2017年09月21日

真山青果の『好色五人女』解釈

丹羽みさとさんの論文「真山青果の『好色五人女』解釈ー八百屋お七の「匂い」ー」(『立教大学日本文学』118号、2017年7月)。
国文学研究資料館の文献資料調査で、国際学園で真山青果旧蔵書の調査を過去5年行い、古典籍の方は今年度調査終了となった。色々な奇縁で、このプロジェクトは、展示やシンポジウムへと展開してきた。さらなる展開もありそうだ。
丹羽さんは、この調査チームの仲間であり、シンポジウムにもご登壇頂いた。
この論文も、この調査と無縁であるはずがなく、現に、国際学園の青果旧蔵書が論文中に使われている。
青果は『五人女』の現代語訳に何度も挑戦しているが、ちょうどそれは厳しい性愛表現の検閲の時期と重なっていた。青果は、西鶴の「匂い」表現に好色性との関連を見出し、それを基に、「匂い」を取り込んだ現代語訳を行ったという、説得力のある論が展開されている。
真山青果旧蔵書調査団メンバーの成果なので、備忘としてここに記す次第である。
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啓蒙の江戸

西田耕三『啓蒙の江戸』(ぺりかん社、2017年9月)が刊行された。
快作!というべき、江戸思想論である。西田耕三らしい、深くて鋭くて華麗な、いいところが満開した論文集である。
「啓蒙」という言葉は、ヨーロッパを連想させるが、江戸時代から使われていた言葉である。類似の語に「訓蒙」もある。これを江戸思想論のキーワードとする。ヨーロッパの啓蒙のあり方からこぼれおちるようなあり方に注目して、江戸思想に切り込む。「格物の喜び」「甚解を求めず」「他を欺かんや」「事もと無心」というような、江戸時代によく見える言説の意味を、啓蒙の観点から掘り下げていく。相変わらずの多読博識を生かして、自在に論は進んでいく。西田耕三以外の誰が、貝原益軒とスピノザを結びつけられようか。皆川淇園と李卓吾とベーコンに共通点を見いだせようか。
 「他を欺かんや」の章は、秋成の虚偽論が扱われ、拙論も引用していただいているところから、特に興味を持った。実は、本章の初出時に、このブログに感想を書いた。その初出の姿は跡形もない、というくらいに、改稿・加筆されている。そして初出時の、漱石「心」の議論はバッサリと切られ、わずか1・2行に圧縮されている。物語や歴史叙述の欺きという主題を考えたことのあるものなら、西田のこの考察の徹底ぶりに驚嘆するだろう。
 高山大毅の論に影響されていることも隠さない潔さ。これは高山の論文に「断章取義」を取り上げたものがあり、そこから自身の方法を「断章取義」と規定したのではないかという私の推測。「あとがき」でそれを告白したも同然(もちろん告白というスタイルではない。私の勝手な読みだ)。だがこの「断章取義」が、西田の論をメジャーにしえない原因であることも確かなのだ。西鶴でも秋成でも宣長でも徂徠でも羅山でもいいから、じっくり論じていただいたら、という気がしないでもないが、やはり「断章取義」が西田の真骨頂なのであろう。
閑山子さんのブログで、日本思想史の方での反響は如何にということが書いているが、日本思想史側では西田先生の本はあまり関心を持たれていないだろう。切り口があまり「歴史的」には見えないということ、そしてテーマがあまりに独自で、問題を共有するレセプターがないということである。繋ぐとしたら高山大毅のような仕事だろうか。あー、その高山大毅の本についても、書いてないままだった。慚愧慚愧。

以下は、私が近畿大学文芸学部の紀要に2008年に書いた西田耕三論である。ご興味のある向きはご笑覧いただきたい。あんまり抜き刷りを配ってないんで。
あれから西田先生は3冊の論文集を刊行した。まだ未収録の論文も結構あるから、今後も勢いは止まらないはずだ。

生涯・万物の霊・主人公
         ―西田耕三の「起源」―
はじめに

 西田耕三の研究の特質は、文芸の主題の成り立つ所以を発見し、その所以から文芸を説明してみせるところにある。その所以は、「起源」とも「条件」とも呼ばれる。そして文芸を説明することは西田にとって人間を説明すること、世界を説明することと同義である。文芸はそのための通路にすぎない。なぜ文芸を通路に選ぶのか。文芸は現実に基づき、現実を描き、現実に存在するにもかかわらず、それ自体は人間によって創造された虚構である。だがそれは夢と同じように、確実に我々の現実に浸透し、我々を翻弄し、感動させる。精神分析学者が夢から人の無意識を探るように、西田は文芸から世界の成り立つ根拠を求める。それは常人のなしうるわざではない。
 しかし、それが抽象的、観念的になることを西田は極力忌避する。たとえば「起源」や「条件」を自らの作った記号によって説明することは絶対にしない。西田によれば、文芸の主題の成り立つ「条件」、つまり文芸の「起源」は、物語において「生涯」であり、日本近世文学においては「人は万物の霊」である。この聞きなれたことばを根幹にすえて、西田は文芸の闇に光を当ててゆく。

生涯

「生涯としての人間」は、「物語の条件」であると西田は『生涯という物語世界 説経節』(世界思想社、一九九三年)で言う。「生涯としての人間」とは何か。
 説経とは、神仏が「ひとたびは人間にておはします」時の物語である。そこにはきわめて人間的な物語が展開されるにもかかわらず、それはあくまで、「神仏がかつて人間であったときの物語」である。〈神仏になるための受苦〉という貴種流離譚の型も思い出されるのだが、説経の物語は、人間が神仏になる物語ではない。あくまでも人間の物語として自立しているのである。
 そういう、説経を説経たらしめている形式とは、「神仏の因位(神仏になるための修行期間)の物語」という構造から、「神仏の」の部分を剥離させたものである。それが「生涯としての人間の物語」の謂いなのだ。
 「生涯」とは、人間の一生を意味する言葉ではない。存在ではなく、存在の形式のことであるという。西田はその考え方として、「世界の起源としての神仏」、「神仏の起源としての人間」、「人間の起源としてのX」を提示して、このXこそが「生涯」なのだという。「生涯とは、世界にも神仏にも根拠をもたず、しかもそれらに匹敵しうるもの、人間がみずからのうちにのみ根拠をもち、この世において何かの起源としてあるそのあり方のことである」。生涯とは自らの生を、生の外から見つめる意識である。「生涯の恥」「生涯の恋」というような言葉がある。その心情的感情的側面を表現するのが和歌であるとすれば、「生涯」に構造を見出し、「ひとたびは人間にておはします」と限定することで、胸を打つ物語を現出する語りが説経節なのである。つまり「「生涯」とは人間の条件であるとともに、物語の条件でもあった」。
 西田は本書で、「Aの起源としてのB」という言い方をした。「起源」とは、AをAたらしめているものであり、それがなければAではないものである。つまり「条件」と置き換えられる。本書の最後に西田は「物語の条件」という見出しをたてた文章を載せる。もともと西田は説経というより物語そのものを問うているのである。本書の「あとがき」に西田はかつての自らの論文を挙げ、このようにいう。
  説経正本に残された物語を申し子譚と欠親譚に分け、申し子や親のない子を、現実に
  十全な根拠をもっていないという意味で幻想の存在と名づけ、幻想の存在が現実に定
  着するために恋愛があった、と考えた。
これを読んで私は身震いした。説経のみならず、すべての物語がこの定義で説明されてしまう。折口信夫の「貴種流離譚」と同じくらいに明晰であり、「貴種流離譚」以上に普遍的ではないだろうか。しかし「幻想の存在」とはいわば記号である。西田はそれが自己完結することをどこかで気づいていたのではないか。驚くべきことに西田はそれを捨てる。記号論的思考との別れだろう。
 だから、西田はさらに物語の起源を問うた。それは人間の起源を問うことと同義であった。「生涯」は、「幻想の存在」のようにわかりやすくはない。それは自明なものとして存在するにもかかわらず、物語を読むという行為をいくら積み重ねても決して西田のようには、発見できないのである。なぜならそれは一見不可解であり、いったん西田の思考回路をたどらないと把捉できないものだからである。そこに西田の国文学者としての特異性がある。西田の論を読み進めていくと、きわめて唐突に、カントの『純粋理性批判』を読んだ時に近い感覚がよみがえってくる。自明なものの根拠を徹底的に問い、従来見えなかったものを取り出して見せる西田の論は、記号を決して作り出さない説明をすることにおいて、きわめて禁欲的であり、奇跡的なのである。
 本書の最後に西田は言う。
  時代はゆっくりと転回する。幕藩体制の強化と儒教運動の浸透によって、「人間」は
  「生涯」の懐から離脱し始める。「人間の起源としての生涯」は古層に沈み、新たに
  「生涯」の起源が探し求められる。そのようにして「万物の霊」としての人間が登場
  してくるのである・

人は万物の霊

 この結びはこれから見る西田の主著『人は万物の霊』(森話社、二〇〇七年)の内容を予告するものでもあった。『人は万物の霊』の副題は「日本近世文学の条件」である。西田の考察が中世的なものから近世的なものへ向かうこと、それは「生涯」の起源を探し求め、それを表現した近世文学を近世文学たらしめたもの、すなわち「人は万物の霊」の認識が、いかに文芸に広がっているかを見定めることに他ならなかった。「生涯」に次ぐ、人間の根拠、物語の根拠の発見である。
 「万物の霊」とは何か。「霊」とは「上澄み」というほどの意で、「万物にすぐれてたうと」(『和俗童子訓』)きことである。人は「万物の霊」であるがゆえに貴い。その根底は人が社会性を持ち、倫理を認識しているところにある。そうでなければ人は「万物の霊」たりえない。「万物の霊」であることによって人間は、天地の目に見える徳(日月の運行のごとき)と同じように、目にみえぬ徳を、この世に実現しなければならない。天地と万物を媒介する位置に人間は立っている。しかし「万物の霊」はそれだけで立派なのではない。
 「万物の霊」の根拠である、知や心というものは、常に転落の危機に瀕している。なぜなら「人は動物(うごくもの)であり、善に動かざる時は不善にうご」き、「種々転変して止ざる者は人の心」(佚斎樗山『天狗芸術論』)であり、「心は善悪二つの入物」(西鶴『懐硯』)だからなのだ。人は知あるがゆえに貴いが知あるがゆえにあさましい(西川如見『町人嚢』)。それゆえ常に知を正しく明らかに保ち、心を修めなければならない。つまり人が「万物の霊」であることと教化の問題は切り離せない。
 人が「万物の霊」であるという前提のために、教化が必要となり、教化の道具として文芸が用いられる。私なりに贅言すれば、これが載道主義的文学観であり、日本近世における文学観の基盤である。そのスローガンの中心に勧善懲悪がある。しかし教化の意識が剥落すれば「万物の霊」はたとえば悪の根拠づけにもなる。文芸がそれを描けばどうなるのか。
  文学史の領域において言えば、「万物の霊」であるという人間像をめぐる教化の意識の 
  剥落は、仮名草子と総称される近世前初期の文芸が、西鶴をはじめとする浮世草子に
  転換していく重要なモメントであったと考えられる。
 諧謔・滑稽が「人は万物の霊」にまつわる教化意識を剥落させていく。「人は万物の霊」といって自慢している人間は滑稽ではないか。そう『町人嚢』が言うのを西田は見逃さない。もともと「人は万物の霊」と言ったのは人間である。そういう自意識から現実に返った時、人間は滑稽な存在に映る。西田はそこに近世文学のいまひとつの特徴である滑稽を見出す。つまり「万物の霊」の揺れの両端に教訓と滑稽があるというわけだ。「教訓」と「滑稽」を近世文学の特徴というのは中野三敏である。西田の論は、意識的か否か、中野の見取り図の上に重なっている。
 「人は万物の霊」の前提によって、人間は滑稽・諧謔に堕する可能性がある。伊藤仁斎はそれを克服するために、「人は万物の霊」を人間の目的とした。荻生徂徠は、人と天地(聖人)を切り離し、ついに「人は万物の霊」を無化した。これで人は楽になり個性を伸ばせばよくなる。賀茂真淵は、「知」を乱用した人間の堕落を説き、人間が万物とともに生きた古代を理想とした。つまり「万物の霊」の否定である。だが、それにもかかわらず、彼が近世的な認識者であるのは、人間を万物の中において捉えようとするからである。西田の解説は明快だ。
 もうひとつ、西田が文芸を捉えようとする切り口に死活の説がある。死活の説とは、常に先行する思想を死(悪)、自説を活(善)とする。「死活に本当の意味を与えるのは、新しい活の場の発見」である。言葉というものはそれ自体は活物ではないが、その使い方によって活き活きとする。浄瑠璃の人形と同じである。たとえば伊藤仁斎は、心を活物だとし、宋学・老荘・禅のような心の死物化を批判する。仁斎は、心は活物だといい、心を現実の人倫の「場」に解き放った。人倫という場が、仁斎によって発見された場だということになる。三浦梅園は、天地万物の生成の場を発見した。これは原子のような「中の一点」の設定に基づく。こうして時間的空間的に限定された世界観が、生々してやまない世界観へと変貌する。こういう仁斎や梅園の現実認識(場の発見)が、近世文学の作者たちにもある。そのように西田は述べて、西鶴の例をあげる。たしかに西鶴は、死物を活物にする天才である。それは解釈可能な日常世界が、いつ不可解な非日常に反転するかわからないということを我々に教えるという点で、戦慄的である。本書の第五章はそのような西鶴の技法に迫るものだ。
 「透視の欲望」。「透視」とは「見通す」こと。つまり占いなどの見なぞらえ(作意)によって、潜在的なものを顕在化することである。潜在的なものとは何か。それは好色や金銭や人の心という普遍的なものであるが、それが個別特殊な具体例を通してしか透視できないため、その普遍の確認のために透視は繰り返される。透視とは表現者においては言葉であり、透視行為とは創作である。潜在的なものが欲望であり、それを顕在化するために言葉によって次々と作意するところに西鶴の特質がある―そういう西田の西鶴観は、潜在的な欲望のあらわれとして夢を解釈し、それを大量の個別特殊な具体例によって示すフロイトの『夢判断』に、西鶴文芸を「見なぞらえ」ることではないのか。もちろんそれは西田自身の西鶴透視の欲望でもある。言い換えれば西鶴の欲望の透視だ。「見なぞらえ」ることによってなんでもないこと(死物)が動き出す。これを可能にするのが虚構力、つまり文芸の力である。そこに西鶴の面白さがあると西田は言う。それは西鶴と同化した西田の言葉である。
 ここで細かく述べる余裕はないが、以下「狂乱」「演技」「細工」「人形」「物真似」らが西鶴文学のキーワードとして取り上げれらている。西鶴を透視するために西田が用いる占いの道具(言葉)は、すべて死活と関係がある。それらは文芸とほぼ同義である。死物を活物にすることで、西鶴は現実の人間が読んで飽きないバーチャル・リアリティの世界を創造するのである。
 個別特殊の具体例は芭蕉にも及ぶ。芭蕉はどういう常識やスケールを持っていて、そこからどう工夫したかのか。西田はそのように問う。工夫そのものに関心があるのではなく、常識やスケールに関心があるのだ。この場合スケールとは世界がどのように作られているかという見方のことであり、「鳥啼き魚の眼は泪」の句はそのスケールを転化したものだという。中峰など禅僧の語録に探し当てられたスケールとは、要するに世界を活物として見る見方のことである。芭蕉の創作以前に、芭蕉の脳裏に浮かんでるはずのそのような風景を西田は想像する。芭蕉の句や言説を読みこみ、その背後に芭蕉の常識とスケールを探し当てようとする志向。これもまた、透視の欲望に他ならない。

主人公

 ところで、本書第四章「創作の条件」の第一節に「仮名草子の主人公」という論文がある。一九八七年初出のこの論文こそ、言うまでもなく、西田の第三の単著である『主人公の誕生―中世禅から近世小説へ』(二〇〇七年、ぺりかん社)へ向けた胎動だったのである。
 『主人公の誕生』の「あとがき」に西田は書いている。
  二十年前、本書の発想のもとになる文章を書いた時、稲田篤信氏(首都大学東京)が興   
  味を示してくれたことが記憶にあり、数年前、もっと敷衍してみたいと思い立った。
 「仮名草子の主人公」で西田は、『為愚痴物語』に出る、「万法とだって侶たらざるもの、是何人ぞ」と質され、答えて「本来の面目」「金剛の正体」「仏心仏性」「真如の月」とも名付けられる「主人公」に注目し、仮名草子はこの「主人公」を可視化したものであるという。「主人公」とは本来は見えないものだが、その人の個的存在を根底から規定しているものである。それは世界の中で生きつつ、世界の中で孤立している存在であって、現実的存在ではないが、文芸的には可視化される。つまり、一休・竹斎・楽阿弥・浮世坊らがそうなのである。『主人公の誕生』によれば、苦沙弥先生の前に現われた「吾輩」という猫もまた「主人公」である。西田がこれを抽出したことによって、私たちは近世文学の中に、飄然として滑稽と転変の境地を生き続ける「彼ら」が頻繁に登場することを認識できるのである。それらが「万物と侶だつ」以上、万物との触れ合いの中においてのみ「主人公」のあり方は決まる。「人は万物の霊」との関わりがここにある。
 『主人公の誕生』において「主人公」は、より徹底して、その概念の淵源である禅の語録から探索される。印象的な瑞厳の自問自答。現実にとっては虚構であり、虚構にしては現実的である「主人公」の存在は、「岩鼻やここにもひとり月の客」の去来句における「ここにもひとり」の存在のようなものである。それは天に則る存在でありながらも我そのもの、あるいは我を映すものなのである。結果として、リアリティでもなく、教訓でもない、近世文学のとらえ方を西田は提唱しているのだろう。
 そのようにとらえた時に私が想起したのは、秋成が七十歳の記念にと高橋道八から贈られた自らの陶像である(現西福寺所蔵)。この陶像、贈られたたときに「にくさげなるもの」と秋成は感じ、「あはれ破れくだけよかし、土にかへらむを」と思いながらも「えこぼたぬ心きたなさよ」と述懐する。「ああいっそ死んでしまいたいのに、その勇気もなく在りわびている」という含意があるが、その像は土で作られ、いずれは土にかえるものという認識、つまり天地とともにあり、それでいて秋成自身であるところが、あたかも「主人公」が可視化した姿に映る。そして、秋成が随筆などで描く自像は、どこか操作されていて、秋成というよりも秋成の「主人公」を描写していると言うべきだろう(そういえば、西田耕三じしんが、西田耕三の「主人公」を生きているように見える。その特殊的個別事例は枚挙に暇のないところだが、ここはそれを述べる場所ではないだろう)。

西田耕三の「起源」

 このような西田の近世文学論が、際立って思想的色彩を帯び、ラディカルであることを誰も否定はしないだろう。一方でその文体は非常に禁欲的であるようにも見える。それはなぜか。「その由来を尋ぬるに」、私たちは、「日本文学」一九七九年二月号の西田耕三「松田修の存在」に行き着くのである。当時西田はまだ三十代、『平家物語』や説経・近松を論じていたころだ。この松田修論は、鮮烈なロマン希求者としての松田がそれゆえに「何でもない日常にひろがる現実的な自己矛盾、平凡な現実な人々を待ちかまえる大小の陥穽」への興味が希薄であることを指摘する。その記号論的発想は実体から遊離し、現実を断片化せざるを得ない。それでも、松田の記号論的発想は、外在的なものではなく、たとえば吉野系と熊野系という対比は、「記号論的発想から出てそれをこえる確かさを持っている」という。そしてこのように結ぶ。
  国文学界の貴種である松田修が開拓した豊饒な世界を、単なる断片ではなく全体とし
  て現実につなぎとめるためには、やはり〈感性的実体〉というものを想定し、そこに
  くみこんでいかなければならないだろう。そういう領域を私はひそかに感性起源論と
  名づけている。
ここに西田のその後の歩みが予告されていたと見ることができるのではないか。あくまで実体にとどまるために、浮遊した概念を用いず、人間の中身から構築していく西田の文学論・文学史論。それがいかに困難であるにも関わらず意識的に選ばれた方法であるかということを、私は今回西田の著書を通読して痛感したのである。
 「死活の説」。西田の方法にあてはめれば、記号論的発想は〈死〉であり、人間を現実の中の存在として、動くものとしてとらえることが〈活〉である。もちろん〈活〉とは、〈死〉を〈活〉かすのである。仁斎と朱子学の関係がそこにある。しかし、そうであれば、なぜ超克すべき存在が松田修だったのだろうか。松田修は朱子のような正統ではなく異端なのではなかったか。
 そこで私はひそかに物語を妄想する。それは次のような物語だ。西田耕三は実はポストモダンの感性の人だった。あるいは西田自身が気づかない西田の「主人公」がそうだったのかもしれない。松田修の中に西田は自らを発見した。たとえば「申し子」を「幻想の存在」と名付けるような自らの感性をである。西田はそれが実体から遊離していると確信する。そこから西田独自の近世文学の起源探しが始まった。それが「感性起源論」の領域だ。西田が「起源」や「条件」という言葉を用いるのは必然である。そして起源の物語である説経節から「感性起源論」を始めたのもまた必然である。生涯・万物の霊・主人公は、日常的なことばであるとともに、歴史的なことばであり、また文芸的なことばである。それを探し当てた西田耕三が、物語研究の申し子であるのなら、彼が書くことによってしか現実に定着できないのもまた必然であったのである。
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2017年09月20日

関ヶ原

読書の秋とか、芸術の秋とか言うけれど、読みたい本やら、見たい展示やら、映画やら、演劇やらが目白押し。なのに・・・、とあとは言うまい。
ともあれ、短くとも、一つずつコメントしていこう。
まず、映画「関ヶ原」の封切のタイミングで刊行された、勉誠出版のアジア遊学シリーズの1冊、井上泰至編『関ヶ原はいかに語られたか いくさをめぐる記憶と言説』(2017年8月)。
井上さんの編で、秀吉の虚像と実像に、史学・文学双方から迫った本が少し前に出たが、本書は、関ヶ原合戦に関わりの深い武士たちの、実像よりも「イメージ」形成、あるいは彼らの語られ方(歴史叙述)に焦点を当てたもの。
各論者に共有されたという、(近刊が予告されている)『慶長軍記』が各論考を横断し、重要な役割を果たしている。
冒頭の井上さんの論。中野等さんの『石田三成伝』の第9章批判で、どちらかといえば中野さんの良心的措置で、これも不十分ながら書いておかねばなるまいとして付した、三成イメージ形成史の章への、異義申し立てのスタイルを敢えてとる。三成評価は、19世紀ではなく、17世紀から始まるのだという点を特に強調している。中野さんとしても、不十分なところは自認しつつ書かれたものなので、「テキスト批判」としての論述は、中野さんにちょっと気の毒な気がするが、歴史的事実とイメージ形成の両方に目配りするという点では、中野さんの著書とあわせて、「石田三成の虚像と実像」が浮かび上がると言うことだろう。
 歴史叙述が宿命的に偽りを内包するというテーマは秋成の晩年の執筆倫理の問題と関わり、これがまた、西田耕三氏の新著に論じられるところだが、この話題は別エントリーとしよう。
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2017年09月08日

男色を描く

染谷智幸・畑中千晶編『男色を描く 西鶴のBLコミカライズとアジアの〈性〉』(勉誠出版、2017)。
わが誕生日に刊行してくださってありがとうございます(笑)。
BLの世界が盛り上がっているのはなんとなく存じ上げておりましたが、西鶴の男色大鑑のコミカライズが大いに注目を集めて、本も売れているというところにタイミングを合わせて、非常に面白い本が出ましたね。
これは、学術的成果をわかりやすく一般に伝える、というようなスタンスではなく、むしろBLあるいはLGBTの盛り上がりをそのまま紹介するというスタンス。そこに学術的な視点もあるが、執筆のありようは自由である。結果として、従来の学術的方法への批判にも、警鐘にもなっているが、あまりそういうことを考えずに、面白くどんどん読めてしまう。
本の工夫のひとつとしては、「です」「ます」体での統一。これは効果を上げている。そして染谷さんや畑中さんらの繋がり繋がりで執筆者が選ばれているが、その繋がり具合が、2つの座談会を求心点として、なにかの枠を突破するような世界を出現させている。
坂東実子さんの「鳥の文学」というテーマにかなりドキリとした。まさか最近飛行機でヒッチコックの「鳥」をみたからでもあるまいが。古典のコミカライズの問題は、日本古典文学研究とジャパノロジーを繋ぐ問題であること、外国の日本研究をしている学生と話したりすると痛感するが、次世代研究者世界には大きな分野になる予感がする。
いずれにせよ、この男色の問題は、いろいろな入口から入れるし、深めることも広げることもつながることも、いままでとは違うやり方でできそうだ。できそうだというのは、自分には出来ないのでやや羨望の混じった展望なのだけど。
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