2016年10月28日
中野三敏先生の文化勲章ご受章
2016年10月28日、我が師、中野三敏先生(80歳)が、文化勲章を受章されたというニュースが飛び込んできた。おめでとうございます。弟子として、これほど嬉しいことはない。かなり興奮している。
昨年末、福岡市で、中野三敏先生の傘寿をお祝いする会が開かれた。川平敏文さん(彼も今年度の角川賞受賞!)の編集で、「雅俗小径」という記念文集がつくられ、この時先生に献呈された。私もその文集に拙文を寄せた。いま、祝意に代えてその文章をここに掲げる。
「時代の先をゆく中野先生/飯倉洋一」
中野先生と学生時代の私
教養部一留を経て、私が九大の国文学研究室に進学したのは、一九七七年の秋。もともと西洋史(ドイツ史)志望で、苦手なドイツ語を勉強するために留年したはずが、親鸞の『教行信証』や梅原猛の諸著作に影響されて国文に転向、もっとも中世仏教文学研究を志していた私は、永積安明や西尾実などを読みこそすれ、近世文学への興味は全くなかった。「中野三敏」の名も当然知らなかったし、中野先生が講義されていた「洒落本史」にも当初全く興味が沸かなかった。しかしそのうちに、『陽台遺編』の書誌学的な講義を伺うと、その推理小説的な展開に感銘を受け、同じ下宿の住人である現九州大学教授の佐伯孝次さん(日本中世史)に、ノート片手にその興奮を語るなど、次第にその魅力に惹かれていった。気づいたら近世文学で卒論を書こうとしていた。それでもまだ「何か違うな」という感じは残っていた。
もちろん、私は何も分かっていなかった。卒論構想発表会では大言壮語して先生方の顰蹙を買った。自分なりに何か国文学的ではないやり方で論文を書こうという野心があったのだろう。そのように私はいわゆる「困った学生」だったが、中野先生は寛容であり、私をいわば泳がせていたのである。これは非常に忍耐力の要ることだが、自分が教員になってからの指針になっている。「僕は教育者としてはあまり・・・」と、中野先生が仰ることを一度ならず聞いたことがあるが、とんでもない。一流の研究者はやはり一流の教育者でもあるのだ。
大学院時代の私の研究は、秋成の文章から思想的言説を抄出して論じるというもので、およそ書誌学的なことに疎かった。しかし、そのような私に一つの大きな転機があった。
それは久留米市立図書館の和古書目録を作成するという作業で、私が皆さんの取ったカードを、清書する役目を仰せつかったのであった。修士課程の三年目のことではなかっただろうか。出来上がった原稿の最終チェックのため、現物照合を行う作業を三日連続で中野先生と二人だけで行ったのである。私が目録原稿を読み上げ、先生が原本を次々に確認していくという作業。もし、その時私がもう少し近世の本についてアンテナを張っていたら、この経験はものすごい成長を私にもたらしたことだろう。しかし、私の本に関する知識は相変わらず無に等しかった。なにせ、「飛毛鏡」を「ひげかがみ」などと読んで呆れられたくらいである。それでも、この経験は中野先生の本についての知識が尋常ではないことを私に知らしめるのに十分だった。
昼食・夕食も二人だけで共にした。なんとも中野先生には物足りない相手であっただろう。その時もいろいろな事を教えていただいたはずだが、憶えているのは、「同じジャンルの本を百集めたら、そのジャンルについて物が言えるようになる。いま集めるとしたら、たとえば節用集だね」というお言葉である。「節用集」が何であるかもよくわかっていなかった私だが、そのお言葉に従っていたら、もう少しましな研究者になっていたかもしれない。
ともあれ、大本とか半紙本とかの書型を感覚的にわかるようになったのは多分この時の経験があったからであり、あらゆるジャンルの本を網羅的に見ることがいかに大事かということを確信できるようになったことは、私にとって貴重な財産であった。
西鶴戯作者説
江戸時代のあらゆる本に精通しているということがいかに強みであるか。それは、「陽明学左派の流行」や「ひとこぶラクダ説」や「江戸モデル封建制」や「近世的自我」という、これまでにない新しい考え方を提唱される時に、誰よりも江戸のことを知っている中野先生に対して、何人も「それはないでしょう」と簡単には言えないということだ。中野先生は、定説を覆すような、あるいは全く新しい概念を次々と打ち出している。そこには一本の筋が通っており、中野先生に言わせれば、当然の帰結なのである。『江戸文化再考』としてまとめられたそれらの大概は、中野先生が何度も何度もご講演(コーエン生活者と自ら称されていたが)したものの集大成で、今後の近世文学研究の指針たりうるものであることは、多くの人が認めるところだろう。それでも学界がなかなか理解せず、行き渡らない説もある。「西鶴戯作者説」がそれである。
近年、「ぬけ」や「カムフラージュ」と称して、西鶴の作品に、政治批判、権力批判を読みとる傾向が、西鶴研究者の間に拡がってきていた。とりわけ武家物・雑話物を中心に、故谷脇理史氏、篠原進氏、広嶋進氏、杉本好伸氏、有働裕氏、長谷あゆす氏らが、そのような読みを展開していた。私は外側からこれに異論を唱えて、ブログなどで発信していたためか、大阪で開かれた2010年夏の西鶴研究会にはコメンテーターとして呼ばれ意見を述べたこともあった。2013年6月、中野先生が九州大学国語国文学会で、「西鶴戯作者説」の再論を講演され、『文学』に投稿されるとうかがったが、丁度同年9月には京都で西鶴ワークショップが開催され、錚々たるメンバーが集結、中野先生も参加された。そして翌年の3月、東京の西鶴研究会に中野先生が招待され、西鶴戯作者説を語るに至った。ちょうど、『文学』も刊行されたタイミングであった。このご講演で、これまで誤解されていた西鶴戯作者説が一部の方に理解された感触を私は得た。直接語って理解してもらうことの重要さを肌で感じた瞬間であった。それにしても中野先生の質疑応答の時のご発言は、相手を重んじ、自らの非は非として認める、おどろくほど謙虚なものであった。私はそこに胸を打たれ、師の度量の大きさを、改めて痛感したのであった。
社会に向けて
この西鶴研究会は、笠間書院のご好意で設置されたサイト「西鶴リポジトリ」上で、前哨戦が行われていた。その中で木越治氏が、中野先生の『文学』誌上の論を、これは一般の読者には通じない閉じられた議論であると批判された。私に言わせれば、「作品」論がないという批判の方が「文学」研究を近代的にしか捉えないという意味で狭いのではないの?となるわけだが、木越さんの徹底した近代的スタンスはある意味尊敬できるもので、その立場からの批判はあった方がよい。木越さんへの私なりの批判は拙ブログ(2014年3月29日)に記したのでここでは繰り返さないが、中野先生の視線が、開かれていることは、〈文系基礎学〉〈和本リテラシー〉についてのご発言、その啓蒙活動からも明らかであろう。
〈文系基礎学〉が重要だというご主張は、現在の文科省の国立大学文系再編成論に対する「文学部の逆襲」議論とも重なってくるところがあり、その先駆的な言説として、大きく評価されるべきものだろう。先生は岩波ブックレットに『読切講談大学改革 文系基礎学の運命や如何に』を書かれたが、単に書かれただけではない。実際に行動をされたのである。先生は、現在の学問をリードする理系のトップクラスの研究者にこそ、〈文系基礎学〉の重要性を分かってもらう必要があると考えられ、あらゆる伝手を利用した。当時山口大学にいた私には二件来た。そのころ私の同僚が結婚したが、その相手が西澤潤一氏の娘さんであった。その同僚とは親しくもあったので、私はブックレットを持って同僚宅に頼みに行き、西澤先生との対談実現を探ったが、これはうまくいかなかった。もうひとつは、山口大学学長の広中平祐先生との対談実現であった。一介の三十代教員であった私には、厳しいミッションであったが、これはなんとか実現したかった。公設秘書の他私設秘書も雇用していたという学長は多忙を極めていた。面会を申し入れて三週間ほど経ったころ、秘書から電話があり、三十分ほど会ってくれるという。私はブックレットを持って参上し、趣旨を説明した。学長は文系の重要性はよくわかっていると言い、機関銃のようにエマーソンの話をした。いささかの不安を感じたものの、対談の申し入れには「考えておく」というようなご返事であった。それからしばらくしてまた秘書から電話があり、学長が中野先生を食事にご招待してくださるということであった。九大から、ドイツ文学の池田先生とともに中野先生が山口大学に見えられ、私もお相伴し、山口でも一番美味しい料亭とされる双鳩庵水野というところで約二時間、対談が行われた。今思えば録音でもしておけばよかったのだが、正直内容はあまり憶えていない。最初は広中先生が機関銃のようにしゃべりまくり、後半中野先生が盛り返したというような感じだったか。ただ対談を終えた中野先生のご感想は、「やはり、さすがだね」というものであった。これは広中先生が、〈文系基礎学〉の重要性を理解しているという意味で、である。今、〈文系基礎学〉のみならず、文系全般の危機が訪れている。文理という枠組みそのものが壊れかねない事態に至っている。そういう時、京大の山極壽一総長のような、理系の一流研究者の文学部擁護発言はやはり心強い。中野先生の戦略の先見性を証する例といえよう。
そしてここ十年余りの〈和本リテラシー〉啓蒙活動。これもなかなか浸透しなかったが、岩波新書の『和本のすすめ』や、角川書店のくずし字シリーズのご出版、そしてご講演活動を通じて、着実に拡がっている。日本近世文学会にこの活動をご提案された時には、冷ややかな声もなくはなかったが、今では『和本リテラシーニューズ』の刊行など、学会をあげて取り組んでいる印象があるほどだ。海外でも大きな関心を呼んでおり、私も及ばずながら「くずし字解読学習アプリ」の開発や、くずし字に関する国際シンポジウムの開催などに取り組んでいる。それらの記事をブログにあげると、拙ブログ史上かつてない大きな反響があり、驚いている。なかでも一〇〇万人いるといわれる、イケメンに擬人化された刀剣の養成ゲーム「刀剣乱舞」のユーザーが、大きな関心を持っているのだ。
まことに先生は学問においても、社会活動においても、常に、時代の先を走って来られた。私などその足跡を踏み歩いているだけのようなものである。中野先生の教え子であるというだけで、研究者にも、ある時は古書店にも、信頼されることがある。実にありがたいことで、感謝の気持ちは言葉では言い尽くせない。傘寿をめでたく迎えられたが、これからも、時代の先を行くお姿は変わらないのではないか。そのような気がしてならない。
2016年10月21日
『歳をとってもドンドン伸びる英語力』ってホント?
実は私はハウツー本が結構好きで、本屋で立ち読みしたり、買ったりするのである。影響されて真似したりすることもある。佐藤可士和氏の、空間の整理→情報の整理→思考の整理などは、真似できないけれど、リスペクトしている整理学である。野口悠紀雄氏の『超整理法』もかつて実践していたが、挫折。
英語学習についてもそうで、英語の勉強をしないくせに、英語勉強法の本が結構好きなのである。私の真の英語力を知っている人は笑うに違いない。それにしても、ドイツの4ヶ月半の滞在生活は、「あー、せめて英語でスムースに会話ができれば!」「この先生の(英語の)発表の大体の概要がつかめるくらいに聞き取れれば!」「このメールを辞書なしに読めれば!」と、痛切に思う毎日であった。それでも勉強はしなかったんだが。
そういう時に知ったのが、鳥越晧之氏の『歳をとってもドンドン伸びる英語力 ノウハウ力を活かす勉強のコツ』(新曜社、2016年10月)である。筆者は大学の学長さん。この年になると、どっかで、「これからやってもねえ」という諦めがあるのだが、そういう我々にも勇気を与えるタイトルではないか。でもさ、本当かしら。
実際、この本によれば、著者は68歳から勉強しはじめて、英語で授業が出来るくらいになったと。もっともこの先生は、英語で授業が出来るくらいの、元々英語の地力がある先生なのだ。「おまえ、自分と一緒と思うなよ!」と、当然自分で突っ込んでいるのだが、まあまあそれはそれとして、一般的な英語勉強法としても、これまで読んだ本の中で一番説得力があると感じたもので、読み流さずにメモまでとってしまったのである。といっても、九州への飛行機の片道で読んでの話だが。
たぶん英語の勉強本でブログに紹介するのは初めてである。このごろは「とにかく勇気を出して話そう」とか「大声で話そう」とか、「毎日続けて」とか、精神論のような世界になっている英語勉強本だが(立ち読みしたところそういうのが多いような気が)、この本はなんか感覚が合う。
さて、この本だが、歳をとると生物学的記憶力は落ちるけれど、ノウハウ的記憶力は伸びるという力強い仮説に立ち、自らの経験に基づいて展開するのだが、その独特のカワイイ語り口がまたなんともいえず、いいのである。
で、私が、非常に感心したのは、この先生のけっこう赤裸々に書かれている実践報告である。参考にした本がたくさんあげられていて(ということはあまり役にたたなかった本も結構読んでるなと)、かなり英語勉強本を漁ったということがわかるあたり、すごく共感を覚えるし(もっとも私は勉強を実践できてないんだが)、インターネットで文例を探したり、yahoo質問箱まで出てくるところが微笑ましいし、すごく親しみを感じるのである。何より上から目線ではないのが最高に素敵である。
単語やフレーズを覚えても「ザルに水」のように、どんどん忘れるけど、忘れてもいいんだとか、気が向かないときにはやらなくていいかもとか(それでいてそこはちょっと自信なさげだとか)、なにか安心する。たしかにシニア向けである。いろいろな英語勉強法を試してみて、自分に効果のあったものを勧めるというのが基本である。そういう勉強本を具体的に教えてくれるし、リスニングにいい番組や映画、英語DVDをみながら学習するときにいいソフト、Youtubeの具体的活用法など、とにかくすぐ試したくなるようなものばかりである。
でも、さすがに学者として一流だと思うのは、たくさんの英語勉強本から、箴言のような珠玉の言葉を引っ張ってくるその的確さ。たとえば外国語は、上手にならなくても、ちょっと学んだだけでも実践すると意味があるっていうのは、まさしくその通りで、モチベーションが高まる。わずか数十語しか運用できないドイツ語でも、それを使えばドイツの人は喜んでくれるし、実際、驚くばかりにコミュニケーションが出来るということを経験した人がここにいますので、此れは真理です。
一番負担がなく効果は認められる方法、「やさしい英文を朗読するだけ」っていうのは、すぐにも実践してもよう。といってたぶん長続きしないんだけど、それに罪悪感を感じることはないんだって。安心するよね!
英語学習についてもそうで、英語の勉強をしないくせに、英語勉強法の本が結構好きなのである。私の真の英語力を知っている人は笑うに違いない。それにしても、ドイツの4ヶ月半の滞在生活は、「あー、せめて英語でスムースに会話ができれば!」「この先生の(英語の)発表の大体の概要がつかめるくらいに聞き取れれば!」「このメールを辞書なしに読めれば!」と、痛切に思う毎日であった。それでも勉強はしなかったんだが。
そういう時に知ったのが、鳥越晧之氏の『歳をとってもドンドン伸びる英語力 ノウハウ力を活かす勉強のコツ』(新曜社、2016年10月)である。筆者は大学の学長さん。この年になると、どっかで、「これからやってもねえ」という諦めがあるのだが、そういう我々にも勇気を与えるタイトルではないか。でもさ、本当かしら。
実際、この本によれば、著者は68歳から勉強しはじめて、英語で授業が出来るくらいになったと。もっともこの先生は、英語で授業が出来るくらいの、元々英語の地力がある先生なのだ。「おまえ、自分と一緒と思うなよ!」と、当然自分で突っ込んでいるのだが、まあまあそれはそれとして、一般的な英語勉強法としても、これまで読んだ本の中で一番説得力があると感じたもので、読み流さずにメモまでとってしまったのである。といっても、九州への飛行機の片道で読んでの話だが。
たぶん英語の勉強本でブログに紹介するのは初めてである。このごろは「とにかく勇気を出して話そう」とか「大声で話そう」とか、「毎日続けて」とか、精神論のような世界になっている英語勉強本だが(立ち読みしたところそういうのが多いような気が)、この本はなんか感覚が合う。
さて、この本だが、歳をとると生物学的記憶力は落ちるけれど、ノウハウ的記憶力は伸びるという力強い仮説に立ち、自らの経験に基づいて展開するのだが、その独特のカワイイ語り口がまたなんともいえず、いいのである。
で、私が、非常に感心したのは、この先生のけっこう赤裸々に書かれている実践報告である。参考にした本がたくさんあげられていて(ということはあまり役にたたなかった本も結構読んでるなと)、かなり英語勉強本を漁ったということがわかるあたり、すごく共感を覚えるし(もっとも私は勉強を実践できてないんだが)、インターネットで文例を探したり、yahoo質問箱まで出てくるところが微笑ましいし、すごく親しみを感じるのである。何より上から目線ではないのが最高に素敵である。
単語やフレーズを覚えても「ザルに水」のように、どんどん忘れるけど、忘れてもいいんだとか、気が向かないときにはやらなくていいかもとか(それでいてそこはちょっと自信なさげだとか)、なにか安心する。たしかにシニア向けである。いろいろな英語勉強法を試してみて、自分に効果のあったものを勧めるというのが基本である。そういう勉強本を具体的に教えてくれるし、リスニングにいい番組や映画、英語DVDをみながら学習するときにいいソフト、Youtubeの具体的活用法など、とにかくすぐ試したくなるようなものばかりである。
でも、さすがに学者として一流だと思うのは、たくさんの英語勉強本から、箴言のような珠玉の言葉を引っ張ってくるその的確さ。たとえば外国語は、上手にならなくても、ちょっと学んだだけでも実践すると意味があるっていうのは、まさしくその通りで、モチベーションが高まる。わずか数十語しか運用できないドイツ語でも、それを使えばドイツの人は喜んでくれるし、実際、驚くばかりにコミュニケーションが出来るということを経験した人がここにいますので、此れは真理です。
一番負担がなく効果は認められる方法、「やさしい英文を朗読するだけ」っていうのは、すぐにも実践してもよう。といってたぶん長続きしないんだけど、それに罪悪感を感じることはないんだって。安心するよね!
2016年10月14日
デジタル文学地図ワークショップの報告
歌枕など、古典文学に現れる地名を、地図上に表示するとともに、その地名が含まれるテキストを検索したり、リンクしたり、蓄積された地名にまつわる説話・イメージを取り出す事ができる、WEB上のデジタル文学地図の構想について、そのプロジェクトを進めているハイデルベルク大学のユディット・アロカイ教授のチームが、プロジェクトの発想と現在の進捗状況を報告し、それを元に討論するワークショップが昨日大阪大学豊中キャンパスで行われた。
題して「デジタル文学地図の試み」。たしかに研究にも教育にも、こういう文学的地名の空間的把握は重要である。これまでの地名(名所・歌枕)辞典の類に欠けていたものは、その名所がどの辺りにあり、近くにどういう名所があり、誰がそこを訪れたかというようなデータである。もっともそれは紙の辞典上では構築しにくいのである。そういう時に、Web地図でそれを示すというのはピッタリである。
非常に壮大な構想であるとともに、エンドレスなプロジェクトでもあり、どれだけの日本研究者を巻き込むことができるかが鍵になるし、新たな地名辞典構想へののヒントにもなる。
会場では30名以上の人が熱心に議論を戦わせた。女性の旅日記の専門家や、東京の辞書系の出版社の方もお見えで、夢を現実にする具体的な提案が続出した。今後の展開が楽しみであるし、出来ることはお手伝いしたいと思う。
題して「デジタル文学地図の試み」。たしかに研究にも教育にも、こういう文学的地名の空間的把握は重要である。これまでの地名(名所・歌枕)辞典の類に欠けていたものは、その名所がどの辺りにあり、近くにどういう名所があり、誰がそこを訪れたかというようなデータである。もっともそれは紙の辞典上では構築しにくいのである。そういう時に、Web地図でそれを示すというのはピッタリである。
非常に壮大な構想であるとともに、エンドレスなプロジェクトでもあり、どれだけの日本研究者を巻き込むことができるかが鍵になるし、新たな地名辞典構想へののヒントにもなる。
会場では30名以上の人が熱心に議論を戦わせた。女性の旅日記の専門家や、東京の辞書系の出版社の方もお見えで、夢を現実にする具体的な提案が続出した。今後の展開が楽しみであるし、出来ることはお手伝いしたいと思う。
2016年10月12日
2016年10月11日
いたずらコンビは最後は死んで誰も同情しない
本日10:30分から、大阪大学豊中キャンパスで、ハイデルベルク大学教授ユディット・アロカイさんのご講演「明治時代における西洋文学受容―"Max und Morits"とローマ字訳『Wampaku monogatari』を例に―」がおこなわれた。西洋では誰でも知っている、ウィルヘルム・ブッシュ作の「マックス ウント モリッツ」をローマ字訳した『Wanpaku monogatari』を紹介し、その翻訳の戦略を明らかにしたご講演であった。
原文はいたずらコンビの7つの話だが、ローマ字訳されたのは最初の4話だけ。実は7話でこのいたずらコンビは悪さがたたって殺されてしまうが、誰も同情をする人はいなかったという「えっ」という結末。この部分は日本的な土壌には合わないとみたのか、訳されることがなかった。
いろいろと注目すべき点があって、原文がかなり韻律的であることを受けて、翻訳もほぼ七五調で韻律的。磐梯山の噴火なども強引に取り入れていたりして当代性もあり。教訓なのか、ファンタジーなのか、ユーモアなのか。誰をターゲットとしたものなのか。翻訳・文語・韻律・寓話・ローマ字普及・漢文訓読などなど、さまざまな問題が浮上する問題のテキストである。世界各国にものすごく訳されているこの本、まさしく国際シンポの題材にもうってつけではないか。小さな集まりではあったが、議論は高度で活発であった。
さて、10月7日のエントリーで書いたように、13日午後2時からは、アロカイ先生が中心のプロジェクトチームが発表する「国際ワークショップ、デジタル文学地図の試み」が、大阪大学基礎工学部国際棟セミナー室で行われる。こちらも是非ご参集を。
原文はいたずらコンビの7つの話だが、ローマ字訳されたのは最初の4話だけ。実は7話でこのいたずらコンビは悪さがたたって殺されてしまうが、誰も同情をする人はいなかったという「えっ」という結末。この部分は日本的な土壌には合わないとみたのか、訳されることがなかった。
いろいろと注目すべき点があって、原文がかなり韻律的であることを受けて、翻訳もほぼ七五調で韻律的。磐梯山の噴火なども強引に取り入れていたりして当代性もあり。教訓なのか、ファンタジーなのか、ユーモアなのか。誰をターゲットとしたものなのか。翻訳・文語・韻律・寓話・ローマ字普及・漢文訓読などなど、さまざまな問題が浮上する問題のテキストである。世界各国にものすごく訳されているこの本、まさしく国際シンポの題材にもうってつけではないか。小さな集まりではあったが、議論は高度で活発であった。
さて、10月7日のエントリーで書いたように、13日午後2時からは、アロカイ先生が中心のプロジェクトチームが発表する「国際ワークショップ、デジタル文学地図の試み」が、大阪大学基礎工学部国際棟セミナー室で行われる。こちらも是非ご参集を。
2016年10月10日
幕末田安文化圏
柳川市史編集委員会が今年3月に刊行した、大部の歌合翻刻資料。
それが『柳川文化資料集成 第一集 井上文雄判 柳河藩歌合集』(柳川市、2016年3月)。
A4判2段組で370頁を超える。
幕末の大名・家臣が、あの緊迫した政治状況の中で、和歌の修行をし、歌合を行う意味とは何なのか。
福井藩の文事を調べた久保田啓一氏は、福井藩も柳川藩も、田安家と関係が深く、そこに田安文化圏と称すべきものを想定できるという、魅力的な構想を、月報で語っている。
そして、同じ月報で白石良夫氏は、小城鍋島藩で行われた明和九年の歌合を紹介している。明和九年というのは、ずいぶん早いのではないか?
歌合の復興は近世後期からと漠然と思っていたが、明和に地方大名の下で行われていたとは。私が知らないだけなのかな。寄贈を受けてたまっていた本のひとつだが、これもまた宝の山っぽい。解説編集は亀井森氏。
それが『柳川文化資料集成 第一集 井上文雄判 柳河藩歌合集』(柳川市、2016年3月)。
A4判2段組で370頁を超える。
幕末の大名・家臣が、あの緊迫した政治状況の中で、和歌の修行をし、歌合を行う意味とは何なのか。
福井藩の文事を調べた久保田啓一氏は、福井藩も柳川藩も、田安家と関係が深く、そこに田安文化圏と称すべきものを想定できるという、魅力的な構想を、月報で語っている。
そして、同じ月報で白石良夫氏は、小城鍋島藩で行われた明和九年の歌合を紹介している。明和九年というのは、ずいぶん早いのではないか?
歌合の復興は近世後期からと漠然と思っていたが、明和に地方大名の下で行われていたとは。私が知らないだけなのかな。寄贈を受けてたまっていた本のひとつだが、これもまた宝の山っぽい。解説編集は亀井森氏。
2016年10月07日
国際ワークショップ「デジタル文学地図の試み」のご案内
国際ワークショップ「デジタル文学地図の試み」をきたる13日、大阪大学で開催いたします。
「デジタル文学地図」は、日本の詩歌や紀行文・物語・名所図会などにおける歌枕・名所をデジタル地図の形で表示し、歌枕・名所にまつわる文化的、詩歌的な意味を記録して、日本の歌枕・名所とその意味合いをデジタル地図で辿るデータベースを作成する試みです。
ハイデルベルク大学エクセレンス・イニシアチブの助成を得て、このプロジェクトを推進していらっしゃる、同大学日本学科教授ユディット・アロカイ先生のチームが、日本の皆さんのご意見を是非お聞きしたいということで、現在開発中のシステムを紹介し、意見交換をするワークショップを計画いたしました。
興味のある方は是非ご来聴ください。使用言語はすべて日本語です。
日時 10 月 13 日(木j) 14:00〜17:00
場所 大阪大学基礎工学部国際棟セミナー室
定員:70 名 事前申し込み:不要
登壇者と発表内容は下記の通りです。
発表1 文学地図プロジェクトの発想
Prof Dr. Judit Árokay ユディット・アロカイ(ハイデルベルク大学日本学科教授)
発表2 デジタルデータベースの紹介
Dominik Wallner ドミニク・ワルナー(ハイデルベルク大学日本学科講師)
発表3 デジタルプログラムのプレゼンテーション
Leo Born レオ・ボーン(ハイデルベルク大学情報言語学大学院生)
日時 10 月 13 日(木j) 14:00〜17:00
場所 大阪大学基礎工学部国際棟セミナー室
定員:70 名 事前申し込み:不要
主催:Heidelberg University ExIni II
大阪大学文学研究科国際古典籍学クラスター
連絡先:飯倉洋一研究室 iikura☆let.osaka-u.ac.jp(☆=アットマーク)
「デジタル文学地図」は、日本の詩歌や紀行文・物語・名所図会などにおける歌枕・名所をデジタル地図の形で表示し、歌枕・名所にまつわる文化的、詩歌的な意味を記録して、日本の歌枕・名所とその意味合いをデジタル地図で辿るデータベースを作成する試みです。
ハイデルベルク大学エクセレンス・イニシアチブの助成を得て、このプロジェクトを推進していらっしゃる、同大学日本学科教授ユディット・アロカイ先生のチームが、日本の皆さんのご意見を是非お聞きしたいということで、現在開発中のシステムを紹介し、意見交換をするワークショップを計画いたしました。
興味のある方は是非ご来聴ください。使用言語はすべて日本語です。
日時 10 月 13 日(木j) 14:00〜17:00
場所 大阪大学基礎工学部国際棟セミナー室
定員:70 名 事前申し込み:不要
登壇者と発表内容は下記の通りです。
発表1 文学地図プロジェクトの発想
Prof Dr. Judit Árokay ユディット・アロカイ(ハイデルベルク大学日本学科教授)
発表2 デジタルデータベースの紹介
Dominik Wallner ドミニク・ワルナー(ハイデルベルク大学日本学科講師)
発表3 デジタルプログラムのプレゼンテーション
Leo Born レオ・ボーン(ハイデルベルク大学情報言語学大学院生)
日時 10 月 13 日(木j) 14:00〜17:00
場所 大阪大学基礎工学部国際棟セミナー室
定員:70 名 事前申し込み:不要
主催:Heidelberg University ExIni II
大阪大学文学研究科国際古典籍学クラスター
連絡先:飯倉洋一研究室 iikura☆let.osaka-u.ac.jp(☆=アットマーク)