2018年08月16日
大磯義雄文庫目録
大磯義雄氏は俳文学者。愛知教育大学名誉教授。平成27年逝去。その旧蔵書和装本1678点(うち俳書1122点)の目録が、寄贈を受け入れた岡崎市美術館から刊行された。平成26年に寄贈され、今年目録刊行というのは、この手の目録作成に関わったことのある者の経験から言えば、かなり早い。加藤定彦先生をはじめとする俳諧研究者を中心とする精鋭12名の、素晴らしい仕事である。解説は簡要だが、貴重書・稀書については指摘されているし、関連論文を注記するものもある。安永期あたりの俳書が随分多い印象。あとやはり蕪村でしょうか。私の研究対象だった潭北の教訓三部作が揃っているのも嬉しいかな。俳諧研究者は一見の価値あり。とりあえず紹介のみ。
2018年08月13日
読本研究愛
『読本研究新集』が第10集に到達した。ここまで引っ張ってこられた「読本研究の会」の事務局・編集委員の皆様に心から感謝します。
かつて故横山邦治先生が、読本研究の発展を願って、おそらく相当な私財もつきごんだのではないかと思われるが、苦労の上創刊された『読本研究』という研究誌があった。凝りに凝った装幀で(今回、横山先生の追悼特集で服部仁さんのご提案ということを知ったが)、部数も相当刷っていて、勝手に送りつけてはもし志を同じうする人は、これだけご寄付を、というスタイルではなかったかと思う。会費制ではなかった。だから先生の持ち出しが相当あったはずである。
この献身的な営みに、当時の若手研究者が応えて、『読本研究』は十輯到達、そこで、「十輯到達を祝う会」なる会が開かれたと記憶する。これを、翰林書房のご厚意で、後進が引き継いだのが『読本研究新集』だったが、版元にあまりに負担が大きく、五集で休刊となった。ところが、読本研究に携わる人たちというのは、本当に献身的な人が多くて、今度は会員制という形で、復刊を果たした。そしてそれが十集に到達。まさに、読本研究史に燦然と刻まれる記念号である。
その名も『読本の研究』という、まさにこの研究のスタンダードを作った横山先生の大著が後進の道標となったわけだが、読本研究の今日は、この大著だけではなく、横山先生の「読本研究愛」抜きでは語れない。その思いが今回の追悼特集となったわけである。
私は1度しか投稿しない不熱心なやからで、発言の資格もないが、横山先生が中村先生に事実上師事されていたため、中村門下の九州大学の先生方(この方々は私の大先輩でもあるのだが)と親しく、そのおかげで、貴重な研究上の恩恵を受けたのである。年2回の中村幸彦先生の蔵書整理へもお誘いいただいたり、大連図書館の書庫を拝見できたりと。また私が大阪大学に赴任して最初の留学生の教え子は横山先生のご紹介、つまり大連外国語大学での教え子であった。そのようなご縁にあずかったために、読本研究者のはしくれでさえない私も、おつきあいをさせていただくことができたのは誠に幸運であったといえよう。
さて、十集では、福田安典さんの『垣根草』諸本考が載る。私が校訂代表の『前期読本怪談集』に採った(書目を決めたのは木越治さんだが)『垣根草』について、劉菲菲さんの作者都賀庭鐘への再疑義をふくめ、問題論文である。このようにして、研究というのは進展するのかという好例でもある。福田さんの中には、上方で素晴らしい読本が書けるのは庭鐘と秋成だけではない、他にもたくさんいるんだという思いがある。おっしゃる通りだと思う。ただ、揚げ足取りになるけれど、「『垣根草』と『英草紙』を見比べると、明らかにその風格が違う」と言われると、やっぱり庭鐘は突出した存在だということを認めることになってしまわないだろうか。
今回は若手の論文が多くて好ましい。天野聡一氏の和文研究が、いよいよ佳境に入ってきた感がある。そろそろ一書にまとまるのだろうか。九月刊行予定の某研究誌にも、総括的和文論が掲載される予定である。
さて、読本研究は、さらに新しいステージに入るという。それを担う若手研究者がちゃんと出てくる。彼らの中にもまた「読本研究愛」がある。
かつて故横山邦治先生が、読本研究の発展を願って、おそらく相当な私財もつきごんだのではないかと思われるが、苦労の上創刊された『読本研究』という研究誌があった。凝りに凝った装幀で(今回、横山先生の追悼特集で服部仁さんのご提案ということを知ったが)、部数も相当刷っていて、勝手に送りつけてはもし志を同じうする人は、これだけご寄付を、というスタイルではなかったかと思う。会費制ではなかった。だから先生の持ち出しが相当あったはずである。
この献身的な営みに、当時の若手研究者が応えて、『読本研究』は十輯到達、そこで、「十輯到達を祝う会」なる会が開かれたと記憶する。これを、翰林書房のご厚意で、後進が引き継いだのが『読本研究新集』だったが、版元にあまりに負担が大きく、五集で休刊となった。ところが、読本研究に携わる人たちというのは、本当に献身的な人が多くて、今度は会員制という形で、復刊を果たした。そしてそれが十集に到達。まさに、読本研究史に燦然と刻まれる記念号である。
その名も『読本の研究』という、まさにこの研究のスタンダードを作った横山先生の大著が後進の道標となったわけだが、読本研究の今日は、この大著だけではなく、横山先生の「読本研究愛」抜きでは語れない。その思いが今回の追悼特集となったわけである。
私は1度しか投稿しない不熱心なやからで、発言の資格もないが、横山先生が中村先生に事実上師事されていたため、中村門下の九州大学の先生方(この方々は私の大先輩でもあるのだが)と親しく、そのおかげで、貴重な研究上の恩恵を受けたのである。年2回の中村幸彦先生の蔵書整理へもお誘いいただいたり、大連図書館の書庫を拝見できたりと。また私が大阪大学に赴任して最初の留学生の教え子は横山先生のご紹介、つまり大連外国語大学での教え子であった。そのようなご縁にあずかったために、読本研究者のはしくれでさえない私も、おつきあいをさせていただくことができたのは誠に幸運であったといえよう。
さて、十集では、福田安典さんの『垣根草』諸本考が載る。私が校訂代表の『前期読本怪談集』に採った(書目を決めたのは木越治さんだが)『垣根草』について、劉菲菲さんの作者都賀庭鐘への再疑義をふくめ、問題論文である。このようにして、研究というのは進展するのかという好例でもある。福田さんの中には、上方で素晴らしい読本が書けるのは庭鐘と秋成だけではない、他にもたくさんいるんだという思いがある。おっしゃる通りだと思う。ただ、揚げ足取りになるけれど、「『垣根草』と『英草紙』を見比べると、明らかにその風格が違う」と言われると、やっぱり庭鐘は突出した存在だということを認めることになってしまわないだろうか。
今回は若手の論文が多くて好ましい。天野聡一氏の和文研究が、いよいよ佳境に入ってきた感がある。そろそろ一書にまとまるのだろうか。九月刊行予定の某研究誌にも、総括的和文論が掲載される予定である。
さて、読本研究は、さらに新しいステージに入るという。それを担う若手研究者がちゃんと出てくる。彼らの中にもまた「読本研究愛」がある。
2018年08月12日
『上方文藝研究』15号 合評会
8月も中旬に突入、昨日は帰省ラッシュすごかったようですが、そんな折、豊中キャンパスで昨日(11日)行われたのが、『上方文藝研究』15号の合評会である。
この合評会、いつも真摯に厳しい相互批評が行われ、またしらないことも教えられ、大学院生はもちろんであろうが、私にもとても勉強になる。一応、合評会の模様を私なりに備忘として書き付けておく。東京から5人、山口から1人、岡山から1人と、この日のためにわざわざ遠方からお越し下さった方が多く、猛暑に負けない熱い議論が戦わされた。
まず、深沢眞二・深沢了子両氏の『宗因千句』の夫婦漫才風対談注釈シリーズ、宗因独吟恋俳諧百韻「花で候」巻注釈。これまで別の媒体で発表されてきたものだが、その雑誌が刊行されなくなったということで、上文に投稿が打診された。なにしろ、スタイルがスタイルなだけに、投稿を許可するかどうかが、まず大きな問題である。単に注釈だけであれば、量をかなり圧縮されるし、査読付き学術雑誌を謳う上文が、このようなスタイルのものを載せていいものか。今回投稿数が少なく、原稿が欲しいところにきた申し出だったが、慎重に対応しなければならない。
とりあえず、今回は投稿を受理し、査読を経て、合評会でもご意見を伺うということで、試みに掲載してみたわけであるが、やはりスタイルの問題について意見もあり、次号以降への投稿については、少し条件を出す可能性もある。
今回は、宗因の専門家である尾崎千佳さんが参加、おそらく読み上げれば2時間くらいはかかろうかというような膨大なメモをご用意されていたが、そのごく一部、大きな問題のみを指摘するにとどまったが、聞き応えのあるものだった。前書・後書を含めた読み方の問題。三句のわたりについてのとらえ方。特に印象に残ったのは、蕉門の読み方を宗因に適用させて読んでいるのではないかという指摘であった。
続いて、仲沙織氏の『新可笑記』作品論にも多くの質問・意見があった、とくに西鶴作品論における典拠論の問題(『阿弥陀の胸割』の本文のことなど)は、西鶴作品の「読者」とはどういう存在か、についての応酬は西鶴研究全体の問題である。
有澤知世氏の京伝合巻論は、京伝合巻に古画が使われる意味についての議論、またここでも京伝合巻の読者の問題、京伝と歌舞伎の関わり、見返しに示された妙見信仰の問題など。
次いで浅田徹さんの、萩原朗の門人情報を和歌を記した「花がたみ」の紹介。この資料は堂上派地下和歌宗匠というシステム、つまり堂上宗匠と地下宗匠の二重の宗匠というシステムを浮き彫りにするというものである。議論は「二重の師匠」と言うネーミングや、門人の履歴を詳細に書く意味など。
最後に福田安典氏の紹介したアメリカのタカラヅカ研究。その方法は、漫画を原作とするタカラヅカ歌劇の典拠と典拠ばなれを緻密に解析していくもので、我々の典拠研究に近いことをされていて驚かされる。しかも異文化コミュニケーション研究という領域の研究らしい。アメリカ在住なのに、タカラヅカ歌劇を殆ど見ているというマニアであり、グッズのコレクターでもあるジョエル・ソーンさん。たまげた。
さて、上方文藝研究も15号まできた。しかし、代表である私の退任も近く、今後どうするかという「終活」問題も課題である。それについても、ご意見を頂戴した。すぐに結論は出るものではないが、うっすらと方向性は見えてきたようだ。
この合評会、いつも真摯に厳しい相互批評が行われ、またしらないことも教えられ、大学院生はもちろんであろうが、私にもとても勉強になる。一応、合評会の模様を私なりに備忘として書き付けておく。東京から5人、山口から1人、岡山から1人と、この日のためにわざわざ遠方からお越し下さった方が多く、猛暑に負けない熱い議論が戦わされた。
まず、深沢眞二・深沢了子両氏の『宗因千句』の夫婦漫才風対談注釈シリーズ、宗因独吟恋俳諧百韻「花で候」巻注釈。これまで別の媒体で発表されてきたものだが、その雑誌が刊行されなくなったということで、上文に投稿が打診された。なにしろ、スタイルがスタイルなだけに、投稿を許可するかどうかが、まず大きな問題である。単に注釈だけであれば、量をかなり圧縮されるし、査読付き学術雑誌を謳う上文が、このようなスタイルのものを載せていいものか。今回投稿数が少なく、原稿が欲しいところにきた申し出だったが、慎重に対応しなければならない。
とりあえず、今回は投稿を受理し、査読を経て、合評会でもご意見を伺うということで、試みに掲載してみたわけであるが、やはりスタイルの問題について意見もあり、次号以降への投稿については、少し条件を出す可能性もある。
今回は、宗因の専門家である尾崎千佳さんが参加、おそらく読み上げれば2時間くらいはかかろうかというような膨大なメモをご用意されていたが、そのごく一部、大きな問題のみを指摘するにとどまったが、聞き応えのあるものだった。前書・後書を含めた読み方の問題。三句のわたりについてのとらえ方。特に印象に残ったのは、蕉門の読み方を宗因に適用させて読んでいるのではないかという指摘であった。
続いて、仲沙織氏の『新可笑記』作品論にも多くの質問・意見があった、とくに西鶴作品論における典拠論の問題(『阿弥陀の胸割』の本文のことなど)は、西鶴作品の「読者」とはどういう存在か、についての応酬は西鶴研究全体の問題である。
有澤知世氏の京伝合巻論は、京伝合巻に古画が使われる意味についての議論、またここでも京伝合巻の読者の問題、京伝と歌舞伎の関わり、見返しに示された妙見信仰の問題など。
次いで浅田徹さんの、萩原朗の門人情報を和歌を記した「花がたみ」の紹介。この資料は堂上派地下和歌宗匠というシステム、つまり堂上宗匠と地下宗匠の二重の宗匠というシステムを浮き彫りにするというものである。議論は「二重の師匠」と言うネーミングや、門人の履歴を詳細に書く意味など。
最後に福田安典氏の紹介したアメリカのタカラヅカ研究。その方法は、漫画を原作とするタカラヅカ歌劇の典拠と典拠ばなれを緻密に解析していくもので、我々の典拠研究に近いことをされていて驚かされる。しかも異文化コミュニケーション研究という領域の研究らしい。アメリカ在住なのに、タカラヅカ歌劇を殆ど見ているというマニアであり、グッズのコレクターでもあるジョエル・ソーンさん。たまげた。
さて、上方文藝研究も15号まできた。しかし、代表である私の退任も近く、今後どうするかという「終活」問題も課題である。それについても、ご意見を頂戴した。すぐに結論は出るものではないが、うっすらと方向性は見えてきたようだ。
2018年08月07日
神戸女子大学古典芸能研究センター電子目録
昨日(8月6日)、ゼミ有志5名とともに、神戸女子大学古典芸能研究センターを訪れた。同センターで仕事をされているOG川端咲子さんのお世話による。信多純一先生の志水文庫、伊藤正義文庫など、演劇・芸能関係を中心に、貴重な蔵書を拝見することができた。センターの活動は非常に活発で、毎年、大きなテーマでシンポジウムを行ったり、紀要を出したりしているが、最近「電子文庫」が公開されたことは特筆に値しよう。志水文庫の一部がまだ整備されていないということだが、かなりの部分は検索可能である。この電子目録は、@書誌情報が非常に詳しいこと、Aさまざまな方法で検索が可能。B目録全体の通覧も可能。という形で、非常に利用者サイドに立った工夫がなされていることが特筆に値する。
スタッフのご苦労は察するにあまりある。感謝感謝。
スタッフのご苦労は察するにあまりある。感謝感謝。
2018年08月04日
上田秋成と日下滞在
秋成ゆかりの地、日下を訪ねたことは既報した。旧河澄家で開催されていた上田秋成展を見ることが目的のひとつだったが、その後、旧河澄家学芸員の松澤さんから、『旧河澄家 年報』の既刊号に、秋成のことを調査研究した報告が載っているということで、わざわざ送付していただいた。とりわけ、平成27年度に掲載されている橋本拓也氏の「上田秋成と日下滞在−眼の治療と日下での執筆活動」は17頁におよぶ力作で、研究史もきちんと踏まえ、このテーマについて総合的に報告したもの。だが、おそらくほとんど知られていないのではないか。そう思って、挙げておく。秋成の日下における動向を知りたければ、要一読である。