ハルオ・シラネ先生(コロンビア大学教授)が第26回山片蟠桃賞を受賞されました。この機会に来阪される機会をとらえ、大阪大学文学研究科では先生の講演会を開催します。
6月18日(火)14:40〜16:10
大阪大学豊中キャンパス法経講義棟2番教室
場所はこちらをご参照ください。
http://www.let.osaka-u.ac.jp/ja/access 。
「四季の創造 日本文化と自然観の系譜」。入場無料、事前申込不要。
お問い合わせは、bunsouhaku-syomu@office.osaka-u.ac.jp (大阪大学文学研究科庶務係)
講演は授業の一環として行われます。
同会場は10分前まで、別の授業がございますので、入場は約10分前からになります。よろしくお願い申し上げます。
2019年06月11日
2019年06月09日
学会記(鶴見大学)
恒例の学会記。本年度春季大会は、鶴見大学。前日は国文研の会議に出た後、横浜でちょっと私的なお祝いの会。土曜日午前中は、慶應大学三田キャンパス図書館に出向いて「本の虫・本の鬼」展を観た。いや、すばらしかったです。眼福とはこのことかな。田町からJRで鶴見駅に到着すると、多くの知り合いがいて、迷うことなく到着できました。鶴見大学はよく学会を開催することがあって、学生さんも馴れていて、そつがなく、おもてなすぶりがすごい。過剰なサービスがあるわけではないのだが、とにかくいこごちがいい。これは指導が徹底しているというよりも学生さんがすべてわかっていて、的確に行動できるということに他ならない。ちなみにここの学生さんはKuLAでよく勉強されているようで、しみまるCVの私も、ゆるきゃら並の歓迎を受けたのである(大げさ)。あまりの嬉しさに、しみまるの声でいろいろやってみせていると、N大のK員M江さんに、「やめなさい」と注意をされてしまいました。ちょっと軽すぎましたか。
もちろん、神林尚子さんと加藤弓枝さんの開催校実行委員コンビも完璧で、テンパった様子もなく、まるで日常業務をこなすかのように、きちきちと進めていくのである。図書館で行われていた展示も、ただいいものを見せるというのではなく、非常に学術的に構成されているのに感心した。それのみならず、いろいろと配慮が!
発表は9本、若手・中堅・ベテラン・大家が、バラエティーに富む発表をした。印象に残ったのは、「その調査は何のために?」「その調査結果からどういう見通しが」というような質問が多かったことであろうか。
ところで、2日目の午前中に偵察すると、学生とともに演習の成果として刊行した『翻刻『三獣演談』』の売れ行き(無料なのですが)が芳しくなかったので、昼休み前にアナウンスさせていただくと、なんとあっというまになくなってしまったのは嬉しい驚きだった。
ただし、そのアナウンスで言うのを忘れていたので、ここで申しあげるが、すでに翻刻に関して、翻刻ミスをはじめさまざまなご指摘をいただいていた。それを「正誤表」などの形で反映することが、私の怠慢でできないまま、学会で配布してしまったのである。そのことのお詫びと、また翻字ミスのご指摘をお願いするのを、忘れてしまったのである。この場でお願い申しあげる次第です。
そういえば、初日の2次会マップで、「一推しです」と学生さんに勧められた、ドイツ料理のお店、美味しかったです。
いつもに比べると、ちょっと軽めの学会記、どうもすみません。でも一応全部聴きましたので。
もちろん、神林尚子さんと加藤弓枝さんの開催校実行委員コンビも完璧で、テンパった様子もなく、まるで日常業務をこなすかのように、きちきちと進めていくのである。図書館で行われていた展示も、ただいいものを見せるというのではなく、非常に学術的に構成されているのに感心した。それのみならず、いろいろと配慮が!
発表は9本、若手・中堅・ベテラン・大家が、バラエティーに富む発表をした。印象に残ったのは、「その調査は何のために?」「その調査結果からどういう見通しが」というような質問が多かったことであろうか。
ところで、2日目の午前中に偵察すると、学生とともに演習の成果として刊行した『翻刻『三獣演談』』の売れ行き(無料なのですが)が芳しくなかったので、昼休み前にアナウンスさせていただくと、なんとあっというまになくなってしまったのは嬉しい驚きだった。
ただし、そのアナウンスで言うのを忘れていたので、ここで申しあげるが、すでに翻刻に関して、翻刻ミスをはじめさまざまなご指摘をいただいていた。それを「正誤表」などの形で反映することが、私の怠慢でできないまま、学会で配布してしまったのである。そのことのお詫びと、また翻字ミスのご指摘をお願いするのを、忘れてしまったのである。この場でお願い申しあげる次第です。
そういえば、初日の2次会マップで、「一推しです」と学生さんに勧められた、ドイツ料理のお店、美味しかったです。
いつもに比べると、ちょっと軽めの学会記、どうもすみません。でも一応全部聴きましたので。
2019年06月03日
〈奇〉と〈妙〉の江戸文学事典
長島弘明さんの東大ご退職記念となる『〈奇〉と〈妙〉の江戸文学事典』(文学通信、2019年5月)が上梓された。
まことにおめでたい。
この辞典の素晴らしさは、まず、企画である。これまでにないアイデアの「読む」事典ですね。もちろん、索引を使って、引く事典としても使えるし、ジャンル別の索引があるのも便利である。
そして、すべての執筆者が、直接間接に教え子だということ、それが約40人、というのは本当に驚くべきこと、みなさん第一線で活躍している方ばかりである。今、自分の教え子だけで、多ジャンルにわたる事典が作れるというのは、近世文学では長島さんしかいないだろうが、それにしてもこの人数は突出しています。
一般の方向けに、平易に書かれているとはいえ、専門家にもとても役立つ本になっている。信頼できる著者により、最新の研究を踏まえた文献案内が付されているので、安心である。
このようにジャンルを解体し、テーマで分類することで、江戸文学の新たな魅力が再発見される。
奇妙な本を集めているように見えて、スタンダードもほとんど網羅している(少しの例外はあるが・・・)ところも、本書が広く読まれ、また公共図書館や大学・高校の図書館に置かれるだろうなと想像できる理由である。
ソフトカバーにして、価格もリーズナブルな設定。卒論に近世文学を選ぶ学生に、まずこれを読んでみて、と勧められる1冊でもある。
今回は、〈奇〉と〈妙〉がテーマだった。テーマを変えてもいいから、古稀記念でも、1冊出して欲しい。江戸文学には、まだまだ、傑作・問題作・爆笑作はいくらでもあるのですから。あ、そのためにはこの本、売れて欲しいですね。
まことにおめでたい。
この辞典の素晴らしさは、まず、企画である。これまでにないアイデアの「読む」事典ですね。もちろん、索引を使って、引く事典としても使えるし、ジャンル別の索引があるのも便利である。
そして、すべての執筆者が、直接間接に教え子だということ、それが約40人、というのは本当に驚くべきこと、みなさん第一線で活躍している方ばかりである。今、自分の教え子だけで、多ジャンルにわたる事典が作れるというのは、近世文学では長島さんしかいないだろうが、それにしてもこの人数は突出しています。
一般の方向けに、平易に書かれているとはいえ、専門家にもとても役立つ本になっている。信頼できる著者により、最新の研究を踏まえた文献案内が付されているので、安心である。
このようにジャンルを解体し、テーマで分類することで、江戸文学の新たな魅力が再発見される。
奇妙な本を集めているように見えて、スタンダードもほとんど網羅している(少しの例外はあるが・・・)ところも、本書が広く読まれ、また公共図書館や大学・高校の図書館に置かれるだろうなと想像できる理由である。
ソフトカバーにして、価格もリーズナブルな設定。卒論に近世文学を選ぶ学生に、まずこれを読んでみて、と勧められる1冊でもある。
今回は、〈奇〉と〈妙〉がテーマだった。テーマを変えてもいいから、古稀記念でも、1冊出して欲しい。江戸文学には、まだまだ、傑作・問題作・爆笑作はいくらでもあるのですから。あ、そのためにはこの本、売れて欲しいですね。
2019年06月02日
和歌を読み解く 和歌を伝える
海野圭介さんの、浩瀚な論文集『和歌を読み解く 和歌を伝える −堂上の古典学と古今伝授』(勉誠出版、2019年2月)は、「古典研究は本当に必要なのか」という問いに答えてくれる論文集だ、ということもできるだろう。
1月に行われた「古典は本当に必要なのか」というシンポジウムの問いは、「(現代において)古典(教育)は、(高等学校の必修科目として)本当に必要なのか」という論点で議論されたわけだが、本書は直接それに答えるものでは、もちろんない。
しかし、室町から江戸初期にかけての、とくに公家たちをはじめとする知識階級の、知的基盤・行動規範・倫理基準にもなりえたのが、平安期に成立した古典であって、その古典を研究し、継承することは、彼らの生きることとほぼ同義であったことを、この論文集は示しているだろう。
歴史的な古典研究を研究した古典研究書、ということになるわけだが、当然、それは現在の古典研究を照射することにもなる。
先人たちが古典とどう向き合ってきたのか、ということを知らずして、現在における古典研究の意義を語ることはできないだろう。
その意味で、本研究書は、和歌研究史・学問史などにおいて、重要な一書となったと同時に、現代的な意義も大いに有していることを、あらためて感じている。
海野さんの強みは、膨大な資料収集と読解に基づく緻密な実証主義と、日本文学研究者に少ない英語力を駆使して海外研修や国際会議での活躍の経験に富むという国際性を兼ね備えた、希有の研究者であるということだ。したがって、一見、細かいことを研究しているようで、その先に大きな展望がある。グローバルな学問的課題に応えることのできる発想の基盤がある。
ここ10年くらいの研究の動向を見ていると、海野氏のこの強みが、ますます今後必要とされてくるに違いない。
大阪大学で何年か同僚として過ごした縁で、本書の中の一つの論文は、私が編集に関わった本に書いていただいたものであり、また資料編として収められたものは、私が大阪大学に来てしばらくして創刊した雑誌に寄稿していただいたものである。そのため、あとがきで律儀に私の名前も出していただいていて、ありがたい次第である。今後のご活躍を期待してやまない。
1月に行われた「古典は本当に必要なのか」というシンポジウムの問いは、「(現代において)古典(教育)は、(高等学校の必修科目として)本当に必要なのか」という論点で議論されたわけだが、本書は直接それに答えるものでは、もちろんない。
しかし、室町から江戸初期にかけての、とくに公家たちをはじめとする知識階級の、知的基盤・行動規範・倫理基準にもなりえたのが、平安期に成立した古典であって、その古典を研究し、継承することは、彼らの生きることとほぼ同義であったことを、この論文集は示しているだろう。
歴史的な古典研究を研究した古典研究書、ということになるわけだが、当然、それは現在の古典研究を照射することにもなる。
先人たちが古典とどう向き合ってきたのか、ということを知らずして、現在における古典研究の意義を語ることはできないだろう。
その意味で、本研究書は、和歌研究史・学問史などにおいて、重要な一書となったと同時に、現代的な意義も大いに有していることを、あらためて感じている。
海野さんの強みは、膨大な資料収集と読解に基づく緻密な実証主義と、日本文学研究者に少ない英語力を駆使して海外研修や国際会議での活躍の経験に富むという国際性を兼ね備えた、希有の研究者であるということだ。したがって、一見、細かいことを研究しているようで、その先に大きな展望がある。グローバルな学問的課題に応えることのできる発想の基盤がある。
ここ10年くらいの研究の動向を見ていると、海野氏のこの強みが、ますます今後必要とされてくるに違いない。
大阪大学で何年か同僚として過ごした縁で、本書の中の一つの論文は、私が編集に関わった本に書いていただいたものであり、また資料編として収められたものは、私が大阪大学に来てしばらくして創刊した雑誌に寄稿していただいたものである。そのため、あとがきで律儀に私の名前も出していただいていて、ありがたい次第である。今後のご活躍を期待してやまない。