2014年01月31日

煎茶道の成立

日本近世文学会の発行する『近世文藝』が99号に到達。このほど届いた。
編集後記によれば、14本の投稿があったということで、3回連続の10本ごえ。
他誌へ学会発表の活字化が流れ、しきりに学会誌への投稿が呼びかけられていた時期もあったが、この状況が定着すれば喜ばしいことである。これは近年の編集委員会が、若手の投稿に対して丁寧な指導をし、再投稿を促しているというのが大きいのだろう。また『近世文藝』に掲載された、40歳以下の方の論文のうちから、日本近世文学会賞が選ばれるが、今回の候補資格者は前号と合わせて7名になるようだ。選ばれるのは1名だが、投稿数から考えると、のべ20名近くの候補から選ばれたということになるから、とりわけ近年の同賞の価値は、十分にあると言うべきだろう。
今号も若手の論文が多く結構なことだと思う。賞の選考も近いので、ここでいろいろとコメントすることは遠慮しよう。

 で、今日は別の論文を紹介する。安永拓世「江戸時代中後期における煎茶趣味の展開と煎茶道の成立」(近畿大学商経学会)。刊行は2012年12月になっているが、実際は最近出たものらしい。大阪の煎茶道の家元田中花月庵関係の史料を解析し、茶の湯という形式的な方式を批判したとされる煎茶が、芸道化し、売茶翁が神格化する過程を描き出している。当然、秋成の言説も考察の対象である。煎茶趣味がいかにして煎茶道になるか、その展開を見通した論文である。

 既存の芸道に対する新興芸道として、茶の湯に対する煎茶を措定した時に、それは文学や美術でいう「雅」と「俗」の関係に対応するだろうという。なるほど、と頷ける見解である。近世中期からの文芸・美術を解明しようとすると、この煎茶道、そして論者が密接な関係ありとする香道のあり方は、避けて通れないものなのである。大枝流芳などはキーパースンですね。

 
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2014年01月30日

長澤伴雄旧蔵書の解題目録

 高橋昌彦氏より、『国立台湾大学図書館典蔵「長澤文庫」解題目録』(国立台湾大学、2013年10月)が届いた。長澤文庫とは、亀井森氏がその事跡を丹念に調べている国学者長澤伴雄の旧蔵書である。長澤文庫には伴雄自筆の日記が所蔵されており、これが実に貴重な情報をもたらしてくれるのである。この自筆日記も近く刊行されるという。日記だけではなくとにかく膨大な自筆資料があり、幕末のさまざまな事情を知る宝庫である。

さて解題目録だが、台湾大学の学生でも利用できるようにという図書館側の要請もあり、きわめて詳細な書誌情報が記されている上に、「重要性」「摘要」「その他描述」という項目があり、なかなか読みごたえがある。とくに「重要性」という項目はユニークだ。解題を担当した人によってちょっと文体が違うところまでうかがえるのも、むしろ面白い。

この解題目録作成は高橋昌彦氏と亀井森氏の科研の成果である。高橋氏・亀井氏を中心としたチームが何度も何度も訪書して成った。日本から1度でも調査に赴いたのは23名で、私も微力ながらお手伝いしたので、送っていただいたわけである。

高橋昌彦氏のご苦労は察するに余りある。ほっとされていることだろう。私も、この目録の完成は感慨に堪えない。奥付には、定価として台湾ドルで800ドル、USドルで75ドルとある。インターネットで買えるとうかがったが…。A4600頁だし、この情報量だと高くはない。
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2014年01月29日

江戸大坂の出版流通と読本・人情本

木越俊介氏の『江戸大坂の出版流通と読本・人情本』(清文堂、2013年10月)は、好著である。もっとはやく書きたかったのだが、遅れてしまった。本の内容については広告に載る大高洋司氏の推薦文に尽くされている。奥付の作者紹介のところをみるともう40歳になるらしくてビックリした。学生のように若々しく見える。これはご本人の気持ちが若々しいというのもあろう。好奇心が旺盛である。ご両親も近世文学研究者であり、夫婦でとか親子でというのはいくつか事例があるが、親子三人が同じ学会で、しかも揃って近世小説研究をやっているというのは、私の知る限り他に知らない。父親である木越治氏も広い範囲の読書家であるが、俊介氏も劣らずそうであることは、彼のHPを覗けば瞭然だろう。なかなかこれだけ広範囲の関心のもとに次々に本を読破していくのは並大抵ではないのだが、いとも軽々とやってのけている。

 たまたま俊介氏がパールバックの『大地』を読了したころに一緒に飲む機会があって、『大地』談義で盛り上がったことがあるが、本物の本好きである。

 それがやはり論文に現れる。安定しゆとりのある文体と、細かいことを論じながらも背景に無理なく感じられる大きな構想。その結果、論文の1本1本が、堅実にして読み応えのある「作品」に仕上がっている。そういう良質の論文を集成した論文集なのである。

 中でも、私が瞠目したのが、第三章「巷説・情話の読本史」で、その系譜の端緒に『西山物語』を据えた柔らかい発想力である。和文読本という印象の強い『西山物語』が、新たな相貌で立ち現れる。
 もちろん、これはほんの一部。読本・人情本研究に、さまざまな知見と問題提起をもたらす注目の一書である。タイトルのケレン味のなさ、これにも拍手。
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2014年01月27日

小池正胤先生のこと

 大学の時、母校の高校で教育実習を受けた。その時、同じ国語の実習生として来ていたのが東京の大学から来たF君だった。サッカー部OBだったので、部活にもよく顔を出し、後輩たちを指導していた。一緒に帰る途中で寄った喫茶店では、当時爆発的に流行していたインベーダーゲームのコツを教えてくれた。彼に何を研究しているのかと聞くと、「上田秋成だ」と言うのでびっくりした。

 ちなみに、数年前に長崎の大学に勤めている後輩に呼んでもらい、秋成について講演した時に、F君も来てくれていたのには驚いた。佐世保の県立高校の教頭先生になっていた。

 彼の指導教員が小池正胤先生だった。学会で小池先生と研究のお話をすることはあまりなかったが、大変気さな先生で、なにかと話しかけてくださった。一番長く話したのがこのF君のことではなかったか。

 小池先生には叱られたことがある。まだ大学院か大学院を出たばかりのころだと思うが、某出版社から、事典の項目執筆の依頼があった。九州の儒者かなんかで、まったく自分のやっていることとは違うので、書く自信がなくお断りした。しかし依頼状には何も書かれていなかったが、それは小池先生が振ってくださったお仕事だったである。学会で「あれくらい、書いてよ!」と、強く言われた。今考えると全くバカなことをしてしまった。本当に申し訳ございませんでした。

 小池先生には、教養文庫の『江戸の戯作絵本』シリーズで特にご学恩を受けている。よくぞ出して下さったと思う。小池先生と教え子たちによる草双紙研究に特化した『叢』というユニークな雑誌は、今では大きな歴史を作っている。

 本日、ご訃報に接した。また一人近世文学研究の重鎮が逝かれた。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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2014年01月24日

江戸文学をやるのなら

『日本文学』で「日文協と私」というシリーズが始まっている。2013年12月号には高田先生が書かれている。
わざと、一見挑発的な部分を抜き出してみよう。

「江戸文学をやるのなら、江戸人になってしまえという議論がある。正気かと言いたい。江戸時代はもう帰ってこない時代なのだ。」

「江戸人になったふりをして、江戸文学を楽しむふりをするなどいやらしくてできない」

このくだりを読んで、これは中村幸彦先生以来の「江戸に即して江戸文芸を読む」という、いわば近世文学研究のオーソドックスな基本認識の転覆、あるいはもっと具体的には「江戸にこちらから出向いて、江戸の人の言うことを聞き書きする」というスタンスの中野三敏先生への批判と読んだ方もおられるかもしれない。

 だが、この文章をきちんと読むと、そういう読みが誤解であることは明瞭である。高田先生は、「江戸文学の多様な在りようのなかに、現・近代文学の言う「文学」はそこにあるはずはない。そんなものは誰もはじめから求めていない。江戸文学に夢中になり、自己と江戸文学の差異を冷静にみつめるのは、私が現代人だからこそ江戸が魅力的だからである」という。これは、中野先生のおっしゃることと全く同じである。
 
 「江戸文学をやるのなら、江戸人になってしまえ」と言っている人が本当にいるとしたら、それはかなりどうかしている。「江戸人になったふりをして、江戸文学を楽しむふりをする」のはいやらしい。全く同感である。大体江戸文学の大家と言われている方を思い浮かべればすぐわかるが、みんなモダンである。フランス文学が好きだったり、映画通だったり、洋服のファッションセンスが抜群だったり。つまり、バリバリの現代人である。ただ、中野先生のおっしゃることを勘違いして、「江戸人になりきる」ことができると思っている人や、中野先生が本気で江戸人になれると主張していると、勘違いしている人も多分いる。具体的に誰ということでなくとも、そんなバカなことを考えるのはやめるべし、と高田先生はおっしゃっているのである。

 高田先生も中野先生もそれぞれのお仕事をお互いにリスペクトしていることは、これまで何度も実際にうかがってきた。それは、現代人なのに、そこまで江戸に斬り込むことができるのかという驚きが基調になっていると私は思っている。

 もちろん思想的な立場は異なるだろう。しかし、現代人であるからこそ、江戸が魅力的なのだという研究感性は、高田衛も中野三敏も変わらない。そう私は確信している。

 
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2014年01月18日

今年は6本

今年提出された、私が主担当の近世文学関係の修論・卒論は、6本。
(ただ、副査が多いため、読むのはその4倍ほど読まねばならないが…)。

修論は、浄瑠璃の異見事、江戸戯作。
卒論は、夜食時分の浮世草子、誹風柳多留、春水人情本の読者論、八犬伝の船虫論。
さらに、博論は、雨森芳洲。
(なお、ほかに近世・近代漢詩文で提出された卒論が4本あるが、これはGさんが主担当)

なぜか、私が演習や講義で扱ったものとは全く関わらないものばかりで…。おかげで随分勉強させてもらった。

いつも、驚くのは、彼らのラストスパートの凄まじさで、こりゃあ、かなりヤバイかも、と心配してても、出されたものを読むと、ちゃんと格好がついてたり、12月中旬まではこんなこと言ってなかったのに、というようなことが結構きっちり書き込まれていたりするのである。

そして彼らは彼らで、もう少し早くこれに気付いていたら、もっといいのが書けたのに…、などというのである。まことに「締切」というのは、人の潜在力を引き出すものではある。2月上旬までは、論文読み中心になる。

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2014年01月15日

冷泉家の歴史と文化

今年はじめての更新です。本年もぼちぼちと書いて参ります。どうぞよろしく。

きたる1月25日、同志社女子大学今出川キャンパスにおいて、「冷泉為人客員教授最終講義―冷泉家の歴史と文化」と題した講座が開催されます。

場所 同志社女子大学今出川キャンパス栄光館(正門から入ったら目の前の建物)ファウラーチャペル
日時 2014年1月25日(土) 10:00〜(開場9時30分)
入場無料・申込不要

同志社大学のお隣にある冷泉家。古くから続く歌の家。その御当主による最終講義。きっと文献だけでは知られない冷泉家の秘話が聞けるのではないでしょうか?
和歌研究者をはじめ冷泉家に興味のある方には貴重な機会だと思いますので、告知させていただきました。
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