2011年08月29日

先を見る

ぎょうせいが「国語と国文学」を手放すという。もともと、なにかの義理で、至文堂から引き継いだのだろうから、これは仕方がない。ただ「国語と国文学」は東大の国語国文学会の学会誌的な機能も果たしているかと思うので(よく知らないが)、雑誌そのものが消えることはないのだろう。

それにしても、ここ10年の自分の論文リストを眺めて見ると、江戸文学・国文学・解釈と鑑賞・国語と国文学に投稿したものが8本だった。書評をいれると、あと3つ4つ増える。依頼を受けて絞り出したものゆえ、出来の方は「?」だが、依頼されることで生産本数があがることは事実である。ここから考えても国文学全体の論文数が今後大きく減少することは間違いないだろう。

もっとも学界全体としては、比較的冷静にこの事態を受け止めているといえよう。まだ茫洋とした状態ではあるが、ネットでの研究的発信は逆に確実に増えているわけだし、国文学だけではない学術商業誌の相次ぐ休刊は、衰退ではなく、メディア的過渡期だとも捉えられるからだ。「いや、それはあまりに楽観」としかられるかもしれないが、必要なのは歎くことではなく、評論家然と上から目線で論じることでもなく、先を見ることでしょう。自動車学校で、車の運転をする時には遠くを見ろ、と指導された。溝があるので溝に落ちないようにと溝ばかり見ていたら溝に落ちるのだ。
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2011年08月14日

学会、ソウルへ

韓国ソウル市高麗大学校で開催される日本近世文学会秋季大会(9月30日〜10月2日)の、シンポジウム・研究発表の全容が明らかになった。シンポジウム発表者4名、コメンテーター3名(司会者1名)。研究発表者17名である。合計25名中日本人は13名である。初日のシンポジウムは16時30分開始。テーマは「日本近世文学と朝鮮」。2日目の研究発表は午前中が2会場に分かれる。おそらく学会史上初のことだろう。3日目は文化踏査で故宮めぐりなど。歓迎会・懇親会・打ち上げと宴会も3日連続の予定。図書展示は国宝を所有する高麗大学校博物館常設展。

初の海外大会ということで、いつもと違うことが多い。まず大会参加の表明の仕方。いつもは葉書で返事するのだが、韓国まで葉書というのも大変なのでネットから参加登録する。参加費・懇親会費、そして学会企画のツアーパックの申し込みもすべてWEBから行う。

このパックツアーだが、8月15日に、各空港の申し込み者数に応じて催行が決定される。申し込み自体は8月18日に締め切られる。学会員の方はお忘れなきよう。この機会に家族同伴で行かれるという方も、このツアーパックを利用できる。ツアーパックを利用した場合、空港から会場校、ホテルから会場校、ホテルから空港などの移動をスムースに行うことができる。まだの人はご利用されることをお勧めする。案内は既に学会員には行っているはずである。

学会の資料は、予稿集として1冊にまとめられる。これも初めての試みである。A412枚以内でまとめていただかねばならない。ポスターは韓国側が作成し、日韓両国で配布する。これは月末ぐらいになるだろうが、きれいなポスターが作られるようだ。

高麗大学校大会の案内に先立って、機関紙『近世文藝』94号が刊行された。93号と合わせ、この学会誌に掲載された若手の論文が日本近世文学会賞の候補となるので、個別にはコメントはさけるが、投稿本数も多かったようで、内容は充実している。学会員が減少傾向にあるのは、諸般の事情を顧みてやむをえない面もあるが、活動は活発化しているといえまいか?今回の大会で、学会全体が刺激をうけ、さまざまな試みに挑戦するような雰囲気になればいいと思う。

 日本からの参加表明は軽く100を越えている。在韓の参加者をいれれば、150に届くかというところに来ている。国内開催学会に比べても全く遜色ない。どんな大会になるか。非常に楽しみである。
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2011年08月13日

兆し

 下記エントリーでも触れた、『西鶴と浮世草子研究』第5号に書かせていただいた「逆境こそチャンス」という青い文章が、笠間書院のブログに再掲載されました。おはずかしいですが、お読み下されば幸甚。
 
 たまたま学会の事務局をやらせていただいているので、評論家然としているわけにもいかず、いま学会として何が出来るのかを検討中です。これはシステムの問題。失敗をおそれず、いろんなチャレンジをしていきたいと思います。

 経済的な面で希望がもちにくそうな時代になってくれば、今後は文化や、伝統技術(最先端の技術もここに支えられているように思います)の保持・展開が重要な政治課題になってきそうな予感がします。これまでの国文学の隆盛は、バブルがもらした余慶であり、本質的な意味での隆盛ではなかったと考えて見れば、この危機は、本質的な意味で人文学の再生をどう構想するかを考える契機になってくるのではないでしょうか。3.11とも連動するかもしれない。

 そして、ここにビジネスチャンスがないわけでもないでしょう。したたかで、先読みのできる人材が求められるゆえんです。

 そういった人材はどこから出てくるのか。その兆しがなにかあるような気がする。鍵を握るのは平成生まれの人たちではないでしょうか。つまりバブルも、その余韻も、その崩壊も知らない人たちです。そういう眼で、今の学部生たちを見ていると、なんだかやってくれそうな予感がする。え、楽観的でっしゃろか。お笑い下さい。ザ・テンプターズの復活でも歌おうかな。
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2011年08月10日

休刊ラッシュの次に

すでに笠間書院のブログなどに紹介されているように、『国文学解釈と鑑賞』がこの10月で休刊されるという。1000号が近かったらしいが、息切れたというところか。
 
 「時間の問題」だろうとは思っていた。『国文学』と並んで、一般の国文学愛好者、国語の先生、そして大学の学部生から教員まで、入門的でありつつ、最新の研究成果にふれることのできる媒体として、長くその役割を果たしてきた。さすがに最近の誌面は、ちょっと疲れ気味の感じだったが、先に休刊した『国文学』の読者を取りこんで再浮上というわけにはいかなかったようである。
 
 いきつくところまでいきついたという感じはある。あとは岩波の『文学』だけである。しかし、研究が枯渇しているわけでは全然ないし、むしろ国文学の研究は、国際的、学際的、多角的になってかなり面白い現況だと言える。
 
 『西鶴と浮世草子研究5』に「逆境こそチャンス」と題して書いたことだが、この危機をチャンスに変えなければならない。学会もただ研究発表会を維持していくだけではなくて、このネット時代に相応しい方法で、学問の発信を行っていく道を模索していかねばならないだろう。私が事務局代表を務めている日本近世文学会でも、いろいろな方向で、企画広報を考えていくことになっている。
 
 『国文学』『解釈と鑑賞』の終わりは、新しい枠組みの日本文学研究の提示の方法を否応なく考えさせるだろう。新しいシステム、新しい人材の登場シーンがきっとくる。楽観的?どうぞお笑い下さい。中島みゆきの「ファイト」でも歌おうかな。
 
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2011年08月06日

鷲田清一総長最終講義を聴く

8月4日は鷲田清一総長の最終講義を聴きに行く。別件と重なるかもしれず、事前申し込みをしてなかったので、当日受付に並ぶと「立見32番」の札を渡された。身体に負荷をかけるのでそれを軽減しようと、聴講に神経が集中するようで、立見はかえってよかった。

話題がさまざまに及んだが、哲学は過剰な語りという話が面白い。「存在とは何か」を語るのに、なぜそれを語るのか、どのように語るのか、なぜ「なぜ存在を語るのか」と問うのか。とどんどん過剰になっていくという。オノマトペは否定的な表現が多く他者に同意を求めるというオノマトペ論も面白い。研究の文体は(対話・詩・告白)などいろいろあっていいという話も刺激的である。

 貫かれていると思うのは、オーソドックスで権威的ななものをくずそうという感性である(考えて見れば鷲田先生得意のモードもそうである)。そして巧みなのは、はずかしそうに、自信なさそうに、それでいて人を説得していく話術である。モノや文献という「オーソドックスで権威的なもの」に立脚する学問に従う我々としては、それだけで権威主義者とラベリングされないように、このふるまいと話術には用心しなくてはね(ふふふ)。カッコいい最終講義でした。
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