2013年09月27日

感動的な読後感

西鶴ワークショップにおける全体講評が、あまりにインパクトがあったので、懇親会の席上、浜田啓介先生に、そのご発言を原稿にしていただけないか、『上方文藝研究』に掲載させていただきたいと、お願いしたところ、その場でご快諾を得ました(9月7日のことです)。

そして、その原稿が今日送られてきたのです(当日のご発言にはたしかなかった、中野先生の西鶴戯作説への言及もあります)。あまりの早さに驚きました(今日は27日です。原稿用紙15枚)。が、依頼者の特権で最初の読者になったことに快感を感じております。そして、、正直いうと、ちょっと感動的な読後感!です。

これを来年6月の刊行まで待っていただかなくてはならないとは、残念!
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2013年09月26日

獄雨さまへ

以下はコメント欄に書こうとしたものですが、なぜか、このコメント欄に魔物がいて、三度アップできませんでしたので、新しいエントリーで参ります。「ワークショップは終わらない」のコメント欄の続きと思ってください。

獄雨さま。たいへん真摯な、そして有意義なコメントありがとうございます。このコメント欄にある程度長い文章を書いていたのですが、パソコンが突然固まってアップできませんでした。それにめげずにもう一度アップしようとしたら、またトラブってしまい、しばし頭を冷やそうとしていたら、1週間たってしまいました。

獄雨さんの読みにつきましては、浜田泰彦さんから、コメントがあってしかるべきだと思いますが、私はといえば、篠原さんや獄雨さんの、西鶴を論ずる鮮やかな言説。これは至芸かな、と妙な感心をしてしまいました。

両義性・多義性・プリズムのように乱反射する言葉。もちろん西鶴の魅力は、それらの言葉に十分値するものでしょう。しかし、本当はもっとわかりやすく、単純なことなのではないか。西鶴がよく犯す凡ミスなども考慮すると、やはりすごいスピードで書き綴っているのだろうし、なと。

そこを、精緻に分析し、華麗に評論するのが西鶴研究なのかもしれませんが、なにかおかしいような気がします。やはりたとえば、武家義理なら武家義理の全体的世界をつかまえることが大事ではないかと思います。それは帰納的方法ではできない(一編ごとに作品論の方法があるという言い方もありますが、そもそも作品論という言葉が、西鶴にそぐわないような気もします)。かつて谷脇先生が繰り返した「論序説」をもう一度、誰かやらないでしょうか。

 妄言はこれくらいにしておいて、他の方のコメントをまた期待いたしましょう。



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2013年09月18日

上田秋成と懐徳堂

 某収集家のコレクションの調査で、太平洋の真ん中あたりの島に来ています。
 毎日仕事をしているのですが、土地柄遊びと思われるのがつらいところです。
 
 さて、私が懐徳堂記念会という財団法人の運営委員を務めていることは何度かここでも申し上げたことがあります。この財団法人は、名前の通り、江戸時代の大坂町人が町人のために作った学校懐徳堂の精神を受け継ぎ、市民のために、和漢洋の古典を読む古典講座や、現代の様々な問題を講義する春秋講座を運営することを事業の柱に据えて、大阪の文化力向上に貢献することをめざしています。おかげさまで講座は多くの受講生から支持を得て好評です。他では聞けないような高度な内容を、わかりやすく解説するという点に好評の理由があります。
 懐徳堂は大阪大学の精神的源流とされています。懐徳堂の持っていた蔵書を現在大阪大学が引き継いでいるというのがその大きな理由のひとつです。大阪大学の特に文学研究科の教員は、そのため同記念会に、運営や講座講師として関わることが少なくありません。
 懐徳堂記念会の活動は、個人会員と法人会員によって支えられています。会員に向けて、私たちは、年1回『懐徳』という学術研究誌を刊行し、年3回日頃の事業報告や事業案内を行う『記念会だより』を刊行しています。
 皆さんも、よろしければ懐徳堂記念会のホームページを覗き、会員になってみてください。結構特典もいろいろありますから。
 さて、『記念会だより』には毎回、記念会と関わりの深い人に巻頭エッセイを書いていただきます。これがなかなか勉強になるのですが、今回(96号、9月刊)は、なにがどう間違ったのか、私に書くようにと仰せがございました。「懐徳堂」ネタで私の書けることは限られています。最近書いた二本の論文の一部を抜粋要約する形になってしまいましたが、まあ論文の読者もまた少ないはずです。そこで事務局や幹事のお許しを得て、ここに転載する次第です。

上田秋成と懐徳堂
『雨月物語』の作者として著名な上田秋成は、霊の存在を体験的に信じていた。これは無鬼論の立場をとる懐徳堂の思想とは相容れない。秋成は霊の存在を認めない中井履軒のことを、学校の中でしか物を学んでいない世間知らずだといい、ひいては懐徳堂そのものを茶化している。秋成が七十五歳の時に書いた随筆『胆大小心録』の中では、懐徳堂が大坂の学校と名乗るのは僭越で、せいぜい校舎とでもいうがよい、その出身者には悪い奴もいるから、学問所というよりゴクモン所だなどと悪口を書いている。このことから中井竹山・履軒とは、仲が悪かったというイメージが強い。
中井兄弟と秋成とはほぼ同世代である。そして秋成自身、実は懐徳堂で学んでいた可能性が高い。五井蘭洲のことを「五井先生」と称しており、『伊勢物語』論で蘭洲説の影響を受けていることが確かである。蘭洲は漢学ばかりではなく和学にも通じていたことは、2012年度の懐徳忌での西田正宏大阪府立大学教授のご講話でも明らかである(このご講話の全容は『懐徳』81号に掲載されているので参照されたい)。
つまり、中井兄弟とは蘭洲を師とする兄弟弟子の関係になるのである。しかし秋成は三十代も後半になって、賀茂真淵の高弟で幕府大番与力である加藤宇万伎と運命的な出会いをし、宇万伎を師と仰いでどんどん日本の古典研究に傾いていった。秋成には学校に行かせるような子供もいなかったから懐徳堂とのつきあいはそれからほとんどなくなっただろうと考えるのも無理はない。
だが、2011年度の懐徳堂アーカイブ講座で、日本美術史の濱住真有氏のご協力をえて解説した通り、秋成と履軒との交友を裏付ける資料が出現した。履軒は画者不明の鶉図に漢詩の賛を与えたが、その画には秋成もまた和歌の賛を付していたのである。どちらの賛も鶉を描いた本紙と、中廻し(本紙の周囲にめぐらせた紙)とを跨ぐ形で書かれている(これは非常に珍しいことらしい)ことから、同じ時に同じ場所で着賛された可能性が高い。秋成の筆跡や、履軒の詩集に掲載されるこの詩の前後の配列から、着賛時、二人は既に還暦を過ぎていたと推定される。鶉図への合賛というコラボレーションが実現したのは、二人の友好的な関係があってこそだと思われる。この記念すべき合賛鶉図が、元のご所蔵者のご好意により、懐徳堂記念会の所蔵に帰したことを改めて慶賀したい。
それにしても、晩年の秋成は、中井兄弟に対しても口が悪い。若いころの思い出話の中で竹山のことを、「浮世のことにくらいのが、学校のふところ子」だと、遊び仲間とはやし立てたことをやはり『胆大小心録』に書いている。「ふところ子」とは女子だったら「箱入り娘」というところで、坊ちゃん育ちで世間を知らないことを言う。「ふところ」には懐徳堂の「懐」を掛けている。つまり学校の中の知識しかないという揶揄だ。しかしそれだけではない。この言葉、実は江戸時代でも屈指の人気浄瑠璃で、歌舞伎化もされている『ひらかな盛衰記』の登場人物のせりふをもじっているのだ。
宇治川先陣争いで遅れをとった件で勘当された梶原源太景季が、一の谷合戦前に名誉回復のチャンスと、遊郭に身を沈めている遊女梅が枝のところに預けていた鎧を受け取りに来る。しかし梅が枝は、自ら身揚げし続けるため鎧を質に出していた。そのような苦労を全く知らない源太に「それそのように浮世のことに疎いのが大名のふところ子」というのである。
だがこのような坊ちゃん育ちの優男(やさおとこ)こそ、上方演劇の典型的な立役(たちやく)である。坊ちゃん育ちを揶揄しながらも人気者に見立てているということでもある。秋成の悪口は、実は愛情の裏返しであることが多い。中井兄弟に対しても、秋成は思想的には相容れないと思いながらも好意を持っていたのだと私は考えたい。もちろん自分の「母校」である懐徳堂に対しても。
孤独で狷介というイメージの秋成だが、このように、多くの友人たちと文芸を通じて豊かな交遊をしていた。昨年暮れに刊行した拙著『上田秋成―絆としての文芸』(大阪大学出版会)では、秋成のそのような知られざる一面を紹介している。

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2013年09月15日

明日から

明日の朝から、海外の某美術館で、膨大な絵本のコレクションの調査が始まるので、ちょっとワクワクしています。いろいろ原稿の宿題は気がかりとしてあるのですが、そこでヒントをつかめるかもしれません。というわけで本日夜出発。時差があるので、本日の午前に現地到着。「夜間飛行」です。関空を出発し、むこうのホテルロビーに夕刻集合するまで、単独行動です。大丈夫かなあ。

ところで西鶴研究者の方々は本当に誠実で真摯な方が多いですね。「ヤクザな非西鶴研究者?」からの、いちゃもんに、きちんと向き合ってくださいますね。「本当は嫌なんだけどなあ」という感じも、伝わってきてるのですが…、でも研究を愛しているから、無視しないで議論してくれる。それって、嬉しいですね。若い方が、議論に合流してくださることを願っています。というわけで、9月8日のエントリー、タイトルを変更。熱いコメント欄にご注目。
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2013年09月11日

篠原進氏の長文コメント

ワークショップ「西鶴をどう読むか」の、簡単すぎる私の報告に、篠原進さんが、長文の、非常に真摯なコメントを寄せてくださいました。多くの方に読んでいただき、議論をいっそう広げたいと願うので、あえてここに書きました。もしこれに続く方がいらっしゃれば、ひとつ前の「ワークショップ終了」のコメント欄にお願いいたします。
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2013年09月08日

ワークショップは終わらない?(タイトル変更)

(追記)この文章を書いた後、コメント欄にさまざまなご意見をいただいております。浜田泰彦さんのツイッターにもありましたが、「ワークショップは終わっていない」ようですので、タイトルを変更しました(9月15日)

ワークショップ「西鶴をどう読むか」。用意した会場がほぼ満席。60名ちかくが参加しました。東京をはじめ遠方からの参加者が非常に多かったし、西鶴研究者以外の方がほとんどで、まさに束になってかかっている感じであった。

昨年秋に木越俊介さんが『日本文学』で「西鶴に束になってかかるには」を発表。近年の西鶴研究における「ぬけ」の議論のあり方に疑義を呈し、それに素早く篠原進さんがネット上で反論、春の西鶴研究会では木越さんがゲストとして呼ばれて発表と議論が行われました。これをうけて京都近世小説研究会でも、西鶴の特番をやりましょうということになり、なりゆき上、私がコーディネートすることに。

日程は今日の西鶴忌の前日に設定。できるだけ遠方の方にきていただく動機をもっていただくため(ちなみに今日は日曜なのに校務上の理由で行けなくなりました。ごめんなさい)。浜田啓介先生にご発表をお願いしてみましたが、他の原稿を同時期に書かねばならないのでということで、それでは全体講評をば、と転んでもただでは起きなかった。それがよかったようです。先生のご性格で、たとえ講評でも、頼まれた以上はきちんと準備される。というわけで、事実上の発表をしていただけたのですね。

まず、浜田泰彦・木越俊介両氏が最近の西鶴研究の動向について触れつつ、「新しい読み」の一端を示して見せた。浜田氏は武家義理、木越氏は新可笑記。次に南氏が『好色一代女』冒頭話の読みを例に、典拠研究とは何かという問題提起を行った。これに森田雅也氏がコメントし、発表者とのやりとりが少しあった。最後に廣瀬千紗子さんが『武道伝来記』1の2の二つの敵討ちについての新しい読みを示し、これに杉本氏がコメントして議論になった。

 時間が予想通り超加。効率的に時間を使うために休憩時間中に発言希望者を募る。これは初動、勢いをつけさせるという意味もある。最初は牽制しあって、なかなか手を挙げてくれないものだから。希望者は3人いた。新可笑記の読みについて阪大院生の仲さん、「ぬけ」の語の使い方についてと南さんの発表への辛口コメントを中嶋隆さん、教室での読みにこだわる篠原進さんからは、学生の読みを否定する浜田氏に「学生の読みの芽をつむのか」という批判があった。そのあと中野先生から、江戸の散文に「文学」という言葉を使うのは問題ではないかというご意見が出た。そのあと発表者への具体的質問がいくつか何人かから出た。こちらからは大谷雅夫さんをあえて指名した。大谷さんは「ブログにああいう風に書かれたのは違うよ(笑)」と来場された時におっしゃっていた。大変失礼しました。それでも火のないところに煙は立たないはずと、強引に意見を引き出した。そうするとさすがに面白いことをおっしゃる。中野先生にただしたいのは、江戸文芸史ひとこぶラクダ説(近世中期にピークがある)だったようだ。西鶴が面白いのをどう説明するのかというわけだ。
 
 最後に25分ほどの時間を確保して、浜田先生に「講評」をいただいたのだが、西鶴研究に限らない、近世文藝研究の方法論を、明快に語っていただいた。西鶴をどう読むか、についての新しい提案と、「教訓」「諷刺」という言葉を安易に使う事への警鐘。西鶴研究に限らないことで、これはきちんと受け止め、かみしめなければならない。できれば活字にしていただきたいものだ。
 
 なんとか終えて懇親会。帰る予定だった金沢の高橋明彦さんも急遽参加(浜田先生の隣に座って熱く学問論を交わしていた。)40名。にぎやかに余韻を楽しむことができた。ともあれおつかれさま。
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2013年09月06日

錚々たるメンバーが。西鶴ワークショップ

 西鶴ワークショップの続報。いよいよ明日です。

 9月に入って、関西地区以外の遠方からの参加申し込み者が少なくとも4人。西鶴研究者だけではない。鹿児島・金沢・東京・筑波…。研究者のみならず、出版社の方もお見えになる。数えたわけではないが、京都近世小説研究会史上、もっとも関西以外の参加者の多い会になるだろう。

 全体講評をお願いしている浜田先生からもお手紙をいただいた。西鶴の読みについての新しい提案がいくつかなされるはずである。具体的には…、って本番でのお楽しみである。

 もともと、この企画、4月に発表者がいないので、それでは西鶴研究会で発表した木越俊介さんに、その報告でもしてもらったらどうだろう、と軽い提案をしたのが発端。いやどうせやるなら、ちゃんとやらなあかん、東京だけでなく、関西でも、とかいうことになって。言いだしっぺ(?)の飯倉がコーディネートをする成り行きに。廣瀬千紗子さんも、西鶴では言いたいことがあんねん、とおっしゃるので、それでは発表していただきましょう。この際だから、浜田先生にもと、御発表をお願いしてみたら、「いやいや若い方に」ということでしたので、関東から若い方に来ていただこうと、『近世文藝』に力作を書いていた南陽子さんを口説き、近年の西鶴研究の動向を踏まえた展望を、木越さんと浜田泰彦君にやってもらうこととなった。

 だが、それでも、そんなに人の集まる会とは思っていなかったのだが、ある日中野三敏先生からお電話があって、「僕も寄せてもらうから」と。さらには、それをお聞きになった大谷雅夫先生が、「中野先生の西鶴戯作者説に対して申し上げたいことがある」(これは伝聞です、あくまでも)、ということで参加表明、西鶴研究会からは、一連の西鶴論争のキーパーソンである篠原進先生も。そして中嶋さん、広嶋さん、石塚さん、水谷さんという東京の西鶴研究をけん引する人たち、もともとの木越さんの論文「西鶴に束になってかかるには」の掲載された「日本文学」の「領域の横断と展開」を企画したという福田安典さん。いったいどうなるんだろうという錚々たる面々が集まる。もちろん西からも、森田雅也さん、杉本好伸さんの両コメンテーターに、井口洋先生をはじめ藤原英城さん、高橋圭一さん、神谷勝広さん、早川由美さん、高橋明彦さんと、西鶴論を書いたことのある方が多数参加されるのである。

 これだけのメンバーが顔をそろえるのは学会でもなかなかありません!

 さらに翌日は誓願寺で、西鶴忌。講演は西田耕三先生である。詳しくは近世文学会のHPにリンクが張られているのでご覧いただきたい。
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2013年09月01日

西鶴研究会からも…

西鶴ワークショップ。情報によれば、かなり参加者が多い模様です。西鶴研究会のメンバーの中でも、現在の西鶴研究の第一線の方々(Hさん・Nさん・Sさん・Mさん)をはじめとして、東京からも結構おみえになります。役者が揃う感じですね。現在、懇親会の参加者だけでも36名です。懇親会に予定されていた場所では入りきれないということで、急遽場所が変更になったようです。あー、「みんなでわいわい議論」を2時間くらいやってみたいですね。
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