2012年06月26日

雅俗・上文

復刊『雅俗』(11号、2012年6月)は好調な滑り出しらしい。閑山子余録に詳しいレポートがある。
私も、依頼されて、「江戸文・雅俗・上文」というエッセイを書いた。自分の研究履歴を振り返って書けとの恐ろしい注文だったのだが、振り返るほどの研究もしていないので、関わった研究同人誌のことを書かせていただいた次第である。『雅俗』を創るときは『江戸文』を意識していたし、『上文』を創る時は『雅俗』を意識していた。創る以上は、研究史に寄与する論文・資料紹介を掲載する雑誌でありたいと願うわけだが、いずれもそれは果たしてきたと思う。

復刊された『雅俗』は、判型を大きくし、『上文』に近い。刊行時期も近い。内容も高いレベルで競い合いたいものである。

『上方文藝研究』第9号(2012年6月)も刊行。巻頭の浅田徹氏「近世歌壇史のための覚書」は、今年3月の科研研究会でのご報告を活字化していただいたもので、早くも「近世歌壇史がはじめて見通せた」という激賞の評をさる方からいただいている。連載エッセイは装いも新たに「上方文藝への招待」と題して、著書・展示・報告書などの紹介を行っていく。今回はフィリピン大のウマリ氏のフィリピンにおける日本芸能公演の試みのレポートと根来尚子氏の柿衞文庫での「神医と秋成」展レポートである。他7編の論考を収める。来年でいよいよ10号である。
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2012年06月25日

春雨物語の彼方へ

先週末に行われた日本近世文学会。明星大学の学生さん、大学院生はいないというのに、実に見事な応対。気持ちの良いあいさつ、そして困っているとみるや声をかけてくれる親切、それが自然なふるまいとして出来るということ。とてもすばらしいことであった。さて、いろいろありましたが、やはり大トリの木越治さんの発表「『春雨物語』の彼方へ」に触れたい。

 後半、発表要旨に書かれていないことを発表されたが、これは木越さんくらいになるとまあ許されるのかもしれないが本当はルールいはん、若い方は「これでいいんだ」と真似してはいけません。

 しかし、この後半の内容、すなわち春雨物語諸稿本についての新説が、非常にエキサイティングだったことは事実。要旨に書かれていなくても、これだけ面白ければ、まあ誰も文句は言わない。春雨物語諸稿本についての研究は、中村幸彦先生・浅野三平先生をはじめとし、諸先学が取り組んできたものだが、特に長島さんと木越さんの研究は、その緻密さ・発想の大胆さからして特筆すべきもので、その長い研究史の上に今回のご発表がある。

 木越さんの今回の論は、長島さんの諸本成立順序の想定(文化五年本を最終形とするこの説自体が発表当時、あまりの大胆さに話題を呼んだ)に対して、新たな考え方を提示したものである。

  結論からいえば、文化四年の諸草稿投棄の前に、「天理冊子本→富岡本・天理巻子本」が出来、諸草稿投棄後に、「『春雨草紙』→文化五年本」が出来たという風に、「ふたつの春雨物語」というモデルを提示する。草稿投棄を機にパラダイムチェンジがあり、それは木越さんの言葉でいえば「俗への意志」が明瞭になったというのである。
 
 そして秋成がそれを最終形として選んでいたとしても、木越さん自身は富岡本の本文を「文学」として評価したいというのである。これに対して、鈴木淳さん・浅野三平先生・司会の長島弘明さん、高田衛先生が次々に質問し、木越さんもそれに応じて、激しい火花が散った。質疑だけで16分。
 
 私も最初に挙手したのだが、事務局代表として「○分をメドに終わってください」と長島さんにお願いしていた手前、鈴木淳さんの質問後に、「もうけっこうです」と長島さんに合図を送った(これで学会では挙手しながら質問できなかったことが3回続いたことになる。ジンクスめいてきた)。
 
 私のしようとした質問は、二系列は読者の想定による違いとは考えられないのかという鈴木さんの立場にかなり近い。木越さんは鈴木さんの質問を一蹴した趣だったが、私は傾聴すべき意見だと思う。ふたつの系列が、時間の変化、つまり秋成の意識の変化だとなぜ考えなければならないのか。秋成は、晩年、ほとんどの清書原稿を、「誰かのために」書いているというのが私の仮説であるが、『春雨物語』も例外ではない。木越さんが『春雨物語』をふたつの系列に分けるのは慧眼で、私も賛成である。だが、その二系列は、秋成の想定した読者によって違う色どりになったという可能性が大きい私は考えており、このことは「『春雨物語』論の前提」(『国語と国文学』2008年5月)に既に書いている。より具体的には、富岡本は、羽倉信美など蘆庵グループないしは神官を読者として想定しており、文化五年本は、伊勢の文芸好きの豪商あたりの注文を受けたものではないかと考えている。これも「交誼と報謝―秋成晩年の歌文―」(『語文』95、2010年12月)の最後のあたりに書いた。神官に対しては雅趣を、商人に対しては俗趣をと考えると、木越さんの図式とも矛盾しない。
 鈴木さんも、『春雨物語』の巻子本という形態に注目した論を、どこかに書かれていたと思うが、『春雨物語』は自筆で味わうべき作品、つまり閉じられた享受を考えるべき作品なのである。これは宮沢賢治の稿本論と同レベルで扱えるものではない。

 『春雨物語』の特殊性は十分に認識されながら、やはり作者が最終的な完成形を目指して文章を推敲していくという神話が、まだまだ支配しているように感じられたのは私だけだろうか。

 なお、筆跡の問題について、木越さんは、晩年、秋成は筆跡を書き分けているから、筆跡だけで成立順序を決めるのは難しいのではないか、とされ、『春雨梅花歌文巻』の中では同一作品の中で筆跡の違いがあることを実見の上確認したことをその理由のひとつに挙げられた。高田先生は、長島さんの筆跡鑑定を尊重すると言われた。『春雨梅花歌文巻』は、歌と散文とで筆跡を書き分けているから、同一作品でも筆跡が違うのである。これをもって年代による筆跡鑑定ができないという理由にはならない。長島さんはそのことを承知の上、ありとあらゆる秋成自筆資料を見て、総合的な目で鑑定しているのだから、やはり私も高田先生同様、長島さんの筆跡考証を尊重する。

 そして長島さんの成立順序の説と木越さんの二系列論は、草稿投棄によるパラダイムチェンジの話を入れなければ、両立するのである。つまり、全部が草稿投棄以後に書かれた上で、二系列があると考えて差し支えないのだ。

 私は草稿投棄に過大な意味を付与することには反対の立場である。そのことも、既に「秋成における「いつわり」の問題」「日本研究」(高麗大学日本研究センター)13、2010)で述べたことがある。しかし、如上の私説は、まだ流通すらしていない(つまり、目立たないところに書いているくせに配っていない…)ので、ちとそのことは反省した。私の質問内容はこのようなことなのだが、これを質問したら、たしかにさらに5分を要しただろう。ただ、これは全部私が既に書いてしまっていることを元にしているので、ここに書くことも許されると思いまして、書かせていただきました。
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2012年06月18日

最近の研究論文・研究書から

井口洋「室の八嶋・日光・裏見の滝―奥の細道発句存疑―」(『ビブリア』137、2012年5月)。先生がこのシリーズを書き始めてもう何年に?、あるいはもう何作目になるのだろう。一貫しているのは中尾本『奥の細道』本文が芭蕉自筆であることへの疑いである。

ハルオ・シラネ氏ほか編『世界へひらく和歌―言語・共同体・ジェンダー』(勉誠出版、2012年5月)は、日英両語で書かれたバイリンガル版。俳句に比べて、グローバルとは言えない和歌を世界に開くために、コードとしての和歌言語、和歌の社会的政治的機能、メディア(モノ)としての和歌(巻子形態、切、懐紙、短冊など)について、第一線の研究者が、入門書としても読めるように論じている。早稲田大学のプロジェクトのようです。それにしても、こういうのに執筆する顔ぶれは、大体いつも同じようです。

吉良史明氏編『近世後期長崎和歌撰集集成』(雅俗研究叢書2、雅俗の会、2012年5月)。中島広足、青木永章、近藤光輔の編んだ和歌アンソロジーの翻刻。いい仕事です。

『江戸の漢文脈文化』(竹林舎、2012年4月)も錚々たるメンバーが執筆している。幕府儒官人見香山こと午寂の足跡を追った大庭卓也氏の「午寂と享保俳壇」は長い蓄積の感じられる仕事。絵俳書との関わりなど、「俳儒」(大庭氏)午寂の業績を評価する。

大高洋司氏「『双蝶記』の輪郭」(『文学』2012年6月号)は、自らの前説を再考して、新しい「読本的枠組」を提案する。大高氏の読本的枠組は、研究者の既に一定の支持を得ているかと思う。自分の説を改めるのはなかなか勇気のいることである。しかい、一方でこの論文を読みながら「読本的枠組」の中に読本研究が閉じこめられているような窮屈さを感じないこともない。読本研究者以外にも開かれているのか(読者を選んでいるのか)。

揖斐高氏『頼山陽詩選』(岩波文庫、2012年6月)。これは待望の本。巻末の解説、やはり面白い。

玉城司氏『詩歌ものがたり』(ほおずき書籍、2012年6月)、ご本人いわく「遊びの本」。たしかに楽しい。カラー写真をふんだんに使って、同じテーマの今昔の詩歌を並べて自在に綴られる文章。文学を愛している玉城氏の人柄もにじむ。

染谷智幸『冒険・淫風・怪異』(笠間書院、2012年6月)。この本は、あらためてコメントしたいが、「東アジア古典小説の世界」という副題が、本来なら書名に来るべきところ、思い切ってその三要素をタイトルにもってきた。この三つのキーワードはそれぞれに関連する。西鶴を想像すればすぐにわかること。東アジアを漂流する染谷さんでなければ思いつかない結びつき、そして歴史的考察。これは近世文学の研究書と思わない方がよい。さまざまな領域の最前線の知見と、自らの足で、目で確かめた東アジアの諸現象を、染谷調で織り上げたカラフルな織物である。
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2012年06月14日

古典籍研究ガイダンス

国文学研究資料館の基幹研究プロジェクト「王朝文学の流布と継承」チームによる成果として、『古典籍研究ガイダンス 王朝文学をよむために』(笠間書院 2012年6月)が刊行された。

プロジェクトの成果ゆえ、「王朝文学を読むために」という副題がついているが、古典籍(和古書)を扱う研究者・大学院生は、必読必携といってよい。とくにpart2の「本をみる・さがす」は、最新の研究に即した、最新の情報収集ツールが紹介されている。

 そして、執筆者によっては、新しい知見と、秘術ともいうべき情報処理の方法、そして研究の極意が惜しげもなく披露されている。なるほど、こういう方法で研究するのか、と感心すること請け合い(私のような狭い了見の研究者には、ほほほ、と但し書きします)。

 どの文章がそうなのか、それは読む人によって違うでしょうが、こうして何本も同じコンセプトの文章が並ぶと、結構くっきりと…。
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2012年06月10日

岡田柿衞、俳書収集の足跡

 伊丹の柿衞文庫で会議に出た後に、開催中の小企画展「没後30年、岡田柿衞 人と資料と研究と」を観る。この企画を担当したNさんに解説していただく。この展示は、非常に面白い。

 岡田利兵衛(号柿衞)は、伊丹の酒造家にして、町長・市長も務める傍ら、俳書を収集し、優れた研究を遺した人物で、柿衞文庫の創設者。今回の展示が面白いのは、連歌俳諧資料を収集するたびにつけていた記録「俳人遺墨帳」と「書籍帳」が展示されていること。そこには、購入した店の名と購入価格も記されている。たとえば、昭和36年に購入した曲水宛芭蕉書簡は、10万円。そして、それに対応する現物が展示されている。

 さらに、傑作なのが、相撲番付になぞらえて作成された、「連歌俳諧真蹟昭和二十七年度入庫品大番付」これは、昭和27年に購入した巻物・懐紙・短冊など書籍以外のものだけの番付。リーフレットに影印が掲載されている。軽く百点を超すのだが、西鶴の短冊、宗祇の消息など、内容が凄い。そこに記された資料の現物も一部展示されている。

 また、「昭和27年古書界の消息」と展示にあたって題されたメモは、古書収集に明け暮れる柿衞翁の日常がうかがえる資料で、この中には、なんと忍頂寺務の名も数回ならず出てくるという。柿衞には忍頂寺務の蔵書印の押された本もあるらしい。くーっ、報告書出す前に知りたかった情報でしたが、金曜会という愛書グループ仲間だったので、当然交友はあるわけですね。ぜひ翻刻紹介して!と言ってきました。柿衞文庫にも研究紀要があればいいのにね。

 ついでに研究者向けの、耳より情報。伊丹市史の岡田利兵衛執筆部分を製本した『近世における伊丹文学の展開』というものが1200円で販売されていました。これは便利!

 この展示は7月1日まで。詳しくは、このブログからリンクを張っている柿衞文庫HPへ。
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