2019年12月31日

2019年

 中野三敏先生がお亡くなりになって1ヶ月が経ったが、研究をはじめて40年近く、先生がいらっしゃることが当たり前で、先生に読んでいただくことを目標に、考えたことをまとめて来たものだから、その喪失感は言いようがなく私の中では大きいのである。先生の教え子は例外なくそう感じているだろう。google検索で出てくるような知識ではなく、感銘を受けるとしかいいようのない学藝についての様々な知見を惜しげもなく示して下さった。たぶん我々の世代以下の日本近世文学研究者で、先生になにがしかの影響を受けていない人はまずいないだろう。
 私は、学部生のころ、先生の凄さが全くわかっていなかった。中野先生に学ぶことを選んだと言うよりも、やや消去法的に近世文学研究に志した。だから先生に学ぶことができたのは、おそろしくラッキーだった。
 先生は常に新しいことを考えておられた。おそらく誰よりも多く江戸時代の本を御覧になり、お買いになり、それらを手のひらに載せて、江戸にタイムスリップしては、現代人の考え方を相対化するような、失われた思考法や価値観を持って帰った。過去に学ぶというのは、そこから教訓を得るというような小さなことではなく、新しいことを知ることに等しいことを、先生は教えてくれた。
 先生は、文学を特権化するような考え方はなかった。「文学はすばらしい」というような言説は先生には見いだせない。むしろ、先生は、文学臭さと訣別して、江戸時代文化研究の方法を確立したと思う。モノに即して考えること、有名な作品ひとつを論じるよりも、おなじような雑本を百集めて江戸人の思考法を考えること、江戸時代のことは調べれば必ずわかること、何かを知るにはそれについて最も造詣の深い人について学ぶこと。いわば、現在の自分の思考を空しくして、江戸のことは江戸に聞くことである。「文学」という近代的概念で江戸を理解することはできないということである。
 2019年を総括する文章を書こうとして、結局は師のことを書いてしまった。古典文学研究者は「世間知らず」だろうと思われているかもしれないが、先生は実に現代社会・政治についても通じていらっしゃった。先生にとっては過去の文物も、現在の情報も等価だったように見える。過去の文献や人物を研究することが、現在を考える大きなヒントになることを私は先生に教えられた。自分もそこに少しでも近づきたいと思っている。しかし、それがとても難しいことだと痛感したのが2019年という年であった。
 みなさん、よいお年を。
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2019年12月22日

国語国文学的思考

 投稿タイトルは、白石良夫さんの新刊『注釈・考証・読解の方法』(文学通信、2019年11月)の副題である。ストレートど真ん中に来た感じ。
 国文学(私らの教室では日本文学)、とくに前近代文学の研究の基本は、注釈・考証・読解である。いわゆる「演習」科目では、ここを鍛える。それは、この本の帯にあるように、研究対象である「古典」テキストを、昔の人がどう読んでいたかを追体験するために行うものである。注釈・考証・読解では、現代の我々の思考や感性をいったん置いて、同時代の読者になりきることが求められる。作者になりきるのは難しくとも、読者にはなれるかもしれないのである。
 これにより、我々の持たない江戸時代人的な知識・江戸時代人的な思考に到達することができる。現代から見れば荒唐無稽な知識であり、現代からみれば首をひねる思考であっても、とりあえずそれを明らかにし、踏まえることからすべてを開始しなければならない。一知半解に、性急に、正誤や価値を判断してはならないのである。その作業を続けることによって、江戸時代的な、つまり我々にとっては未知の世界が開けてくるのである。これは、外国文化を学ぶことや、宇宙の謎を解明することと、なんら変わりのないあり方である。
 しかし、これを意識的に方法として身につけるのには時間がかかる。また、もしかすると人によっては同じことを目指していてもやり方が違うかも知れない。ここに書かれているのは、白石流の注釈・考証・読解の方法である。
 源氏物語や徒然草に出てくることばの注釈が実践例のひとつである。従来の本文校訂および本文解釈を否定して、周到な手続きによる別解を提示する。小川剛生さんの『徒然草』(角川ソフィア文庫)で、採用されたという。
 そのような実践を論文として発表し、それらを集成したのが今回の本である。学ぶところが多いし、国文学を学ぶ学生そして研究者にも是非読んでいただきたい。
 注釈・考証はともかく、「読解」となると、江戸時代人の読書の再現というのは難しくなる。江戸時代の読者の「読み」が一元的とは限らないからである。いろんなキャラクターが出てきて、役者を評する評判記のあり方を思い浮かべるまでもなく、江戸時代の読者の「読み」もまた、多様であろう。かつて「菊花の約」をめぐって、故木越治さんと論争になったこともあるが、木越さんは「近世的な読み」というものを認めていなかった(と私は受け取った)。「読み」はすぐれて近代的なものだというのである。そのあたり、白石さんはどうお考えであるのか?たとえば、西鶴の武家物について。一度おうかがいしたいところである。
 実はこの本は白石さんから献呈していただいたが、その添え状に「返礼はいらないが、ネットでの厳しい批判は歓迎」という意味のことが書かれてあった。ネットでレビューを公けにしている人って、私と川平敏文さん以外には、あまりいないので、私に対する挑発?ではないかなどと、意識過剰となってしまったが、まあそんなこともないだろう。初出は大体読んでいるつもりだが、今回きちんと再読しないまま、この文を書いたこと、申し訳ありません・・・
  
 
 
 
 
 
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2019年12月21日

『在外絵入り本研究と目録』

 山下(高橋)則子さん編『在外絵入り本 研究と目録』(三弥井書店、2019年10月)。山下さんのこのところのお仕事は、国文研の在外絵入本調査の成果を、おまとめになったものが立て続けにB5判で出ているが、今回のものは、イタリアの諸機関で調査されたものの目録と、ホノルル美術館リチャード・レインコレクションの稀覯書紹介を中心とした共同研究の成果を合体したものである。前半の研究編巻頭には浅野秀剛先生のレインコレクション「絵入折手本」の紹介ほか6編。伊藤善隆さん、二又淳さん、山下さんが執筆。後半の在イタリア日本古典籍の目録と紹介は、サレジオ大学マリオ・マレガ文庫など数カ所の文庫の目録と解説である。イタリアに何度も足を運ばれての調査は大変だっただろう。在外での目録作りは、コストがかかる。科研ほか何度もいろいろな外部資金をとるために苦労されたと推察される。
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2019年12月20日

都賀庭鐘の読書筆記

劉菲菲さんの「都賀庭鐘の読書筆記『過目抄』とその読本創作」(『國語國文』2019年11月号)は、相変わらずの精力的な調査に基づく論文。都賀庭鐘の読書筆記『過目抄』は早くからその存在は知られていて、必ずや、彼の読み本創作と関わるだろうということは予想されていたが、実際にそれをきちんと調査した報告はなかった。やはり劉さんが、やりました。これも都賀庭鐘読本研究の必須文献となるだろう。劉さんは、中国の大学に就職しているみたいで、よかったです。
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2019年12月17日

アナホリッシュ國文學8号

『アナホリッシュ國文學』第8号が、5年ぶりに再出発。しばらく出なかったのは、この雑誌のために献身的につくしてこられた編集者のご病気によるものだったというが、ここに、8号が刊行されたことは、大変喜ばしい。特集は「太平記」で、兵藤裕己氏と呉座勇一氏の巻頭対談が面白い。歴史研究者が、平家物語と太平記とでは、向きあいかたが違い、それは一次史料の残存によるものだいう(なるほど!)話から始まって、呉座氏の『応仁の乱』についての自著解説、太平記の政治性・思想性、「楠木」か「楠」かなどの話題が続くが、はっとしたのは、歴史学者は『太平記』を史料として見ているため、オリジナルにこだわるということである。日本文学研究者も、しばらく前までは古態・オリジナルにこだわっていたが、今では、どちらかといえば、「原本が複数ある」ことに違和感を感じない研究者が多くなっていると思う。オリジナルにこだわる一方で、歴史学者が論文を書くときに、流布本を使うことが多いという指摘も。
 歴史研究者・日本文学研究者のほかにも、川田順造氏・島田裕巳氏などが執筆していて、バラエティに富む特集になっている。
 『観応の擾乱』で知られる亀田俊和氏が、『英草紙』第九話について書かれていたのは、嬉しいことだったが、有朋堂文庫の『雅文小説集』で読まれていたようである。ここはやはり、注釈・現代語訳付きの小学館の新編日本古典文学全集を使っていただき、またその解説も踏まえていただきたいところであった。
 また、すごいのは学界時評で、各担当者は5年分の時評をしている。もはや「時評」ではないと突っ込みたくなるが、これ、担当された方は大変だっただろう。しかし、それぞれのスタイルで面白く書かれている。とくに木村洋氏の「近代」時評は、研究方法という視点からわかりやすく整理されていて勉強になった。
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2019年12月16日

文理融合

 じんもんこん2日目は午前中のセッションのみ参加。「文字認識」のテーマでの発表4本。うち2本は英語(発表者は理系)。じんもんこんを主催している情報処理学会というのは、相当歴史が古く、会員も1万数千人と、我々の学会の比ではない。そのうちの人文科学との融合的テーマでの研究会が「じんもんこん」ということになる。
 最初の発表が一番聴きたかったもので、今年行われた、機械学習によるくずし字認識を競うコンペについての報告である。11月のハイデルベルクでのワークショップでご一緒した人文学オープンデータ共同利用センターの北本先生によるプレゼン。
 このコンペはKaggleというデータサイエンティストのコミュニティ(会員330万人!)でのコンペのひとつとして行われた。Kaggleのコンペとは、共通のデータセットを用いて、機械学習の性能を競うもので、賞金も出る。このコンペに参加して、優秀な成績を収めるとポイントが与えられて、いくつものコンペでいい成績をおさめ、ポイントをためると、その世界の有名人となるようで、ケンブリッジの学部1年生が有名なのだという話があった。ゲーム的要素を取り入れて、科学を進展させるという方法である。コンペの仕様をきちんと作っておけば、機械学習の優秀さを競うだけに、指標がきちんとしているから、客観的な評価もできるわけだ。まあ日本文学の論文なんかでのコンペは無理である(笑)。
 国文学研究資料館は、オープンアクセス可能な、いわゆるくずし字で書かれた文献をかなりの数、データセットとして提供している。このデータを使って、どれだけ機械が正確に翻刻できるかというのを競うのが今回のコンペである。コンペを公正に行うために、かなり苦労されたということがわかった。データの提供においても、画像のクリーニング、新字旧字問題、字母か漢字かなど、さまざまな問題がある。コンペは3ヶ月行われて、293チーム、338コンペティション、2,652エントリーだったという。優勝者の文字認識正答率は95%以上である。コンペ参加者の中にはくずし字が読めない人も多くいたようである。世界規模でやっているので当然のことだ。そして、上位5名の賞金は3000ドルである!
 日本古典文学研究側からいえば、くずし字認識の機械学習の性能があがることは、非常にありがたいことであるが、コンペをやると、これだけの知恵がこれだけ速く集められるのだと知ったのは、衝撃的だった。
 コンペは賞金があるので、モチベーションは十分だが、普通の研究で理工学部の人たちが、たとえば落款を読むためのツールを開発することになる経緯には、かならず人的繋がりがあるはずで、そこにはいろいろなドラマが秘められてるのだろうなと、自分を顧みても思う。私の場合、くずし字学習支援アプリKuLAの開発を橋本雄太さんにやっていただいたが、これも古地震研究会が江戸以前の文献を読む必要性から、「和本のすすめ」の著者の中野三敏先生を講演に呼ぼうとして、結果的には私が代理で行くことになったというところから始まっている。
 文理融合は、文系の側から言えば、研究対象を「物」あるいは「データ」として捉えることによって、その解析に理系の方の力を借りるというところから発する場合は多いが、江戸時代以前についていえば、古典を単にテキストのみならず、紙質・書型・墨・綴じ方などの物としての解析が今や必須となっている。またテキスト解析も、ビッグデータを用いる科学的方法が取り入れられることになるのは必至である。
 一方で、理系の側から、文系の力を必要とすることがあるのだろうか。「医療における倫理」「古地震研究など100年以上前のデータ解析のための古文献読解」などが思い浮かぶ。わざわざ文理融合を考えなくても、文理融合をせざるをえない局面が多くやってきそうである。情報処理学は、現時点では分断されているように見える文理を繋ぐ役割をますます強めるだろう。
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2019年12月14日

「じんもんこん」に出かける

「人文科学とコンピュータシンポジウム」、愛称?「じんもんこん」が、自宅の近く、立命館大学大阪いばらきキャンパスにやってきた。これは、ちょっと覗いてみようと、会費前払いをしていたので、午後から出かけた。自宅から30分あまりで到着。はじめてきたキャンパスだが、ものすごく立派で驚いた。そして情報系というか、我々の業界の学会のスタイルとは違っていて新鮮だった。
 このシンポジウムは2日間行われるが、今日の午後は、まず国立歴史民俗博物館企画のセッションで「若手研究者によるCH」。CHというのが何なのか、いまいちわからないのだが、{コンピュータとヒューマニティーズ?)8人の若手研究者のプレゼンが行われた。国文学専攻の院生もいて、近代短歌テキストのデータベース化について発表したが、さすがにこれはわかりやすかった。
 企画セッションということだが、若手をほめあげて、育てる雰囲気が横溢していて、ほんわかした雰囲気である。これなら若手も安心して発表できる。若い学問だから、それでいいのではないかなと、まあ思いましたが。若いというより、文理を繋ぐ学問というべきだろうか。人文系の研究者がデータベースを作ろうとする場合と、情報系研究者が人文系が必要とするデータを用いてシステムをつくる場合とがあり、多くはその協同である。
 休憩をはさんで、ポスター・デモの紹介が22件! なんと、プレゼン時間は一人わずか1分である。日本文学系の学会では見たことのないスタイル。「あとはデモで、あとはポスター発表で詳しく」という感じで皆さん終わる。毎回、同じテーマで発表している「常連」もいるようである。
 このデモ発表の中には、「くずし字」関係が2つあった。豊田高専のシステムは、加藤弓枝さんから教えていただいていたから知っていたが、大阪工業大学の「文字あわせマッチング」は知らなかった。情報科学の授業で学生が開発したらしいが、くずし字と通常標記の平仮名を、トランプの神経衰弱のようにマッチングさせるゲームによって、くずし字を覚えるという学習支援アプリである。KuLAのテスト機能に比べても遜色のない効果が得られたことを教えていただいた。指導した教員の横山さんは日本文学が専門で、実はむかし私の非常勤先での学生(TAをしてくれた)だったのだが、世界って狭いですね。このアプリは、大学内でしか使えないらしいのが残念であった。
 KuLA開発以来、デジタルヒューマニティー関係の人たちと知り合いが増えてきていたので、ここに来ても、顔見知りが多い。いろいろ頼み事や言づてなど、やるべきこともやれた。今日は、一足先に失礼したが、明日もまた午前中の文字認識のセッションを聞きに出かけるつもりである。(続きを書くかも・・・です)
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2019年12月09日

『日本の文化をデジタル世界に伝える』

永崎研宣(きよのり)さんの『日本の文化をデジタル世界に伝える』(樹村房、2019年9月)。
デジタル世界の発展は著しく速いのに、ここに書くのが遅くなりました。
日本文学をはじめ、日本文化の研究や伝達・普及に関わるものにとって、デジタル世界を無視して仕事はできなくなっている。
しかし、コンテンツをデジタルに載せたり、利用するリテラシーは、人によって大きな差がある。
たとえば、外部資金を申請するときに、資料や研究成果を「WEBで公開する」としたとしても、具体的にどうやってやるのか、そしてそれをどうやって維持するのかというところまで、きちんと見通している研究者がどれだけいるだろうか。
本書は、そういう日本文化系研究者にとって、実にありがたい本である。
とくに、コンテンツをデジタルに載せる時の、さまざまな留意点を懇切に教えてくれている点は、実にありがたく、そういう意味で、しばらくは座右に置いておきたいと思わせる。
著者がデジタル・ヒューマニティーズの分野では、世界的に著名で、常時世界を文字通り飛び回っている方であることは、よく知られている。私は個人的にとても助けていただいているが、とても細やかで、親切なので、つい甘えてしまうこともあるが、とにかく、この方の存在は、ここ数年のデジタル・ヒューマニティーズの「快進撃」に大きく寄与していることは間違いないのである。
VF、TEI、もちろん基本から解説あります。「デジタルで発信」と考えているかた、お勧めです。
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2019年12月06日

中野三敏先生を追慕する

中野三敏先生が逝去された。三鷹の禅林寺で、通夜と葬儀は行われた。森鷗外と太宰治の墓のあるお寺である。通夜のあとの席で、可愛いお孫さんが促されてスピーチをされた。「おじいちゃんは、ぼくをよくくすぐるんだけど、くすぐっているおじいちゃんの方がいつも笑ってた」。目に浮かぶ光景、先生のお孫さんへの愛情がこれ以上ないほどよく表現されていた。
 何人かの教え子が弔辞を読んだ。ロバート・キャンベルさんは、中野先生の声が、最近弱々しく、発声が辛そうだったことから語り、朗々と通るお声を聞けなくなることが悲しいと結んだ。川平敏文さんは、先生の後継者としての責任の重さを受け止め、ご家族の介護にも謝辞を述べた。そして宮崎修多さんは、門下生にも促し、「仰げば尊し」を、切々と歌った。
 多くの門下生を育てられた中野三敏先生。教え子一人一人の性格やセンスを観察し、適切にアドバイスを送り、叱り、放任すべき時は放任された。振り返ると、それはあまりにもお見事であった。私はそのことへの感謝をお別れの言葉とした。
 みんなよく叱られてたよね、と野辺送りの場でも、盛り上がった。中野先生は柔和で優しいイメージがあるが、ここぞという時にきちんと叱って下さる先生だった。なかなか真似できない。
 教え子だけではない。中野先生を慕い、教えを乞う研究者はとても多い。先生は、惜しげもなく、ご蔵書を貸し与え、知見を伝えられ、ご自宅に招かれて本をお見せになることもあった。とくに若い研究者には、懇切であられた。
 先生は、「人好き」で、どんな人にも面白いところを見つけて、その人の居場所を作ってくれるようなところがある。社会常識的にはちょっとどうかなあというような言動をする人に対しても、寛容で、面白がり、排除しないのである。先生の真骨頂である「畸人」の伝記も先生の「人好き」が原点だ。
 先生を囲む食事会はいつも楽しかった。なぜだろう。誰かの話をしているのだが、ほとんどの場合、その人の面白いところを愉快そうに、愛情をこめて話されるのである。だから、その場は温かくなる。研究会が終わっての夕食会に、「今日は僕もいこう」とおっしゃると、みんな大喜びだったのだ。
 もう一度、そういう日が来ないかなあ、と思っていた。でも来なかった。誰かが「重しがなくなる」と言った。
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