真山青果といえば、なんといっても『元禄忠臣蔵』の作者。忠臣蔵の物語は、この青果の作品で現代ドラマになったと言えるかもしれない。
しかし、青果は劇作家というだけではない。もともとは自然主義小説作家であり、またその収入の大半を西鶴研究をはじめとする近世文学研究に注ぎ込んだ研究者でもある。本書は、真山青果の旧蔵書の管理を引き受けられた星槎グループ(幼稚園から大学院まで、さまざまなユニークな学びを実践する教育グループ)の全面的支援を受け、国文学研究資料館の協力を得て、蔵書調査・学術シンポジウム・展示などの実績を踏まえて出版された、さまざまな顔をもつ真山青果の仕事の再評価の書、それが『真山青果とは何者か?』(文学通信、2019年7月)である。編者は真山蘭里氏・日置貴之氏と私で、執筆者・対談者は総勢25名。T交遊関係、U小説家・研究者、V劇作家、W青果作品小事典、Xビジュアルガイドの五部構成。特別座談会として、中村梅玉・神山彰・中村哲郎・織田紘二・日置貴之の「青果劇の上演をめぐって」。読み応えあります。詳細はこちらを御覧いただきたい。
私は本書成立の経緯を後書きとして書いているだけなのだが、不思議な縁つながりで本書は出来上がっている。25名の執筆者の皆様と、星槎グループの皆様に心より御礼申し上げます。
2019年07月30日
2019年07月28日
濱田啓介『国文学概論』の偉業
厚さ6センチ。1200頁超のとてつもない日本文学概論書が2019年6月、京都大学学術出版会から刊行された。濱田啓介先生の『国文学概論』である。「後記」に、出版にいたる経緯が記されている。京都大学学術出版会の八木俊樹さん(故人)という編集者のお勧めがあったようだ。濱田先生みずからおっしゃるには、「私がある対象領域についての求心的な研究者ではなく、あちらこちらへと発散的な性格であることを(八木さんが=飯倉注)了解しておられたのと、先の著書の内容には、様式論・伝達論のような言い方が有ったので、その点で特徴ある研究者だと思われたからであったようだ」と。八木さんが亡くなられたあとも企画は生きていて、濱田先生は、20年これに取り組み、余人の追随を許さない超大作を完成させたのである。手書きだっという。原稿は2014年に書き終わられ、それからさらに編集者との意見交換を繰り返し、2018年に完工したという。
序章として「伝達論の立場から」という文章がある。国文学の概論が、現時点では、「国文学」とは何かというそもそも論から始めなければならないのは重々承知の上で、それを正面から扱えば、いま一冊の本が必要である、だから、様々な観点から国文学の範疇に入ると大方の了解を得ているテキスト群を、その作品という「もの」に即して、歴史的に通観するという立場をまず表明する。
次に、「伝達」というキーワードで、文学を捉える。作者という発信者が、同意同感を所期して受信者に向けて、何かを伝える。そのときに、文学的言語技術を必要とする。「文学的価値とは、端的には言語技術の価値という事になり、それ以外の唯一の美学的基準はない」。作者から読者への伝達という点に着目するこの考え方に、時枝誠記の言語過程説などが影響を与えているような気もするが、いかがであろう。さすがに近世の作品については細やかである。最近、私は高山大毅氏の提言を受け、「雅俗」概念について再考すべきことを痛感しているが、濱田先生はどうだろう、もしかすると概論の中で「雅俗」の語を用いていないのではないか、と「期待」しつつ読んでいったが、やはり使っておられた。『仁勢物語』のところで。パロディの価値は、「雅俗両界を統合する発信者の言語技術の成果であり、文学的価値が成立する」と。とはいえ、どちらかといえばあまり使っておられないなと思う。そこに少し注目している。
「言語技術」というドライな用語は、文学の評価を、主観的・心情的にすべきではないという姿勢の表れかな、とも思う。
この概論の考え方をベースに、以下時代順・ジャンル順に文学史的な記述が行われる。部分的にしかまだ読んでいないが、どこを読んでも弛緩がない。そしてあくまで客観的な叙述を心がけている。
近世文学までを論じきって、近代の入口まで来たとき、濱田先生は、「立ち留る」。そして、その時点で、さらに先に進んでいく「近代文学の後ろ姿」を望見して終章とする。見事な締めくくりである。
幸いに、私は濱田先生を中心とする京都近世小説研究会に(時々サボっているけれど)20年弱参加し、濱田先生から様々な教えを受けた。またかつては中村幸彦先生宅の蔵書調査に加えていただき、読本を調査される濱田先生のノートを見せていただいた思い出がある。もちろんそのノートには圧倒された。大高洋司さんのプロジェクトでも俯瞰図的なことを発言されることが多かったと記憶する。先生は造本や書型や版元の営為など、現在でこそ主流となっている切り口を若い頃からお持ちであり、その背後には、ものすごく大きな構想が常にあった。今回の国文学概論はだから、出るべくして出た本だともいえるのだが、やはり、余人には真似の出来ない大業である。90歳を前にしての偉業に心から敬服と祝意を表するものである。
序章として「伝達論の立場から」という文章がある。国文学の概論が、現時点では、「国文学」とは何かというそもそも論から始めなければならないのは重々承知の上で、それを正面から扱えば、いま一冊の本が必要である、だから、様々な観点から国文学の範疇に入ると大方の了解を得ているテキスト群を、その作品という「もの」に即して、歴史的に通観するという立場をまず表明する。
次に、「伝達」というキーワードで、文学を捉える。作者という発信者が、同意同感を所期して受信者に向けて、何かを伝える。そのときに、文学的言語技術を必要とする。「文学的価値とは、端的には言語技術の価値という事になり、それ以外の唯一の美学的基準はない」。作者から読者への伝達という点に着目するこの考え方に、時枝誠記の言語過程説などが影響を与えているような気もするが、いかがであろう。さすがに近世の作品については細やかである。最近、私は高山大毅氏の提言を受け、「雅俗」概念について再考すべきことを痛感しているが、濱田先生はどうだろう、もしかすると概論の中で「雅俗」の語を用いていないのではないか、と「期待」しつつ読んでいったが、やはり使っておられた。『仁勢物語』のところで。パロディの価値は、「雅俗両界を統合する発信者の言語技術の成果であり、文学的価値が成立する」と。とはいえ、どちらかといえばあまり使っておられないなと思う。そこに少し注目している。
「言語技術」というドライな用語は、文学の評価を、主観的・心情的にすべきではないという姿勢の表れかな、とも思う。
この概論の考え方をベースに、以下時代順・ジャンル順に文学史的な記述が行われる。部分的にしかまだ読んでいないが、どこを読んでも弛緩がない。そしてあくまで客観的な叙述を心がけている。
近世文学までを論じきって、近代の入口まで来たとき、濱田先生は、「立ち留る」。そして、その時点で、さらに先に進んでいく「近代文学の後ろ姿」を望見して終章とする。見事な締めくくりである。
幸いに、私は濱田先生を中心とする京都近世小説研究会に(時々サボっているけれど)20年弱参加し、濱田先生から様々な教えを受けた。またかつては中村幸彦先生宅の蔵書調査に加えていただき、読本を調査される濱田先生のノートを見せていただいた思い出がある。もちろんそのノートには圧倒された。大高洋司さんのプロジェクトでも俯瞰図的なことを発言されることが多かったと記憶する。先生は造本や書型や版元の営為など、現在でこそ主流となっている切り口を若い頃からお持ちであり、その背後には、ものすごく大きな構想が常にあった。今回の国文学概論はだから、出るべくして出た本だともいえるのだが、やはり、余人には真似の出来ない大業である。90歳を前にしての偉業に心から敬服と祝意を表するものである。
2019年07月22日
大橋正叔『近松浄瑠璃の成立』
先日のある会の二次会で、井上泰至・福田安典・佐伯弘次のお三方と同席したが、同世代だという。学会にいると、時々そういう話題になる。ちなみに、鈴木俊幸・山本卓・冨田康之・ロバート=キャンベル・高橋則子各氏あたりと私は同世代だろうと思う。さて、私より一回り上、昭和17年・18年生まれの世代も、ひとかたまりで優れた研究者がたくさんいるのだ。お世話になった方や、親しくさせていただいている方のみ挙げても、井上敏幸・若木太一・故中山右尚・井口洋・西田耕三・上野洋三・・・・と錚々たるひとたち。そして大橋正叔先生だ。ちなみに、私が自然に「先生」と呼んでしまうのは、この世代までで、その少し下になる白石良夫・大高洋司・服部仁・廣瀬千紗子・渡辺憲司・故木越治・中嶋隆・・・・各氏に対しては「さん」づけになってしまう。
で、九州の先生方は先輩でもあり、可愛がっていただいていたので、怖くはなかったが、関西在住の先生方は怖かった。大橋先生もとても怖かった。20年くらい前に天理大学で春雨物語の「血かたびら」の発表をやった時に、会場校責任者の大橋先生と電話で話すことがあって、「(君が春雨の発表するから)展示で富岡本出しておいたから・・・」と言われたときは、その言葉を深読みしすぎて、タラ〜っと来てしまったのである。
しかし、2001年に大阪に来て、何年か奈良に非常勤で呼んでいただいたことがきっかけで、奈良女子大に集中講義で来られた先生を囲む会の際に、お声がけをしていただくようになり、その会にいらっしゃる石川真弘先生や大橋先生と定期的にお会いすることとなり、大橋先生がとても優しい気さくな先生だということがわかってきたのである。それからは、完全に私の甘えモードで、いろいろ相談などに乗っていただいたこともあるし、阪大の学会で講演をお願いしたこともある。そう、大阪大学のOBでもあるのだ。とにかく大橋先生のお顔をみると、かつては緊張していたのだが、今ではほっと安心するのである。いつも余裕の笑顔を浮かべておられることもその理由かもしれない。もちろん、天理大学では要職につかれ、あまりに仕事ができるために、なかなかやめさせてもらえなかったようだ(もちろんご本人がそういっているわけではない、はたからみての推測)。
さて、前置きが長くなったが、大橋正叔『近松浄瑠璃の成立』(八木書店、2019年6月)である。
重要な論文がいくつも収められているが、2つだけ触れておこう。まず「近松世話浄瑠璃における改作について」。これは阪大の國語國文学会でご講演していただいた内容。改作を通して見えてくる、近松の縦筋の堅牢さが、多くの改作を産んだこと。改作のポイントが「世話性」にあることなどを指摘する。講演の時は、それは近松に限らず・・・と、近世小説の世界まで縦横無尽に語られていたことを思いだす。
では、近松作の作品の「世界」はどうなのか。「近松門左衛門と世界」という論文。「世界」という概念が狂言作者の意識に上るのは、近松よりあとのことであって、時代に即して考えるならば、近松作品を「世界」で分析するのは的外れだということになる。とはいえ、曽我物に関しては、近松以後の浄瑠璃史の展開から言っても、近松自身の曽我物の変遷をみても、一定の意味があると。しかし『太平記』物になると、「世界」というとらえ方ではとてもなかったように思われると。そういう警鐘を鳴らすものである。近松の自由さ、変幻自在な時代物の作り方は、論じる方もまた、「世界」に縛られては見えてこないというのである。「世界」と「趣向」は便利な分析概念であるが、心してかからねばならない。
わずか2論文に触れたのみで、申し訳ないし、的外れなことを申しているかもしれませんが、お許しください。
ちなみに一回り上ということで、日本文学ではないが、別格的存在は、ここまで何度もブログでも触れているが、フランス文学者の柏木隆雄先生である・・・。『上方文藝研究』でもなんでも、いつも刊行後すぐに読んでしまわれて、感想を投げてこられることがあって、私としては、映画を観る前にネタばらしをされている感があることもあるくらい、日本文学研究に関心が深い方である。
で、九州の先生方は先輩でもあり、可愛がっていただいていたので、怖くはなかったが、関西在住の先生方は怖かった。大橋先生もとても怖かった。20年くらい前に天理大学で春雨物語の「血かたびら」の発表をやった時に、会場校責任者の大橋先生と電話で話すことがあって、「(君が春雨の発表するから)展示で富岡本出しておいたから・・・」と言われたときは、その言葉を深読みしすぎて、タラ〜っと来てしまったのである。
しかし、2001年に大阪に来て、何年か奈良に非常勤で呼んでいただいたことがきっかけで、奈良女子大に集中講義で来られた先生を囲む会の際に、お声がけをしていただくようになり、その会にいらっしゃる石川真弘先生や大橋先生と定期的にお会いすることとなり、大橋先生がとても優しい気さくな先生だということがわかってきたのである。それからは、完全に私の甘えモードで、いろいろ相談などに乗っていただいたこともあるし、阪大の学会で講演をお願いしたこともある。そう、大阪大学のOBでもあるのだ。とにかく大橋先生のお顔をみると、かつては緊張していたのだが、今ではほっと安心するのである。いつも余裕の笑顔を浮かべておられることもその理由かもしれない。もちろん、天理大学では要職につかれ、あまりに仕事ができるために、なかなかやめさせてもらえなかったようだ(もちろんご本人がそういっているわけではない、はたからみての推測)。
さて、前置きが長くなったが、大橋正叔『近松浄瑠璃の成立』(八木書店、2019年6月)である。
重要な論文がいくつも収められているが、2つだけ触れておこう。まず「近松世話浄瑠璃における改作について」。これは阪大の國語國文学会でご講演していただいた内容。改作を通して見えてくる、近松の縦筋の堅牢さが、多くの改作を産んだこと。改作のポイントが「世話性」にあることなどを指摘する。講演の時は、それは近松に限らず・・・と、近世小説の世界まで縦横無尽に語られていたことを思いだす。
では、近松作の作品の「世界」はどうなのか。「近松門左衛門と世界」という論文。「世界」という概念が狂言作者の意識に上るのは、近松よりあとのことであって、時代に即して考えるならば、近松作品を「世界」で分析するのは的外れだということになる。とはいえ、曽我物に関しては、近松以後の浄瑠璃史の展開から言っても、近松自身の曽我物の変遷をみても、一定の意味があると。しかし『太平記』物になると、「世界」というとらえ方ではとてもなかったように思われると。そういう警鐘を鳴らすものである。近松の自由さ、変幻自在な時代物の作り方は、論じる方もまた、「世界」に縛られては見えてこないというのである。「世界」と「趣向」は便利な分析概念であるが、心してかからねばならない。
わずか2論文に触れたのみで、申し訳ないし、的外れなことを申しているかもしれませんが、お許しください。
ちなみに一回り上ということで、日本文学ではないが、別格的存在は、ここまで何度もブログでも触れているが、フランス文学者の柏木隆雄先生である・・・。『上方文藝研究』でもなんでも、いつも刊行後すぐに読んでしまわれて、感想を投げてこられることがあって、私としては、映画を観る前にネタばらしをされている感があることもあるくらい、日本文学研究に関心が深い方である。
2019年07月19日
鈴木俊幸『書籍文化史料論』
また鈴木俊幸さんが本を出した。『書籍文化史料論』(勉誠出版、2019年5月)
新書版を矢継ぎ早に出す人は少なくないが、これだけきちんとした論文集を立て続けに出すのは・・・・。もう敬服以外にない。
なにせ、同じ年齢なので、自分の怠慢を突きつけられるような辛さもあるのだが、そこはとりあえず目をつぶって、本書を紹介する。
本書は、さまざまなレベルの書籍文化関連史料を元に、江戸時代から明治にかけての出版・書籍文化を縦横に論じた本である。
ほとんどの史料が、鈴木さんの発掘したもので、鈴木さんの手にかからなければ、その史的意義を十全には説明できないものではないか。
冒頭の京都書林仲間記録『重板類板出入済帳』(安永二年〜安永六年)の新出史料からは、一八世紀後半の本屋・書籍の裏事情が様々に明らかになった。影印・翻刻もついていて貴重。
書籍目録・識語・書簡などから照らし出される書籍の流通や価格。さまざまな書籍関係の商取引のありかたや人的交流を示す葉書の解析。長野県の行政文書から明らかになった臨川寺絵図の謎。請取(領収書)と通(かよい)帳から見えてくる書籍価格、石見の医師の読書記録から見える医師の読書マニアっぷり、その他、引き札、貸本広告、貸本印、貸本屋の営業文書から見える営業実態・・・・、と、使う史料が、普通は見過ごしてしまうような、ごく普通のお仕事の書類やメモであることに驚かされるが、それを捌いて書籍文化論を展開する巧みな行論。もう何度もつぶやいた「参った!」を、また呟いてしまったのである。ちなみに2段組となっている後半の「書籍文化史料片々」は『書物学』連載。
新書版を矢継ぎ早に出す人は少なくないが、これだけきちんとした論文集を立て続けに出すのは・・・・。もう敬服以外にない。
なにせ、同じ年齢なので、自分の怠慢を突きつけられるような辛さもあるのだが、そこはとりあえず目をつぶって、本書を紹介する。
本書は、さまざまなレベルの書籍文化関連史料を元に、江戸時代から明治にかけての出版・書籍文化を縦横に論じた本である。
ほとんどの史料が、鈴木さんの発掘したもので、鈴木さんの手にかからなければ、その史的意義を十全には説明できないものではないか。
冒頭の京都書林仲間記録『重板類板出入済帳』(安永二年〜安永六年)の新出史料からは、一八世紀後半の本屋・書籍の裏事情が様々に明らかになった。影印・翻刻もついていて貴重。
書籍目録・識語・書簡などから照らし出される書籍の流通や価格。さまざまな書籍関係の商取引のありかたや人的交流を示す葉書の解析。長野県の行政文書から明らかになった臨川寺絵図の謎。請取(領収書)と通(かよい)帳から見えてくる書籍価格、石見の医師の読書記録から見える医師の読書マニアっぷり、その他、引き札、貸本広告、貸本印、貸本屋の営業文書から見える営業実態・・・・、と、使う史料が、普通は見過ごしてしまうような、ごく普通のお仕事の書類やメモであることに驚かされるが、それを捌いて書籍文化論を展開する巧みな行論。もう何度もつぶやいた「参った!」を、また呟いてしまったのである。ちなみに2段組となっている後半の「書籍文化史料片々」は『書物学』連載。
2019年07月18日
岩田秀行『江戸芸文攷』
少し前に出た本を、これから少しずつ紹介していきたい。
まず岩田秀行さんの『江戸芸文攷−黄表紙・浮世絵・江戸俳諧−』(若草書房、2019年4月)。
岩田さんといえば、近世文学研究者・浮世絵研究者からリスペクトを受けている優れた研究者である。
この本には入っていないが、東洲斎写楽は「トウジュウサイシャラク」と江戸時代は読まれていたことを説得力ある用例帰納で実証した論文もある。東洲斎だけでなく、雨森芳洲や、五井蘭洲も、濁って読むべきであると。この説はまだまだ流通していないが、やがて辞書の項目もそうなるだろう。
黄表紙篇では、黄表紙『明矣七変目景清』についての徹底的な分析が、これぞ戯作研究!と賞賛したくなるほど、すばらしい。黄表紙作者の、というか天才京伝の脳内ツアーをしている感あり。
浮世絵篇ではやはり「「見立絵」に関する疑問」という名論文が、光る論文群の中でもとりわけ光っている。この論文ぬきに「見立絵」は語れない。
江戸俳諧篇は、「江戸座」についての研究が独擅場。
岩田さんの論文はこの本所収以外にも多く、西鶴諸国はなしの紫女の論も忘れがたい。同じ篇の論文を書いた井上敏幸先生が「脱帽だ」とおっしゃっていた。
ただ、本書にまとめていただいただけでも、本当にありがたい。
まず岩田秀行さんの『江戸芸文攷−黄表紙・浮世絵・江戸俳諧−』(若草書房、2019年4月)。
岩田さんといえば、近世文学研究者・浮世絵研究者からリスペクトを受けている優れた研究者である。
この本には入っていないが、東洲斎写楽は「トウジュウサイシャラク」と江戸時代は読まれていたことを説得力ある用例帰納で実証した論文もある。東洲斎だけでなく、雨森芳洲や、五井蘭洲も、濁って読むべきであると。この説はまだまだ流通していないが、やがて辞書の項目もそうなるだろう。
黄表紙篇では、黄表紙『明矣七変目景清』についての徹底的な分析が、これぞ戯作研究!と賞賛したくなるほど、すばらしい。黄表紙作者の、というか天才京伝の脳内ツアーをしている感あり。
浮世絵篇ではやはり「「見立絵」に関する疑問」という名論文が、光る論文群の中でもとりわけ光っている。この論文ぬきに「見立絵」は語れない。
江戸俳諧篇は、「江戸座」についての研究が独擅場。
岩田さんの論文はこの本所収以外にも多く、西鶴諸国はなしの紫女の論も忘れがたい。同じ篇の論文を書いた井上敏幸先生が「脱帽だ」とおっしゃっていた。
ただ、本書にまとめていただいただけでも、本当にありがたい。
2019年07月05日
初の国際学会英語発表
お久しぶりです。
怒濤のように、いろいろなことがあった6月が終わり、不義理を重ねることを気にしつつ、7月1日に関空からバンコクに飛びました。
AAS-in-Asiaに参加し、パネル発表するためです。
AASとは Association for Asian Studies というアジア研究の国際組織であり、本家はアメリカで、USAで毎年開かれています。2019年はデンバー、来年はボストンです。アジアでも開かれていて、それがAAS-in-Asiaです。今年はバンコク、来年は香港で開かれる予定です。
私が参加するのは初めて。全体テーマは「アジアの激動」みたいなことですが、我々のパネルは日本の江戸時代から明治時代にかけてのパフォーマンスがどのように出版物に転化するかということを追究するものでした。もともとパネリストは4人だったのですが、そのうちアメリカの大学に勤めている方が急病で来られなくなり、3人でやることになりました。
オーガナイザーの勝又基{明星大学)さん。最近では「古典は本当に必要なのか」の企画をされ、私も司会として参加しました。ハーバード大学に1年間留学してからというもの、国際的な活躍がめざましい私の大学の後輩です。私も自分の英語力のことか顧みず、国際学会で発表をしてみたいと思っていたのですが、それが実現するとは思っていませんでした。その背中を押してくれたのが勝又さんでした。外国籍で、できれば女性、もちろん英語発表ができるというメンバーを一人私が捜すことになりましたが、阪大の博士課程の院生で該当する人がいました。それが金智慧さん。明治期の歌舞伎を研究している阪大の大学院生です。金さんは歌舞伎の内容を出版化した「正本写(しょうほんうつし)」の明治期のありように焦点をあてて発表することになり、この発表を柱に、勝又さんが旅行記の書籍化、私が奇談研究の立場から談義と咄の書籍化について発表することになりました。
AAS-in-Asiaは、私の所属する日本近世文学会とは全く違う世界です。しかし、こういう世界は体験しておく必要があると私は思っていました。なぜか。いま私が教えている学生たちに、私が学んで来たこれまでの日本古典文学研究の方法を教えるだけでは、彼らは今後、激動する人文学研究の世界の中で到底生きてはいけない。学会自体もそうですが、学際化・国際化をしないところは、縮小・消滅していきます。とくに日本文学研究はその波をもろに受ける。大学院大学で教育をになっている者としては、彼らのこういう世界があるということを紹介し、そこに挑んでもらわなければならない、そのように私は考えています。これは私だけではなく、大学院で教える者がこれから、いや今すぐに考えなければならないことでしょう。
私を知っている方は、私の英語力が中1なみであることをよく知っています。ですから、血迷ったのか?と笑う人もいるでしょう。また、まともな英語をしゃべれないくせに、国際学会で発表するとは無礼で、学会を侮っていると非難される方もいるでしょう。しかし、国際学会未経験の者が、「これからは国際学会で発表するようでないとダメだね。英語で教えられないと就職もむずかしい」と学生に言って説得力があるのか。「俺はしないですんだけどね」とか言って、学生をその気にさせることができるのか?下手でも恥でも、やはり自分が学会に出て行って、身体でそれを経験し、失敗の教訓を持ち帰ることが教育ではないか、とまあ思ったわけです。ただ思うだけで終わるところを、後ろから強引に背中を押してくれたのが勝又さんだったのです。
もっとも、発表することが今年のはじめくらいに確定して、さあ英語の勉強をと思ったものの、一説には7000時間やらないと英語は物にならないといわれているのですから、そんな俄勉強で簡単に英語力がつくはずもなく、にわか勉強といえるほどの勉強もできないまま、時間はどんどん過ぎていったのでした。しかし、進化する翻訳ソフト、ネイティブなみの英語読み上げソフト、そして何より、私の周囲にいる、多くの英語スピーカーのみなさんの本当に献身的なご協力のおかげで、発表原稿がだんだんと形になってはきました。一時は何度も逃げたくなりましたが・・・。この場を借りて、厚く厚く御礼申しあげます。
というわけで、6月も、法事やら公開講座の仕事やら臨時的公務やらいろいろあり、原稿未完成のまま飛行機に乗るというピンチ。しかし飛行機の中と、ホテル着後の時間で2日前に6,7時間がとれ、前日に読みの練習を3回ほどやって、本番に挑んだわけです。
ところが発表当日、その国際会議では、私たちのセッションとまったく同じ時間にジャパンファンデーション主催のラウンドテーブルが開催されることになっていたのです。そちらは超満員の人気らしい。日本関心層はほとんどそっちに行く勢いです。開始2分前に1人だけ入ってきました。(あとでその方は高名な中国文学者だということが明らかになります)。事実上その方だけが聴衆でセッション開始。しかし開始後2人ほどまたはいってきて、パネリストの関係者をあわせ聴衆4人パネリスト3人の合計7人で、案外にも非常に充実した議論ができたのです。実はその場にいたひとが全員日本語もできるという奇跡もあって、少し日本語も混ぜながら、でしたが。かつて経験したことのない事前の緊張と、事後の解放感・達成感は言葉に言い表せません。
もちろん、他のセッションも聞きにいきました。もう、全く我々とは違う問題意識、議論方法、まさに「こういう世界もあるのだ」と実感です。しかし、我々のやっている研究とリンクしないかといえば、決してそうではないという感触も得ました。そして思わぬ人物と知り合うこともでき、国内学会では絶対に得ることの出来ないものを得たと思います。しかし、これで終わっては、今回得たさまざまな教訓を生かすことはできないわけで。また何らかの形で、無謀な挑戦をしたいと思っています。
怒濤のように、いろいろなことがあった6月が終わり、不義理を重ねることを気にしつつ、7月1日に関空からバンコクに飛びました。
AAS-in-Asiaに参加し、パネル発表するためです。
AASとは Association for Asian Studies というアジア研究の国際組織であり、本家はアメリカで、USAで毎年開かれています。2019年はデンバー、来年はボストンです。アジアでも開かれていて、それがAAS-in-Asiaです。今年はバンコク、来年は香港で開かれる予定です。
私が参加するのは初めて。全体テーマは「アジアの激動」みたいなことですが、我々のパネルは日本の江戸時代から明治時代にかけてのパフォーマンスがどのように出版物に転化するかということを追究するものでした。もともとパネリストは4人だったのですが、そのうちアメリカの大学に勤めている方が急病で来られなくなり、3人でやることになりました。
オーガナイザーの勝又基{明星大学)さん。最近では「古典は本当に必要なのか」の企画をされ、私も司会として参加しました。ハーバード大学に1年間留学してからというもの、国際的な活躍がめざましい私の大学の後輩です。私も自分の英語力のことか顧みず、国際学会で発表をしてみたいと思っていたのですが、それが実現するとは思っていませんでした。その背中を押してくれたのが勝又さんでした。外国籍で、できれば女性、もちろん英語発表ができるというメンバーを一人私が捜すことになりましたが、阪大の博士課程の院生で該当する人がいました。それが金智慧さん。明治期の歌舞伎を研究している阪大の大学院生です。金さんは歌舞伎の内容を出版化した「正本写(しょうほんうつし)」の明治期のありように焦点をあてて発表することになり、この発表を柱に、勝又さんが旅行記の書籍化、私が奇談研究の立場から談義と咄の書籍化について発表することになりました。
AAS-in-Asiaは、私の所属する日本近世文学会とは全く違う世界です。しかし、こういう世界は体験しておく必要があると私は思っていました。なぜか。いま私が教えている学生たちに、私が学んで来たこれまでの日本古典文学研究の方法を教えるだけでは、彼らは今後、激動する人文学研究の世界の中で到底生きてはいけない。学会自体もそうですが、学際化・国際化をしないところは、縮小・消滅していきます。とくに日本文学研究はその波をもろに受ける。大学院大学で教育をになっている者としては、彼らのこういう世界があるということを紹介し、そこに挑んでもらわなければならない、そのように私は考えています。これは私だけではなく、大学院で教える者がこれから、いや今すぐに考えなければならないことでしょう。
私を知っている方は、私の英語力が中1なみであることをよく知っています。ですから、血迷ったのか?と笑う人もいるでしょう。また、まともな英語をしゃべれないくせに、国際学会で発表するとは無礼で、学会を侮っていると非難される方もいるでしょう。しかし、国際学会未経験の者が、「これからは国際学会で発表するようでないとダメだね。英語で教えられないと就職もむずかしい」と学生に言って説得力があるのか。「俺はしないですんだけどね」とか言って、学生をその気にさせることができるのか?下手でも恥でも、やはり自分が学会に出て行って、身体でそれを経験し、失敗の教訓を持ち帰ることが教育ではないか、とまあ思ったわけです。ただ思うだけで終わるところを、後ろから強引に背中を押してくれたのが勝又さんだったのです。
もっとも、発表することが今年のはじめくらいに確定して、さあ英語の勉強をと思ったものの、一説には7000時間やらないと英語は物にならないといわれているのですから、そんな俄勉強で簡単に英語力がつくはずもなく、にわか勉強といえるほどの勉強もできないまま、時間はどんどん過ぎていったのでした。しかし、進化する翻訳ソフト、ネイティブなみの英語読み上げソフト、そして何より、私の周囲にいる、多くの英語スピーカーのみなさんの本当に献身的なご協力のおかげで、発表原稿がだんだんと形になってはきました。一時は何度も逃げたくなりましたが・・・。この場を借りて、厚く厚く御礼申しあげます。
というわけで、6月も、法事やら公開講座の仕事やら臨時的公務やらいろいろあり、原稿未完成のまま飛行機に乗るというピンチ。しかし飛行機の中と、ホテル着後の時間で2日前に6,7時間がとれ、前日に読みの練習を3回ほどやって、本番に挑んだわけです。
ところが発表当日、その国際会議では、私たちのセッションとまったく同じ時間にジャパンファンデーション主催のラウンドテーブルが開催されることになっていたのです。そちらは超満員の人気らしい。日本関心層はほとんどそっちに行く勢いです。開始2分前に1人だけ入ってきました。(あとでその方は高名な中国文学者だということが明らかになります)。事実上その方だけが聴衆でセッション開始。しかし開始後2人ほどまたはいってきて、パネリストの関係者をあわせ聴衆4人パネリスト3人の合計7人で、案外にも非常に充実した議論ができたのです。実はその場にいたひとが全員日本語もできるという奇跡もあって、少し日本語も混ぜながら、でしたが。かつて経験したことのない事前の緊張と、事後の解放感・達成感は言葉に言い表せません。
もちろん、他のセッションも聞きにいきました。もう、全く我々とは違う問題意識、議論方法、まさに「こういう世界もあるのだ」と実感です。しかし、我々のやっている研究とリンクしないかといえば、決してそうではないという感触も得ました。そして思わぬ人物と知り合うこともでき、国内学会では絶対に得ることの出来ないものを得たと思います。しかし、これで終わっては、今回得たさまざまな教訓を生かすことはできないわけで。また何らかの形で、無謀な挑戦をしたいと思っています。