2013年06月30日

おわびと訂正

6月17日のエントリーで、中野三敏先生が九州大学でご講演された「西鶴戯作者説再考」が、岩波書店「文学」に掲載されるという情報を流しましたが、これは、私の早トチリで、不確かな情報でした。活字化については未定ということです。申し訳ございません。ご迷惑をおかけいたしました中野先生に深くお詫び申し上げます。
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2013年06月21日

鹿田松雲堂というサロン

山本和明さんの「鹿田松雲堂というサロン(稿)―稀書翫味の交遊圏(2)―」(相愛大学研究論集29、2013年3月)は、『なにわ古書肆 鹿田松雲堂 五代のあゆみ』(和泉書院)で、諸資料の解説をほとんどおひとりでなされたことを生かし、これらの諸資料と関連資料を駆使して、サロンとしての古書肆鹿田松雲堂を生き生きと描きだしたもの。

目録の書籍月報刊行とともに書店に集まる顧客たち、そこから拡大して生まれる本の交換会や研究会、典籍趣味を語り合う蔵書家群像、さらに東京の文行堂玉屑会の成立にも影響を与えていることを紹介。
『五代のあゆみ』を座右において読めば、面白さ倍増です。
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2013年06月17日

中野先生の西鶴戯作者説再考は

6月8日(土)に、九州大学国語国文学会において、中野三敏先生が「西鶴戯作者説再考」というご講演をされたことは、閑山子氏のブログでも報じられたが、このたび、その全貌を入手することができた。経路は秘密である。
さて、それによると、中野三敏先生は、近年の西鶴議論に、なぜご自身の西鶴戯作者説が顧みられることがないのかと、憤っておられる。当然である。最初この説を先生が出された時、学界の、あるいは西鶴研究者の反応は鈍かったが、それでもいくつかの反論が出て、中野先生の再反論もあった。しかし、いまは言及されることがなくなった。また今西鶴研究の第一線にいると目されている人たちから、中野先生の説への言及を聞いたことがない。
西鶴研究者の方から「あれは成り立たない」「駄目」ということを口頭できいたことはあるが、なぜ成り立たないのか、なぜ駄目なのかをきいたことはない。西鶴研究会も、一度中野先生をお招きして、そこで中野先生を批判してはどうかと思うのだが(まあしないでしょうね…)。
ともあれ、この再考、岩波の「文学」に活字化されるようなので、西鶴の議論、ますますにぎやかになってくるとは思う。今度は第一線の方、是非ご反論を。
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コーニツキー先生への恩返し(ご講演のお知らせ)

山片蟠桃賞というのをご存じだろうか。国外において刊行された、日本文化の国際通用性を高めるためにふさわしい著作とその著者に与えられるもので、日本文化とは、日本文学、芸術及び思想の分野。大阪府の事業である。

その第24回の受賞者及び受賞作は、ピーター・コーニツキー氏(英国ケンブリッジ大学教授)で、受賞作は、『日本の書籍―始発より19世紀にいたる文化史』及び江戸時代の書籍文化に関する一連の著作、また欧州所在の日本古典籍の書誌調査に基づくデータベースの整備である。

贈呈式および記念講演会が、平成25年6月24日(月曜日)午後2時から4時まで、大阪歴史博物館4階講堂で行われる。講演に先立ち、講談「山片蟠桃物語」旭堂南海氏(上方講談師)、受賞者紹介 今西祐一郎先生(第24回山片蟠桃賞審査委員、国文学研究資料館館長)が行われる。講演は、「漢文世界の中の日本語−和文出版文化の誕生−」である。参加は無料で、ネットで申し込める。まだ大丈夫のようである。
詳細はこちらをご覧下さい。

 ケンブリッジ大学の図書館には今を遡ること17、8年ほど前に、中野三敏先生・キャンベルさんらとともに10人ほどで訪書したことがある。あまりに美しいキャンパス、そして図書館の外観に感動した。その時に図書館を案内してくださったのが、まだ若かったコーニツキー先生だった。我々が書庫内エレベーターで4階まで上っている間に、階段をダッシュで駆け上がり、我々より先に到着していたという元気のよさが、印象に残っている。

 私はその時に、ケンブリッジ大学にしかない写本の読本を拝見したが、それは大内氏モノであった。結構厚いものであったが、先生は、あとでそのコピーを私に送って下さった。これには感激した。それから10年以上たって、修士論文でその読本を研究した学生がいて、ケンブリッジ大学蔵本のその読本のコピーは私の研究室の書架に眠ったままになることはなかった。その学生が現れなかったらどうなっていたか。

 それで先生のご恩に報えたような気がしたものである。今回、その修士論文を書いた学生(神徳君)が私のためにつくってくれた、特別装幀版の修士論文(翻刻附)を、コーニツキー先生に献呈したいと思っている。今は高校教員として活躍している神徳君も一緒にである。ケンブリッジ大学の書庫に一隅にでも置いていただけたら有り難いのであるが…。
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2013年06月13日

馬琴の自作批評

さて、先の日本近世文学会では、2日目の昼休みに、『読本研究』の再刊をめざす同志が参集して、会合を開いた。来年の刊行をめざすようである。読本研究は、馬琴研究を中心に、若い研究者が育っている。今回の発起人の方々を見ても、世代交代を感じさせる。是非、がんばっていただきたい。

私もこの会をちょっと覗いたのだが、復刊第1号の特集として、『著作堂旧作略自評摘要』をどうよむか、というものがあった。以前このブログでも紹介したが、神谷勝広さんによって昨年秋の学会で紹介された、馬琴の自作読本の批評のことである。この資料が早くも公刊された。

『馬琴の自作批評―石水博物館蔵「著作堂旧作略自評摘要」―』(汲古書院、3月)である。あらためて摘み読みすると、これは「小説批評史」を考える上で、『小説神髄』に匹敵する一級資料である、と思う。馬琴はすでに目が不自由で、息子の嫁のお路に読み聞かせてもらって、それで自分の批評を代筆してもらったようだが、そこまでして、批評しようとしたパッションは何に由来するものだろうか。

今から、諸氏の考察が楽しみなことである。
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2013年06月11日

八文字屋本全集索引

汲古書院からついに待望の『八文字屋本全集索引』が出た。これは労作。浮世草子の研究者がまた増えるのではないかと期待できる。『馬琴中編読本集成』が馬琴研究者を増やしたように。
近世文学関連では、京都叢書索引以来の快挙ではないか。関係者のご労苦に、心より深謝申し上げる次第です。ちょっと試し引きしてみたら、やはりこれは重宝!
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2013年06月04日

アナホリッシュ国文学第3号

 孤軍奮闘という言葉がぴったりの『アナホリッシュ国文学』が第3号を刊行し、はじめて近世を特集している。題して「疾走する江戸のハイブリッド」。近世の「文学」×「思想」。

 日本近世文学研究者の中には、「ブンガク」にこだわりぬく人もいるが、書かれたもの全てを考察の対象にするのが、ここ二十年ほどの「近世文学」研究の流れであろう。近世だけではなく、中世はもっと前からそうだろうし、もしかして近代にもその流れが生じているかもしれない。だから、いまさら「ハイブリッド」でもないだろうと、そう思うのは早トチリというもの。どうやら、この特集は、文学研究と思想研究のハイブリッドを推進しようという狙いが、あるようだ。

 もちろん「国文学」研究者が企画したものだから、前田勉さんを除くと、「近世文学研究者」の論文が並んでいる。しかし、どの論文をとっても、ブンガクっぽいものはない。文学研究者なりに、思想史研究者にも読んでほしいなという思いが溢れている。

 中でも、往復書簡と称したメール対談(ですよね)に、若尾政希さんを招き、井上泰至さんが聞き手にまわって、若尾史学の真髄を語らせているのは、お手柄というべきだろう。近年平凡社ライブラリーにも入った名著『「太平記読み」の時代』が出来上がるまでの研究の経緯がよくわかる。川平敏文氏が文庫の解説で書いていたかと思うが、その方法は非常に文学研究的なのであるが、オトシ所、あるいは意識する先行研究が丸山真男だったりするところが、思想史研究なんだなということなのだ。つまり、思想史研究と文学研究がちょっと交差した、その時発せられた火花が、幸いなことに燃え広がって、書物史研究というトレンドを作りだしたというわけである。

 10月の日本思想史学会には、中野三敏先生や田中康二さんも招かれているということで、この「ハイブリッド」、どんどん疾走してほしいわけだが、そういう意味では時宜に叶う企画となった。
 書き手も、半分は「いつもの人」だが、もちろんこの常連の書き手がいてこそ、抜擢された若手の論文が、みずみずしいではないか。一方で、気持ちはいつも少年のような鈴木淳さんの、漢文リテラシーに関わる池澤さんへの反論という、近年では珍しい、結構熱い論争もある。
 
 学界時評。秋成学を好意的に取り上げてくださった大高洋司さんに、深謝申し上げる。

 学会会場で、アナホリッシュ版元の方、そして編集者の牧野さんと少し話をすることが出来た。「アナホリッシュ國文學」という斬新にして古風な誌名は、革新的な人文系研究誌を目指す深意を秘めた命名だ。より斬新かつ古風な誌風で、多くの読者が興味をしめさんことを。

 図書館関係・研究室関係各位、是非定期購読をご検討なさってはいかが(いっときますが、私はまわしものではございませんぞ) 。
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僕の説は全否定されている(学会記3)

本学会では秋成関係の発表も2本あった。加藤氏の「目ひとつの神」は緻密な作品論だが、『春雨物語』は『雨月物語』のように細かく分析すべき作品なのか、最近そういう思いが強いので、発表者にはあとで勝手なことを申し上げてしまった。スミマセン。

もう一本は近衛さんの「吉備津の釜」に出てくる「光」と「朱符」が、当時流行した道教と深い関わりがあるとういうお話で、実際に朱符をお持ちになって見せながらのご発表。こちらは、一語をゆるがせにしない注釈的研究から、大きな視野に基づく思想史的問題への展開が期待できるものであった。

近衛さんは中野三敏先生の大江文坡についての文章を『江戸狂者傳』から引用されたが、中野先生が質問に立ち、僕の説を引いてくださっているが、実は僕の説は、全否定されているんですよ。といい、しかも、その全否定した方の著述を某出版社から出していただくようにお願いしているということを言われた。この御発言は、さすがだと思う。やはり中野先生は学問に真摯な方である。このことも今回感銘を受けたことの一つであった。

もちろん先生の学問の分厚さを誰もが知っているから、そしてご自身の学問に自信がおありだからこそ言えることではあるのだが。私が同じことを言っても、そりゃ(以下略)
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2013年06月03日

息を飲んだ大トリの発表(学会記2)

 学会発表、今回本数は少なかったものの、2日目最後の発表、記憶に残る、実にすばらしい発表があった。
 田中道雄先生の「蝶夢の俳論の史的意義」である。このブログは学会時評ではないから、いちいち内容を紹介はしない。しかし、近来稀に見るスケールの大きい発表であり、大幅に時間オーバーしたのだが、おそらくそこにいた誰もが、「もっと聴いていたい」と思ったことだろう。

 蝶夢の俳論は小沢蘆庵の歌論の源流にあるのではないかという御説は、かねてから主張されていたもの。しかし、今回田中先生は蝶夢全集を編んで、断片的な俳論を、伝記的事実や多様な業績との統合的理解によって、かなり把握できたとし、主体の強まり、我の情の承認という形で説いて見せた。文学論としてのその主張は、山本北山などよりもさらに古いため、従来の漢詩中心の文学思潮史(格調論から性霊論)を俳論史にスライドさせるやり方では説明がつかなくなる。徳田武氏の質問でも、そういう主張をした漢詩人が北山以前にもいたのではないかという形での想定をされるのであるが、そういったものを飛び越える発想が田中先生の今回の提言であろう。もちろん蝶夢は、他者と隔絶はしていない。漢詩人たちの郊外散策や、ジャンルを越えた人的交流を田中先生は想定される。

 そこから、壮大な仮説へと展開してゆくのだが、こちらはもう法悦的世界である。いちいち書きませんが。
 私が面白いと思うのは、「人にかまはぬ」「自己にお楽しみ」「俗耳の及ぶべきならず」など、わからない連中はほっといて、気にしないで、わが道を行けばよしということを一方ではいいながら、他者とのつながりを志向するという点だ。「自分の思ったことを素直に言った方が、人とうまく付き合えるよ」と、私の俗解では、蝶夢はそういっているように思えるのである。

 ということを質問した。実は前にも書いたが、私が質問するときにはなぜかいつも質問が殺到するので、このところ3回連続手を挙げて指名されないということが続いていたのだ。しかし、今回の田中先生だけは、絶対に質問したかった。それはかなえられました。 田中先生のお言葉をいただけたのは嬉しかった。
 
 他に中野三敏先生・神作研一さんも質問。陽明学との関わり、なぜ蘆庵は蝶夢に触れないのか?この質疑も大変興味深いもの。
 
 田中先生のやや甲高い高揚した語りは、凄い迫力で聴衆を圧倒した。学会の歴史に深く刻まれたご発表ではあった。
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学芸大スタッフに感謝の拍手(学会記1)

日本近世文学会春季大会が6月1日・2日と東京学芸大学で行われた。

開催校の東京学芸大学の運営が素晴らしかった。といっても、そんなに派手なことをされたわけではない。しかし、かなり細かいところまで、配慮が行き渡っていた。…と、なぜそういうかというと、学会中、ほとんどストレスを感じなかったからである。

たとえば、トイレはどこだろう?、本屋はどこかな?というような心配がなかった。会場周辺にすべて集められている。これは実はなかなかできないことなのである。正門を入ってから会場までも迷いなく行ける。それに初日の10時から展示が見られたし、10時半からもう受付が可能になっていた。ということは、相当朝早くから準備をはじめたということに他ならない。

休憩室でのお茶やお菓子も、ストレスなくいただける。スタッフがほどよい距離感をとってくれているのだ。そして懇親会のお酒・料理の、豊かさよ。そのことを吹聴することもなく、淡々と運営をこなしてゆくスタッフの先生方・学生さん。学生さんは非常によくしつけられているなと感じた。

今回、西鶴ワークショップのチラシを、京都小説研究会の世話人久岡さんが250枚も刷ってきてくれたのだが、受付の近くにおかせてもらおうと交渉したところ、なんとお、一人お一人に資料袋とともに渡してくれたというのである。お願いした以上のことをしてくれるとは!

今回は、ハードよりも、ソフト面で大変感銘を受けた学会でありました(拍手)
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