2015年02月26日

『叢』と小池正胤先生

『叢』36号が刊行された。
いつものように、草双紙の翻刻と研究だけを載せる。今回は8本。常に変わらぬこのスタイル。36年間である。頭が下がる。
6年前、『叢』について書いた。その創刊のころ、九州大学の国文学国語学研究室では、『文献探究』という雑誌がはじまったばかりであった。『叢』はその手作り感と院生中心という点で『文献探究』に似ていて、勝手に親近感を持っていた。しかし、その『叢』を小池正胤先生がどのような思いで創刊され、そして、叢の会という研究会で学生を育ててこられたのか、詳しいことを聞いたことはなかった。今回、それがすこしわかった。

小池正胤先生は、昨年亡くなられた。このこともブログに書いた。その追悼特集が今号では組まれている。厳しくも優しい父親、いやオヤジのような先生と、先生を慕う教え子たちの暖かい交わりがそこにはある。そうだったのかあ、ともらい泣きしそうな文章もあった。『叢』を創刊した先生の思いは、教え子たちへの限りない愛情そのものだった。

小池先生の教え子の方々の中には、私と同世代の方も多く、お仕事を一緒にさせていただいたり、議論を交わしたことなどもあるが、思えば小池先生と飲んだことはない。ないけれども、小池先生のことを思うと、そういう経験をしたような気がするのも不思議である。『叢』が今後とも、この手作り感を維持して、刊行されつづけることを願うものである。

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2015年02月23日

先学を語る 日野龍夫博士

 やっと入手、読了。『東方学』129号(2015年1月)。故日野龍夫先生を偲ぶ座談会。司会が大谷雅夫氏。出席は木田章義・田中康二・長島弘明・藤原英城・山崎芙紗子・山本秀樹の各氏。
 日野先生の本来のご専門は漢詩文であろうが、日野先生の守備範囲はものすごく広かった。秋成・宣長・蕪村から団十郎まで、雅俗にわたって何でも論じて来られた。私が大学院生のころ、先生は秋成の論文を『文学』誌上に次々に発表しておられた。どれもこれも衝撃的な論文であって、ものすごく影響を受けた。
 個人的には、学会等で何回かお話をさせていただいたことがあるが、緊張のためいつもちゃんと話せなかった。最初は山崎芙紗子さんが紹介してくださったのだと思うが、その時はもう何も話せないままで。
 もう30年近くも前だろうが、はじめて拙論への感想を葉書でいただいた時(それは、先生が使い始めていたワープロで印字されていたものだった)には、もう嬉しくて。それまではご返事をいただいたことがなかったので。『佚斎樗山集』をお送りした時には、漢文の読み誤りをご指摘くださったのがありがたくて。私にとっては、先生は「輝く星」であった。私の恩師も先生を高く評価されていたし、日野先生も恩師を非常に評価しておられた。学風はもちろんかなり違うのであるが。「秋成と時代浄瑠璃」「読本前史」などを書かれていたろ、恩師は「日野君はいま、ノっているね」と言われていた。
 それからかなりの年月がたち、先生は『国文学』に『服部南郭伝攷』の書評というチャンスを私に下さった。16年前の話。これはもう、飛び上がらんばかりの話である。今読み返すと幼い文章だが、やはり先生の文体にこだわった拙評である。その文体をどこかで「日野調」と呼んだこともある。この本は角川賞を受賞し、書評の縁であろうが、私もそこに出席させていただいた。角川賞の授賞式に出席したのは日野先生の時と、大谷雅夫さんの時の2回だけ。大谷さんの時も、ご論文を時評で長々と取り上げたということがあったので。
 日野先生に関わる私の気になっていたいろいろな話が、この座談会ではことごとくトピックになっていたので、もう面白くてたまらなかった。教え子たちが、日野先生の学風の謎を解いてゆくくだりは、ちょっともう、その場にいたら、背中をバンバンたたきたくなるような感じだろう。先生の秋成へのこだわりについてもかなり言及されている。特に、長島さんの熱い発言がいいのだ。これは近世文学研究者必読でしょう。
 
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2015年02月20日

国際シンポジウムに関するツイートまとめの閲覧者数がすごいことに

前のエントリーで紹介いたしました、2月18日の国際シンポジウムの「ツイートのまとめ」の閲覧者が、なんと1日半で、3150を突破しています。これほど関心が高いとは!
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2015年02月19日

国際シンポジウムを終えて

ひとつ前のエントリーで「最終案内」した国際シンポジウムは、ネット上でかなり評判になり、主催者の予想を大きく上回る参加者がございました。アンケートもとりましたので、どのくらい回収されているかはまだ未確認ですが、わかり次第その内容も報告したいと思います。

会場の会議室は、定員72名ですが、どんどん人がやってくるので、会場変更をしなければならないかとちょっと焦りましたが、5分前にはどうやら落ち着き、ぎりぎりで収まりました。

平日午後の開催にもかかわらず、これだけの方が集まったのは、国文研の大型プロジェクトに対する関心が非常に高いことを伺わせました。日本文学関係以外の方も非常に多かったです。古地震研究者・仏教学・中国哲学・東洋史・印刷会社の方などなど。

内容については、このシンポジウムに参加していただき、質問やご提言をしてくださった、永崎研宣先生(人文情報学研究所)が、シンポジウムに関するツイートをまとめてくださっていますので、ご興味にあるかたはこちらをご覧いただきたい。

非常にわかりやすく、かつ前向きなプレゼンをしてくださった国文研の山本和明さん、ニュージーランドで、どのように日本医学史を研究しているかというレポートを、ユーモアを交えて語り、会場をしみじみとした雰囲気に包んでくださったエレン・ナカムラ先生、台湾にあって、ハイレベルな懐徳堂研究を展開され、その成果とともに、画像データベースの重要性を説得力あるプレゼンで説かれた田世民先生、そして熱心に聴講してくださった参加者のみなさまに、主催者として心より感謝申し上げます。

 その後の懇親会も大変盛り上がり、そのまた半分ほどは二次会へなだれ込んだのでした。
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2015年02月16日

最終案内 2/18「歴史的典籍画像の30万点Web公開と国際共同研究」

 国際シンポジウム〈日本研究の新地平〉「歴史的典籍画像の30万点Web公開と国際共同研究」の開催が迫って参りましたので、あらためてアナウンスいたします。国文学研究資料館の大型プロジェクト、歴史的典籍画像30万点Web公開は、国際的な日本研究に今後どういう影響をもたらすでしょうか。国文学研究資料館で事業を推進している山本和明氏と、台湾で懐徳堂研究を進める田世民氏(淡江大学)、ニュージーランドで日本近世医学史研究を進めるエレン・ナカムラ氏(オークランド大学)をお招きし、国際共同研究の未来を占っていただきます。
 入場無料・予約不要・使用言語日本語ですので、この際、この大型プロジェクトの内容について知りたいという方や、画像データベースの公開やシステムなどについて要望のある方をはじめ、興味のある方は是非、ご参加ください。

日時 2015年2月18日(水) 13:30〜17:50
会場 大阪大学文学研究科本館2F 大会議室

プログラム
■開会の挨拶 三谷研爾(大阪大学文学研究科副研究科長) 13:30〜13:35
■基調講演 13:35〜14:30
日本語の歴史的典籍画像データベース構築計画について
発表 山本和明(国文学研究資料館 古典籍共同研究事業センター 副センター長)
                      司会 合山林太郎(大阪大学)
■招待講演  14:40〜16:40
1 世界の果てまで広がる日本の歴史的典籍と近世医学史研究
 発表 エレン・ナカムラ(オークランド大学文学部・文化語学言語学学科准教授)
                      司会 廣川和花(大阪大学)

2 懐徳堂文庫所蔵典籍の画像データベース化と懐徳堂研究 
発表 田世民(淡江大学日本語文学系助理教授)
                      司会 湯浅邦弘(大阪大学)

■共同討議  16:50〜17:50
画像データベースと国際共同研究の未来
山本和明、エレン・ナカムラ、田世民、飯倉洋一(司会)

■閉会の挨拶 谷川惠一(国文学研究資料館 副館長)

総合司会 飯倉洋一(大阪大学)

主催 大阪大学文学研究科 日本語の歴史的典籍の国際共同研究ネットワーク構築クラスター
   国文学研究資料館 古典籍共同研究事業センター

入場無料・申込不要・使用言語は日本語。
お問い合わせは、飯倉までメールで。iikura(アットマーク)let.osaka-u.ac.jp
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2015年02月14日

信州大学附属図書館所蔵多湖文庫の共同研究

鈴木俊幸・山本英二編『信州松本藩崇教館と多湖文庫』(新典社、2015年2月)が刊行された。
崇教館とは信州松本藩の藩校。多湖文庫は松本藩儒多湖家歴代史料の総称である。
その多湖文庫の学際的共同研究が一書となった。最近盛んになっている蔵書形成研究のお手本のような研究である。メンバーは編者の他に古相正美・揖斐高・高橋明彦・白井純・廣瀬千紗子の各氏。互いに気心の知れた研究仲間である。
このメンバーが、いろんな助成金をもらうのではなしに、手弁当でじっくり十数年とりくんだ成果がまとまったものである。科研などの助成金をいただくと、短期間で成果を出さねばならないが、これはそうではない。なんだかみんな楽しそうである。研究会と飲み会が一体化しているような会で、なんとも好ましい。そういえば、何度も誘われたのに、なかなか日程が合わずにこのメンバーとご一緒できなかった。
さすがに出来たものはしっかりしている。
八代安元が饅頭好きで、大坂に出て懐徳堂を尋ねる前に、虎屋の饅頭を9個食べてたといような愉快な記事もあった。とりいそぎのご紹介である。
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2015年02月13日

大和屋物語―大阪ミナミの花街民俗史

神崎宣武氏の『大和屋物語』(岩波書店、2015年1月)を読んだ。
大阪ミナミの花街宗右衛門町に、最後まで灯を点していた大茶屋の「大和屋」。その伝統ある料亭の女将阪口純久(きく)さんの語る大和屋の歴史を神崎氏が聞き書きしたものをベースに書かれた貴重な花街民俗史である(以下は「物語」の中にはいるので敬称略で)。

明治10(1877)年に「置屋」として開業した大和屋は、創業者の跡を継いだ純久の父祐三郎(すけさぶろう)が置屋を兼ねるお茶屋とした。祐三郎は芸妓を育てる学校を設立し、また自前で料理を出す料理部を創設した。これは実は大変なこと。料理も芸も一級の大和屋のお座敷文化が誕生し、豊かな上方文化を育んでゆく。大和屋芸妓学校から育った芸妓は昭和48年の閉校まで約1000人を数えるという。純久自身も物心ついたころには芸事の稽古をしていた。料理の膳組みはため息の出るような凝ったもので、まこと、お座敷で心づくしの酒菜(さかな)を味わいながら芸妓のもてなしを受けるお座敷の醍醐味(これこそが上方花街文化の精髄)というのを、一度ぐらい味わってみたかったなあという感想が自然にわき起こってくる。
さて、純久は父祐三郎のあとをうけて大和屋を継ぐが、それは上方文化の継承でもあった。伝統の継承ためには、常に動き続けなければならない。そのための純久の努力は賞賛に値するものだ。たとえば「大阪万博」への芸妓の参加。認められてからの協賛金集めに120社を回ったという。そこで集まった資金の余剰金が、上方文化芸能協会の基金になる。
花街の芸事の伝承に奔走する孤軍奮闘に等しい純久の活動をみて、懇意の司馬遼太郎は財団の創設を提唱する。昭和58年のことだ。上方花舞台の開催や今宮戎の宝駕籠、住吉のお田植、天神祭の船渡御などの伝統行事への参画・協賛。財界の重鎮や府知事・大阪市長らが名を連ねた。その財団が上方文化芸能協会である。
阪口純久の花街文化継承の志は純粋なものだ。父親譲りの性格で、「自らが企画し、自らが奔走し、自らが穴埋めをして、なぜそこまでやるのか。と、その内情を知った者なら誰もがそう思うであろう」(185頁)。
神崎氏は、阪口父娘の伝記を竪筋に、大和屋のお座敷文化や年中行事を通した民俗誌を横筋に、自在に筆を運んでゆく。

実はここ7.8年ほどは、大阪大学文学研究科も上方文化芸能協会(現在は関西21世紀協会と連携しその中で独立の部として活動している)の運営のお手伝いをしており、私も全く非力ではあるが委員のひとりである。機関誌の『やそしま』の編集企画会議で女将とご一緒することもあり、ここに描かれた通りの女将のお人柄には常々敬意を抱いている。ただただ勉強させていただくばかりである。
いまはお茶屋の大和屋はないが、心斎橋の大丸には料理屋「大和屋」を出すなど、活動は続いている。女将もまだまだお元気で活躍されている。本書はそういう女将が語ったミナミの花街文化を知ることの出来る貴重な本である。


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2015年02月11日

書物学 第4号

毎号、読みどころ満載の『書物学』が第4号を刊行(勉誠出版、2015年2月)。
執筆者に知人が多いこともあって、楽しく読んでいる。

特集は「出版文化と江戸の教養」で、鈴木健一・川平敏文・佐藤至子各氏の鼎談である。
鈴木健一さんがホストで、近世前期の「教養」を川平さんが徒然草受容を視点として語り、近世後期の「教養」を佐藤さんが戯作を通して解説するという枠組み。川平さんの徒然草受容史の薀蓄はさすがであるが、注釈書の流れを、深化→集成→一般化→個性化と整理するのも大変わかりやすい見取り図である。2月に出版される予定の論集が待ち遠しい。
一方佐藤さんは一般向けを意識して、わりと有名な作品を解説してくれているので嬉しい。合巻の『児雷也豪傑譚』で、児雷也が源氏物語を読んでいる場面は、『偐紫田舎源氏』を踏まえているのではという指摘はさすがである。

中野三敏先生・鈴木俊幸さん・佐々木孝浩さんの連載も毎回楽しみである。
合山林太郎さんと井田太郎さんの文章には、次代の研究をになう若手とて頼もしさを感じた。
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2015年02月08日

【再掲】研究会:近世における天皇歌壇とその周辺(教室変更)

(教室を変更したそうですので、訂正しておきます)
近世の和歌・歌壇についての研究会のお知らせです。

科研基盤(C)「光格天皇を中心とする堂上歌壇の実態と文芸ネットワークについての研究」(研究代表者:盛田帝子)の主催するもの。連携研究者である私は司会担当ですが、大谷俊太さんの講演をはじめとして、発表者・内容ともに大変充実したものになっております。公開ですので、興味のある方は是非、ご来聴ください。

近世における天皇歌壇とその周辺

日時 2015年2月28日(土) 13:00〜17:10
会場 大手前大学 さくら夙川キャンパス A棟2階 A24a教室

講演 京都女子大学 教授 大谷俊太  13:00〜14:00
演題 後水尾院の和歌と歌学
質疑応答               14:00〜14:10
       (休憩 10分)
研究発表
1、日本学術振興会特別研究員 山本嘉孝 14:20〜14:50
  題目:「近世中期儒学における和歌受容 ― 中村蘭林『寓意録』を中心に」
  質疑応答              14:50〜15:00
2、豊田高専 准教授 加藤弓枝     15:00〜15:30
  題目:「板本『六帖詠草』考―小沢蘆庵と門弟たちのねらい」
  質疑応答              15:30〜15:40
        (休憩 10分)
3、大手前大学 准教授 盛田帝子    15:50〜16:20
  題目:「賀茂季鷹と転換期京都歌壇―妙法院宮真仁法親王との関わりを通して」
  質疑応答              16:20〜16:30
4、京都学園大学 准教授 鍛治宏介   16:30〜17:00
  題目:「江戸時代後期、手習教育における和歌学び」
  質疑応答              17:00〜17:10

総合司会 大阪大学 教授 飯倉洋一

主催:科学研究費基盤研究(C)「光格天皇を中心とする堂上歌壇の実態と文芸ネットワークについての研究」(研究代表者:盛田帝子)
連絡先:大手前大学 総合文化学部 盛田帝子 mteiko(アットマーク)otemae.ac.jp

会場の大手前大学さくら夙川キャンパスの住所は〒662-8552兵庫県西宮市御茶家所町6-42。JRさくら夙川駅から徒歩7分、阪急夙川駅から徒歩7分、阪神香櫨園駅から徒歩7分です。当日いらしてくだされば結構ですが、あらかじめご連絡いただければなおさらありがたいということです。
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2015年02月06日

北陸は熱い

『北陸古典研究』第29号を拝受した。

 丸井貴史さんの「白話小説訓訳の試み(一)」は、『雨月物語』「菊花の約」の典拠である白話小説の訓読と現代語訳。今後教室での『雨月物語』演習での必読文献になるでしょうね。実は今年『雨月物語』演習をやる予定ですので、私にとってもありがたいお仕事です。

 シンポジウム「(江戸の小説は)どう読まれるのか/読まれたのか」発言録。木越治さんと井上泰至さんの貴重報告を基に、北陸の誇る論客だちが、戦わす文学論議。途中からこれは酒席?と思うほどの、熱い「放談」状態。いい。文学が好きな人たちの議論を読んでいると、懐かしい感じがする。
 
 なぜ懐かしいのか?北陸古典研究の会には1度だけ参加したことがあったけれど、それは2001年のこと。翌日、まだ福井にいた現同僚の岡島昭浩さんに福井を案内してもらった記憶がある。2001年というのは、岡島さんご教示である。その時の雰囲気を思い出した。山下久夫さんに誘われた記憶がある。小林一彦さんや山本淳子さんも発表していたのではなかったかな?

 北陸古典研究会のメンバーの文学への思いは一様に強い。名古屋の「書物派」に対して「文学派」という感じである。名古屋は名古屋でまたすごいけど。
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怪異・妖怪文化の伝統と創造

国際日本文化研究センターの小松和彦氏の編まれた、国際研究集会報告書『怪異・妖怪文化の伝統と創造―ウチとソトの視点から』(2015年1月)が刊行された。2013年11月に3日間にわたっておこなわれた国際研究集会の報告書で22名が執筆。序の小松氏の「妖怪研究の新たな出発に向けて―若干の回顧と展望」は、自ら牽引してきたここ30年ほどの妖怪文化研究を振り返り、とりわけ日文研が妖怪文化研究の拠点となっていく過程を、共同研究、学際化、データベース構築などをキーワードに総括する。小松氏の『異人論』や『憑霊信仰論』などに感化を受け、わかいころかなりはまっていた私としては懐かしい限りである。しかしその後の妖怪研究はフォローできてなかった。今回この小松氏の文章には、なるほどそうだったのかと感銘を受けた。
個別の論はまだめくっただけだが、面白そうなものが並んでいる。とくに第3セッションの香川雅信・木場貴俊・今井秀和・門脇大の各氏の論には惹かれる。今日はここまでとしておくが。
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2015年02月05日

平成27年度懐徳忌のご案内

少し先の話ですが、新年度早々に行われる懐徳忌のご案内です。
懐徳堂の歴代学主や関係者、懐徳堂記念会に貢献した人々を追善・顕彰する催しです。
下記のとおり行われます。

◆日 時:平成27年4月4日(土)
◆場 所:誓願寺(大阪市中央区上本町西4丁目)
    (大阪市営地下鉄谷町九丁目下車、上町筋を北に徒歩10分)
◆内 容:11:00〜法要・墓前祭 11:30〜講演(約一時間の予定)
◆申 込:懐徳堂記念会事務局まで御連絡ください。参加費等無料です。
     電話・ハガキ・FAX・メール何でも結構です。
◆講演要旨:晩年の五井蘭洲
                寺門日出男(都留文科大学教授)
 五井蘭洲は、懐徳堂の学風を確立した人物と高く評価されていますが、その思想・履歴・業績のいずれも、まだまだ明らかにされていない点が多いように思います。今回の講演では、蘭洲が中風に罹って以降、どのように過ごし何を考えていたのかを、現存する資料をもとに、考えてみたいと思います。また、竹山をはじめとする懐徳堂の人々が、どのようにして蘭洲の業績を後世に残したかという点にも言及する予定です。
記念会のHPはこちら
なお懐徳堂記念会事務局がツイッターを始めました。こちらです。
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西鶴研究会、今回は武家物特集。

西鶴研究会の案内が来ましたので、情報提供いたします。今回は、西鶴武家物特集ですね。武家物がいちばんホットなところなので盛り上がるのではないかと。さて、行けるかなあ。発表要旨も。

日時    3月26日(木) 午後1時30分より6時まで
場所    青山学院大学 総合研究ビル9階、第16会議室
内容    研究発表、並びに質疑応答、討議

発表題目および要旨

◆『新可笑記』巻一の四「生肝は妙薬のよし」考

大阪大学(院) 仲沙織

『新可笑記』(元禄元年十一月刊)巻一の四は、典拠として孝女の生肝がとられるも仏が身代わりとなって命が助かるという枠組みの先行作品、古浄瑠璃『阿弥陀胸割』(冨士昭雄氏)・『清水寺利生物語』(広嶋進氏)が既に指摘されている。しかし、巻一の四では典拠のような仏の奇瑞は起こらない。冒頭に「忠ある武士孝ある娘の事を語りつたへり」とあるが、巻一の四は生肝をめぐって、主君のために「忠ある武士」が「孝ある娘」を殺害する内容となっている。
先行研究においては後半部の武士による発言の内容も含め、〈忠〉と〈孝〉との関係性―その矛盾や対立などが中心に論じられてきた。本発表ではこの問題と結末における侍の往生の意味について考察を行う。また、従来殆ど顧みられてこなかった母親や周囲の人物の設定における工夫、そして『本朝二十不孝』巻二の二「旅行の暮の僧にて候」との関係を指摘し、巻一の四の新たな読みを試みる。

◆『武家義理物語』をどう読むか?
― 巻二の一、巻二の二の敵討事件と序文をめぐって ―

佛教大学 浜田泰彦

 『武家義理物語』(以下、『武家義理』。)「身代破る風の傘」(巻二の一)と「御堂の太鼓打つたり敵」(巻二の二)は、二編一連の物語である。また同時に、貞享4年6月に発生した御堂前敵討事件を取り込んだ際物でもある。
 『武家義理』刊行直前の事件より材を得た上記二話は、本部実右衛門と島川太兵衛(後に「本立」と改名し、出家)が、阿波新橋での衝突事件により敵討ちへと展開したため、本作序文の「時の喧嘩・口論自分の事に一命を捨ることはまことの武の道にはあらず」なる一文に矛盾するのではと指摘されてきた。たとえば、吉江久弥氏はこの一件を「武士の本意に外れた行為であ」ると指摘した上で、『武家義理』は「肯定的主題」に「否定的主題を副え」た「複合の主題から構成せられ」た作品であると総括する(「『武家義理物語』論―『武道初心集』との関係から」『西鶴 人ごころの文学』1988年・和泉書院)。
 だが、はたして西鶴が刊行直前に発生した事件を、わざわざ「否定的主題」として取り入れるであろうか? 
 実際、敵討の契機となった事件の場面を読み直すと実右衛門は、太兵衛と傘が接触したのを咎めたのではなく、太兵衛が「これは慮外」と「推参なる言葉」をかけられたために、武士として引くことができなくなったと描写されている。その意味で、「時の喧嘩・口論」には該当しないのではあるまいか。
 本発表では、西鶴が御堂前の敵討ちを「武士の本意」として描いたという立場から、解釈を行っていく。

◆近世刊行軍書と『武家義理物語』― 青砥説話の生成と展開
               
防衛大学校 井上泰至

元禄を十七世紀の文化・文学の頂点に位置づけ、寛永・寛文期をそれへの助走と考える見方を一旦措いて、むしろ寛永・寛文の文化にはそれぞれ代替え不可能な価値があり、十七世紀の文学史を、隣接他分野からの視点も導入して、新たな視点から捉え直す。――この課題に取り組むに当たって、西鶴とその時代に繋がる武士道観を探索していくやり方をすると、後世の展開を知っている我々の予見から、寛永・寛文の文化・文学を矮小化して捉えてしまう危険性がある。
通説の武士道観は、戦国の気風を残した、暴力を推奨する「武道」「武士道」から、太平の世に適応した官僚的な「士道」への変化を見てとる考え方で、西鶴の武家物理解にもこの公式を当てはめられてきた。しかし、「武士道」から「士道」へという公式は、近代の倫理学の成果に過ぎず、その変化が画期的になされたものでもない以上、こうした公式の当てはめは、「慶応三年(一八六七)に、「吾輩は猫である」「こころ」の作者、夏目漱石が生まれた」という「歴史叙述」のような、現代と当代を無造作に混在させるやり方と同断である。西鶴は「武士道」「士道」の双方を意識しており、かつ現実の武士の間では元禄に近いあたりまで、勇武の武道は実践されており、そこに近代の倫理思想史からイメージしがちな公式的な転化は求むべくもない。
今回は、『武家義理物語』巻一の一「我物ゆへに裸川」を取り上げる。この話は、作品の顔となる冒頭話であると同時に、寛永・寛文期にそれぞれ重要な軍書で取り上げられた青砥藤綱の説話を取りこんで、そこに新たな視角を導入した西鶴版青砥説話となっており、西鶴の小説的達成という公式に乗ることなく、「士道」的なるものがどのように説話として形成・流布され、そのイメージをどう使いながら西鶴は己の小説を書いたのかを問うのに格好の題材が揃うからである。
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再び国際シンポジウムのご案内

先にご案内した、国際シンポジウム「歴史的典籍画像の30万点web公開と国際共同研究」の案内が、大阪大学文学部・文学研究科のホームページに掲載されております。お誘い合わせの上ご参加ください。こちらです。
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