2019年11月11日

学会記(県立広島大学)

この土日、県立広島大学で行われた日本近世文学会。最近では珍しく発表者が多く、盛況だった。印象に残った発表をいくつか。
浅田徹さんの「近世歌風史論序説−十八世紀から十九世紀へ」。スケールは大きいが、決して大風呂敷ではなく、論の手続きもきちんと踏まえた説得力のある発表であった。富士谷成章と伴林光平という同時代の時代分類と模作をヒントに、近世中期から後期にいたる歌風の流れを整理した。近世和歌研究の側からの反論はいろいろありうるが、浅田さんは日本の和歌史全体の構想の一部を話されたわけで、発表も随所に近世以前の和歌についての知見に基づく見解が鏤められていた。今後の近世中後期の和歌を論ずるときの指標になるだろうと予感させるものであり、発表を聞けたことを嬉しく思った。
赤間亮さんの「AIくずし字解読支援機能付翻刻システムによるくずし字指導の実践と活用提案」も話題をさらった。凸版との共同開発ということで話は聞いていたが、実際のデモを見せていただいて、実によく考えられたシステムだと感心した。わからないときに、AIが「この字ではないか」という可能性を示すというやり方で、AIに翻刻をまかせるのではなく、解読を支援させるという発想がいい。しかし、実は私が感心したのは、「これだけをテキストを横に置いておけばかなり読める」という、厳選くずし字一覧表(これは赤間さんの経験値でつくったアナログの表)である。おもわず手を挙げて、「ください」と言ってしまった。copyrightをつければOKということで、早速、近世文学会のHPあたりでの公開を懇親会では交渉して、快諾を得たことを事務局にも報告した次第。
 吉田宰さんの平賀源内『根南志具佐』のカッパ図。なかなか楽しい、しかし手続きのしっかりした発表。師匠の川平さんを彷彿とさせるケレン味のない手堅い発表。弱点もしっかりわかっている。
 山本秀樹さんの「町に触れられなかった寛政二年五月出版規制法」。そんなことがあるのか、という意外な事実を、周到な実証的方法で提示。質疑応答がなかったのが残念だったが、是非はやめの活字化をお願いしたい。
 竹内洪介さのの「太閤記物実録の展開を辿る」。真書太閤記と太閤真顕記は同一の本なのか、どうなのか?『絵本太閤記』を今授業で読んでいるが、この辺が曖昧で困っていたところ、非常に明快に、その関係を提示してくれた。高橋圭一さんが質問されたように、なぜ大きな相違が十編だけなのか、なぜタイトルの混淆が生じたのかなど、疑問は残るが、真書太閤記から太閤真顕記へということを明言する資料を2点出したところがハイライトであった。
 私のゼミからも岡部祐佳さんが発表。瀬川采女説話の受容と展開。発表はまずまずわかりやすくできたのではないか。そして非常に有意義な質問・コメントをいただいたのは収穫だった。これを踏まえてさらにテーマを拡げ、深めていただきたい。
 今回大学のサテライトということで、非常に便利なロケーション。飲み処、食べ処が近くにたくさんあって、昼食や2次会、そして打ち上げでも美味しさを堪能できた。ョ山陽記念館での展示も楽しく拝見。2ヶ月ちょっと前の研究室旅行では臨時休館していたので、リベンジを果たしました。県立広島大学の高松亮太さんをはじめとするスタッフの皆様には感謝、感謝である。すみません、名札なくしました。
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2019年11月03日

佐竹本三十六歌仙絵展

 というわけで、京都国立博物館へ。かなり(妙法院展で)お腹いっぱいなので、ここはさらっと、と思って入館した。だが、ここの展示もフルコースディナーだった。満腹を通り越して、朦朧とするくらいだ。
 佐竹本三十六歌仙絵だけでなく、人麻呂像特集など、和歌関係の展示で充実していた。しかし、やはり佐竹本三十六歌仙絵というのは、すごかった。もともと秋田佐竹藩所蔵のお宝の二巻の巻物だったのが大正年間に売り出されたものの、今のお金で約40億ほどの値がついて誰も買えない。そこで、当時の財界の中心にいた、三井物産初代社長で数奇者の茶人である益田鈍翁が、これを歌仙一人ずつに切断し、お仲間の富裕な茶人たちで分けて買うという大胆なことを考え、実行したのである。それも、どれを買うかは籤引きなのである。とんでもない話だが、これが、1つ1つ趣向を凝らした掛け軸となって蘇り、あらたな美術品となった。つまりどういう表装を施したかというところも大きな見どころとなる。いやはや、昔の実業界の人というのは、江戸時代の富裕町人と同様に粋人である。茶会が彼らの社交の場である。今とは文化観が違う(「文化度」と書いたら怒られるので、「文化観」とした。今なら富裕層や政治家は大抵、社交(外交も)はゴルフなんだろう。首相でもそうだし)。茶会のためには茶のことはもちろん、華道や、古美術にも通じていなければならない。くずし字だって当然読めないとね。
 三十七の絵のうち、今回三十一を集めた。どれだけの苦労があったことか想像するにあまりある。一堂に会すとはこのことであり、これらをひとつひとつ見ていくことで、所蔵者たちの美への執念を比べながら見ていくことができるのである。みながら「古雅」という言葉が強く実感される。巻物のままだったら一体何メートルになるのか知らないが、全部を展げてみることは、博物館であっても不可能である。掛け軸になっているからこそ、全部(三十一点だが)が見られるのである。ホントすごかったです。
 
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妙法院特別展「皇室と妙法院」

 秋は展覧会の季節でもある。京都ではいまあちこちの有名寺社等で特別展観・特別公開が行われている。いわゆる開帳である。
 東山の妙法院では、「皇室と妙法院−御物の世界−」の展示が行われている。10日までである。
 私にとっては絶対に見逃せない展示。なぜならば、「真仁法親王日記」が出ているからだ。現在天明七年の分しか存在が確認されていないのだと思うが、まさにそれが見られるのである。なんて、大きな字。五センチ四方もありそうな。いろいろ考える。これは内容はもちろん日記だが、書の手習いなのではないか。それかあらぬか、展示部分は大師流師範の岡本保考への入門の記事である。この入門を機に、別の冊子に書いていた日記を、ちょっとさかのぼってこの大きな字で「清書」したのではあるまいか?(解説では入門以前から既に大師流の書を嗜んでいたとする。もちろんそう考えても全く問題はない) 初公開のものがいくつかある光格天皇の真仁宛書簡も多数展示されていた。書体といい、内容といい興味津々である。光格天皇もまた、大師流を学んでいた。そして光格天皇と真仁(光格の異腹の兄にあたる)の関係の微妙さが、この書簡から伝わって来る。とりわけ「頓首」を何度も繰り返したり「死罪死罪」と書き付ける異様な文面をもつ1通に瞠目した。光格天皇は確か、後桜町天皇にも、何度も同じ言葉を繰り返す書簡を出していて、このあたりの心性は注目される。
 他に面白かったのは、後水尾天皇が、徳川家康三十三回忌のために作られた「蜘蛛手」といわれる遊戯性の高い工夫をした十六首の和歌など。蘆庵の蜘蛛手を思い出させる。後光明天皇手沢の四書集注は、小本(その規格よりさらに小さい?)で、意外でであった。
 ともあれ、私にとっては超興奮の展示。その勢いで、すぐ近くの京博で行われている佐竹本三十六歌仙絵展に向かったことはいうまでもない。これば別エントリーで。
 
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