2017年06月25日

日韓怪異論

清泉女子大学「日本文学と怪異」研究会編の『日韓怪異論ー死と救済の物語を読む』(笠間書院、2017年5月)も、前の投稿と同じく、佐伯孝弘さんが関わっている。
清泉女子大学と高麗大学の研究交流で、彼方と此方で催されたシンポジウムを元に作った本だという。怪異文学を対象とし、テーマは「死と救済」である。それぞれの考察を通して、日韓の比較文化論の試みになっている。日韓それぞれ5編の論考が並ぶ。韓国側の論考は、日本語訳という手間もかかっているようで、その意味でも労作。韓国語版も刊行されたのだろうか?
シンポジウムではどういう議論があったのか、というのが気になる。シンポジウムでの議論というのは、活字化が難しいということは、十分承知しているが、どこかでそれが読めればありがたいことである。
ちなみに佐伯さんの論は、『万の文反古』の巻3の3の、佐伯さんのいわゆる「死なせぬ復讐譚」を取り上げている。



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2017年06月23日

古典文学の常識を疑う

自宅のPCをマックにした。日本文学関係のソフトはmacに対応していないものもあるからWindowsの方がいいという都市伝説を漠然と信じてン十年。しかし、昨年の、Windows7の機種使用者は、早くWindows10に乗り換えよ、という執拗でお節介な告知でさすがに切れた。ソフトや辞書類も、webに移行しつつある今、ストレスとともにWindowsに付き合う必要はないだろう。肝心な時に限って「ただいまプログラムの更新中です」とかなんとか言って仕事ができないとか、ずっとがまんしてきたけれど、もうダメ。私の残された仕事人生も短いのだしね。きっかけはアンドロイドのスマホの不具合で、iphoneに変えたこと。アンドロイドに比べると非常に快適でストレスがない。そんじゃPCも。ちょうどノートPCも、色々と不具合が出てきて、だましだまし使っていたところなので。
今のところ、マックなかなかいいと思います。PCに向かって罵声を浴びせるということがなくなった。
 さて、本題は、勉誠出版(ちなみにこの出版社名も辞書に入っていた)から出た、『古典文学の常識を疑う』で、奥付は今年の5月末。あちこちの学会で売れているというが、さもありなんだ。この本の緒言にも書かれているが、かつて、学燈社や至文堂から出ていた、国文学の月刊雑誌。その別冊などで企画されていた『古典文学の謎』とか、『古典文学のキーワード』とか、現在の研究の最前線を教えてくれるトピックについて、第一線の研究者が、4ページくらいの解説を書いてくれるやつ。それが久しぶりに出たという感じなのである。
 編者(4名)は上代・古代・中世・近世をそれぞれ担当しているようであるが、選ばれたトピックが、かなりよく考えられていて、現在の古典研究の状況がよくわかる1冊になっている。
 『万葉集』が「天皇から庶民まで」の歌集というのは本当か、とか中世が無常の時代というのは本当か、など、文字どおり常識を疑うところを正面からテーマとしてものもあるが、全体としては、それぞれの専門における現在の論点をトピックとしていて、「ここが知りたかったんだよね」というところをよくカバーしていると思う。
 私の専門でない時代で言えば、平安時代は一夫一妻制であるという工藤重矩先生の説のあと、この問題はどう展開しているのかということを知りたかったのだが、それもちゃんとある。『源氏』の人物論て今はどうよ、とか、
 もちろん、近世は私の興味もあってどれもこれもテーマが面白くてたまらない。執筆者もまた、定説に挑戦し、新しい研究世界を拓いてきた人ばかりであるので。佐伯孝弘さんのテーマ設定と人選がいいのだ。少なくとも古典研究者は、研究の今を知るのに必読でしょう。


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2017年06月20日

八犬伝錦絵大全

服部仁氏の監修・著による『八犬伝錦絵大全―国芳 三代豊国 芳年描く江戸のヒーロー』(芸艸堂、2017年6月)が刊行された。
文字通り錦絵でたどる八犬伝であるが、非常に構成がよく練られていて、八犬伝入門・錦絵入門にもなっている。
まずは、『錦絵 八犬伝へのいざない』という最初の文章で、読本の『八犬伝』絵師と、錦絵での「八犬伝」絵師は重ならないということを紹介する。なぜなのかを教えていただきたいところである。
ついで、読本八犬伝のあらすじが、錦絵とともに紹介される。次に、八犬伝人物相関図が、これまた錦絵「八犬伝犬の草紙」の絵を使って一覧できる。次に版本八犬伝の紹介。そして二次作品というべき錦絵・合巻・暖簾・双六・カルタなどの存在を明らかにし、その中のひとつである『雪梅芳譚 犬の草紙』の紹介。馬琴の生涯。国芳と国周の描く八犬士の肖像。そして絵師別名場面集。八犬伝の錦絵の中ではやはり芳流閣の決闘の場面を描くものが圧倒的に多いと言うことだ。さもありなんだが、600枚もの八犬伝錦絵を所蔵する服部氏が言うと重みが違う。絵師別に見較べるのは愉しい。さらに芝居絵八犬伝、刺青下絵師の描く八犬伝、3枚続きを中心に見ていく錦絵八犬伝ストーリー、パロディ八犬伝、双六八犬伝、見立八犬伝と、まさしく絢爛豪華な展開。本当に楽しく学べること請け合いである。
 ところで著者から伝言がある。ご本人は関わっていないということであるが、「岡崎市美術館で、〜7/17、「家康の肖像と東照宮信仰」展を開催しております。いけどもいけども家康ですが(終わりの方に、秀忠、家光etc.もありますが)、江戸時代の研究者は見ておくべきかと存じます」との事である。残念ながら行けそうにないが。
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2017年06月14日

御伽百物語

怪談好きは百も承知の「百物語」。江戸時代にはこの語を書名に含む本が数多く出た。太刀川清氏の正続の『百物語怪談集成』(国書刊行会、叢書江戸文庫)は、その代表的なものを通覧できる至便の書だが、注釈などはまだまだ進んでいない。青木鷺水の『御伽百物語』の、わかりやすい校訂本文、注、各話の丁寧なあらすじ、さらに典拠のあらすじを載せた本が刊行された。三弥井古典文庫の1冊で藤川雅恵編著『御伽百物語』(2017年5月)である。百物語研究を志している留学生がいて、私にとってもタイムリーな本である。それにしても、この本を廉価なソフトカバーで出すとは、素晴らしい企画。長年の研究を形にしてくださった藤川さんをはじめ、出版に尽力された関係者に深謝。
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2017年06月12日

学会記(東京女子大学)

 日本近世文学会春季大会が、6月10・11日の日程で、東京女子大学で行われた。
 その前週に、中古文学会も開催されていて、運営の点では、まことにそつがなく、行き届いているという印象。たとえば、研究会開催前に委員会が開催されるが、委員は総合受付を経由せずとも、委員会会場で受け付けと発表資料を受け取れる仕組みなど、細部に心配りが。事務局と大会校にはいつもながら感謝感謝。
 発表者は9名で、やや少なめだが、ゆったりした日程で、早めに終わるのも悪くない。ちょっと帰りにバーにでもよって発表の感想を述べ合うような会もできるというものである(←それをした人)。
 さて、発表は全部を聞いたわけではないので、例によって、恣意的に取り上げる。
 まず土曜日のトップバッターは、私のゼミの学生。ボコボコにされるのは本人十分覚悟の上の、西鶴でのいわば異説の発表。私のアドバイスは「堂々と発表してきなさい」ということ(←精神論か!)。
 従来、ほぼ読みの定まっている作品に対して、別の鑑賞法もありうるという問題提起だった。大家のお二人の質問を引き出したのはOK。前者の方の質問はさすがに鋭く、しばしの沈黙があったが、「貴重なご指摘ありがとうございます。今後の課題とさせていただきます」と逃げるのではなく、ちゃんと自分なりに答えたのは、いいのではないかと思った。私の聞いた範囲、あるいはSNSなどでも、面白く聴いたという意見は多かった。「10人が10人そう読む」という読み方に敢えて異を唱えるのは「岩盤ドリル」だが、それをやろうとしたことにエールが送られていたと思うし、「論じ方次第では、もっと説得力を持ったよ」と教えてくださる西鶴研究者の方もいたのはありがたい。発表したからこそ見えてくることがあるのだ。
 2日目の合巻の表現規制を戯画化した合巻についての佐藤至子さんの発表は、聴いてて惚れ惚れするような明快な論旨と展開であった。それに対する質疑応答も非常に高度で面白かった。ずっと聴いていたいような至福感。学会発表を聴きに来る醍醐味がここにあるといってよい。
 徳田武先生の、前年の発表「洒落本『列仙伝』は上田秋成作ならん」の続考となる「『雅仏小夜嵐』も上田秋成作ならん」。前考を認めない方には当然今回も受け入れられない。実は、前年の議論を(在外のため)私は聞いていない。秋成研究者が批判したとは聞いていたが、今回、秋成研究の大家からの質問意見が出なかったのは、前年の発表を認めないという立場からの当然の対応なのだろうと思った。
 ただ、この推定を根拠薄弱、実証手続き不十分と批判することはもちろん可能だが、絶対にありえないとは少なくとも私には言えない。だから多少秋成研究者との議論を期待していたのだが残念であった。作者「蘇生法師」をめぐる井口先生との議論はあったが。
 もっとも若い人がこういう発表を真似すべきではない。徳田先生には、秋成研究史の上で、従来手薄であった秋成の漢学についての有意義な研究があり、読本における数々の典拠の指摘の実績は言うまでもない。それらを総合的に判断すれば、かかる発表もありだろうと思う。現にいろいろな意味で勉強になったし、質疑を含めて有意義だったと思う。異論があるだろうが、それを承知で敢えて私感を述べる次第である。
 それにしても、今回は学会発表における質疑について考えされられた。
 発表者が少なくなってきているのを逆手にとって、質疑時間をもう少し長くとってもいいかもしれない。せめて10分とっていただければ、今回挙手しながらも質問できなかった方も質問できていただろう。
 とはいえ、現状は5分というルールである。であるならば、質問する方もそれを意識しないといけないだろう。他にも質問者がいるかもしれないから、手短に、整理して質問することを意識しなければならないだろう。質問の内容も、できるだけ発表の可能性を引き出してあげるような、問題意識を深めるようなものであることが望ましい。長い質問・やりとりがよくないというのではない。現に佐藤至子さんと佐藤悟さんのやりとりは、今大会の白眉というべきもので、時間は気にならなかった。研究会のようにゆったりとした時間があることを前提とするかのような質問は勘弁してほしいのである。
 さて、個人的には、今学会会場渡しを約束していた、とある編著の念校が無事渡せたことが何よりであった。 

 
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2017年06月07日

中世和歌史の研究

小川剛生さんの『中世和歌史の研究―撰歌と歌人社会』(塙書房、2017年5月)が刊行された。
すでにネット上ではちらほらレビューも見られる。
予想に違わず、ずっしりとした重みと、鋭い切れ味を兼ね備えた、魅力的な研究書である。

小川さんの学風はみずから「歴史的・実証的」というように、和歌と政治の絡みを意識した史的展望に基づく厳密な実証なのだが、読んでいて、興奮を禁じ得ない。「膝を打つ」「目から鱗」の叙述が次々に展開する。
やはり、それは、問題の所在の指摘の鮮やかさである。

中世和歌史の研究は、傍目から見ても、いわゆる院政期から新古今時代が盛んに見える。しかし小川さんは、鎌倉後期から室町中期に切り込む。「形骸化したはずの和歌と官職によって辛うじて統一性が保たれていたとさえ思える」この時代の「撰集」という営為に着目し、骨太の和歌史構想を打ち出してくる。

誰も問題視しなかったことを論点とし、そこを起点に、最も適切な資料を材料に、緻密に、しかしスリリングに、知られざる事実を明らかにし、「撰歌」の持つ重大な政治性をも考察する。研究史への目配りは勿論、関連資料の博捜に基づく立論であることで、説得力が半端ではない。

 たとえば、撰集の中での四季部とそれ以外の意味など、事実の提示によって重要な指摘が裏付けられていく。それらから立ち上がる、小川さんならではの和歌史の新鮮さ。研究書として、あまりにレベルが高くて、絶句してしまうほど。

 本当に素晴らしいの一言。まだまだ筆に尽くせないが、とりあえずここまで。

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2017年06月01日

『近世文学史研究 二 十八世紀の文学』刊行

 私が監修した『近世文学史研究 2 十八世紀の文学―学び・戯れ・繋がり―』(ぺりかん社、2017年6月)が刊行される(奥付は6月10日)。見本刷が出来、私の手元に一足はやく届いた。原稿をお願いした皆さまには、私の我儘なコンセプトをよく理解してくださり、非常に興味深く、問題意識に満ち、しかもわかりやすいご論考をお寄せいただいた。この場を借りて、深く感謝申し上げる。
 十八世紀(近世中期)といえば、わが師中野三敏先生の所謂「雅俗融和」の時代である。そのことは、既に十分行き渡っていると思い、私は違う角度、つまり文芸に携わる人々の営為、文芸への関わり方としての営為という観点から、この時代を捉えてみたいと考えた。「学び・戯れ・繋がり」という副題は、その具体的な営みの在り方である。
 もちろん、鈴木健一さんが監修した「十七世紀の文学」においても強調された領域横断的な問題設定を継承していることは目次を見て頂ければ瞭然である。「文学史研究」を謳っているが、歴史・思想史・美術史らに関心のある方々にも読んでいただきたいと思っている。ラインナップは以下の通り。拙論はともかく、ほかの執筆陣の論考はいずれもエキサイティングである。木越治さんの連載を含めて9本150頁。読み応えは十分である。
 
【序】
十八世紀の文学――学び・戯れ・繫がり:飯倉 洋一
【提言】
漢詩文サロンと儒学読書会:前田 勉
日用教養書と文運東漸:鍛治 宏介
十八世紀の美術――都市と地方のあやしい関係:安永 拓世
芸能史と十八世紀の文学:廣瀬 千紗子
【論文】
十八世紀地下歌学の前提――出版の時代:浅田 徹
社会と対峙する「我」から世法を生きる「心」、そして私生活を楽しむ「自己」へ――俳諧と社会:中森 康之
前期読本における和歌・物語談義――十八世紀の仮名読物の一面:飯倉 洋一
書籍業界における近世中期の終わり方:鈴木 俊幸
【近世文学研究史攷二】
近世小説のジャンル――近世文学の発見(二):木越 治

以上である。書店・学会会場などで、どうぞ手にとってご覧いただきたい。
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