2014年08月13日

仮名読物

 前のエントリーで報告した合評会の席上、近世文学研究の「用語」の国際化、あるいは国際的発信のことが話題になった。その際、私自身は「仮名読物」という名称を使っているということを申し上げた。たとえば科研で「「奇談」書を手がかりとする近世中期上方仮名読物史の構築」という課題名の報告書を出したこともある。「仮名読物」は、これまで「近世小説」の名称でくくられていた、仮名草子・浮世草子・談義本・読本などを全部含むのはもちろん、教訓書や心学書や仮名法語、紀行文・評判記にいたるまでありとあらゆる漢字かな交りの読物を包摂するものと考えている(片仮名漢字交じりは、漢文意識に近いので、漢文と仮名読物の境界に位置するかと思う)。「仮名読物」は中野先生のいう「戯作」よりも範囲は広い(誤解を招くといけないので言っておくが、「戯作」は「戯作」で国際的発信をすべき用語であると思っている。その範囲をどこまで広げるかは議論のあるところであるが)。
 「仮名読物」という領域を考え出したのは、「奇談」書のことを調べている最中である。「文学」という概念でこれまで弾き飛ばされてきた読物がここには沢山ある。水谷不倒の『選択古書解題』に収められたものと多く重なってくるが。「奇談」に限らず、「文学性」の薄いこういう読物を「文学史」に位置付けるには、新しい概念が必要だと思ったのである。もちろん認知されればそれでいいので、この用語を普及させようなどという野心はない。浅学菲才を顧みないとはいえ、それほど厚顔無恥でもない。ただ、ちょっと問題提起ができればとおもっているだけのことである。「奇談」についても同様だったか、これは私の思った以上の反応があったので、それなりによかったと思っている。
 そういうわけで、私が「仮名読物」という語を使うときは、ちょっと意識的に使っているということでございます。
 
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする