お久しぶりです。この間、多くの素晴らしい研究書がいくつも刊行されていて、ここで取り上げるべきなのですが、いましばらくお待ち下さい。
ただ、今日は下記のことを書くことをお許し下さい。
今日は「雅俗の会」主催で、「雅俗論のゆくえ」と題するシンポジウムがオンライン(teams)で開催されました。
私もパネリストとして参加。研究関係では今年度の仕事納めとなりました(教育・事務関係はまだまだあります)。
基調報告は、川平敏文さんの「雅俗論史」で、これまでの雅俗論研究史を整理するとともに、その問題点を指摘、見事な整理だったと思います。
ついで行われたパネルは、深沢了子さんが宗因、私が秋成、小林ふみ子さんが南畝、菱岡憲司さんが小津桂窓(と馬琴)に即して、雅俗の問題について、それぞれの立場から提言を行った。ディスカサントの勝又基さんも、シンポを総括して雅俗論の今後について提言した。フロアを含めての討論では、雅俗論の可能性と限界について議論がなされた。中野三敏先生の三回忌記念でもあった本シンポジウムには、ご子息の学而さんと泰而さんも参加されていた。
私としては非常に勉強になった3時間だったが、改めて雅俗論のもつせいポテンシャルと、その混沌性を強く認識させられた。
シンポジウムのあとで、メールを下さった方もいて、たいへん嬉しく手応えを感じた。
シンポのあとで、司会の川平さんとパネリストでちょっと反省会もどきのおしゃべりをしたのだが、ここで議論を終えるのはもったいないと思って、参加してくださった方にご意見・ご感想を求める提案をした。本シンポの内容は次号の『雅俗』に掲載されるということだが、通算20号を数えて一つの歴史をつくってきた『雅俗』の次の10年を見据えた特集になることを心から期待している。
久しぶりに、九州の研究会に戻った気分で楽しかった。川平さんをはじめとする雅俗の会のみなさん、そしてパネリストの皆さんに感謝である。
2021年12月26日
2021年12月06日
親孝行の日本史
勝又基さんの『親孝行の日本史』(中公新書、2021年11月)が少し前に刊行されたが、ようやく読了。最近いわゆる「こてほん」で一緒に仕事をして、いままた別の企画で協同しているのだが、実は私の大学院の後輩でもある。一回り以上歳下ではあるが、目覚ましく活躍されており、とくに海外での教育活動に熱心である。私も海外学会に誘っていただいて大変感謝している。
江戸時代の親孝行といえば勝又さんの専売特許・・・、ところが本書は「日本史」を謳い、古代から近代までをカバーする通史的な本になっているので驚いた。中公新書では「〇〇の日本史」というタイトルの本がいくつか出ていてそれに連なるものである。
近代以降に結構力が注がれていて、私としてはここが一番面白く読んだ。
森鷗外や太宰治が江戸時代の「孝」をテーマとするテキストを典拠として創作した小説が、彼らのどのような視線で書き換えられ、別の主題にとって変えられたかを論ずる第六章、明治以後の孝子顕彰や疑似家族的天皇制国家デザインに親孝行推奨を絡めて考察する第七章など、なかなか面白い。いずれも江戸時代の孝についての見識がなければ書けない内容であることが重要だ。ちなみに鷗外の『最後の一句』の、事実を踏まえた創作については、阪大リーブル『江戸時代の親孝行』(大阪大学出版会)で湯浅邦弘さんも考察していたと思う。
第六章は、江戸の「孝」思想と近代の「孝」観の違いを浮き立たせているが、第七章はむしろ「孝」における江戸と明治の連続を指摘しているようである。
第六章は文学を、第七章は政治を扱っているともいえるが、近代におけるこの両面のあり方を今後掘り下げていただければと思う。
本書のあとがきには、校正中に急逝されたご母堂への謝辞が記されている。本書の出版はなによりの親孝行だっただろう。
それだけではなく、本書は彼の師である(私の師でもある)、中野三敏先生の三回忌にあたるタイミングで出版されている。これは偶然ではなさそうだ。なぜなら、中野先生は、彼にとって(私にとってでもあるが)学問上の父であり、尊敬する父へ捧げられた本でもあると思われるからだ。
江戸時代の親孝行といえば勝又さんの専売特許・・・、ところが本書は「日本史」を謳い、古代から近代までをカバーする通史的な本になっているので驚いた。中公新書では「〇〇の日本史」というタイトルの本がいくつか出ていてそれに連なるものである。
近代以降に結構力が注がれていて、私としてはここが一番面白く読んだ。
森鷗外や太宰治が江戸時代の「孝」をテーマとするテキストを典拠として創作した小説が、彼らのどのような視線で書き換えられ、別の主題にとって変えられたかを論ずる第六章、明治以後の孝子顕彰や疑似家族的天皇制国家デザインに親孝行推奨を絡めて考察する第七章など、なかなか面白い。いずれも江戸時代の孝についての見識がなければ書けない内容であることが重要だ。ちなみに鷗外の『最後の一句』の、事実を踏まえた創作については、阪大リーブル『江戸時代の親孝行』(大阪大学出版会)で湯浅邦弘さんも考察していたと思う。
第六章は、江戸の「孝」思想と近代の「孝」観の違いを浮き立たせているが、第七章はむしろ「孝」における江戸と明治の連続を指摘しているようである。
第六章は文学を、第七章は政治を扱っているともいえるが、近代におけるこの両面のあり方を今後掘り下げていただければと思う。
本書のあとがきには、校正中に急逝されたご母堂への謝辞が記されている。本書の出版はなによりの親孝行だっただろう。
それだけではなく、本書は彼の師である(私の師でもある)、中野三敏先生の三回忌にあたるタイミングで出版されている。これは偶然ではなさそうだ。なぜなら、中野先生は、彼にとって(私にとってでもあるが)学問上の父であり、尊敬する父へ捧げられた本でもあると思われるからだ。