2014年08月04日

合評会

『上方文藝研究』第11号合評会。合評会前に改めて各論文を読み、いろいろ認識を新たにした。

 濱田啓介先生の西鶴研究展望である「外濠を埋めてかかれ」の「西鶴は課して解く人」に改めて感銘する。「それは当たり前のこと」という人もいたが、西鶴にこそ最もこの言葉が当てはまるという意味でやはり噛みしめるべき言葉だと思う。福田安典さんの『好色一代男』「おもくさ」考については議論百出。注釈の方法とは?、論文のあるべき書き方とは?を考えさせられた。山田昇平さんの『以敬斎聞書』における四仮名についての論考、丁度浅田徹さんが来ていたので議論がよく絡んだ。浅田さん紹介の釈澄月書簡(なんと現代語訳付)は、近世中期における地下の歌道家化(この場合は有賀家)の問題を考える絶好の資料。加藤弓枝さん紹介の『宗匠家談話』は、蘆庵や秋成の知られざる一面をあぶり出し、澄月の歌論も知られる好資料。有澤知世さんの富川吟雪の『垣根草』利用を明らかにした論については、上方読本から草双紙への影響関係をどう文学史的に解くかについて議論となり、新稲法子さんの長岡京市正木家文書の詩稿についての紹介は、明治漢詩壇の一隅を照らす貴重な報告だが、合山さんの質疑に絡んで、明治期の漢詩史を、日清戦争や短歌革新運動との関係で考えていく視点も紹介され、島津先生の「和歌は今でも続いている。短歌は一派生形態」という和歌史観を引き出すなど、議論が面白かった。最後比較的時間を余して浜田泰彦氏の西鶴研究近況レポートの合評となったので、「文学」と「文芸」の用語問題、西鶴戯作者説の問題、研究の国際化への対応の問題など、大きな問題に展開して、議論が白熱したという感じである。

 合評会は本当に勉強になる。ブログのようなほぼ一方通行での言説では気づかない、自分の考え方の欠陥を知ったり、別の立場の意見を知ったりすることができる。また合評会は、個人の書いた論文を、同人みんなでさらに展開してゆくものであるとともに、その議論から触発されて、自らが今考えていることに大きなヒントをもらう場でもある。本誌の合評会は、大正生まれとはとても思えない鋭い切れ味の発言をされる島津先生や、遠いにも関わらず必ず参加してくださる福田安典さんが議論をリードし、それにこたえて中堅・若手が日頃の論文からはうかがえない文学研究観を披瀝するというのが、最近のパターンである。面白からずや。
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