ここ数年、日本文学研究に関わる議論を引っ張ってきた存在ともいえる『リポート笠間』。その編集者岡田圭介さんによる最後の編集となるのが本号である。私自身も、「近世文学研究のなかの「壁」」、「論争!」という特集号に声をかけていただき、感謝している。日本文学研究者が今考えなければならないテーマを常に掲げ、一般の読者にも支持が広がっていたと思う。笠間書院も、岡田さんも、この蓄積を今後に是非活かしていただきたいと切に願う。
63号も充実している。「国際化・学際化」が第1特集。
どの文章も問題提起に満ち、国際化・学際化の現在に真摯に向かい合っている。しかし日本文学全体は、まだまだ内向きで、変化に鈍感で、従来の研究の仕方に疑いをもっていないのではないか。人文学の危機が叫ばれていても、それは外圧的なことで、研究の崇高さは何者にも犯されない。表面的に国際だ、学際だ、社会還元などと言ってるが、言わせておけばいい・・・という信念を持っているのではないか。確かに、優れた研究者の研究は、おのずから学際的であり、社会の方が注目し、世界からお呼びがかかる。そういう人は変わらなくてもいいかもしれない。しかし、人文学自身が、外圧批判と自己弁護に終止していたら極めて危険である。将基面氏の憂慮に強く共感する。この誌面全体を見れば、学際的・国際的に活躍している人は多いが、それを揶揄的に傍観している人にも相変わらずよく出くわすのでね。
第二特集「古典のひらきかた」では、助動詞擬人化(須永哲矢氏)や、古典スタンプ(森田貴之氏)や、紅旗征戎Tシャツ(石井倫子氏)など、古典を日常に割り込ませ、キャラクター化する試みが紹介される。このあたり、私も似た試みをやることがあるが、学生のセンスにはホント脱帽する。かつての橋本治の「桃尻語訳」の流れというのか。変体仮名のフォントも国際標準コード化した現在、この方向には豊かな沃野が拡がっている。
しかし、いい方だけを見ているから、頼もしく見えるのだが、一方で、人文学を学んでそれがどれだけ人生に意味をもたらすのかという問いは根強くというか、全く衰えない。価値基準そのものが違うんだと言っても通用するわけがない。相手の論理や価値に即して有効な反論をしないといけないと思うのだが、国際化や学際化やキャラ化がその答えではないだろう。これに十全な反論ができればノーベル賞ものではないかと思うくらいに、それは困難であり、やはり人文学が自身を厳しく自己批判した上でないと、無理ではないのか。既存の人文学の論理で、人文学批判を冷笑するというパターンは、かなり悲しい図であると、私は思うのだが。いろいろ考えさせられる諸論であった。
2017年11月29日
2017年11月26日
変体仮名シンポジウム
,国立国語研究所、初見参。なんて立派な建物でしょうか!さんさんと光は入るし、4階からは富士山も見えるんだって。近くの共同研究利用機関と比べても・・・(いやいやこれはやめておきましょう)。というわけで、シンポジウム「変体仮名のこれまでとこれから」に参加、くずし字学習支援アプリのことを発表しました。
午前中は、変体仮名の歴史をめぐる、学術的な発表が3本。つまり「変体仮名のこれまで」。
午後からは3つセッションがあって、最初は変体仮名の文字コード国際標準化をめぐる3つの発表。平たく言えば、変体仮名を外字ではなくワープロ入力できるようになるまでの物語である。職人的フォント作りの話から、政治的駆け引きにも匹敵する戦略の話まで。今まで全くもって存じ上げなかったが、国語研・IPA・モリサワ(フォントを作った業者)の方々のご努力がKuLAを支えていたのだと、感謝の気持ちがこみ上げました。
次が変体仮名の学習をテーマとするセッションで、私がKuLA開発の経緯を、橋本雄太さんがKuLAのデモとシステムのことなどを、専修大学の斎藤建哉氏が変体仮名教育の実践の話を行った。とくに斎藤氏の創意あふれる授業方法には蒙を啓かれた。Webでもそれを公開しておられる。
最後のセッションは国文研の字形データセットと凸版印刷のOCR技術、そしてまとめ的な締めがあった。それぞれ聞き応えがあった。
ちなみに自分の発表は散々だったですが(なにしろ、驚いたのは、私だけハンドアウトがなかったことで。みなさん真面目ね。あと、パワーポイントでハイパーリンク張って説明しようと思ったのだが、発表者ツールモードではうまくいかないのね。折角事前に岡田一祐さん(国文研)にレクチャー受けていたのに馬鹿なことを。時間配分も大失敗だったのよ〜)、まあ終わったからいいとしよう。
しかし、ふと思ったのは、折角これだけデジタルヒューマニティーズが展開しているのに、国文学研究者、学生をふくめ、どれだけフォローできているのだろうかということ。不安になった。これはなんとかしなければと、そっちの方でもいろいろ相談をした次第でありました。
立川の宿からなんと富士山が見えたが、朝のモノレールからもばっちり拝めた。こんなに大きく見えるのかと改めて認識しました。
午前中は、変体仮名の歴史をめぐる、学術的な発表が3本。つまり「変体仮名のこれまで」。
午後からは3つセッションがあって、最初は変体仮名の文字コード国際標準化をめぐる3つの発表。平たく言えば、変体仮名を外字ではなくワープロ入力できるようになるまでの物語である。職人的フォント作りの話から、政治的駆け引きにも匹敵する戦略の話まで。今まで全くもって存じ上げなかったが、国語研・IPA・モリサワ(フォントを作った業者)の方々のご努力がKuLAを支えていたのだと、感謝の気持ちがこみ上げました。
次が変体仮名の学習をテーマとするセッションで、私がKuLA開発の経緯を、橋本雄太さんがKuLAのデモとシステムのことなどを、専修大学の斎藤建哉氏が変体仮名教育の実践の話を行った。とくに斎藤氏の創意あふれる授業方法には蒙を啓かれた。Webでもそれを公開しておられる。
最後のセッションは国文研の字形データセットと凸版印刷のOCR技術、そしてまとめ的な締めがあった。それぞれ聞き応えがあった。
ちなみに自分の発表は散々だったですが(なにしろ、驚いたのは、私だけハンドアウトがなかったことで。みなさん真面目ね。あと、パワーポイントでハイパーリンク張って説明しようと思ったのだが、発表者ツールモードではうまくいかないのね。折角事前に岡田一祐さん(国文研)にレクチャー受けていたのに馬鹿なことを。時間配分も大失敗だったのよ〜)、まあ終わったからいいとしよう。
しかし、ふと思ったのは、折角これだけデジタルヒューマニティーズが展開しているのに、国文学研究者、学生をふくめ、どれだけフォローできているのだろうかということ。不安になった。これはなんとかしなければと、そっちの方でもいろいろ相談をした次第でありました。
立川の宿からなんと富士山が見えたが、朝のモノレールからもばっちり拝めた。こんなに大きく見えるのかと改めて認識しました。
2017年11月20日
学会記(鹿児島大学)
久しぶりの鹿児島での日本近世文学会。以前の大会の時、山口大学に勤務していた私は、当時の私の愛車レビンで、同じ山口県の大学に勤めていた久保田啓一さん・高橋昌彦さんと鹿児島に向かい、帰りはロバート・キャンベルさんと宮崎修多さんも加え(もしかしたらキャンベルさんは行きも一緒だったかもしれない)、天草に寄って一泊という、楽しい小旅行をともにした思い出がある(ついでに言えば、天草では、スピード違反でつかまってしまった)。
学会そのものも、故中山右尚先生の仕切る懇親会や二次会が強烈なもので、レジェンドになっている。懇親会の出し物では当時鹿児島大学にいた国語学の江口さん(現在岡山大学)が、ギターかなんかであまり上品とはいえない弾き語りしていた。そのころ、若い発表者がスピーチをする慣習があったのか、高橋明彦さんがたしか発表をして、登壇する際にわざと転けて笑いをとっていたという記憶もある。2次会はあまりに異例すぎてここには書けない。
それは20数年前の話。今回は大阪から飛行機で。スタッフも当然変わって、丹羽謙治さんが実行委員長、亀井森さんが脇固め、後輩の内山弘さんも懐かしい顔を見せてくれた。
さて、恒例の学会記。鈴木彰さんの講演を聴けなかったのは残念であったが、8本の発表はいずれも水準以上の粒ぞろい。とりわけ私自身が個人的に感銘を受けた3本について記す。
閻小妹さん 『忠臣水滸伝』と『忠臣蔵演義』。『忠臣蔵演義』は『仮名手本忠臣蔵』の唐通事(通訳)による白話訳。その表現を京伝が『忠臣水滸伝』を創作するにあたって全面的に利用したということを見事に立証した、文句のつけようのない発表。では京伝はそれをなぜ利用しえたのか?閻さんは、背景に江戸文人の交流圏があるという。おっしゃる通りであろう。しかし、いよいよ明らかになる京伝の丸取り手法。一方で、奇想天外な発想を持つ戯作者でもある。この京伝の戯作者としての本質をどう説明すればよいのか?今後の京伝研究に期待大。そして、白話と近世文学というテーマもどんどん展開していく。
田中則雄さん 姫路騒動実録の生成と展開。関係文献を博捜した堅固な発表だが、まず従来知られる「姫陽陰語」の、ストーリーとして判然としない部分を指摘し、それが増補によって解消していくありさまをわかりやすく説明された。実録の成長を「問題点への対応」として整理していく手腕が鮮やかである。一方でそれとは違う系統の『忠臣河合実記』を紹介。当時の姫路藩における実説を摂取勘案するという「姫陽陰語」とは違う方法によって出来たものだと解説。非常によくわかった。
圧巻だったのは尾崎千佳さん。野間光辰先生や島津忠夫先生らが説いてきた、「宗因における連歌から俳諧へ」そして「宗因における出家」についての定説に対して、全く新しいイメージを提起した。大胆にして細心、パースペクティブもあり、読みの深さもあり、鋭さもあり。何よりも、宗因と、その交わる人との関係において、文芸をとらえるという、私としては、おこがましいのを承知でいえば、共感・連帯を強く感じるその視点での展開が、胸躍った。そして、口頭発表ならではの劇的な昂揚が会場を支配した。正味1時間はかかろうという中身の詰まった濃厚を、25分に圧縮して、猛烈な勢いで発表したが、そのためにわかりにくいところ、ついていけないところは全くなかった。そこにいるすべての者が集中する緊迫の時間が流れた。発表終了後に会場全体にどよめきが起こったのも宜なるかなである。このような発表の現場に居られて幸せである。鬼気迫るものがあり、尾崎さんの、学問というより、命をかけた発表で、近世文学会での名発表として歴史に残るだろう。
その他の発表にも触れたいところだか、取り急いでの報告。
学会そのものも、故中山右尚先生の仕切る懇親会や二次会が強烈なもので、レジェンドになっている。懇親会の出し物では当時鹿児島大学にいた国語学の江口さん(現在岡山大学)が、ギターかなんかであまり上品とはいえない弾き語りしていた。そのころ、若い発表者がスピーチをする慣習があったのか、高橋明彦さんがたしか発表をして、登壇する際にわざと転けて笑いをとっていたという記憶もある。2次会はあまりに異例すぎてここには書けない。
それは20数年前の話。今回は大阪から飛行機で。スタッフも当然変わって、丹羽謙治さんが実行委員長、亀井森さんが脇固め、後輩の内山弘さんも懐かしい顔を見せてくれた。
さて、恒例の学会記。鈴木彰さんの講演を聴けなかったのは残念であったが、8本の発表はいずれも水準以上の粒ぞろい。とりわけ私自身が個人的に感銘を受けた3本について記す。
閻小妹さん 『忠臣水滸伝』と『忠臣蔵演義』。『忠臣蔵演義』は『仮名手本忠臣蔵』の唐通事(通訳)による白話訳。その表現を京伝が『忠臣水滸伝』を創作するにあたって全面的に利用したということを見事に立証した、文句のつけようのない発表。では京伝はそれをなぜ利用しえたのか?閻さんは、背景に江戸文人の交流圏があるという。おっしゃる通りであろう。しかし、いよいよ明らかになる京伝の丸取り手法。一方で、奇想天外な発想を持つ戯作者でもある。この京伝の戯作者としての本質をどう説明すればよいのか?今後の京伝研究に期待大。そして、白話と近世文学というテーマもどんどん展開していく。
田中則雄さん 姫路騒動実録の生成と展開。関係文献を博捜した堅固な発表だが、まず従来知られる「姫陽陰語」の、ストーリーとして判然としない部分を指摘し、それが増補によって解消していくありさまをわかりやすく説明された。実録の成長を「問題点への対応」として整理していく手腕が鮮やかである。一方でそれとは違う系統の『忠臣河合実記』を紹介。当時の姫路藩における実説を摂取勘案するという「姫陽陰語」とは違う方法によって出来たものだと解説。非常によくわかった。
圧巻だったのは尾崎千佳さん。野間光辰先生や島津忠夫先生らが説いてきた、「宗因における連歌から俳諧へ」そして「宗因における出家」についての定説に対して、全く新しいイメージを提起した。大胆にして細心、パースペクティブもあり、読みの深さもあり、鋭さもあり。何よりも、宗因と、その交わる人との関係において、文芸をとらえるという、私としては、おこがましいのを承知でいえば、共感・連帯を強く感じるその視点での展開が、胸躍った。そして、口頭発表ならではの劇的な昂揚が会場を支配した。正味1時間はかかろうという中身の詰まった濃厚を、25分に圧縮して、猛烈な勢いで発表したが、そのためにわかりにくいところ、ついていけないところは全くなかった。そこにいるすべての者が集中する緊迫の時間が流れた。発表終了後に会場全体にどよめきが起こったのも宜なるかなである。このような発表の現場に居られて幸せである。鬼気迫るものがあり、尾崎さんの、学問というより、命をかけた発表で、近世文学会での名発表として歴史に残るだろう。
その他の発表にも触れたいところだか、取り急いでの報告。
2017年11月10日
竹田からくりの研究
山田和人さんの、『竹田からくりの研究』(おうふう、2017年10月)。
山田さんは、この研究を四半世紀続けておられ、文字通りの第一人者であろう。
このたび、竹田からくりに関わる論文を一書にまとめられたことは、近世演劇研究ひいては近世文化研究にとって、非常に慶賀すべきことだろう。
山田さんのからくり研究が、学界に広く知られるようになったのは、日本近世文学会での発表ではなかっただろうか。学界HPで確認すると平成六年山形での大会であったようだ。私の記憶なのであてにならないが、動画を使われたと記憶する。だとすれば近世文学会史上初ではなかったか。私には強く記憶に残っている。
このような体系的・総合的な論集としてまとまられた本を、通覧すると、「からくり」の研究が実に豊かな可能性(広がり)を持っているかを実感させられる。文献・絵画・そしてフィールドと、山田さんは精力的に、五体五感を使い、人と繋がって、研究という営みを超える活躍で、本書を作ったことがうかがえる。資料の少ない、非常に研究しにくい対象だが、これをやりぬいたのは、山田さんの、竹田からくりへの「愛」に他ならないだろう。
じっくり拝読してから紹介するのが筋だが、現状では、読破するのにかなり時間を要するので、とりあえず、出版を寿ぎ、ここで簡単に紹介させていただいた次第である。
山田さんのことを書くのは、もしかすると初めてかもしれないが、関西でしばらく学界事務局を引き受けた時に、山田さんから事務局を引き継いだ。事務局をやるように口説いてこられたのも山田さんである。その後、ご協力を惜しまれず、こちらの質問に何でも答えてくださった。とても感謝している。また某評議員会でもご一緒させていただいている。学会の委員会や研究会で同志社大にはお世話によくなっていて、ご縁は浅くない。来年度もちょっと山田さんに頼まれたことがあるし。私が言うのもなんだが、近世文学会の会員のなかでも、飛び抜けてダンディで、しかも明るく、好感度抜群の方で、ご一緒していて、いつも楽しい。研究のさらなる発展をお祈りしたい。
山田さんは、この研究を四半世紀続けておられ、文字通りの第一人者であろう。
このたび、竹田からくりに関わる論文を一書にまとめられたことは、近世演劇研究ひいては近世文化研究にとって、非常に慶賀すべきことだろう。
山田さんのからくり研究が、学界に広く知られるようになったのは、日本近世文学会での発表ではなかっただろうか。学界HPで確認すると平成六年山形での大会であったようだ。私の記憶なのであてにならないが、動画を使われたと記憶する。だとすれば近世文学会史上初ではなかったか。私には強く記憶に残っている。
このような体系的・総合的な論集としてまとまられた本を、通覧すると、「からくり」の研究が実に豊かな可能性(広がり)を持っているかを実感させられる。文献・絵画・そしてフィールドと、山田さんは精力的に、五体五感を使い、人と繋がって、研究という営みを超える活躍で、本書を作ったことがうかがえる。資料の少ない、非常に研究しにくい対象だが、これをやりぬいたのは、山田さんの、竹田からくりへの「愛」に他ならないだろう。
じっくり拝読してから紹介するのが筋だが、現状では、読破するのにかなり時間を要するので、とりあえず、出版を寿ぎ、ここで簡単に紹介させていただいた次第である。
山田さんのことを書くのは、もしかすると初めてかもしれないが、関西でしばらく学界事務局を引き受けた時に、山田さんから事務局を引き継いだ。事務局をやるように口説いてこられたのも山田さんである。その後、ご協力を惜しまれず、こちらの質問に何でも答えてくださった。とても感謝している。また某評議員会でもご一緒させていただいている。学会の委員会や研究会で同志社大にはお世話によくなっていて、ご縁は浅くない。来年度もちょっと山田さんに頼まれたことがあるし。私が言うのもなんだが、近世文学会の会員のなかでも、飛び抜けてダンディで、しかも明るく、好感度抜群の方で、ご一緒していて、いつも楽しい。研究のさらなる発展をお祈りしたい。
2017年11月02日
淇園・漱石・至宝
風邪がまだ治っていないが、今日はチャンス(大学祭前日で休講)なので、行くことにした。
まずは、招待券をいただいていた、大和文華館の柳沢淇園展。非常によかった。淇園の画風形成に影響を及ぼしたと思われる画も参考に展示されている。大雅が学んだとされる淇園の書画をこのように多数見るのは初めてだが、書も画も実に巧みでバランスのよいこと。中でも墨竹画の構図の絶妙と、あまりにも趣向を凝らしすぎともいえる書簡の意匠に目を奪われた。とても満足。図録購入してしまう。
さて、ここまで来たら天理へ。というわけで天理図書館までやってきた。アンリ・ファーブル。至宝展は参考館だったのね。でも、こちらではなんと漱石展。これがまた漱石自筆の書画・原稿・書簡がずらりと。いやこれだけ一ぺんに漱石の筆跡がみられるとは。まあ、あちこちで漱石展やってるんでしょうけど、私としてはこんだけ自筆を一挙に見るのは初めてなので。あらためて、漱石はやはり、江戸文人の流れにあるなーという感想。手紙はもう完全に江戸のものと同じで、文書を読み慣れた人でないと読めないでしょうし、漱石山房の用箋に書かれた原稿も、変体仮名の勉強をちょっとしないと多分すらすらは読めないでしょう。それにしても、若い頃、正岡子規の『明治豪傑譚』を送られての感想というか滅多斬りの批評を記した書簡は、六千字超らしいが、圧巻。文学青年漱石が躍動している。迷わず図録。
ついで参考館。1期は逃した至宝展。芭蕉や蕪村はもちろん、やはり奈良絵本がすごいと思う。さすが至宝やなと、繰り返し見つつ、満腹に。図録は・・・・。
え、正倉院展までは無理です。午後からは大学でやることがあったので。
まずは、招待券をいただいていた、大和文華館の柳沢淇園展。非常によかった。淇園の画風形成に影響を及ぼしたと思われる画も参考に展示されている。大雅が学んだとされる淇園の書画をこのように多数見るのは初めてだが、書も画も実に巧みでバランスのよいこと。中でも墨竹画の構図の絶妙と、あまりにも趣向を凝らしすぎともいえる書簡の意匠に目を奪われた。とても満足。図録購入してしまう。
さて、ここまで来たら天理へ。というわけで天理図書館までやってきた。アンリ・ファーブル。至宝展は参考館だったのね。でも、こちらではなんと漱石展。これがまた漱石自筆の書画・原稿・書簡がずらりと。いやこれだけ一ぺんに漱石の筆跡がみられるとは。まあ、あちこちで漱石展やってるんでしょうけど、私としてはこんだけ自筆を一挙に見るのは初めてなので。あらためて、漱石はやはり、江戸文人の流れにあるなーという感想。手紙はもう完全に江戸のものと同じで、文書を読み慣れた人でないと読めないでしょうし、漱石山房の用箋に書かれた原稿も、変体仮名の勉強をちょっとしないと多分すらすらは読めないでしょう。それにしても、若い頃、正岡子規の『明治豪傑譚』を送られての感想というか滅多斬りの批評を記した書簡は、六千字超らしいが、圧巻。文学青年漱石が躍動している。迷わず図録。
ついで参考館。1期は逃した至宝展。芭蕉や蕪村はもちろん、やはり奈良絵本がすごいと思う。さすが至宝やなと、繰り返し見つつ、満腹に。図録は・・・・。
え、正倉院展までは無理です。午後からは大学でやることがあったので。