昨年コロナのために1年延期されたEAJS(ヨーロッパ日本研究協会)国際会議inベルギー、残念ながらコロナが長引いているので延期後もオンラインで行われました。今回は、エドアルド・ジェルリーニさんのお誘いで、「文学遺産の再利用と再創造」というテーマでパネリストの一人としてプレゼンしました。AAS in Asia以来、2回目の国際会議発表ですが、前回と違ってお知り合いの方の参加が多く、この点かなり気持ちが楽だったのですが、ヨーロッパを中心に日本研究だけで1200人も参加する5日間にわたる国際会議で、同じ時間帯に10以上のパネルがあり、タイムテーブルを組むのも大変でした。我々のパネルは最終日だったので、みなさんの発表や質疑応答も大いに参考になりました。また、予想以上に日本語の発表・質疑応答が多かったのも安心しました。私自身は、例によっての無謀なチャレンジ志向で、プレゼンのみは英語でやり、質疑応答は訳してもらうということにしました。蓋を開けてみたら、案外みなさん日本語で発表質疑されていて、ちょいと拍子抜け、我々のセッションでも発表者の中で私だけが英語ということになってしまって「えええ!」と思ったのですが、しかたありません。当初、機械翻訳を頼りに自分で作った英文を校閲業者に出そうかと思っていましたが、どうにかなるんじゃないかと不敵な気分になって、原稿をセッションメンバーに見てもらったところ、いくつか修正をいただき、それを元に少しまたブラッシュアップしたものをそのまま原稿としました。ただ読み原稿を聞き取ってもらえない可能性を考え、パワポに分割して、全文を載せました。おおむね1枚1分で読むくらいにしました。まあ、読み原稿をそのままパワポに載せている人というのは今まで私もみたことないのですが、背に腹は代えられません。
さて、いくつかのセッションを視聴、国内学会と違って、新しい研究概念・方法の提唱がなされたり、領域横断的・本質的な議論が交わされたり、国際会議らしさを味わうことができました。また女性だけのパネルが結構あるのも、ヨーロッパの学会らしいですね。日本じゃあんまり考えられません。
コーヒーブレイクの時のネットワーク懇親会的な集まりに参加する方法がいまいちわからなく(一度はいってもると知り合いが誰もいなかったり)、また人もそんなに来ていなかったので、新たな人との出会いという点ではやはりオンラインの限界があったかなと思います。馴れればまた違うのでしょうが。
私たちのセッションはジェルリーニさんが趣旨説明のあと、荒木浩さんが、考古学の成果を取り入れたり、羅生門のような建築物がテキストによって作為されたり、遺産化する例など、スケールの大きいテクスト遺産論を展開、ついで私が、源氏物語への言及自体を虚構の中に取り入れる学説寓言の文学遺産性について、盛田帝子さんが、光格天皇が源氏物語の花の宴の場面取りというべき宮廷復興を行った事例を発表、ディスカサントのレベッカ・クレメンツさんが、文学遺産というタームを使う意味、それをオーディエンスにどう見せるのかというような質問を投げ、活発な議論が交わされました。参加者も46名と多く、感謝感謝です。私のようなロートルでも、初々しい気持ちで爽やかな気持ちで国際会議を終えることができました。
それにしても国際会議は、それに参加するための手続きや、連絡が全部英語で来るので、これを読むのに鍛えられますね。機械翻訳にかけるだけでも結構勉強になるのです。そして今回のオンラインシステム、使いこなせば相当いろいろなことが出来そうでした。とくに疑似コーヒーブレイクシステム、よく出来ていました。
あまり、具体性も面白みもない報告ですが、学会参加記は習いなので書きました。少しでも何かの参考になれば幸いです。
2021年08月28日
2021年08月14日
私説・昭和の国文学者・続
長坂成行氏の『私説・昭和の国文学者・続』(私家版、2021年6月)については、元同僚の滝川幸司さんや、川平敏文さんのSNSでの評があり、読みたくてたまらなかった。とはいえ私家版であり、面識もないので、諦めていた・・・。ところが、井口洋先生のご仲介により、著者から御本をご恵送していただくことができた。
長坂氏は、国文学者の、なんらかのお祝いや追悼などの記念文集、いわゆる饅頭本をこよなく愛し、あつめられてきた。それを100ほど選び、適宜要約して、ご自身の感想などを挟まれている。これが抜群のバランスで、無類に面白い。
すでに2012年に正編を同じく私家版で刊行されている。そして、おそらく、その後も、饅頭本を集め続け、興味を持たれたところを、抜き書きされたメモを書きためてこられたのだろう。
たとえば、中野三敏先生の項目では、中野先生著の『師恩』と傘寿記念の『雅俗小径』が取り上げられている。前者は中野先生が見た近世文学者や古本屋のご主人のエピソードや評、後者は中野門下生の中野先生の思い出である。この項目だけでA5判2段組で15頁にわたる。私の文章も取り上げられているのだが、こういう風に書かれている。
教養部一留(こんなこと書くな、と言われそうだが同じ体験ある者としてゆるされたい)、もともと西洋ドイツ史志望、親鸞・梅原猛を読み国文に転向、仏教文学研究を希望・・(下略)
つまり、この私の傘寿祝の文章から、私の情報を抜き出し、コメントまでつけて下さっているのだ(ちなみにこの一留時代は、私の宝なので、こんなこと書くなどころか、書いていただいて嬉しいのである!)。こういうのが至る所にあり、ものすごく重層的な人物資料になっている。それと関わるのが、索引で、対象となっている国文学者だけではなく、文章を書いた側の人や、文章中に出てくる人の名前まで索引に網羅されているようなのだ。だから、へー、この人はこの先生とこういう繋がりあったのね、と、自分の関心のある研究者から辿ることも出来る仕組みである。
そして、このお祝い文や追悼文だけではなく、それを特集した雑誌のあとがきなども引いていて、痒いところに手が届く感じである。論文とちがって、人柄や文章力まで浮かび上がる。あらためて中野先生の人物評はすごく面白いことを再認識する。個人的には益田勝実の項目に載せられた加藤昌嘉さんの「編集後記」の文章にうなる。これは長坂氏も「共感」したと書いて異例の長い引用をしているが、加藤昌嘉さんの天才的な文章力が垣間見えるもので、感銘を受けた。
そして、長坂氏のコメントがまた、ほどよいスパイスになっている。これも名人芸と称してよさそうだ。
しばし没入して読み耽っってしまった。滝川さんが「旱天の慈雨に等しい贈り物」と称したのも、むべなるかな、である。(今は逆か、長雨の隙間の陽射し?)
長坂氏は、国文学者の、なんらかのお祝いや追悼などの記念文集、いわゆる饅頭本をこよなく愛し、あつめられてきた。それを100ほど選び、適宜要約して、ご自身の感想などを挟まれている。これが抜群のバランスで、無類に面白い。
すでに2012年に正編を同じく私家版で刊行されている。そして、おそらく、その後も、饅頭本を集め続け、興味を持たれたところを、抜き書きされたメモを書きためてこられたのだろう。
たとえば、中野三敏先生の項目では、中野先生著の『師恩』と傘寿記念の『雅俗小径』が取り上げられている。前者は中野先生が見た近世文学者や古本屋のご主人のエピソードや評、後者は中野門下生の中野先生の思い出である。この項目だけでA5判2段組で15頁にわたる。私の文章も取り上げられているのだが、こういう風に書かれている。
教養部一留(こんなこと書くな、と言われそうだが同じ体験ある者としてゆるされたい)、もともと西洋ドイツ史志望、親鸞・梅原猛を読み国文に転向、仏教文学研究を希望・・(下略)
つまり、この私の傘寿祝の文章から、私の情報を抜き出し、コメントまでつけて下さっているのだ(ちなみにこの一留時代は、私の宝なので、こんなこと書くなどころか、書いていただいて嬉しいのである!)。こういうのが至る所にあり、ものすごく重層的な人物資料になっている。それと関わるのが、索引で、対象となっている国文学者だけではなく、文章を書いた側の人や、文章中に出てくる人の名前まで索引に網羅されているようなのだ。だから、へー、この人はこの先生とこういう繋がりあったのね、と、自分の関心のある研究者から辿ることも出来る仕組みである。
そして、このお祝い文や追悼文だけではなく、それを特集した雑誌のあとがきなども引いていて、痒いところに手が届く感じである。論文とちがって、人柄や文章力まで浮かび上がる。あらためて中野先生の人物評はすごく面白いことを再認識する。個人的には益田勝実の項目に載せられた加藤昌嘉さんの「編集後記」の文章にうなる。これは長坂氏も「共感」したと書いて異例の長い引用をしているが、加藤昌嘉さんの天才的な文章力が垣間見えるもので、感銘を受けた。
そして、長坂氏のコメントがまた、ほどよいスパイスになっている。これも名人芸と称してよさそうだ。
しばし没入して読み耽っってしまった。滝川さんが「旱天の慈雨に等しい贈り物」と称したのも、むべなるかな、である。(今は逆か、長雨の隙間の陽射し?)
2021年08月10日
柿衞文庫が東京で展示会
俳諧コレクションで名高い柿衞文庫(伊丹市、現在休館中)が、東京永青文庫で展覧会を開催いたします。10月2日〜12月5日。テーマは「芭蕉−不易と流行と」。芭蕉の名品を一堂に公開します。東京での展示はめったにありませんので、東京とその周辺で柿衞文庫所蔵の芭蕉資料にご興味のあるかた、是非ごらんください。
ちなみに10月14日には記念講演会が永青文庫の近くの和敬塾で行われます、鼎談「不易流行」(川上宗雪氏+金田一秀穂氏+坪内稔典氏)、そして11月7日には関連講座として、「対談:柿衞文庫の名品について」(尾崎千佳氏+辻村尚子氏)が行われます。柿衞のコレクションに興味のある方は、この中堅お二人の対談はお勧めです。山口大学の尾崎さんは今や宗因研究の第一人者。辻村さんは今年3月まで柿衞文庫の学芸員でした(現在は大手前大学)。対談の会場は早稲田大学国際会議場第2会議室です。
詳細は、こちら。
ちなみに10月14日には記念講演会が永青文庫の近くの和敬塾で行われます、鼎談「不易流行」(川上宗雪氏+金田一秀穂氏+坪内稔典氏)、そして11月7日には関連講座として、「対談:柿衞文庫の名品について」(尾崎千佳氏+辻村尚子氏)が行われます。柿衞のコレクションに興味のある方は、この中堅お二人の対談はお勧めです。山口大学の尾崎さんは今や宗因研究の第一人者。辻村さんは今年3月まで柿衞文庫の学芸員でした(現在は大手前大学)。対談の会場は早稲田大学国際会議場第2会議室です。
詳細は、こちら。
2021年08月01日
アーリーモダン文学(続)−染谷智幸さんのコメントを受けて
『研究と評論』100号の中嶋隆さん「近代初期(近世)文学史論序説」について感想を書いていたところ、染谷智幸さんからコメントをいただいた。ところが、そのコメントが他の記事についていたこともあり、あまり皆さんの目に触れないのではないかと思い、新たに投稿をすることにした。
まず、染谷さんのコメントをここに再掲する。
>「日本近世文学の研究者で、近世を「近代初期」(アーリーモダン)と称した人は、これまでいなかった」。確かに、それほど居たとは私も思わないのですが、拙論「日本「文」学に近世化をもたらしたもの−経済の与えた影響を中心に」(河野貴美子他篇『日本「文」学史(第三巻)−「文」から「文学」へ―東アジアの文学を見直す』勉誠出版、2019年)にそうした視点から少し書きました。これは、オレも書いとるよ、ということではなくて、大切で面白い問題なので、いずれ関心をお持ちの方々と議論してみたいなぁと。そんな気持ちから、ちょっと割り込んだ次第です。で実は、中嶋さんのご高論、まだ読んでないので、これもいずれ近いうちに拝読して、中嶋さんに直接感想などをお話ししても良いかと考えているところです(WEB日韓古典研究会でお会いしますので)。江戸は近代、は歴史学者からよく聞く話ですが、文学でも大いに議論したいところです。ちなみに、江戸初期が近代というのは、そのまま中世末ということと矛盾しません。閑山子さんのお話も、ぜひ拝聴したいです。
(以上、再掲おわり)
大変失礼しました、とここでお詫びしたい。もっとも「これまでいなかったのではないか」と一応断定はしてなかったのでちょっと安心(笑)。
ただ、染谷さんは「日本近世文学の研究者」というよりは、「東アジア文学研究者」と言った方がよいので、「アーリーモダン」という言葉を使っていても、「さもありなん」と思うばかりである。
それは、さておいて、染谷さんの「日本「文」学に近世化をもたらしたもの−経済の与えた影響を中心に」を見てみよう。中嶋さんとは少し視点が異なると思うが、「経済」を重視している点では共通している。ものすごく大昔に、唯物論的立場から西鶴は資本主義社会を描いた先駆けというような論があったり、もう30年位前だろうか、経済学者の岩井克人さんが貨幣論の立場から『日本永代蔵』を論じて話題になったこともあって、そういう議論に若干ついていけなかったのだが、染谷さんのアーリーモダン論は、西洋の近代小説の登場と江戸の近世文学の登場を比較して、どちらも中世の宗教的権威の退場に変わって、人生いかにいきるべきかを、提示するテキストとして現れたという見方をしていて、非常に斬新であった。これにはまず、西洋近代小説を芸術至上主義的なものではなくて、実用教訓的なものとして捉える見方が前提となっている。学部生のころ、私も岩波講座文学の各論は結構読んでいたが、染谷さん引用の桑原武夫がそういう見方をしていたんですね。このあたり、今の西洋文学の専門家の見方はどうなんでしょう?
まさに「従来の近世文学研究において、近世文学の実用性や教訓性について指摘する論考は夥しくある。しかし、その教訓性の意味が、同時期の西欧近代小説の教訓性と比較・検討されたことはほとんどない。しかし、西欧の近代小説が、教会すなわちキリスト教という巨大な宗教的権威が、歴史の表舞台から退場し、それち入れ違いで出てきたことを考えれば、日本近世文学の実用・教訓性も、中世の仏教や神道を始めとする巨大な宗教的権威が崩壊・変容してゆく中で、それと入れ違いに出てきて、人々の「いかに生くべきか」を支えたと考えてみる蓋然性は十分にあるのである」
と。
そうした近世文学の教訓性・実用性は、仏教や儒教の言説が再編成されて取り込まれていたりする・・・と染谷さんの論は展開しているようだが、それは中嶋さんの「近世文化は中世文化のメディアによる再編成」論と通じるものがある。また、なぜそのような儒教・仏教文化の再編成(日本的受容)が可能になったのかということでは、「中心・周辺・亜周辺」の概念を使って、日本が亜周辺だったから(ちなみに朝鮮は「周辺」)と説く。このあたりは不勉強にして論の妥当性がわからないが、ともかく、中嶋さんに劣らぬスケールの大きな議論である。
粗雑な紹介で申し訳ないが、染谷さんのコメントへのお礼として書いた次第です。染谷さんの論は2年前のもので、今頃申し訳ありません。で、この議論、大切かつ面白いので、どなたかに是非シンポジウムなど企画していただきたいと思います。
まず、染谷さんのコメントをここに再掲する。
>「日本近世文学の研究者で、近世を「近代初期」(アーリーモダン)と称した人は、これまでいなかった」。確かに、それほど居たとは私も思わないのですが、拙論「日本「文」学に近世化をもたらしたもの−経済の与えた影響を中心に」(河野貴美子他篇『日本「文」学史(第三巻)−「文」から「文学」へ―東アジアの文学を見直す』勉誠出版、2019年)にそうした視点から少し書きました。これは、オレも書いとるよ、ということではなくて、大切で面白い問題なので、いずれ関心をお持ちの方々と議論してみたいなぁと。そんな気持ちから、ちょっと割り込んだ次第です。で実は、中嶋さんのご高論、まだ読んでないので、これもいずれ近いうちに拝読して、中嶋さんに直接感想などをお話ししても良いかと考えているところです(WEB日韓古典研究会でお会いしますので)。江戸は近代、は歴史学者からよく聞く話ですが、文学でも大いに議論したいところです。ちなみに、江戸初期が近代というのは、そのまま中世末ということと矛盾しません。閑山子さんのお話も、ぜひ拝聴したいです。
(以上、再掲おわり)
大変失礼しました、とここでお詫びしたい。もっとも「これまでいなかったのではないか」と一応断定はしてなかったのでちょっと安心(笑)。
ただ、染谷さんは「日本近世文学の研究者」というよりは、「東アジア文学研究者」と言った方がよいので、「アーリーモダン」という言葉を使っていても、「さもありなん」と思うばかりである。
それは、さておいて、染谷さんの「日本「文」学に近世化をもたらしたもの−経済の与えた影響を中心に」を見てみよう。中嶋さんとは少し視点が異なると思うが、「経済」を重視している点では共通している。ものすごく大昔に、唯物論的立場から西鶴は資本主義社会を描いた先駆けというような論があったり、もう30年位前だろうか、経済学者の岩井克人さんが貨幣論の立場から『日本永代蔵』を論じて話題になったこともあって、そういう議論に若干ついていけなかったのだが、染谷さんのアーリーモダン論は、西洋の近代小説の登場と江戸の近世文学の登場を比較して、どちらも中世の宗教的権威の退場に変わって、人生いかにいきるべきかを、提示するテキストとして現れたという見方をしていて、非常に斬新であった。これにはまず、西洋近代小説を芸術至上主義的なものではなくて、実用教訓的なものとして捉える見方が前提となっている。学部生のころ、私も岩波講座文学の各論は結構読んでいたが、染谷さん引用の桑原武夫がそういう見方をしていたんですね。このあたり、今の西洋文学の専門家の見方はどうなんでしょう?
まさに「従来の近世文学研究において、近世文学の実用性や教訓性について指摘する論考は夥しくある。しかし、その教訓性の意味が、同時期の西欧近代小説の教訓性と比較・検討されたことはほとんどない。しかし、西欧の近代小説が、教会すなわちキリスト教という巨大な宗教的権威が、歴史の表舞台から退場し、それち入れ違いで出てきたことを考えれば、日本近世文学の実用・教訓性も、中世の仏教や神道を始めとする巨大な宗教的権威が崩壊・変容してゆく中で、それと入れ違いに出てきて、人々の「いかに生くべきか」を支えたと考えてみる蓋然性は十分にあるのである」
と。
そうした近世文学の教訓性・実用性は、仏教や儒教の言説が再編成されて取り込まれていたりする・・・と染谷さんの論は展開しているようだが、それは中嶋さんの「近世文化は中世文化のメディアによる再編成」論と通じるものがある。また、なぜそのような儒教・仏教文化の再編成(日本的受容)が可能になったのかということでは、「中心・周辺・亜周辺」の概念を使って、日本が亜周辺だったから(ちなみに朝鮮は「周辺」)と説く。このあたりは不勉強にして論の妥当性がわからないが、ともかく、中嶋さんに劣らぬスケールの大きな議論である。
粗雑な紹介で申し訳ないが、染谷さんのコメントへのお礼として書いた次第です。染谷さんの論は2年前のもので、今頃申し訳ありません。で、この議論、大切かつ面白いので、どなたかに是非シンポジウムなど企画していただきたいと思います。