2020年12月13日

中近世移行期の文化と古活字版

 高木浩明氏の『中近世移行期の文化と古活字版』(勉誠出版、2020年12月)が刊行された。
 出たばかりの本を紹介するのは久しぶりだが、この本はどうしても紹介しておかなくてはならない。
 とはいえ、本当は本書を評する資格など私にはない。しかし、古活字探偵を名乗る高木氏の、古活字版悉皆調査の進展を驚嘆しつつ拝見してきた者として、心よりの祝福と、川瀬一馬の名著『古活字版の研究』という大きな山を超える達成への称賛を送りたい一心で、この文を書くのである。
 非常に驚いたのは、本書が古活字版悉皆調査の報告書ではなく、その調査の過程で明らかにしてきたことを、「中近世移行期」の出版文化論として構築した浩瀚な論文集であったということである。つまり、本書は高木氏のライフワークそのものではなく、ライフワークの副産物として生まれた研究書だったわけである。ただ、この言い方は正確ではない。もともとの高木氏の研究は、『平家物語』下村本からはじまっており、下村本を生んだ下村時房や、その時代の環境を明らかにするために古活字版を包括的に見直そうというライフワークがはじまったという。つまりは「中近世移行期」になぜ『平家物語』下村本が生まれたかという問いからの広がりが、古活字本悉皆調査となり、本論文集となったわけだから、両者は親子ではなく、兄弟の関係というべきなのだ。
 『平家物語』の古活字本は15種類あるという。それは『太平記』と同数で古活字本の中でも群を抜くのだという。それにしても『平家物語』下村本という、『平家物語』によほど興味のある者以外には、何その本?というような本が、実は40本以上の伝本があり、その本を底本として四種の古活字本がつくられていて、近世初期の『平家物語』の本文を代表するテキストであるとは。平家物語の研究としてはこれまでそれほど注目されてきていないテキストかもしれないが、書物文化史的には非常に重要であること、よくわかる。国内現存三十二本の原本を実見し、その徹底的な調査によって、下村本の成立とその環境が明らかにされていく。その結果、川瀬説を覆す大きな発見もあった。
 高木氏の追究は、平家物語にとどまらない。嵯峨本もまた徹底調査のターゲットとなる。さらには古活字版をめぐる場と人々についてもなんと十章におよぶ考察がある。いわば三冊分の中身が、800頁超の本書に詰まっているのである。
 近年、書物史という考え方や書誌学の重要性がクローズアップされている。本の外形を無視して、テキスト研究はできなくなってきている。高木氏はまちがいなくその流れを作った一人である。
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2020年12月01日

待兼山文學のインタビュー記事

大阪大学の学内サークル文芸誌『待兼山文學』2020年下半期号に、私のインタビュー記事が載りました。比較文学の橋本順光先生のインタビューも併せて載っています。新型コロナ問題に関わって「距離感」というのがテーマです。待兼山文學会という学内サークルが出している文芸誌ですが、なかなか真面目にいろんな問題を考えている学生たちで、3人ほどインタビューに来られていましたが、事前によく勉強してきていたし、質問もしっかりしていました。現代人と古典・古文の間の「距離感」というのがテーマでしたが、とても楽しい時間でした。
 橋本先生のインタビューがなかなか面白くて、図も豊富。風刺漫画からはじまって現代メディアを縦横無尽に語っていらっしゃるのですが、中でも、1990年くらいから出てきた、書かれたものを受け手が自由に解釈できる受け手優位の状況が今の常識で、話す内容ではなく立場に目が向けられているということ、「あ、お前はその立場ね、わかるよお疲れ」って見てしまう、と。まさにツイッターの雰囲気がそれである。以下は引用。

橋本 それはそれで楽しいわけ。書かれたもの自体を細かく見ることなく、「その人はこれによって何を言おうとしているか」のみに注目する。だから140字でいいんですよ。逆にこの仕組みだと、どうしてもそうなる。だから自分からは何もしないで、相手にからむのが一番強いんですね。

あるあるですねえ。そういう「立場」を読む言説って結構うんざりなんだけど、自分はしてないかって言われると、つまってしまう。
 ここ、結構、テキスト読解を演習などでやるときに重要な観点で、作文者の意図、当代読者の受け取り方、今読んでいる私の受け取り方の三層が、私も学生も曖昧になっていて、その曖昧さが、「〜って感じの」みたいな説明の仕方になっているように思いました。
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