2014年07月30日

江戸人になったつもりで

 今年度の共通教育は、「江戸人になったつもりで、江戸文芸を楽しもう」というテーマだった。シラバスに、筆で手習いをしますよ、と書いたのが目を惹いたらしく、受講登録者が例年の数倍の221名であった。少人数を前提に授業デザインをしていたので、大変困ったのだが、少しアレンジしながら、手習い、双六、連句などをやりつつ、江戸時代に心を遣る、ということをやってもらう試みをした。要は、相対的な視点というものを実感してもらえればOKということである。途中で半分くらい脱落していくだろうと予想していたが、本日の試験を受けた者がちょうど200名。追試受験予定者も何人かいるので、あまり減らなかったということになる。

 こういう授業には功罪があり、そういう中途半端な授業をやるから、主観的な江戸時代像が流通するという批判もあると思う。しかしとくに文学部以外の学生に、江戸時代の文芸の存在を知ってもらうという意味では、まあよかったかと思う。彼らが将来、親になった時に、江戸文芸を研究したいという子供がいたら、たぶん理解を示してくれるだろうから。

 「江戸人になったつもりで、江戸文芸を楽しむ」という切り口は、外国文化や、日本の伝統文化を学ぶ時にも応用できると思う。全学部の学生が受講する共通教育でこれをやる意味はそこにしかない。
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論文も充実している100号記念号

『近世文藝』100号は論文も充実している。7本。そのうち恣意的に次の3本に触れる。
 同じ大学の院生が二人同時掲載というのは珍しいが、今回掲載された名古屋大学の院生二人の論文はともにレベルが高い。日頃の研鑽が窺えるものである。河村瑛子さんの「上方版『私可多咄』考は、従来京伝の『骨董集』に引用されるものでしか本文が知られていなかった上方版『私可多咄』が、下里知足筆の『徳元玄札両吟百韻』に付された「笑話書留」(仮題)に抄記されていることを突き止めた。これにより、上方版を改変した江戸版との比較が可能になり、上方版の方が作品のレベルが高いことを説く。それは西鶴的表現の前兆であったとする展望は説得力がある。河村さんは初期俳諧の異国観を析出した別の論文も拝読したことがあるが、これもなかなか面白かった。

 劉菲菲さんの論文は『英草紙』第六篇の典拠考である。第六篇は三話からなる。第一話の典拠として『青瑣高議』が指摘されるが、第二話、第三話は不明であった。劉さんは、第二話・第三話の典拠が明代類書の『緑窗女史』であることを指摘しただけでなく、第一話も『緑窗女史』が典拠であるとした。庭鐘を研究したことのある者を驚かせた。劉さんのことは、庭鐘の読書抄記『過目抄』を本気で研究する人が出てきたとして、木越治さんも紹介している(『書物学』第2号)。今回のクリーンヒットは偶々ではなく、必然だというわけである。

 他では石塚修氏の『万の文反古』巻一の四の「栄耀献立」についての論が注目される。これは97号の南陽子氏の論に、真向から反論したもの。西鶴が書いた接待時の「栄耀献立」の意味とは。献立をどう読むか、一汁三菜の茶懐石の献立を栄耀献立としたところに面白さがあるのか、石塚氏の言うように調理環境まで考慮するとかなり難しい献立を要求しているという読みが話として面白いのか。薄茶や濃茶のことを含めて、もしかすると、「茶の湯の経験者であればわかること」なのかもしれないが、それを言われてしまうと、多くの人が土俵に上がることができなくなってしまう。しかし一面それは正しい。西鶴に即して西鶴を読みたければ、謡いや茶の湯ぐらいは嗜んでおかねば、本当は話にならないだろう(自分はできてないのだが)。南氏の論がかなり好評だっただけに、茶の湯に精通している石塚氏の反論は、注目に値する。だが、この石塚氏の論を引き出したのは、南氏の論なのである。こうして研究が展開していくのは、南氏にとっても研究者冥利につきることではないだろうか。ここから更なる展開があるかどうか、楽しみである。
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2014年07月28日

「想い出の論文」は後ろから読む。するとしびれる。

 『近世文藝』100号(2014年7月)。特別企画の「想い出の論文」を全部読む。実に興味深く拝読した。おそらく年齢順に掲載されているのだろうが、若い方の方から読んでいくと、歴史を遡っていくようで面白かった。特に中森康之さんと井口洋先生、濱田啓介先生の文章に感銘を受けた。中森さんのは、中森さんの本領である思弁的な考察、「ど真ん中」で学会に挑み、近世文藝に採用された話である。発表後、上野洋三先生にご感想を伺ったことのある、私の中でも記憶に残る発表である。井口洋先生は『堀川波鼓』論の思い出を語る。作品内部だけから析出された姦通物の主題発見。しかしそれはなかなか陽の目を見ない。それが『近世文藝』に掲載。「作品論の井口ワールド」がここから始まったのであろう。濱田先生の話もすごい。大学院在学のままで高校教員をしながらの研究。大阪本屋仲間記録を中之島図書館と交渉して借り出し、自ら暗室に籠って現像焼き付けをするという、まさに血のにじむような刻苦勉励の日々を綴っておられる。大坂書肆研究に没頭する日々。そして結びはこうだ。「しかし私は、自分に言い聞かせた。これはもうこれっきりにしよう。これは危険な道だぞ。進んで行ったらきりが無いぞ。我が身にかなった本来の方向へ向きを直さなければならないぞと」。うーん、しびれる。ここに書かれた方の他にも、一人一人が『近世文藝』にまつわる想い出を持っているだろうなと想像すると、学会誌の持つ意味の大きさがひしひしと感じられる。

さて「想い出の論文」が自分自身のものとは限らない。感銘を与えられた論文の話もいい。「推理小説」のようだと称えられる渡辺守邦氏のご論文。二人の方が引用するが、別々の論文だ。つまり、いつも推理小説のように書かれるわけだろう。田中則雄氏の「近世初期の教訓意識と宋学」は、二人の方が引用する。私が編集委員会に居たときに投稿されたものであり、私は絶対掲載すべきだと思ったが、「文学作品」を対象としてないことから、反対もあったと記憶する。このように、後生に影響を与える論文となったことは嬉しい。

 木越俊介氏は私の論文を引いてくださったが、この論文は発表の際には酷評され、同情の眼で見る人もいたのである。なにせ中野三敏先生が、あとで慰めてくれたくらい。しかし、中森氏同様、「ど真ん中」で勝負したつもりの論文ではあった。編集委員には拙発表を厳しく批判したNさんもいたが、委員会はあんまり修正も求めずに採ってくださった。Nさんから電話で30分ほど「だけどね…」といろいろご教示を受けたことが有り難かった。おっと自分の想い出を語ってどうする。

 中野三敏先生は、唯一の掲載論文を「今となってはこの論文は、永久に抹殺したい思いで一杯」と述懐。これもまた面白い。

 次のような文脈で名前を引かれるのも、むしろ嬉しくなっちゃうから、始末が悪い。大高洋司氏「飯倉洋一氏がどこかに書いておられたように、当時の私も、先輩研究者に抜刷りをお送りして批正を乞うという学界の常識を全く知らなかったのであるが…」。そう、私に学界の常識などなかった。今でもないのだが、馬齢を重ねたゆえ、許してもらっているに過ぎない。大高さんが覚えていてくださったのは、多分『秋成考』の「あとがき」だろう。最近よく思うのだが、自分が忘れてしまっているようなことを、人は案外よく覚えている。「え、俺、そんなこと言った?」。これ、このごろよくいうせりふ。
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2014年07月22日

エッセイから読む『雅俗』13号

『雅俗』13号が到来。古い友人が訪ねてきてくれたような、ほっとする気持ち。まずエッセイから読む・

 師匠の連載は、先生の「先達」からいただいた、お教えの手紙を紹介していくものであるが、今回は中村幸彦先生・野間光辰先生・浜田義一郎先生。『洒落本大成』企画のことや、先生の九大着任のことなど、興味深い。
 田中道雄先生のエッセイ「竹の子の皮をはぐやうに」とは、中村幸彦先生のお言葉である。田中先生が中村先生から何を学ばれたかが記されている。この中で、背筋が思わずピンと伸びる言葉があった。

 「先生は、「毅然とせよ」というお言葉をしばしば口にされた。」
 「気迫をもって臨むのでなければ、大切なことは分かってこない。」

 そして、まことに同感なのは、次の文だ。

  「先生の慎重さは、先生の謙虚さにつながっていたと思う。その謙虚さは、柔らかな物腰によく現れてい
たお人柄にもよるが、人並みすぐれて多く究められていた故であろう。また究め得ていない部分の大きさを。誰よりもご存じだったはずだから。」

 膨大な学知を有する人こそが、知の無限を知る。だから真の研究者は、死ぬまで知的探求をやめられない、ということだろう。最近、田中先生が若いころに書かれた、「芭蕉翁絵詞伝の性格」という論文を読む機会があった。本エッセイを読むと、田中先生が得心した中村先生の学問方法に従った論文の書き方がこれなのだということがよくわかる。重厚な論文はこのようにして生まれるものだと、改めて感服した。

 感服といえば板坂耀子さんのエッセイの書き出しにも。大体次のようなことが書いてある。
 厳しい先生の前で発表するのは恐くないし緊張もしない。「間違っていたら絶対に見つけられて、訂正される」とわかっているからで、その結果自分が葬り去られても真実が葬り去られる可能性は低い。逆にものすごく怖く緊張するのは、万一自分が嘘を教えても全く気付くことのない人たちを前にしてしゃべる時だ。
 これは、本音だろう。板坂さんはそういう方だと思う。そして自著『江戸の紀行文』で、従来の紀行文が評価されてこなかったと述べたことを訂正しなければならないとして、紀行文が正当に評価されていた事実を挙げていく。これだから、板坂さんの紀行文研究は信頼される。
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2014年07月20日

文藝年鑑

 日本文藝家協会が刊行している『文藝年鑑』。日本国内・海外での文学の動き、文学賞・文藝各団体の動きなどが紹介される。6月に刊行された2014年版では、2013年の概観がなされているが、日本文学(古典)を、浅田徹さんが担当されている。浅田さんから、ちょっと名前を引いたからということで、わざわざコピーをお送りいただいた。ありがたや。

 浅田さんは個々の研究というよりも、日本古典研究の全体的な傾向について書いている。いくつかの柱があるのだが、その第一に上げられたのが、「古典関連情報の急速な電子化」である。その第一は、写本や版本の画像がWeb上に公開され始め、今後も急速にこの傾向は進むであろうとの見通し。第二は、研究論文がPDFファイルの形でWeb上に溢れ始めたこと。もちろん研究者にとってはありがたいことだが、画像の提供がますます原本閲覧の機会を少なくするのではないかとか、Web上で読めない論文が敬遠されるとかの危惧も指摘されている。まったく同感である。そして三番目にあげられたのが、「ブログが研究の先端を主導していく動きが始まった」として、拙ブログや川平氏のブログを例示している。これは、少なくとも私のブログの場合は、まことに買いかぶりであるが、もちろん、そう言っていただけるのはありがたい。

 ネットを使った論争(とりわけ西鶴の読み方について)などの盛り上げは笠間書院さんの後押しなどが大きいのであって、拙ブログでは、本当に自分の目に触れたものに限定して感想を述べているだけである。パブリックなものではないので、浅田さんのを読んで、こちらを訪れた方の失望を恐れるものである。

 浅田さんが他に触れているのは、馬琴の自作批評を含む新資料の出現、角川ソフィア文庫と笠間のコレクション日本歌人選の功績、日本語史研究の活性化などである。正直申し上げると、文藝年鑑というのは、研究室で買っているわけでもないので、このような機会がないと、なかなか拝読しないものである。まことにありがたいことであった。

 
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2014年07月09日

田中善信著『芭蕉』

2010年の3月に出た本。中公新書。少し前に必要があって、精読。読了後に大きな満足を得た。精読するときには、本にボールペンで線を引き、見開きの左右余白に学んだことを書き入れる。忘れてはいけない、有意味なことだけであり、単なる知識としてではない。それが24箇所に及んだ。私の無学のなさしむるところであるかもしれないが、俳諧を学ぶ人にとってはお役立ち情報が満載である。ということで、4年以上前の本をここで紹介する次第。
 
 本書の魅力は、単なる芭蕉伝に終わらず、善信先生の芭蕉観、あるいは蕉風観が強く反映した芭蕉伝であるということだろう。
 私は善信先生とのおつき合いはほとんどない。かつて俳諧関係の拙論を書いてお送りしたときに、ご教示を葉書で頂戴したこと。某誌編集委員会で1年、ご一緒したことがあること。それくらいである。
  私が若いころ参加していた九州の研究会で、文人の書簡をみんなで読み、その翻刻を研究同人誌に発表していたが、必ず善信先生から、いろいろな誤読を指摘するご返事が来ていた(九州の錚々たるメンバーでも読めなかったところを読めているのである)。そういえば近世の書簡を読むための入門書も書いておられる。また学界でホットな話題になっている論点について、果敢に論争を挑まれることがよくあるということなどから、学界にとって非常に貴重な存在でいらっしゃると思っている。論争を挑む論文も実に面白い。

 本書でも学界の定説になっている部分に異を唱えたり、独自の見解を述べる部分があり、エキサイティングである。善信先生の芭蕉伝における独自の見解としては、芭蕉が深川に転居して隠逸的生活を送るようになるきっかけとして、芭蕉の「内縁の妻」寿貞と甥桃印の駆け落ちを想定しているということ。また芭蕉が旅を人生とするようになる切っ掛けは西行ではなく仏頂の影響が強いと考えていることなどがあげられる。また芭蕉句の評価として、「軽み」の句を評価されている。

 ただ、そればかりではなく、俳諧史の肝のようなものをさりげなく開陳してくれているところがありがたい。それが何かは、私のメモの中にある。人によっては常識に属することだろうから、ここには掲げない。
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2014年07月08日

「外濠を埋めてかかれ」

『上方文藝研究』第11号(2014年6月)が刊行された。西鶴小特集の観がある。なんといっても目玉は巻頭の濱田啓介先生「外濠を埋めてかかれ―「西鶴をどう読むか」の全体講評者として―」である。昨年9月京都で行われたワークショップでの講評を活字化し、さらに加筆したもの。非常に示唆に満ちた文章であり、西鶴研究者のみならず、文学研究者必読といいたいくらいの内容である。中でも、「私に言わせると、西鶴は課して解く人でした」という、なにやら、漱石の『心』の文体を彷彿とさせる(私だけか?)文体で述べられた至言には、唸らされる人は多いのではないか。いずれにせよ、西鶴に束になってかかるには、比較・通観・伝達行為・様式等の、「外濠を埋めてかかれ」ということなのである。
 福田安典氏の「『好色一代男』「おもくさ」考―忍頂寺務の指摘をてがかりに―」は、務が『相学弁蒙』という人相学書を挙げて「おもくさ」を解釈しようとしたことを手がかりにして、務の説はあたってはいないが、そのとろうとした方法は評価してよいことを述べる。
 浜田泰彦氏の報告は、ワークショップ以後の動向を整理したもの。

 折しも『近世文芸研究と評論』86号(2014年6月)でも、堀切実氏が、中野三敏先生の戯作定義について論評している。中野先生の西鶴戯作説の真意がようやく理解されてきたと感じるとともに、具体的な作品に即しての議論(木越治氏)、文学史として西鶴をどう位置づけるのかという議論(中嶋隆氏)に、西鶴戯作者論が答えられるのかどうか、という点で、ようやくかみ合った議論が開始されるのではないかという思いをもったことである。
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2014年07月07日

はぐれ雀

 私は幼年期から高校まで長崎市で育った。長崎は「(キリスト教)信者の町」でもある。幼稚園はカトリック系のJS幼稚園であった(カトリック系以外の幼稚園というのは近所にあまりなかった)。「JS幼稚園のお母さま、サンタマリア、サンタマリア、小さな私たちをお守りください」と毎朝歌っていたのである。ここに通った1年の記憶は結構鮮烈である(最近1年の記憶よりもよっぽど)。だから、長崎とキリスト教が絡む小説やドラマは、ちょっと気になる。『沈黙』しかり、『奉教人の死』しかりである。

 そういうわけで、かくれキリシタンの「デウス様」信仰をテーマとする中嶋隆さんの小説『はぐれ雀』を、興味深く拝読した。中嶋さんはまぎれもない第一線の近世文学研究者でありながら、小説家でもある。7年前のデビュー作は『廓の与右衛門 控え帳』という、島原を舞台にした時代ミステリ。随所に研究者としての蘊蓄を見せた作品で、小学館の「第八回小学館文庫小説賞」を受賞した。

 今回の作品では、非常に重いテーマに挑んでいる。豊臣秀吉の朝鮮出兵時に連行された朝鮮人のナマリ千代と、小西行長の係累であるジュリア須美という二人の女性が、島原の乱のあと、激動の時代を生き抜くドラマである。大坂新町の遊女である須美を、マリア様とのお約束によって見守る千代。その数奇な運命の叙述に引き込まれ、途中からやめられなくなる。
 天草・長崎・大坂、そして朝鮮への渡海。舞台もストーリーもめまぐるしく展開する。文体はあくまで渋く、情に流れず、説明的にもならない。

 ただ、九州出身者として唯一残念だったのは、上方者は上方弁をしゃべるのだが、九州者はそうではない。いわゆる標準語であるということだ。なかなか難しい注文ではあろうが。
 踏み絵を踏む場面で、長崎弁が出てくるところがあって、その表現にはちょっと疑問を感じたのだが…。もちろん、それはちっぽけなこと。大きな歴史に翻弄される人々を描いた秀作だと思います。このごろの政治の動きに対する抗議のメッセージもこめられているのかもしれない。
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2014年07月05日

日比谷図書館の蔵書40万冊の疎開

兵庫県夙川の大手前大学でドキュメンタリー映画『疎開した40万冊の図書』の上映会が行われる。
映画『疎開した40万冊の図書』は、第2次世界大戦中、東京都の日比谷図書館の蔵書40万冊が戦禍を逃れるため疎開をしたという史実に注目した、金高謙二監督によるドキュメンタリー映画ということで、なかなか興味深い。この疎開資料の中に、東京誌料4万3000冊、加賀文庫2万4000冊、諸橋文庫、特別買上文庫、渡辺刀水旧蔵諸家書簡らが含まれているという。疎開していなかったら、図書館とともに焼失していたはずだ。映画に先立って稲垣房子氏(「明日の中之島図書館を考える会」代表世話人)によるミニ講演会がある。大手前大学の図書館学課程が主催する。
概要は下記の通り。
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映画『疎開した40万冊の図書』上映・講演会
日時: 2014年7月21日(祝・月)
   15:00開場 / 15:30開会 (〜18:15)
会場: 大手前大学メディアライブラリーCELLフォーラム

参加費: 無料(定員200名を超えたら入場できませんということ、先着順に席につけるようである。)
問い合わせ先: 大手前大学 TEL. 0798-34-6331(代表)
大学のサイト はこちらである。

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2014年07月03日

『源氏物語』前後左右

『源氏物語前後左右』(勉誠出版、2014年6月)なんていう書名を加藤昌嘉以外の誰が考えつくだろうか。というより、加藤昌嘉の著作にしか似合わない書名でしょ。で、この人加藤昌嘉って敬称なしで記すのが、ぴったりくる。つまり華があるのです。
 それが書名だけではなく、黄緑と黄色というおよそ研究書とは思えない配色のカバー、参考書か啓蒙書と見まがうような本文構成。なかには白抜きで「ポイントA」なんてある。こんなことをやって引かれないのも、加藤昌嘉くらいのもの。
 なぜなら如上のことをやるためには、まず、本書が圧倒的に優れた内容でなければならない。そうでなければ目も当てられない。そして本書の内容が、ユニークでなければならない。また、爽快な読後感をもつような、面白い本でなければ恥ずかしい。切れ味が鋭くなければ意味がない。
 そういうハードルを軽々と超える、それが加藤昌嘉の加藤昌嘉たるゆえん。

 源氏物語研究者の間でどういう評価をされるのか、それは知らないが、一読者としての感想を言えば、「痛快この上ない本」である。痛快たらしめている要因はなにか。
 まず着眼点。なにを論じるか、である。
 そして発想力。切り口の斬新さ、である。
 それを支えているのが、先行研究のしっかりとした把握と本文の的確な読み、である。
 固定的な方法にこだわらない柔軟な思考法にも感心する。
そしてなにより魅力なのが、注の一文にまで染み渡る独自の文体である。

 巻頭の「作り物語のエレメント」。『風葉和歌集』をヒントに、歌物語・歴史物語・説話集・仮名日記と峻別する「作り物語」の認定基準をズバッと示してくれる。
 キャラクター面では、@登場するキャラクターが架空の存在である。A歴史上の実在人物が、実体として作中場面に登場することは、ない。ストーリー面では、@作中世界の舞台は、平安京の貴族社会である。A多く、男主人公は、貴族か宮家の貴公子であり、女主人公は、貴族か宮家の姫君である。B多く、作中世界の展開は、男女の出逢いが起点となり、別離もしくは結婚が終点となる。C帝が、作中世界の中心的主人公になることは、ない。…など。うーん、整理力も一流のようだ。と感心。ここで終わらず、「語り」や書誌的形態、表記という外側の面からも考察しているところが、加藤昌嘉である。
 「「とふにつらさ」の涙」という論文。この言い回しが中世の物語などによく出てくるが、従来、二つの和歌がその典拠として指摘されてきた。その引歌表現を根拠に作品の成立時期を云々する論文もある。しかし、「それら注釈書・論文の指摘は、すべて誤りである」と断定する。用例をすべて検討し、それらの和歌を踏まえている必然性がないことを実証し、むしろ、「涙」「泣く」と表現上連繋するものばかりであることに留意すべきだとする。そして、決定的なのは、それらの和歌より以前にすでにその表現の用例があることを明らかにしたこと。鎌倉時代の初頭にはイディオムとして存在していたことを立証する。鮮やかな論である。

 その他の論文も、華があり、魅力にみちたものばかりである。なかなか、このような論文を量産することはできるものはない。ただ、おそらく、この華やかなプレイの背後に、人知れぬ努力があるに違いない。本書は、着眼・発想の点で、私のような近世文学研究の徒にも非常に勉強になる本である。

 本書、既刊の『揺れ動く『源氏物語』』と両A面の関係にある。「あとがき」に、竹下景子・円地文子の名前が出てくるが…。うーん、面白い!
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2014年07月01日

木越俊介氏の「浅茅が宿」解釈

 以下の文章は2週間以上もまえに書きかけていたものだが、中絶したままだった。一応無理やりまとめたので。

 前近代・近代を問わず、文学作品が完璧に作られていることを前提に論じるのは危険である。秋成や漱石が天才であったとしても、その作品にどこか欠陥があってもおかしくない。事実それはいろいろと指摘されてもいる。
 とはいえ、一見不自然な設定や、木に竹を接いだような話の展開をもって、それを欠陥とみなし、その作品を性急に低く評価するのには慎重であるべきだろう。少なくとも古典と呼ばれるようなテキストを前にしたときに、我々の取るべき態度は謙虚であるということだ。これは『春雨物語』「血かたびら」の作品評価をめぐる松田修・中村幸彦の論争で、中村先生が述べていたことだと記憶するが、私の脳裏に刻まれた金言の一つである。
 近世の文芸テキストを論じるときに、できるだけ近世人の読んだ読み方に近づけて読むことを心がけている。それを建前にしているという方が正確かもしれない。それはここ二十年ばかりの学界の趨勢でもあろう。もちろん近世人の読み方が画一的であるとは限らない。ひとつのテキストにいろんな読み方があるのは、近世だって近代と変わらないだろう。

 それと両立するのかどうかわからないが、「ここはどうしてこうなっているのだろう」と読みながら感じた時に、テキスト全体を一つの整合的世界として見る立場から、その疑問を解決しようとする読み、その読みの志向は、心がけというよりも一種本能的なものである。分裂や飛躍そのものこそが、その作品(テキスト)の本質だと解して、作品論を「脱構築」したテキスト論は、どうしても不自然な読み方であるから研究史的にみれば長続きしなかったのだと思う。田中優子さんの『春雨物語』「天津処女」論などは、その代表で、「読み」として稀有な成功例だが、近世的な読みとは言えない。田中さんのマネをしたような論文は、だから目もあてられないことになる。

 最近、H大学の勉強会と称する場で『雨月物語』を1か月に1度、1編ずつ講読している。先日は「浅茅が宿」を読んだ。下総の国真間の里の農民勝四郎は、妻宮木を故郷に残して京へ商売のために上る。利を得て帰ろうとするが盗賊に奪われ、故郷も戦火に包まれたときいて、妻も生きてはいまいと思い定め京へ戻る。その途中の近江で病に倒れ、親切に助けてくれた人のところに居候する。七年がたち京付近も飢饉や戦で危険になるや、ふと妻の追善を思い立って故郷に帰る。すっかり変わり果てた自宅には死んだと思った妻が待っていた。それは宮木の霊であった。近所の漆間の翁という老人が宮木の死を語るとともに、真間に伝わる手児奈という女性の伝説を教えてくれる。美しくて多くの人に求婚された手児女は、多くの人に報いんと入水死する。宮木の話はこの手児奈の話に勝るだろうと老人はいう。勝四郎は「いにしへの真間の手児奈をかくばかり恋してやあらん真間の手児奈を」という歌を読み、宮木の話は広く語り伝えらる。とこういう話である。

 さて、この真間の手児奈の話であるが、なぜこの話があるのか、ちょっとわかりにくい。最後の勝四郎の歌は、田舎人の素直な歌だとされているが、「自分が宮木を愛していたように、いにしえの人たちも手児奈を愛していたんだなあ」と解釈するのが通例。だがこの解釈はちょっと無理やりな感じではないだろうか。勝四郎よ、お前は本当に宮木を愛していたのか!と突っ込みたくなるのである。

 ところで、三弥井書店の古典文庫シリーズ『雨月物語』でこの部分の新解釈が披露されている。担当は木越俊介氏。氏は、勝四郎の歌の「かくばかり」は、「今生きている私の耳にとどくくらいに」と、その伝承の根強さに驚嘆するものととっている。これはこれで、ちょっと苦しいようにも思うが、「整合性」の観点から評価すると、従来の解釈よりもはるかにいいと思う。こういう解釈をすることで、それ以上に悲劇であったと漆間の翁のいう宮木の悲しい物語が、これからそ手児奈伝説以上に語り継がれるだろうということになるからである。
 
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