2019年09月23日

「蕪村の手紙」展

 東京では芭蕉展が評判のようだが、伊丹の柿衞文庫では、特別展「蕪村の手紙」展が開催中である。昨年の「芭蕉の手紙」展に続く「手紙」シリーズ。担当は辻村尚子さん。手紙だけではなく、関連資料も多数展示されている。図録も充実している。
 22日には、田中道雄先生の関連講演が行われた。題して「蕪村の句は近代的か?」である。田中先生は同窓の大先輩であり、八十代半ばでいらっしゃるが、声は朗々として熱量がしっかり伝わるご講演。子規に見いだされて以後、「近代的」と言われることがいまだに多い蕪村句を、趣向でまずは解釈すべきであると提言され、具体的に示された。尾形仂先生や先生ご自身が、蕪村句の評価を転換させたはずなのに、蕪村はいまだきちんと読まれていない。「趣向」で読むことを徹底してやった人がいまだにいないと。
 また、嘯山・蝶夢・蕪村という先生の研究対象が、俳諧史において、どのような役割を果たしていたかを、分かりやすく語られた。田中先生の論文はほぼ拝読しているし、演習で『芭蕉翁絵詞伝』を取りあげたこともあり、先生の見取り図は大体理解していたつもりであったが、肉声で説明していただくと、不思議にぐっと深く理解されるように思う。ともあれ、研究の原点に帰ったような、爽快感の残るご講演であった。
 「古典詩歌の正統を継いで最後に輝く光」と見立てられたその蕪村観に到達するには、蕪村の手紙が欠かせなかったのだという。なるほど。すこし勉強した上で、もう一度学生たちと見に来よう。
 
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2019年09月20日

雅俗18号 その2 光るエッセイたち

『雅俗』の面白さは商業誌ではないのに、企画物が盛りだくさんということである。日本文学系商業誌が次々と撤退した今だからこそ、という川平さんの思いがある。川平さんは見かけによらず(失礼)、企画・人選が上手い。
 今回また新たな企画「この三冊」が登場した。寄稿者にお願いするのは、これぞという不朽の研究書・自分ともっとも縁の深い古典・院生に勧める一冊の3点である。佐藤至子さんが登場。『絵本と浮世絵』、『御存知商売物』、『落語の世界1 落語の愉しみ』を挙げている。
 白石良夫さんの連載エッセイ。これも相変わらずの手練れで読ませる。研究資料の提供とな何なのか、研究成果の発信とは何なのか、を具体的な例話で説いている。前半の「香炉峰の雪はいかならん」を紫式部のエピソードとする近世の読み物を、間違いと斥ける前に、なぜそういう説が流通したのかと考えるところに「江戸に出かけて江戸人に聞け」の注釈精神があると。これは私もQ大で鍛えられ、学生にも伝えているつもりである。後半の、翻刻に句読点や濁点をつけて提供するのはリスキーだが、やらねばならない、というところに学問の良心をみる話。これも全く賛成である。
 板坂耀子さんの「カルチャーセンターの周辺」。学ぶ意欲満々のカルチャーセンターの方々を、学問に「活用」できないかという提言。これも「我が意を得たり!」である。思い出したのは「みんなで翻刻」である。多くの一般の方が参加され、学問的に貢献されている。私の妄想では、「みんなで現代語訳」「みんなで翻訳」「みんなで二次創作」と、これはいくらでも広がってゆく可能性。学問とまなぶ意欲満々の方々をどうつなぐか、難しいと考えずにいろいろやってみる。リタイアしたら試してみたいこともいろいろあるな、などと更なる妄想を拡げた次第。
 渡辺憲司先生の「秋十年却って馬関指す故郷」。あの有名なメッセージ「時に海を見よ」の渡辺先生も、かつてはQ大の研究会で同席した方。そのあたりの頃をふくめて思い出を書かれている。これまた文章が巧すぎて引き込まれた。そしていつだったか渡辺先生のご自宅を訪れた時に、靴箱に蓄積された仮名草子用例のカードを拝見した日のことを思い出した。
 
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雅俗18号 その1 青山英正氏の春雨物語流通論

 いろいろ遅れて紹介しているのがあるけれど、雅俗の会の『雅俗』18号(2019年7月)は、リニューアル『雅俗』史上、私にとって最もエキサイティングだった。
やはり、その第一は青山英正さんの「伊勢の文化的ネットワークと『春雨物語』の流通」である。写本というのは、この世に唯一であり、その書写者・所蔵者(それが代わっていく場合も)のドラマがそこには秘められている。それは「手紙」に近いものである。拙著『上田秋成 絆としての文芸』以来、授業や講座で繰り返し述べてきたことである。秋成の『春雨物語』こそ、その典型的な事例である。『春雨物語』には富岡本と呼ばれる系統と、文化五年本と呼ばれる系統がある。前者は京都の羽倉信美への謝礼、後者は伊勢の商人(長谷川家)の依頼によって書かれたものであり、両者の本文の違いは渡す相手を反映したものではないかというのが、私が拙著でも書いた仮説だった。しかし、私もそうであるが、秋成研究者は、この問題を、秋成中心で考えてきた。ところが、近年、石水博物館の川喜田家の資料が調査され、秋成周辺の伊勢の文化ネットワークが劇的に明らかになりつつある。青山さんが春雨物語の貸借の状況などを明らかにし、今回の論文でも伊勢の人的ネットワークを背景にして春雨物語の流通を考えることを提言している。文化五年本の中でも桜山本の筆者とされる正住弘美に焦点をあて、彼がなぜ春雨物語を筆写したのかについて、諸資料を博捜して明らかにした。最後に青山氏の卓抜な比喩を引用しよう。
  川喜田遠里や小津桂窓のような江戸店持ち商人たちは、こうした伊勢の局所的ネットワークに接続する一方、江戸や上方とも文化的、商業的関係を持つことで三都をハブとする広域ネットワークとも接続していた。つまり、彼らは、伊勢の局所的ネットワークと、三都を含めた広域ネットワークとを中継する、いわばルーターのような役割を果たしていたのである。

 
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2019年09月16日

シンポ「古典は本当に必要なのか」が、本になりました。

 今年の成人の日に行われ、大きな話題となった、明星大学人文学部主催のシンポジウム「古典は本当に必要なのか」。ついに書籍化され、文学通信から刊行された。書名は『古典は本当に必要なのか、否定論者と議論して本気で考えてみた。』。すでに店頭に並んでいるところもある。仕掛け人の勝又基氏の編。表紙には当日のパネリスト、否定派猿倉信彦氏、前田賢一氏、肯定派渡部泰明氏、福田安典氏、司会飯倉洋一の名前が記される。シンポジウムは活字化に伴い、読みやすいように若干の編集があるが、ほぼ完全に当日の模様を再現している。さらに当日シンポ後にとったアンケート・意見、さらに公開されたYoutube動画へのコメント欄に寄せられた意見も掲載、登壇者の「あとがき」、そして勝又氏の原稿用紙80枚におよぶ「総括」が加えられ、読み応えのあるものになっている。この総括がつまり、書名の由来である。勝又氏の本気度が伝わる内容である。

 人文学の危機が叫ばれはじめて久しい。人文学、あるいは文学部の危機を訴え、その存在価値を再確認して共有するシンポジウムが、諸処で開かれた。大阪大学金水敏先生(当時文学研究科長)の「文学部の意味」をあらためて問いかける卒業式のスピーチが大きな話題となったことも記憶に新しい。それらを通して、「あなたのやっていること何の役に立つの?」と問われ続けてきた文学部出身者・在籍者は、〈すぐには役に立たないけれども、人生に大きな意味を持つ文学部の学問の意義〉を共有し、「そうだそうだ」と溜飲を下げたのである。しかし勝又氏は、それは「身内の怪気炎」にすぎなかったという。本当の文学不要、古典不要の考えの人たちと議論してこなかったのではないかと。

 勝又氏が企画した「古典は本当に必要なのか?」は、少し毛色が違った。これまでの登壇者とちがって、古典に愛情も、存在価値もほぼ認めない、徹底的な否定論者を、パネリストとして招いたのである。SNSでこの企画が告知されると、大きな注目を浴びることになった。その理由は、ひとえにシンポジウムタイトルの過激さと、下手をすれば人文学が手痛い傷を負うかもしれないという容赦なさにあっただろう。チラシは「仁義なき戦い」の映画ポスターを完全にパクったデザイン(実はこれこそが古典の手法なのだが)、否定派論客対肯定派論客のデスマッチという触れ込みで前評判も上々。会場には百人を軽く越える人々が集まった。ネット上で読書家論客として知られるブロガー、歴史研究者でベストセラーを書いた著者の姿、大手出版社の文庫担当編集者の姿も見えた。
 議論は、高等学校の必修科目に古典は必要か、という論点に絞って行われた。企画者側(私も一枚噛んでいる)は、否定派の議論の土俵にあえて立とうとしたのである。否定派は、国際競争が激化している現代における優先度という観点から、GDPに貢献しない古典は必修ではなく選択(それも美術・音楽と同様芸術科目で)であるべきだとし、古い道徳的価値観を刷り込む古典はポリコレ的にも問題があり、これを墨守しようとするのは既得権益にこだわるポジショントークだと断じた。文学研究擁護派は、こんな厳しい批判にさらされたことがなかったのである。一方の肯定派は、同じ土俵の上に立つのを回避し、古典の面白さや古典を読むことの幸福感などを主張した。議論はかみ合わなかったのである。会場で意見分布をアンケートしたところ、議論後に、否定派に傾いた者数名。その逆はない。数字としてはわずかではあるが、ディベートとしては、否定派の勝利と言わざるを得なかった。現在進行形で、シンポジウムが中継されていたこともあり、twitterでは、ハッシュタグ「#古典は本当に必要なのか」が、一時ツイートのトレンドに上がる勢いを見せた。その後、シンポジウム傍聴記がいくつもネット上に上がり、私自身も私なりの総括をブログで行った
 今回、これまで沈黙していた主催者勝又氏が、総括として長編論考を付載した。当日は出ていない論点がいくつかあり、賛成派として、否定派にしっかり向き合う議論になっていると思う。これをふくめて、今後行われるであろう、さまざまなレベルでの議論のたたき台としていただければ、関係者として非常にありがたい。私自身の考えの一端は、「あとがき」に述べている。
 
 
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2019年09月09日

第49回西鶴研究会

通常は、東京で年2回行われる西鶴研究会。久しぶりに大阪での開催となり、9月7日に聴きに行きました。阪急インターナショナル内の関西学院大学サテライト教室。素晴らしい立地ですね。印象的だったことを、メモります。
発表2本と講演1本。
 長谷あゆすさんの『本朝二十不孝』の一篇、「親子五人仍書置如件」。富裕な財産「見せかけ」のために、虚構の遺言書を書くからと、息子たちに言って死んでいった虎屋の家長。この虎屋のモデルとして三井越後屋が考えられるとし、そう考えたら読みが拡がるという。その通りだなとは思ったが、これでもかこれでもかと繰り出す資料でそこと結びつけようとするのは逆効果だったかなと。長谷流の読み健在というところだが、遺産が多いように見せかけるという趣向、次男以下が急転遺言書通りの相続を主張する展開、さらには壮絶な殺害事件という結末、こういった部分に、三井越後屋の影が指摘できればね。長谷さんは論が立ち、調べがすごい方なので、この方法を「一度」捨ててみて、別の問題の立て方をしてみてほしい。ついでに西鶴からもちょっと離れてみてほしい。懇親会で話せなかったのが残念だったが。というかその時伝えたいことが茫洋としていたので、この場を借りて記しておきたい。
 対照的に染谷智幸さんの発表は、昨今の『男色大鑑』ブームの経緯と展望、古典作品を社会とどうつなげるかの事例報告だが、最後におっしゃった「現代語訳が大事」とのお考えに同意した。わたしの疑問は今のBLブームに乗ったから上手くいった特殊ケースなのではないか、ということ。でもその時流を捉えた嗅覚は、研究者的ではなく、プロデューサー的。いまこれが古典研究者には必要なのだ、と私は思う。染谷さんは東アジアを視点に日本文学を照射する国際派。韓国語でも発表できる。今後の日本文学研究、社会との連携の展望について、懇親会や二次会で意見交換した。
 最後の河合真澄さんの講演は、西鶴の表現を「利用」した役者評判記の文章から、逆に西鶴の難読箇所を解読するというやり方。すべての例示が鮮やかで、難読箇所を放置して作品を論じるなんて空論よ、というメッセージが込められている。河合さん自身が言っていた「京大流」である。私の母校もどちらかというと京大流の学風で、注釈を徹底的に突き詰めてそこから突破口を開くという論のスタイルが、研究者としての私の血液にも流れている。京大流は、それで終わらず、大胆な読みに繋げていくところがある。そこがスリリングなのだが、河合さんはあえてそこを封印して、京大流の基本を示して見せたといえる。これぞ関西での開催の大きな意味であろう。
 まさに三者三様。そして、西鶴研究会は次の50回で一応の区切りを迎えると。世代交代の意味もあり、日本文学研究を取り巻く状況の大きな変化という背景もある。妥当な判断だと思う。そもそも一人の「作者」の名を冠した研究会というものの可能性よりも、限界の方が今は突きつけられている。では西鶴研究会はどうリニューアルされるのか?それは、ちょっと注目してみたい。
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2019年09月08日

古典文学の常識を疑う U

『古典文学の常識を疑う』の続篇として、『古典文学の常識を疑う U 縦・横・斜めから書きかえる文学史』(勉誠出版、2019年9月)が出ました。前著の時もここで紹介したが、今回は私自身も、一項目を担当している(「秋成の学問は創作とどう関わるのか」)ので、またまた紹介させていただく。
 編者は、松田浩・上原作和・佐谷眞木人・佐伯孝弘の各氏である。「はじめに」では、元号「令和」の出典である『万葉集』をめぐっての安倍総理の談話を引く形で、研究最前線ではすでに否定されている古典文学の常識がまだ根強いことを例示するなど、なかなか攻めている感じである。歴史でもそうだと思うが、日本古典文学でも、いわゆる定説・常識が本当に根強い。私が担当した上田秋成にしても、秋成は怪異作家であり代表作は『雨月物語』というのが「常識」だろう。しかし、秋成研究の最前線では、その認識はもはや古い常識なのである。このブログでも何度も書いてきたが・・・。そのような定説と研究最前線の認識がかなりズレている例はたくさんあり、それゆえに、今回の第2弾となったのであろう。
 第1弾の時と同様、全体としては「ここが知りたい、古典文学」というのがコンセプトのように見受けられる。必ずしも常識をくつがえすだけではなく、古典文学への新しい視点の提示である。日本文学研究者・国語教育関係者・日本文学愛好家には、必備書といってよい。
 このテーマは、第3弾もありうるかな、と勝手に期待している。その時は、「古典文学は役に立つのか」「古典文学はポリコレ的に問題なのか」「古典文学不要論にどう反論すべきなのか」「古典文学は好きな人が読んでいればいいのか」・・・・というテーマも立てて欲しいですね(笑)。あ、別の出版社の企画でもいいですけど。
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2019年09月02日

「勉強をしていない」(立教大学日本文学122号)

ちょっと理由があって、立教大学日本文学会から「立教大学日本文学」122号を送っていただいた。
そこに、名古屋大学との合同研究会の報告みたいな特集があって、「教員セッション」のトップバッターとして石川巧さんが話をしている。
この文章に引き込まれた。
というのは、石川さんがここに書いているが、彼がはじめて赴任した山口大学(教養部)の、専門としては最も近い同僚が私だったからだ。
30歳の石川さんにきていただいて、ある意味、彼の人生はそこで大きく運命づけられるのであるが、その後、九州大学に移り、さらに今の母校の立教大学に、いわゆる「帰った」のであるが、山口大学時代の彼のことを私は近くで見ていたので、ここに書かれていることが非常によくわかるのだ。山口大学・九州大学のころの石川さんは、

「研究上の苦悩など殆どなく、自由に研究ができていたような気がします」
「東京(=中央)を仮想的に見立てて、「オレは地方に根を張って、いま自分が立っている場所から見える光景を問題化していくんだ」と」
「私の三〇代は、毎日ひらすら勉強し」

当時は「国文学」や「解釈と鑑賞」といった商業雑誌があり、若手研究者にはよく無理難題のテーマが与えられ、それがいい修行になったという話もされている。

立教に来てから、大型プロジェクト・学内外の共同研究・海外の大学との交流など「欲」がでて、研究計画書ばかり書くようになった。自分の論文より学生の論文のチェック・・・・。

「結局、自分が「勉強をしていない」ということに突き当たるわけです・・」

(私は)30代の時にも勉強していなかったという点が(石川さんと)違うが、それ以外は「実によくわかる」と思う。
実際は石川さんが私の何倍も教育研究に時間を割いているに違いないので、僭越だが気持ちは「よくわかる」。
それにしても、すごく率直に話されているので驚いた。
石川さんは、まだこれから十年の展望をすることができるが、私にはその時間も残されていないのに、なにかまだいろいろなことをやろうとしていて、「勉強をしていない」。

この焦燥感というもの。これはもう正当化なんてできない。

私の30代も石川さん同様山口大学とともにあって、まだ大学教員は余裕があった時代で、あーあのころをもっと計画的に有意義にすごせば・・・という悔恨にいつもさいなまされるのだが、一方で自分自身にも淡泊なので、まあ仕方ない、それがオレだから、と諦めてしまうのである。
だから、なにか自分の心の声を、スピーカーモードでさらされたような、そんな恥ずかしさを感じつつ拝読した石川さんの文章であった。

石川さんの作品論は非常に面白かった。しかし作品論に興味を持てなくなったというのは、時代の先をやはり読んでいたのだと思う。私は50になっても作品論を書いていた。いまはちょっと別のことがやっと面白くなってきたところだ。まあ12月には、25年ぶりに、文学の話でもしてみたいと思う。







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