2016年09月21日

ドイツの大学における教育と研究について考えたこと(補訂版)

 以下は、9月5日〜7日に行われた研究室旅行のパンフレットに寄稿した文章をアップする。一部補訂している。ドイツ滞在中は非常にいい気分で仕事ができたので、いいイメージを持っているが、ドイツにはドイツの抱えている問題がもちろんある。それを忘れてはならない。

□わずか四ヶ月余りではあるが、ドイツのハイデルベルク大学で、二つの授業科目を一セメスター(十五回)担当し、何度か研究集会に参加し、一度は発表もさせていただいた。そこで、教育と研究のことについて、私が知り得たこと、考えたことを、もとより狭い経験に基づくものではあるが書いてみたい。何かの参考になれば幸いである。
□ドイツの大学進学率は四十パーセント程度であり、余り高くはない。次に述べるように入学金・学費が無料であるにも関わらず、である。このことについて、ドイツの人に理由を聞いてみると、ドイツが学歴を重視する社会ではないからであるという。ドイツは伝統的に職人を重んじる国である。大学を出たからと言って高収入は保証されない。
□一方で、学びたい人にとって、境遇は恵まれている。なにせ教育費は公的負担により、タダである。学びたい人は何年でも在学して学ぶことができるようで、私の授業には、学部十一年目の学生が出席していた。日本の大学ならそういう学生は、ほとんど大学にも出てこない、成績のよくない学生が多いが、彼は熱心だし、不出来ではないし、教員の信頼も厚く、学内のイベントでは常に中心におり、明るく、人柄がよく、彼女もいて、学生生活を謳歌している好青年である。
□ちなみに、ハイデルベルク大学のような著名な大学だが、哲学部(文学部)の場合、入学試験はない。医学部や法学部はあるようだが、ない方が普通なのである。大学院についても入試はない。入学資格はあるが、試験はない。教員は入試業務がないわけで、その時間を授業準備や研究に割けるわけである。もちろん授業についていけない者は脱落していく。このシステムがいいかわるいかは一概に言えないが、学歴重視社会ではないゆえに可能であるとは言えるかもしれない。
□では授業はどんな感じであろうか。他の先生方も異口同音にいうのは、学生がアクティブで、疑問があれば、教師の説明中であっても、質問を投げかけてくるということである。
また、授業中の居眠りは、教師に対してきわめて失礼とされるため、ほとんどない。もっとも遅刻は結構あったことは付け加えておこう。授業のひとつは上田秋成の文学がテーマで、私にはテキストを丁寧に解釈していく「日本式」?の授業をすることが求められていたのかもしれないが、結局議論中心の授業を行った。古典文学専攻の学生が誰もいないということも理由の一つだったが、古文の理解度にかなりの個人差があり、解釈中心の授業が成立しそうになかったからである。『雨月物語』と『春雨物語』はドイツ語訳があるため、少なくともドイツ語訳を事前に読んでおくこととし、テキストとしては日本古典文学全集を用いながらも、実際にそれを細かく読んでいくことはしなかった。彼らは、女性が徹底的にネガティブに描かれる話や、喜んで死を受け入れる話に素直に違和感を表明する反面、それを面白いと受け止めることもあり、一様ではない。
□もう一コマは、くずし字学習を含む、江戸の教養についての授業であるが、結局くずし字学習中心の授業になった。参加者は八名。ここにも古典文学を専攻する学生は1名しかいなかったが、くずし字への関心は非常に高く、最初の週に紹介したくずし字アプリのテストを、次の週には、ほとんど全問正解してくる強者もいた。前週に配布した宿題のくずし字テキストを、授業では順番に読みあげて行き、文字や語彙の説明を加えるが、さらに、同席されているハイデルベルク大の先生が、ドイツ語訳させるという授業である。学生がその場で試みるドイツ語訳や、それに対する先生のコメントは全くわからないが、比較的訳しやすい教訓書をテキストとして用いていたから、学生たちもなんとか訳していたようである。しかし日本学科で学んでいるだけあって、孝悌忠信などの徳目については、さほど説明しなくても理解できているようではある。
□授業は、たとえば一限が九時から十一時までの一二〇分であるが、実際九時十五分に始まり、十時四十五分に終了する九十分授業である。休憩時間が三十分、昼休みは九十分あり、ゆったりした感じとなる。
□次に研究会へ参加した感想を述べよう。七月二十四日現在までに私が参加した研究会は、使用言語がドイツ語か英語であった。といっても参加者のほとんどは日本語もわかるので、私が日本語で質問することについては問題なかった。
□ワークショップでの発表には日本のようにハンドアウトがない。大抵の場合はスライドを使用するが、その作り方は十人十色。非常に丁寧に作ってくる人もいれば、スライド数枚の人もいる。もちろんハンドアウトを作るのが悪いことだというわけではない。持ち帰ってじっくり検討できることは喜ばれる。しかし、いくつかの発表を聴いて思ったのは、事実を明らかにするという発表よりも、こういう考え方があるという発表の方が多いので、ハンドアウトがあったとしてもその発表が終われば用済みで、学会発表や論文執筆にむけブラッシュアップする。保存することを求められないからハンドアウトは要らない、そういう論理のような気がする。
□一時間であれば、発表時間が三十分、質疑応答が三十分である。この三十分を持て余すということはまずない。日本の研究会でありがちな、発表者の不勉強な点を突いて、質問者が知識を披歴し、発表者の「その点につきましては不勉強で調査が及んでおりませんので、今後の検討課題とさせていただきます」という答えを引き出すような、一方通行のやりとりがないのである。第一、そういう質問があったとしても、発表者は「それはわかりません」とあっさり言うだけだ。
□枠組みを共有し、各々のテーマに、さまざまな観点からの見解をぶつけることで、新たな地平を拓く。皆そこを目指している。重要なのは個々の発表ではなく、枠組みの方である。したがって、ワークショップを開催する時は、ワークショップのテーマ、枠組みの作り方が重要である。ハイデルベルク大学には「クラスター」という研究組織がある。阪大の文学研究科に存在するクラスターとは似て非なるものである。全学的な予算がきちんと措置され、それ用の建物もある。ハイデルベルク大学には日本学クラスターがあり、頻繁に、講演会・研究会・シンポジウムを催している。
□私が参加した研究会のひとつは、「京都―古都のイメージ形成」というテーマのワークショップで、高木博志京大教授が基調講演された他、全部で六人が登壇した。文学・美術・歴史・前近代・近代という枠を取り払った議論が行われた。イギリス・フランス・ドイツ・スイス・オーストラリア・日本などの国々から五十名ほどが参加した。使用言語は英語だが、日本語の質問も許されたので、私も都名所図会についての発表や、古都のイメージ形成の基調講演には、質問で参加できた。タイモン・スクリーチ氏やジョルジュ・モストウ氏というビッグネームの発表も聞けた。このワークショップが大成功したのは、ひとえにコーディネーターの枠組み設定がよかったからだと思う。日本でも、インターディシプリナリティがますます重要になるだろうと実感した。
□とはいえ、彼らは、日本の実証的な研究や注釈書を利用して研究をしていることもまた事実であり、それらは非常に重宝されている。一方で、その実証の正しさや、注釈の精度について正しい評価が出来ているかどうかは問題が残る。私達は、日本文学への国際的なアプローチの仕方を知るとともに、実証的方法や、地道な注釈を捨ててもいいと言うことは決してないのである。ダブルスタンダードが求められている。
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2016年09月20日

海を渡る史書 東アジアの通鑑

 中国の『資治通鑑』、朝鮮の『東国通鑑』、そして日本の『本朝通鑑』。この3つの国の公的史書は、もちろん中国→朝鮮→日本という形で伝播し、『通鑑』文化圏と呼ぶべき歴史書の世界を形成していた。我々が近世の歴史観を考えるときに、このことは基礎的な知識でなければならない。
 しかし、東アジアの「通鑑」を総合的・多角的に、その淵源と流通、変化、影響までを含めた論集はこれまでなかったのではないか。
 日本はかつて『東国通鑑』の板木を略奪した。一方でその和刻本を作った。奇しくも20世紀はじめに和刻本の板木が朝鮮に寄贈された。500枚以上の『新刊東国通鑑』の板木である。近年、ソウル大学で金時徳氏によってこれが発見されたことを契機に、本書『海を渡る史書 東アジアの「通鑑」』(勉誠出版)が企画出版された。金氏と濱野靖一郎氏の共編である。まことに興味深い内容で、「通鑑」入門書でもあり、最新研究書でもある。
 「通鑑」(資治通鑑)の誕生と継承、『東国通鑑』の総合的検証、和刻本『東国通鑑』の流通と上記板木の現状、日本の通鑑『本朝通鑑』の内容、そして思想史的検討と、構成も見事で、素晴らしい執筆者を集めている。意をつくさない紹介であるが、取り急ぎ。
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2016年09月19日

幕末明治 移行期の思想と文化

 少しずつたまっている受贈本を。簡略になってしまいますが。
 渡独中の5月に勉誠出版から出た『幕末明治 移行期の思想と文化』。
 帯に「ステレオタイプな歴史観にゆさぶりをかける画期的論集」とあるが、この移行期を「幕末明治」と連続で捉えることが近年の流れで、従来見向きもされないような著述(言葉)やモノ、パフォーマンスを掘り起し、それぞれの歴史を捉えなおすことが各分野で成果を上げはじめている。本論集もそのながれにあるが、明星大学スタッフの研究会を母体とする論集で、多角的な問題意識をぶつけ合う開かれた議論が実ったものと見受けられる。
 編者の一人、青山英正さんの論考は、韻文史の移行期の重要要素として七五調を取り上げる。すなわち新体詩が採用したものだからであるが、長歌→新体詩という従来の視点に代えて、教訓和讃や今様という全く注目されていなかったジャンルに光を当て、五七調か七五調かという歌学的議論がやがて終焉して韻文論的議論へと解消する状況にまで論及、説得力をもって叙述している。わかりやすく、切れ味のいい論文。
 冒頭井上泰至さんの「帝国史観と皇国史観の秀吉像―『絵本太閤記』の位置」は、私の、初期絵本読本に関する旧稿が参考になったと言われていたが論文を拝読して、そう結びつくのかと驚きました。
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2016年09月18日

『春雨物語』の「命録」

 書くべきことをかなり置いたままではあるが、17日の『上方文藝研究』の合評会に参加された高松亮太氏から抜刷をいただき、拙稿も多く引用していただいているので、触れておきたい。
 『国語と国文学』2016年8月号。標題がタイトルで、「「目ひとつの神」を論じて主題と稿本の問題に及ぶ」が副題。
 主題は「命録」について。私も「憤り」との関わりで、かなり昔(大学院のころ)からこのことを考えていたが、長島弘明氏、稲田篤信氏らが、『春雨物語』の主題として考察され、各編の分析もいくつか備わっている。高松氏は「目ひとつの神」を分析。「帰郷」という行為を「命録」と結び付けて創作モチーフとする秋成の意識を抉りだした。肯ける。また、稿本間の異同は、それぞれの対読者の問題ではないかとする。これは鈴木淳氏や私と同じ立場となる。私としてはこの問題に関しては、孤立無援ではなくなってきたと大いに心強く感じる。
 蘆庵社中(富岡本系)と伊勢豪商連(文化五年本系)の二つの読者層を具体的に想定しているのだが。それに関係する情報も、合評会で知ることができた。
 滞独中に送っていたただいた御本についても、書きたいのはやまやまですが。
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