2021年03月28日

古典教材開発の課題と可能性

 本日(3月28日)、同志社大学古典教材開発研究センター設立記念研究集会「古典教材開発の課題と可能性」共催:古典教材の未来を切り拓く!研究会(コテキリの会)で、基調講演をいたしました。「なぜ「くずし字教育」は必要なのか」というタイトルで、主にPCやスマホを用いたくずし字学習の現状や、「くずし字」リテラシーがなぜ必要なのかというお話をいたしました。パネルでは、小中高高専の先生が、実践報告をされました。まず我々大学の教員と、現場の教員が議論を交わして、新しい古典教材を切り拓こうという企画を考えていただいた山田和人さんとスタッフの皆様に感謝します。またオンラインならではですが、海外をはじめとして全国各地から多数の方に参加いただいて、さまざまなご質問・ご意見をいただくことができて、嬉しく思いました。
 私はセンターの一研究員ですが、微力ながら、新しい「古典」(このことばがよくないというご意見も)教材の開発にむけて、なにかできればと心から思いました。参加された方の感想も、あとでお知らせいただけるので、それを拝見して、また改めて感想をのべたいと思います。(3/28)
と、ここまで書いていました。少し書き加えます。古典教材の開発というのは、新たな教材を並べたテキストを作るというイメージですが、ブレイクアウトルームで出たのは、どんな教員でも対応できる教材です。コテキリの会は、「くずし字」や和本を用いた教材を構想しているわけですが、それを扱えるスキルが、どの教員にもあるわけではない。ではどうするか?たとえば慶応大学斯道文庫が取り組んでいる、英語による書誌学講座のような動画教材の開発も考えられますし、場合によってはゲームや、ライトノベルを作ることだってありえるのではないか。
 そして肝要なのは、刀剣クラスタの方々が「くずし字」に興味をもったように、自分自身の興味・周辺・必要性から入っていく通路を作ることでしょう。何のための「くずし字」リテラシーかといえば、それは過去の文化を知ることだけではなく、現在そして未来のためのヒント、必要な知恵を得ることだと思われます。その意義についても、しっかり議論し、説得力ある論理を構築していかなければなりません。以上、私の覚え書きです。(3/31)
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2021年03月27日

寛政期の怪談

三宅宏幸「寛政期読本『怪談雨之燈』の研究と翻刻」(『愛知県立大学 説林』69、2021年3月)。
さきほど目を通したばかりなのだが、いろいろと私のアンテナにひっかかる内容なので、メモとして記しておく。
まず、この『怪談雨之燈』という怪談。名前は知られていたが五冊の全貌がわからなかったが、三宅さんは二種所有されているそうである。それ以外で三宅さんが把握しているのは、中野三敏先生旧蔵の雅俗文庫本、ただし巻四のみの零本。
非常に稀少な伝存状況であり、詳細な書誌や翻刻解説はそれだけでも非常に意義がある。
しかも、画工がどうも岡田玉山で確定的であるという。『絵本太閤記』の関係で玉山の画業には注目していたところだったので、この情報がありがたい。
書肆の塩屋権平についても興味深いがあり、さらに巻頭話についての考察も面白く読んだ。「儒者の妖怪退治」(近藤瑞木氏)というテーマに通じるものである。寛政期の読み物は、木越俊介さんも注目していてちょっとしたトレンドになってきた。私も名所図会や絵本太閤記の方向から見ているので、非常に勉強になる。30代〜40代が、学会をリードしていく雰囲気が出てきたようである。大変楽しみなことである。
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2021年03月18日

江戸漢詩選 上下

揖斐高編訳『江戸漢詩選』(岩波文庫、上下2冊、上は2021年1月、下は2021年3月刊)が完結しました。
ハンディにして、幕初から幕末まで、バランスよく選ばれた江戸漢詩人たちの漢詩アンソロジーの決定版といってよいもの、下巻に解説がついています。
考えてみますと、富士川英郎『江戸後期の詩人たち』、中村真一郎『ョ山陽とその時代』など、江戸漢詩を志す人がその契機とした名著はありますが、江戸を通しての漢詩アンソロジーって、ありそうでなかったですよね(あるかもしれませんが、ハンディである程度のボリュームがあって、きちんとした注釈と訳があるとなるとほぼなかったのでは)。
「バランスよく」と言いましたが、そこは揖斐先生の興味関心の深い詩人や詩には詳細な解説も当然あり、そこが読みどころでもあります。
後光明天皇や日野資愛などの堂上人が入集しているのも面白いです。
巻末の「解説」は、江戸漢詩以前の日本漢詩文概観(ポイントを的確に押さえた記述、とくに「和習」の問題についての解説が勉強になります)と、五期にわけた江戸漢詩史の見取り図、そして江戸漢詩の表現世界を10分類しての整理。このごろ「文学と名所」のプロジェクトをやっていることもあり、D叙景の解説が気になりました。「初めは和歌における歌枕のように、その風景に固有の伝統的で固定化されたイメージを詠む、定型的で観念的な風景詩が主流であったが、やがて個々の詩人の感覚が捕らえた実際の風景(実景・真景)を描写する詩へと変化していった」と。私の感覚でもそういう感じだったので、揖斐先生の分析でもやはりそうなのかと嬉しくなりました。もちろん実景を描写する場合も、伝統的な詩語を用いるというのは当然あるわけですが。先日の「デジタル文学地図」シンポジウムの懇談会での議論を思い出しました。
 この「解説」は、私にとっては、現時点でもっともわかりやすい江戸漢詩解説であり、江戸文学を勉強したい方には、どのジャンルを学ぶかを問わず、「必読文献」として勧めたいものです。
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2021年03月15日

歴史のなかの地震・噴火

東京大学の史料編纂所と地震研究所がタッグを組んだ「地震火山史料連携研究機構」が、文理融合の歴史災害研究を進めている。東日本大震災の発生から10年の2021年3月11日に、その研究成果を一般向けにまとめた『歴史のなかの地震・噴火 過去がしめす未来』(東京大学出版会)が刊行された。著者は加納靖之・杉森玲子・榎原雅治・佐竹健治の各氏で、東大駒場での学術フロンティア講義「歴史資料と地震・火山噴火」の講義を行っている方々である。
東日本大震災のあとも、熊本・北大阪・北海道をはじめとして、各地で大きな地震が相次いでおり、南海トラフ地震が今後30年間に起きる確率がかなり高いとされていることから、地震への関心はきわめて高まっている。私も2018年に北大阪地震で大きな被害を受けた。
 高校生の時に、私は一時地学部に在籍していたことから、地震に興味を少し持ち「地震列島」なる本を買って読んだことがあった。「プレートのずれ」で巨大地震が発生すること、それが歴史的な年代単位ではあるが周期的に起こることを知った。それから40数年、地震学の進展は著しい・・・に違いないが、どこがどう進展しているかということは実はわかっていなかった。今回、本書で研究の現状を知ることが出来てありがたい。
 さて、地震の科学的データが存在するのは、ここ100年そこそこであり、それ以前のデータはない。しかし、どういう地震が起き、どのくらいの被害が出て、人々がそれにどう対応したかなどの情報は、歴史的文献に記されている。周期的に発生する地震を研究するには、この歴史的文献の解読が必須であり、文理融合がどうしても必要になってくるのである。その文献はテキストデータ化することによって、非常に研究にとって利便性が増す。
 京大の古地震研究会は、ほとんど翻刻のない地震に関わる歴史的文書や記録を解読するために、くずし字解読のスキルを身につけようとして、みんなで研究会を重ねてきた。私はその会に一度呼ばれて、和本の見方について、写本と刊本の性格について、簡略な講義をしたことがあり、それが機縁となって、くずし字学習支援アプリKuLAが生まれた。このことはいろんな場所で書いたりしゃべったりしているのでここでは繰り返さないが、そのメンバーのお一人だった加納靖之さんが東京大学の地震研に移られ、歴史地震研究における「くずし字解読」のウェーブが京大から東大にも及んだように私には見えた。地震に関わる歴史的文献を読むことの大事さを市民に伝えると同時に、その研究に参加してもらうという画期的プロジェクト「みんなで翻刻」もその流れで大きく展開したように見える。
 しかし、歴史地震学では実際にどのように歴史文献を扱うのか?それはあまり知らなかったが、今回の本で大変教えられた。
 10年前の東日本大地震と似た地震ではないかとされる貞観地震。『日本三代実録』に記述があり、状況が似ている。この貞観地震の津波の経験と「君をおきてあだし心をわがもたば末の松山波もこえなむ」(古今集・東歌・陸奥歌)の歌は関係があるだろうという国文学者河野幸夫の説が紹介されている。(私もこの論文を読んだ時にはかなり興奮したのを覚えている。東日本大震災より前に発表された論文である。
 また、南海トラフの巨大地震。繰り返しが知られており、その間隔が小さくなってきており、大きな関心を集めている。宝永地震や安政大地震もそれだ。そして、このあたりは「くずし字解読」の出番となる。科学的データがなくとも、残された数多くの記録を考察してゆけば、当時の地震の規模や被害の状況がかなり再現できる。そしてそれらは防災にも有益な情報をもたらすことがある。科学的データ以上の価値をもつことがあるわけである。本書でも宝永の地震と富士山噴火、そして安政大地震の状況を、多くの史料を用いて分析している。おそらく歴史的文献は現在も解読分析され続けているだろう。南海トラフについての記述は本書でも非常に詳細であり、歴史的なスパンで未来を描くことができる。
 内陸地震や首都圏地震についても、歴史的な考察がなされている。未来のために過去を学ぶ意義が、これほど明確に示されることはなかなかないだろうか、生物の秘密や、宇宙の謎など、時間的スケールの大きな課題については、やはり歴史的文献を読むことが大事になってくるだろう。理系でも長いスパンの研究に、歴史的文献をあつかうことがあるということである。だから子どものころからどこかで「くずし字」に親しんでおくことが(読めなくてもいい)望ましいのではないかしら。
 
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2021年03月13日

デジタル文学地図シンポジウム報告

3月12日の午後3時から午後7時30分まで、4時間半にわたって、先に案内した国際シンポジウム「古典のジャンルと名所−デジタル文学地図の活用」がZoomで行われた。参加希望者は100名を超えた。他の研究会や会議と掛け持ちの方も多く、出入りもあったが、最大値77名であった。
2020年度文学研究科国際共同研究力向上推進プログラム「デジタル文学地図の構築と日本文化研究・教育への貢献」主催で、こちらいずれ報告書を作成しなければならないので、そのドラフトがわりにざっと振り返っておきたい。
 まず、鈴木健一さんが「名所絵の型」と題して1時間ほど基調講演。名所絵とは型を持っているということをあざやかに指摘した。出てきた話として印象に残っているのは、@名所の土着性。その土地に立ってみないとわからない個別の風土性のようなもの。A名所認識。土地を認識する時に特徴的な構図や関係する事柄(あるいはキャラクター)を結びつけながら知的にとらえようとする。隅田川と都鳥、八橋と燕子花、五条大橋と義経弁慶。B江戸時代においては文化的要素が並べられる。それをいかに組み合わせるか。徳川の安定的統治、産業・交通の発達、人文知の形成、出版文化の隆盛などから過去の文化的要素が整理統合され大衆に浸透する。C例示として筑波山は蝦蟇・男体山・女体山・平太郎(平将門の遺児)D日本堤からは三囲神社の鳥居の上部だけが見える。E駿河町三井呉服店と江戸城と富士山の三点セットなどなど多くの画像で説得力ある説明をされた。
 次いで中尾薫さんは「謡曲と名所」と題して、まず謡曲と名所の関わりについての先行研究を紹介しつつ、謡曲における名所の重要性を指摘した。謡十徳のなかに「行かずして名所を知る」ことができる。また謡曲史跡保存会がmapを作っていたことを紹介。永崎研宣さんがSNSで「今で言えば聖地巡礼」だと言われた。鈴木健一さんのいう「型」は謡曲研究では「詩的記号」と言われてきたこと、また地名には共示的機能があり、「山場には歌を用いよ」という教えのあること、文飾・趣向のみではなく物語構成の主軸に名所旧跡があることを、「高砂」を例に明らかにされた。「高砂」の破一段の終りは、「それも久しき名所かな。それも久しき名所かな」で結ばれていることは非常に興味深い。能は名所図会的演劇だという見立ては秀逸である。
 山本嘉孝さんは「漢詩と名所」と題して発表。斎藤希史さんの『詩のトポス』を冒頭に紹介、新稲法子さんや高山大毅さんの最近の論文に触れながら、詩の土着化の問題(たとえば瀟湘八景の日本土着化=近江八景など)を取り上げた。そして細合半斎の『日本名勝詩選』という名所詩アンソロジーを紹介。ここに出てくる地名をマッピングしたり、排列の意味を探った。日本の地名をモチーフにした漢詩は、やはり中国に倣うだけではなく、日本の歌枕との関わりが濃い。
 アロカイさんを交えての総合討論では、俳諧での俳枕が謡曲と深い関わりがあること(嶋中道則氏の研究)も紹介された。ともあれ、和歌でつくられた地名イメージが根幹にあることは疑えず、またどのような文学ジャンルにおいても地名の喚起力はすさまじいものがあるという印象を個人的には持った。俳諧や紀行文、また諸国ばなし系散文などのジャンルも検討が必要だろう。
 続いて第2部、デジタル文学地図プログラムの着想と経緯、今後の展望と、実際のサイトの紹介がアロカイさんとシステム担当のボルンさんによって行われ、それに対して、人文情報学の専門家である橋本雄太さんと永崎研宣さんがそれぞれスライドを用いて情報提供とアドバイスを行った。橋本さんは地図地名に関わる様々な既成のデータを紹介しながら、歴史学では計量化が重視されるが、この文学地図ではそれとは違う概念マップ、マインドマップのような方向への展開が期待されると述べ、技術的な提案をいくつかなさった。中でもストーリーテリング機能については、我々の間でも少し考えていたとはいえ、やはり取り込んでみたいと思った。永崎さんもこのようなサイトやデータの維持についての有益な情報を提供、また文学地図についても、鈴木さんの筑波山=蝦蟇の挿絵を早速スライドに取り込んで、「講」との関わりなど歴史的な研究成果のデータを取り込むことなどを提案。また江戸時代では空間的距離よりも時間的な距離感覚が大事ではないかというアドバイスも貴重だと思った。
 懇談会はシンポの延長戦という色合いでより議論が深まったようである。
 ご登壇いただいた方々、参加者のみなさま、スタッフ諸氏に心から深謝申し上げて、とりあえずの報告とする。

 
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