2014年05月27日

上方の浮世絵展

 中之島で会議があるので、その前に大阪歴史博物館の「上方の浮世絵」展へ行く。「上方浮世絵」は一般には馴染みが薄い。北斎や広重や歌麿や写楽や国貞みたいに、誰でも知っている絵というのがないし、画家の名も、流光斎如圭とか、松好斎半兵衛とか言っても、まず知らない。しかし、それは上方絵の技術が劣っているからでは全くない。今回の展示は、それを証明するものである。

 上方絵の大規模な展示は40年ぶりだという。少し前にやはり歴博で開催された大坂歌舞伎展では、上方絵が多く出展されたが、それは役者絵・芝居絵関係に限定されたものだった。今回は、美人絵・風俗絵・名所絵と様々あり、祐信の肉筆屏風絵、伝応挙の眼鏡絵、上方特有の合羽摺、江戸とは明らかにその基準が違う美人絵、超絶技巧の摺り技術、活写される祭りの絵など見どころがいっぱいだ。今回の展示は、北川博子さんが仕切っているが、松平進先生の跡を襲う位置にいる北川さんをはじめとする上方絵研究の、ここ20年ほどの展開は目覚ましいものがある。ひとつには、ガーストル氏を先頭に海外の研究者による上方絵への関心が高まったことにある。

 私は2001年に大阪に来て、たぶんはじめてみた展示が、池田文庫の合羽摺の展示だったと思うが、こういう世界もあるのかと感銘を受けた記憶があり、その記憶が今回の展示でよみがえったものだ。そういえば上方文人の短冊にも合羽刷があったな。この豊かな世界。展示は6月1日まで、残りわずかです。

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2014年05月24日

絵入本ワークショップY

佐藤悟さんから、案内をいただいた。
このワークショップもすっかり定着。
物としてのテキストというコンセプト、つまり書物学の観点から、書物研とならんで、近年盛んになっている研究会である。コピペOKとうかがったので、プログラムを紹介します。

絵入本ワークショップYプログラム
2014年7月5・6日 同朋大学 博聞館2F大会議室

7月5日(土)

■開会の辞                        
同朋大学学長 浅野玄誠

■研究発表
シーボルトが持ち帰った「大坂 絵入り折手本」をめぐって 
下関短期大学 高杉 志緒

「張良吹簫図」考―北斎「張良図」の補説―         
金城学院大学 張 小鋼

役者評判記の挿絵― 上演実態の反映―          
大阪府立大学 河合 眞澄

■懇親会

7月6日(日)

■研究発表
山東京伝『籠釣瓶丹前八橋』における〈絵馬の怪異〉
大阪大学大学院博士課程 有澤 知世

種彦合巻『鯨帯博多合三国』の考証趣味―本文と挿絵の利用をめぐって―
東京大学大学院博士課程 金 美眞
休憩10分                 

一英斎芳艶「文治三年奥州高舘合戦自衣川白竜昇天」図考―『八犬伝』との連関― 
愛知県立大学 三宅 宏幸
 
「さるかに合戦」絵本の変遷―江戸から昭和までの五十点―  
愛知大学名誉教授 沢井 耐三


■研究発表
画集から見た青木繁                
関西大学非常勤講師 高橋 沙希

〈デザイン〉の黎明期―明治・大正の挿絵と美術      
実践女子大学 河野 龍也

休憩10分

尾張の人、梅樹軒逸人の俳書出版―絵俳書を中心として―
名古屋外国語大学非常勤講師 服部 直子

愛知県南知多町に残された元禄期江戸吉原に関する一次資料
慶應義塾大学 日比谷 孟俊  名古屋学院大学 山本 親
同朋大学 服部 仁  実践女子大学  佐藤 悟

7月7日(月)
■研究踏査 愛知県南知多町 岩屋寺・光明寺
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2014年05月20日

赤木文庫旧蔵古浄瑠璃翻字データ試験公開開始

 大阪大学附属図書館には、横山重氏旧蔵の古浄瑠璃・説経正本コレクションがある。信多純一先生らのご尽力により、阪大が収書した。そして信多先生がさらに4点を寄贈され、合わせて100点となった。
 その一部については、『赤木文庫 古浄瑠璃稀本集―影印と解題』(八木書店)に紹介されているが、数年前に図書館が、全点の画像を公開した。その後、有志による翻刻作業が進められていたが、このたび、20点ほどの翻刻データを試験公開するにいたったので、ここにご紹介申し上げる。
 こちらの、私のホームページから入っていただきたい。画像の方にもリンクを張っている。
翻字はほぼボランティアで、仲沙織さんをはじめとする赤木文庫研究会の学生諸君がやっている。今後も、作品を増やしていきたいと思っている。
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2014年05月19日

文楽の歴史

 倉田喜弘著『文楽の歴史』(岩波現代文庫、2013年6月)。1年ほど前に出た本(文庫オリジナル)だが、必要があってこの度あらためて最初から完読。稀にみる、「引き込む力」の強い本である。帯にいうように、「文楽」の初めての通史であるが、単なる概説的な、あるいは入門的な本ではない。むしろ文楽のことを少しは知っている人向きの本である。
 
 これを読むと文楽の歴史が確かに感得される。理解できるというよりも、感得されるという方が近いのではないか。ハートに訴えかけてくるのだ。
 
 通史とはいえ、重点を置くところかなり分量を割き、力説する。その叙述に力があって、読者を飽きさせない。特に人形の三人遣いの始まりについて。学界の定説とは違って、かなりおそく位置づけている。これが倉田文楽史の肝で、これによって文楽の盛衰を説明していくのである。衰退する文楽を三人遣いの登場が救ったというのである。力業ではあるが、筋が通っている。これこそが、個人の書く読み物としての「史」の神髄である。学界はなかなか承認しないだろうが。
 
 もうひとつ感じたのは、登場する人間に血が通っている。まるでそこにいるように描写する。これがこの著書の大きな特徴であり、強みであろう。学術書ではなかなかこうはいかない。

 それと、人形浄瑠璃のことをあまり知らないが関心がある我々が知りたいことや、用語について、適切な資料を用い解説してくれるところがある。えてして学術書では省かれてしまうところだ。たとえば西風・東風とかいうが、西から東に大夫が移動した場合はどうなるのか、風にあわせるのか、というような素朴な疑問を共有して答えてくれようとする。「メリヤス」とか「サワリ」の説明のタイミングとかも絶妙である。

 近代以降については、資料もそろっているからか、かなり詳細な叙述となる。摂津大掾のことなど、生き生きと描かれていて、評伝としても読める。とりわけご自身が関わってこられた戦後文楽史は、文字通り血が通っていて面白い。

 最後は橋下氏の文楽政策にまで触れる。「文化に無理解だ」などとは書いていない。橋下氏なりに苦悩があったことを推していて、直接の批判はしていない。しかし、この文楽史を読んでくると、文楽の関係者がいかに血を流すような努力をしてきたかがわかるから、ユネスコ無形文化遺産に登録された文楽を、日本人が守り後世に伝えるべき義務があるという言葉には、重みがある。そういう歴史を知ってくれということをいうために本書は書かれている。本書を読めば、文楽振興のための補助金は当然であることが自然と納得されるのである。もっとも、補助金に頼るだけではならない。そういうメッセージも込められているように思う。そういう意味でも、文楽に関わった人々の熱い心の積み重なりを歴史として描いた本書は、今の文楽関係者にも必読だろうと、私は思う。

《追記》
 早速演劇研究者の方から、本書の事実誤認、問題点(アンフェアと思われるところをふくめ)などをご教示をいただきました。まことにありがたいことです。その方によれば三人遣いについては資料的に無理だろうということです。実は私もそう思って読んでいました。また浄瑠璃研究者の方のツイッターでは、本書のいくつかの記載箇所について、厳しい批判が書かれていることも知りました。私は本書の記述について、「学術書ではなかなかこうはいかない」と述べましたが、裏返せば「学術書として読む本ではない」ということを意味しています。三人遣いについても確かに資料的な裏付けがない。ただ、著者の「史」、それは「著者だけの思い入れの史」かもしれないですが、その中では筋を通している。そう私は思ったのでそう述べたのです。もともと本書も学術的な体裁をとっていません。私もまた学術的な書として本書を評したわけではないので、指摘を受けた学術的な問題点についてはここに再掲はいたしません。必要と思われる方がいれば、コメント欄に書いていただければと思います。
  学者はなかなか単独で「史」は書けません。それもこのような思い入れのある史(功罪両面ある)は書きたくても書けません。本書が叙述に力があり、心に訴える力を持つのはそういう縛りがないからだと思います。
 本書は、学術的にはいろいろと問題があるということですが(しかし幕末から近代以降についてはさきの演劇研究者も高く評価していらっしゃいます)、やはり学術的な人形浄瑠璃通史が従来ないことが、このような厳しい批判を呼び込んだということもあるかと思います。演劇研究者の方には、私の感想は不快であったかもしれませんが、ぜひ、学術的な、しかも一般向けの、人形浄瑠璃通史を書いてくださるようにお願いいたします。でないと、一般の方が参照できる人形両瑠璃史ってなると、現在では本書だけなんですから。
 以上追記いたしましたが、本文については削除や訂正はいたしておりません。

 
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2014年05月14日

四谷江戸文学まつり

日本近世文学会は、機関誌『近世文藝』百号到達記念イベントとして、6月1日(日)午後2時から、「四谷江戸文学まつり」を開催します。

会場 上智大学四谷キャンパス 10号館講堂

記念公演 ロバート・キャンベル (東京大学教授)
美人図から産み出される江戸詩文と物語の世界
(ちなみにキャンベルさんは学会員です)

江戸文学と話芸
講談 『雨月物語』より「吉備津の釜」 神田陽子
落語 『真景累ケ渕』から「豊志賀の死」 隅田川馬石
座談会 江戸文学と話芸
   木越治(上智大学教授) 神田陽子 佐藤至子(日本大学教授) 隅田川馬石

このイベントには、学会員以外の方も無料で参加できます。ただし事前申し込みが必要。
学会のホームページから、案内に従ってリンクをたどると、申し込みフォームが出てきます。そこから申し込めます。
聞くところによると、申し込みの出足は順調のようです。先着400名ですので、お早めに。
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2014年05月10日

幕末・明治期における日本漢詩文の研究

 同僚の合山林太郎氏さん、元々得意な英語を生かした職に就きたかったらしい。大阪大学でOUSSEPという留学生のための英語授業カリキュラムがあり、我々も3年に1度オムニバス形式で担当し、私などは四苦八苦しつつ、結局TAの力を借りてやっとのことで1コマをやっているのだが、合山さんなどは、その英語力を” excellent !” と授業アンケートに書かれるくらいで、前回はコーディネータとして、数回授業を担当されたほどである。実際、英語で留学生の方と会話しているのを聞いたことがあるが、まったくネイティブっぽい。で、中国語でも同様に、中国の方と会話をしているのを目撃した。まあ中国文学の研究者なら、中国語と英語がペラペラってのは普通かもしれないが、日本文学の研究者ではそうそうはいない(いや、みんな爪を隠しているだけなのかな。最近実はみなさん英語が結構できることがわかってきてるんだが)。ともかく頼もしい同僚である。その上、国会図書館に勤務していただけあって、本、図書館、ITなどにも滅法強く、職場でもさまざまなところからお声がかかり戦力として重宝されている。

 その合山さん、専門は幕末から近代へかけての時代の漢詩文である。日本漢詩文自体がそもそも和歌や俳諧などに比べると研究者が少ないが、幕末から明治にかけてというのは、本当に数が少なく、専門書もほとんどない。このたび合山さんの出した本は、今後の指針になるだろうと思われる。

 『幕末・明治期における日本漢詩文の研究』(和泉書院、2014年2月)。合山さんの論文は当然論文集になる前に読んでいるが、一書にまとめた時に、大きな構想のうねりが見えてきた。そして、かなり初出を修正しているから、改めて読み直す必要がある。で、読み直しているのだが、もう本が出て2か月以上も経つから、そろそろ取り上げておかねばという気持ちが強くなった。幸い、合山さん自身が序章で本書の構想を述べてくれているので、それをさらにかいつまんで説明することで、責をふさいでおこう。いや別に責などないのだが、多くの方に読んでいただきたい本なのである。

 1 まず、幕末以後の漢詩文文化のすそ野の広さの指摘である。教育は漢学によって行われ、政治家・官僚・学者の必須教養であった。漢文学の学習は蓄積された膨大な知識情報へのアクセスであり、教訓倫理の源泉でもあった。鴎外の事例が報告されている。そして表現の手段としても魅力的であり、漢詩アンソロジーの出版や新聞漢詩欄など漢詩文文化は盛況である。
 2 近世における漢詩の潮流は中期の格調説から後期の性霊説へとおおまかに理解されてきたが、後期・幕末においてもあまりに平俗な詩は批判された。知識や技巧を駆使する漢詩も多作されていた現象を指摘し、性霊説も単純ではないことを具体的に説き及ぶ。
 3 近代文学や詩歌の洗礼を受けた漢詩がどのように対応したか。当初西洋詩を移植する受け皿として有望視もされていた。しかし漢詩の抜きがたい擬古性は、漢詩の近代化を許さなかった。文学の先端では漢詩は衰退の気配を見せてきた。
 4 しかし同時期に漢詩壇は世代交代を迎え、かつてない隆盛を見せる。森槐南や国分青高ェ活躍する。そして野口寧斎という詩人もいる。寧斎は国家・社会と密接につながってゆく。これらの一般には知られざる詩人に対して、合山さんの淡々とした筆致の中に温かい眼差しを感じる。

 この著書には、前近代から近代という図式的文学史への反省を迫るだけの実証的な内実がある。
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2014年05月04日

文学部の逆襲その2

「文学(研究)って何の役に立つの?」という疑問。一定の教養のある知識人の方からは、文理とわずこういう問いが出されることはまずない。世の中にあるものの価値を「役に立つかどうか」という物差しで測ることが、いかに一面的であるかを知っているからである。また「役に立つ」ということの意味が多様で多義的であることも。

しかし、文学(研究)に関わらない一般の方がこのような疑問を抱くのはもっともだし、「文学(研究)は何の利益になるの?」という問いとなれば、これは大学経営論の立場から議論の俎上に載せられる、いまでもどこかで議論されているであろう話題である。文楽補助金の議論とほぼ同じである。

 さて、「文学が何の役に立つの?」という疑問は、次の2つのレベルで言い換えられる。
1 文学作品は何の役に立つの?
2 研究は何の役に立つの(あるいは文学部は何の役に立つの)?
である。もちろん「役に立つ」も、「人助けになる」「商売になる」「国際交流になる」など、いろいろな基準が考えられる。

 まず1の文学作品は何の役に立つの?、に対しては、文学作品は人々の心を慰めるし、人生の指針となることもあるのは事実で、何の役にも立たないというのは個人的な意見としてはありえようが、到底一般化はできない。古今集の仮名序にいう文学の効用は今でも有効だ。

 われわれが実際によく問われるのは2であろう。文学部では、文学テキスト以外に、哲学、歴史学、考古学、美術史学、演劇学から場合によっては地理学、心理学、社会学までその中に入るところもある。ただ問題が拡散するので、ここではあえて哲学や歴史学なども含まない、文学テクストの研究に限定しておこう。大学で文学研究をして卒業した人たちは、それが人生の役に立たなかったと思っているのであろうか?文学研究不要論を唱える人は、一度そういうアンケートを取ってみられるとよろしいかもしれない。

 文学研究とは、読書感想文を書くことでも、文芸評論を書くことでもない。まずは、自分の知らなかった一つの世界を表現しているテキストに謙虚に正対して、それをテキストの外側から、そして内側から、一定の方法(これには先人が編み出してきたさまざまな方法がある)で、客観的に分析してゆくのである。文学テキストに書かれている内容は、どういう領域のものか決まっているわけではない。たとえば、日本とスペインを舞台にし、国籍の違う男女の恋愛がストーリーの中心となり、そこに300年前に行方不明になった有名な絵画が絡み、あるレストランでの食事が大きな山場に設定され、登場人物の日本人は、某藩の家老を務めた家の末裔で、自宅には多くの古文書があり、その古文書に行方不明の絵画の謎を解く鍵があった…、などというようなものであったとしたら、そのテキストを研究する人は、スペイン語とスペイン文化、恋愛論、恋愛小説の歴史、美術史、食文化、江戸時代の藩史、などを本格的に調べなければならない。ほかにも医学小説やら、動物寓話やら、科学随筆やら、つまり文学テキストの研究とは、諸学問を総動員する総合的学問であり、成熟した学問なのである。これをきちんと学ぶことは、歴史、思想、言語のみならず、諸科学全般に通じることに他ならないのである。文学研究者は狭い了見しかもたないというのはしたがって誤解で、すぐれた文学研究経験者は、政治家にも、経営者にも、教師にも、科学評論家にもなれるくらいの汎用性を持っているのである。もちろんどんな企業に行っても、一定のスキルの訓練を受ければ、きちんと対応ができるし、企画を発想したり、商品開発のための調査・取材をしたり、会議内容をまとめたり、人事を担当したり、社史だって作ることもできるマルチな能力を持っているのである。

つまり、ふつうに考えて文学研究は、社会の役に立つし、立っているはずである。「文学部出身は使い物にならない」という言説が世の中に蔓延しているって話は聞いたことがない。

 〈「文学研究」はすぐには役に立たない虚学ではあるが、「無用の用」という意義がある〉というような議論をしなくとも、社会に有用な判断力・思考力を養うことができる総合的な学問であると、堂々と言えるのである。スキルは会社に入ってからでも学べる。そのスキルを理解する受け皿そのものを文学部の教育研究は形成しているのである。とりあえず今日はこのくらいにしておこう。

 さきに紹介した名古屋大学の「文学部の逆襲」シンポジウム、150ほどが参加する盛況だったそうで、主催者の塩村さんが、シンポを終えての感想を新聞に投稿された。これを紹介するのが目的だったのだが、前置き、長すぎでごめんなさい。中日140411夕-1.pdf
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2014年05月02日

雀はあかん!

大きなカラスを膝に乗せて、ふつーにエサをあげているオッチャンがいた。道行く人「カラスもなつくんかいな?」。オッチャン「たいていの鳥はなつくでえ。けど雀はあかん!」。
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2014年05月01日

和解の狂言本

阪口弘之氏「享保五年京都二の替り狂言本―自笑と其磧」(『芸能史研究』204号)。
享保五年、二の替り狂言を行った京都四座の狂言本が上本・並本の抱き合わせで、四座同時に、つまり八冊刊行された可能性を示唆される。ご所蔵の資料をはじめ僅かに残った資料の考証から、この異例も異例の事態がおこったことは、ありそうである。でも、なぜそんなことが。それは、自笑・其磧が長年の確執抗争に真の終止符を打つための記念出版だったという説。あー、そうなのか!
これは思いもしない結末で、大変驚いた。いま読んだばかりだが、とりあえずメモ。
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(コピペ)十九世紀文学研究会

 疲労がピークに達し、27日の研究室ハイキング途中でめまい・悪寒・震えに襲われ、懇親会をキャンセル。なんとか昨日の授業は休まなかったものの、回復が鈍く、現在療養モードである。本来溜まった仕事を片付け、新学期の準備に充てるべき3月に、本務以外のいろいろなことが入りすぎているのがいかんようだが、今年度それが改善するわけでもなく、むしろもっと増えてくる感じであるのは、先の思いやられる話である。ともかく本務には支障なきようにしておかねばの。とりあえず、半日くらいはぼーっとして何もしないでおこう・・・。そして、元気を回復し、効率のよい仕事消化方法を開発しましょうヽ(^o^)丿

 というわけでブログの更新も怠り続けていたわけだが、研究者仲間からの1通のメールを思い出した。それは、新しい研究会の案内。「十九世紀文学研究会」というのだが、会員も組織も、会費も機関紙もないという研究会らしい。研究会というのは、作った瞬間に、それをどう維持していくか、守っていくかということが課題となり、運営上の諸問題、とくに会費管理・会報発行などの問題が悩みの種となってくるものである。私など古い体質の者であるから、研究会の活動というのを可視化して、会報を作りたがるんだけど、それが自分の首を絞めることも事実である。楽しくではじめたはずが、ちょっとつらい義務になりかねない。会報を作るとなるとお金が必要で、会員組織、会計管理の問題が生じるのだ。それをやらないというのは、今の時代、賢明で、長続きする方法なのかもしれない。
 もっとも、どのような展開を見せるのかは、なかなか予測が難しい。研究発表の申込みが殺到したらどうするのか、とか。ですね。
 会場は法政大学ということなので、気楽に覗きに行きましょうとは、関西の人間にはならないのですが、書物研のように、そのうち「地方巡業」もしてくださればうれしいですね?もっとも、いまどき、大学の教室もタダではなかなか使えない時代なので、会場提供というのにも限界はあるでしょうが。
 しかし、いわゆる学会とは違う、ジャンル横断的な研究会がこのごろ盛んですね。学会は学会で、がんばってはいますが、こういうのはやはり流れってもんでしょうね。ということで、転載・転送・コピペOKということなので、以下、完全コピペです。
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各位

突然メールを差し上げる失礼をお許し下さい。

2009年末に岩波「文学」誌で〈十九世紀の文学〉を特集した際に、座談会を止めて執筆予定者が集まり数度の研究会を重ねて参りました。雑誌発刊後も、何とか研究会を継続したいという意見が出ましたが、諸事情で延引しておりました。今般、下記の趣意にて広く公開された研究会を発足させようと、発起人で話し合い、実
現の見通しが立ちましたので、ご案内を差し上げた次第です。

研究会の名称は「十九世紀文学」としましたが、もとより18世紀後半から20世紀前半を含めて考えて下さい。また「文学」という用語も大学の「文学部」の範疇に包含される程度には広く捉えて、日本語学はもとより歴史学や美術・音楽などの芸術学や哲学、さらには出版文化や外国文学をも含めて、ほぼ19世紀という範疇で
あれば、既定の専門の枠組みを越えて、知的な交流が出来ることを期待しています。

また、「研究会」とはいうものの、会員も組織も存在しない自由意志に基づく参加者に拠る運動体とします。ですから、研究発表者や話題提供者が続く限りは研究「会」を継続して行くつもりです。しかし、組織が無いのですから、会費も会則もありませんし、現時点では会報や機関誌も考えておりません。ただ連絡用のメー
リングリストだけを用意し、発起人が会場(と二次会)を設定するだけの「研究会」としたいと思って居ります。

どうか、専門や世代を超えた知的刺戟に満ちた「研究会」とすべく、皆さまの積極的な参加を期待しております。

取り敢えず、隗より始めよの顰みに倣って発起人の発表にて、以下の日程で研究会を開催します。

第一回
 日時 2014年6月14日(土)15:00〜17:30
 場所 法政大学市ヶ谷キャンパス(富士見坂校舎 F305教室)
 発表 「明治前期活版小説の出版」山田俊治(横浜市立大学)
    「ギメ美術館蔵〔読本挿絵集〕」高木 元(千葉大学)

第二回
 日時 2014年9月20日(土)15:00〜17:30
 場所 法政大学市ヶ谷キャンパス(ボアソナードタワー6F 610教室)
 発表 「植木枝盛の読書再論」谷川恵一(国文学研究資料館)
    「未定」中丸宣明(法政大学)

〈教室の場所〉http://www.hosei.ac.jp/images/access/ichigaya_03.jpg

第三回については2015年3月を、以後年2回(3月と9月)程度の開催を予定しています。また、第一回の会場にて、第三回以降の発表希望者を募りたいので、積極的なお申し出を期待しております。

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「十九世紀文学研究会」趣意書
 現在、一般的な文学史の時代区分によれば、明治維新をメルクマールとして、近世(前近代)と近代を区分している。この時代区分では文学史に大きな盲点を作り出してきたといえる。問題は、幕末維新期のあつかいにあった。つまり、これまでの文学史は、この十九世紀の中間期を欠落させて成立したものなのである。こ
の時代を対象とした研究がなかったわけではないが、柳田泉、興津要、前田愛などの諸氏による業績は、現在でも再点検されないままで放置されてきてしまった。しかしながら、これらの業績が依拠したイデオロギーが、戦後文学に通底する「近代」を基準としたものであったことは否定できないだろう。こうして、幕末維
新期は「近代」への過渡期とする発展史観によって塗り込めてきたわけである。もちろん、前近代/近代という時代区分自体も、そうした「近代」主義的発想に侵されたものであった。
 研究者自身もこの時代区分に異議をさしはさむことなく、日本近世文学研究/日本近代文学研究という垣根の中で、それぞれの専門分野を固守してきたのである。本研究会では、そうした発展史観を一旦留保して、専門の垣根を越えて、十九世紀という世界史的な時代区分に従うことで、この幕末維新期=過渡期という歴史観を解体し、発展史観の呪縛から自由になり、十九世紀という視座から「日本」文学の可能性を改めて見直してみようと思う。
 また、社会史的な視点から十九世紀の時代相を確認すれば、商業資本主義的経済の発展により各種商品の流通網が整備され、全国的に出版文化が浸透した世紀と捉えることができるだろう。それは、「文学の世俗化」という概念で捉え直すこともできるかもしれない。印刷技術や製本技術などのメディア環境の変化も、そうした「世俗化」を促す要因として理解することもできる。一方、社会状況の変化も見逃せないだろう。政治的に封建制下の「日本」という市場が、世界市場の中の国民国家「日本」となり、まさに十九世紀という世界史的な同時代性を獲得する時代でもあったのである。幕末維新期は、そうした社会経済史的な時代の転換点に位置し、その結果として文学が普く社会階層の隅々まで浸透することになったのである。その状況は、市民革命後の西欧社会とも連動する世界史的な変容として位置付けられるだろう。と同時に十九世紀は現在を発展過程の最終形態とする文明史観が支配的になる時代でもあった。国学などによって甦った古典文化を伝統として美化するという自らの現在を歴史的に虚構化する視線によって文化の各層で歴史が求められたのである。そうした歴史についても留意しながら、十九世紀という枠組みのなかで、言語の問題から出版や芸能、ジャンル形成、文化の流通に渉る社会現象として広く文学を捉え直そうとする是がいまぜひ必要と考えられる。
 そこで、そこで、われわれは上記のような問題意識を共有する研究者が集い、相互の交流と協力を促進するとともに、研究上も独自な成果を公表し、国際的にも発信することを目指すものとしての「十九世紀文学研究会」立ち上げたく思います。是非ともこの趣旨にご賛同いただき、積極的に本会に参加いただければ幸いである。
                     発起人 山田俊治
                         谷川惠一
                         高木 元
                         中丸宣明
            連絡先  hokkinin_19c@fumikura.net
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付記
 差し上げたメールのアドレスは、我々が勝手に蒐集させて頂いたものです。【第一回に参加希望の方】、および今後も研究会開催の連絡を希望される方は、お名前とメールアドレスとを、hokkinin_19c@fumikura.net 宛てに返信して下さい。メーリングリスト 19c@fumikura.net に登録し、今後も研究会のご案内を差し上げたいと存じます。

 また、本メールは〈転載歓迎〉です。積極的に「コピペ」してお知り合いの方々にお知らせ下さい。                           
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