2020年08月31日

近世演劇の享受と出版

 大橋正叔先生。温厚だがきちんと筋を通すそのお人柄から、大学でも学界でも、おそらくどなたからも一目おかれ、慕われている方だろう。阪大のOBでもあり、とりわけ私はお世話になっている。その学識は並々ならない。一方で管理能力もすごく、天理大学の副学長を長く務められた。その重責から解放され、2019年に2冊の本を一気に上梓された。そのうちの1冊『近松浄瑠璃の成立』については、ここでも紹介させていただいた。
 だが、もう1冊『近世演劇の享受と出版』(八木書店、2019年12月)については、まだ紹介していなかった。これも素晴らしい本なのだ。この本は、近松論とはまた別の意味で、大橋先生らしい論文集といえるだろう。それは、先生の幅広い知識、文学史への深い思い、柔軟で鮮やかな連想力・発想力・構想力というものが、よく発揮されていると思えるからである。
 たとえば、「近世の読者序説」。読者論というのは近世文学全般を見渡せる見識がなければ書けないが、大橋先生の本論は、非常に具体的な事例を的確に引きながら、かなり独特の読者論を構築している。膨大な蔵書を誇る天理図書館を擁する天理大学に奉職されて、なるべく多くの本を読むと心がけられた先生ならではの自在な叙述で、調べたことを書いたのではなく、知っていることを述べられたということが伝わる文章である。しかも、その初出が「山辺道」という天理大学の国文学の雑誌なので、あまり人目につかなかったはずである。しかし、この論文は、近世読者論として必読ではないだろうか。
 また、太平記の享受についての二本の論文も演劇の太平記享受に詳しく、貴重である。表面をなぞる享受史ではなく、太平記の何がどのように享受されたかを、わかりやすく説いているので、非常に理解しやすいのである。生きた享受史といおうか、ここでも大橋先生の力量をうかがうことができる。
 「浄瑠璃史における貞享二年」など、記念碑的な論文も収められ、豊かで刺激的な論文集である。本当に出していただいてよかったです。
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2020年08月30日

近世文藝112号

 日本近世文学の研究者が集う日本近世文学会の学会誌『近世文藝』112号(2020年7月)。近年は日本文学関係の学会はどこでも減少傾向にあり、本学会も例外ではない。最盛期の7割程度となっている。掲載される本数も寂しくなってきているが、本号は久しぶりに充実、論文6編と講演録1編である。論文の内訳は若手4本とベテラン2本。編集委員長の大高さんが、的確に評しているように、「若手は既成の区分(文学史・方法のルーティン)から一歩離れたところに視点を設けて、対象把握の幅を広げようとつとめ」、ベテランは「豊富な蓄積の上に熟考を重ねて、既成の認識にゆさぶりをかけたもの」である。とくにベテランである山本秀樹氏と浅田徹氏の論文は重要。山本氏は『御触書集成』の史料としての扱いに警鐘を鳴らし、「出版統制」の実態把握の方法に見直しを促す。浅田氏は、十八世紀から十九世紀にかけての近世和歌史を捉える視軸として「歌風」を取り上げ、ひとつの歌風史論のモデルを提示する。両論ともに、これに関わる研究をする者が参照必至の論文となった。
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2020年08月29日

絵入本ワークショップXUオンライン開催のお知らせ

絵入本ワークショップが、2018年の韓国明知大大会以来、1年9ヶ月ぶりに開催されます。
本来、今回のワークショップは、大阪大学で開催されるはずでしたが、今日の状況により、オンラインで開催することになりました。
ただ、実行委員は大阪大学の私が予定通り担当しております。事務局の実践女子大学との協力により、初めてのオンライン大会をなんとか運営していきたいと思います。
プログラムは絵入本学会の会員に送付されていますが、一般の方の参加も可能ですので、ここで告知させていただきます。


日時 2020年9月19日(土)13:50〜17:15
9月20日(日)10:00〜17:50

会場 Zoomによるオンライン(ホスト:実践女子大学文芸資料研究所)

主催 絵入本学会 
実践女子大学文芸資料研究所  
大阪大学文学研究科 
科研基盤研究(B)「近世中後期上方文壇における人的交流と文芸生成の〈場〉」(代表者・飯倉洋一)
   
協賛 大学利用機関法人人間文化研究機構国文学研究資料館
公益財団法人東洋文庫
一般社団法人美術フォーラム21刊行会
フランス国立極東学院

1日目 9月19日(土)
開会の辞 絵入本学会会長 崔京国(明知大学校) 13:50〜14:00

発表 第1部 14:00〜16:00 司会 高木元(大妻女子大学) TK 有澤知世(国文学研究資料館)
1「武者絵本の版下本―蘭徳斎画『大中記』について―」 李俊甫(大阪大学・院)
2「柏原屋絵本出板考―類板訴訟記録を中心に―」 古明地樹(総合研究大学院大学・院)
3「赤本『女はちの木』について」 佐藤悟(実践女子大学)

講演 16:15〜17:15  江戸後期における俳諧の交流と画家の江戸行  杉本欣久(東北大学)

2日目 9月20日(日)
発表 第2部  10:00〜12:00 司会 飯倉洋一(大阪大学) TK 岡部祐佳(大阪大学・院)
1「国学者の絵巻模写-長沢伴雄稿『年中行事画巻略』を中心に-」 亀井森 (鹿児島大学)
2「ホノルル美術館所蔵『十番虫合絵巻』をめぐって」 盛田帝子(大手前大学)
3「妙法院宮サロンにおける絵師と歌人の交流―呉春と蘆庵を中心に―」 加藤弓枝(鶴見大学)

休憩(総会) 12:00〜13:00 司会 佐藤悟(実践女子大学)

発表 第3部 13:00〜15:00 司会 山本卓(関西大学) TK金智慧(大阪大学・院)
1「可視化される日本史―絵入年代記に見る歴史像―」 木場 貴俊(国際日本文化研究センター)
2「寛政〜文化年間の名所図会と怪談・奇話・仏説」  木越俊介(国文学研究資料館)
3 「19世紀における蔚山城の清正―『絵本太閤記』、および鍋島家旧蔵朝鮮軍陣図屏風から」
井上泰至(防衛大学校)

発表  第4部 15:10〜17:50 司会 佐藤悟(実践女子大学) TK李俊甫(大阪大学・院)
1「イングランドのチャップブックと近世日本の絵入り本−The World Turned Upside Down と『無益委記』を通して−」 大島 結生(法政大学・院)
2『繪本どんきほうて』にみる芹沢_介の近代的美意識」
原田喜子(株式会社トッパングラフィックコミュニケーションズ/京都芸術大学非常勤)
3「豪華絵本と摺物に使用された彩色材料」 大和あすか(東京藝術大学・院)
4「新吉原江町一丁目和泉屋平左衛門花川戸仮宅之図」の色材分析と開板動機」 日比谷 孟俊(実践女子大学文芸資料研究所) 共同発表者 大和 あすか(東京藝術大学学院美術研究科)・下山 進(デンマテリアル株式会社)

閉会の辞 中谷伸生(関西大学名誉教授・一般社団法人美術フォーラム21刊行会理事)
*TKはタイムキーパー

参加希望者は
eiribon■jissen.ac.jp
(■には@を入れてください)
まで、ご指名を明記の上、9月5日までにこのメールを御転送ください。
9月9日頃にZOOMの案内状を差し上げます。

会員以外で参加をご希望の方はやはり上記メール宛にご連絡を頂ければ幸いです。
仮登録を受け付けます。
また会員登録も受け付けております。

事務局は夏休み中でもあり、担当が不在がちです。
お急ぎの方はこのメールまでお問い合わせください。

告知期間が短くなってしまいましたが、よろしくお願いいたします。

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2020年08月28日

上方文藝研究17号

 『上方文藝研究』17号(2020年7月)が刊行された。少しずつ後ろにずれてきているとはいえ、17年間、確実に刊行してこれたのは、会員各位のご協力、運営をしてくれている院生のおかげである。心から御礼申し上げる。
 とはいえ、このごろは、やや掲載本数が少ない傾向にあり、やや寂しいところである。次号はなんとか私も投稿できたらと思っている。
 今号は、このところ舞台を本誌に移した深沢眞二・深沢了子両氏の宗因独吟注釈、今回は「御鎮座の」34ページ。19年に阪大大学院博士前期課程を修了した藤野育氏の修士論文を基にした文化五年『春雨物語』「樊噲」論(タイトルはそのままである)、福田安典氏の『連歌提要』と秋成の関わりについての論、そしてこちらも本誌の顔となった浅田徹氏の澄月論。以上4本に、上方文藝への招待コーナー2本。
 
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2020年08月27日

古浄瑠璃・説経研究

 ある時、梅田阪急の近くを歩いていると、人気のパン屋さんに行列が出来ていた。見ると、列の中から私に手を振っている方がいる。それが阪口弘之先生だった。特に理由はないが、私は10歳以上年上の方を「さん」づけで呼ぶことに抵抗がある(それ以内ならほとんど「さん」呼び。同僚以外は。たとえば我が母校の先輩でいうと白石良夫さん、井上敏幸先生となる)。さて阪口先生は、一回り以上年上であるが、若々しい。研究が完全に現役だし、好奇心に満ち満ちている感じ。パン屋の行列に並ぶのは、ひとつにはご家族のためだと思うけれど、並んでいるのが楽しそうなのだ。
 阪口先生の資料発掘にかけるエネルギーも並みではないと思う。しかし、論文集はこれまで敢えて公にされていなかった。神戸女子大学を退かれておそらくこれまでのご研究を体系的に一書にされようとしたのだろう。そして、満を持してのご自身の集大成が本書『古浄瑠璃・説経研究』上下巻である。副題は「近世初期芸能事情」そして上巻には「街道の語り物」、下巻には「近世都市芝居事情」と別題がある。この別題に、阪口先生の意図が籠められているだろう。
 上巻のキーワードである「街道」は、従来「語り物の伝播」等と称されてきた、伝承空間を鮮烈に可視化したものであろう。これは具体に即して具体的に考察するという方法と、可視化しようとする意志の両方があって為しうる。そもそも近世初期というのは資料が少ない上に、芸能は、権力が保護するか、大衆が熱狂するかしない限り消滅するのが宿命であるから、その復元は困難であることは容易に想像される。しかしながら、阪口先生の執念は、新資料の発掘と文献解読で、そこに肉薄した。
 さらに、近松がひとつの達成を見せるまでに、何があったか、さまざまな視点から明らかにしようとしたのが下巻の「近世都市芝居事情」である。つまりこの著作は、作者論や作品論ではなく、総合的演劇史論なのであろう。
 さて、本書にはいわゆる「初出一覧」が見当たらない。完全に現時点で一新した、体系的な論著として刊行されている。だから論文集というべきではないだろう。演劇も、近世初期も、まったく私の守備範囲から外れているので、かなり的外れなことを申し上げたかも知れない。専門家の書評が待たれる。
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2020年08月26日

近藤瑞木さんの怪談研究

 近藤瑞木さんといえば、堤邦彦さんらと並んで、近世怪談研究の第一人者である。これまで非常に重要な論を多産しているのだが、一本にまとめておられないため、なかなかフォローするのが難しい。論文集を鶴首するものである。
 『人文学報』516-11(2020年3月)の「『警世通話』と明清小説」は寛政12年刊の怪談物読本『警世通話』について。警世通言にまがうような白話小説風の書名を標榜し、学説寓言を取り込み、と前期上方読本のスタイルを真似したもののようだが、作り方はやや安易で、模倣作の域を出ないという位置づけ。「学説寓言」というタームをさらっと使っておられるので、おおっ!と頼もしく思った。私が提唱したタームなのだが、使って下さっていると考えてよろしいでしょうかね。それにしても、寛政期の、初期読本風の上方読本など、誰も見向きもしないところであるが、流石近藤さん、目配りが広い。
 もう1本、「神職者たちの憑霊譚−『事実証談』の世界」(『前近代の日本の病気治療と呪術』(思文閣、2020年4月)。『事実証談』という本も聞いたことがなかったが、私家版である。遠江の神職中村乗高が収集した遠州を中心とする地方奇談集である。儒家や仏家の怪談は珍しくなく、俎上にものぼるが、神道家というのは平田篤胤を除くと珍しい。神道が怪談をどう認識し、記述するのかという興味深い問題に答えてくれる作品であろう。その書名からわかるように創作怪談と一線を画していて、実際の説話提供者の名前も明示されるのである。怪談の思想的背景はさまざまであるが、神道者の怪談観をうかがうのに、この本はきわめて重要だと思わせられた、
 と、このように近藤さんは、近世怪談の未開の沃野を切り開き続けている。やはり研究が一書にまとまってほしい方の一人である。
 
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2020年08月25日

和漢聯句の楽しみ

 大谷雅夫さん。私にとって学問的に雲の上の人なのだが、親しくさせていただいている(と私は勝手に思っている)。ブログも読んで下さっていると知ってびっくりしたことがあったが、色々とお話する機会が重なってくると、本当に気さくな方だということがわかってきた。昨年は集中講義に来ていただき、2コマくらい拝聴したのは愉しい思い出である。
 集中講義は夏だったのだが、秋も深まったころ『和漢聯句の楽しみ』(臨川書店、2019年11月)という本をいただいていた。大谷さんの学問のキーワードに「和漢」があり、それは角川賞を受賞した『歌と詩のあいだ』(岩波書店)の書名にもよく現れているのだが、和漢聯句こそ、まさに大谷さんにぴったりの文芸形式である。大谷さん、あるいは大谷さんを育てた京都大学の学風として「訓詁注釈」をしっかりやる、というのがあると思うけれど、和漢聯句を解釈していくには、一定の方法をもって注釈する力がないと無理だろうが、この注釈がしっかりできる人だけが挑戦できるのが和漢聯句だとも言えるだろう。
 和漢聯句の注釈は京大のお家芸だと、このブログで書いたこともあったが、えてしてそういうのは、学者だけの閉じた世界での愉悦になってしまいかねない。本書は、これを文学愛好者一般に、やさしく説き、楽しんでいただこうという意図で書かれたもののようである。
 大谷さんの普段の飾らない会話を彷彿とさせるような、軽快な文体なのだ。この軽快な文体に載せて、和漢聯句の手ほどきをしようとしているのである。
 第一章の終わり近くに、和漢聯句は、国語の句と外国語の句を連想のまま連結する世にも不思議な一芸術だと述べておられる。大谷さんはそれを日本文化のひな形だと考えておられるのである。
 第二章では、注釈の楽しみを存分に語っている。慶長十六年に駿府で巻かれた百韻の「特に楽しそうなところ」を。和泉国の地侍新川盛政が発句を詠み、文殊院の僧が主として脇句を付ける。連衆の中にはあの林羅山もいる。その発句「雪わけていつさく花ぞ富士の岳」の注釈の記述がやはり軽快ながら、しかし文学の魅力の奥へ奥へと誘う。軽く唸りながらこちらも楽しくなる。
 そういえば、和漢聯句の入門書というのは、寡聞にして知らないのだが、本書こそ、最適の一書といえるのではないか。「あとがき」を読むと、ともに聯句を読んできた研究会メンバーへの謝辞が連ねられるが、その文章の謙虚さ、我々が「京都大学名誉教授」に持つイメージとは全然違うのである。
 ともあれ、ご紹介が遅くなってしまって申し訳ないことこの上ない。どうかお許しを。
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2020年08月24日

近世日本の政治改革と知識人

 中井竹山。秋成研究側から言えば、宣長と並んで「天敵」的な位置にいる人物である。弟の履軒と秋成は、引っ越し魔(?)で、隠遁的なところが似ていて、鶉図合賛なども残しているが、竹山は、思想家というより懐徳堂の経営者として敏腕をふるった人物、悪く言えば山師という印象があり、秋成の『癇癖談』や『胆大小心録』では、そこを揶揄されている。
有名な『草茅危言』は松平定信への政策提案書のようなもので、木活本で流布している。木活は印刷されたものとはいえ、版木と違って板権がなく、徳川幕府が出版規制していた政治経済的内容の本を出す際に採用される出版手段である。いくつかの木活を比べると微妙に本文が違うので、集めてみようかと思い立ったことがあった。あるとき古書店の青裳堂の木活本目録に、15種の『草茅危言』が出ていて、「おーっ」と思ったが、さすがにそれを全部買いますというようなエネルギーは到底なかった。あまりに多すぎて集める気力が萎えた。
 さて、清水光明氏の『近世日本の政治改革と知識人』(東京大学出版会、2020年7月)は「中井竹山と「草茅危言』」という副題を持ち、その第三章に「書誌学的考察」とあって、前のめりになった。しかし、その内容は自筆本と、拙修斎叢書(これは幕末の木活の叢書)と『校正草茅危言』(どの本かは不明)と富永鉄斎校訂本と、近代以降の洋装本に触れるのみだったので少し残念だった。
 以上は私の勝手な「ないものねだり」であり、この本の価値になんら影響はしない。『草茅危言』を様々な角度から深く掘り下げた初めての本(といってよいだろう)であり、画期的というべきだろう。
 特に私の関心をひいたのは第4章「女帝を詠む−後桜町天皇の十年間と政策構想の模索」である。いわゆる地下の朝廷への関心は、国学・和学の方ではしきりに論じられるが、漢学者の漢詩から、これを解明していくというのが斬新である。最初にとりあげる「長大息」は、「桃園天皇の秘喪」というデリケートな問題を詠じていて、大いに忌諱にふれるものであり、竹山も京都にいく船で意気投合した士人から渡された「近作」という設定をしているのである。他にも大嘗祭、菊宴など朝廷儀礼への関心を記した詩文を検討し、竹山の天皇観・朝廷観を剔抉する。非常に周到な考察である。
 学者が政治に関わることを、当時の上方の文人たちは皮肉な目で見ていた。もしかすると竹山にも野心があったかもしれない。しかしとりあえずそこは不問にすべきだろう。学者が政治や社会に関わるという問題を考える際に、本書は現代的な意味を持つのではないか。私は思想史研究に疎いが、現実と関わる思想のあり方、思想の行動的側面に、いま関心が移っているとすると、それは頷けるように思う。
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2020年08月23日

江戸時代の「情」の思想

 こちらも紹介が遅れていたが、ちくま新書『世界哲学史6−近代T 啓蒙と人間感情論』(2020年6月)所収の、高山大毅さんの文章である。相変わらずの卓論と問題提起、私の広くない読書範囲ではあるが、私にとって高山さんの文章の吸引力は、一頭地を抜いている。すごく集中して読めるのである。この文章も平易だが、非常に深く示唆に富む。すべてをここに転載したいくらいだが、いくつかを紹介しよう。
 ひとつ。「厳しい道徳によって束縛されていた人間の「情」は、時代が進むにつれて解放されていった−このような図式で江戸時代の思想史・文学史を整理することがあった」。この「情」の解放の図式の問題点の指摘がまずなされる。道ならぬ恋に対する寛容を説く思想が「情」を解放したものであることを評価されることが多いが、一方でそれは不善を憎む「情」に対して抑圧的ではないか。どちらの「情」が重要で価値が高いというのは自明ではないのに、前者の評価の価値観が暗黙に前提されているのではないか?
 ふたつ。宣長の「物のあはれを知る」説を認識論として解釈することが行われてきたが、宣長自身、人間の認識構造に対して原理的な探求めることは行っていない。そこで解釈者が様々な理論を補い、その空白を埋めようとしてきたが、それは過去の思想の理解として失当である。認識論探しに背景には、優れた思想体系は必ず認識論について語っているはずだという、一部の西洋思想をモデルにした思い込みがあるのではないか。
 三つ。江戸時代の「情」の論として、「惻隠」(他者の)「人情」理解、「振気」があり、それらはこんにちいずれも「共感」という曖昧な概念でくくられるが、「共感」のもつ感情は実はさまざまであり、「江戸時代の「情」の思想は、「共感」に関わる議論の交通整理に大いに役立つはずである」。
 とくに「人情」理解論という概念を出しているところが鋭いし興味深い。「粋」や「通」とも関わらせ、現代よく言われる「空気を読む」「忖度」の問題を考えるときにも有効である。高山さんのこれまでの論文を踏まえてコンパクトにまとめられた平易な文章であり、儒学者・国学者・戯作者のことを考える近世文学研究者にはお勧めの文章である。
 
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2020年08月22日

塩村耕『江戸人の教養』

 書名だけだと、あまりにもありふれていて、ちょっと不安になるので(笑)、著者名をタイトルに入れた。
 塩村耕さんの『江戸人の教養 生きた、見た、書いた』(水曜社、2020年8月)。中日新聞に連載された、古書・古典エッセイである。見開きで1トピック。図版が必ず入る。
 何年か前の惜別会で、ある学生がこういった。「飯倉先生は人文学は死者との対話だとおっしゃっていましたが・・・・」その時、私は、「へー、俺もいいこと言ってたじゃん」などと、忘却散人ぶりを発揮しつつ思っていたのだが、それを言っていたのは塩村さんだったことに後で気づき、逆にそれがそのあとのネタになった。たぶん塩村さんのことばを紹介していたのを、飯倉が言ったと学生も記憶していたのだろう。もしかすると受け売りでしゃべっていたのかもしれない。
 さて、この本、本当に「死者との対話」というのが相応しい、塩村さんらしいエッセイ集である。「らしい」と言ったが、今の塩村さん像というのは、やはりここ20年ほどの岩瀬文庫悉皆調査の実績から醸し出される、古書とともに生きるイメージである。だから、このエッセイ集には、ほとんど現代の人が出てこない(延広真治先生が出てきたが、延広先生もまるで江戸文学の生き字引のような人だから、現代人ではないかもしれない)。まさに江戸時代人との対話を地で行く本なのである。
 とりわけ冒頭から話題が続く中根東里に対する思い入れは、よく伝わる。「名を好む心は学問の大魔なり」と言った人である。東里がこのごろ塩村さんに乗り移っているように思える。たしかにこの東里という人、言葉がじんわりと沁みるものが多い。そしてかぎりなく謙虚なのだ。そこにうたれる。
 さて、古書が現代に役に立つ例として、「こむら返り」を快復する方法が紹介されている。男と女で方法が違う。実際これ、効くらしいのである。これもここに転載したいのだが、あまりにも意外な?方法なので、どうか本を読んでいただきたい。
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2020年08月21日

海外図書館の日本古典籍コレクション

 7月16日、twitterに、「海外の図書館になぜ日本古典籍があるのか?そこにはかならずドラマがある。『書物学』18の「蔵書はめぐる 海外図書館の日本古典籍コレクション」が面白い。」と書いてから、はや1ヶ月以上経つ。海外での日本の古典籍との出会いの思い出は、その地でお世話になった図書館・美術館の方の顔とともにある。その方たちのご親切なしに、それは見られなかったはずである。さて、このごろお世話になっているホノルル美術館(リチャード・レイン旧蔵絵本)や、UCバークレーC・V・スターアジア東図書館(旧三井文庫)。どちらも驚くべき質量である。レイン文庫はとにかく同タイトルの本を何種類ももっていて、その場で板本書誌学を実践できるし、三井文庫はたとえばどこにでもあるような名所図会でも、出してもらうと、おおっというようなモノが出てくる。インターネットの画像だけではわからないことが、現地に行くとわかる。それは日本の図書館でも同じことなのだが、やはり海を渡った地でそれを閲覧するのは格別で、その時のその地の記憶とともに刷り込まれるため、記憶の定着度が違うのである。まあ見に行くのも、私にとってはちょっとしたドラマというわけだ。
 ここにとりあげられた海外図書館の日本古典籍コレクション、いずれもなみなみならぬ海外の方の和本への愛着があってはじめて成ったものである。UCBやホノルルの他にハワイ大学、ケンブリッジ大学、オックスフォード大学、米国議会図書館などの日本古典籍所蔵のドラマが、ゆかりの方々によって語られている。まだまだありますから、当然第2弾があるはずである。
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2020年08月20日

信長徹底解読

「時間」とか「空間」とかは自明に実在するものではない。直観の、つまり主観的な「形式」だと、カントは『純粋理性批判』で言っていたように思うけど、学生のころ、これを読んでそうかあと、びっくりし、納得したものである。「事実」や「実像」なるものについても、よくよく考えるとそれが本当にあるのかどうか難しい。とりわけ、過去に起こった「史実」、歴史的人物の「実像」。
 さてさて、『信長徹底解読』(文学通信、2020年7月)という本が出た。『秀吉の虚像と実像』という本の続篇に当たり、14のトピックについて、歴史研究者が「実像編」を文学研究者が「虚像編」を執筆するというものである。歴史学の堀新氏と、近世文学研究の井上泰至氏が今回もタッグを組み「共謀」(序)している。
 だが今回は「虚像と実像」というタイトルではなく、「徹底解読」というタイトルである。「実像」といってもそれは史料を「解読」して造型した像であり、「虚像」といっても、荒唐無稽なそれではなくある視点からみれば筋の通る像である。実と虚の単純な対比はそこにはない。おそらく問題は、史料や文献を恣意的にではなく、徹底的に解読することなのだろう。もし、信長に関して確実な事実があるとすれば、それは「信長に関する何らかの記述が残っている」ということなのである。「実像」を明らかにするという視点から歴史研究者達が史料を選択・解読し、「虚像」(考えられる実像とは異なるイメージ)を明らかにするという視点から、文学研究者たちが文献を選択・解読しているということなのだろう。「実像も虚像も『信長公記』から出発する」(第1章扉)というのは、そういうことである。実像も虚像も「解釈する側の人間観・社会観を照らし出す鏡」(同前)なのである。
 こうして考えると「虚像」研究よりも「実像」研究の方がはるかに難しい。「虚像」研究は記述されていることを解読すればいいが、「実像」研究は記述されていないことを補わなければ成立しないからなのだ。だからこそ後者の方にトンデモ本が出るわけだ。
 個人的には、『秀吉の虚像と実像』は、大いに役にたった。淀君説話のおさらいでは網野可苗さんの解説に助けられた。今回もまたいろいろと助けていただけそうな「解読」がたくさんある。付録の作品・演劇目録も充実。
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2020年08月19日

歌枕「八橋」研究の決定版『知立市史別巻八橋編』

瞬間ではあるが、seasaaブログの本・雑誌カテゴリーで1位を獲得しました!

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というわけで、気をよくして、4日連続の投稿であります。

今日、紹介するのは『知立市史 別巻 八橋編』(知立市、2020年3月)である。地味なタイトルだが、古典文学研究者には大いに有益、もしかして必携といってもいいくらいの本なのである。
八橋といえば、伊勢物語東下り、例の「かきつばた」の折句が登場する段である。代表的な歌枕のひとつだ。燕子花といえば伊勢ということで、尾形光琳の燕子花図や酒井抱一の八橋図が思い浮かぶ。古典がこれほど美術・工芸に影響を与えた例は他にないというくらいである。
さて、本書は、なんと浮世絵から屏風絵、そして工芸品、版本の伊勢物語挿絵にいたるまで「八橋」を原イメージとする美術品を多数紹介・解説。これだけでB5の判型で140ページ。さらには、八橋を描いた物語・和歌・狂歌・俳諧を、網羅してその原文を載せたものだ。総ページ500頁。まさに、歌枕研究資料のお手本というべき本である。資料だけではなく解説も充実、歌枕としての八橋がすべてわかる。
市史でここまでやるのは、企画の推進力と、執筆者の意欲である。どなたかが強力に引っ張って出来た本だろう。
我々のプロジェクト、デジタル文学地図にも大いに関わり、参考になるものだ。感謝しかありません。
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2020年08月18日

『源平盛衰記』無刊記整版の「版」を考える

 このブログははじめたころは、いろいろ雑記的な、日記的なことを書いてもいたが、このところは、あとで参照できるメモという意味合いが強くなった。人のお役にも立つかもしれないし。それで、本だけでなく論文やエッセイでも、「おや!」と思ったら取り上げる。とはいえ、ここのところかなりサボり気味で、あまり役割を果たしていない。しかし、久しぶりに波が来て3日連続の投稿である。
 研究室で自分の作った弁当を食べたあと、ちょっとゆっくりしようと高木浩明さんからいただいたもう一つの研究成果を拝読する。「『源平盛衰記』無刊記整版の「版」を考える」という、書誌学の論文である。『無常の鐘声−平家物語』(2020年7月、花鳥社)所収。学生の頃、中野三敏先生が、板本書誌学の授業をなさっていた時、板本書誌学を理解するのに好適な論文をじっくり読みながら講義するスタイルをとっておられた時があった。高木さんのこの論文がそのころ出ていたら、中野先生の授業で取り上げられていただろうな、とまずそういうことに思いをいたした。メモするに足る論文なのである。
 まず、「はじめに」で、版本書誌学のイロハを説明している。最初に同版か別版(異版)かを見極める。「元の版が少しでも使われていれば別版(異版)とはならない」。そして、板本書誌学では絶対的に必要な知識である「刊・印・修」の概念とその書誌記述の仕方を具体的にわかりやすく説明。「以上のことに留意して、自分の物差しとなる本をひとつ決めて、できるだけたくさんの本を見る・・・・」。この「はじめに」は版本を調査する初心者が読むと、かなり役に立つだろう。
 ところで、近世文学研究からいえば、『源平盛衰記』のことは看過できない。漠然とではあるが、相当読まれていると感じる。しかし、どの本で読まれていたか、どういう版本があるか、異版は?となると、よく知らなかった。高木さんの調査と考察によれば、圧倒的に多く、最も読まれたのは無刊記整版であり、無刊記整版には複数の「版」は存在せず、ひとつの「版」が繰り返し刷られたのだという。もちろん、同版ながら、さまざまな諸本があり、それについての充実した解説があるのだが、この論文を読むと、板本書誌学というものが、かなり理解できる仕組みになっている(とはいえ、少してほどきを受けたから読んだ方がいいけれど)。そこがいいところだ。
 さて、お昼休みはこれくらいにして、また書類作りのお仕事に戻ろう。いくつもの書類を作るために、いくつものメールを書き・・・というのが研究室での主なお仕事とは。あ、今日は資源ゴミの日だったので書類や不要本・雑誌の整理も少々午前中にしましたが。
 
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2020年08月17日

大東急記念文庫の古活字版悉皆調査

 古活字探偵こと高木浩明さん。古活字版の悉皆調査をライフワークにされている方である。検索してみて驚いたのだが、このブログに5回登場されている。5回登場するというのは、このブログではかなり多い。2009年12月に鈴木俊幸さんが出している『書籍文化史』という手作り感いっぱいの本に、どかんと100頁超えの古活字調査目録第1号を載せた。まずこれに度肝をぬかれてブログに書いた。その後も、ずっと巨弾連載を続け、私を何度も驚かせている。書籍文化史が終刊後は、国文研の『調査研究報告』を舞台にライフワークを続けている。そして今回は、「大東急記念文庫藏古活字版悉皆調査目録稿」(『調査研究報告40号』)、これはB52段組で200頁越えである。3年にわたる調査点数274点である。
 正直、私は古活字を自分の研究対象として調べたことはない。せいぜい授業がらみである。しかし、日本の出版史を考える時、古活字版は重要な位置を占めている。それを個人で全部見る、そういう発想をして、実際にやってしまうということは、想像を絶する。よって、いつも驚かされるのである。
 そういうわけで、その中身については何ら評する資格のない私であるが、今回もまた驚かせていただいたことに感謝する気持ちで、ここに書き留めた次第である。高木さんのこのお仕事、まだまだ続く。
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2020年08月16日

日本古典文学研究のための漢籍検索

日本文学研究(とくに江戸時代以前の文学の研究)で、どのようにインターネットを利用すればよいか、という問いに対しては、天野聡一さん作成のサイト「日本文学インターネットガイド」を紹介することが多い。そこには、漢籍文献のデータベースについても、有用なサイトの情報が載せられている。https://soamano.wixsite.com/nihonbungaku/kanbun
さて、たまたま加藤弓枝さんからいただいた、『鶴見大学源氏物語研究所年報』第6号(2020年3月)に、表野和江さんの「『源氏物語』関連漢籍のデジタル資料検索に関する覚書−『白氏文集』を例に」が掲載されており、それとは重ならない漢籍文献検索サイトの紹介が載る。「テキスト検索ができて中国語の知識がなくても使える繁体字(旧字体)のデータベース運用サイトを中心に取り上げ」『白氏文集』を例に検索方法を紹介したものである。この年報はおそらく入手しにくいものだが、非常に有用だと思うので、要点をここに載せておこう(これは私自身のためのメモでもある)。どれも知っているという方も多いだろうが、こういう情報に疎い方もいると思うし、学生さんにも役立つこともあるだろう。中国学の専門家の紹介なので信頼性も高い。

【日本語サイト】
「漢籍リポジトリ」https://www.kanripo.org 
四庫全書・四部叢刊ほか仏教・道教文献の全文検索および画像表示。「題名検索」は旧字体でないとヒットしない。

【中国語サイト】
「中国哲学書電子化計画」https://ctext.org/zh
他サイトでは見つけにくい古籍も収録。左側フレームの書名検索に「白氏」と入れ「検索」をクリックすると、計7種の影印本と文字版がヒットする。

「維基文庫」https://zh.wikisource.org/wiki/Wikisource
なるほど、Wiki文庫ですね。「みんなで翻刻」の試みの先蹤とも言える。

「中国歴代人物伝記資料庫」http://db1.ihp.sinica.edu.tw/cbdbc/ttsweb?@0:0:1:cbdbkm@@0.5008711258304382
台湾中央研究院が、ハーバード大・京大と共同開発。かなり詳しい情報が得られそう。


「漢籍電子文献」https://hanji.sinica.edu.tw
二十五史など検索可能。

〇ちなみにこれを書いている時に知りましたが、Orientnetというサイトは網羅的に中国学(だけではないが)の有用サイトを紹介していました。
https://orientnet.jp/jindex.html

というわけでお役立ち情報でした。

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2020年08月09日

オンライン科研研究会報告

昨日、8月8日、私が代表をつとめる科研基盤研究(B)「近世中後期上方文壇における人的交流と文芸生成の〈場〉」研究会をオンラインで開催しました。科研メンバー・私のゼミ学生に加え、菱岡憲司さん、天野聡一さん、ワシントン大学の院生、北大院生、大手前大院生、そしてなんと大谷雅夫先生も後半から参加して20名の会となりました。
発表内容は下記の通り。

飯倉洋一 雅俗往来−近世中後期上方文壇の一面
盛田帝子 本居宣長記念館所蔵『妙法院宮真仁法親王和歌懐紙』をめぐって
高松亮太 文化ノードとしての実法院 
一戸 渉  摂津呉田吉田家三代の文事と出版

 私の発表は、本科研のコンセプトに則ったアバウトな見取り図提示。一戸さんから、「雅俗往来」というのは「雅俗融和」(中野三敏先生)に対するアンチテーゼ、つまり雅俗は融和なんて出来ないという主張ですか?という意味のことを質問されて、逆に「なるほど〜、そういうことになるか」と思ってしまいました。他の方の発表については、論文化する前ですから、ここでいろいろ言うことはやめておきますけど、いずれも私とは違って、密度の高い、よく調査された発表でした。とりわけトリの一戸さんの重厚さには感心しました。
 議論はとても活発で、さきほどの「雅俗」をはじめ、「懐紙」「好古」「歌合」「収集」「物」などをキーワードに、文化・社会・政治・経済など非常に大きな視点・背景を併せ考えるようなやりとりでした。懇親会前に「疲れたので」(別研究会とかけもち)と言って離脱された大谷雅夫先生、閉会前に戻って来て「散歩してきたら頭が回転してきましてね」とのたまわって、ある問題について、とてつもない「爆弾」を落とされました。あまりの発想力にたぶんそこにいたほぼ全員、衝撃を受けたのではないかと思います。
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