大阪府からの要請で、大学の授業はオンライン主体へ急遽切り替わった。今日はオムニバス授業の担当である。もともと割り当てられていた教室が、自動的にライブ視聴・収録視聴ができる教室であるため、教室に出向き、無人教室で授業をする段取りである。どうなることやら。
そういう中、昨週末、真島望さんから『近世の地誌と文芸−書誌、原拠、作者−』(汲古書院、2021年3月)が届く。真島さんからは、いつも論文抜き刷りを送っていただいており、近世中期・奇談・地誌という3点から、私の興味関心と重なっており、論文集の上梓は、わがことのように嬉しい。心から祝福したい。
真島さんの研究の始まりであり、中心でもあるのが菊岡沾凉という江戸中期の俳人・地誌作者である。沾凉は『江戸砂子』『諸国里人談』という、著名な著作の作者であるが、その伝記・文事についての研究はあまりにも少なかった。真島さんは、まず伝記的事項を整理し(第三章)、俳壇における位置づけを明らかにし(同三章)、沾凉の関わった絵入俳書について詳細に調査してその意義を問い(第四章)、著書『綾錦』の諸本について緻密に調べ上げ(第五章)、「奇談」書である『諸国里人談』『本朝俗諺志』の作成過程を追い、私も調べたことのある俳人常盤潭北との共通点を挙げる(第六章)。さらに、自筆稿本の『熱海志』の研究と続き(第七章)、菊岡沾凉の文事とその意義がかなり明らかになった。地誌研究は広がりのあるテーマであり、沾凉以外の研究を含む本書にもすでにそれが現れている。書名通り、真島さんのこれまでの研究は「地誌と文芸」という大テーマへの序章にすぎないであろう。
実は、本書の「あとがき」には、彼の指導教員であり、後輩ながら私がその該博な知に畏敬の念を抱いている宮崎修多さんが、研究テーマに迷う真島氏に、私の「奇談から読本へ」という論文を示して、その中に出てくる菊岡沾凉の研究を勧めたという話が書かれている。そういえばこの話を宮崎さんから伺ったことがあるような気がするが、あとがきを読むときは全く忘れていたので、私の名前が出てきてびっくりしたのである。
私はかつて常盤潭北という享保の俳人を調べ、そこから「奇談」研究に入っていった。もちろん沾凉のことも気になっていたが、真島さんが調べ始めたことを知り、安心してお任せすることができ、次々と挙がる成果に目を瞠り続けていた。真島さんの研究のきっかけになったことはなにより嬉しい。そして真島さんは、私のいい加減な部分をきちんと批判している。これもありがたいことである。
どういう因果か、いま私は「デジタル文学地図」というプロジェクトで、名所・地誌への関心を高めているのだが、真島さんとの縁はやっぱり深いと思わざるを得ない。本当はもうひとつ、われわれの間に偶合があるのだが、それはいずれ明らかになるだろう。
2021年04月19日
2021年04月12日
これからの古典の伝え方
畑中千晶『これからの古典の伝え方』(文学通信、2021年3月)は副題が「西鶴『男色大鑑』から考える」。
このごろの近世文学研究界隈でも、コミック・舞台と連動、新しい現代語訳・注釈が出て話題になった記憶も新しい『男色大鑑』。その動きは、まずBLの流行で『男色大鑑』がBLコミックスとして発売、その解説執筆を畑中さんが引き受けたところからはじまった。エンタメ側からアカデミズムにコンタクトを取ってきた。このほとんどありえないチャンスを、畑中さんは染谷智幸さんとともにきっちりものにした。それが『男色を描く』(2017年)の企画で、編集者・漫画家・研究者が共創。2018年・19年の『全訳男色大鑑』に繋がった。そこで浮かび上がってきたのが、「アダプテーション」というキーワードだ。アダプテーションの側から作品を見直す。そこに新たな発見があるというのである。これは注釈の方法の見直しにも繋がる。二次創作する立場の人にとって必要な注釈が必要だと。たとえば、舞台化しようとするなら、そこに描かれるモノも立体的に把握できなければならない。また創作という立場から見れば、なぜそういう設定なのか?なぜこの場面が必要なのか? そういう疑問を解決する注釈が重視されるということだろう。もちろん、これアダプテーションの立場に立たなくても大事なことなのだが、アダプテーションのためという「目標」を設定することで、注釈の意義が鮮明になるにちがいない。
勢いはとどまらない。若衆文化研究会、ワカシュケンという研究会の発足。研究会から「祭り」へ。なんと100名もが参加するようなイベントが、研究者と実作者を交えて行われたのである。さらには、NHKの歴史秘話ヒストリアで男色大鑑が大きく取り上げられた。そして人形作家の甲秀樹氏とのコラボ、国際研究集会での講演、トークイベント、インタビューと勢いはとどまるところを知らない。そういえば、何年か前大阪で行われた西鶴研究会の懇親会のあとで、若衆研の人たちとご一緒させたいただいたことがあった。すごいパッションだったが、私にとっては貴重な出会いだったです。
これらの怒濤の日々のドキュメントという一面が本書を読ませるものにしているが、主題はあくまで、「これからの古典の伝え方」の提案だ。実践編で面白かったのは、西鶴の自己〈演出〉を読み解くくだり。まさに創作者側に立つ読みだ。
そして、私個人としては、『花実御伽硯』という究極コピペ作品を分析した「江戸のコピペ」が面白かった。本書の中ではいちばん「研究」っぽい部分だが、こういう怪しげで、二流で、胡散臭い近世中期の本こそ、江戸の読み物っぽい。本書は私の研究する近世中期の「奇談」書のひとつなのだ。「奇談」書とは、書籍目録に出てくる分類項目で、ここに載っている本を「奇談」書と私は呼んでいるのである。なんでもありのオモチャ箱、それが「奇談」なのだが、本書は稀覯本で、お茶の水図書館にしか所蔵が知られない。本書の閲覧をかなり昔に申し入れた時には、それが何かの理由で叶わず、図書館の方が丁寧にも、序の翻字や書誌を送ってくださったのである。私の科研報告書にもそのことは記している。私にとっては片想いの本である。しかし、それは、畑中さんの調査によって、ほぼコピペ、序さえもコピペということが明らかにされている。同じタネ本を使って上手に創作した静観房との比較が抜群に面白い。そのタネ本の方も、いまは国書刊行会の江戸怪談名作選5巻に収められている。
ところで本書の略称は「コテデン」。「コテキリ」に続く、「こてほん」の「アダプテーション」という見立てもできるかもしれない。どの本も「古典」をなんとかしようとする企画である。やり方は違うが思いは同じではないか。「こてほん」「コテキリ」に関わったものとして、「コテデン」も是非また盛り上がれ。そしてアダプテーションがアダプテーションを呼ぶという本書の主張通りの展開を、本書がしている・・・っていうのはこじつけだが、まあそういうことにしましょう。
このごろの近世文学研究界隈でも、コミック・舞台と連動、新しい現代語訳・注釈が出て話題になった記憶も新しい『男色大鑑』。その動きは、まずBLの流行で『男色大鑑』がBLコミックスとして発売、その解説執筆を畑中さんが引き受けたところからはじまった。エンタメ側からアカデミズムにコンタクトを取ってきた。このほとんどありえないチャンスを、畑中さんは染谷智幸さんとともにきっちりものにした。それが『男色を描く』(2017年)の企画で、編集者・漫画家・研究者が共創。2018年・19年の『全訳男色大鑑』に繋がった。そこで浮かび上がってきたのが、「アダプテーション」というキーワードだ。アダプテーションの側から作品を見直す。そこに新たな発見があるというのである。これは注釈の方法の見直しにも繋がる。二次創作する立場の人にとって必要な注釈が必要だと。たとえば、舞台化しようとするなら、そこに描かれるモノも立体的に把握できなければならない。また創作という立場から見れば、なぜそういう設定なのか?なぜこの場面が必要なのか? そういう疑問を解決する注釈が重視されるということだろう。もちろん、これアダプテーションの立場に立たなくても大事なことなのだが、アダプテーションのためという「目標」を設定することで、注釈の意義が鮮明になるにちがいない。
勢いはとどまらない。若衆文化研究会、ワカシュケンという研究会の発足。研究会から「祭り」へ。なんと100名もが参加するようなイベントが、研究者と実作者を交えて行われたのである。さらには、NHKの歴史秘話ヒストリアで男色大鑑が大きく取り上げられた。そして人形作家の甲秀樹氏とのコラボ、国際研究集会での講演、トークイベント、インタビューと勢いはとどまるところを知らない。そういえば、何年か前大阪で行われた西鶴研究会の懇親会のあとで、若衆研の人たちとご一緒させたいただいたことがあった。すごいパッションだったが、私にとっては貴重な出会いだったです。
これらの怒濤の日々のドキュメントという一面が本書を読ませるものにしているが、主題はあくまで、「これからの古典の伝え方」の提案だ。実践編で面白かったのは、西鶴の自己〈演出〉を読み解くくだり。まさに創作者側に立つ読みだ。
そして、私個人としては、『花実御伽硯』という究極コピペ作品を分析した「江戸のコピペ」が面白かった。本書の中ではいちばん「研究」っぽい部分だが、こういう怪しげで、二流で、胡散臭い近世中期の本こそ、江戸の読み物っぽい。本書は私の研究する近世中期の「奇談」書のひとつなのだ。「奇談」書とは、書籍目録に出てくる分類項目で、ここに載っている本を「奇談」書と私は呼んでいるのである。なんでもありのオモチャ箱、それが「奇談」なのだが、本書は稀覯本で、お茶の水図書館にしか所蔵が知られない。本書の閲覧をかなり昔に申し入れた時には、それが何かの理由で叶わず、図書館の方が丁寧にも、序の翻字や書誌を送ってくださったのである。私の科研報告書にもそのことは記している。私にとっては片想いの本である。しかし、それは、畑中さんの調査によって、ほぼコピペ、序さえもコピペということが明らかにされている。同じタネ本を使って上手に創作した静観房との比較が抜群に面白い。そのタネ本の方も、いまは国書刊行会の江戸怪談名作選5巻に収められている。
ところで本書の略称は「コテデン」。「コテキリ」に続く、「こてほん」の「アダプテーション」という見立てもできるかもしれない。どの本も「古典」をなんとかしようとする企画である。やり方は違うが思いは同じではないか。「こてほん」「コテキリ」に関わったものとして、「コテデン」も是非また盛り上がれ。そしてアダプテーションがアダプテーションを呼ぶという本書の主張通りの展開を、本書がしている・・・っていうのはこじつけだが、まあそういうことにしましょう。
2021年04月08日
香果遺珍目録
橋本経亮(つねすけ)と言っても知る人は少ないだろう。信頼性の高い辞典にも「つねあきら」となっていたりで、近世中期の上方文壇に興味のある人でないと、この名前を正確に知らないということになってしまう。しかし、この人物、上田秋成・本居宣長・小澤蘆庵など、当時の錚々たる文人との付き合いが深く、人と人との仲介をよくやっていて、看過できない人物なのである。京都梅宮社の神官であり、宮中の雑務を担当する非蔵人でもある。この「非蔵人」という人たちの中には羽倉信美や藤島宗順など、当時の上方文壇のキーパーソンが多くいて、「非蔵人ネットワーク」を形成していたこと、加藤弓枝さんの研究に詳しい。とくに経亮は、本居宣長を京都の堂上文化圏と繋げる役割も果たしており、きわめて重要である。その経亮の旧蔵書は、京丹後の豪商稲葉家が買い取り、長くそこに保存されていたが、その後、さらに蒐集家の手に転じ、昭和初期に慶応義塾大学に寄贈されたのである。
稲葉家によって「香果遺珍」と命名されたその資料の全貌が、今回「橋本経亮旧蔵香果遺珍目録」(慶應義塾大学三田メディアセンター、2021年3月)として刊行され、明らかになったことは、私のように秋成周辺の人的交流に興味のある者には、もう非常に嬉しいのである。図書館の刊行物のならいで個人名は出ていないが、慶應大学斯道文庫の一戸渉准教授の労作であることはメディアセンター所長の巻頭言に明記されている。
これらの資料解題は、誰にでも出来るものではなく、この時期の上方文壇に通じている一戸さんならではの記述があちこちに散見される。秋成・蘆庵についての新たな知見も、見出される。
いやもう、まだブログに書いていない本を含め、ちょっとこのごろ出る本は、興奮の連続なんですけど。新学期なのでこれはもう嵐のようにとしか喩えられない。
稲葉家によって「香果遺珍」と命名されたその資料の全貌が、今回「橋本経亮旧蔵香果遺珍目録」(慶應義塾大学三田メディアセンター、2021年3月)として刊行され、明らかになったことは、私のように秋成周辺の人的交流に興味のある者には、もう非常に嬉しいのである。図書館の刊行物のならいで個人名は出ていないが、慶應大学斯道文庫の一戸渉准教授の労作であることはメディアセンター所長の巻頭言に明記されている。
これらの資料解題は、誰にでも出来るものではなく、この時期の上方文壇に通じている一戸さんならではの記述があちこちに散見される。秋成・蘆庵についての新たな知見も、見出される。
いやもう、まだブログに書いていない本を含め、ちょっとこのごろ出る本は、興奮の連続なんですけど。新学期なのでこれはもう嵐のようにとしか喩えられない。
2021年04月05日
都合のよい結論を導く魔法のことば
俳文学会の『連歌俳諧研究』140号(2021年3月)に掲載されている、中森康之さんの「『葛の松原』強行出版説には根拠がない−検証八亀説」が面白い。支考が『葛の松原』で、芭蕉の有名な「古池や」の句を「蕉風開眼の句」と説いたが、実はこれはすごい詩論なんだということを、中森さんが学会で発表され、私がその発表に衝撃を受けたことをかつてこのブログで書いた。しかし、その支考の『葛の松原』を、芭蕉の許可を得ずして強行出版したものだと主張しているのが八亀師勝氏で、その説は影響力を持ってきたらしい。支考は胡散臭い人物で、人間的に問題があるというイメージがあり、その偏見先行で、強行出版説が唱えられていたことを、中森さんは本論文で検証した。非常に説得力のある内容で、『葛の松原』が強行出版されたものだから、書かれていることは信用できないという根拠は崩れ去ったと言える。
それにしても論文というのはこわい。その結論がそれを読んだ研究者にとって都合がよいものであれば、その論拠のなさを見過してしまう。逆に言えば、論拠がなくても、詭弁的に自分の都合の良い方向に結論を導き、それが他の人の論文の「論拠」として、一人歩きしてしまう。
論拠がなくても、都合のよい結論に導く魔法のことばは、「〜だとすれば」「この仮説が正しいとすれば」という、さりげなく挿入される仮定法である。これがあれば、何だっていえるぞ。そしてその仮定法がいつのまにか既成事実となっているという叙述法だ。
しかし、私自身もこの論法を使ったことがあるのだ。使い方としては都合のよい結論に導くためではないつもりだが、褒められた物ではない。自省自省。
それにしても論文というのはこわい。その結論がそれを読んだ研究者にとって都合がよいものであれば、その論拠のなさを見過してしまう。逆に言えば、論拠がなくても、詭弁的に自分の都合の良い方向に結論を導き、それが他の人の論文の「論拠」として、一人歩きしてしまう。
論拠がなくても、都合のよい結論に導く魔法のことばは、「〜だとすれば」「この仮説が正しいとすれば」という、さりげなく挿入される仮定法である。これがあれば、何だっていえるぞ。そしてその仮定法がいつのまにか既成事実となっているという叙述法だ。
しかし、私自身もこの論法を使ったことがあるのだ。使い方としては都合のよい結論に導くためではないつもりだが、褒められた物ではない。自省自省。
2021年04月03日
死者との対話
前のエントリーの劉さんの恩師である塩村耕さん。昨年8月に『江戸人の教養』というエッセイ集(新聞連載をまとめたもの)を刊行されたが、それは塩村さんがいわれる人文学の方法「死者との対話」を具現化したものであったことを、その折りに紹介した。劉さんの著書のあとがきには、塩村さんの愛する『徒然草』十三段の一節(「見ぬ世の友」)が引かれる。なるほど、塩村さんの「死者との対話」の典拠はこれか、と今更ながら思い当たったわけである。
その塩村さんが、今度は、『大田常庵日記』(太平文庫81、2021年)を刊行した。「大田常庵」って誰だろう。ほとんどの人がそう思うだろう。「特筆すべき業績を残した人でもない。さまでの波乱を経験しているわけでもない」(解題)。なぜそういう人の日記を、わざわざ翻刻するのか。幕末〜明治に生きた人だから、日記はそう簡単に読めるものではない。まさしく「和本リテラシー」が必要なのだ。正直、私ならこの翻刻を志すことはないだろう。
だが、そこが塩村さんなのだ。たった一人でB5判2段組250頁におよぶ未翻刻文書を、おそらく古人を慈しみながら、愉しく翻刻していたに違いない。どこにでもいるような教養人の、ありふれた毎日をしるした日記を読むことによってしか得られない、古人の至福の一時を共有する愉悦がそこにはある。
この境地に達した塩村さんを私は心から尊敬する。それだからこそ、劉さんをはじめとする素晴らしい教え子を多く育てられたのであろう。数年前、名古屋大院生との研究交流会を定期的にやりたいなーと思いついたことがあったのだが、うまく言い出せなかったな。
ともあれ、塩村さんの「死者との対話」は達人の域に入った。我々は翻刻を読むことで、それを少しだけは追体験できるだろう(なんといっても日記本体というモノそのものを読むのとでは、その共感度が違う)。
その塩村さんが、今度は、『大田常庵日記』(太平文庫81、2021年)を刊行した。「大田常庵」って誰だろう。ほとんどの人がそう思うだろう。「特筆すべき業績を残した人でもない。さまでの波乱を経験しているわけでもない」(解題)。なぜそういう人の日記を、わざわざ翻刻するのか。幕末〜明治に生きた人だから、日記はそう簡単に読めるものではない。まさしく「和本リテラシー」が必要なのだ。正直、私ならこの翻刻を志すことはないだろう。
だが、そこが塩村さんなのだ。たった一人でB5判2段組250頁におよぶ未翻刻文書を、おそらく古人を慈しみながら、愉しく翻刻していたに違いない。どこにでもいるような教養人の、ありふれた毎日をしるした日記を読むことによってしか得られない、古人の至福の一時を共有する愉悦がそこにはある。
この境地に達した塩村さんを私は心から尊敬する。それだからこそ、劉さんをはじめとする素晴らしい教え子を多く育てられたのであろう。数年前、名古屋大院生との研究交流会を定期的にやりたいなーと思いついたことがあったのだが、うまく言い出せなかったな。
ともあれ、塩村さんの「死者との対話」は達人の域に入った。我々は翻刻を読むことで、それを少しだけは追体験できるだろう(なんといっても日記本体というモノそのものを読むのとでは、その共感度が違う)。
2021年04月02日
劉菲菲さんの論文集刊行
劉菲菲さんの『都賀庭鐘における漢籍受容の研究 初期読本の研究』(和泉書院、2021年3月)が刊行された。都賀庭鐘研究がいま盛んになっている。とくに丸井貴史さんら、若手の活躍が著しい。中でも劉菲菲さんは、庭鐘作品とこれまで指摘のない漢籍の関係を次々に発見し、注目されていた。私も劉さんの論文に多くを学んだ。今回、劉さんが発表されてきた論文を一書にまとめ、上梓されたことに心から祝福の意を表したい。
中村幸彦氏や徳田武氏らによって、庭鐘作品の典拠はかなり明らかにされてきたが、それでも典拠不明としてそのままになっていたものがあったが、それを劉さんが(可能性をふくめて)新たに指摘したものがいくつもあって、庭鐘を授業で読んできた者にとっては、なかなか衝撃的は発見だったが、それが偶々ではなく、彼女の大変な努力によって成されたであろう事は、本書につけば明らかなのである。
庭鐘作ではないとされてきた『垣根草』を、もう一度庭鐘作かもしれないと提起した「『垣根草』新論」には、反論もあり、にわかには判断できないが、その詳細な考証によって、議論の俎上に載せたこと自体大きな意味を持っている。
また、その存在は知っていても、なかなか研究者が正面から扱えなかった庭鐘の読書録である『過目抄』を本格的に検討し、読本創作との関わりを探った第九章は、劉さんの独擅場であろう。
ともあれ、私も庭鐘を読んできたつもりだったが、完全に脱帽で、本書をリスペクトしてやまない。
そして、「あとがき」に感動した。和歌山大学教育学部で出会った松村巧先生は、劉さんの資質を見抜き日本文学研究を勧めたというが、この出会いは大きかったのだろうなと思う。そして名古屋大学大学院での指導教授が塩村耕さんだった。「孤独や困難を感じるたびに、塩村先生のよくおっしゃる『徒然草』十三段の「独りともしびのもとにふみをひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる」という一文が私を支えてくれました」という一文には、涙が出そうになったといっても過言ではない。大学院での仲間や、名古屋での研究会も彼女にとって幸せな出会いだったようだ。なにより、彼女のひたむきな姿勢が、周りの応援を引き出したのだろう。
いま劉さんは、中国の大学で教鞭をとっている。日中の学術交流に是非お力を尽くしていただきたいものである。
中村幸彦氏や徳田武氏らによって、庭鐘作品の典拠はかなり明らかにされてきたが、それでも典拠不明としてそのままになっていたものがあったが、それを劉さんが(可能性をふくめて)新たに指摘したものがいくつもあって、庭鐘を授業で読んできた者にとっては、なかなか衝撃的は発見だったが、それが偶々ではなく、彼女の大変な努力によって成されたであろう事は、本書につけば明らかなのである。
庭鐘作ではないとされてきた『垣根草』を、もう一度庭鐘作かもしれないと提起した「『垣根草』新論」には、反論もあり、にわかには判断できないが、その詳細な考証によって、議論の俎上に載せたこと自体大きな意味を持っている。
また、その存在は知っていても、なかなか研究者が正面から扱えなかった庭鐘の読書録である『過目抄』を本格的に検討し、読本創作との関わりを探った第九章は、劉さんの独擅場であろう。
ともあれ、私も庭鐘を読んできたつもりだったが、完全に脱帽で、本書をリスペクトしてやまない。
そして、「あとがき」に感動した。和歌山大学教育学部で出会った松村巧先生は、劉さんの資質を見抜き日本文学研究を勧めたというが、この出会いは大きかったのだろうなと思う。そして名古屋大学大学院での指導教授が塩村耕さんだった。「孤独や困難を感じるたびに、塩村先生のよくおっしゃる『徒然草』十三段の「独りともしびのもとにふみをひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる」という一文が私を支えてくれました」という一文には、涙が出そうになったといっても過言ではない。大学院での仲間や、名古屋での研究会も彼女にとって幸せな出会いだったようだ。なにより、彼女のひたむきな姿勢が、周りの応援を引き出したのだろう。
いま劉さんは、中国の大学で教鞭をとっている。日中の学術交流に是非お力を尽くしていただきたいものである。
なぜ「くずし字教育」が必要なのか、講演のアーカイブ公開
3月28日に行われた同志社大学古典教材開発研究センター設立記念研究集会「古典教材開発の課題と可能性」における私の基調講演のアーカイブが公開されました。こちらからご覧下さい。「なぜ「くずし字教育」が必要なのか」というタイトルです。とくに後半の内容で、その理由を考えてみました。もとより、未熟な考察ですが、ご批正を賜れば幸いです。
(追記)リンクが不正確でした。おわびいたします。ご指摘を受けて対応しました。ご迷惑をおかけいたしました。
(追記)リンクが不正確でした。おわびいたします。ご指摘を受けて対応しました。ご迷惑をおかけいたしました。
2021年04月01日
東アジア・はじめに交流ありき
『東アジア文化講座』という全4巻のシリーズが一挙に刊行された。第1巻は染谷智幸編『はじめに交流ありき 東アジアの文学と異文化交流』(文学通信、2021年3月)である。
さて「東アジア」。欧米を中心とする日本研究が、「東アジア」の枠組でなされていることを、日本古典文学研究者の多くは認識していないかもしれない。しかしここ数年、海外の研究者と交流をもつことが出来、海外学会で発表もさせていただいた私の貧しい経験によっても、「東アジア」的視点が標準だということは強く実感される。たとえば、日本研究をしている海外の彼らは、英語と日本語はもちろん、中国語と韓国語も流暢に話す人が少なくない。東アジアでワンセットなのである。
当然のことだが、中古文学とか、近世文学などという「専門」は、日本にしかない、と言ってよい。よほどの論文・著書でないかぎり翻訳は出ないから、海外の人の目に触れることはない(もっとも紀要とかだと日本人研究者の目にもなかなか触れない)。昔はそれでよかった。尊敬する研究者に読んでもらうつもりで論文を書くというのが、我々が教えられた姿勢である。しかし、今の学生にそのように指導してよいかどうかは疑問だ。
「日本文学研究は世界的にも日本語論文が最もレベルが高く、海外でも優れた日本研究者は当然日本語で論文を書いており、また書くべきだ」と思っている人がいたとしたら、残念ながら、現状はそうではないと言わざるをえない。英語や中国語や韓国語でも優れた日本研究があり、翻訳がなければ我々はそれを知ることができない。しかし、世界の「東アジア」研究者は、英語も中国語も韓国語も日本語も読み書きしながら、日本文学研究を位置づけている。
とはいえ、長く日本語だけの世界で研究を見てきた日本文学研究者にとって、この現実はあまり見たくない現実である。しかし、時代別・ジャンル別学会がそれぞれの領域で権威化している日本文学研究の世界は、このままでは衰退の一途を辿るばかりである。しかし、私を含め、中国語・韓国語のできない日本文学研究者は、どうすればいいかわからないでいるというのが現状ではないか。いや、そもそも「東アジア」視点の文学研究とはどういうものかがわからない、のではないか?
そういう時に、本企画は、とりあえずは、日本文学研究者が自身の立ち位置を、東アジアという視座から確認することができるという点で、非常にありがたいものだ。第1巻では小峯和明氏が、「影響」でも「比較」でもなく「共有」という視点を解説している。これはとても腑に落ちる。また、染谷さんの、「文化があってそれから交流」ではなく、「はじめに交流ありき」だというのも流石の発想だと感じ入った。
こうして並べられた論文を見ていると、なるほど「交流」には、このような問題系が存在するのかと感心する。そして、たとえ日本語でも、東アジア視点の考察は可能だということも見えてくる。
もっとも、「東アジア」が万能であるわけではない、ということも敢えて付言しておこう。「東アジア文化」というものを相対化する視点もありうるだろう。そういう議論がむしろ大事ではないか。しかし、少なくとも「東アジア」視点という大きな研究潮流があるということだけは認識しておかなければならないだろう。あらためてこのシリーズについてはこのブログで触れることにする。
さて「東アジア」。欧米を中心とする日本研究が、「東アジア」の枠組でなされていることを、日本古典文学研究者の多くは認識していないかもしれない。しかしここ数年、海外の研究者と交流をもつことが出来、海外学会で発表もさせていただいた私の貧しい経験によっても、「東アジア」的視点が標準だということは強く実感される。たとえば、日本研究をしている海外の彼らは、英語と日本語はもちろん、中国語と韓国語も流暢に話す人が少なくない。東アジアでワンセットなのである。
当然のことだが、中古文学とか、近世文学などという「専門」は、日本にしかない、と言ってよい。よほどの論文・著書でないかぎり翻訳は出ないから、海外の人の目に触れることはない(もっとも紀要とかだと日本人研究者の目にもなかなか触れない)。昔はそれでよかった。尊敬する研究者に読んでもらうつもりで論文を書くというのが、我々が教えられた姿勢である。しかし、今の学生にそのように指導してよいかどうかは疑問だ。
「日本文学研究は世界的にも日本語論文が最もレベルが高く、海外でも優れた日本研究者は当然日本語で論文を書いており、また書くべきだ」と思っている人がいたとしたら、残念ながら、現状はそうではないと言わざるをえない。英語や中国語や韓国語でも優れた日本研究があり、翻訳がなければ我々はそれを知ることができない。しかし、世界の「東アジア」研究者は、英語も中国語も韓国語も日本語も読み書きしながら、日本文学研究を位置づけている。
とはいえ、長く日本語だけの世界で研究を見てきた日本文学研究者にとって、この現実はあまり見たくない現実である。しかし、時代別・ジャンル別学会がそれぞれの領域で権威化している日本文学研究の世界は、このままでは衰退の一途を辿るばかりである。しかし、私を含め、中国語・韓国語のできない日本文学研究者は、どうすればいいかわからないでいるというのが現状ではないか。いや、そもそも「東アジア」視点の文学研究とはどういうものかがわからない、のではないか?
そういう時に、本企画は、とりあえずは、日本文学研究者が自身の立ち位置を、東アジアという視座から確認することができるという点で、非常にありがたいものだ。第1巻では小峯和明氏が、「影響」でも「比較」でもなく「共有」という視点を解説している。これはとても腑に落ちる。また、染谷さんの、「文化があってそれから交流」ではなく、「はじめに交流ありき」だというのも流石の発想だと感じ入った。
こうして並べられた論文を見ていると、なるほど「交流」には、このような問題系が存在するのかと感心する。そして、たとえ日本語でも、東アジア視点の考察は可能だということも見えてくる。
もっとも、「東アジア」が万能であるわけではない、ということも敢えて付言しておこう。「東アジア文化」というものを相対化する視点もありうるだろう。そういう議論がむしろ大事ではないか。しかし、少なくとも「東アジア」視点という大きな研究潮流があるということだけは認識しておかなければならないだろう。あらためてこのシリーズについてはこのブログで触れることにする。