『文選』の岩波文庫版が刊行開始された。訳注者は川合康三氏をはじめとする6名。私の研究室のお隣におられる浅見洋二さんもそのお一人である。浅見さんは「勤勉」を自認されているような方だが、隣に住む私はその勤勉さをよく存じ上げている。毎日遅くまで研究室で仕事をしておられる。六人注『文選』と異称されるという岩波文庫版の『文選』注釈に関わっておられることは存じ上げなかった。
第1巻には川合氏による総合的な解説が付されている。『文選』の文庫化は初めてではないかと思うが、我々にとっては大変ありがたい。
解説のごく一部を引用したい。『文選』の収める「文学」の範囲について。
顕著なのは、公的な言語、実用的な文書のたぐいが多いことである。皇帝や皇族が下す命令書、臣下が上呈する意見書などが、それぞれの文体とともに文学作品として収められている。それは中国では実用的な用途をもった文章にも文彩を凝らすものであったからであり、また文学を担う人びとが政治の場でも枢要な地位あったこととも関わる。
さて、解説の最後に書かれているが、この訳注は六人が分担したのではなく、毎月1回集まることを数年重ねて、討議・修正を繰り返して成った訳注なのだという。したがって信頼度は非常に高いと思う。
2018年01月22日
2018年01月09日
第4回わかりやすい文楽の入門教室(池田市)
近松研究所の水田かや乃さんからのご案内がありました。
1月27日、池田市の池田市立くれは音楽堂で標記の無料講座が行われます。14:00-15:00.
先着240名。要申し込み。
詳しくはこちら
以下案内から抜き書きします。
◆イベントの冒頭では、文楽を演じる技芸員(太夫(たゆう)・三味線・人形遣い)がわかりやすい解説をしますので、初心者や馴染みの少ない方でも楽しんいただけます。
◆文楽の体験コーナーも実施し、実際に人形をさわり、その重さや質感を体感します。時間に余裕があれば、太夫(たゆう)の語りや三味線の演奏にも挑戦していただき、悠久の時代を流れる浄瑠璃(義太夫節)の力強さと優美さを味わっていただきます。
◆教室の最後には、清姫が川を渡る「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)渡し場の段(わたしばのだん)」の場を上演します。
1月27日、池田市の池田市立くれは音楽堂で標記の無料講座が行われます。14:00-15:00.
先着240名。要申し込み。
詳しくはこちら
以下案内から抜き書きします。
◆イベントの冒頭では、文楽を演じる技芸員(太夫(たゆう)・三味線・人形遣い)がわかりやすい解説をしますので、初心者や馴染みの少ない方でも楽しんいただけます。
◆文楽の体験コーナーも実施し、実際に人形をさわり、その重さや質感を体感します。時間に余裕があれば、太夫(たゆう)の語りや三味線の演奏にも挑戦していただき、悠久の時代を流れる浄瑠璃(義太夫節)の力強さと優美さを味わっていただきます。
◆教室の最後には、清姫が川を渡る「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)渡し場の段(わたしばのだん)」の場を上演します。
2018年01月08日
山本秀樹さんの「菊花の約」古意
毎年、新年に去年1年の業績を送ってくださる山本秀樹さん。そのひとつが「「菊花の約」の古意」(『岡大国文論稿』45号、2017年3月)。見落としていたのでありがたかった。
賀茂真淵の著作のようなタイトルだが、その立ち位置はまさにタイトル通りである。実は私も同じ立ち位置、つまり江戸時代に読まれたであろう読み方の提示なのだが、読みそのものは違う。といって対立しているわけではない。共感するところが多い。
山本氏はいう。従来の読みとして取り上げるべきなのは木越治氏による、左門=「世間知らずの小児中坊的学者」という読みだが、実はそれは「読み」ではなく、「われわれ現代人はそれを肯定するわけには行かない、われわれはそれに付いていけない、という倫理「批評」だったと言わざるを得ない」と。そこまで私は言わない。浮世草子的な誇張された人物という読み方をされているのだと思う。ある意味、木越さんも「古意」なのだ。ただ、それを読んだ研究者の多くが、山本さんの言われる通りに、左門を批評しはじめたことは確かである。
さて、その上で、義兄弟となった左門と宗右衛門が再会の日を定める場面を、「今まで一度も(従来の菊花の約論がしてこ)なかった」「テクストの論理に即して解説」してみせる。宗右衛門はなぜ再会を数ヶ月の後に設定しなければならなかったのかという問題は、これまで確かに論点とされてはいなかった。そしてその日をある一日に決めてしまうという要因に、身分差を考えるべきだというのも従来なかった視点である。身分差を超える要因に学問があるというモチーフは、「繋がる文芸」を考えている私としても興味深い。これらの解析は、批評的観点ではなく、「古意」を明らかにすると趣旨に基づいているという点で一貫している。この立ち位置での議論を深めることが、「テクスト理解の成熟」だと私も思う。
文体は「山本秀樹節」というべきもので、そこはまた楽しめる要素のひとつである。
賀茂真淵の著作のようなタイトルだが、その立ち位置はまさにタイトル通りである。実は私も同じ立ち位置、つまり江戸時代に読まれたであろう読み方の提示なのだが、読みそのものは違う。といって対立しているわけではない。共感するところが多い。
山本氏はいう。従来の読みとして取り上げるべきなのは木越治氏による、左門=「世間知らずの小児中坊的学者」という読みだが、実はそれは「読み」ではなく、「われわれ現代人はそれを肯定するわけには行かない、われわれはそれに付いていけない、という倫理「批評」だったと言わざるを得ない」と。そこまで私は言わない。浮世草子的な誇張された人物という読み方をされているのだと思う。ある意味、木越さんも「古意」なのだ。ただ、それを読んだ研究者の多くが、山本さんの言われる通りに、左門を批評しはじめたことは確かである。
さて、その上で、義兄弟となった左門と宗右衛門が再会の日を定める場面を、「今まで一度も(従来の菊花の約論がしてこ)なかった」「テクストの論理に即して解説」してみせる。宗右衛門はなぜ再会を数ヶ月の後に設定しなければならなかったのかという問題は、これまで確かに論点とされてはいなかった。そしてその日をある一日に決めてしまうという要因に、身分差を考えるべきだというのも従来なかった視点である。身分差を超える要因に学問があるというモチーフは、「繋がる文芸」を考えている私としても興味深い。これらの解析は、批評的観点ではなく、「古意」を明らかにすると趣旨に基づいているという点で一貫している。この立ち位置での議論を深めることが、「テクスト理解の成熟」だと私も思う。
文体は「山本秀樹節」というべきもので、そこはまた楽しめる要素のひとつである。
2018年01月05日
『国語元年』解説を読む
あけましておめでとうございます。
本年の初更新です。
平成30年1月1日の日付で出た、新潮文庫、井上ひさしの『(新版)国語元年』。
解説を担当したのが、我が同僚でもあり、畏敬する後輩でもある岡島昭浩さん。
ネットの世界では、著作権の切れた書物のPDF画像を公開する「うわづら文庫」を主宰。その元になる青空文庫にも深く関わり、「国語学備忘録」などのWEBサイトなどでも知られる。
この解説を依頼したのが、新潮文庫編集担当のSさんらしいが、素晴らしい人選である。
この本には感想めいた解説ではなく、国語学の知識をきちんと踏まえた解説が絶対に必要だと思うからだが、実際岡島さんの解説は圧巻というべき蘊蓄に満ちていて、しかもこの作品をより深く味わえる情報を多く提供しているのである。
この解説にちょっとした既視感があった。井上ひさし作品のモデルや出典の詮索を楽しそうにしていくスタイル。ヒントはこの解説の終わりの方にある。井上ひさしは中野三敏先生と「国文学」誌でかつて対談をしていることを岡島さんは書いている(私も読んだが、「井上ひさし特集」の号であったその雑誌の対談では、中野先生が喋りまくって井上ひさしがほぼ聴き役という形になってしまった・・・。井上ひさしが希望して指名したということだったが)。中野先生は、井上ひさし『戯作者銘々伝』の文庫本の解説を書いた。原稿用紙30枚分くらいあったようだが、1日で書いたとおっしゃっていた。その解説は、それぞれのモデル・出典を次々に明らかにしていくというスタイルだった。岡島さんが解説を書くときに、この中野先生の解説が脳裏にあったのではないか?
なんていう憶測はともかく、この本は、本編と解説を両方楽しめる贅沢な本なのである。これは確かである。ちなみに岡島さんを起用したSさんも、岡島さんの(つまり私の)後輩に当たるのである。
本年の初更新です。
平成30年1月1日の日付で出た、新潮文庫、井上ひさしの『(新版)国語元年』。
解説を担当したのが、我が同僚でもあり、畏敬する後輩でもある岡島昭浩さん。
ネットの世界では、著作権の切れた書物のPDF画像を公開する「うわづら文庫」を主宰。その元になる青空文庫にも深く関わり、「国語学備忘録」などのWEBサイトなどでも知られる。
この解説を依頼したのが、新潮文庫編集担当のSさんらしいが、素晴らしい人選である。
この本には感想めいた解説ではなく、国語学の知識をきちんと踏まえた解説が絶対に必要だと思うからだが、実際岡島さんの解説は圧巻というべき蘊蓄に満ちていて、しかもこの作品をより深く味わえる情報を多く提供しているのである。
この解説にちょっとした既視感があった。井上ひさし作品のモデルや出典の詮索を楽しそうにしていくスタイル。ヒントはこの解説の終わりの方にある。井上ひさしは中野三敏先生と「国文学」誌でかつて対談をしていることを岡島さんは書いている(私も読んだが、「井上ひさし特集」の号であったその雑誌の対談では、中野先生が喋りまくって井上ひさしがほぼ聴き役という形になってしまった・・・。井上ひさしが希望して指名したということだったが)。中野先生は、井上ひさし『戯作者銘々伝』の文庫本の解説を書いた。原稿用紙30枚分くらいあったようだが、1日で書いたとおっしゃっていた。その解説は、それぞれのモデル・出典を次々に明らかにしていくというスタイルだった。岡島さんが解説を書くときに、この中野先生の解説が脳裏にあったのではないか?
なんていう憶測はともかく、この本は、本編と解説を両方楽しめる贅沢な本なのである。これは確かである。ちなみに岡島さんを起用したSさんも、岡島さんの(つまり私の)後輩に当たるのである。