絵入本ワークショップの開催校を仰せつかったのは2018年12月のソウル明知大学校大会の終わった翌日の朝だった。阪大を会場として開催すべく、いろいろと作戦を練っていたが、コロナ禍。オンラインで行うことになった。懇親会の準備だけはかなり前から進めていたのだが、これがなくなった。オンラインのホストは事務局実践女子大学でお引き受けいただいたので、実施校といっても、阪大文学研究科の主催取り付け、講演依頼、発表募集、要旨受付、予備原稿の受付、プログラム作成、当日進行マニュアルの作成、各種打ち合わせ、メール問い合わせ対応、当日の進行くらいで、事実上は事務局がかなりの部分を担っていた。タイムキーパーには私の教え子を配したが、それ以外の運営上の雑務は私一人でやれた。19日午後、20日午前・午後のワークショップは、13組の発表とご講演すべて順調に行われた。
オンラインをスムースに、またトラブルを少なくするためにやったことを、他の学会の参考になればと思い、いくつか記しておく。完璧な運営をする学会もあると思うが、今回の我々くらいのやり方が、実際にやる場合はそれほど大変ではないと思う。
〇発表・講演を5部のパートに分け、それぞれのZoomを設定した。セキュリティと、録画記録の効率化のためである。
〇トラブルに備えて予備回線を準備し、その回線を事務局と実施校の連絡回線にも使った(これは1度だけ本番で使った)。
〇タイムキーパーにはチャットで5分前とタイムオーバーを知らせてもらうとともに、ベルを併用。しかしベルは上手く鳴らない時があった。また、チャットと挙手など質問者がさまざまな方法で意志表示してくるのをタイムキーパーが整理した。なお、事前の質問も受け付けていたがこれは皆無だった。
〇事務連絡や発表者への連絡は個人宛のチャットを使った。
〇数日前に関係者を集めて予行会を行った。
〇事前に当日の進行マニュアル(司会者のシナリオ含む)を関係者に配布した。
運営はほぼ滞りなく行われた。懇親会も2日ともに小林ふみ子さんのご厚意で、設定していただいた。小林さんは今年の日本近世文学会秋季大会の開催校を引き受けていらっしゃるのでリハーサルの意味もあったわけである。
発表講演については、すべてが面白く勉強になった。詳細に触れたいところだが、時間がないのでそこまでは書けない。しかし、非常に活発で、フレンドリーで、気持ちの良い質疑応答がどの発表でも展開し、絵入本学会らしいなあと改めて思った。
事務局の佐藤悟さん、河野龍也さん、上野英子さん、懇親会主催の小林ふみ子さん、ご講演の杉本欣久さん、発表者のみなさん、そして参加してくださった140名の皆さんに深謝申しあげます。
2020年09月21日
2020年09月17日
正保版『二十一代集』の変遷
加藤弓枝さんの「正保版『二十一代集』の変遷−様式にみる書物の身分−(付)八尾助左衛門・勘兵衛・甚四郎出版略年表」(『雅俗』19号、2020年7月)は、板本書誌学の醍醐味を存分に味わわせてくれる好論である。長い時間をかけてコツコツと調査され、先行研究を渉猟し、重要な事実を指摘するのみならず、江戸時代の本とは何かという根源的な問いにも答えている。この論文をテキストにして江戸時代の板本書誌学の肝を数時間にわたって講義することも可能だろう。
二十一代集とは歴代の勅撰集を集成したものである。古今から新古今までのいわゆる八代集と、それ以後の十三代集を併せて二十一代集という。正保版『二十一代集』とは、近世文学を少し研究すると、必ずどこかで出会う書物であろう。たとえば『雨月物語』の典拠研究でも、正保版を見ないと解けないことがある。江戸時代に庶民が和歌を学ぶ場合、そのテキストは板本を用いることが一般的だと思われるが、その中でも勅撰和歌集は格別の意味を持つもの、正保版『二十一代集』はそのスタンダードである。
だが、和歌研究で、二十一代集自体を書誌学的に研究したものは、これまでほとんどなかった。古今集や新古今集の諸本研究の中で触れられることはあっても、である。加藤さんは、自身の研究されている蘆庵の門人である吉田四郎右衛門という書肆(本屋)の研究から、吉田が出版を手がけたものの研究に手を広げ、この『二十一代集』という「大部な塊」の諸本を書誌学的に調査しようと志し、実に丁寧にその全貌を明らかにしてゆくのである。感心するのは、ただ本を調査するのではなく、その過程でひっかかった事象につき、的確に先行研究を引用してくる手際である。
さすが鶴見大学で書誌学を専門に教えているだけあって、少なくとも私からは寸分の隙もないように見える。結果導き出された、確実な結論は、正保版『二十一代集』は、八代集と十三代集で別々に仕立てられ、最初から揃いで刊行されたのではなく、八代集が先行、嗣いで十三代集が成立したという可能性である。可能性とおっしゃているが、これはもう事実といっていいだろう。その根拠は5点、1筆跡の違い、2装丁の違い、3寸法の違い 4造本上の違い、5京都鹿苑寺鳳林承章の日記の記事。このうち2〜4は実見しないと分からないものだ。しかも本の綴じ目であるノドという部分への着目など、江戸の本の扱いがわかっていないとできない鮮やかな分析である。
さらに言えば、本論文の「はじめに」の、「勅撰和歌集刊行の意義」は、先行研究の知見をまとめながら、和歌史のポイントである「写本」から「板本」への展開とその意義を、わかりやすく説いていて、ここだけでも専門外の方は読むとよいだろう。
この論文の元になった発表が、わが科研研究会だったというのは、まことに嬉しい限りである。
二十一代集とは歴代の勅撰集を集成したものである。古今から新古今までのいわゆる八代集と、それ以後の十三代集を併せて二十一代集という。正保版『二十一代集』とは、近世文学を少し研究すると、必ずどこかで出会う書物であろう。たとえば『雨月物語』の典拠研究でも、正保版を見ないと解けないことがある。江戸時代に庶民が和歌を学ぶ場合、そのテキストは板本を用いることが一般的だと思われるが、その中でも勅撰和歌集は格別の意味を持つもの、正保版『二十一代集』はそのスタンダードである。
だが、和歌研究で、二十一代集自体を書誌学的に研究したものは、これまでほとんどなかった。古今集や新古今集の諸本研究の中で触れられることはあっても、である。加藤さんは、自身の研究されている蘆庵の門人である吉田四郎右衛門という書肆(本屋)の研究から、吉田が出版を手がけたものの研究に手を広げ、この『二十一代集』という「大部な塊」の諸本を書誌学的に調査しようと志し、実に丁寧にその全貌を明らかにしてゆくのである。感心するのは、ただ本を調査するのではなく、その過程でひっかかった事象につき、的確に先行研究を引用してくる手際である。
さすが鶴見大学で書誌学を専門に教えているだけあって、少なくとも私からは寸分の隙もないように見える。結果導き出された、確実な結論は、正保版『二十一代集』は、八代集と十三代集で別々に仕立てられ、最初から揃いで刊行されたのではなく、八代集が先行、嗣いで十三代集が成立したという可能性である。可能性とおっしゃているが、これはもう事実といっていいだろう。その根拠は5点、1筆跡の違い、2装丁の違い、3寸法の違い 4造本上の違い、5京都鹿苑寺鳳林承章の日記の記事。このうち2〜4は実見しないと分からないものだ。しかも本の綴じ目であるノドという部分への着目など、江戸の本の扱いがわかっていないとできない鮮やかな分析である。
さらに言えば、本論文の「はじめに」の、「勅撰和歌集刊行の意義」は、先行研究の知見をまとめながら、和歌史のポイントである「写本」から「板本」への展開とその意義を、わかりやすく説いていて、ここだけでも専門外の方は読むとよいだろう。
この論文の元になった発表が、わが科研研究会だったというのは、まことに嬉しい限りである。
2020年09月08日
淀君が蛇体に変化する話
大河ドラマ「麒麟がくる」では、そろそろ秀吉が活躍しはじめるのかな、というタイミングだが、武内確斎が秀吉のことを面白く書いて、江戸時代後期にベストセラーとなり、近代に入ってからも相当読まれた『絵本太閤記』は、もっと研究されていい作品だろう。
そこで、本書の末尾近くに「北政所」つまりねねの行状とともに付された「淀君行状」という不思議な文章について少し考えてみた。その論文の掲載された『語文』114輯(大阪大学国語国文学会、2020年8月)が刊行された。「『絵本太閤記』「淀君行状」と『唐土の吉野』」という拙論である。この「淀君行状」は、『絵本太閤記』の中でも特異で、淀君が蛇体に変化する場面が描かれている。いくら物語とはいえ、さすがにこれはファンタジーである。
この場面の有力な典拠となるのが『唐土の吉野』巻三の一「桂の方金龍の法を修して肉親を殺ぐ事」であり、それを指摘しただけのことだが。執拗に両作品を比較して検討しているので、かなり退屈なものになってしまっているのは、我ながらよろしくない。以前、京都近世小説研究会で発表させていただいたものの活字化である。
そこで、本書の末尾近くに「北政所」つまりねねの行状とともに付された「淀君行状」という不思議な文章について少し考えてみた。その論文の掲載された『語文』114輯(大阪大学国語国文学会、2020年8月)が刊行された。「『絵本太閤記』「淀君行状」と『唐土の吉野』」という拙論である。この「淀君行状」は、『絵本太閤記』の中でも特異で、淀君が蛇体に変化する場面が描かれている。いくら物語とはいえ、さすがにこれはファンタジーである。
この場面の有力な典拠となるのが『唐土の吉野』巻三の一「桂の方金龍の法を修して肉親を殺ぐ事」であり、それを指摘しただけのことだが。執拗に両作品を比較して検討しているので、かなり退屈なものになってしまっているのは、我ながらよろしくない。以前、京都近世小説研究会で発表させていただいたものの活字化である。
2020年09月03日
新出・秋成自筆『春雨物語』羽倉本
古典籍の世界的な収集機関である天理図書館が、開館90周年企画として、新収稀覯本を中心とする展示会を10月19日から11月8日までの日程で開催する。慣例からいって、来春には東京の天理ギャラリーでも開催されるのではないか?で、この展示のラインナップ、さすが天理としかいいようがないのだが、中でも注目されるのが、27番の秋成自筆『春雨物語』羽倉本である。奥書の「文化六年」というのは秋成が亡くなった年で、成立年次の明らかな『春雨物語』の中では、最もあとに書かれたもの、ということになる。私自身も、『春雨物語』の諸本については関心を持ってきたが、秋成研究者ならずとも、この新出本には久しぶりに興奮するだろう。しかも自筆と認定されている。もともと『春雨物語』の現在しられる本のうち天理冊子本・天理巻子本(いずれも完本にあらず)は、秋成を最後までお世話した羽倉信美の次男が養子に入った松室家から出たものである。もしこの羽倉本が完本であるとしたら、はじめての「自筆による完本」が出現したことになり、今後、春雨物語の決定版本文になる可能性が高い。天理図書館のこの展覧会の案内はこちらである。
【追記・重要】その後、さる確かな筋(天理ではないですが)により、十編揃いの「完本」ではなく、本文は冊子本系という情報を得ました。しかし、奥書があるということは、10編より少ない数ではあってもそれで完成態なのかも知れません。むしろ謎は深まります。展示を見るのが楽しみです。ただし初日から数日は授業や予定がはいっているため無理です。残念
【追記・重要】その後、さる確かな筋(天理ではないですが)により、十編揃いの「完本」ではなく、本文は冊子本系という情報を得ました。しかし、奥書があるということは、10編より少ない数ではあってもそれで完成態なのかも知れません。むしろ謎は深まります。展示を見るのが楽しみです。ただし初日から数日は授業や予定がはいっているため無理です。残念
2020年09月01日
「古典教材の未来を切り拓く!」研究会
古典教育問題。6月に行われた高校生の古典についてのオンライン議論、「高校こてほん」で共有されたと思われる課題、つまり合意点は、現在の古典教育に問題があるということだった。教材の問題、教え方の問題、入試の問題、国語教育の中での位置づけなど、議論すべきことは多様である。しかし、古典に関わる研究をしている側(それらの人々は教科書作成に関わる人々でもある)が、まず考えなければならないのは、教材の見直し、再編成の問題である。それも、現場の先生との対話なくしては進められない。ここまではみなわかっていた。しかし、具体的にどう進めるのか、私自身も手をこまねいていたところだった。そこに、Good Newsが飛び込んできた。しかも私の誕生日に(笑)。家人が不在で孤独な誕生日だったが、なにか励まされて気分も高揚する。
その会とは、「古典教材の未来を切り拓く!」研究会。通称コテキリの会だ。「こてほん」との相性もよいネーミングである。その第1回が9月13日にオンラインで開催される。現場の先生がまず発表されるようである。
【「古典教材の未来を切り拓く!」研究会のご案内】
このたび新しい古典教材を考える、「古典教材の未来を切り拓く!研究会」(通称「コテキリの会」)を結成いたしました。
下記の通り、第1回研究会をオンラインで開催いたします。
古典教育にご関心のある方であれば、どなたでも無料でご参加いただけます。現役の先生のみならず、研究者の方や教員を目指している学生・院生の方の参加も歓迎いたします。
当日は意見交換会も開催いたしますので、多くの方にご参加いただけたら幸いです。堅苦しくない会を目指していますので、お気軽にご参加ください。音声のみの参加でも問題ありません。
コテキリの会代表 山田和人
**********************
「古典教材の未来を切り拓く!」研究会
第1回 オンライン研究会
事務局 同志社大学山田和人研究室
**********************
■日時 2020年9月13日(日)10:00〜12:00
■場所 Zoomによるオンライン
■プログラム
◆10:00〜 代表挨拶 山田和人
◆10:05〜 研究発表
発表題目「国語科における古典教育の現状と課題について」
加藤直志(名古屋大学教育学部附属中・高等学校)
【要旨】近年の国語の授業において、古典(古文)教材がどのように扱われ、どんな課題があるのかといった話題提供を行い、今後の古典教育の方向性を探る議論へとつなげたい。また、小学校では新指導要領が実施され、くずし字を紹介する単元が加わった。中学・高校の古典教育に加え、それらにも触れることとする。
【経歴】愛知県立岡崎東高校を経て、2007年より現職。主な業績に、「清少納言評を読み比べる―高校二年生・古典(古文・漢文)の授業実践―」(『同志社国文学』第82号)、「中学・高校における漢文教育の課題と実践―日本との関わりを重視して―」(『日本語学』第36巻第7号)等がある。
◆11:00〜 意見交換会
◆参加費 無料
参加方法 9月11日(金)までに下記のフォームへアクセスのうえお申し込みください。追って詳細をご連絡いたします。http://https://docs.google.com/forms/d/1ULFejWyh684OhJk5gv7bXWcCS3u9oN61bQfiri_0N7M/edit
◆問合せ先
同志社大学文学部国文学科 山田和人研室
〒602-8580 京都市上京区今出川通烏丸東入
kyamada(a)mail.doshisha.ac.jp(※(a)を@に変えてください)
◆主催 基盤研究c「興味関心を喚起するくずし字や和本を用いた新しい古典教材の開発に関する実践的研究」(代表者 山田和人)*本研究はJSPS科研費20K00326の助成を受けたものです。
その会とは、「古典教材の未来を切り拓く!」研究会。通称コテキリの会だ。「こてほん」との相性もよいネーミングである。その第1回が9月13日にオンラインで開催される。現場の先生がまず発表されるようである。
【「古典教材の未来を切り拓く!」研究会のご案内】
このたび新しい古典教材を考える、「古典教材の未来を切り拓く!研究会」(通称「コテキリの会」)を結成いたしました。
下記の通り、第1回研究会をオンラインで開催いたします。
古典教育にご関心のある方であれば、どなたでも無料でご参加いただけます。現役の先生のみならず、研究者の方や教員を目指している学生・院生の方の参加も歓迎いたします。
当日は意見交換会も開催いたしますので、多くの方にご参加いただけたら幸いです。堅苦しくない会を目指していますので、お気軽にご参加ください。音声のみの参加でも問題ありません。
コテキリの会代表 山田和人
**********************
「古典教材の未来を切り拓く!」研究会
第1回 オンライン研究会
事務局 同志社大学山田和人研究室
**********************
■日時 2020年9月13日(日)10:00〜12:00
■場所 Zoomによるオンライン
■プログラム
◆10:00〜 代表挨拶 山田和人
◆10:05〜 研究発表
発表題目「国語科における古典教育の現状と課題について」
加藤直志(名古屋大学教育学部附属中・高等学校)
【要旨】近年の国語の授業において、古典(古文)教材がどのように扱われ、どんな課題があるのかといった話題提供を行い、今後の古典教育の方向性を探る議論へとつなげたい。また、小学校では新指導要領が実施され、くずし字を紹介する単元が加わった。中学・高校の古典教育に加え、それらにも触れることとする。
【経歴】愛知県立岡崎東高校を経て、2007年より現職。主な業績に、「清少納言評を読み比べる―高校二年生・古典(古文・漢文)の授業実践―」(『同志社国文学』第82号)、「中学・高校における漢文教育の課題と実践―日本との関わりを重視して―」(『日本語学』第36巻第7号)等がある。
◆11:00〜 意見交換会
◆参加費 無料
参加方法 9月11日(金)までに下記のフォームへアクセスのうえお申し込みください。追って詳細をご連絡いたします。http://https://docs.google.com/forms/d/1ULFejWyh684OhJk5gv7bXWcCS3u9oN61bQfiri_0N7M/edit
◆問合せ先
同志社大学文学部国文学科 山田和人研室
〒602-8580 京都市上京区今出川通烏丸東入
kyamada(a)mail.doshisha.ac.jp(※(a)を@に変えてください)
◆主催 基盤研究c「興味関心を喚起するくずし字や和本を用いた新しい古典教材の開発に関する実践的研究」(代表者 山田和人)*本研究はJSPS科研費20K00326の助成を受けたものです。