2020年01月21日

小説家、織田作之助

 私のお隣の研究室は近代文学が専門の斎藤理生さん。すでに太宰治についての著作があるが、このたび『小説家、織田作之助』(大阪大学出版会、2020年1月)を上梓された。斎藤さんが近代作家の新資料を発見した記事はもう何回見たことだろうか。新聞や雑誌を細かく調査する、地道で根気の要る作業を、たぶん嬉々としてやっておられる結果が、発見に繋がっているのだろう。空理空論をもてあそぶのではなく、資料に基づいてしっかり読む研究スタイルを、私は尊敬している。そこで、近代文学ではあるが、ここに紹介する次第である。
 一般向けの選書スタイルながら、360頁というボリューム。ですます調で書かれ、フォントも明朝体ではなく、ちょっと洒落ている。表紙は、阪大リーブルとは思えないほど(失礼)、明るく、可愛い(西村ツチカさん画)。1月11日に開かれた大阪大学国語国文学会で披露されたが、みなさんその外側の意匠に感嘆されていた。
 中身は?もちろん今後、織田作之助研究の必携書となること疑いなしの充実した内容である。お前全部読んだのか?と突っ込まれそうだが、いいえ、読んでませんが、拾い読みしただけで、それが確信できるのだ。
 織田作之助についてまわる「大阪の作家」というイメージ。そのイメージに?を投げかける序章。そして『夫婦善哉』にはじまる代表作の読み。先行作品の換骨奪胎の指摘。数々の新聞小説の試みの分析。縦横無尽である。ふと、思い出した。斎藤さんが学生の頃に、浮世草子作家其磧の「剽窃」について私に質問したことを。なぜ(研究用語として)「剽窃」というのか?という内容ではなかったか?ズレた回答をしたように記憶するが、オダサクの「器用仕事」のことを考えていたところからの質問だったのだろうか?
 とまれ、同時代の状況と作品の切り結びという観点に興味のある近代文学研究者(いや、もっと広く文学研究者)は必読だろうと思う。きちんと読んでないくせに自信に満ちた言い方?いや、大丈夫です。隣の研究室にいるから、保証できるんです。
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2020年01月19日

近世文藝111の怪談研究

 今年はゆえあって、近世怪談の研究をなるべくフォローしてゆきたい。で、第1弾は昨日届いた『近世文藝』111号(2020年1月)。ほんとにメモ程度で申し訳ないが、触れておく。森翔大氏「林義端怪異小説の典拠」。「浮世草子怪談」と位置づけられている義端の『玉櫛笥』の典拠として、室町物語の『業平夢物語』と、中国明代小説『続艶異編』を指摘する。義端が古文辞学派の儒学者であり本屋でもあったことで、これらのメジャーとはいえない本の知識があったとする。しっかりとした典拠考。伊與田麻里江氏「山東京伝『復習奇談安積沼』の創作手法−敵討物草双紙からの影響をめぐって−」。南杣笑楚満人の黄表紙『敵討沖津白波』の利用を検討し、京伝読本形成の試行錯誤の跡を示すものと位置づける。
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2020年01月18日

中根東里という人

 去年の10月に行われた、佐野市立郷土博物館の「中根東里展」。なんと台風19号で、佐野市全体が被害を受けたため、展覧会は会期途中で中断されたという。関係者の無念さはいかばかりであったろうか。
 中根東里。私もその名は知っているが、何をした人なのかといえば、はて、漢学者でしょう?、ぐらいしか頭に浮かばない。この展覧会の図録『中根東里展−「芳子」と門人たち−』を去年の11月に送っていただいていた。ご紹介が遅れて申し訳ない。
 この図録の第一章「中根東里の生涯」に塩村耕さんが、西尾市岩瀬文庫悉皆調査の過程で、『東里先生遺稿』『東里外集』に出会い、二度驚いたことを記している。「新瓦」という文章に、幼い姪芳子が成長後に読むようにと直接的に明言していること(そういう例は稀少)、そしてその文章で西鶴の記述と似た状況が語られていたことに。東里は、「隠逸孤高の文人」だが、希有な思索者・表現者であることが塩村氏によって発見されたわけである。
 特定の人に向けて書かれた文章であるからこそ、誰が読んでも胸を打つということがある。前近代の文章はそのような性格を備えていると私は思っているが、このケースはまさに「我が意を得たり」である。
 さて、東里は、一生独身で学問に専念していた。しかし、突然幼い姪「芳子」を育てることになり悪戦苦闘する。姪が成人するまで自分の寿命があるか心配で、「新瓦」を書き残した(「あとがき」参照)。塩村さんは、この「新瓦」を「日本人必読の書」だと評する。原文は漢文だが、訓読文を施し、さらに丁寧にも現代語訳をつけている。かなりの思い入れだが、確かに、この文章は、古典と呼ぶに相応しい。現代的意義に満ちている。「忖度」という言葉の本当の意味も教えてくれる。そして「名を好む心は学問の大魔なり」と警告してくれる。興味深いのは、芳子は女性だが、「真の読書」をする女性になってほしいという。その時に何を読むか、何を読まずにおくかを木に例えて教えるのだ。
 『詩経』と『書経』は根、『論語』と『孝経』は幹、『左伝』『国語』『史記』『漢書』はその枝葉花実だと、それ以外は読んでも読まなくてもいいと。読書で徳を成すものは、上の部類、読書で恥を知るものはそれに次ぎ、読書を楽しみとするものはそれに次ぐと。我々にとっても、貴重な教えだ。
 さて、この図録、佐野の地に学問を根付かせた中野東里の功績を称えた展示で、きめ細かい。なかでも彼を慕った須藤柳圃宛書簡が多いが、翻字だけではく現代語訳まで付けてくれている。書簡文が読めなくても東里の思想の真骨頂を見ることができる配慮だ。なんだか、東里の教えを、この図録が受け継いでいるかのようだ。
 塩村さんと末武さとみさんの労作の図録だが、もはや東里研究の現時点における決定版といえるだろう。
 ところで、コラムのひとつに「東を歓迎した佐野の人々」(末武さん執筆)があり、そこにやはり佐野を拠点に俳諧および教化活動をした常盤潭北の話出てくる。かつて私が調べた、「教育する俳人」で、拙稿を引いていただいているのがありがたい。この縁で図録を送っていただいたようである。
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2020年01月12日

文学研究と歴史研究(滝川幸司さんの講演について)

 2020年初投稿。今年もよろしくお願いします。
 ブログで紹介したい本や図録など数点を年越ししてしまった。これからのスケジュールを考えると一気に挽回というわけにもいかないようだ。
 短い記事でも少しずつ書いてゆきます。
 さて、昨日は、大阪大学国語国文学会の総会(研究発表+総会)があり、昨年10月に着任された滝川幸司教授の講演が行われた。
 題して「渡唐の心情は詠まれたのか−寛平の遣唐使と漢詩文−」。
 中公新書の『菅原道真』164頁以降に触れられていることだが、道真が寛平6年に遣唐使可否再検討の状を出したのは、自身の渡唐に不安があったからだという説があるが、それはありえないということを話された。渡唐不安説は、状を出した5日前の重陽宴で道真が詠んだ漢詩を根拠にしている。しかし、天皇が催す詩宴で、詩題にそって詠まれた漢詩は、題意をふまえて詠むものであり、私情を詠むことはあり得ないこと、また詩に使われている「賓鴻」「向前」の典拠・用例を踏まえて解釈すれば、渡唐の心情を詠んだという解釈は成り立たないことを明快に述べた。
 もともと権威ある漢詩文研究者の説を、歴史研究者が鵜呑みにして、何十年も疑われなかったという状況があったということだ。
 そして、このようなことが起きないようにするには、やはり文学研究者が、注釈という文献解釈の方法をきちんと一般に説明し、啓蒙する必要があるのだということを主張された。学生にとっても非常に重要なメッセージとなったし、すごく意義のある講演だったと思う。
 歴史学者は史料を厳密に読むが、こと詩とか和歌についてはどうだろう。そのへんの注釈書を鵜呑みにしていないか?どの注釈書を使うかということも重要なスキルである。詩や和歌ばかりではない。最近もある歴史学者の論文で、文学テクストを扱ったものを見たが、そもそも、注釈や現代語訳さえ備わるテキストなのに、大昔のテキストを用いていて驚いた。ちょっと文学研究者に聞けばわかることなのだが・・・。
 しかし、同様のことを文学研究者もしているかもしれない。自戒しなければならない。そして、これはやはり人文学の蛸壺化が招いてきた弊害であろう。学際化・国際化が叫ばれているが、実際どうやってそれをやるのか?まずは、人的交流だろう。学生も、専門以外の授業を受けてみるといいと思う。一つ学問の境界を越えると、同じことを別の用語で称することもあることがわかる。
 そういうことをいろいろ考えさせられる講演だった。
 
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