2017年度の学部演習の受講登録は2回生のTさんがたったひとりだった。『英草紙』の注釈をするもの。担当をひとりでやるため、あまりに負担が大きいため、授業の目的のひとつである「板本のくずし字を読めるようになる」という学習目標を重視することにして、くずし字解読の訓練の時間を大幅に増やすべく、未翻刻の「奇談」書、『三獣演談』の翻字をすることにした。大学院生のFさんも自主的に聴講してくれ、またくずし字を勉強したいという国語学のM君も加わって読み進めた。この作品、授業で一部紹介したことがあり、「全文読みたい!」という希望もあったので、いつかは翻刻をやろうと思っていたのである。この際、概説と諸本解題を付して刊行しましょうかと提案したらTさんFさんとも乗ってくれて、2018年度は自主的に我が研究室に定期的に集まって読み合わせなどを行った。そして予定より遅れに遅れたが(これは私の怠慢のせいだが)、なんとか年度内に完成した。概説はTさん、諸本解題はFさん。Fさんはこのために、仙台へ、東京へ、天理へ。尾道の藤沢毅さんがやっている読本翻刻シリーズに倣ったものである。この冊子、京都近世小説研究会、上方読本を読む会、6月の近世文学会や授業などで配布予定。是非欲しいという方にはご相談に応じますので、コメント欄にでも。PDF公開もいずれ、と考えている。三獣とは象と牛と馬で、これは享保十四年の象の来朝をふまえ、同年に江戸で出版されたものである。三獣がなかなか知的な議論を展開するのである。
2019年03月23日
2019年03月06日
『叢』の終刊、お疲れさま!
『叢』40号が出た。2019年2月。いつもにまして分厚い。表紙の目次を見ると、黒石さんの黒本・青本『太平記綱目』を冒頭に、10本の草双紙の翻刻と研究。その相貌はいつもと変わりない。しかし、一番最後に黒石さんの「ご挨拶」がある。ん、何だろう?
そこには、終刊の挨拶があった。黒石さんの、振り絞るような言葉が連ねられていた。
『叢』の創刊は昭和54年である。九州大学の当時の院生たちが発刊した『文献探究』と同じく、手書き同人研究誌だった。『文献探究』創刊メンバーではないが、初期の活動に関わった者として言わせていただければ、『叢』は『文献探究』と兄弟の契りを結んだような、そういう研究誌だと思う。そのころ院生たちを中心とする手書き雑誌は他にあまりなかった。手書きではなくなったが、ともに今も続いている。
しかし、雑誌を続けていくことはすごくエネルギーを要する。モチベーションを保ち続けるのは至難である。運営・資金繰りも大変。
『叢』は研究同人誌としては非常に特異である。
第一に、東京学芸大学関係の方のみで運営・編集・執筆をしている。
第二に、草双紙の翻刻・研究に限定している。
これで四十年途絶えることなく雑誌を続けてきたことは、もう奇跡に近いだろう。小池正胤先生・黒石陽子さんのご人徳と、そこに集う学生たちの真摯な学問への志があり、「叢の会」の、研究会としての纏まりが、その奇跡を生んだのである。
しかし、いよいよ終刊。本当に本当に、ありがとう。お疲れさま、といいたい。
そこには、終刊の挨拶があった。黒石さんの、振り絞るような言葉が連ねられていた。
『叢』の創刊は昭和54年である。九州大学の当時の院生たちが発刊した『文献探究』と同じく、手書き同人研究誌だった。『文献探究』創刊メンバーではないが、初期の活動に関わった者として言わせていただければ、『叢』は『文献探究』と兄弟の契りを結んだような、そういう研究誌だと思う。そのころ院生たちを中心とする手書き雑誌は他にあまりなかった。手書きではなくなったが、ともに今も続いている。
しかし、雑誌を続けていくことはすごくエネルギーを要する。モチベーションを保ち続けるのは至難である。運営・資金繰りも大変。
『叢』は研究同人誌としては非常に特異である。
第一に、東京学芸大学関係の方のみで運営・編集・執筆をしている。
第二に、草双紙の翻刻・研究に限定している。
これで四十年途絶えることなく雑誌を続けてきたことは、もう奇跡に近いだろう。小池正胤先生・黒石陽子さんのご人徳と、そこに集う学生たちの真摯な学問への志があり、「叢の会」の、研究会としての纏まりが、その奇跡を生んだのである。
しかし、いよいよ終刊。本当に本当に、ありがとう。お疲れさま、といいたい。
2019年03月02日
白話小説の時代
丸井貴史さんの『白話小説の時代−日本近世中期文学の研究』(汲古書院、2019年2月)が刊行された。まずは慶びたい。『上方文藝研究』の同人でもあり、遠方から2年連続来ていただいているし、かつては金沢から読書会にも来ていただいていた。そして、授業で『英草紙』を読んでいるのだが、丸井さんが上文に掲載してくれた『英草紙』の解説はとてもいい入門になっているし、また論文にも学生がよく言及するところである。非常にこのごろ助けていただいている。
さて、この本の意義だが、その書名がよくあらわしているように、十八世紀を「白話小説の時代」と見立てたことである。十八世紀は私も自分の専門とちかいので、大いに議論したいところだ。そういう見方もありだ、と思う。丸井さんのポジションから言えば、そういうことになる。実際、いろいろな要素があるなかで、やはり「白話」だというところは、この本の最後の論文(書き下ろし)で熱く語られている。ここに私の論文をたくさん引いていただいていて有り難かったのであるが、私は、丸井さんの顰みに倣って、近世中期は「奇談の時代」だ!と言いたくなったのですよ。いい意味で刺激を受けた。なにしろ、考えてみたら、書名(巻名)として認められる「奇談」の初出は、白話小説の功績者の岡島冠山の「和漢奇談」なのである。白話と奇談は実は関係が密なのである。
この本のいいところは、解決には到らないにしろ、多くの問題系を提示しているところである。
たとえば、都賀庭鐘をはじめ当時の知識人が白話小説を校合した上で小説に取り組むと言うことの意味、ただしその意味は解明されてはいないが。
また『太平記演義』の読本史上の意義。不遇の作者像の問題と、読本初期の「史」はなぜ太平記ばかりなのかという視点。演劇のことは考えなくてもいいのかな。忠臣蔵とか。というのが素朴な感想である。
また吉文字屋の浮世草子は実は女性向けに作られたのではないのかという仮説。女子用往来や百人一首(ちなみに百人一首は一種の往来物である)を多く手がけた吉文字屋だから、なかなか魅力的であるが、散らし書きに往来物よろしく読み順番号をつけているという一例だけでは、なかなか仮説の域を出ない。散らし書きの手紙は男が読むものであり、男に教えているとも言えるだろう。
しかし、素晴らしいのは、そういう魅力的な問題提起が沢山行われているということだ。
もうひとつは中国白話小説そのものの諸本調査。中国留学の成果を活かして、中国にある本をかなり調査しているし、パリの本も調査している。この諸本調査で、読本の典拠研究はぐっと精度を増すであろう。
他にも、私にとっては貴重な指摘がたくさんあった。学恩とはこのこと。ありがとうございます。
ところでこの本のあとがきは、丸井さんの師匠の木越治さんの「中国に行け」という言葉が、彼の人生を決めた話が書かれている。研究者というのは本当に不思議で、決定的な「言葉」や「出会い」によって、その人の研究が運命づけれらるのである。
さて、この本の意義だが、その書名がよくあらわしているように、十八世紀を「白話小説の時代」と見立てたことである。十八世紀は私も自分の専門とちかいので、大いに議論したいところだ。そういう見方もありだ、と思う。丸井さんのポジションから言えば、そういうことになる。実際、いろいろな要素があるなかで、やはり「白話」だというところは、この本の最後の論文(書き下ろし)で熱く語られている。ここに私の論文をたくさん引いていただいていて有り難かったのであるが、私は、丸井さんの顰みに倣って、近世中期は「奇談の時代」だ!と言いたくなったのですよ。いい意味で刺激を受けた。なにしろ、考えてみたら、書名(巻名)として認められる「奇談」の初出は、白話小説の功績者の岡島冠山の「和漢奇談」なのである。白話と奇談は実は関係が密なのである。
この本のいいところは、解決には到らないにしろ、多くの問題系を提示しているところである。
たとえば、都賀庭鐘をはじめ当時の知識人が白話小説を校合した上で小説に取り組むと言うことの意味、ただしその意味は解明されてはいないが。
また『太平記演義』の読本史上の意義。不遇の作者像の問題と、読本初期の「史」はなぜ太平記ばかりなのかという視点。演劇のことは考えなくてもいいのかな。忠臣蔵とか。というのが素朴な感想である。
また吉文字屋の浮世草子は実は女性向けに作られたのではないのかという仮説。女子用往来や百人一首(ちなみに百人一首は一種の往来物である)を多く手がけた吉文字屋だから、なかなか魅力的であるが、散らし書きに往来物よろしく読み順番号をつけているという一例だけでは、なかなか仮説の域を出ない。散らし書きの手紙は男が読むものであり、男に教えているとも言えるだろう。
しかし、素晴らしいのは、そういう魅力的な問題提起が沢山行われているということだ。
もうひとつは中国白話小説そのものの諸本調査。中国留学の成果を活かして、中国にある本をかなり調査しているし、パリの本も調査している。この諸本調査で、読本の典拠研究はぐっと精度を増すであろう。
他にも、私にとっては貴重な指摘がたくさんあった。学恩とはこのこと。ありがとうございます。
ところでこの本のあとがきは、丸井さんの師匠の木越治さんの「中国に行け」という言葉が、彼の人生を決めた話が書かれている。研究者というのは本当に不思議で、決定的な「言葉」や「出会い」によって、その人の研究が運命づけれらるのである。