2015年08月31日

くずし字学習アプリ開発のためのアンケート実施中

(当面、このエントリーが先頭に来ます)
私たちの科研(挑戦的萌芽研究)プロジェクト「日本語の歴史的典籍に関する国際的教育プログラムの開発」では、くずし字をスマホで学習するアプリの開発を行うため、「くずし字学習・教育」に関するアンケートをWeb上で実施しています(日本語・英語)。くずし字を読みたい!と思っているすべての人々は、このアンケートにお答えいただければ幸いです(主として海外の方を想定していますが、日本人の方も大歓迎です)。アンケート回答時間は3分ほどです。アンケートにお答えくださった方のうち、連絡先を教えてくださった方には、アプリ試作版が完成した際にご連絡いたします。

アンケート回答のURL
http://goo.gl/forms/9MvSY0JAD5

【アンケートの冒頭】
日本語の歴史的典籍及びくずし字の学習・教育に関するアンケート
QUESTIONNAIRE ON LEARNING AND TEACHING PRE-MODERN JAPANESE TEXTS AND KUZUSHIJI (HENTAIGANA AND CURSIVE SCRIPT)

このプロジェクトでは、主として外国の研究者・学生の方を対象とする、日本語の歴史的典籍の効率的学習・教育のためのメソッド開発を目指しています。日本語の歴史的典籍とは、1867年以前(江戸時代以前)に書かれた、変体仮名などの古い日本語の字体で書かれた書籍のことを指します。
The purpose of this project is to develop a methodology for assisting mainly foreign researchers and students in learning and teaching pre-modern Japanese texts effectively. The term “pre-modern Japanese texts” designates any text that is written before 1867 (up to Edo period) using obsolete Japanese script such as hentaigana (lit. variant kana).
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下記のリンクからアンケートに回答してくださいますようお願いします。記述回答は、日本語または英語でお願いします。
Please answer the Questionnaire from he following link. If the question requires your description or comments, you can write in either Japanese or English.

http://goo.gl/forms/9MvSY0JAD5
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2015年08月29日

もうひとつの大石良雄逸話

山科蟄居の時、北野天満宮に息子大三郎を連れて行った大石良雄。絵馬堂で宇治川先陣や草摺引の絵馬を見ていたら、息子が馬上で琵琶をひく王昭君の絵馬を指して「あれは?」そこで王昭君悲話をひとくさり、大江朝綱の漢詩「王昭君」を朗詠していると、社僧が通りかかってその詠み方はどうかと非難する。わけを聞くと徒然草をふまえつつ「名利」の説を説く。含むところあった良雄は感銘を受ける。再び社僧を訪ねたときには、姿を消していた。もちろん虚構の逸話。

初期読本『新斎夜語』の第一話である。この話をどう読み解けばよいのか。いちおう考えたところを本日の京都近世小説研究会で発表します。15時から同志社女子大学栄光館で。先鋒の中村綾さんも『新斎夜語』第七話の典拠について発表をします。『新斎夜語』、徳田武先生の研究くらいしかありませんが、なかなか面白いです。
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2015年08月02日

あるようにあり、なるようになる

 入不二基義さんの新著『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』(講談社、2015年7月)が刊行された。運命論というのは、上田秋成の中にもあって、それは王充『論衡』の用語である、「命禄」という語で展開される。歴史的人物にも、己自身にも使う。「運命」という言葉と似ているが、少し違う。「禄」というくらいだから、なにか与えらるたものというイメージだ。だから「命禄が薄い」という言い方がある。
 入不二さんの運命論は、当然西洋哲学の流れに位置するもので、アリストテレス以来の運命論を通して、新たな運命論を提示しようとするわけである。それを入不二さん独特の言い回しで、

 私はこれから、その運命論を少しずつ移動させて、書き換えることを試みる。

と言う。そうすると今までとは違った運命論が生まれるということだろう。
 装幀が非常に、シンプルなように見えて、なにか意味ありげな凝り方である。

 きっと本書は、私にとって特別な1冊であり、主著と呼べるものに仕上がっていると思う。

と、「あとがき」には書かれている。

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可能性としての古典籍(2日目)

 10時30分からのパネル「総合書物学への挑戦」には、国文研から、陳さん、落合さん、入口さんが報告。国文研で、新しい学問領域を提唱しようとする共同研究の各代表者である。とりわけ入口さんの発表は、30万点の画像データを全部見るという前提での研究の可能性を探るもので、本のレイアウトや、文化としての表記を、それこそ領域の垣根を超え、「書物」という1点の共通点を土台に、しかも現物ではなく画像データでできる研究を具体的に提案するもので、刺激的な発表だった。
 落合さんの書誌学用語の再検討という課題には、ディスカサントという立場上、厳しめのコメントをしたが、この発表をきっかけに、私の中で、国際的な古典書誌学のありかた、画像データベースに付加すべき書誌事項についての考えがかなり整理されたので、ありがたかった。「奥書」と「識語」が混同されている例を挙げておられたが、それを間違わないためのひとつの前提として、当該テキストが成立した時に書かれたもの(印刷されたもの)と、その後に書かれたもの(捺されたもの、貼られたもの、挟まれたもの)との書誌事項を区別するフォーマットが国際的には望まれるのではないかと思ったのである。
 そして、聴いている方は冗談だと思われたかもしれないが、画像に現れない情報のひとつとして、紙質と関わることだが、「重さ」を量るというのはどうだろうと提案した。国際的には、この情報、結構重要だと思うんだがなあ。
 そのあとのコニツキー先生のご講演は、古活字版から整版へ移行する理由のひとつとして、「振りがな」の問題があるという、スリリングな仮説の提示であった。これまた面白い。その後、以前からの予定があって、やむをえず退席したが、あと二つのパネルも盛り上がったことであろう。
 
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