時折このブログでも紹介しておりますが、大阪大学文学研究科では、ハイデルベルク大学日本学科・国文学研究資料館とともに、デジタル文学地図の開発を進めております。このたび、下記プログラム主催の国際研究集会をZoomで開催いたしますので、ご興味のある方は、下記URLから是非参加登録して下さい。一応定員はございます。
2020年度文学研究科国際共同研究力向上推進プログラム「デジタル文学地図の構築と日本文化研究・教育への貢献」主催
国際研究集会 「名所」の形成とデジタル文学地図」
ご多忙の折とは存じますが、ご関心のある方の、ご参加をお待ちします。
日時 12月12日(土)17:00〜19:30 (日本時間)
Zoomによるオンライン
【プログラム】
開会挨拶 デジタル文学地図について
飯倉洋一
名所の形成と名所イメージの構築―『平家物語』の築島伝説を手掛かりに―
金智慧 大阪大学(院)
『摂津名所図会』における名所形成と近世演劇―「逆櫓松」「朝日神明社」を例として―
岡部祐佳 大阪大学(院)
19世紀における地誌の広がり −名所図会と奇談的地誌
木越俊介 国文学研究資料館
紀行文と名所−江戸後期の女旅日記を例に
ユディット・アロカイ ハイデルベルク大学
事前登録制です。こちらからお申し込みをお願いいたします。
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScfmEk7XOoOwDIdrOV6gmYX1wVvUnCAhBeeSk9Ionh9k36Ykw/viewform?usp=sf_link
登録された方には、ZoomのURLをお送りいたします。
詳細はフライヤーをワークショップ 「名所」の形成とデジタル文学地図 案内.pdfワークショップ 「名所」の形成とデジタル文学地図 案内.pdfご覧下さい。
2020年11月24日
2020年11月23日
和歌史 なぜ千年を越えて続いたか
渡部泰明『和歌史 なぜ千年を越えて続いたか』(角川選書、2020年10月)。万葉集から江戸後期歌人香川景樹までの、和歌史である。「はじめに」を入れて全20章で各章のタイトルは、大部分が歌人の名から成る。有名歌人をもって章立てとし、時代順に並べて「和歌史」と称するのは、一見凡庸な構成に見える。だが、本書は違う。本書の副題、「なぜ千年を越えて続いたか」という問いが、モチーフとなっており、その問いへの解答に向けて、各章が組み立てられているので、それぞれの歌人とその歌が連携し、まったく新しい和歌史が見えてくる仕組みである。
つまり本書は、たとえていうなら、全部で20に場割りされて、それぞれの場にそれぞれの主役がいて、全部を順番に観ていくと、大きなテーマが鏤められているのに気づかされるという、緻密に構成された演劇なのである。じつをいうと、最初の4章(額田王、柿本人麻呂、山上憶良、大友家持)までを読んでいるうちは、その仕組みに気づいていなかった。しかし、第5章の「在原業平」の冒頭で、著者は、「ふと思う」と冒頭からいう。何だ?と思っていると、「奈良時代は『万葉集』を生み出した。威容を誇るこの歌集だけを置き土産にして、和歌は滅びてもおかしくなかったのではないか」というのである。ここで一気に「和歌史」が浮上するのである。ドラマチックではないか。これを演劇的と私は思う。そこからは、著者がどういう説明を用意しているのか、ワクワク感とともに読み進めることができる。なぜ和歌は続いたのか、あえてここには記さないが4つのキーワードとともに、徐々に徐々に輪郭を顕してくる。
なかでも、詠み手、つまり実作者の立場に寄り添う視点が際立つ。実作者は、必ずそれまでの和歌の蓄積を踏まえて詠む。つまり詠み手は読み手である。そしてその歌がまた後代の詠み手(読み手)に参照される。その度合いは、他のどの文芸よりも強い。そのメカニズム自体が、途切れない仕組みを持っていると考えることができるかもしれない。
たんに「歌風の変遷」のような、表面的な史的叙述ではない「和歌史」、渡部和歌史と呼ぶべき達成が本書である。
つまり本書は、たとえていうなら、全部で20に場割りされて、それぞれの場にそれぞれの主役がいて、全部を順番に観ていくと、大きなテーマが鏤められているのに気づかされるという、緻密に構成された演劇なのである。じつをいうと、最初の4章(額田王、柿本人麻呂、山上憶良、大友家持)までを読んでいるうちは、その仕組みに気づいていなかった。しかし、第5章の「在原業平」の冒頭で、著者は、「ふと思う」と冒頭からいう。何だ?と思っていると、「奈良時代は『万葉集』を生み出した。威容を誇るこの歌集だけを置き土産にして、和歌は滅びてもおかしくなかったのではないか」というのである。ここで一気に「和歌史」が浮上するのである。ドラマチックではないか。これを演劇的と私は思う。そこからは、著者がどういう説明を用意しているのか、ワクワク感とともに読み進めることができる。なぜ和歌は続いたのか、あえてここには記さないが4つのキーワードとともに、徐々に徐々に輪郭を顕してくる。
なかでも、詠み手、つまり実作者の立場に寄り添う視点が際立つ。実作者は、必ずそれまでの和歌の蓄積を踏まえて詠む。つまり詠み手は読み手である。そしてその歌がまた後代の詠み手(読み手)に参照される。その度合いは、他のどの文芸よりも強い。そのメカニズム自体が、途切れない仕組みを持っていると考えることができるかもしれない。
たんに「歌風の変遷」のような、表面的な史的叙述ではない「和歌史」、渡部和歌史と呼ぶべき達成が本書である。
2020年11月15日
学会記(法政大学オンライン)
日本近世文学会秋季大会は、法政大学を会場校として、オンラインで行われた。春の大会はコロナ禍で中止、その後、事務局が移転、新事務局と会場校の法政大学は、初めてのオンライン大会の運営に臨むことになる。そのための実行組織が編成され、少し前に絵入本ワークショップでオンライン大会を経験していた、事務局実践女子大学の佐藤悟さんと会場校の私も召集されたのだが、すくなくとも私はただただ、着々と緻密に進んでゆく準備をあんぐりと口を開けて見ているだけだった。つまり何もしませんでした(できませんでした)、ぺこり。実行組織は、あらゆる事態を想定して万全の体制を整えて行ったのである。
舞台裏ではいろいろと大変なこともあったようだが、学会自体はスムースに進行した。そしてなにより7本の発表とシンポジウムが非常に充実していた。学会運営側のご苦労も報われたというものである。
なかでも初日のシンポジウムは聞き応えがあった。テーマは「つながる喜び − 江戶のリモート・コミュニケーション」。「手紙」によるコミュニケーションの、さまざまなあり方がパネリストによって紹介され、手紙のもつ豊かな繋がる機能と文芸性が明らかにされた。素晴らしかったのは、そのあとのパネリスト同士やフロアとのやりとりである。お互いの発表の意義が別の側面から浮かび上がり、シンポジウムそのものがまさしく学術的コミュニケーションとなった。このシンポジウムを企画・人選した会場校の小林ふみ子さんの慧眼である。秋成晩年の文芸を「人と繋がる文芸」と捉え、「人的交流」をキーワードに18世紀の上方文壇を見ていく共同研究を続けてきた私にとっては、非常に感慨ぶかいシンポジウムだった。
2日目も、5本の多彩な発表があり、たいへん勉強になったが、私にとって最もインパクトがあり、本学会史上有数の発表だと思ったのが中森康之さんの発表である。「古池や蛙飛こむ水のおと」が、支考によって「蕉風開眼の句」として喧伝されたが、さて、支考はいかなる意味でこの句を「開眼」と言ったのかと改めて問う。中森さんにとって、支考の、「古池」句誕生のプロセスの捉え方は、詩の、詩としての成立の過程を根源的にとらえた、普遍的な詩論であり、世界的な詩論の議論の中におく価値のあるものである。芭蕉が実際に作句のときにそのように考えたのかという質問もあったが、芭蕉論や俳諧史という枠組を超える問題提起だったように思う。それを近世文学会という場でやるということ、それは実は非常に勇気の要ることだと思うのだが、この発表は、それをやったということに最も大きな意義がある。いつぞやの田中道雄先生の発表に連なるともいえる。発表資料には出てこなかったが、発表スライドには『古典は本当に必要なのか、否定論者と議論して本気で考えてみた。』の表紙カバーも一瞬だけど、重要なところで使われた。ただ、この画期的な発表も、リモートだから出来たという面があるように思う。学会の「いつもの空気」ではない、オンラインという場が、この画期的発表を可能にした。もしかするとシンポジウムもそうだったのかもしれない、と書いていてそう思う。
つまり、リモートであることを、見事にプラスに転じて見せた、今回の企画・運営・発表だったということなのである。すべての関係者の皆様へ、ありがとうございました。そして、中森さんの発表の活字化が待ち遠しい。
舞台裏ではいろいろと大変なこともあったようだが、学会自体はスムースに進行した。そしてなにより7本の発表とシンポジウムが非常に充実していた。学会運営側のご苦労も報われたというものである。
なかでも初日のシンポジウムは聞き応えがあった。テーマは「つながる喜び − 江戶のリモート・コミュニケーション」。「手紙」によるコミュニケーションの、さまざまなあり方がパネリストによって紹介され、手紙のもつ豊かな繋がる機能と文芸性が明らかにされた。素晴らしかったのは、そのあとのパネリスト同士やフロアとのやりとりである。お互いの発表の意義が別の側面から浮かび上がり、シンポジウムそのものがまさしく学術的コミュニケーションとなった。このシンポジウムを企画・人選した会場校の小林ふみ子さんの慧眼である。秋成晩年の文芸を「人と繋がる文芸」と捉え、「人的交流」をキーワードに18世紀の上方文壇を見ていく共同研究を続けてきた私にとっては、非常に感慨ぶかいシンポジウムだった。
2日目も、5本の多彩な発表があり、たいへん勉強になったが、私にとって最もインパクトがあり、本学会史上有数の発表だと思ったのが中森康之さんの発表である。「古池や蛙飛こむ水のおと」が、支考によって「蕉風開眼の句」として喧伝されたが、さて、支考はいかなる意味でこの句を「開眼」と言ったのかと改めて問う。中森さんにとって、支考の、「古池」句誕生のプロセスの捉え方は、詩の、詩としての成立の過程を根源的にとらえた、普遍的な詩論であり、世界的な詩論の議論の中におく価値のあるものである。芭蕉が実際に作句のときにそのように考えたのかという質問もあったが、芭蕉論や俳諧史という枠組を超える問題提起だったように思う。それを近世文学会という場でやるということ、それは実は非常に勇気の要ることだと思うのだが、この発表は、それをやったということに最も大きな意義がある。いつぞやの田中道雄先生の発表に連なるともいえる。発表資料には出てこなかったが、発表スライドには『古典は本当に必要なのか、否定論者と議論して本気で考えてみた。』の表紙カバーも一瞬だけど、重要なところで使われた。ただ、この画期的な発表も、リモートだから出来たという面があるように思う。学会の「いつもの空気」ではない、オンラインという場が、この画期的発表を可能にした。もしかするとシンポジウムもそうだったのかもしれない、と書いていてそう思う。
つまり、リモートであることを、見事にプラスに転じて見せた、今回の企画・運営・発表だったということなのである。すべての関係者の皆様へ、ありがとうございました。そして、中森さんの発表の活字化が待ち遠しい。