2011年04月30日

大坂再発見

4月29日は、誰の誕生日か御存じですか?
そうです、K先生の誕生日です。昭和天皇と同じ日です。
このK先生の誕生日をお祝いして、毎年恒例の研究室ハイキングが行われます。
いや、毎年恒例のハイキングの日程が、たまたまK先生の誕生日なのです。

ややこしいので、この話はここまでにしまして、ふとハイキングといいますと、京都や奈良あたりにちょっと遠出して、名所旧跡めぐりというのが普通なのですが、今回は、谷町九丁目の駅に集合して、大坂を再発見しようという企画です。これはなかなかよかった。上町台地散策後、天王寺七坂を歩いたのですが、大阪市が本当は素晴らしい観光資源を持っていること、それを悲しいかな、見事に埋もらせてしまっていることなんかがよくわかりました。

懐徳堂ゆかり、西鶴墓のある誓願寺を皮切りに、近松の墓、高津宮、生国魂神社をへて、天王寺七坂を歩きました。歩いている途中で、鯛屋貞柳の墓をみつけたり、家隆塚に遭遇したり、麻田剛立の墓碑文を読んだりと、探墓の愉しみを満喫し、ゴールは通天閣でした。

大阪天満宮・大阪城・住吉さん・平野…と大阪はまだまだ尽きない愉しみがあるはず。今後の企画にまた期待しましょう。



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2011年04月28日

澁谷近世

『国学院大学近世文学会会報』が、『澁谷近世』と誌名を変えた。

なかなか大胆な改名である。「東海近世」のパターンだが、地域名ではなく、大学所在地を前面に出しているわけで、そういう点では「三田国文」とかのパターンである。

 でも、なかなかいい命名だと思う。「澁」が旧漢字というところも、文字通り「しぶい」。
 で、内容はというと、編集後記に書かれているように「外部に開いた」「研究誌を目指す」姿勢が確かに窺われる。これまでの合宿報告とか句会報告などのどちらかといえば内輪向けの随筆欄がなくなり、外部の方にも原稿依頼をしているようだ。実はこの雑誌について、外に向けて発信したらいいかもなどど勝手なことを述べたことがあったので、ちょっとドッキリしましたが。

 今回は堤邦彦氏や常光徹氏らをゲストとして招き「怪談特集」を組んでいる。伊藤龍平氏が巻頭エッセイで、「怪談を怪談たらしめているのは、話し手と聞き手との間に生ずる権力関係なのではないか」と提言している。怪談と笑話は紙一重だが、何が怪談を怪談として成立させるのかといえば、怪談の場における話し手と聞き手の意思の交差だというのである。怖がりたい、怖がらせたいという場である。

 堤邦彦氏は、善書を利用して教訓と未文化の怪談が、やがて因果・因縁を語るようになるとし、それが近世的怪談の思想と表現であるとすれば、お梅の恋の因果を一切語らない四谷怪談は画期的なのだと、横山泰子氏のお梅への着目を褒めつつ述べている。伊藤氏や堤氏の怪談の文化史的考察。怪談研究の旬はこのあたりにあるのかもしれない。

 
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2011年04月24日

書評会

 昨日行われた京都近世小説研究会は、浜田啓介先生の新著『近世小説・伝達と様式に関する私見』の書評会であった。25名が出席、全員が感想・意見を述べた。若い研究者たちは自分の研究に関わる具体的な論文を挙げ、それに大きなインパクトを与えられたこと、今後の研究方向に貴重な示唆を得たことを主として述べていた。中堅・ベテランの諸氏は、本書の特徴や浜田学の真髄とはなにかについて、それぞれの見解を披露していた。そのような受け止め方もあるのかといろいろと勉強になった。なにより浜田先生が一人一人の発言に耳を傾け、誠実に対応されたことに感銘を受けた。若い人たちにはかけがえのない時間だったのではないか。

 中には、先生の著書を差し出し、サインのみならず、「励ましのお言葉」までも書いてもらう猛者もいたが、ニコニコと応えておられた。

 きのうの書評会を再現することはできないが、いくつかのキーワードがあったと思う。「膨大な通読量」「たのしい」「伝達と営為」「断定(である)」「方向性」「演繹的実証」「名言」などなど。

 そして、懇親会で、一足先に帰られる際、浜田先生は、私に言った。「飯倉さん、私の最高の名文句はね、〈比較文学偏西風〉だよ」。うーん。「国語国文」にご発表。かつてこの会で講演された内容である。私は「秩序の回復」だと思っていたのだが…。
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2011年04月19日

近世詩歌の新展望

『国語と国文学』の5月号は、「近世詩歌の新展望」を特集、30代、40代の論者達がそれぞれの問題意識に即して論じ、研究の最前線を知ることができる。ラインナップは以下の通りである。ぎょうせいのサイトから無断コピペっす。すんまへん。

●近世における『伊勢物語』二十三段の読解――旧注から『伊勢物語古意』へ――
 /高野奈未
●宣長における擬古歌論の源流――平安朝文学と「古言」――
 /杉田昌彦
●上方地下の系譜――栂井一室について――
 /神作研一
●歌道宗匠家と富小路貞直・千種有功――近世中後期堂上歌壇の形勢――
 /盛田帝子
●幕末の江戸歌壇――一枚刷『東都歌仙窓の枝折』をめぐって――
 /田中康二
●林家漢詩に詠まれた楠公像――幕末の志士と比較して――
 /杉下元明
●大田南畝の歌文における詩の機能
 /池澤一郎
●東下りの変奏――宗因の奥州紀行をめぐって――
 /尾崎千佳
●調和における前句付の位置
 /牧藍子
●幻住庵記考――『猿蓑』巻六という場所――
 /井田太郎
●蝶夢と支考――俳諧における「まことの心」の系譜――
 /中森康之
●天性の狂歌師つむり光
 /小林ふみ子
●『雑体詠格略鈔』考――和歌雑体と天保調――
 /牧野悟資

各ジャンルまんべんなくという感じ。世代交代を感じさせる顔ぶれである。女性が五名というのも最近の傾向を反映する。近世文学という領域は非常に女性研究者の少ないところだった。しかし最近の学会を見ると、女性の方が多いのでは?と思うくらいに、増えてきたと思う。

もともと「詩歌」という括りは、江戸的ではないのだろうが、こうやって集めてみたときに、たしかに新展望っぽいものは感じる。でもまだ読んでないっす。読んだらまた。

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2011年04月18日

人形浄瑠璃・文楽のことばへ

標記、『文学』3・4月号の浄瑠璃の特集の話を続ける。

 大橋正叔氏の『近松世話浄瑠璃の改作』は今年の大阪大学国語国文学会で講演していただいたものの一部である。ここでも『冥途の飛脚』がトピックになっているが、改作の『けいせい恋飛脚』では八右衛門は正真の悪役になっていることを指摘する。縦筋がしっかりしている近松作は、いくらでも横筋を変えられるに堪える緊密な構成をもっているために、改作の対象になるという分析。

 神津武男氏の「浄瑠璃本のベストセラー」も、このブログで話題になった学会発表の論文化である。浄瑠璃本の調査を続ける氏の感慨(たとえば「無念也」などと)時折挟み込まれるのが面白い。インターネット上で私と半魚さんがいろいろ意見を寄せたことに謝辞があったのには恐縮した。論文におけるネット引用の礼儀でその内容には言及されていないことに安心。

 85歳の演出家(山田庄一氏)が86歳の大夫にインタビューする、「人間国宝・竹本住大夫にきく」。ますます意気さかんな住大夫さんの気合の入った、若手へのゲキ、さらには観客へのゲキが飛ぶ。大阪と文楽をこよなく愛する住大夫さんの気持ちがあふれている。それにしても、住大夫さんの話す大阪弁は上品である。

 山中玲子氏の「摂州合邦辻」論は、玉手御前の恋は本当だったのか偽りだったのかという問いを、徹底的な科白の読みで解こうとする。
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2011年04月17日

『冥途の飛脚』の八右衛門

 さて、『文学』3・4月号の浄瑠璃特集である。信多純一先生の『冥途の飛脚』論が掲載されている。題して「芝居の中の、芝居のことば―二つの封印切」である。

 『冥途の飛脚』の八右衛門は、当初困り果てた忠兵衛に対して同情的で、50両の返却も猶予を与えてあげるので善人に見える。ところが、梅川のいる越後屋に来た八右衛門は、忠兵衛の評判をはじめるや、段々高揚してきて声を大にして忠兵衛を悪く言い始める。いったい八右衛門は善人なのか悪人なのか。

信多説は、八右衛門が酒を飲んでいて、大声での悪態は酔狂のなせる業であったと解く。その伏線は用意されているとしてテキストを辿る。また、八右衛門は、前段で、忠兵衛から渡されてた鬢水入りのニセ小判の封印を切る。ここで「さらば正体あらはしてごくもんのたね御らんあれ」というのだが、これは当時人気の『助六心中せみのぬけがら』を真似しているという。『助六心中』には「さらば正体あらはさん」という言葉がある。酔いに任せて八右衛門は、見得とともに芝居がかりにこのせりふを持ち出したというのである。非常に面白い解釈である。酔いに任せて人気ドラマの主人公の真似で芝居がかった科白をいうなんて、今でもありそうな話だ。秋成の『胆大小心録』にも一力で芝居の真似ごとをする粋人たちの話が出ていた。

 信多先生の論文の終わりの方に、時松孝文の論文が引かれている。これは嬉しかった。時松は将来を嘱望されながら30代で夭折した。信多先生の教え子であり、私のQ大の後輩である。天国の時松は師匠の論文をどう読んでいるだろうか。
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2011年04月12日

秋成・春樹・高田衛

『文学』の3・4月号は浄瑠璃を特集している。

いろいろと面白そうな論文がならんでいるが、それはまたいつか触れるとして、特集外の論文として、高田衛先生の「『海辺のカフカ』と上田秋成」が掲載されているのは見逃せない。

構想は口頭でうかがったことがあり、またサワリは既に発表されてもいたが、本格的な論としていよいよ公にされたわけである。

村上春樹が上田秋成、とくに『雨月物語』に大きな影響を受けていることは、現在ではかなり知られていることだろう(たとえば、小山鉄郎『村上春樹を読みつくす』講談社現代新書)。秋成200年を記事にしてくれた、読売新聞・日本経済新聞でもこのことは大きなトピックとして扱われた。

この論文では例えば次のようなことが説かれる。「浅茅が宿」における宮木の恨みの歌と妻を悼む歌として勝四郎が捧げた手児奈への讃歌。そのズレ。村上春樹はそのズレを読みとり、佐伯さんと、その幽霊である少女という異なる位相のふたつのイメージの物語を作った。
 またカフカが四歳の時に母に捨てられたことは、秋成が「四歳にして母亦捨つ」ということとも暗合する。そして、カフカ少年がなぜ田村という姓なのかということの謎解き。
 だがこのように分節化して説明してしまうと本論文の主意から離れてしまう懼れなしとしない。
 
 要は、秋成と春樹の響き合いを高田衛が感知し、それを書いたということである。益々みずみずしい文学的感性にたじろがずにはいられない。それはおそらくかつて、高田衛が若き頃に体感した秋成体験が、村上春樹にもにあったに違いないという確信的な共感意識に基づくのだろう。高田衛は結局文学者なのだと思う。
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2011年04月11日

『異国征伐戦記の世界』

ずっと紹介しなければと思いつつ、あまりの重厚さに腰が引けてしまっていた本がある。
金時徳氏の『異国征伐戦記の世界』(笠間書院、2010年12月)。
壬辰戦争をめぐる文献、朝鮮軍記物を中心とした異国征伐軍記を精力的に読みこみ、「正しい戦争とはなにか」という大きなテーマと結びつけようとした問題作である。索引等を入れると450頁を超える。
初出16本のうちの11本が2007年からの4年間に発表されているというのに感心する。
日本における近世文学の一般的な方法、つまり文献学的な方法と金氏の問題意識がうまく絡んでいるかといえば、なかなか苦労されているようであるが、朝鮮軍記物研究としての本書は画期的なものに違いない。
秋には日本近世文学会がソウル高麗大学校で開かれるが金氏は開催校のスタッフでもある。日本近世文学における「朝鮮」の問題は、今秋にホットな話題となるはずである。日本スタイルを身につけた金氏の存在はこれから重要になるのではないか。
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2011年04月10日

ひと味ちがう浮世絵シンポ

去年の2月、たばこと塩の博物館で開催された『浮世絵百華―平木コレクションのすべて』にちなむ国際シンポジウムが中央大学駿河台記念館で行われた。
その記録が中央大学文学部の『紀要』107号(2011年3月)に掲載されている。

出席者は、ロバート・キャンベル、タイモン・スクリーチ、中野三敏。司会が鈴木俊幸という、超豪華メンバーである。浮世絵に造詣が深いけれども、浮世絵の専門家はいない。そこがミソで、ふつうの浮世絵シンポジウムと味付けが全然異なる。

中野先生は、いつもの自説を浮世絵を材料に話しているし、スクリーチ氏は絵解き、キャンベル氏は明治の吉原の知られざる一面を語る。浮世絵がこんなところで意味を持つのかと感心してしまうことが次々に出てくる。浮世絵の啓蒙的なお話ではなく、文化史の中の浮世絵の話という趣である。
一時期吉原の大門が煉瓦作りだったことを証する絵が乗っていて驚いた。キャンベルさんが紹介。それにしても、最後はやはり和本リテラシーであった。今年は私も変体仮名解読者養成のために授業の一部を解読練習に当てることにしている。
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正本写合巻年表

「歌舞伎小説」とも言ってよい正本写。上演歌舞伎を小説に引き直した合巻の一類。
これの年表を佐藤悟さんが作った。
題して『正本写合巻年表(正本写合巻集・別冊)』(国立劇場調査養成部)。
佐藤さんによる「正本写略説」はこのジャンルにおける必読の文献になるはずである。
貴重な刊行物だが、目に触れにくくもあるので、紹介しておきます。
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2011年04月09日

4月23日は

4月23日には関西でいろんな行事がある。

兵庫県立芸術文化センター大ホールで「楽劇 保元物語 崇徳怨霊譚」の公演がある。午後6時30分開演。詳細は、「楽劇の祭典」ホームページをご覧いただきたいのだが、能とオペラを統合した新しい楽劇の世界を堪能できる。この催しを案内するのは、作・脚本が笠谷和比古・宮崎修多氏だということである。笠谷氏は近世史、そして宮崎氏は私の畏敬する後輩で、近世〜明治の漢詩文研究者である。福田安典氏がオペラの脚本を書いたり、中嶋隆氏が小説で新人賞をとったり、近世文学研究者も創作の領域でかなり活躍されている。

同日、大阪大学で、第111回和漢比較文学会例会(西部)が開かれる。学会HPから勝手にコピペしておこう。合山林太郎氏が世話人である。
【開催日時】 2011年4月23日(土) 13:30〜
【会場】大阪大学 豊中キャンパス 大学教育実践センター講義B棟218教室

【研究発表】13:30〜
○『方丈記』における「閑居」の位置づけ
名古屋大学(院) 田云明氏

○文質と意句―歌論としての『風雅集』序―
京都大学(非) 中村健史氏

○日中書画家の白詩本文をめぐって―松花堂昭乗の書跡「長恨歌」及び文嘉「琵琶行図」の「琵琶行」―
京都女子大学(非) 森岡ゆかり氏

○山田美妙と漢詩文
立命館大学 福井辰彦氏

例会終了後、懇親会を予定しています。

この二つの行事に私は行けそうにない。というのは、この日京都近世小説研究会において、私が言いだしっぺの次の催しがあるからなのである。

京都近世小説研究会 4月例会
◆日時:4月23日(土)午後3時より
◆場所:同志社女子大学今出川校地 栄光館 E104号室
◆書評会:濱田啓介氏『近世文学・伝達と様式に関する私見』(京都大学学術出版会、2010年12月)


濱田先生のこの本は、近世文学研究の金字塔のひとつとして長く記憶され、活用されるに違いないが、それを後進がどう受け止めて、今後の研究に展開させていくべきか、自由闊達に意見交換しようという会である。私が座長を仰せつかっている。井口先生も来て下さるらしいので、期待していいと思う。飛び入り歓迎しますから、この書評会に興味のある方は、是非いらっしゃってください!
濱田先生ご自身も参加される。
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2011年04月06日

江戸のダークサイド

『西鶴が語る 江戸のダークサイド』(ぺりかん社、2011年3月)が刊行された。西鶴が語るシリーズは、ミステリー、ラブストーリーに続いて3冊目。好調なのであろう。
3冊出ると、本屋の書棚にも一定の存在感が出てくる。
 このシリーズは、若手の執筆者が中心である。西鶴研究会の「元気さ」が感じられる。「連続幼女誘拐事件」「京都の闇金融」などと、章題は現代的である。
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2011年04月03日

江戸狂歌壇史の研究

石川了氏が『江戸狂歌壇史の研究』(汲古書院、2011年3月)を刊行された。
文字通りの大著である。学界待望の書でもあった。
3段組の人名索引だけで50ページに及ぶ。そのことを以てしても、その研究対象の領域の広さ、詳密さが伺えるというものである。
今後の江戸狂歌研究の必読書となることは間違いない。

狂歌は江戸文学の華である。そのわりには、研究書が多いとはいえない。近年江戸狂歌本の集成が東京堂から刊行され、研究条件が整ってきた。本書刊行は狂歌研究に勢いをつけるだろう。

石川氏は、江戸戯作研究をリードすべき方である。しかし、ご本人はいたって謙徳なお人柄である。江戸戯作研究の先頭に立ってご指導をおお願いしますといっても、「弥種(やだね)」って言われそうである。「弥種」は氏の号である。まあそういわずにお願いします。
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2011年04月02日

忍頂寺文庫目録

 『大阪大学附属図書館所蔵忍頂寺文庫目録』が、大阪大学附属図書館から刊行された(2011年3月)。大阪大学文学研究科と国文学研究資料館の研究連携事業である「忍頂寺文庫・小野文庫の研究」のいわば総決算である。
 多くの方の努力でこの目録は成った。目録作成に関わったすべての皆様に深謝申し上げます。

 ここに至るまでの道のりは長かったが、いまそれを回顧している時間はない。関係各位には4月上旬中ごろには図書館から発送される。WEBでも公開予定である。

 ただ、時間がかかったわりには、チェックをかなり大急ぎでやったために、様々な遺漏や誤りが残っている可能性が大いにある。平成22年度の図書館予算からの支出であり、限られた時間での仕事であったというのは言い訳にはならない。ご指摘いただければ幸いである。研究室・個人等でご入り用の向きは、ご一報いただけたら、私手持ちの分で対応いたします。
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2011年04月01日

夕霧書替文章

尾道大学の藤沢毅さんが、学生さんとの自主ゼミの成果として、栗杖亭鬼卵作の読本『夕霧書替文章』の翻刻を刊行した(2011年3月、非売品)。藤沢さんはここ数年、学生さんとの共同執筆で、読本の翻刻を刊行しつづけている。地味ではあるが、大変貴重なお仕事である。2007年に刊行された『浪華侠夫伝』は、その後、一気に研究が盛んになっている。
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