渡部泰明『和歌史 なぜ千年を越えて続いたか』(角川選書、2020年10月)。万葉集から江戸後期歌人香川景樹までの、和歌史である。「はじめに」を入れて全20章で各章のタイトルは、大部分が歌人の名から成る。有名歌人をもって章立てとし、時代順に並べて「和歌史」と称するのは、一見凡庸な構成に見える。だが、本書は違う。本書の副題、「なぜ千年を越えて続いたか」という問いが、モチーフとなっており、その問いへの解答に向けて、各章が組み立てられているので、それぞれの歌人とその歌が連携し、まったく新しい和歌史が見えてくる仕組みである。
つまり本書は、たとえていうなら、全部で20に場割りされて、それぞれの場にそれぞれの主役がいて、全部を順番に観ていくと、大きなテーマが鏤められているのに気づかされるという、緻密に構成された演劇なのである。じつをいうと、最初の4章(額田王、柿本人麻呂、山上憶良、大友家持)までを読んでいるうちは、その仕組みに気づいていなかった。しかし、第5章の「在原業平」の冒頭で、著者は、「ふと思う」と冒頭からいう。何だ?と思っていると、「奈良時代は『万葉集』を生み出した。威容を誇るこの歌集だけを置き土産にして、和歌は滅びてもおかしくなかったのではないか」というのである。ここで一気に「和歌史」が浮上するのである。ドラマチックではないか。これを演劇的と私は思う。そこからは、著者がどういう説明を用意しているのか、ワクワク感とともに読み進めることができる。なぜ和歌は続いたのか、あえてここには記さないが4つのキーワードとともに、徐々に徐々に輪郭を顕してくる。
なかでも、詠み手、つまり実作者の立場に寄り添う視点が際立つ。実作者は、必ずそれまでの和歌の蓄積を踏まえて詠む。つまり詠み手は読み手である。そしてその歌がまた後代の詠み手(読み手)に参照される。その度合いは、他のどの文芸よりも強い。そのメカニズム自体が、途切れない仕組みを持っていると考えることができるかもしれない。
たんに「歌風の変遷」のような、表面的な史的叙述ではない「和歌史」、渡部和歌史と呼ぶべき達成が本書である。