2016年01月30日

師恩―忘れ得ぬ江戸文芸研究者

岩波書店刊。
我々のような日本近世文学を学ぶ者にはこたえられない1冊である。
中野三敏先生が謦咳に接した師友・古書店主34名。その一人一人のエピソードが現代畸人伝たりえている。
その豊かさ。研究を続けていて一番有り難いと思うのは、人との出会いである。
中野先生の学問の広さ・豊かさは、この人々の名前を並べるだけで、なるほどそうかと思わされる。
和漢・雅俗・硬軟・理論派と実証派、京都学派に早稲田学派、大学教授と在野の方。その幅の広さ。
どの方にも、等しく可愛がられ、リスペクトされ、親しくされていたところに、先生の学識と人柄がうかがえる。
どの頁を披いても面白く、また中野先生の今の研究観・大学観・教師観・文化論などが挟み込まれているのが、絶妙の味である。
私が、たったひとことでも言葉を交わしたことのある方は、この中で11名であった。どういう言葉を交わしたかというのは、すべて状況とともに記憶がある。すばらしい先生方ばかりである。
 
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2016年01月23日

漢文学と俗文学の交流

昨日は徳田武先生が、大阪大学に来学され、ご講演を行った。日本漢文学プロジェクト(合山林太郎さん代表)の企画で、そんなに大きな宣伝もしていないのに、50名ほどの方が参加された。参加者名簿は未確認だが、阪大関係者以外の方も少なからず聴講しておられた。
秋成を軸に、漢文学者と俗文学の担い手の交流の具体的様相を、資料を丁寧に読みこみ、また突き合わせて、非常に説得力のある結論を導かれておられた。先生がいずれ公にしようとしている「とっておきのネタ」を、阪大で一足早くご披露していただいた形である。
その結論というのは・・・、おっとここではちょっと申し上げられないが、秋成研究の立場から見ても、唸らされるものである。ひとつの推理であるが、非常に可能性の高いことだと思う。
徳田先生の御子息が阪大のすぐ近くにお住まいということで、御子息もいらっしゃていた。企業におつとめということで、なかなか、お父様のご講演を聴く機会はないだろうから、それもよかったと思う。
懇親会でも、非常に有益なお話を伺えた。秋成研究者は、私も含めて漢文学をきちんとやるべきところ、手が回っていない感じがする。いや、秋成研究者に限らないようで、講演の最後のあたりで、ある画賛の詩の読み方の誤りを指摘しておられたが、ゾッとした。
上方では漢文学者と俗文学者の交流が江戸のように別々にはっていない、その理由についてもお考えをきくことができた。
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2016年01月16日

死首の咲顏

 2014年4月から、放送大学大阪学習センターにて、原則月1回のペースで、勉強会と称して、上田秋成の作品を読んでいる。まず『雨月物語』を読み、次に『春雨物語』。序、血からびらから読みはじめて、今日は「死首の咲顏」を読んだ。「死首の咲顏」は、明和4年12月に洛北で起こった、渡辺源太という男が、妹の思い人の家に出向いて、妹の首を切るという衝撃的な事件を元にした作品で、事件後ただちに歌舞伎にこの事件のことが取り込まれ、また建部綾足も短期間のあいだに雅文小説『西山物語』として作品化した。事件の40年後、当事者の渡辺源太に会って感銘をうけ、事実を忠実に伝えんとする目的で『ますらを物語』(仮題)という文章を書いた。しかしどういうわけか、その二年度に再び大きく虚構を織り交ぜた「死首の咲顏」を書いて、『春雨物語』(文化五年本)の一編としたのである。秋成七十五歳の時の話。
 この作品のポイントになるのが、元になる事件でいえば源太の妹やゑの恋人右内に相当する「五蔵」の人物像である。『ますらを物語』とはかなり違うふるまいをするこの人物こそが秋成が描きたかった青年像だという点においては、従来の説はほぼ一致している。いわく「かひなき男」、いわく「優柔不断」・・・。あまり肯定的ではなかった。しかるに近年、高田衛氏は、この五蔵の、はっきりしない態度(自宅に帰れば結婚に反対の親に従い、恋人の家にくれば「僕を信じて」という)は、筋が通っているという説を発表した。物語ざまのまねびの上に、現実社会の倫理を置いたこのストーリーでは、物語的な恋愛と現実の家父長制の縛りの両方を具現しなければならない五蔵は、しかるべき言動をしており、ブレはないというのである。
 これは非常に面白い。かなり力業ではあるが、読みとして魅力的だ。
 「死首の咲顏」は、有力研究者がこぞって作品論を試みている作品であり、その視点はそれぞれ独自である。五蔵の性格を「血かたびら」の平城帝の「善柔」と重ねた揖斐高氏、五蔵の父で結婚に反対を貫くキャラクターの五曾次の俗なる言葉に注目した木越治氏、「墓の物語」の痕跡をみる長島弘明氏らが、最近の説であるが、それぞれに興味深い。この作品は、@秋成が唯一当事者に取材した事件の物語化、A同一題材でかなり違う二作を作った唯一のもの、Bその二作は、文化四年の草稿投棄事件の前後。というような特別な要素を持っており、『春雨物語』を解く鍵になる作品の一つである。
 私は『春雨物語』の中で、半分以上の篇について論じてきたが、「死首の咲顏」については独自の議論を展開できそうになく、論じたことがない。しかし、きわめてレベルの高い議論が展開されている本篇を論ぜずして、『春雨』を論じたことにはならないだろうと今回痛感した。書く意欲が少しではあるが涌いてきたので、ここに備忘録として書いておくことにする。
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2016年01月15日

板木に関する研究会in立命館大学

ノートルダム清心女子大学の藤實久美子さんからの情報。
藤實さんが代表の、科研基盤研究(B)「官版日誌類に関する史料学の構築および戊辰戦争期の情報と地域に関する学際的研究」が主宰する公開研究会が、立命館大学で行われる。

日時 2016年2月11日(木)
13:30会場  14:00〜17:00

講演 板木観察と出版研究  
講師 金子貴昭 (立命館大学・衣笠総合研究機構・准教授)
コメント 「板木『諸侯要覧』と幕末維新期の武鑑出版」 
   藤實久美子(ノートルダム清心女子大学文学部・教授)

会場 立命館大学衣笠キャンパスアートリサーチセンター、多目的ルーム

参加無料。
参加申し込みは、東京大学史料編纂所の研究会参加登録フォームから申し込みを。
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/footer/seminar-entry.html

板木の実物を見ながらのおはなしのようです。

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2016年01月13日

無料の文楽入門教室 in 池田市

大阪府池田市で、無料の文楽入門教室が開催される。近松研究所の水田先生からの情報。

太夫・三味線・人形遣い解説や体験、また演目(抜粋)を上演し、文楽の魅力を分かりやすく解説するということだが、演目は『伊達娘恋緋鹿子』より「火の見櫓の段」。八百屋お七の世界。
とき  平成28年1月30日(土)
  午後2時〜3時30分 (開場 午後1時30分)
場所 池田市立くれは音楽堂(池田市姫室町10−1、呉服小学校内)
定員 240名(先着順)
申込み方法 電話にて事前に生涯学習推進課(072-754-6295)まで申込みということ。
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2016年01月10日

徳田武先生の講演会が阪大で開催されます。

講演会のお知らせです。合山林太郎さんプロデュースです。
わが国際古典籍学クラスターも主催に名を連ねています。懐徳堂記念会も共催です。
徳田武 明治大学名誉教授
「大坂における漢文学と俗文学の交流-中井履軒・頼春水・与謝蕪村・上田秋成・角田九華-」
2016年1月22日(金)
午後4時30分〜午後6時
大阪大学豊中キャンパス 文学研究科本館(4階)461教室

主催:日本漢文学プロジェクト共同研究チーム、大阪大学大学院文学研究科日本語の歴史的典籍の国際共同研究ネットワーク構築クラスター(国際古典籍学クラスター)
共催:一般財団法人 懐徳堂記念会
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2016年01月09日

大阪大学国語国文学会

毎年1月第2土曜日に行われるこの学会は、午後、院生の発表3本(国語・古典・近代)と講演1本というのが標準のラインナップである。今年は例年と違って、コーエンはコーエンでも、プロの講談師の口演をお願いした。
旭道南海師。実は大阪大学文学部の国文出身の方。奥様もそうらしく、指導教員は伊井春樹先生だったという。今日は、伊井先生も久しぶりにおいでになり、非常に盛り上がった。講談は「真田幸村の大坂入城―『難波戦記』から」で、1時間、たっぷりと聞かせてくださった。みなさん食い入るように聴き入っていた。流石である。院生は、本居宣長の国語学、山東京伝の交遊関係、太宰治の新ハムレットというラインナップであった。それぞれに有意義な質疑応答だった。学内学会というのは同窓会的側面があって、独特の雰囲気がある。今回はいろいろな要素があって、その同窓会的な感じがいい意味で前面に出ていたように思う。東京から来てくださった福田安典さんの「自分の指導教員が去ったとしてもここにはきましょう!」という言葉が印象的であった。懇親会席上で、ある教え子から「『上田秋成研究事典』読みました。「菊花の約」の研究史、すごいですね」と言われた。「すごい」というのは、私の論文の批判のされようについてなのですが・・・・。でも、どうやら反論の場がありそうなので、近いうちに発表いたします。
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2016年01月05日

『書誌学談義 江戸の板本』が文庫に

引き続き中野三敏先生関係だが、名著『書誌学談義 江戸の板本』が岩波現代文庫から、文庫版として装いも新たに登場した(2015年12月)。言わずと知れた板本書誌学のバイブルである。江戸の板本を扱う人、板本の知識が必要な人は、座右に置くべきである。近世文学を卒業論文に選んだ人、そして日本文学(日本美術史などの関連分野もふくめて)を研究するすべての大学院生だけでなく、日本古典を扱う大学・高校・中学・小学校教員は必読だと思う。古典の見え方が変わってくるはずだ。あとがきでは和本リテラシーの必要性が説かれている。日本近世文学会の「和本リテラシーニューズ」をはじめとして、先生のこのご主張は近年ようやく理解されてきたところがある。むしろ海外の大学での変体仮名学習アプリの開発や、くずし字教育の普及にみるように、世界の方が敏感に反応しているとも言える。私たちが取り組んでいるくずし字学習支援アプリの"KuLA"も、「板本が読める」を目標に、板本から文字を集めている。"KuLA"で勉強する人にもお勧めの一冊である。スマホ用くずし字学習支援アプリの"KuLA"は、2月17日前後に公開予定。
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2016年01月04日

雅俗小径

中野三敏先生の傘寿を記念する小冊子『雅俗小径』(雅俗小径刊行会、非売品)が、昨年末、傘寿祝賀会において披露され、関係者に配布された。執筆者は、中野先生のご講筵に連なる者、雅俗研究会のメンバー併せて25名。宮崎修多序(擬古文)、研究余滴編は板坂耀子さんほか、懐旧雑記編は白石良夫さんほか、これはほぼ同数。編者の川平敏文さんがあとがきを書かれている。『雅俗』会員には配布されるとか聞いたような気もするがよく知らない。研究余滴の中にも懐旧的な内容が含まれたりしており、読んで楽しいものである。私は「時代の先をゆく中野先生」と題して書いた。
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2016年01月01日

上田秋成研究事典

あけましておめでとうございます。本ブログも9年目に突入しました。今年もよろしくお願いいたします。

笠間書院から、『上田秋成研究事典』(秋成研究会編)が、この1月に刊行される。関係者には見本がすでに配布されている。私もこの中の「秋成の和文」(400字詰原稿用紙約30枚)を執筆している。ただし、「秋成の伝記」を執筆した長島弘明さん、「秋成の学問」を執筆した稲田篤信さんもそうだが、秋成研究会に所属しているわけではなく、ゲスト格?である。それ以外は、木越治さん率いる秋成研究会のみなさんによる共同執筆である。私らの立場は、本の執筆者としては内側の人だが、非会員ということでいえば外側の人である。よって、すこし批評的に本書にコメントすることも許されるかなと思う。

『事典』を名乗っているが、研究ハンドブック的な性格を持つ。それも『雨月物語』『春雨物語』に紙幅が大きく割かれている。秋成の文業を総合的に考えれば、それはいささか偏っていると言えるが、現在までの研究状況や国際的な秋成受容の現状を考えれば、当然の措置である。雨月・春雨につては、作品別研究史という形をとっているが、こういう形で研究史を一覧できるものが、従来あまりなかったので、重宝であるとともに、やはり「作品論」が中心であるという従来の研究ドグマに縛られているとも言える。これもオーソドックスなハンドブックを作ろうとしたらそうなるのは仕方がない。『雨月』『春雨』以外の作品もいくつか取り上げられているし、それ以外の著述についても、「和文」「伝記」「学問」というトピックでカバーできるようになっている。まあ、この『事典』をひとつの秋成研究の規範とするならば、我々教員は、それを利用させていただきながら、自らの秋成観をそことのズレを強調しながら語ることができるだろう。
 
 きわめて有益なのが「典拠作品の世界」である。『雨月物語』の中国典拠について、解題、書き下し、現代語訳を付ける。長尾直茂さんと丸井貴史さんの労作である。とりわけ白話小説を担当した丸井さんのご苦労は察するに余りある。ありがとうございました。この部分、本書の白眉だと言ってよい。

 雨月の研究史は分担執筆で、それぞれが思い通りに書いている印象であるが、とくに木越治さんの「菊花の約」は、主要な論文を揚げて論評するというスタイルで他とは異なる。ここに拙論が取り上げられたのは、まことに有りがたいことで、深謝申し上げる次第であるが、ただ「きつすぎる物言い」かもね、と木越さんがおっしゃっているように、かなり批判されているのでありました・・・・。ここまで批判されると、むしろ研究者としては嬉しいわけではあるが、『事典』を名乗る本書にこうまで書かれては黙っているわけにもいきません。いささか誤解もあるのではないかと思うし、「批判として成立しない」と思われる部分もあるので、(あ、これは拙論が「作品論として成立しない」と書かれていることを踏まえているんですが)、反論を書きたいと思うわけであります。
 だが、それはともかくとして、この事典が、秋成研究史上、画期的な成果であることは確かである。とくに、卒論を書こうとする学生や、秋成を演習や講義で受講している学生には、非常に助かる本である。当然、読むように勧める。
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