早稲田大学のオンラインワークショップ「テクスト遺産の利用と再創造」で、海野圭介さんとご一緒した。互いに絡むことはなかったのだが、海野さんとは同僚として何年か共に過ごした中であり、いろいろとお世話になっているので、嬉しいことであった。そして海野さんのちょっとしたご発言から、大きなご示唆を得た。そういう時に、ちょっと必要があって、彼の論文集『和歌を読み解く 和歌を伝える−堂上の古典学と古今伝受』(勉誠出版、2019年2月)のページを全部めくった。家人が研究領域が近く、ご寄贈いただいていたもの。
あとがきに、初出稿の原稿依頼をした一人として私の名前が出ていて、なんという義理堅さと驚いたのだが、一方で私は、いろいろ助けていただいた海野さんに何の謝辞もこれまで述べていなかったような気がして、せめてこの場を借りて謝辞を述べようと思ったのである。
その前に、この大部の本について、印象を述べる。(レビューはもちろん、感想すら述べる資格もないので、「印象」である)
本書の意義については、伊井春樹先生の序に尽くされているのだろう。海野さんは、もともとは中世和歌がご専門だったと思うが、近世にもかなり食い込んでいて、日本近世文学会の査読雑誌でも編集委員を務めているくらいである。中世以前の業績については存じ上げないが、近世期の領域としては、近世前期から中期にかけての古今伝受の実態を、博捜された資料を基に、緻密に解明しておられるというのが、私の海野さんに対するイメージだった。ところが今回の論集には、熊沢蕃山の源氏物語観が堂上の源氏学に影響を与えているいるという指摘もあり、スリリングだった。これも、海野さんが京大の中院文庫の本を悉皆的に調査されたところから生まれたものだろうということが、理解された。ひとつの文庫を全部みるという勉強は、いろいろな成果を生むということの一例がここに示されている。そして、確かに海野さんの研究は、ジェルリーニさんの「テクスト遺産」の概念と親和性が高いなと思った。海野さんは、ハルオ・シラネ氏の元に留学経験があり、緻密な実証的研究をやりつつ、世界の中の日本文学研究の位置づけをし、発信のできる数少ない人材である。今後、彼の果たす役割は非常に大きくなるだろう。
最後に謝辞。実は、私は海野さんに恩義がある。少し前に上梓した『文化史のなかの光格天皇』に原稿をいただいたこともそうだが、私が阪大に来てしばらくして『上方文藝研究』という雑誌を立ち上げた際に、創刊号から第4号まで立て続けに、原稿を寄せてくれたのだった(それも本書に収められている)。これがどんなに心強いことであったか。院生で論文を書けるような学生がまだあまりいなかった時だけに、OBの力添えは本当にありがたかったのだが、海野さんはとりわけ同僚だっただけに、惻隠の情にかられたのだろう。ここで改めて感謝申し上げる。
2020年07月25日
2020年07月19日
テクスト遺産のオンラインワークショップに参加して
前のエントリーでお知らせしたオンラインワークショップ「テクスト遺産の利用と再創造」、222名の方が参加を申しこまれ、実際にも多いときで210名くらいが視聴していたようである。「テクスト遺産」というのは日本文学研究界隈ではまだ聞き慣れないタームである。これは「批判的遺産研究 critical heritage studies」という近年の新しい論理的アプローチによる遺産の解釈に基づくものである。本ワークショップを企画したエドアルド・ジェルリーニ氏の説明によれば、批判的遺産研究において、遺産とは過去の文化財そのものを意味するよりも、過去の文化財をめぐってさまざまに行われる文化的営為を指す。その文化的営為は、保存と修復を行うのみならず、過去の遺物を選択し、評価し、変更し、場合によっては破壊する。このような文化的な営為を「遺産」と称するというのである。
文化遺産の中に、テクストとしての「古典」は入っていなかった。たとえば源氏物語を文化遺産に指定しようとしても、いわゆるモノとしての「原本」は存在しないからである。しかし、「批判的文化遺産」の考え方によれば、源氏物語は十分にその対象たりうる。そして、古典を未来に活かすというビジョンに、このアプローチは非常に有効であるように思う。
去年の夏、ジェルリーニさんとお話する機会を得て、この「テクスト遺産」の概念を私なりに理解し、非常に共感を得た。そして、このワークショップに参加させていただくことになったことは、望外の幸せであった。
オンラインになったものの、ワークショップが開催されたことは本当によかった。むしろオンラインになったため、海外から多くの人が参加できるようになり、また普通ならありえない高校生の参加もあったという。
さて、基調報告のジェルリーニさんと、前田雅之さんの基調報告は10分、所有性・作者性・真正性というテーマで分けられた各セッションのパネリストの持ち時間は5分、司会のコメントは1分という、経験したことのない超タイトなタイムスケジュール設定。さすがに時々ちょっとしたハプニングや臨機応変の対応があったものの、集まった人々がプロばっかりだったため、全体としてはほぼ予定通りに進行したのは、驚きだった。
私は第2セッションの「作者性」に参加した。渡部泰明さんが「和歌の作者性」について、兵藤裕己さんが、「物語における「作者」の発生」について、広くて深いお話をなさった。いずれも唸るような指摘の数々、大いに勉強になった。私のは時代も作品も限られた話であったが、関心をもってくださった方がいたのでほっとした。私たちのセッションでは、前田雅之さんが司会だったが、外部コメンテーターとしてハルオ・シラネさんが登場し、渡部さんや兵藤さんと議論をなさったので、進行が大変だった様子である。パネル発表はどの発表も、ワークショップの趣旨を踏まえて、実に要領よくまとめられ、かつ大きな問題提起をするものばかりで、大いに刺激をうけた。
これからの日本文学研究は、緻密に深掘りすることと、世界の日本研究者に興味を持ってもらえる問題意識をもつことの両方が備わってなければならないと、またまた思い知らされたわけであるが、そのためには、できるだけ、国際的な研究交流に積極的であることが大事だろうと思う。そうでないと、感覚的に自分の研究の位置づけができないのである。微力ながら、そういう機会を作っていくのが、我々の役目だろうと思った。
文化遺産の中に、テクストとしての「古典」は入っていなかった。たとえば源氏物語を文化遺産に指定しようとしても、いわゆるモノとしての「原本」は存在しないからである。しかし、「批判的文化遺産」の考え方によれば、源氏物語は十分にその対象たりうる。そして、古典を未来に活かすというビジョンに、このアプローチは非常に有効であるように思う。
去年の夏、ジェルリーニさんとお話する機会を得て、この「テクスト遺産」の概念を私なりに理解し、非常に共感を得た。そして、このワークショップに参加させていただくことになったことは、望外の幸せであった。
オンラインになったものの、ワークショップが開催されたことは本当によかった。むしろオンラインになったため、海外から多くの人が参加できるようになり、また普通ならありえない高校生の参加もあったという。
さて、基調報告のジェルリーニさんと、前田雅之さんの基調報告は10分、所有性・作者性・真正性というテーマで分けられた各セッションのパネリストの持ち時間は5分、司会のコメントは1分という、経験したことのない超タイトなタイムスケジュール設定。さすがに時々ちょっとしたハプニングや臨機応変の対応があったものの、集まった人々がプロばっかりだったため、全体としてはほぼ予定通りに進行したのは、驚きだった。
私は第2セッションの「作者性」に参加した。渡部泰明さんが「和歌の作者性」について、兵藤裕己さんが、「物語における「作者」の発生」について、広くて深いお話をなさった。いずれも唸るような指摘の数々、大いに勉強になった。私のは時代も作品も限られた話であったが、関心をもってくださった方がいたのでほっとした。私たちのセッションでは、前田雅之さんが司会だったが、外部コメンテーターとしてハルオ・シラネさんが登場し、渡部さんや兵藤さんと議論をなさったので、進行が大変だった様子である。パネル発表はどの発表も、ワークショップの趣旨を踏まえて、実に要領よくまとめられ、かつ大きな問題提起をするものばかりで、大いに刺激をうけた。
これからの日本文学研究は、緻密に深掘りすることと、世界の日本研究者に興味を持ってもらえる問題意識をもつことの両方が備わってなければならないと、またまた思い知らされたわけであるが、そのためには、できるだけ、国際的な研究交流に積極的であることが大事だろうと思う。そうでないと、感覚的に自分の研究の位置づけができないのである。微力ながら、そういう機会を作っていくのが、我々の役目だろうと思った。
2020年07月14日
テクスト遺産の利用と再創造
まずは、このプログラムご覧下さい。
私を除き、錚々たる顔ぶれと、意欲的なタイトルですね。主催は早稲田大学。
「古典」の新しい捉え方を議論しようとするオンラインシンポジウムで、エドアルド・ジェルリーニ氏と前田雅之氏の基調報告2本のあと、「テクスト遺産」という概念を軸に、テクストの所有性、作者性、真正性という3つのテーマでセッションが行われる。私が出るのは第2セッションだが、このセッションには渡部泰明氏と兵藤裕巳氏という、大物お二人が登場。さすがにテーマも大きくて、扱う範囲も広い。こちらはなんだかちまちました話、どうぞお許し下さい。他のセッションもすごいメンバーを揃えているので、とにかく勉強させていただくつもりで。
このシンポジウム、海外からの参加もあるということで、午前のかなり早い時間に開始されるにも関わらず、前評判もよろしいようで、参加申し込みも順調のようである。明日が締め切りです。その直前でのアナウンスですが。
私を除き、錚々たる顔ぶれと、意欲的なタイトルですね。主催は早稲田大学。
「古典」の新しい捉え方を議論しようとするオンラインシンポジウムで、エドアルド・ジェルリーニ氏と前田雅之氏の基調報告2本のあと、「テクスト遺産」という概念を軸に、テクストの所有性、作者性、真正性という3つのテーマでセッションが行われる。私が出るのは第2セッションだが、このセッションには渡部泰明氏と兵藤裕巳氏という、大物お二人が登場。さすがにテーマも大きくて、扱う範囲も広い。こちらはなんだかちまちました話、どうぞお許し下さい。他のセッションもすごいメンバーを揃えているので、とにかく勉強させていただくつもりで。
このシンポジウム、海外からの参加もあるということで、午前のかなり早い時間に開始されるにも関わらず、前評判もよろしいようで、参加申し込みも順調のようである。明日が締め切りです。その直前でのアナウンスですが。
2020年07月11日
リサーチショウケース
7月11日(土)日本文学・日本史リサーチショウケースがZoomで開催された。
Research Showcaseとは、英語で国際学会発表や論文投稿に挑戦しようとする若手研究者を支援するイベントである。東京大学の附属研究所CIRJEを拠点として活動する「歴史家ワークショップ」という有志の歴史研究者たちの運営するもので、これまで、西洋史などを中心とする歴史研究者のために行われてきたものだが、今回、ありがたいことに日本文学・日本史研究者のために開いていただくことになったものである。
人的ネットワークを通じて、私も運営委員に加わり、学生に案内したり、SNSで告知するなどの広報をした。
10名の発表者とフロアをあわせ40名以上が参加した。
リサーチショウケースは、自分の研究を、ショウケースで見せるようにプレゼンするものである。専門をかならずしも共有しないオーディエンスに8分間でご自身の研究を伝え、その後7分間の質疑応答を行なうという、非常にユニークな発表形式である。
これまでは当然、会場に集まって行われたわけだが、今回は、オンラインで行われた。その結果、海外からの参加も可能となるというメリットもあった。
ゲストコメンテーターとしてロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)のタイモン・スクリーチさん、司会およびコメンテーターとして国文学研究資料館の山本嘉孝さん。
このリサーチショウは、本当に親切なシステムになっている。発表のおよそ10日前に発表原稿を提出することで、ワークショップメンバーから事前にライティングや構成についてフィードバックをうけることができるし、当日もコメンテーターから丁寧なコメントをうけることができる。
本来私などが運営委員に名前を連ねるのは、噴飯物なのだが、これも縁である。時差を考慮して午前9時からはじまったこのワークショップ、非常に愉しかったし、勉強になった。プログラムは現時点ではこちらのページから見ることができる。
発表者は留学生の方が3分の2で、もう少し日本人の若手に参加してほしかった。私自身は質疑応答やコメントなどを聞いて、大変勉強になった。阪大の大学院生も4名(うち留学生3名)参加し、それぞれ、いい発表をしてくれた(と思う)。私自身の(無謀な)海外学会挑戦が、なんらかの形でこういうところに繋がっているとしたら、たいへん嬉しいことである。
日本文学も日本史学も、学界の現状は、積み重なった研究史をふまえた、専門性の強い、実証的な方法による深掘りをやっているのが普通である。それはそれで、大事なことだが、それを、他分野の研究者に短く的確に伝えるには何が必要なのか。あらためて、考えさせられた。
休憩をはさんで3時間30分の会であったが、楽しめた。英語のボキャプラリーとリスニング能力が全然足りないことは、毎度毎度痛感することではあるが。ワークショップ後のバーチャル茶話会がIn Japanese でよかったあ。
Research Showcaseとは、英語で国際学会発表や論文投稿に挑戦しようとする若手研究者を支援するイベントである。東京大学の附属研究所CIRJEを拠点として活動する「歴史家ワークショップ」という有志の歴史研究者たちの運営するもので、これまで、西洋史などを中心とする歴史研究者のために行われてきたものだが、今回、ありがたいことに日本文学・日本史研究者のために開いていただくことになったものである。
人的ネットワークを通じて、私も運営委員に加わり、学生に案内したり、SNSで告知するなどの広報をした。
10名の発表者とフロアをあわせ40名以上が参加した。
リサーチショウケースは、自分の研究を、ショウケースで見せるようにプレゼンするものである。専門をかならずしも共有しないオーディエンスに8分間でご自身の研究を伝え、その後7分間の質疑応答を行なうという、非常にユニークな発表形式である。
これまでは当然、会場に集まって行われたわけだが、今回は、オンラインで行われた。その結果、海外からの参加も可能となるというメリットもあった。
ゲストコメンテーターとしてロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)のタイモン・スクリーチさん、司会およびコメンテーターとして国文学研究資料館の山本嘉孝さん。
このリサーチショウは、本当に親切なシステムになっている。発表のおよそ10日前に発表原稿を提出することで、ワークショップメンバーから事前にライティングや構成についてフィードバックをうけることができるし、当日もコメンテーターから丁寧なコメントをうけることができる。
本来私などが運営委員に名前を連ねるのは、噴飯物なのだが、これも縁である。時差を考慮して午前9時からはじまったこのワークショップ、非常に愉しかったし、勉強になった。プログラムは現時点ではこちらのページから見ることができる。
発表者は留学生の方が3分の2で、もう少し日本人の若手に参加してほしかった。私自身は質疑応答やコメントなどを聞いて、大変勉強になった。阪大の大学院生も4名(うち留学生3名)参加し、それぞれ、いい発表をしてくれた(と思う)。私自身の(無謀な)海外学会挑戦が、なんらかの形でこういうところに繋がっているとしたら、たいへん嬉しいことである。
日本文学も日本史学も、学界の現状は、積み重なった研究史をふまえた、専門性の強い、実証的な方法による深掘りをやっているのが普通である。それはそれで、大事なことだが、それを、他分野の研究者に短く的確に伝えるには何が必要なのか。あらためて、考えさせられた。
休憩をはさんで3時間30分の会であったが、楽しめた。英語のボキャプラリーとリスニング能力が全然足りないことは、毎度毎度痛感することではあるが。ワークショップ後のバーチャル茶話会がIn Japanese でよかったあ。