2013年01月29日

『春雨物語』論のために

『近世文藝』97号。若手の論文は96号所載論文とともに学会賞の対象になるので、コメントはぐぐぐっと控えておこう。唯一若手ではないベテランの論文が木越治さんの「『春雨物語』論のために―テキストの性格と改稿の問題をめぐって」である。熱狂的な質疑応答が思い出される学会発表の活字化である。

 論点は2つある。ひとつは典拠の改編、あるいは「典拠と自己のテキストの距離や差異の中にみずからの創作意図をこめていくという近世小説に通有の制作方法」とは違って、春雨物語では典拠を絶対視せず、自分の創作でそれにとって変わることさえ考えていたのではないかという説を「天津処女」の宗貞説話を例に打ち出す。「海賊」もそうなのか?と問いたいところである。

 もうひとつは諸本本文の関係について、秋成の筆跡をもとに稿本の順序を考証した長島弘明説に対し、筆跡のみでの判断は無理として、本文の類縁性から1天理冊子本→富岡本 2春雨草紙→文化五年本の二系列を想定し、1系列のあとに2系列が書かれたと推測する(2系列は文化4年秋の草稿廃棄のあとだろうという見通しも示される)。そして2が目指したのは「俗」への意志である。ただし、木越さん自身は2は評価しない、1を評価したいという。
 評価を含めて、非常に面白いし、明快な論だと思う。私の考えとは違うけれど尊重に値する論だ。

 実はこの内容が去年6月の日本近世文学会で発表された後、私の感想を本ブログに詳細に述べたことがあり、木越さん自身のコメントもいただくことができた。その際に、私は鈴木淳さんの「春雨物語は相手によって書き分けられているために二系列が生じたのではないか」という質問につき、私も同意見で、かつて『国語と国文学』2008年5月号の春雨物語特集にその意見を既に書いているとも述べた。今回の論文で木越さんがこれを付記として鈴木さんの質問について書き添えてくれたのは有りがたい。もっとも「興味深い推測にとどまる」として、スルーする姿勢には変わりはないが(ぬぬっ)。木越さんによれば、「『春雨物語』を特定の誰かのために書いたのかどうか、という前提から議論する必要があるし」まあ改稿内容と相手との関係の必然性をいうことは無理っしょとおっしゃるのである(ぐぐっ)。でもさ、まさにその前提について論じたのが、先に述べた拙論で、タイトルも「『春雨物語』論の前提」(「前提」っすよ)なんすけどねえ(ううぅ)。

 閑話休題。ところでひとつ面白いことがある。学会発表の時のタイトルが「『春雨物語』の彼方へ」というのだったのに、今回は「『春雨物語』論のために」になっていることだ。もちろん今回の方がわかりやすいんだが、このタイトル、実は風間誠史さんの一連の論文(『春雨物語という思想』所収)と同名なのだ。しかもだな、風間さんの本の「あとがき」に書いているんだけど、一連の風間論文の最初のそれは、私の依頼に応えてくださった論文(『秋成文学の生成』所収)で、そのタイトル「『春雨物語』論のために」は私が仮題として示したもの。そのタイトルを風間さんは「天啓のごとくだった」とまで言ってくださっているのであるう。ということをたぶん木越さんは全く意識していないだろうけど。だけど私にとっては実に実に感慨深いことなのですよ。(と、ひとりで浮かれる)

 私の考えは既に『国語と国文学』以後にも拙論「交誼と報謝」(『語文』95)や拙著『上田秋成―絆としての文芸』でも示しているのであるが、まだまだ認められるには道遠しのようですな。こりゃ木越さんの論を受けて再論する必要があるな、と(今だけ?)ファイティングモードになりましたぞ(ゴーッ!)
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2013年01月28日

奈良古梅園の蔵書研究

大谷俊太さんが研究代表者である科研プロジェクト「奈良古梅園所蔵資料の目録化と造墨事業をめぐる東アジア文化交流の研究」の報告書(2012年)はA4判二冊組の大著。目録篇(索引付)が330頁。資料・解題篇が450頁。古梅園―今に続く墨造りの老舗。その蔵書1750点の貴重な調査の記録。古梅園研究の基盤はこれで定まった。

古梅園の家の記録や造墨に関する資料がそろっていることはもちろんだが、またご朝廷・幕府のご用達であり、古梅園当主が文人でもあることから多くの文人との交流があるばかりか、朝鮮通信使との詩文の応酬や墨の献上など、国際的な交流も果たしているため、商家の文化活動の結果としては異例の、豊かな文化遺産を残しているのである。

懐徳堂との関係も深いことは、すでに阪大リーブル『墨の道 印の宇宙』(湯浅邦弘著)に詳しいが、五井蘭洲の父加助手造りの古墨のことを記す『歴代古墨簿』、中井竹山の書簡、そして上田秋成の和文も遺されている(それぞれ影印・解説)。永く参照されること間違いのない、GOOD JOBである。
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2013年01月26日

上方学芸史の構想

私が運営委員をさせていただいている懐徳堂記念会は『懐徳』という会誌を刊行している。歴史のある雑誌で、バックナンバーを繙けば、錚々たるメンバーが執筆している。今年1月、81号を刊行。巻頭は西田正宏さん(大阪府立大学教授)の「蘭洲の和学―『古今通』をめぐって」である。昨年4月の懐徳忌(中井竹山ら歴代の懐徳堂堂主を祭る)でお願いしたご講話の活字化である。『古今集』の注釈書である『古今通』には五井蘭洲の原文をそのまま残した伝本と、加藤景範らがこれを刪補した本文をもつ伝本がある。従来は、契沖らへの批判があり、和歌を道徳的に解する前者よりも、それらを削った後者の方が「文学を道徳から解き放った」という理由で評価されていた。しかし西田氏は原文の方を評価すべきだという。
第一に、刪補した本文では蘭洲が従来の注釈書をどう理解していたかが全くわからなくなってしまう。
第二に、蘭洲は部立に即して解釈しようとする契沖らを批判し、部立の呪縛から解き放たれた虚心の読み方をしている。この視点は注釈史上重要だというのである。
蘭洲の和学を学んだと思われる秋成、また宣長との関連も示唆される。
そういえば秋成は作る側からだが、やはり部立にこだわる作り方から自由だった。本意よりも実景を重んじたところがある。関係があるかもしれない。
和学を見据えた上方学芸史。非常に刺激を受けた。
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2013年01月25日

日本の古本屋メルマガに『鹿田松雲堂五代のあゆみ』

日本の古本屋メールマガジン126(1月25日号)「自著を語る 番外編」に、『なにわ古書肆 鹿田松雲堂 五代のあゆみ』編者のお一人である柏木隆雄先生の文章が掲載されました。こちらです。本の出来上がったいきさつなどが書かれています。
我々のところに届いた知らせでは、本書には相当ディープな読者がいらっしゃるようですね。この本の出版に関われて幸運だと思っています。
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2013年01月24日

西鶴の錬金術

 中嶋隆さんの天理ギャラリーでのご講演が活字化された、「西鶴の「文人」意識―言葉の錬金術―」(ビブリア、2012年10月)を拝読。西鶴の二つの「錬金術」について述べておられる。
 
 ひとつは、言葉を金銭に換える錬金術。西鶴やその周辺の人々の書簡を資料に、当時の俳書の基本的な流通形態が、今の同人誌出版か会員販売というあり方であったことを推測する。ちなみに現在の俳壇・歌壇においても大部分は実質的にそういう流通をしているのだろうと思う。西鶴は矢数俳諧をイベント化し、噂の種をまくことで、自らの俳諧を実利を生む活動としたというのである。これは江戸中期の文人たちと違うというが、秋成ら江戸中期の文人の作品も実利とまではいかなくとも、そこそこの収入を確保する手段ではあったのではないか。

 もうひとつの錬金術は、俳諧において「詩の言葉」を「小説の言葉」に換えたということで、西鶴の独吟を、その浮世草子理解へ繋がる可能性のある読み方で解析する。非常に説得力があるが、「詩の言葉」「小説の言葉」というのは、我々が理解しやすい比喩だろうが、西鶴当時の概念ではどういう語を宛てればいいのだろうか。適切な言葉がないとすれば、西鶴の発想はどこから来るのだろうか。むう、再読すればその答えは見つかるような気がする。
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2013年01月23日

ひらかな盛衰記

 来年度の学部の演習は『ひらかな盛衰記』を読む。『胆大小心録』によれば秋成とその周囲の人々はこの浄瑠璃を諳んずるほどに親しんでいたもようだ(拙稿「秋成の晩年と浄瑠璃」『近松研究所紀要』21)。江戸時代においても人気曲だったことは間違いないが、上演回数もさることながら、読物としてもよく読まれていたことは、神津武男さんの「浄瑠璃本のベストセラー」(『文学』2011年3・4月)につくとわかる。本文・注釈は日本古典文学大系に備わるが、セリフに「」が付いていないため、誰の会話がどこからどこまでなのかわかりにくい。もちろん浄瑠璃とは大夫が一人で語るものであり、厳密に会話の始終を区切ることができないこともあるが。とはいえ、人形の動き、大夫の声色から、実際の上演を見れば、誰のセリフがどこからどこまでかを判断するのは容易である。
 幸い、丁度文楽劇場で「ひらかな盛衰記」をやっているので、これは見逃せぬとばかりめずらしくお勉強態勢で観劇いたしました。入りは7〜8割程度かな。後の方には空席が目立ちましたが、上演期間の終わりに近い平日午前開演のわりにはこれまでよりは多いかなという印象。橋下効果?昨日は松井知事も「初めての文楽」を楽しんだとか。知事の見たのは『本朝廿四孝』ということで、簑助さんの八重垣姫、いつもどおりの艶やかな動きを見せておりました。知事を誘ったという勘十郎さんは狐の乗り移った姫を軽々と演じ、安心して見ていられる。さて、「ひらかな」は「松右衛門内の段」と「逆櫓の段」。読むと見るとではかなりイメージが違う。それはやはり三味線がリードして作り出すリズム。逆櫓伝授の場面では観客が総立ちで体を揺らす…ってことは文楽ではないのだが、私の中ではそんな盛りあがりがありました。だが、今回、読物として読んでみて、観劇とはちょっと異質な面白さがあると感じた。もちろん通しで読んだが、大津の宿から笹引きの場面にいたる描写は、息をのむ展開とともに感動を呼ぶ。演習ではひとつの試みだが舞台の動きを念頭に置きながらも、読物として読んでいきたい。残念ながら、文楽はDVDが、三大名作しか備わっておらず、「ひらかな」は動画資料を探すのが困難である。もし、御存じの方があれば御教示をお願いしたい。そうそう録音もないんですよね。NHKのオンデマンドあたりに何かあるのかしらん。
 これからのことだと思うが、研究者が(単著で)書いた文楽入門の本や、名場面をあつめたDVDなども是非欲しい。なぜ、ないのだろう。これは是非第一人者の方の単著でお願いしたい!啓蒙・広報戦略をどう展開するか、今回の「文楽」論争を契機に興業側はもちろん、研究者側の積極的な取り組みも必要になってくると思う。
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2013年01月17日

夫婦漫才? いえ夫婦注釈

おそらくは国文学史上初の夫婦俳諧注釈である深沢眞二・了子(のりこ)夫妻の百韻注釈シリーズ。今回は宗因独吟「花むしろ」百韻注釈(『近世文学研究』第4号、2012年12月)。前回の私の紹介では、シンジ・ノリコの対話形式でやらせてもらった。そうしたくなるくらい、この注釈は、ご夫妻が本当に楽しそうに会話しているかのように作文されています。しかし実のところ、どういう風に作られているのだろう?と、どうでもいいことに興味が向かいます。

たとえば、「何おもひても六十の秋」。
S:我々も老いを嘆く心情をちょっとは理解できる年になってしまいました。
N:「我々」?

「ほうげたに毛貫を一つとらせばや」
N:『鬢矢倉』の女房の気持ちそのものを表現した句とは考えられないでしょうか。つまり「大な毛抜きで」夫の髭をガッキと挟みむしり取るぞ、と。そういえば、ちょっとそのむさくるしい髭が気になりまする。
S:いたゝゝゝゝいた/\/\い。許しやつされませい、/\。(逃げる)
N:やるまいぞ、/\。(追い込む)

この夫妻を知っている人が読むと、面白さが倍加しますね。

「爰もかしこも法印/\」

N:(前略)「そーいん」の句ってラップに合いそう。

注釈とはあんまり関係のないところばかり引用してしまいました。佐藤勝明さんの連句読解法は疎句むき、ここで提唱している読み方の手順は、親句むき。てなところに言及すべきだったのですが、そこはご関心のある方、お読みください。
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2013年01月14日

表紙裏の書誌学

2008年5月19日のエントリーで、「表紙裏反古伝説」と題して、次のような文章を綴った。

 渡辺守邦氏『表紙裏反古を国文学研究資料として活用する方法の開発をめざす研究』(科研平成19年・20年度研究成果報告書 2008年3月)が刊行されています。報告書とはいえ無類の面白さです。近世初期の版本の表紙裏に貼りこまれた反古が、実は古活字版だったりするというだけでも、興味津々ですが、本報告書の面白さは、文字通りそれを調査する「方法の開発」を試行錯誤的に行い、それを記録として残しているところにあります。そしてその調査から浮かび上がってくる意外な諸事実の発見へいたるまでの筆致はまるでドキュメンタリー、いや推理小説のようです。結果的には「大本」の定義の再考など、書誌学的な大きな問題も提起されています。報告書なのに「感動」してしまう。これはあの「伝説」の渡辺氏でなければなしえない実験であり、報告であったと思います。

今回、この報告書を元に、『表紙裏の書誌学』(笠間書院、2012年12月)が上梓された。これは幾重にも慶賀すべきことであろう。改めて読むと、内容はもちろんだが、渡辺氏の文章が実にすばらしいことがわかる。

 さて、上に書いた「大本」の定義の再考とは、普通「大本」とは「美濃判を半截した大きさの書型」と言われるのだが、美濃判半截とは、30cm×22cmくらいである。しかし、そんなデカイ本を実際に見ることはほとんどない。我々が普通に見る大本とは、27cm×19cmくらいのである。これをどう合理的に授業で説明すればいいのか、悩んでいたのは私だけではあるまい。しかし、この本を読めばそのあたりのことがすっきりわかるのだ。

 つまり、美濃判半截とは表紙に用いる紙の大きさ、製本の際には表紙の紙は天地とノドを折り返す。その分を切り詰めた大きさが、実際の大本になるわけだ。本文の料紙もこれに合わせて裁断される。表紙裏に張り込まれる反古はしたがって綴じを解いた刷り本ではなく、刷りやれ(裁断前の刷りそこない)になる。大福帳でもよい。大福帳は四周を折り返さない切り付け表紙である。

 渡辺氏の大本の定義は60頁に記される。

 大本とは美濃判大の板紙(はんがみ)を半分に折り、天地とノド側を、表紙の折り返しの分だけ切り詰めた大きさの書型。

 これは氷山の一角。驚くべき指摘が次々となされる。詳細な紹介・書評が待たれる。
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2013年01月13日

大阪大学国語国文学会

あけましておめでとうございます。
昨日は、新年恒例の大阪大学国語国文学会。
新任教員の「通過儀礼」(ご本人いわく)である講演は、国語学の矢田勉さん。
「国語文字・表記の通史的記述の方法」と題する、スケールの大きな、かつ含蓄ある内容で、会場を圧倒した。
実証と理論の関係について、数学基礎論の入門書である『公理と証明 証明論への招待』を援用しながら、困難な文字表記史の可能性を探る。国語史の問題点として指摘される、口語資料間のレベルの違いのことなど、僭越ながら共感することが多かった。会は盛況で、懇親会には卒業生も多数見え、大学学会の良さを感じた。
というわけで、短い記事が多くなると思いますが、本年もよろしく。
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