2019年10月23日

井田太郎『酒井抱一』

 井田太郎さんの『酒井抱一−俳諧と絵画の織りなす抒情』(岩波新書、2019年9月)を拝読した。
フランス文学から日本文学に転身した井田さんは、学界でも独自の風貌である。オシャレなのである。そのオシャレぶりは、自信に満ちあふれているときほどとんがっている。とても余人に真似はできないが、密かに、その、誰もが簡単に真似できないところを私は尊敬している。
 研究スタイルも異色。今でこそトレンドとなったが、文学研究の対象として絵画を俎上に載せて論じてきた。日本近世文学会で、もしかして初めて発表全体をパワポでやった方かもしれない。繊細なのにマイペースなので、つかみどころがないように見えるかもしれない。いや、別に親しくさせていただいているわけではないが、一緒に仕事をしたことがあって(忍頂寺文庫の研究)、全く知らない人でもないのである。で、一言でいうと現代の畸人である。
 さて、『酒井抱一』である。言わずとしれた琳派の絵師。そのファンは多いのではないか。しかし美術史研究者でなく、井田さんに評伝の依頼が来たのは、おそらく、抱一を文人として全体的に押し出すため、つまりその文芸的な面を重視した人選だろう。井田さんは俳諧研究者なのだ。
 18世紀後半から19世紀前半にかけて、江戸の文化は成熟し、雅俗が融和して、非常に高度な遊び心に満ちた作品が、文学・美術を問わず輩出した。身分的な面から見れば、公家・武家・町人がそれぞれの階層を往来し、重層的で豊潤な文化を作り上げている。
 抱一はその文化を作った一人である。大名家に生まれは血筋のよさに加えて、抜群のアートのセンス。そしてその背後に、俳諧で培われた古典教養。レイヤーをまたがる人脈。この時代にこういう人は多いが、やはり抱一はその育ちのよさから、根っからの「雅」が備わっている。だから、抱一の作る俳諧は俗に見えない。たぶんこのころから、抱一周辺の俳諧は、和歌より格下ということではなくなったのだろう。雅俗が融和して、と言ったが、もはや雅俗の区別がないように見える。そういう時代の空気を、井田さんは抱一の伝記を辿りながら描いている。じっくり読めば、この時代の表現文化の機微が会得されるかもしれない。それは重層的あるいは多義的、輻輳的ということである。
 この本の白眉はやはり第4章にある。琳派の絵が古典教養抜きには語れない、いやむしろ古典教養に基づけばこれほど豊かに読めるのかということを見事に証明した章である。それは「夏秋草図屏風」の、本来的な鑑賞である。この絵をただ見て「いいねえ」と言っているだけではもったいなさすぎる。そもそもこの絵は、光琳の「風神雷神図屏風」の裏屏風として制作されたものである。そのことの意味について、これでもか、これでもかと井田さんは考察を深めていく。
 抱一は光琳の屏風を「脇起(わきおこし)」(俳諧の付合の一法で追善すべき故人の句を発句とし、それに脇句を付けることで故人を顕彰する)における立句とみなし、主題と構図において脇起を行ったのだという。そのように見た時に、非常に多層的に意味が発生する。まず「風(神)」と「草」。『論語』に、君子の徳は風なり、小人の徳は草なり」。上に立つものの徳は風で下にいる草は風によって善にも悪にもなびく。この風と草との取り合わせ自体が、古典の常套。そして雨と草。国を豊かにする雨の恵みを受けて草は生い立つ・・・・ここからはじまって、もういくつもの抱一の意図が解き明かされる。ネタバレになるのでこれくらいにしておくが、圧倒的な迫力である。そして井田さんは、抱一の夏秋草図屏風に「もののあはれ」を見い出すのである。
 副題の抒情という言い方は前近代の表現芸術用語ではないのだが、あえて抱一に「抒情」の語を用いるのが井田さんの勝負手だろう。たぶん第4章の「もののあはれ」をそう呼ぼうとしているのかもしれない。そういえば柏木如亭の詩をそう呼んだ人もいたか。
 ひとつの琳派の絵はこれだけ深い。それをいやというほど知らされる快著である。琳派ファンにお勧めである。

 
posted by 忘却散人 | Comment(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする