も岡島さんなんですってば!
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2011年01月24日

古活字探偵さんより

古活字探偵さんから、23日の夜、ひとつ前のエントリーに対して次のようなコメントが届きましたが、内容が広くアナウンスすべきことのようですので、御本人にお許しを得て、こちらに転載させていただくことにいたしました。

【以下古活字探偵さんのコメント】
鈴木俊幸氏編『書籍文化史』12集に掲載の「古活字版悉皆調査目録稿(二)」に、恥ずかしながら以下のような誤りが出てしまいました。ご訂正ください。

107頁・上段、「印記」の項目
(誤)乃中/分陀/板華→(正)人中/分陀/利華

139頁・上段、「備考」の項目
(誤)215と同版本→(正)216と同版本

168・169頁の伝本番号
(誤)257→(正)256
(誤)258→(正)257

印記の読みについては、渡邉守邦先生からご教授いただきました。印記の読みは『篆刻印譜字典』の類など様々な参考書を用いて読む努力をしていますが、毎度苦労させられます。今回も読めずに*のまま残してしまった所がいくつもあって悔やまれます。それはともかく「人中分陀利華」を「乃中分陀板華」と読んだのは、不勉強をさらけ出してしまったようでお恥ずかしい限りです。ご教授くださった守邦先生にお礼申し上げます。
皆様も何かお気づきの点がございましたら、ご教授ください。

京都大学付属図書館に所蔵のある分は、全て(おそらく)の調査が終わりました。
明日からはいよいよ文学部(カード検索をして20余点リストアップしました)を攻めます。
【以上コメント終わり】

渡辺守邦先生…、古活字版研究に関しては伝説的存在の先生です。
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2011年01月23日

江戸の本づくし

新書一冊がまるまる黄表紙一作品の解説(注釈)という本が出るとは快挙である。とりあげられた『御存商売物』は、中本というそれこそ新書ほどの大きさのわずか15丁(30頁)の絵本である。だが、ここには擬人化された江戸の本が満載。そこで『江戸の本づくし 黄表紙で読む江戸の出版事情』というわけである。

著者はまたまた鈴木俊幸さん。平凡社新書。2011年1月刊行。おととしの夏だったかに、構想をちょっと聞いたことがあった。実はこの本、私も演習で取り上げたことがあり、江戸の本や出版事情を教えるのにうってつけの本だと思っていたので、これは面白くなるだろうなと思っていたが期待を裏切りませんな。

演習では、私なりに、手元の本や大学の本を使って実物を示して見せたが、そこは個人的にも大学も蔵書に乏しい悲しさ、紹介できないものがたくさんあった。学界屈指の書物通である鈴木さん、本書では、それを逐一らくらくと楽しそうに解説していく。

黄表紙という江戸独特のジャンルの入門書であるとともに、江戸の出版物、さらにはその事情についても勉強出来、しかも楽しめるというなかなか贅沢な本である。これまでの注釈を越える指摘も数多くありそうだ。

そういえば、鈴木さん編集の『書籍文化史』12、今回も例年のごとく順調。古活字探偵さんの力作、前号に引きつづき掲載。
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2011年01月19日

鹿田松雲堂歴代

 鹿田松雲堂といえば、河内屋新次郎から別家して独立した初代鹿田静七から五代続いた大阪の名門古書肆である。中尾松泉堂や沖森書店はその別家である(中尾堅一郎氏「大阪古典書肆・鹿田松雲堂」『文学』1981年12月)。四代鹿田静七の娘さんである四元弥壽(やす)さんは、鹿田松雲堂歴代についての聞書をまとめるべく、メモを残された。それを娘さんの山本はるみさんがパソコンに入力し、弥壽さん(享年86才)の五十日祭(2010年12月4日)を記念して刊行した小冊子が、ご縁あって、私に送られてきた。歴代の静七のことだけではなくその家族のことも綴られている。

 古丼(こたん)と号した二代は、大阪の出版文化に多大な貢献をした人だが、年譜形式で事跡を列挙している。単に事実の羅列ではなく、その母が節季の支払いの時に紙袋を沢山作って…、とか、新聞を作ったときの具体的な状況まで書かれていて興味深い。辞世の句も載っている。三代のときは、顧客の内藤湖南や富岡鉄斎が古典目録を受け取った直後に集まる様子などが描かれる。四代目(弥壽さんの父)は特に詳しい。富岡鉄斎旧蔵書の売立の様子がかなり具体的に描かれていて貴重な資料である。聞書だけあって、知られざるエピソードが満載である。

 弥壽さんは二代静七の「思い出の記」を読んで、記録を残しておかねばならないと思われたらしく、平成10年前後から、歴代松雲堂についてまとめていたという。

 山本はるみさんは、このブログにも何度か登場された水鳥荘主人の同窓同期の方だということで、水鳥荘主人のご紹介で、私にも送っていただいたという次第である。まことにありがたいご縁と言わねばならない。
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大高さん著書の書評

『図書新聞』1月22日号に、大高洋司氏『京伝と馬琴〈稗史もの〉読本様式の形成〉』についての私の書評が掲載されました(日付よりも早く刊行されるようで)。
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松阪と本居宣長

『鈴屋学会報』27号(2010年12月)の巻頭に、岩田隆氏の「『石上私淑言』書名攷」が掲載された。「いそのかみささめごと」と読む根拠はなく、「いそのかみししゅくげん」と読むのではないかということを言われている。たしかに、書名は実は本当は何と読むのか、わからないものがある。『山家集』も「さんかしゅう」と読む根拠はないと、中世和歌研究の泰斗といわれる先生がおっしゃっていた。

 鈴屋学会というのは一度だけご講演の中野三敏先生のお供(?)で参加したことがあるが、終了後に牛銀というお店で牛鍋を囲むのが恒例になっていて、あたたかい感じの学会であった。運営する本居宣長記念館というのが実に好もしいところで、一度学生達と訪書に行ったが、とても親切にしていただいた。現館長のお人柄も素晴らしく、松阪の中に確たる位置を占めている。

宣長十講というオムニバス講義を毎年やっていて、熱心な受講者たちが多数やってくる。先日家人も講義を依頼され、それがある旅館のブログに好意的に取り上げられて驚いていたが、「夕刊三重」というご当地紙には一面トップ記事になっていることがわかり仰天していた。堂上歌人が宣長の伊勢物語解釈を取り入れていたことを話したらしいが、宣長のことで新しいことがわかるとニュースになる。松阪の人たちは「宣長さん」をこよなく愛しているのであろう。
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2011年01月09日

改作と「世界」と「趣向」

昨日大阪大学国語国文学会の研究発表会・総会が行われた。

大橋正叔先生が、「改作と「世界」と「趣向」」と題して、非常にわかりやすく、スケールの大きな内容のご講演をしてくださった。

私は講義でよく世界と趣向の説明をするが、今日のお話で、なるほど改作という観点から説明すると大変わかりやすいと勉強になった。もっとも大橋先生のように近松浄瑠璃とその改作状況を熟知していなければ、ご講演のような、説得力は出てこないだろう。

改作によって世界が少しずつ広がる様子、改作のたびに趣向が加わるからであるが、その趣向のポイントは当世性にあるというお話。これもなるほどと思う。

そこに注目すれば世界と趣向は、仮名草子や浮世草子にも及ぼせるとして、仁勢物語・好色一代男・西沢一風の浮世草子・また洒落本や黄表紙など縦横に論じられた。

古典から近代、韻文・散文・演劇、どの時代でもどのジャンルでもヒントになったはずで、学生にもとても有益なご講演であったと思う。
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2011年01月08日

秋成の晩年と演劇

『近松研究所紀要』第21号(2011年12月)に、拙稿「秋成の晩年と浄瑠璃」を載せていただいた。このブログでもちょっと書いたことがあるが、僭越にも厚顔にも恥ずかしながら近松研究所の役員のようなことをやっているので、「演劇に関わる」論文を書きなさいとI所長に夏休の宿題を与えられて書いたものである。まことに汗顔の至りとはこのことである。

 まえから書きたいネタがひとつだけあった。秋成が『胆大小心録』で中井竹山を茶化しているところがある。これが『ひらかな盛衰記』を踏まえてますよ〜ということ。しかしそれだけで論文になるわけがない。そこで『春雨物語』の中の通俗的と言われている部分を、浄瑠璃の摂取か流れ込みと読んでみた。

 すでに先学がいろいろと言っていることにのっかっているところが多いのですが。それにしても怖ろしいかったのは、ここに投稿する論文は、近松研の評議員をされている錚々たる皆様の査読的なことを受けたことである。U先生、T先生から貴重な御教示を、H先生からはコメントを賜る。やはり専門家は怖えええ! ともあれ、お慈悲で不採用にはならなかったようで。
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2011年01月07日

南大阪

 南大阪地域学会という学会が大阪府立大学の上方文化研究センター内に事務局があるようで、昨年の10月に機関誌『地域学研究』の第1号を出した。その巻頭に、肥田皓三先生のご講演録が掲載される。いつもながら無類に面白い。読みどころ満載なのだが、ひとつだけあげよう。

 住吉の岸の姫松の林の中で、廉斎という茶人が片山北海と篠崎三島と兄の僧観山を招き茶会をした際に、詩の応酬が行われた。その応酬と廉斎の和歌が『住吉名勝図会』に載っていることを紹介されている。この茶会は天明二年に行われ、一二年後の書物に記載されたわけだが、この時の詩や歌を書いた原稿が、全部一幅の軸になって大阪歴史博物館に残っているというのである。それを我々がまた鑑賞することで、文化が繋がるということを話されている。奥行きのある話である。
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2011年01月04日

演習は、これから

謹賀新年 今年もよろしくお願いします。

シラバスの締め切りが今日である。そこで演習の授業の最初に何を話すかを考えているうちに、考え込んでしまった。今や一発検索の時代である。今年秋からは国歌大観・私家集大成・古典俳文学大系の横断検索が出来るようになるらしい。こういうのは日進月歩ですね。大漢和だってそのうちそうなるだろうし。

 学部の演習では、基本的な事典類・工具書類を羅列して、実物を研究室や図書館で探させることを課してきた。連休前には私の演習の受講生が図書館でウロウロしている光景があった。ただ確認させるだけではなく、どの辺りの棚に、どんなたたずまいでその本が収まっているかをレポートさせるのである(色とか痛みぐあいとか)。それはまあ一定の効果があったと思っているのではあるが、これだけ検索が便利になってくると、それをやらせる説得力がなくなってくる「感じ」なのである。去年は実はやっていない。前期授業がなかったからというのが理由(実はサバティカルだった)なのだが、来年度はどうしよう。むしろ、検索の要領を教える方が急務なのかもしれない。というよりも、学生の方がデータベースの存在をよく知っていたりする。つまり自分の経験を教えられない時代なのである。

 それでも、「あの本は図書館の書庫の5階のあの辺りの棚の上の方にあったな、というようなアナログの記憶が役に立つ時代ではなくなったのである」とは言いたくないんだな。今データベースの存在を全く知らない学生が、旧態依然に実物の本だけで調べることを10年続けたとして、10年後に検索上手な子と比べてどちらが豊かな教養を持っているのだろう。英語とITリテラシーがこれから必須であることは認めはするけれども、どう生きるかということを検索で調べることはできないでしょうからね。あー、できるのかもね。そういう答えでいいっていう人には。『本は、これから』(岩波新書)でも、このあたりのことが話題になっているようであるが、さて、「演習は、これから」どうなるんでしょうねえ。
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