2013年05月20日

日本近世文学と朝鮮

 2011年秋、韓国の高麗大学校で開催された日本近世文学会。日本文学関連の、ある程度の規模の学会としては、たぶん初の海外開催だったが、日本から120人以上が海を渡り、学会史上最多の発表者が発表するという、画期的なものであった。事務局としていろいろやったが、今から思えば難しいことがたくさんあって大変だった。ただ、ワクワク感があったから、そしてみんなの熱い気持ちがあったからやれたのだ。

 その時に行われたシンポジウムが「日本近世文学と朝鮮」というテーマだったが、このシンポジウムでの発表をさらに充実させた論考を中心に、本テーマに関する様々な分野の気鋭の研究者の論文を集めて一書をなしたのが、染谷智幸・崔官両氏編の『日本近世文学と朝鮮』(2013年4月)である。勉誠出版から出ている「アジア遊学」シリーズの一冊。あらためて、当時のことが甦り、感慨深く頁をめくった。

 延広真治先生の、「韓国人専家による日本近世文学研究と、日本人研究者による朝鮮古典文学味読」は、韓国の方の日本近世文学研究を網羅的に読んで整理されたものだが、先生の誠実さが如実に現れた文章で、感銘を受ける。そして、最後に危機感をもって記されていることには襟を正さずにはいられない。
 すなわち、今後日本の学術誌に韓国の人が投稿しなくなる可能性がある。なぜなら韓国では編集委員が三カ国以上の人々によって構成されていなければ「国際学術誌」として認められないからである(補、別の方の情報にほればこれに加えて年4回以上刊行が必要だとか)。我々が留学生を指導するときに、特に韓国に帰って就職をと考えている者に、どのように具体的に指導すればよいのか、きわめて重要な指摘である。

 韓国での日本文学研究者の増加とレベルの向上が鄭氏の報告から明らかになるが、一方で日本での韓国古典文学研究者の少なさも染谷さんのコラムが指摘する。そこから日韓学術交流のためのバランスの悪さが映し出される。日韓の研究方法の差異についても無自覚であってはならない。日本的文献学を学んでも、韓国に帰ってはそれは、あまり役に立たないのである(だから無駄だといっているわけではない)。さまざまなことを考えざるを得ない、問題提起に満ちた論集である。近世文学研究者だけでなく、日本文学研究者、韓国古典文学研究者にも大いに有益ではないだろうか。染谷さん、崔さんのご苦労に深謝する。
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2013年05月16日

非蔵人の文学的営為

 加藤弓枝さんの「非蔵人の文学的営為―蘆庵文庫蔵書を通して―」(国文学研究資料館文献資料事業部『調査研究報告』33)は、昨年6月に国文学研究資料館で行われたシンポジウム「近世における蔵書形成と文芸享受―文学研究の視点から」での発表を論文化したもの。このシンポは国文研の基幹研究「近世における蔵書形成と文芸享受」の中間報告であったことを、代表者の大高洋司さんが巻頭に書かれている。
 
 鍛冶さんの論文を読んで、近世京都の文化状況の研究で、歴史学と国文学の領域横断的研究がだんだん出てきているという実感を記したが、国文学側からの研究としては、非蔵人研究を進めている加藤さんは、そのトレンドを作った功績者の一人だろう。

 私が高田衛先生の要請を受けて、妙法院宮周辺のことを調べてなんとか報告した(『共同研究上田秋成とその時代』)のはもう20年近くも前であった。その時、非蔵人という存在は面白い、やがては藤島宗順のことを調べてみたいなと思ったが、例によって思うだけで、手をつけてはいなかった。そのうち、京都新日吉神宮での調査に、小沢蘆庵を卒論で書くという学部生(神作研一さんの教え子)が現れ、黙々と文献の調査をしていた。学部生はやがて名古屋大院に進み、蘆庵研究者として、そして新日吉神社神官の藤島宗順(非蔵人)研究者として頭角を顕してゆく。それが加藤弓枝さんだ。

 いまや宗順のこと、藤島家のこと、蘆庵のこと、蘆庵文庫のことは、加藤さんにきけば大概わかる。今回の発表は、これまでの研究を非蔵人の文学営為という視点から総合的に整理したものと言えるが、藤島家の資料がこれだけ遺されていたおかげで、そして加藤さんという研究者がこの資料と出会ったおかげで、非蔵人の実態が明らかになりつつある。近年の歴史学における近世朝廷の周辺の人々の研究とも連繋するに違いない。私にとっても実に嬉しいことである。
 
 加藤さんの研究もそろそろ一書にまとまていただきたいなと思う。どうぞよろしく。

 なお調査研究報告33号の別冊『フリーア美術館 ゲルハルト・プルヴェラー日本絵本コレクション目録稿』にも快哉。浅野秀剛、ロバート・キャンベル、ティモシー・クラーク、佐藤悟、鈴木淳共編。
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2013年05月15日

日本漢詩への招待

日本漢詩の、平易で、ハンディな入門書というのはどれくらいあるのだろう。林田慎之助先生の『漢詩のこころ 日本名作選』 (講談社現代新書)くらいしか思い浮かばない。

鈴木健一さんの『日本漢詩への招待』(東京堂出版、2013年5月)は、そういう意味で貴重な出版。読みやすく、丁寧な語り口で、まず中国の漢詩の流れを概観したあと、日本漢詩を時代の流れにそって解説してゆく。鈴木さんらしいのは、最新の研究を参照したあとが随所にあるところだろう。鈴木さんの一般読者向けの本も、これで何冊めかわからないが、凄い勢いで次々に本を出版しているのに、読んでいて疾走するような感じがなく、落ち着いた文体であるのに感心する。

実はまだパラパラとめくっただけなのだが、成島柳北を解説したあたり(179頁)で、こんなことを書かれている。

 …古い基礎的な教養が強固に存在するからこそ、初めて出会った事物や出来事にもすみやかに対処できるのです。われわれはともすると、古い価値観に固執していると進歩的な価値観に乗り遅れるといった側面を重視しがちです。そういうこともあるにせよ、古いものの中にもすぐれた力があって、それを利用することで、次の新しいものに自然と移り変わっていくという側面も軽視してはならないと思います。

古典の面白さを伝えて次代につなげるというミッションに考えをめぐらす時、上の認識は大きなヒントを与えてくれる。
 
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2013年05月14日

秋成忌

上田秋成を偲ぶ「秋成忌」。それにちなんで秋成の墓地のある西福寺で行われる「上田秋成を語る」の催しも4回目となる。京都国立博物館の上田秋成展が開かれた2010年にはじまった。
も少し先の話ですが、今年の内容をご案内いたします。

 住職による二百五回忌法要に始まり、東京大学教授・長島弘明氏による「上田秋成の墓」と題する講演、片山旭星師の筑前琵琶の演奏「吉備津の釜」と「浅茅が宿」、里見まさと氏による「黄金の翁」(これは雨月物語「貧福論」から)の講談。盛りだくさんのメニューです。

 個人的にはやはり長島さんの講演に期待する。

日時 2013年06月23日
   午後2時より開催(開場・午後1時30分)
   ※終了後5時頃より交流会開催(参加自由)

場所 源智山 西福寺 本堂

[住所]京都市左京区南禅寺草川町82−1

[交通]京都市市営地下鉄東西線「蹴上」駅下車

参加費
◎一般 (前売り)2500円・(当日)3000円 ◎学生 (前売り)1500円・(当日)2000円 ※交流会参加費(飲食代として)1000円程度

[ご予約・お問い合わせ]
ヘイ・オン・ワイ
[TEL]06‐6358‐7857
[FAX]06‐6358‐7860

主催・「秋成を語る」会/後援・日本近世文学会
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2013年05月13日

どんくさいおかんがキレるみたいな。

 松本修『どんくさいおかんがキレるみたいな。』新潮文庫2013年5月。初出は3年前。文庫の解説は同僚の岡島昭浩さん。著者は探偵ナイトスクープのプロデューサーとして著名。その番組で、全国のアホ・バカの言葉の分布を徹底調査(このときの放送は私も見た。全国の教育委員会にアンケートだしまくりとか、テレビならではのすごい調査だった)。それは「全国アホ・バカ分布考」として書籍化された。岡島さんによれば、書籍化までにものすごい進展(文献への目配りなど)があったということ。私もこの本は買って読んだことがあるが、実に面白かった。柳田國男の『蝸牛考』ばりに。
 今回、同僚のよしみでこの本をいただいたのだが、テレビからはやった言葉に焦点をあて、そのルーツを探る非常に読ませる本だ。たとえば、「みたいな」を使い始めたのはとんねるず?いや、それより早い例が…。渥美清、山田洋次。さらにさかのぼって市川昆。もっとさかのぼって1957年に木下順二が使っていたとか。
 渥美清の使用例は、岡島さんの「ことばの会議室」で指摘されていたということも、この本には載っている。岡島さんの面目躍如といったところか。
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2013年05月06日

近江八景詩歌はどう伝播したか

鍛冶宏介「近江八景詩歌の伝播と受容」(『史林』96-2、2013年3月)。

 日本史研究者が近年書籍文化論を論じることが多くなった。藤實久美子氏しかり、若尾政希氏しかり。そして、ここに紹介する鍛冶氏も、日本文学研究者の先行研究を実によく見渡し、緻密にしてかつスケールの大きな論を展開する。

 鍛冶氏は有名な近江八景歌が近衞信尹作であることを証明した実績を持つ方である(「近江八景詩歌の誕生」『国語国文』2012年2月)。さまざまな問題系が提出されている。

 まず刊本と写本の問題である。藤實氏の「多くの場合に板本として流布した書籍=開放系の「知」、多くの場合に写本として存在し続けた書籍=閉鎖系の「知」」という分類を紹介している(『近世書籍文化論』所収、そういえばこれ読んでいたんだが、記憶から消えていた。蘇りました)が、ここでは刊本の知を広げる媒体としての写本の機能に注目している。刊本と写本の関係は本当に奥が深い。

 そうして信尹の歌の伝播を詳細に検討するところ、手堅くしかも面白いが、近江八景詩としては現在では無名の玉質宗樸の作品が伝播することになる状況分析もスリリング。『扶桑名勝詩集』の役割を抉り出す。

 さらにその版元吉田四郎衛門が、禁裏公家との関わりを深く持つことを指摘し、なぜそれができたかと問い進める。吉田は地下官人で院雑色であったからだ。実はこの説明の流れで、非蔵人や地下官人の文事に注目した拙論(「本居宣長と妙法院宮」ほか)を引用していただいているのだが、まさに堂上公家と地下をつなぐ周縁のキーマンの一人が吉田だったのである。それも近世前期からの話だ。ここがなかなかショッキングレポートなのだ。

 だがそれだけにとどまらない。『扶桑名勝詩集』を介して、近江八景詩歌がひろがる様相、目配りは地誌、浮世絵、演劇、工芸品におよび、さらに鍛冶氏自身の別のテーマでもある日用教養書(往来物・節用集)に及ぶ。これがまたすごくて、日用教養書における近江八景記事として45点をリスト化している。近世後期戯作など挙げていくとまだまだあるだろう…。

 日用教養書から手習教育へ。鍛冶氏の調査は、史料にもおよび「近江八景」の手習いテキストへの伝播を明らかにする。非常にダイナミックな文化伝播が描かれるのである。
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2013年05月04日

山口大学所蔵和漢古典籍分類目録

私の前の職場である山口大学人文学部の元同僚であり今は学部長とうかがう根ケ山徹さんと、私の後任である尾崎千佳さんの手によって、『山口大学所蔵和漢古典籍分類目録』が2年前に完成していた。諸事情で配布が遅れたそうだが、めでたく公開にいたったようである。元山口大学でもあり、和漢書にお世話になっていたということで、お二人がお気づかいくださり、小生にもお送りいただいた。

なかなか古風で本格的な目録である。黒のハードカバー。格調ある達筆で刻まれた金箔の背文字。かつての宮内庁や内閣文庫の目録のようである。しかも漢籍はすべて旧漢字で厳かである。

山口大学といえば、旧徳山藩毛利家蔵の棲息堂文庫、演劇研究者若月紫蘭の若月文庫などが著名だが、山口商業高等学校、山口高等学校、山口県師範学校などの旧蔵書もある。それぞれの目録は存在するが、全体を見渡すものがなかった。私も山口大学に10年以上在籍していながら、それを果たせなかった。しかし、今回のお二人の献身的なお仕事で、それが果たされたことは、私にとっても感慨無量である。

分類は内閣文庫方式。和書の方でみると、書名 著者 刊写年 巻冊 版元 書型 請求番号 旧蔵者という情報がある。版面をみても、内閣文庫の目録によく似ている。格調高いですね。
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