さて、2019年1月に勉誠出版から刊行された、滝川幸司・中本大・福島理子・合山林太郎編『文化装置としての日本漢文学』は、今後の日本漢文学研究者必携の1冊であると断言できる。
国文学研究資料館のNW事業(日本語の歴史的典籍の国際共同研究ネットワーク構築計画」)公募型共同研究である「日本漢文学プロジェクト」の共同研究成果報告書という位置づけになるだろうが、現在慶應大学の合山林太郎さんが大阪大学在籍時に代表者となって進めてきたプロジェクトであって、NW事業に少し関わってきた私としては、立ち上げの熱いシンポジウムから見てきているので、このような刺激的な一書が出来たことに感慨を禁じ得ない。
まず、大阪大学のスタッフ・OBが執筆者の過半数を占め、表紙にも阪大ゆかりの懐徳堂学主中井竹山の有名な後ろ向きの肖像を使っていただいているということ。阪大漢文学の層の厚さを見た。教え子の康盛国さんが論考を寄せているのも嬉しい。
そして、本書の切り口の新しさ。通史的な論集になっていることも大いに有益だが、日本漢文学研究の最近の潮流を反映して、東アジア漢文交流というテーマを立てていること(日本と朝鮮、日本と清)、幕末維新における和歌と漢詩の交錯の模様、さらには漢学教育への視点に加え、特筆すべきなのは、世界の漢文学研究の現状を紹介していることで、英語圏・韓国・台湾の三つのケースが紹介されている。少し前には考えられないことだが、現在漢文学研究に、国内外を問わず優秀な人材が集まり、英語・中国語・日本語の壁を易々と越えて議論できる人材が輩出してきたからである。
また福島理子さんの「エクソフォニーとしての漢詩」という視点。多和田葉子の著作から知られるようになったキーワードを日本漢詩文に応用し、和臭というネガティブな評価を、ポジティブに考える視点を打ち出している。鷲原知良さんもその観点からの論。
そして抜群に面白いのが、マシューさんの、英語圏における日本漢詩文研究の現状分析である。英語圏で議論されている、そもそも日本漢詩文とは何かに関する様々な最近の考え方は、非常に考えさせられるものであった。
2019年04月29日
2019年04月28日
近松時代浄瑠璃の世界
韓京子『近松時代浄瑠璃の世界』(ぺりかん社、2019年3月)。
前のエントリーからの繋がりで、この本を取り上げる。
長島弘明さん門下であり、しかも大屋多詠子さんと同じ青山学院大学に奉職された韓京子さんの論集。
私は近松浄瑠璃の論文について、専門家として評する資格はまったくないので、全く個人的な感想であることをまずお断りしておきたい。
近松といえば、どちらかといえば世話物が人気であろう。義理と人情の葛藤に悩む人間の真情、日常の中に突然やってくる陥穽のリアリティ・・・・、そういう近代的な個人の問題が、先取りされていることを評価されてきたように思う。
しかし、江戸時代の浄瑠璃の本道はやはり時代物なのだろう。近松においてもしかりではないのだろうか。
韓さんの論集は、時代物の考察の中でも、まず「趣向」を問題にしている。「趣向」とはすぐれて近世的な問題であろう。つまり、近松を近世的に読む、というのが韓さんの一貫した姿勢であり、それはやはり長島さんの指導の賜物ではないかと思うのである。
前のエントリーからの繋がりで、この本を取り上げる。
長島弘明さん門下であり、しかも大屋多詠子さんと同じ青山学院大学に奉職された韓京子さんの論集。
私は近松浄瑠璃の論文について、専門家として評する資格はまったくないので、全く個人的な感想であることをまずお断りしておきたい。
近松といえば、どちらかといえば世話物が人気であろう。義理と人情の葛藤に悩む人間の真情、日常の中に突然やってくる陥穽のリアリティ・・・・、そういう近代的な個人の問題が、先取りされていることを評価されてきたように思う。
しかし、江戸時代の浄瑠璃の本道はやはり時代物なのだろう。近松においてもしかりではないのだろうか。
韓さんの論集は、時代物の考察の中でも、まず「趣向」を問題にしている。「趣向」とはすぐれて近世的な問題であろう。つまり、近松を近世的に読む、というのが韓さんの一貫した姿勢であり、それはやはり長島さんの指導の賜物ではないかと思うのである。
2019年04月27日
馬琴と演劇
日本近世文学研究のいまの30〜40代で活躍している人たちを思い浮かべると、前エントリーで書いた小林ふみ子さんもそうだが、長島弘明門下の人が多く、またそれらの人々がほとんど博士論文を中心にして、研究書を既に出版していることに改めて気づかされる。これも長島さんの指導の方針なのだろう。まもなく某社から、長島さんの東大退休記念の、ユニークな本が出るときいたが、そのラインナップを見ても、これだけの研究者を育てたのか!(まあ勝手の育つ面もあるが)、と驚かされるのである。
その一人が大屋多詠子さんである。かつて大高洋司さんの読本の研究会でご一緒して以来は、学会以外でお会いすることはなかったが、今回、立派なご本を出された。
これも新刊紹介としてはちょっと遅れていますが、花鳥社から出た『馬琴と演劇』という文字通りの大著である。およそ700頁。そのうち馬琴と演劇の関わりを正面から論じたものが10本ほどある。いつのまにこれだけ書きためていたのですね。
附録として、歌舞伎台帳『園雪恋組題』翻刻、『加古川本蔵綱目』影印・翻刻・注釈。そして文化年間読本演劇化年表は労作である。
一口に演劇との関係といっても、演劇から受けた影響、読本の演劇化、その背後にある演劇界・出版界の状況など、さまざまな問題がある。河合真澄さんの論集が屹立していた感があるが、それに続く論集の誕生である。
その一人が大屋多詠子さんである。かつて大高洋司さんの読本の研究会でご一緒して以来は、学会以外でお会いすることはなかったが、今回、立派なご本を出された。
これも新刊紹介としてはちょっと遅れていますが、花鳥社から出た『馬琴と演劇』という文字通りの大著である。およそ700頁。そのうち馬琴と演劇の関わりを正面から論じたものが10本ほどある。いつのまにこれだけ書きためていたのですね。
附録として、歌舞伎台帳『園雪恋組題』翻刻、『加古川本蔵綱目』影印・翻刻・注釈。そして文化年間読本演劇化年表は労作である。
一口に演劇との関係といっても、演劇から受けた影響、読本の演劇化、その背後にある演劇界・出版界の状況など、さまざまな問題がある。河合真澄さんの論集が屹立していた感があるが、それに続く論集の誕生である。
2019年04月26日
へんちくりん江戸挿絵本
小林ふみ子『へんちくりん江戸挿絵本』(集英社インターナショナル新書、2019年2月)。この本も2ヶ月前に紹介を予告していたものです。大変遅くなって申し訳ございません。
小林さんも今や中堅。国際的・学際的に活躍している女性研究者。これからの江戸文化研究を引っ張っていくことになる一人である。
私の偏見かもしれないが、戯作研究者は、戯作を真面目に扱い、論じる方が多い。あの方も、あの方も・・・。
その中で、文章が軽やか〜な感じがするのは鈴木俊幸さんあたりだが、小林さんも明るい文体で、戯作の一般書を書くのにぴったりである。
縦横無尽に江戸のパロディ絵本の面白さを説いてゆく。中野三敏先生のいう、真面目とふざけの弥次郎兵衛。つまり、真面目な本がびくともしないくらいの存在感をもってリスペクトされているがゆえに、パロディは安心してそれを茶化せるという構造が、この本を読むと、具体的によくわかる。
神仏・思想・学問・文学・・・・と章立てされた中に並ぶのは、江戸時代に理屈無しに仰ぎ見られていたものたちとそのパロディである。ただ、「へんちくりん江戸挿絵本」というタイトルは、ちょっと惜しい感じが個人的にはする。この本はパロディ戯作から、パロディされる側の江戸時代の文化を照射する仕組みになっている。へんりくりんな本をただ紹介しているだけではないからである。
『へんりくりん挿絵本から見る江戸』ってのはどうでしょう?は?ダサい?やっぱりそうですか。すみません。撤回します。
小林さんも今や中堅。国際的・学際的に活躍している女性研究者。これからの江戸文化研究を引っ張っていくことになる一人である。
私の偏見かもしれないが、戯作研究者は、戯作を真面目に扱い、論じる方が多い。あの方も、あの方も・・・。
その中で、文章が軽やか〜な感じがするのは鈴木俊幸さんあたりだが、小林さんも明るい文体で、戯作の一般書を書くのにぴったりである。
縦横無尽に江戸のパロディ絵本の面白さを説いてゆく。中野三敏先生のいう、真面目とふざけの弥次郎兵衛。つまり、真面目な本がびくともしないくらいの存在感をもってリスペクトされているがゆえに、パロディは安心してそれを茶化せるという構造が、この本を読むと、具体的によくわかる。
神仏・思想・学問・文学・・・・と章立てされた中に並ぶのは、江戸時代に理屈無しに仰ぎ見られていたものたちとそのパロディである。ただ、「へんちくりん江戸挿絵本」というタイトルは、ちょっと惜しい感じが個人的にはする。この本はパロディ戯作から、パロディされる側の江戸時代の文化を照射する仕組みになっている。へんりくりんな本をただ紹介しているだけではないからである。
『へんりくりん挿絵本から見る江戸』ってのはどうでしょう?は?ダサい?やっぱりそうですか。すみません。撤回します。
2019年04月25日
コレクション日本歌人選 蕪村
揖斐高『コレクション歌人選65 蕪村』笠間書院、2019年1月刊。
蕪村を「仮名書きの詩人」と言ったのは上田秋成。これは上手いコピー。当時の「詩人」とは漢詩人のこと。
そして、句を読み解くのは、漢詩の専門家の揖斐高先生である。この人選絶妙。揖斐先生、50の句を、「故郷喪失の自画像」「重層する時空」「画家の眼」「文人精神」「想像力の源泉」「日常と非日常」の6つに配した。とりわけ、蕪村句の時間に注目している点、面白く読んだ。そして「想像力の源泉」に「月の宴秋津が声の高きかな」の句。「酔泣の癖」(泣き上戸)のあった古代の人物秋津を想像して創作した句だが、この秋津、『春雨物語』の「海賊」に出てくる。これを重視した日野龍夫先生の「海賊」論(上田秋成と復古)を、思い浮かべてだろう、「海賊」のことに触れつつ評釈している。これは私としても嬉しいのだ。日野先生も、タイガースと同じくらいに蕪村が好きだったと、蕪村を論ずる文章で書いておられたな。おふたりとも漢詩文研究の専門家だが、ロマンチスト(これは私の勝手なラベリングだが)で、蕪村好き。いろんな意味で、じんわりとくる本である。
ということで、少し前に出た本を、ぼちぼちとまた紹介してゆきます。
【追記】ご指摘を受けて、文章を一部削除しました。実は歌人コレクションに名を連ねた俳人は蕪村だけ、などと誤った情報を流していました。伊藤義隆さんの『芭蕉』が第2期にありました。伊藤さん、ごめんなさい。m(_ _)m
2019年04月12日
『三獣演談』について
いくつか前のエントリーで『三獣演談』の翻刻を刊行したという報告をしたが、それは是非欲しいという方も本日時点で現れなかったわけですが、少しずつ押し配りしている次第である。明日4月13日(土)は、京都近世小説研究会で、この象と牛と馬の鼎談というスタイルの本書について、報告する予定。題目は「『三獣演談』について」です。
例によって「奇談」書のひとつで、文学史的位置は重要なんだが、ほとんど知られていない。
研究会だが、今年度から、場所が京都府立大学になるということである。15:30分から、稲盛記念館2F会議室。
報告内容は空っぽなので告知するのも気が引けるのですが、このブログが研究実績のメモがわりとなるので書いています。お許し下さい。
なにか享保十四年の象の来日についてご存じの方は教えてくださいませ。もちろん研究会では、せめておみやげにってことで、翻刻『三獣演談』を配布します。
例によって「奇談」書のひとつで、文学史的位置は重要なんだが、ほとんど知られていない。
研究会だが、今年度から、場所が京都府立大学になるということである。15:30分から、稲盛記念館2F会議室。
報告内容は空っぽなので告知するのも気が引けるのですが、このブログが研究実績のメモがわりとなるので書いています。お許し下さい。
なにか享保十四年の象の来日についてご存じの方は教えてくださいませ。もちろん研究会では、せめておみやげにってことで、翻刻『三獣演談』を配布します。
2019年04月04日
摂津名所図会は何を描いたのか
大坂の学校といわれた懐徳堂、その歴代の堂主たち、また近代にいたるまで懐徳堂の維持に貢献してくださった人々の遺徳を偲び,顕彰する「懐徳忌」が、4月6日、午前11時から、上本町の誓願寺で行われる(直近の駅は谷町九丁目)。誓願寺には中井竹山・履軒をはじめとする懐徳堂関係者の墓の他に、西鶴の墓もある。近世文学研究に関わる人は一度は訪れておきたいところですね。ちなみに近隣には契沖の円珠庵、木村蒹葭堂の墓もある大応寺、近松門左衛門のMも、え、こんなところに、という感じであり、近世文学散歩に最適。
懐徳忌では、懐徳堂や大坂にまつわる講演があるのだが、なんと今年は私がタイトルのような内容で行うことになっている。これまでは運営側だったが、記念会の役員をやめたとたんに、お声がかかったのである。恐れ多いことである。
小さなお寺の本堂での講演なので上限30名という制限があるが、余席はまだあるらしいので、ここに告知しておく次第。
ご参加の方は事前に懐徳堂記念会事務局にお電話でご一報いただきたい。06-6843-4830です。
『摂津名所図会』は竹原春朝斎が一番多く挿絵を描いているが、その他にも何人か絵師がいて、特に丹羽桃渓という絵師は、『摂津名所図会』の中でも有名な絵を描いた画家である。歴史・人物・風俗の絵を多く描いているが、彼を起用したことで、『摂津名所図会』は他の名所図会とくらべて際立つ特徴をもつ名所図会になったように思われる。そういうことをお話するつもり。
懐徳忌では、懐徳堂や大坂にまつわる講演があるのだが、なんと今年は私がタイトルのような内容で行うことになっている。これまでは運営側だったが、記念会の役員をやめたとたんに、お声がかかったのである。恐れ多いことである。
小さなお寺の本堂での講演なので上限30名という制限があるが、余席はまだあるらしいので、ここに告知しておく次第。
ご参加の方は事前に懐徳堂記念会事務局にお電話でご一報いただきたい。06-6843-4830です。
『摂津名所図会』は竹原春朝斎が一番多く挿絵を描いているが、その他にも何人か絵師がいて、特に丹羽桃渓という絵師は、『摂津名所図会』の中でも有名な絵を描いた画家である。歴史・人物・風俗の絵を多く描いているが、彼を起用したことで、『摂津名所図会』は他の名所図会とくらべて際立つ特徴をもつ名所図会になったように思われる。そういうことをお話するつもり。
2019年04月01日
再見なにわ文化
「令和」の新元号が発表された。新年度が始まった。本ブログは、相変わらずマイペースで進めてゆきたい。
触れると予告した本について遅れているままになっているが、今日は肥田晧三先生の『再見なにわ文化』(和泉書院2019年2月)について、である。
読売新聞大阪本社版に連載されたものの単行本化。
大阪生まれで、大阪文化についての文字通りの生き字引である肥田先生の、素晴らしい記憶・博識で語られる、江戸から近代にかけての、生き生きとした大阪の芸能や本の話である。先生ご自身の関わりに触れながらの藤沢桓夫や織田作之助らの作家・文化人の話、先生ご自身がハマっておられたOSKや歌舞伎・落語さらにはジャズなどの芸能の話は、目の前に当時が再現されるかのような語りの力である。
もちろん、先生ご自身がご所蔵されている大阪の本に基づく蘊蓄。立版古という珍しい組み立て式錦絵の話、生玉人形や耳鳥斎(画師)についての興味深い謎解きなど、どれを読んでもやめられない面白さである。
とりわけ、上方子ども絵本については、岩波から子供絵本集を出すにあたって、上方篇を我が師中野三敏先生と一緒に編集した経緯が詳しく書かれて、一等興味深く拝読した。
まあ、これらを読むと、自分などが授業や講演で「大阪の文化とは」などとしたり顔で話すのが実に恥ずかしくなり、ゴメンナサイと謝りたくなるってってもんである。いわゆる「お笑い」だけが「なにわ文化」ではない。肥田先生が語っておられるのは、恐らく今の大阪の人も忘れてしまっているような、上品で暖かく、ハイレベルな「なにわ文化」である。
触れると予告した本について遅れているままになっているが、今日は肥田晧三先生の『再見なにわ文化』(和泉書院2019年2月)について、である。
読売新聞大阪本社版に連載されたものの単行本化。
大阪生まれで、大阪文化についての文字通りの生き字引である肥田先生の、素晴らしい記憶・博識で語られる、江戸から近代にかけての、生き生きとした大阪の芸能や本の話である。先生ご自身の関わりに触れながらの藤沢桓夫や織田作之助らの作家・文化人の話、先生ご自身がハマっておられたOSKや歌舞伎・落語さらにはジャズなどの芸能の話は、目の前に当時が再現されるかのような語りの力である。
もちろん、先生ご自身がご所蔵されている大阪の本に基づく蘊蓄。立版古という珍しい組み立て式錦絵の話、生玉人形や耳鳥斎(画師)についての興味深い謎解きなど、どれを読んでもやめられない面白さである。
とりわけ、上方子ども絵本については、岩波から子供絵本集を出すにあたって、上方篇を我が師中野三敏先生と一緒に編集した経緯が詳しく書かれて、一等興味深く拝読した。
まあ、これらを読むと、自分などが授業や講演で「大阪の文化とは」などとしたり顔で話すのが実に恥ずかしくなり、ゴメンナサイと謝りたくなるってってもんである。いわゆる「お笑い」だけが「なにわ文化」ではない。肥田先生が語っておられるのは、恐らく今の大阪の人も忘れてしまっているような、上品で暖かく、ハイレベルな「なにわ文化」である。