2020年01月18日

中根東里という人

 去年の10月に行われた、佐野市立郷土博物館の「中根東里展」。なんと台風19号で、佐野市全体が被害を受けたため、展覧会は会期途中で中断されたという。関係者の無念さはいかばかりであったろうか。
 中根東里。私もその名は知っているが、何をした人なのかといえば、はて、漢学者でしょう?、ぐらいしか頭に浮かばない。この展覧会の図録『中根東里展−「芳子」と門人たち−』を去年の11月に送っていただいていた。ご紹介が遅れて申し訳ない。
 この図録の第一章「中根東里の生涯」に塩村耕さんが、西尾市岩瀬文庫悉皆調査の過程で、『東里先生遺稿』『東里外集』に出会い、二度驚いたことを記している。「新瓦」という文章に、幼い姪芳子が成長後に読むようにと直接的に明言していること(そういう例は稀少)、そしてその文章で西鶴の記述と似た状況が語られていたことに。東里は、「隠逸孤高の文人」だが、希有な思索者・表現者であることが塩村氏によって発見されたわけである。
 特定の人に向けて書かれた文章であるからこそ、誰が読んでも胸を打つということがある。前近代の文章はそのような性格を備えていると私は思っているが、このケースはまさに「我が意を得たり」である。
 さて、東里は、一生独身で学問に専念していた。しかし、突然幼い姪「芳子」を育てることになり悪戦苦闘する。姪が成人するまで自分の寿命があるか心配で、「新瓦」を書き残した(「あとがき」参照)。塩村さんは、この「新瓦」を「日本人必読の書」だと評する。原文は漢文だが、訓読文を施し、さらに丁寧にも現代語訳をつけている。かなりの思い入れだが、確かに、この文章は、古典と呼ぶに相応しい。現代的意義に満ちている。「忖度」という言葉の本当の意味も教えてくれる。そして「名を好む心は学問の大魔なり」と警告してくれる。興味深いのは、芳子は女性だが、「真の読書」をする女性になってほしいという。その時に何を読むか、何を読まずにおくかを木に例えて教えるのだ。
 『詩経』と『書経』は根、『論語』と『孝経』は幹、『左伝』『国語』『史記』『漢書』はその枝葉花実だと、それ以外は読んでも読まなくてもいいと。読書で徳を成すものは、上の部類、読書で恥を知るものはそれに次ぎ、読書を楽しみとするものはそれに次ぐと。我々にとっても、貴重な教えだ。
 さて、この図録、佐野の地に学問を根付かせた中野東里の功績を称えた展示で、きめ細かい。なかでも彼を慕った須藤柳圃宛書簡が多いが、翻字だけではく現代語訳まで付けてくれている。書簡文が読めなくても東里の思想の真骨頂を見ることができる配慮だ。なんだか、東里の教えを、この図録が受け継いでいるかのようだ。
 塩村さんと末武さとみさんの労作の図録だが、もはや東里研究の現時点における決定版といえるだろう。
 ところで、コラムのひとつに「東を歓迎した佐野の人々」(末武さん執筆)があり、そこにやはり佐野を拠点に俳諧および教化活動をした常盤潭北の話出てくる。かつて私が調べた、「教育する俳人」で、拙稿を引いていただいているのがありがたい。この縁で図録を送っていただいたようである。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする